蟻地獄の甘い餌 1

蟻地獄の甘い餌 1

敵国の捕虜を捕まえた某基地の隊長は、その捕虜に対してある思い入れがあった。
そのために、その捕虜を徹底的に痛めつけることにした。

捕虜、鞭打ち拷問、ピアス、浣腸、輪姦、淫乱化

【ご注意】
このお話は拷問めいた鞭打ちシーンが多数、しかも詳細に入っております。
入っているのは、2、3、6、7、8、他にも入っています。
出血シーン等もありますので、文字通り痛いシーンが苦手な方はご遠慮下さい。

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              【一】

「敵前逃亡はいただけねえよな」
 味方を見捨てて助かろうなんて、体の良い考えは大嫌いだった。
 仲間は仲間。
 まして、指揮する立場の者が、部下の命を見捨てて逃げようなんてするのは、自身も指揮官の立場にあるが故に反吐が出るほど嫌いだ。
 だがあれは、指揮官でも何でもない。
 立場的に拒否できるはずもなかったってことは判っているし、そういう性格ではないことも理解はしている。
 それでも、逆らっていれば、もしかしたらこんなところに来るなんてことはなかったんじゃないだろうか。
 運命の転機なんて、どこに転がっているか判らない。判らないが、意外にろくでもないところにあることが多い。
 今のこの状態も、あの基地から逃げなければ、まだ同期の仲間たちとかろうじてではあるが安全な場所にいたはずだろうに。
 実際あの基地は、敵前逃亡した幹部数名を確保できたことで、今はこちらからの攻撃を止めていて必要以上の死傷者は出ていない。
 こっちの本部も、国際世論を無視してまで完全に潰したいわけでないからだ。
 脅しとある程度の有利な成果が上がればそれで良かったのだが、あっちの無能な司令官達は、戦況危うしと見て取ったとたんに、さっさと率先して逃げ出したのだ。
 そのほとんどが幹部クラスだったけれど、ただ一人単なる付き人扱いのあれが混じっていたのは事前に入手できていた情報から推測できた通りだった。
 その「あれ」の様子を、ゼッテンドール国の暗部部隊の1つを指揮する立場としてマジックミラー越しに観察しながら、口に吐いて出るままにブツブツとぼやいていた。
「いい加減、他人の言いなりになるのを止めろってんだ。どうせ嫌なくせに……」
 優柔不断というかなんというか、小さい頃からの怖い親の躾の賜と言えばそれだけだが。
 だが、幼少期からの刷り込みは簡単には消せないのも事実なのも確かだ。
「そうは言うが、今回の場合はそれが幸いしたんだろう、バージル・グラン隊長殿、にとってはな」
「まあ、否定はできんが」
 揶揄が混じっただみ声に、振り返りもせずに答えて。ふと琴線に触れたそれに、ちらりと横目で背後を見やる。
「で、わざとらしくフルネーム階級アンド敬称付きで呼ぶってことは、なんかややこしいことになってんのか? ゴルドン・メイヤー副隊長?」
 視界の隅でさっきから目障りに入ってきている厄介そうな紙切れに、ゴルドンの言葉以上に嫌な予感が倍増する。だいたいにおいてこんな時の予感ほど外れることなどなく、苦笑を浮かべたゴルドンの表情を見るまでもなく、がっくりと肩が落ちてしまった。
「さっさと情報を吐かせないと、明日には引き取りに来るってさ。あれは大物の息子だから、重要な情報を持っている可能性がある、とかなんとか」
 すでに読んでいるはずの紙切れを、もったいつけて要約して知らせるゴルドンに、ちっと舌打ちして返した。
「……」
 だがそれ以上は返す言葉もなく、マジックミラーのガラスの向こうで、吊られて苦しげに身体を捻っている男に視線を向け直す。
 先日のレイウェン王国との国境での攻防で捕らえた複数人の捕虜のうち、引き渡しの混乱の中適当な理由をつけてこの拠点に連れ帰ってきた一人で、これから尋問しなければならない。
 まだまだ小競り合いが続いていたというのに、旗色が悪くなった基地からこそこそ脱走する一団を捕まえてみれば、あろうことかその基地の中枢幹部たちばかりで、本部に引き渡したら大喜びで受け取ってくれた。
 その中から、一番若い一人は無官だからと引き抜いて、こっちで尋問を引き受けたのは良かったが。
 せっかく手に入れたっていうのに、本部に引き渡せば木の木阿弥だ。
 もともと、情報収集はお手の物の俺たちグラン隊は、最初から奴らの行動も読んでいて、さらにあれがその中にいるという情報を得ていた。だからこそ、己の部隊に網を張らせて一網打尽で捕まえた。
 雲の上で采配を振るうだけの実戦部隊ではない輩どもなど、その気になれば数秒で制圧できる、とても簡単な仕事だったのだけど。
 それもこれも、あれだけはこちらの手元に捕らえたかった、という、公私混同な命令に、部下たちはよくやってくれて、あまつさえきちんとここにまで連れてきてくれたのだ。
 そうして捕まえたあれは今、取調室の中で、首には鍵付きの革の枷、腕は肩を渡した一本の棒に括り付けられた状態で吊されている。
 それだけでなく、両方の足首の間にも棒を渡して閉じられぬようにされていた。肩の棒の両端から天井に伸びた鎖は、滑車で自在に上下するが、今は足裏が着く程度の長さだ。そのためどんなに暴れても、せいぜいが前後に揺れるか腰を振りたくるしかないのだが。
 さらに、何も隠すものがないようにということと、辱しめを与えるために、衣服は全て取り去っていた。ついでに、その裸体には、ここの担当官の趣味である縛りが施されている。
 その真紅の色も鮮やかな組み紐は、細いながらも刃物ごときでは切れない構造になっている。その芯にしなやかな鋼の糸を撚ったものを使用しているバージルたちの装備用の特注品だ。今やその紐が、あれの身体に菱形の網となって食い込んで、日焼けを知らぬ滑らかな肌にその痕を作っていた。
 いわゆる亀甲縛りと言われるその縛り目が、男の薄い胸板を繰り出し、平たい腹の下の茂みを囲むようにしてから、惨めに縮こまったペニスを前方へと突き出させている。
 そこにもネット巻きのハムのごとく網目が走っており、隙間から肉が盛り上がっていた。
 ピンと尽きだしているのは、その鬼頭の根元から腰へと紐が伸びているからだ。
 その惨めな姿のせいか、その肌はほんのりと主に染まっていて、見る者を妖しく誘っていると思うのは、自分だけではないだろう。
 お陰でさっきから下腹の奥がむずむずして仕方がない。
 ゴルドンなど、あれを見たとたんに甲高い口笛を吹いて、舌舐めずりしていたほどだ。
 まあ、担当官の妙技はいつ見ても惚れ惚れすると思っていたが、あんな若い相手だと、だいぶんに張り切ったのが見て取れた。
 もっともそれだけでなく、若いが故の美と艶めかしさもひしひしと伝わってくる。
 薄い筋肉がきめ細かな肌の下で蠢めく様も視線を奪われた。しなやかな肢体は、やや細身ではあるけれど、ひ弱な感じではない。けれど、細いと一瞬でも感じてしまうのはそこそこに長身なのと、身体のバランスが良いからだろう。
「で、あいつのことなんだけど」
 その言葉尻に、黙っていても解決しねえぞ、と、無言の圧力を感じた。
 まさしくその通りだと、あきらめにも似た胸中で、無理矢理目を伏せて視線を外す。
「判ってる」
 ゴルドンのほうに向き直りながらも、それでも視線がちらちらとそちらに向いてしまうのはしょうがない。
 何せあれは、この俺がその力を最大限に利用してまで手に入れたいと思った相手なのだ。
 本当に、こんな思いをすることになるなどかけらも思わずに、情報収集のために敵地首都侵入を果たしたあの夜、俺はあれと出会い、あろうことか、一目で魅入られた。
 目の前の悪友など、その話を聞いたとたんに。
「おお、まさしくフォール イン ラブっ!」とか叫びやがったから、その頭頂に思いっきり手刀を叩き込んでやったが。
 だが、いくら否定しようとも、己自身が、それがあの瞬間にふさわしい言葉だと思っているのだから、仕方がない。
 短い滞在中に、時間を作って何度も会いにいった。
 幸いに、最初の出会いの時に連絡先を得られたせいで、俺にとってはラッキーポイントとなったあの酒場に呼び出すことができて、幾度か話をして、単なる友人よりは少しは格が上がったのは確かだ。
 そんな数回の逢瀬の全ては、今でも全部思い出すことができる。
 彼の一挙手一投足、決して視線を逸らさずに見続けていたのだと、こっちに帰ってきてから思い出すたびに、そう感じた。
 ゴルドンなど、ストーカーだ、病気だ、ご乱心だ、と、おもしろおかしく騒いでいたが、それを完全に否定できなかった。もっとも、ストーカーするほど時間がなかったのは今でも口惜しい。
 そんな短い逢瀬で、あいつは弱い酒と俺の誘導にのって、ぺらぺらといろんなことを喋っていた。
 残念ながら重要な情報はなかったけれど、その分いろんなあいつ自身のことが聞けて、立場的に役に立たない諸々は、けれど俺自身にとっては宝箱に鍵をかけてしまい込みたいほどに重要なものばかりだったのだ。
 たとえば、商売至上主義の親に縁を作れと軍部に放り込まれたことが、あれの愚痴の根底にあるのはすぐに判った。
 高慢な裕福な出の息子という外面は、剥がれてしまえば世間知らずの甘ちゃんの息子が出てきて。さらにそれも剥けてしまえば、感情豊かで素直な青年が見えてきて。
 なんというか、この身の奥にある男の本能がやけに擽られてしまったのだ。
 もっとも、俺という人間が持つのは、そういう場合、庇護欲よりは征服欲というやつで。
 暗く飲んでいたあれを、あの時押し倒したいと思ったのは一度や二度でなかった。あの出会いが自国であったならば、とうの昔にベッドインしていただろうと思うほどに、好みに合致していたのだが。
 だが、任務中のこの身では、別れはすぐにやってきた。
『またいつか』
 の一言の辛かったことといったら。もし可能であれば、このまま浚って帰りたかったのだが。
 そうもいかない事情により、泣く泣く帰ってきたのがフォール イン ラブの顛末だったけれど。
 だからこそ、あれがいると知ったときから、全力であれを捕まえ、ここグラン隊の拠点に残したというのに。
 その程度の裁量権はある程度に、俺の軍での地位は実のところ高いとは思っている。だが。
 敵国の上官があれを連れ出した理由を、こっちの本部が気づかぬほど愚かでもないのは判っていた。
 レイウェン王国で中枢とも取引がある商家の三男坊のリアン・モリエール。
 無視するには惜しいほど、彼の親は隣国では強大な力を持ち過ぎているのだ。たとえあれが落ちこぼれと親にないがしろにされていて、かつ、本人も息子であることを忌み嫌っていたとしても、だ。
 だがモリエール家の一員ならば、隣国の武器弾薬の流れを知っている、と思うのは必然だ。
 だからこそ、できればその氏素性を隠したままにしておきたかったのだが。
「ばれるわな、やっぱり」
「ばれないほうがおかしいと思うけどな」
 悪友の副隊長のゴルドンは、喉の奥で不気味に嗤いながら、ピンと指先でその書類を弾き飛ばした。
 重要書類の位置づけである本部からの指令書が、ヒラヒラと宙を舞って汚れた床に落ちていく。それが床にバサリと落ちきる前に、「で、どうする?」と問いかけられる。
 その言葉にため息を吐きつつ、視線を上げた。
 鍛えて引き絞った実用本位の筋肉が身体を覆う俺より、さらに一回り大きい重量級のゴルドンはそこにいるだけで存在感がある。だがこの体格でもけっこう素早く、その肉弾戦の破壊力に目を捕らわれがちだが、こいつの本質はその頭脳だ。
 今回もそれを期待してしまう。
「ま、適当な言い訳を考えておいてくれると助かるがな」
 面倒なことはよろしく、と、いつものように返せば、肩を竦めて返される。
「”くだんの捕虜は、身も心も完璧にグラン隊長の虜になってまーす。もうすっかりラブラブで離したら自殺しそうですよお”ってことで……」
 ふざけた物言いに虚を突かれ、けれどすぐにブッと吹き出した。
「んなのが通じるかよ、バカが。っていうか逆効果だろう、それは。危険だってあっちに速攻で連れていかれっちまう。……でもまあ、そんなふうにあれがなってくれたら……楽しいかもしれないけど、なあ……」
 だが、笑って返しながらも視線が泳いだのはバレていたようで、胡乱な視線に誘われるように本音がぽとりと零れていくのを、ゴルドンがやれやれとばかりに肩を竦めていた。
「まあ、あんたの好みにばっちりって時点で、あれも不運だったとは思うけどな。それでも、このまま本部に送られるよりはマシだったって思う程度には、きちんとあんたの虜にしちまえよ。それができるなら……しゃあねえから、”少しは”協力してやっから」
「……頼むぜ」
 ゴルドンならうまくやるだろうという信頼感は間違いない。
 一見粗野で何も考えてないような感じはするが、情報収集と的確に状況を判断できるゴルドンは、その体格に似合わず緻密な仕事を見せてくれる。
「へいへい、まあ、なんとかしますわ。とりあえず、今回の命令はなんとかしのげると思うけどなあ。確か、本部に渡しといた中に王族に近い貴族の末席がいたはずなんで、その情報を流して、そっちを責めさせれば時間稼ぎにはなるだろ……」
 片手をあげて了承するゴルドンは、ブツブツと呟く姿に頷いて。
「いっそ殺すのも手だけどな」
 不意に不穏な言葉が漏れ聞こえた。
「死んでしまえば、誰も連れ出せない」
 それは、ゴルドンの独り言のような物言いだったけれど。
「……そうだな」
 呟いて返した己の言葉は、決して深く考えて返したものではない。だいたい、殺すつもりなど毛頭ないのは確かだった。
 せっかく手に入れたお気に入りは、いつだって大切に長く使ってきた。それは人でも例外ではない、けれど。
 このままでは、遅かれ早かれ、本部へと引き渡さなければならないだろう。
 この件に関していえば、敵は何よりも味方にある。
 それに、あれの身も心も手に入れようと思ったら、そこにも大きな壁はあることは判っていた。
 何せ、あれと俺は敵対関係の軍人同士。
 下手に出会って話をしているから、この後の再会という必然で、あれがどんな感情を抱くか容易に想像できてしまう。
 だが、もともとまともなやり方では手に入らぬ相手なのは間違いない。
「たとえば、だな……拷問死したように見せることは可能か?」
 視界の中にある、愛用の一本鞭に手を伸ばしながら問いかける。
 拷問時に使用するそれは、隊長となった今ではあまり使用されることはなかったけれど、柄を握れば、その馴染んだ革がひどくしっくりときて、忘れていないことを思い出す。
 これを振るって堕とした捕虜は、十や二十ではない。
 豪腕である俺の手にかかれば、その打撃は皮膚を切り裂き、骨すら砕けたこともあった。
 そんな物をあの身体に振って、どこまで保つかは判らないけれど。
「画像加工も限界があるからな。どこまであれを痛めつけられる? 本気でやらんとごまかしようがない。死なすなら一通りのことをしてからだな」
 顎で示す鏡の向こうの存在は、できれば優しく大事にしてやりたいという思いはある。
 彼が悩んで苦しんでいる、掛け値無しの本音を聞いたときからずっと、俺のところに来いと言ってやりたかった。俺のところならば、そんなことはもう気にしなくて良いんだと言ってやりたかった。
 そんなことに悩む間もないほどに、その身体を快楽の渦に陥れて、俺無しではいられない身体にしてやりたかった。
 だが、そのためには高い障壁を乗り越えて、この手中に完全に収めなければならない。
「モノホンの拷問風景ビデオと写真、正規の死亡診断書に、引き出した情報。ま、結局のところ、どんなことであろうと益のほうが大って思わせることができれば、なんとでもなるからな」
「モノホンの拷問風景、ね、俺たちの、か?」
「当たり前、あっちは俺たちがいっつも何をしているか知っている。知っているが、益のほうが大きいから黙認している。俺たち独自の拷問ビデオは、ちょっとした好事家垂涎の代物らしいぜ」
「……うーん……あれをやって保つか?」
「保たなくて狂ったら狂ったで、てめぇが世話してやれば良い。それで飽きたら終わりだろ。それとも手を出す前に本部に取られるほうを選ぶのか?」
 その言葉に、わずかに口元を歪めた。
 脳裏を過ぎった数々の拷問風景は、あれの立場からすれば、地獄よりも過酷な行為となるだろう。
 けれど、あれを取られたくないという思いのほうがよっぽど強い俺は、「いや」と小さく答えた。
 確かにゴルドンが言った通り、あれにとっては不運な出会いだと言えるだろうけれど、それでも俺にとっては幸運な出会いでしかないのだ。しかもそれが手の中に落ちてきた今、手放す気などありやしない。
 ならば、徹底的に最後までやり尽くすしかない。
「だったら、やるわ。機材と医者と薬の準備と……後始末、頼む」
 握りしめた手に力が入る。
 手のひらに感じる馴染んだ革の感触を味わいながら、考える。
 どうすれば彼を落とせるか、そして映像の向こうにいる観客をだませるか。いや、騙すのではなく本気でやるのだ。どうせリアルタイムではないといえ、単なる演技ではだませない。
 騙すのは最後の最後。
 だが、バージル・グランの部隊は、暗部と呼ばれる闇に紛れ、敵に紛れ、全てをだまして成果を上げるのを生業とする部隊だ。
 このくらいができなくて、暗部一と言われる今の地位を築くなどできやしない。
「明日には俺たちが加わる。それまでにやりたいことは先にやっとけ」
 暗にすべきことを知らされて、「判ってる」と淡々と返した。
 今更、後には退けないのだから。
 一度目を閉じて、すぐに開いたその時にはもうその表情は、先とは変わっていた。
「じゃ、あいつを堕とすわ」
 いつものように。
 敵を堕とすために向かうときに口にする言葉を、俺は愛用の鞭を手の中で弄びながら発して。
 手に入れるべきものを間違えない。そのために、するべきことをする。
 隣の部屋へと向かう俺の意識は、過去の拷問相手の時と同様のものへと変わっていた。 

 廊下にある一つだけ重々しい金属の扉は、この部屋特有の物だ。
 別に目立つようにというわけでなく、防犯上の理由でもなく、ただそれが放つ圧迫感というか、そんなものが目的だと、担当官であるあいつは言っていた。
 人のことを言えた義理ではないと判ってはいるが、それでも時々ちょっと退いてしまうこともあるあいつの独特な趣味嗜好は、けれど、ここの担当官としては十分活かせている代物で。
 適材適所だな、とそいつの趣味丸出しの部屋へと音を立てて入っていく。
 禍々しい鈍色の扉はいつでも蝶番が軋む音を立てる。わざと立てる不気味なその音以上に、閉じるときは手を離したとたんに勢いよく、猛々しい音を室内に響かせる。
 普通にしていても驚くほどに大きな音は、中にいる、しかも通常でない状態に置かれた存在には脅威でしかないだろう。まして、吊され、不自由な体制で、しかも背後にある扉の音は、それだけで捕虜に畏怖の念を抱かせる代物だ。
 実際、あれも、リアンもまたその肩を大きく震わせて、咄嗟に首を捻り、肩越しに捕らえた俺の姿に、その顔をきつく顰めていた。その瞳になけなしの矜持と恐怖と不安を宿し、さすがに今は裸体を晒しているという羞恥を忘れたのかその肌は色を失っていた。
 もっとも、この打ちっ放しのコンクリートの部屋は、他の部屋より肌寒さを感じる温度にしてあって、それが捕虜の体力を奪うようにもなっていた。
 纏う物など何もない人の身体には、そんなわずかな温度差も堪えてしまう。
 まして、身を捩ることもままならぬ吊された状態では、身体を曲げることもできない。
 首の可動範囲でしか辺りを窺えず、天井には禍々しくも無骨な滑車や鎖が垂れていて、床には排水口。壁には金属のロッカーが並び、水道の蛇口がその間にある。
 だが、もっと問題なのは、その壁に飾られた中世古代の武器、工具の数々だろう。
 これも担当官の趣味なのだが、両刃の剣に槍、矛、斧、槌に鋸。それらのほとんどが刃先部分を茶色く錆びさせていて実用品ではないとは見て取れるだろうけれど。
 その刃に付いている茶色の汚れは、黒い染みは。
 あらぬ想像を掻き立てるに十分な飾りしかない部屋で放置されている間、たいていの捕虜はあらぬ方向ばかりに意識を巡らせて、それが精神を蝕んでいくのだ。
 そんな恐怖が、リアンの瞳の中に見て取れて、俺は少なからず意図したとおりになっている状況に、その口元が綻んだ。それにまた震えたリアンを見つめ、ゆっくりと、ことさらにゆっくりと背後から前方へと歩を進めれば、その肌に鳥肌が立っているのも見て取れた。
 そろそろ身体が冷えきってきている、と、そんなことを確認しながら真横まで来てから。
「よお、久しぶりだな」
 かけた気軽な挨拶に、けれどリアンの眉根がいぶかしげに寄せられて、眉間に深いしわを刻んでいた。
 前に会った時よりも少し長くなっている柔らかな前髪が、垂れて目元を覆っていたけれど、それでも細められた瞳が記憶をたぐっている間もじっとこちらを見つめていた。
 まあ実際、出会った時は青年社長っぽく生真面目にスーツなど着て、髪を撫でつけ、ことさら丁寧な物言いの、強面ではあるけれど物腰柔らかな紳士を演じていたからすぐには気がつかないのは道理だが、けれどすぐに思い出してくれない歯がゆさに、唇の端が自嘲気味に歪む。
「覚えていないって、つれねえなあ……。俺はしっかりと覚えてるてぇのに、なあ、リアン・モリエール。黒ビールを飲みながら、人を殺す命令なんかしたくないって、酒場の片隅でグズグズ言ってたのとか。お気に入りのウィンナーを、地元の味のだと旨そうに咥えて悦んでいたところとか」
 前に回って、今度は数歩近づいて。
 顔を突き出し、己の髪をかき上げて、じっくりと見せてやる。
「なあ、リアン。商売のためなら息子だって道具だと、逆らえばいつだってすぐに切られるんだって、ぼやいてたよなあ、親父にひどい命令をされている、とか、やりたくない……とか、何か知らんが酔っ払ってひたすらぼやいていたよなあ」
 あの時それを聞いていたから、今回リアン自身は取引材料にはならないと気付いていた。
 それに、隣国でもモリエール家の現当主の商売至上主義は有名な話で、それほど間を置かず、すぐにリアンがあれだけぼやいていた理由はすぐに見当が付いた。その情報は当然報告書の中に入っていて、だからこそ本部もリアンを取引材料にしようとは考えてない。本部が必要なのは、この頭の中にあるだろう情報だけだ。
 だからこそ、俺の輝かしい未来──リアンをこの手中に収める──のためにも、その情報を手に入れる必要がある。もっとも、これが実はたいした情報を持っていない、と、判っていても。
 本当に、そこに情報があることを提示するよりも、「ない」ということを証明するほうがよっぽど難しく、だからこそ、生半可なことをしていては駄目なのだ。
 そんなことをつらつらと考えていれば、不意に、目の前の翆色の瞳が大きく見開かれた。
 怒りを見せるように食い縛っていた口元すら呆然と開いて、その奥で薄い舌が躊躇うように蠢いているのまで見て取れる。
 そして、ようやくといったように、喘ぐようにその口が言葉を吐き出した。
「……バ……バージル……? まさか……バージル?」
 あの時、堪らずに教えてしまった本名を彼が忘れていないことに、演技でなく口元が綻んでいく。
「ああ、そうだ」
 初めて名を呼ばれたときに、初な少年のように心が跳ねたことを思い出す。
 まったく、どこの青臭いガキだとあの時は内心突っ込んでいたが、それでもこいつのちょっとハスキーな声で呼ばれるのはたいそう心地よかったのは否めない。
 出会ったのは静かな音楽が流れる落ち着いた雰囲気の酒場で、なかなか客層が良さそうだと踏んで入ったその一番奥のカウンターで、こいつは静かに一人で飲んでいた。
 狙い違わず確かに高貴な輩がいるような客層で、一目で高級な素材としれたジャケットを羽織った若造は少し場違いな雰囲気はあったけれど。
 だが、その違和感は、リアンがぼんやりと掲げ持ったグラスの氷を揺らめかせている姿に一瞬で立ち消えた。
 何というか、その瞬間確かに、あれが、薄暗い視界の中で一人だけ輝いて見えたのだ。
 常ならば、知り合っても益などないと近づきもしない若造に、誘蛾灯に引きつけられる蛾のようにフラフラと近づいて、隣に座り、当たり障りのない会話で名前を聞き出して。
 うまく酒を奢って酔わせ、話を聞き出して。
 その時の光景が一瞬にして頭の中で甦る。
 ゴルドンに思いっきりバカにされてしまった、純な手順を踏んだ出会いは、後から思い出した自分でも呆れるほどに似合わないと頭を抱えてしまったほどだったけれど。
 だからこそ、リアンは警戒を薄れさせて、少しずつ打ち解けていってくれた。
 甘い考えを持つ金持ち息子で、確かに裕福な家で育った人に命令し慣れている態度でプライドが高い、そんな雰囲気を感じることがあって、その鼻っ柱を折りたくなったときもあったけれど。話の端々では、彼が意外にも素直で、感情が豊かで、しかも優しいところがあることにも気が付いていった。
 それこそ、悪名高いモリエールの息子とは思えないところなどを知れば知るほどに、いつしか惹かれていったのだ。
 本音を言えば、あの時もそのままホテルに連れ込んでモノにしたかったのだけど、仕事を放置すれば後々まで響くと判っていたから泣く泣く諦めてしまったのだけど。
 お陰で、戻ってきてから独り寝が寂しかったことは、さすがにゴルドン相手にも言えやしない。あの表情と、想像した裸体に悶々とした夜を過ごしたのは、一度や二度でないのだ。
 それほどまでに渇望していたリアンが、今はまな板の上のコイのごとくこんなに至近距離にいる。
 けれど、だが今は。
「な、なんで、バージルがここに……。でも、その格好……そ、んな……嘘……」
 この国特有の軍服とは少し違うデザインだが、それでも隣国の物とは全く違う。それに、自分の今いる場所と立場が頭の中で1つの推論を──否、現実を導き出すのは早かった。
 父親に商売では戦力外を宣言されてしまったらしいが、決してバカではないのだから。
「あれは、あの時はっ、じゃっ、あ、んた……俺を、俺を騙してっ」
 怒りがリアンの瞳を朱に染める。
 母親似と言っていた顔は、けっこう見目が良くて、夜の光の中で女性たちの秋波をたっぷりと浴びることができる容姿だ。
 けれど、なよなよした感じはなくて、意志の強い光がその目にはあるのは確かだ。
 あの愚痴は、疲れた精神が酒に煽られて出てきたものでしかなく、本来ならあんなふうに吐露するようなことはなかったろう。けれど、青臭いガキの内心を探るなど、俺にとっては全開された扉の向こうにあるようなもので、搦め手を使う必要も無かった。
「騙したって人聞きが悪い。ちゃんと名乗ったろ、バージル・グランって。まあ、あん時はさすがに仕事は偽ったかもしれねえけど、他は正直に話してたぜ」
 社長ではなく隊長だったけれど。だが、人をすぐバカにしてからかう友人兼仕事仲間、実力はあるがわがままで独断専行が多い部下たち、変な趣味を持つやつ、厄介な命令と難しいノルマばかり押しつけてくる上司たち、どこにも嘘は言っていない。
 それに、俺のことにしても、重量物を持って走り回る仕事のせいでこんなに筋肉がついているのだ、とかなんとか、それらは確かに真実でしかないのだから。
 けれど、そんな言葉では美しい翆の瞳に混じる怒りは消えなくて、初めて明るいところで見るその色を覗き込みながら、わざとらしく微笑んだ。
「改めて、久しぶり、リアン・モリエール。俺はここの隊長をやってるバージル・クラン。あの素晴らしい夜からずっと、もう会いたくて会いたくて堪らなかったからな。お陰で再会できて堪らんよ」
 指を伸ばして、あの時には触れられなかった頬に触れる。
 あまり毛が濃くない質なのか、それほど指の腹に刺激はない。柔らかなそれを辿るように頬から顎へ、喉へとおろしていく。
 それに、嫌悪の表情を浮かべて避けようとするけれど、身体が傾けば爪先立ちにしかなれなくて、その身体が不器用に揺らぐ。
 その拍子に、突き出したペニスの先が俺の太股に触れた。
 その、なんとも言えぬ感触に、ひょいと片眉を上げて、ちらりと視線を下に向ければ、これも気付いたのだろう、さあっとその頬が朱く染まっていく。
 確か、女を知らないわけではないようなことを言っていたが、身体に見合った大きさの、きれいな色の形が良いペニスはそれほど使い込まれた感はない。
 こんな場で縛られていて強制的に突き出された格好のペニスは、萎えたままだ。
 けれど、足を動かしてスラックスの生地で先端をひょいっと擦ってやれば、びくびくとおもしろいように震えている。
「なんだ、溜まってんのか? だったら、俺の足でも良かったら貸してやるぜ。ほら」
 くっくっと喉の奥を慣らして、さらに片足をあげてペニスの先に触れさせる。
 とたんにびくりと震えて、食いしばった唇の隙間から、「止めろっ」と鋭い命令が飛んできた。
 と言っても、腰を引いた格好は、失笑を買うほどに無様な姿で、こぼれる笑みが止まらない。
「どうした? せっかく俺も自らが自慰のお手伝いをしてやろうって言ってるんだぜ。モリエール家のご子息だったら、我慢することなんかないんだろう? なんせ股ぐらを広げろって一言いえば、よりどりみどりなんだろうからな」
 温く笑みを掃いた口元を見せつけて、ほらほらと膝を突き立てる。
「い、嫌だっ、くそっ、止めろっ」
 けれど、からかわれた羞恥と怒りにリアンはますますその顔を赤くして、腰を振りたくって逃げ回る。
 睨み付け、唸る様がおもしろく、楽しく突き上げて遊んでいたけれど。
『準備できたぜ……』
 耳穴に埋め込むタイプのレシーバーから聞こえたゴルドンの声に、はっと我に返った。存外に楽しくてもう少しからかっていたかったけれど、それでもすぐに吹っ切ってリアンから数歩離れる。
 背後に回した手の中で、鞭の柄の感覚を認識し、こきこきっと手首を動かして、これから始まることに意識を駐中させた。
 この取調室にはあちらこちらにカメラが隠されている。それこそあらゆる角度で設置されていて、死角になる場所はたいそう少ない。けれど、それでもさらに頭の中で位置関係を確認して、リアンの身体が隠れないようにと、さりげなく移動した。
 同時に、口元の笑みをさらに深くして、リアンを見据える。
「ったく、さすがわがままなモリエールの息子だな」
 その言い方をリアンが嫌うと知っているからこそ、ことさらに繰り返す。
「なあ、モリエールの息子、死の商人の息子のてめえが持っている”はず”の情報、全部吐いてもらえってことになってんだよ」
 その言葉に、リアンがその口元をぎゅっと引き結んだ。
 知らないとも言わないその覚悟は、確かにひ弱なだけではない証だが、けれど、今はそんなものは役に立たない。
 まして、今の俺の前では、決して。
「しゃべるつもりはないって? ふーん、そうか」
 くっくっと込み上げる笑みをわざとらしく手の平で隠しながら、それでも弧を描く目でじっくりと卑猥な姿を観察する。
 細身の身体に食い込む赤い線は、肌の白さのせいか、意外にもよく似合っていた。
 今は傷一つないように見えるその肌も、事が終われば傷だらけになるだろう。下手をしたら痕も残るだろうと、今の内にとしっかりと目に留めておく。
 そのままゆっくりと左側へ回り込んでいけば、リアンの視線が追ってくる。それを無視して、背後へと向かって、その背面と向かい合えば、肩越しに鏡に映ったリアンが目に入った。
 隣の観察室とを隔てるマジックミラーは、こららでは捕虜の姿を映し出す拷問の道具の一つだ。
 それでもリアンの目は、不自由な身体で首を捻って追い続けてくる。一体何をしようするのか? 逃れられぬ状態だからこそ姿を見逃すことが恐ろしい、と、そんな心理状態を視線の中にひしひしと感じながら、俺はゆっくりと片手に持っていた鞭の束を解いてその先を床に落とした。
 手に馴染む程度に重みがあるそれが、トンッと、乾いた音を立てて床を打つ。
 びくっと震えたリアンが肩越しでかろうじて捕らえたその存在を、よく見えるように高く掲げてやった。
 俺が愛用している鞭は何本かあるけれど、これはまだ比較的衝撃はひどくない。それでも、加減無く打てば皮膚が弾ける程度には、受けるほうのダメージは重い。
 棒状の革を巻いた柄を持つのは左手だ。利き腕は右手だが、左手でも十分にコントロールできるし、最初はこのくらいのハンディをやらないと、すぐに壊れてしまう。俺が簡単に情報を引き出せそうにない相手に、長く痛めつけるときにはよく左手でやることは、本部も知っている。
 一番重いやつも用意はしているが、それだと骨すら砕けるほどの衝撃を与えてしまう。よっぽど体格が良いか、殺すつもりの相手の時ぐらいしか使えない代物だから、今回は、たぶん出番はないだろう。
 それに今あるこれでも、リアンにとっては恐怖を呼び起こすには十分のものだ。
 ひょっと手首を捻れば、鞭の先端が蛇のようにのたうち回り、床を打つ。
 柄から先は丈夫な芯材の周りを複数の平らな革紐を組み込んだ目をしていて、打てばこの模様の痕が残る。先端までは1.5メートルで、俺にはこの長さが一番使い慣れていて、ちょうど良かった。
 最近ではこればかりを使用しているせいか、その分いくらきれいに手当していても染みこんだ血痕が残っていて、何カ所かは革の端がほつれていた。そろそろ新調したほうが良いかと思うけれど、この汚れも十分脅すネタになると思うとなかなか取り替えられない。
 そんな禍々しい存在を間近で見せつけてやれば、俺の笑みだけでなく、リアンが顔を引きつらせて息を飲む。
「さっさとしゃべってくれれば痛い目に遭わなくて済むぜ」
 軽く振って床を叩けば、鋭い音が部屋の中に響いた。
 さらに数度、音が響くたびにリアンの身体が硬直し、けれどその軌跡を追った視線は決して外れない。
 さすがに無様な悲鳴をあげたくないのか、口元は変わらずきつく食い縛られているけれど、緊張からか表情は硬く、白さが増していて、固定されて横に伸びた先の拳はきつく握られたままだ。
 さらに近くで、風を感じるであろう距離で振えば、明らかに身体が退けた。
「まずは、名前、それから所属。よもや忘れたなんて言わないだろなあ? モリエールの息子」
 まずは簡単なところから、すでに知られている情報を吐露することを促す。
 けれど、何一つ言いたくないのだろう、努めて無表情を装っていても明かに強張った表情で、鞭先を追っていた視線を前方へと戻してしまう。少し俯き加減で、けれど睨み付けるように鏡越しに俺を上目遣いで見つめていた。
 その様は、リアンの背後からでも鏡越しによく見えた。
 互いの視線が鏡を介して絡み、火花が弾ける。
 負けないと、意志の強さを示す瞳は、初めて言葉を交わした時のように勢いだけは良い。けれど、あの酒場での数回のやりとりで、それが虚勢を張ったものだともう知っていた。
 くすりと、堪らず零れた微笑みは、そんな懐かしい思い出のせいだったけれど、先の見えぬ状態のリアンにはそうは映らなかったようで、眉間が寄せられ、細められた怒りの視線が俺を射る。
 その表情に、呆れた風情を装って小さく息を吐いて、上げた視線に愉悦を混ぜる。
 欲しいなら、その手段を間違えない。
「判ったよ、モリエールの息子」
 唇を歪めて口角を上げて、か弱い獲物を嬲る愉悦を視線に込め、鏡の中のリアンに嗤いかけてやる。
 どちらにせよ、てめぇの運命はもう決まっているんだ、この俺に魅入られたその瞬間から。
 数歩後ずさって、仰々しく腕を伸ばして。
 それをリアンがしっかりと追っているのを確認して、そして。
 振り上げたそれは、風切り音を立てて空を斬り、リアンの肌に襲いかかった。