【諦観した先の未来-4】詳細Ver

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 妊娠に衝撃を受けなかったと言えば嘘になる。
 簡単に妊娠なんかするかよ、と思った直後、発覚した妊娠に、俺はただ呆然としただけだ。
 だいたい豹族と狼族という異種族間でそんなにも生まれやすいとは思わないのもあったのだが。ただなんとなく、ダーバリアならどんなことをしてでも妊娠させるかと思っていたのもあって、ああやっぱりと諦めもあったのも事実だ。
 それよりもそれが多胎妊娠だと聞かされたほうがもっと驚いたし、ついでに妊娠期間中のダーバリアが無茶をしなかったというのも驚いた。
 とにかくそこまででいろいろ驚いていたからか、三カ月の妊娠期間後に出産してその子の色を聞かされたときには、大して衝撃なかった。
 身体を変化した者の出産の場合はそのときだけ産道ができ、女が産むより小さな子が生まれる。それでもそういう力がもともとない俺の疲労感は大きくて、産後は意識が朦朧として、会えたのは一昼夜が経っていたぐらいだ。
 目覚めたときにはなんだか館中がたいそう賑やかで、あのダーバリアが茫然自失しているというとても珍しいものを垣間見ることもできた。
 そう、あのダーバリアがだ。
 まあ俺も驚いて、しばらく口が塞がらなかったぐらいだ。
 何しろ双子は黒豹と白豹だったのだから。
 どちらも豹だということはなんとなく判っていたらしいのだが、まさか黒と白。それが双子で生まれたことなど、記録を探してもいないということだ。
 生まれる前に子どもの魔力やら特性はある程度診察できるものだが、俺の子達は相当な魔力をそれぞれに持っているにもかかわらず、二人同時に腹の中にいたせいで相殺されていたらしい。
 白は黒の力をなだめ、白は黒の力を強める。
 相反する相互作用の意味は、実はみんなよく判っていないけれど、それでも吉祥であることに違いないから国から国王が訪れたほどだ。
 それから一年足らずで今度生まれたのは三つ子だった。
 生まれた直後は、俺はただ疲れて何も考えられなくて、見せられた子達に手を伸ばして、温かいのだと安堵したら意識を失った。
 そして起きたら。
 国王陛下どころか大臣全員が揃って平伏していたという、恐ろしい状況だった。
「……ダーバリア……」
「黒狼二人と白狼が一人だ……」
「そう」
 一人あぶれてるな、なんて現実逃避をしたのは俺だけではないようで、ダーバリアもしばらくはとてもおとなしかった。
 その代わり、館には客で溢れかえって、誰もが俺達を讃えていた。
 みんながあり得ないと言っていた。
 いや、まじであり得ないだろ? 俺って強制的に妊娠させられたんだよ? なのになんでこんな国を挙げてお祭りするような子が生まれているわけ?
 しかも五人ともに。
 誰もがあり得ない、神の奇跡だと言っていた。
 だけど周りからの祝福がどこか遠い。
 俺が見ていたのは、腕の中の白と黒の子ども達だ。
 それだけが俺にとっての現実だ。
 俺が産んだ子。
 ダーバリアの血を引く豹の子、俺の血を引く狼の子。
 白と真紅の瞳、黒と漆黒の瞳。
 そのうちに近隣諸国の王家が子ども達を引き取ると言いだしたが、それだけは絶対に嫌で、俺は手放さなかった。
「この子達は俺の子だ。俺の子をどこにもやらない」
「私がなぜ己の子を手放さなければならない」
 ダーバリアも拒絶した。
 そう言ったときのダーバリアはかっこよかった。あの変態バカではなかった。
「私から子を奪うというのであれば、どうなるか判っているのか?」
 とたんにやつの身体から溢れた黒いオーラは館どころか空を覆うほどに激しくて。
 平身低頭の人々を見て、(あーすごい、さすが黒豹)って思いながらも、なんだか嬉しかった。
 稀少獣種だから手放さなかったのかもしれないけど。
 だけど子どもを邪険にしないでくれたし、それぞれの妊娠期間と加えて半年の授乳期間は決して無茶な犯され方はしなかったから、それは良かったと思えた。



 子ども達は可愛い。
 やつとよく良く似た豹の姿をしていても可愛い。
 本当に望んでいたかと言えば嘘になる。それでも、生まれてきてくれたことは嬉しかった。
 俺は男で、男が産むということに拒絶反応もあったし、何よりあのくそったれ野郎の子だ。どんな子が生まれてくるかと思ったが、みんな素直で可愛い子ばかりだ。
 俺の銜えにくく出にくい乳を必死に飲んでいるあまりにも小さな子ども達が可愛くて仕方がなかった。
 だからずっと一緒にいたかったけど。
 子どもたちが暮らす家と俺がいる家は別物だったから、乳離れをすると子ども達は子ども達の家へと移された。
 大きな庭を介した反対側にある家――館にはたくさんの人がいて、子ども達はそれぞれの乳母によって育てられる。
 ときおり会って一緒に遊ぶこともあるが、長時間一緒にはいられなかった。
 そんな日々が過ぎて、下の子は今はもう二歳になったはずだ。
 稀少獣種らしくなんだかんだと優れていて将来有望なのは知っている。見かけるときには嬉しそうに近付いて話をすることもあり、とても嬉しかった。
 だがそれでも離れて暮らすことを諾としているのは、あれに性具扱いをされている姿など、子ども達に見せたくはなかったからだ。
 幸い、俺にはくそったれ野郎だが、子ども達には意外にもいい父親らしいことだけは判って、少しだけ見直してはやったが。
「んんっ、ああっ、だめぇっ、あぁっ!」
「いやらしい孔だ。こんなにも深々と銜え込んで、淫らな音を立てて悦んでおる」
「ひ、ふ、ふかっぁぁっ、ひぁぁっ!」
 太い杭で串刺しにされたごとく貫かれ、膝の上で淫らに喘がされて。
 俺の扱いは変わりはしない。
 常に子種を胎内に欲しがる呪いは消えてはいたが、ダーバリアの匂いを嗅いでいないと子種を飲みたくなる極悪な呪が追加されていた。
 妊娠中は胎児を守るために行為自体はなかったが、口で銜えて精液を飲み干すことは変わらずしていた。だけどあんなまずいもの、好き好んでいたわけではない。それなのにまさか自分から欲しくなるとは思ってもみなかった。
 そのときに味わった絶望は、決して消えることはない。
 そしてもう一つ、やつの魔力に縛られ続けたせいかそれともずっと隣にいたせいか、最初は砂粒のように小さな存在だったそれが、今ではかなりの大きさで俺の心の中に育ってしまっているものがあった。
 それこそが真の呪ではないかと思っているが、くそったれ野郎の意図ではないことだけは俺も口惜しいことに理解していた。
 それは確かに俺の中で育ったもので、消そうと思えば俺の意思で消えるはずのものだった。
 なのに、それはほかのどんな呪より頑固に俺の中に居残り続け、じわじわと成長している。
 これはダーバリアが仕掛けたものじゃない。
 違うのが判っていても、どうしようもない。
 そのどうしようもないそれに対し俺にできることは、ただ意識しないように心の奥深くに沈めておくことだけだ。
 俺に無体を働き続けて楽しむダーバリアを憎むことで、俺はそこから意識をそらしていく。
 やつが気を失った俺の呼吸が浅いことに気が付いて慌てていたと聞いたときも。
 回復魔法を掛けすぎて自分が貧血を起こし、気が付いたら横で伸びているのを見つけたときも。
 子ども達に向ける笑顔と、振り返って俺を見つけたときの喜びの表情。
 俺を癒やすことができる香りの中で眠る心地よさに気が付いたとしても、それは俺には関係ない。
 俺を犯し、奴隷として扱う男に、俺は屈することなど決してない。
 そうだ、決して俺から穏やかな日常を奪ったやつを許すことなんてできない しては、いけないんだ……。
 そういえば最近は前のように毎日の行為はなくなってきていた。
 それだけは助かると心底思うだが、さすがに性欲旺盛なダーバリアも少し落ち着いたのだろうか。
 と言っても、普通の営みよりは多いのは変わりないし、俺の首には首輪がありさまざまな呪がこの身には課せられているのは違いない。
 でも、閉じ込められっぱなしは無くなってきたな。最近は外に出かけることも増えてきていた。
 さすがに稀少獣種の親というのは注目の的だし、何よりダーバリア自体も稀少獣種。そして南国の王子であり、五本の指に入ると言われるぐらいの商売人。
 本来なら、俺なんかに構っていることなどできないぐらいに忙しいはずのやつだ。
 きっと、だからだろう。忙しいから、連れ出すんだろう。
「これは、ダーバリア閣下に奥方様、ようこそ我らが主催の宴へ」
「ご招待ありがとうございます」
「ごゆっくりしていってください」
「ありがとうございます、とても素敵な宴で素晴らしいです」
 ダーバリアとともに宴に出ることも、商売のために旅に出ることも増えた。
 旅で特別仕立ての馬車で移動しているときでも、どこでもどんなときでもダーバリアは俺を離さない。
 極上の服を着せられ飾り立てられ、宴に出されている間、俺はどんなにここから去りたいと思っても、顔には笑顔を貼り付けてそばにいることを強要させられた。
 そうしないと、旅の間裸で獣姿の腹の下にくくりつけて貫きながら運んでやろうと言われては、逆らえない。
 この変態くそ野郎は有言実行で、実際一度やられたことがあるがあんなことは二度とごめんだった。幾ら人がいない山の中でさえ、いや、山の中だからこそ駆ける振動での刺激は思い出したくもない。
 出たくないと逆らった罰だと控え室で散々犯された直後に出される宴も同様で、あんなのは質の悪すぎるさらし者でしかない。なにせ鼻の良い獣人ならば、寸前までいたしていたことなど丸わかりなのだ。
 なのに、彼らは俺がものすごく愛されていると思うらしい。
 俺の魔力が高いのもダーバリアの成功を後押ししていると、素晴らしい伴侶を得てうらやましいとまで言われてねっとりとした目で見られて。
 上機嫌なダーバリアの横で、俺は内心で血の涙を流し続ける。
 隣でただ黙って笑うことしか許されない今が辛くてたまらない。
 外を出歩くことと引き換えに課せられた呪いのせいで、そのときその場でダーバリアが望む言葉しかしゃべれないのだ。
 さらに、この身体は一定以上離れると耐えきられないほどの快感が与えられる仕掛けで、脱走を封じられていた。
 人前で俺が嬌声を上げて崩れたら、この服を引き剥がして悶えたら、きっとダーバリアは破滅だ。何度か実行してやろうと思ったが、だがダーバリアの権力はそれをもみ消すだけの力を持っているのも事実だった。
 それに、もしこいつが破滅したら子どもたちと引き離されそうで。俺も、こいつも……。
 だけど用意周到なやつは、その力が及ばない国には俺を連れていかない。
 そしてきっと、そんなことをした俺は今よりもっと過酷な……それこそ、拉致直後のような監禁生活と陵辱が再開するのは目に見えていた。
 ただときおり、いっそそうして欲しいとすら思う。
 言えない言葉を封じられた今の苦しみは、本心で言いたい言葉を強制的に言わせられる喪失感は、思った以上に俺を苦しめていた。
「さあ、帰ろう……疲れただろう?」
 優しい言葉に、周りのもの達が褒め称える。
「こんなに素晴らしいお相手を見つけられて、本当うらやましいですな」
 だったら変わってやるよ、俺と変わってくれ。 
 誰かこの呪を剥ぎ取って、俺の言葉を聞いてくれ。
 俺の本音を聞いてくれ。
 にっこりと笑いながら心で泣いている俺の声を聞いてくれ。
 そんな荒れた心も、それでも今はダーバリアの手が優しく触れてくれるだけで落ち着いた。それはこの野郎から漂う強い匂いのせいだ。
 爽やかで甘い、性交のときこそもっとも強くなるその匂いは、他人には判らない。
「愛らしい我が番……」
 子を産んだころからか、こいつはいつでも俺をそう呼ぶ。ねっとりと首輪を撫でながらその上に口づける。
 俺が言わない言葉。
 正確には、俺には言えない言葉を口にしながら、俺を包み込む。
 人々もまた、俺達を「真なる番」と呼んだ。
 最高の相性を持つ真なる番は、互いの魔力も知識も力も全てをより強く、その存在を高める一対のことを言う。
 一万組に一組ぐらいの確立でしか成立しないその番は、子どものころからおとぎ話のように聞かされていた。ただそれは夢物語ではなく、実際に存在する話だ。
 例えばこの国の王とその伴侶もそうだし、隣国に住まう豪商もそうだという。
 その双方が揃うことを皆が夢見ている。
 俺だってずっと憧れていたよ。好きな人と結ばれて、それが真なる番だったらって。俺を大事にして、俺も相手を大事にして子どもとともに幸せな家庭をって憧れていた。
 だから自分の中にあるその思いを知ったときに、俺は本当は認めたくなかった。
 それこそ気が付いたときからずっと目を背けていた。
 これこそが俺にとって最大の呪であり、受け入れたくなかった呪だと思ってしまった。
 だけど五人の子を孕んだときには自覚して、もう離れられないのだと気が付いていた。
 俺とダーバリアの相性はいい。互いに互いを高め合い、互いに癒やし合う関係。
 それこそが真なる番の結びつきなのだということを、悔しいことに俺は理解してしまっていた。
 憎らしいくそったれ野郎との間が、誰もがうらやみ、俺自身も望んでいた関係そのものなのだったのだ。
 子どもは本当に望まないとできないと、どこかの神官が言っていた。愛され愛さないと核はできない。だから同性婚での子どもは愛されて生まれるのだと祝福しながら言っていた。
 だったらなんで?
 なんでこんなことに、どうしてこんなふうになってしまったのだろう。
 それにどうして?
 どうしてダーバリアは、俺の言葉を聞きたいと思ってくれないのだろう。
 言わせてくれないのだろう。
 出会えたら、幸福の証だと言われるほどの関係のはずなのに。
 だけど、俺はたった一つの言葉すら聞いてもらえない。
 ダーバリアが番というたびに、俺は自嘲の笑みを浮かべるようになっていた。
 そのたびにダーバリアに言いたい言葉が胸の奥から溢れているのに、言葉を封じられた俺にはそれを伝える術がないのだ。
 前は無理やりに言わされていたのに、今は封じられた言葉。
 ある日俺が言わされた言葉に、ダーバリアが顔をしかめて封じたのだ。
 その日以来ダーバリアがその言葉を望まない限り、俺はその言葉を発することを許されなくなった。





 俺がその言葉を言えたのは、それからさらに一年の月日が経っていたときだった。
 呪が解けたきっかけはいまだによく判らない。
 五歳になった長男と次男の誕生の宴のとき、皆が同時に俺に触れたときか、それともダーバリアが俺達を抱え込み、「愛おしい我が家族よ」と言ったときか。
 本当によく判らない。
 だがその瞬間、まるで膨らみきった風船が弾けたような感覚があった。
 それは、みんなも気付いたようで、ダーバリアが不思議そうに首を傾げて、子ども達が嬉しそうに笑い声を上げた。
 俺も、何かが消えた感覚に引きずられて、放心した。
 思わず見上げた先に、ダーバリアの瞳があって、互いに互いが絡み合う。
 なぜかたまらなく引き寄せられた。
 あの香りが俺を包み込んだその瞬間、俺は思わず心の奥底でくすぶっていたその言葉を口にしていた。
「愛している、ダーバリア……」
 言った瞬間、全身が火を噴いたように熱くなった。
 一体俺は何を口走った?
 何を言った?
 頭の中に同じ言葉が駆け巡り、そして確かにその瞬間、俺は自分が本心で言ったことに気が付いた。
「……今……呪が」
 呆然としたダーバリアが延ばした手の先で、首輪が音を立てて落ちた。

「こわれたー」
「こわした?」
「はずれたー」
「はずれたの?」
「はずしたの?」

 子ども達が不思議そうにつんつんと突いている首輪は、不思議なことに金具も何もかもがそのままだった。鍵は光となって消失していたはずだ。なのにまるで自分から外れたように、傷一つなくそこにあった。
 なくて当たり前のものがなくなったことより、俺はないことの違和感に恐る恐る首に触れた。
 ずっとそこにあって俺を縛っていたものがなくなっていた。

「へんなのー、いっぱいだったのに」
「うん、なんかいっぱいはいってたね」
「でも、きえたー」
「あー、ぜんぶーきえたねー」
「もうないねー、かあさまにひっついてたのー」

 魔力も知恵も体力も並外れた子ども達は、それが何なのか判らなくても、何かがあったのは知っていたようだ。
「なぜ外れた? というか、今の言葉は?」
 子ども達から首輪を奪い、何度も何度もその手の中で確かめるダーバリアは、不意に俺を見つめた。
「それは……真か?」
「……ああ、なんのことだ?」
 思わず視線を逸らしてそっぽを向いたものの、首筋が熱い。
「今、これが外れたときに言った言葉だ。封じていた言葉……」
「あー、知らね。俺は何にも言ってない」
「言ったっ!」
 イライラと言うダーバリアが俺に呪をかけようとする。だかそれが延ばした指先で光となって弾けて消えた。
「な、に……」
「今の何?」
 何が起こったか判らないままに呆然と互いにその指先を見つめる。
 今確かに俺のほうへダーバリアの魔力が流れたけれど、俺に触れる寸前でそれは弾けて消えた。何かに塞がれたように。

「かーさま、さすがねー」
「かーさまはつよいもん」
「そだねー、ぼくたちのかーさまだもんねー」
「とーさまは、かなわないよー」
「うん、とーさまよりかーさまのほーがつよい」

 賑やかな子ども達が俺達を見ている。
 満面の笑みで、俺を指さして。

「「「「「だって、かーさまはしろいもん。くろいとーさまはかてないもん」」」」」

 賑やかな言葉と笑い声。
 その言葉の意味に真っ先に気が付いたのはダーバリアだった。
「白……」
「え……?」
「いや、灰色狼種……いや、白」
「え……?」
 なんだか挙動不審のダーバリアが、俺の髪に触れる。
「こんなにも白かったか?」
「え……?」
 指し示されるままに鏡を見た。
 俺の痴態を写すこともあった鏡はできれば見たくなかったのだけど、子ども達も言うから視線を移して……。
「え、白髪?」
 思わず口走ったほどに髪の毛が真っ白だった。
「おい、なんでこんな。あー、おまえのせいだっ、おまえが俺をあんな目に遭わすから、全部白髪になっちまったじゃねえかっ!!」
 若白髪だって気にしないようにはしていたが、実は気にはしていていろいろ薬なんか試していた。それなのに、ここ数年の心労に俺の髪はとうとう全部真っ白に。
 愕然として床に手をつく俺に、ダーバリアが「違うっ」と叫んだ。
「違うぞ、おまえはもともと白だということだっ」
「はあっ、俺の髪は灰色で、だから灰色狼種だって」
 とっさに掴みかかって首を絞めるダーバリアが必死になって首を横に振った。
「私も対を探すために調べたことがあるが、白はときおり色を持って生まれて、長じて色を無くすこともあると言われている。産まれたときから白のほうが珍しいのを知らないものも多い。だから白は見つけづらいと言われている。だからおまえが産まれたときには灰色だと思われても仕方がない。それに今のおまえの瞳は真紅、白の稀少獣種が持つ色だ」
「瞳……」
 振り返れば鏡に映る俺の瞳が真紅だった。
「……俺の瞳は茶色だったよな……」
「前は。だが、首輪が外れたとたんに髪はより白く、そして瞳は真紅になった」
「……どういうことだ?」
「たぶん首輪で抑えていた魔力が一気に溢れ出したことで、隠れていた素質が開花したのか……」
「んなことあるのか?」
 呆然とした俺の手からダーバリアが外れて。
 がしっと今度は俺が肩を掴まれた。
「ところで先ほどの言葉だが……」
 どうやら俺が白だということより、ダーバリアにとって俺の言葉のほうが気になるらしいが。
「言葉……え、あ、ああ……あれは忘れてくれ」
 なぜあんなことを口走ったのか、少し前の俺を殴りたい。
 あの何かが弾けた瞬間に、俺の中にあった言葉が一緒に飛びだしたようなそんな感じだったのが。
 目を逸らす俺を覗き込むように真紅をちらつかせる漆黒が俺を見つめる。
『言え』
 重々しい呪ではあった。だが首輪のない今、その効果は俺には届かない。
 不思議なことに言葉が俺の前で弾けるのが判る。
「くそっ!」
 苛立つダーバリアが王子様に似合わぬ悪態をつく。黒くて丈夫な尻尾が苛立ちを現すようにバシバシと床を叩いていた。
 だがなぜか恐怖は沸き起こらない。
 これも呪が外れたせいなのか。
「言えったら言えっ!」
 とうとう駄々をこねたような物言いで俺に迫ってきだした。
「言わないとひどいことをするぞっ!」
「ひどいことって?」
 なんなんだ、これは。
 少し前なら、こいつの言葉一つがあんなにも怖いと思っていたのに。
 威圧感丸出しの王子様はどこに行った?
「言えっ!」
 まるで言葉を知らないように、そればかりを繰り返すダーバリアが情けなくてに俺は肩を落とした。
 子ども達が、声を立てて笑う。

「かあさま、つよいね」
「うん、ぼくたちとおなじだね」

 にっこりと笑ったのは、白の稀少獣種の子ども達。
「……強いか?」
 その言葉に首を傾げるとともに、ダーバリアの手が俺の髪に触れた。
「くそっ、黒は白に抗えない。白は黒の力を弱め、強くする」
「どういう意味だ?」
「そう言い伝えられてはいるが、詳細は不明だ」
「あ、そう」
 なんだか現実味がない。
 だって俺自身は変わらない。
 下町の小さな雑貨屋の店主、それだけだ。
「だが抗えないのは確かだな。呪が届かぬ」
 ダーバリアが苦笑交じりで言う。
「私の呪を解いた」
 ダーバリアの手の中にある首輪にもう呪はない。それが俺にも判った。
「いや、子ども達のせいじゃね?」
 いまだに俺はそう思っているが、ダーバリアは信じてくれない。
「それより、先ほどの言葉は、本当か?」
 私の目を見て、真意を探るように問いかける。
 ああ、そうだった。
 やっぱそこから離れてくれないわけね。
「あー、まあ、本当だ。なんつうか、いつの間にかおまえのこと好きになってて。愛してるみたいだ、まじで」
 でないと、きっと子どもは生まれなかった。互いの欲しいという願いが一つにならないと子どもは生まれない。だから妊娠したときは驚いたが、実はそんな気はしていた。
 俺は孕んでしまうんだろうな、と。
 拒絶しながら、そう思っていた。
 だから拒んでいたんだ、ずっとずっと拒んでいた。
 もしあのときの俺が、今の子ども達を大事にするダーバリアを知っていたら、あんなにも拒まなかっただろう。
 子煩悩という言葉がふさわしいぐらいに子ども達に優しいダーバリアの姿を知っていたら。
 こいつは本当に子ども達と遊ぶのが好きだ。
 楽しいと、こんなに楽しいことはないと。昔一人っきりで過ごした王宮暮らしのこと、側室の子だと兄達に無視され続けた幼少期が辛かったのだと後から知った。だからたくさんの子どもが欲しかったのだと、そんなこと、あのときの俺は知らなかった。
 ダーバリアの言葉はいつも足りない。
「……ほ、ほ。……ほ、本当?」
「本当」
 なんか少し様子が変なダーバリアも、ああでもいつものことか、と視線をやった。
「私を……あ、あ、あい、愛してくれているのか? あ、あ。……あ、愛し、て、いーのかっ」
「……ああ、そうだよ、愛してる。なんの因果か、あんたみたいなくそったれ変態男を、俺はどうやら好きになっちまってたんだよ、ったく、信じられねえことに……」
「愛、愛、愛……」
 さっきから中空を見据えて、心あらずのように同じ言葉を繰り返していて。ふっと我に返ったように俺を見た。
「私のようなものを、本気で愛しているのか? この、変態で、自己中心で、わがままで、人を人とも思わぬ私を、本気で愛していると? 糞虫のように唾棄されるべき私を、本当にか?」
「おい……おまえ、自分のことをそんなに卑下すんのかよ。まあ、当たっているのは確かなんだが、自覚あったんだな。つうか、自覚あってそれかよ。あんた、まじでアホだったんだな……」
 という罵倒も気付かぬほどに、なんだかどっかに意識が飛んでいっているのを眺めながら、俺は長い嘆息を吐いた。
 どうやらこの元王子、とてつもなく高いスキルとか能力を兼ね備えていたのに、自己否定的で、自己採点が非常に低く、自分は愛されるような存在ではないと思っていたようだな。
 稀代の魔術師とか、誰だ、こんなのにそんなたいそうな名前をつけたやつ。
 それに、後でなんとか会話ができるようになってから聞き出したのだが。
 こいつはとにかく他人の言葉の裏の裏を読みすぎて、それが商売関係ならいいが、こういう感情的なところは理解できないうえに、一周を通り過ぎるぐらいとんちんかんな解釈をする質だったようだ。
 だから街中の通りで俺とすれ違い、番だと認識したとたん人を使って拉致したし、逃げだせないように首輪なんかつけたし、呪をてんこ盛りにしてくれたし、快楽漬けにしてしまえば、それこそダーバリアなしでは生きていけないと思ってくれるだろう、とか、子どもがいれば離れていかないだろう、とか。
 自分勝手な思考はまじでぶっ飛んでいて、しかもそれ以外に頭が働かなかったようだ。
 もう最初っから会話というものを無視している時点でおかしいだろう。
 って、ほんとになんてバカだよ、こいつ。
 もっとも俺もまああんなこんなをされて、なんでこいつを「愛してる」なんて思ってしまったのか、「愛して欲しい」なんて考えてしまうのか、甚だ謎ではあるんだが。
 これこそが呪だと思ったほうがすっきりする。
 でないと、判らない。
 判らないけどそうじゃないってことを知っている。だって、今俺は自分に何の呪もかかっていないのを知っている。そんな呪がかけられていなかったのも知っている。
 ダーバリアを愛するようになったのは、完全に俺の意思なのだ。
 閉じ込められていたからじゃない。壊れそうになるほどに犯されて支配されたからじゃない。子どもがいるからでもない。
 ただ俺は。
 一目惚れだったんだよ、こいつに。
 それだけは確かだ。
 こんな大バカでくそったれな野郎でも、見惚れるぐらいにかっこよくて、惹かれたのは間違いなくて。
 番だったと気付くより先に惹かれていた。
 俺が白だからかもしれないけど、黒いこいつがいいと思った。
 というか、こういう大バカくそったれ野郎と俺を番なんてものにしてくれたのは、一体どこの誰なんだよ。
 というか、神様かっ。
 神様ってなんて……恐ろしいことしてくれんだよ。一周を過ぎるほどに回ってぶっ飛んでるような思考を持ってるやつに、貴重な番なんて設定するなよな。
 まして黒と白。
 ああ、これがバレたらまた近隣諸国からたくさんの人がやってきそうだ……。
 やっぱ別れたほうがいいのかなあ。
 内心でぼやいてしまったが、それでも俺はこいつから離れられないだろう。
 と、俺が自問自答してたら疲れてきて、ああもういいかって子ども達と遊んでいたら。
「そうか、そうなのか」
 ようやく、という感じでダーバリアがなんとか現状を正しく理解してくれたらしい。
「そうか、愛してくれているのか」
 端正な顔が真っ赤に染まって立ち尽くしている姿に、俺としてはようやく、せめて人並みな番になれたかと、ほっと息を吐いて声をかけた。
「なんつうかさ、ほんと愛してんだよな、あんたをよ……まあ、どうしようもない変態だけど……俺の子を可愛いがる姿とか……まあなあ……」
 行為は乱暴で、やっていることはド変態で、人として異常ではあったが、まあその……これでも優しいところはあったのだ。
 なんてことをしみじみと思い出していたら。
「あ……っ、あっ……あ、あ、あ、愛、愛して……あ、あ、あ、愛されてる、この私が? おお、私が、愛、愛、ああ、アイっ!! なんと、この私が、あい、あい、愛されてっ!! まじかぁぁぁっ!」
 その瞬間、性格破壊が起こったのかと思うほどに、ダーバリアの言語機能が崩壊した。
 いや、さっきから様子が変だったのは確かだが。
 あんまり驚きはなかった。
 ようやく全てがつながったのかと、今更ながらの言動に呆れ果てる。
 傲岸不遜で唯我独尊、損得だけで行動し、冷静沈着、鉄仮面並みの紳士然とした外面の良さがあってそれにだまされるものは数多く、その詐欺師的言動は、だが決して相手を不快にさせないというか最後までだまし通す。というか、俺以外は確実にだまし通す。
 それを考えると俺は特別だったんだな……と考える辺り、俺もこいつに毒されきっている。
 それでも、帝王学を修めた優秀な元王子様という評判の商売人が、目をつり上げて嬉々として踊りまくっている姿は、さすがに俺から見ても不気味なんてものじゃなかった。
 さすがに後ずさる俺と子ども達の前で、ダーバリアは延々と狂気の舞を踊っている。
「おおおおおおっ!! 愛、愛、あーいーっ」
 くそったれのバカ野郎の精神破綻者だとは思っていたが、やはりそうだったのかと納得した。
 いやまじで、狂ったかと思ったのだが、俺はというとなんだかどうでも良くなっていて、物珍しすぎて一見の価値がある醜態を、やっぱりバカだなあと思って眺めるだけだった。

「とーさま、ぼくもー」
「おどるー」
「おどろー」
「ぐるぐるー」
「わーいわーい」

 そのうち子ども達まで一緒になって踊りだしてしまった。
 いや、これは止めさせるべきか、変態でバカがうつる。
 でもまあ楽しそうだしいいかなあ。
 なんて考えていたら、いきなりダーバリアががしっと俺の肩を掴んで、蕩けそうな笑顔で宣言した。
「よし、さっそく、あ、あ、あい、愛しあうぞーっ、トゥーリン」
 内容はともかく、名を呼んでくれたことだけは、ちょっと嬉しかったけど。

「夜になってからだ」

 この色ボケ変態男の性欲を抑えさせるところから始めようか。


 もっとも、その後のことは何も変わらなくて、やっぱりくそったれダーバリアは変態暴走野郎だと再認識した。
 いや、まあ一般家庭の頻度なんて知らないけど、それぐらいにはなったんじゃないかなあ?
 寝具の周りの、子ども達に決して見せられない卑猥な玩具はともかくとして。
 いや、そのな、まあ俺もすっかり毒されているし。
 だから……もう、いいや。
 のしかかる熱と思考を白く染めるほどの快楽に、そんなことを思いながら、与えられるままに今日も溺れていった。

【本編 了】 ダーバリア視点に続く