【最初の外出】(最初のSold Out続編)

【最初の外出】(最初のSold Out続編)


– 8 –

Side Slave

 腕を動かすと肩の傷口がぴりりと痛み、思わず顔を顰めた。
 血が滲んだそこは消毒はしたけれど、特にカバーになるものはしていないので、どうしてもシャツに擦れる。絆創膏で隠すには大きくて、けれどガーゼで保護するには大げさすぎるような気がして、そのままにしていたけれど。
 やはりカバーした方が良いかもしれないと思いつつ、サイズがでかいクラブサンドを四苦八苦しながら口に納めた。
「食事が済んだら担当のウェイターをこうやって呼べば良い」
 ベッドの中で食べた朝食が遅かったため、昼過ぎに軽い昼食をしながら、隆昌は逐一レストランでの振る舞いを説明してくれていた。
 席について、メニューを見て、オーダーの仕方から、こうやって支払い方法まで。
 ここはホテル内なので部屋番号を書けば良いとか、チップはこれくらいとか。
 外で食べるなら、価格を確認してチップを記入してカードを添えて、とか。
 慣れた風情で全てをこなす男曰く。
『あんなジャンクフードで日がな一日過ごしたら、身体がもたん』
 というわけで。
 だったらザーメンまみれの食事が良いかと問いたい気がこみ上げたが、さすがにこれ以上嬲られたら堪らない。
 あの部屋に場違いなスナックは、スーツケースに入れているけれど、捨てろまでは言われなかった。それは男にとってはもうどうでも良いことなんだろうけれど。
 ただ、なんとなく親切な説明が気色悪い。
「判ったか?」
 問われてこくりと頷いてから「はい」と返す。
 今日は一日フリーと言っていて、どうやらずっと一緒にすごそうとしているらしい。食後は一緒に出掛けるらしいのだが、その行き先までは言わなかったし、聞くことはできない。
『なぜ?』と問うことは、この男、隆昌の機嫌を損ねやすいからだ。
 シュンにできることは前を歩く周りの欧米人達と遜色ない体格の隆昌の後ろに付いていくだけだ。
 そんな男がタクシーで連れて行ったのは、ホテルがあるエリアから少し離れている脇道に入った奥まったところのショップだった。ひび割れたコンクリート外壁ではあるけれど、ドアは茶色の木製で四角いガラスが嵌まっている。外から見える内部は意外にも灯りが煌々と点いていて、煌びやかだ。
 その中に躊躇うこと無く入った男の後ろから足を踏み入れてみれば、狭い入り口なみに中も狭い。それに白色電球の灯りがやけに眩しい。ただ眩しいのはそれだけでなくて、飾られたさまざまなアクセサリーが乱反射しているせいもあった。
「ハロー」
 かけられた英語に、知っている単語でも緊張する。
 まだ若い男のようで、けれど年齢も性別も今一窺えない革のジャケットを着た金髪の店員に、男はすらすらと英語で何かを言っている。
 相変わらず流ちょうすぎて、何を言っているのか判らない。
 きょとんとしたままに、店員がカウンター下からケースを取り出すと、ずらりと並べ始めた。
 それはさまざまなピアスのようであったけれど。
「おい」
 ぼけっと見ていたら不意に呼ばれて、慌てて近寄った。濃紺のビロードの上に置かれた様々な石付きのピアスは、少し重厚感がある。男物のようであるが、だからと言ってゴツゴツとした感じは無い。
 何だ? と疑問に思う間も無く、男がアクアマリンが埋め込まれた一つを取り上げて、いきなりシュンの耳にあてがったのだ。
「え?」
「動くな」
 鋭く静止され、びくりと硬直する。
 何が起きたか判らぬままに、次のピアスを当てられて。
「アクアマリン オア……ブルートパーズ」
 彼らの会話の中でかろうじて聞きとれたのは石の名前だけだ。
 戸惑い、けれど命令のままに視線だけをきょろきょろと彷徨わせて、じとりと汗が滲む緊張感に堪える。
 男の行動に意味不明なのはいつものことだが、それにしてもこれは……と考えてはみるものの。どう考えても、自分のためのピアスを選んでいるとしか思えない。
 ちらりと見やったそれは、シルバーでなくプラチナだろう。足尾隆昌という男は、イミテーションは好まない雰囲気があって、実際今シュンが身に着けている衣服すらも全てがブランド物で、素材は本物だ。
「うん」
 しばらくして満足げに頷いた男の指が、今嵌まっている物を外して、新しいピアスを取り付けた。右に、左に、首を捻られて付け替えられたのはあっという間の出来事だ。
「あ、あの……何?」
 男の手が離れると同時に耳に手をやって、見ろと言わんばかりに向けられた鏡にそれを写す。
 それは径が10-15mmほどの大きさで、鋭角の透かし彫りのような模様が入っていた。その中央付近に埋められているのは淡い水色に近いブルーの石だ。
「ブルートバーズだ。天然物だから色が薄いが、お前にはよく似合う」
「え、あ……。その……ありがと、ございます……」
 褒められたのだろうけれど、素直に喜べるものでもないと、その表情は強張ったが、何かもらったら、それがどんなものでも礼を言わないと後が怖く、震えた声が礼の言葉を紡いでいた。
 だが、そんな対応でも男は満足げで、また店員と話し始めて。
 手持ち無沙汰に試すがめす鏡の中を見ていると、小さいながら何かの動物を象っているのが見えてきた。それはたぶん、獅子か何か。
「おい」
「え、あ」
 振り向いた男の手にあるのは、今度は違うサイズのピアスで、まだあるのかとただぼんやりと考えたのは束の間だった。
「そろそろ変えようかなと思ってな」
 ニヤリと意味ありげな笑みで視線が辿ったのは、カウンターよりはるかに下で。
「内側はシリコンだが、外はステンレスだから薄くても丈夫だな。勃起したらたまらなくイイだろうよ」
 笑みはそのままに男が取り上げた径が35か40mmそこらの、幅3mmぐらいの板がリング状になったもので、その内側にはランダムに半円の突起がいくつも付いていた。
 傍らで店員が愉しそうにカタログのようなものを指さして説明しているけれど、意味はまったく判らない。けれど、生々しい装着状況を写した写真に、息を飲んだ。
 薄くピンクがかった色は白人だからか、日本人より細く長い勃起したペニスが血管の凸凹もはっきりと見て取れる。その亀頭の根元に、男が持つリングが嵌まっていた。
 それは肉に食い込むように埋もれ、苦しげに張り詰めてて、かなりきついことが判る。
「柔らかい内に嵌めて勃たせたら、内側の刺激で容易には萎えないんだと。バイブを押しつけ固定して、外を散歩させるのが彼のお薦めらしいぞ、やってみるか」
「え……それは……っ」
 耳朶に吹き込むように囁かれ、その生暖かい熱と内容に、かあっと身体が熱くなる。
 無意識の内にもぞりと太股が躙り寄り、すぐにスラックスの下でそれがじわりと硬くなり始めたのが判った。
 もう慣れていたはずなのに、今も付いているピアスの存在をやけにはっきりと感じてしまい、それだけで背筋を淫らな疼きが駆け上がる。 
 動けないままに、けれど意識しないようにすればするほど浅ましい声を上げたくなるほどに感じてしまう。声を上げまいと必死に奥歯を噛みしめて、俯き堪えるシュンの前に、店員はさらに多くの淫具と写真を並べていた。
 それはピアスのような装身具だけでなく、グロテスクに誇張された張り型などもあって。
 ここが単なるアクセサリーショップで無いことを知った。
 写真はいずれも装着中や着けた状態のもので、中には先走りにどろどろに濡れているものや、射精しているものすらあったのだ。
「今つけてやろうか、これを。まあ、お前にはちょっと小さいかもしれんが……。だが、小さいからこそ、堪らなくイイかもしれんが」
「……い、ま……」
 ひくりと息を飲む。
 着けると男が言えば逆らえない。けれど、もうすっかり犯される事になれて、ありとあらゆる性感帯がひどく敏感なシュンにとって、そんなものを装着されたら歩くことなどできないだろう。こんな外で、淫らに悶えながら街中を歩けというのだろうか。
 それは寒気のような悪寒をもたらしたけれど、零れる吐息は熱く甘い。
 気が付けば、並んでいる中にはボディチェーンなどもあって。
 しかもそのタグに点いている単語(slave)はかろうじて読み取れた。
「スレーブ……」
 思わず小さく呟いた言葉を男は聞き取って、嗤う。
「そうだ、ここは奴隷のために使う道具を専門に取り扱ってる店だ。この店長独自の一点物も多くてな、その筋では有名な店だ」
 指さした先であの店員が浮かべた笑みに、ぞくりと全身が震えたのは恐怖だった。
 どこか好青年っぽく見えていたのに、そこにあるのは男と変わらぬ支配者たる雰囲気で、ひれ伏すしかないものだったのだ。


 ピアスと同じデザインのペンダントトップを持つネックレス、それにレザーバンドの腕時計を着けられたけれど、それ以外の物はその場で着けろと言われなかったことにほっと安堵する。
 そう込み上げてくる羞恥心を押さえつけて、購入した品々が入っている袋を抱え込む。
 中には単なるアクセサリーだけでなく、ペニス用のリングやピアス、バイブ付きのニップルピアスまであって、それを着けられる本人からしてみれば、決して他人には見せたくは無い代物だ。
 最終的に男が支払った金額のゼロの多さも、荷物を抱え込んでしまう原因ではあるけれど、やはり羞恥の方が強い。
 しかも、混乱した頭は、アレが動いたらどうなるのか、という想像まで始めてしまい、じわりと全身に汗が浮き始め、じくじくとした疼きが乳首の辺りから広がってしまう。
「どうした?」
 判ってからかう男に、小さく首を振って答える。
 もう帰りたい。
 昨夜ひどく犯された身体はもう嫌だと思っているのに、なのに小さな疼きが止められずに少しずつ大きくなっているようなのだ。
 遅れる様子に男が足を止めて振り返ってきた。
 叱られると思わず目を瞑ったシュンに構わず、男の伸びた手が横の髪を掻き上げてきて。慌てて目を開けて見上げると、男は耳朶を飾るピアスを満足げに見入っていた。
「お前はこういうカジュアルなものが似合うな。カジュアルなのに色気が増して飾りがいがある」
 最初何を言っているのか判らなかった。
 けれど、すぐにその意味を正確に理解して、人の多い歩道での声を潜めることのない言葉に、かあっと顔が熱くなった。何より、その浮かべた優しい笑みに、ひどく戸惑う。
 褒めているのか、からかっているのかが判らないけれど、どちらにせよ反論できない身では一歩後ずさることしかできなくて。
 人の全てを奪い、奴隷としての生を強要する男のくせに、どうしてこんなにも優しい笑みを見せるのだろう。日本では決してなかったその笑みを、こんな遠い国で二週間しかいない国で大盤振る舞いして、何が目的なんだろう。
 言葉を素直に信じることなどできないけれど、熱くなる顔は男の言葉に照れている証拠だった。
「夕食まで少し時間があるな。メトロポリタン美術館と自然史博物館、どっちがいいか?」
 しかも、選ばせようとする。
「美術館と博物館?」
「どっちがいい?」
 問いは無視され、即座の答えを強要されるのはいつものことだったけれど。
「じゃ……博物館……」
「判った」
 選ぶ間も無く、直感で好きだと思うほうを答えれば、後は男の言いなりだ。
 タクシーで運ばれ、並んで入場チケットを買って中に入る。
 けれど。
「ここを五時に出る。十分前にはこの正面の階段のところまで戻ってこい」
 腕の中の荷物を奪われ、スタスタと去って行く後ろ姿は振り返りもしない。説明も何も無く、ただ集合時間だけを告げられて呆然としている観光客のように立ち尽くす横を、賑やかな子供達が通り過ぎていった。
「何……」
 荷物の代わりに立ち尽くす手の中に残っているのはチケットとパンフレットだけだ。淫らなアイテムとは全く真逆のそれがくしゃりと音を立てる。
 ほんとうに一体何がしたいのか、あいつは。
 国境を越えたら言語が変わっただけではなく、中身も変わりました、と思えば良いのか。
 自由という言葉を実践させようとしているかもしれないけど、一人放置されても戸惑いが大きい。
 ただ救いは博物館の中という、トイレも軽食を取る所もあって、見知らぬ土地でもなんとか過ごすことができるということだけだ。それに大勢の人達は、展示物に意識を取られて、だれも一人きりのシュンなど気にしていない。
 そのことにふっと吐息をついた同時に手首に感じる違和感に真新しい時計の存在を思い出し、盤面を見やれば指定された時間までは二時間はあった。
 遊べということか。
 それとも、逃げても良いと言っているのか。
 後者は無いだろうとは思うのだが、こんなふうに一人で放置されると逃げたほうが良いような気がして惑う。けれど逃がして捕まえて今度こそ有無を言わさずとじこめて飼い殺しするつもりなのかと穿った考えも再浮上してきた。同時に背筋を這い上がるぞくりとした悪寒にも似た恐怖は、あの家での数々の行為からくる現実のもので消える物では無い。
 どんなに考えても男が何を考えているのかは判らないけれど、シュンは場違いに賑やかな周りを所在なげに見渡し、ため息を零した。
 どうにもいたたまれなくてしょうがなかった。
「どうせなら、ホテルに閉じ込めておいてくれれば良いのに」
 ぼそりと零した言葉は誰にも届かず、けれどそんなことを考える自身も良く判らなくて。落ち着かない思考を振り払うように、最初のフロアへと足を進めていった。


 何も考えたくなくて、ゆっくりと各フロアを見て回っている内に足腰に鈍い痛みが走り始めて、結局まだ一時間ぐらいを残して表に出てきてしまった。
 道路から入り口までの階段は広く、休憩しているのか人待ちなのか、皆が適宜くつろいでいたのを覚えていたからで、その中に混じって石段に座り込み道路の向こうの公園らしきところをぼおっと見つめる。
 地図によればこの大きなセントラルパークを突っ切った側には、二択のうちの一つだったメトロポリタン美術館があるらしいが、その元気はもう無かった。元より時間も無いけれど。
 ぱんぱんに張っている気配がするふくらはぎは怠く、足の裏が痛い。腰の怠さは昨夜のやられすぎというよりは、この足からの疲れもあるような気がした。
 実際、こんなに立ちっぱなし、歩きっぱなしなど久しぶりのことで、筋力の衰えを実感する。
 ただ、目に入る風景を見て、改めてアメリカに来ているんだなとしみじみと実感した。
 自由にしろと言われたせいでなんだかんだ考え込むのが先になり、観光なんて考える余裕などほとんどなかったけれど、こうして外でぼんやりするのも観光になるんだなと実感できた。
 ただ一人で出歩くのは逃げるときのような気がして、自ら出て行く勇気は結局のところ出てきそうに無い。
 たった半年とはいえ、閉じ込められてあの男に完全に支配された生活の中で、考えることすら許されなかったことは、今でもシュンの思考を縛っていた。
 最初の躾の段階では、排泄、排尿すら徹底的に管理されていたぐらいで、その辺りが管理されなくなったのは、無意識下においての従順な態度を認められてからだった。
 そんなふうになるまで支配されきった精神が、どうしても躊躇い、身体を縛る。
 今日はもう考えるのは止めよう。
 疲労に怠い身体に精神が引きずられ、思考停止状態になってしまう。
 立てた膝に肩肘をついてぼんやりとする心地よさに負けて、全てを放棄していた。
 どうせいずれあの男がやってきて、またどこかに連れて行くだろう。それとも、ホテルに戻って性欲解消に使われるのか。
 どちらにせよ、あの男に従うしか無い身分であって、考えることなどしない方が楽だった。
 周りでは陽気な会話が賑やかで、脳を優しく揺さぶっていた。意味なんて判らないけど、羨ましいぐらいの陽気さなのは確かだ。
 路上販売の車がホットドッグやアイスを売っていて、皆が美味しそうに頬張っている。
 そういや、腹減ったな。
 簡単な昼食は意外にボリュームがあったけれど、消化は早かったようで小腹が空いている感じがしたのだ。
 ケチャップの良い匂いが鼻孔をくすぐり、食欲をそそられる。
 そういえば、こういう感じも久しぶりだなとぼんやりと路上販売車を見ていたら。
「こんにちわあっ!」
 不意に話しかけられて、びくっと顔を上げた。
 さっきまで気配の無かったのは、半ば眠っていたからか。至近距離の派手な女の子の登場に、意識が追いつかない。
「日本人ですよねっ、やったぁっ!」
 鼓膜に響く甲高い声に、思わず頷いて。返された満面の笑みを「あ、あの……」と戸惑いも露わに見つめてしまう。
「きゃ、イケメンだわっ。もろ好みぃっ。あ、あたしぃ、日本のテレビ局のミッドナイト・アワーっていう番組のぉ……」
 テレビ?
 その言葉に、ふっと首を捻った拍子に、少し離れた位置に肩に担いだカメラのレンズがこちらに向けられていることに気が付いた。
「ニューヨークの日本人に質問しちゃおってコーナーでぇ」
 ニコニコと何が愉しいのかと言うくらい笑顔で人懐っこい女の子が差し出したマイクより、カメラのレンズから視線が離せなかった。
「おれ……」
「ねえ、お兄さんのぉ、お名前はぁ?」
「名前……俺は……」
 俺の名前は……。
 思わずオウム返しに答えようとして、自分がどちらの名前を言おうとしたのかとハタと止まった。
「俺は……」
「ん?」
 長いまつげがバチバチと目の前で揺れる。
 俺は……誰だ?
 言いかけて止まった言葉に、レンズがずずっと近づいて。
 そのレンズの中に写る自分の顔に不意に、『ヤバいっ』と顔が引きつったと同時に勢いよく立ち上がった。
「きゃっ!」
 勢いよすぎたせいで、女の子が尻餅ついたけれど、構ってなんかいられなかった。
 見られた、連れ戻されるっ。
 そればかりが頭の中を駆け巡る。
「やっ、ちょおっ待ってよおっ!!」
 何か後ろで叫んでいるけれど、パニクった足は止まらない。幸いに車が途切れた道路を抜けて、青々とした芝生と高い木々に囲まれた遊歩道へと駆け行って。しばらく入ったところのベンチに倒れるように崩れ落ちた。
 ハアハアと荒い吐息に苦しい胸を押さえ、怠い足を投げ出して、何度も何度も頭を振る。
「なんで……俺……」
 逃げた? なんで?
 ベンチに浅く腰掛けて、空を仰ぎながら荒い吐息の中で自身の行動が判らずに、何度も何度も頭を掻き毟る。
 あの時、あのテレビカメラのレンズに写った自分を見て取った時、確かに頭の中に浮かんだのだ。
『バレる、ヤバい』と。
 ただ何も判らなくて、けれどあのレンズに映った己の姿に、本当に拙いと思ったのだ。
 撮られては駄目だ。
 テレビに映ったら見つかってしまう。
 だから駄目だ……と。
「見つかる? 何に……?」
 考えれば考えるほどに頭の中は混乱し、考えがまとまらない。
「どうして? ……見つかったら大変だから、って何が大変? だから、逃げなきゃ……、なんで?」
 幼子の言い訳のように言葉を繰り出しているのも気づかずに、抱え込んだ頭の中で必死になって状況を把握しようとする。
 一体自分が誰から逃げなきゃ行けないのか。
 なんでテレビに映ったら拙いのか。
 あれは日本人だった。
 言葉が通じたはずの相手から、なんで逃げたのだろう。
 あのテレビカメラからどうして逃げなくてはいけなかったのか。
 あの男から逃げることは躊躇って、けれどカメラからは逃げるしか無かった。
 それは見つかってしまうから。
 見つかったら、とても恐ろしいことになるから。
 何よりも、日本人に見つかったら駄目だから……。
 それは、なんでだ……?
 心臓の鼓動が落ち着いても身体はうまく動かなくて、ベンチにもたれたままシュンはいつまでも呆然としていた。