【最初の外出】(最初のSold Out続編)

【最初の外出】(最初のSold Out続編)


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Side Master
 
 仕事を終え、さすがに初日は比較的早くホテルに戻って来ることができた隆昌は、薄暗いままの部屋に顔を顰めた。
 どの部屋の扉も開いているせいで、どれも見通せたけれど、そのどの部屋にも灯りは無い。
 かろうじて明るいのは、カーテンが開けられたままの窓からの明かりのせいで、人の気配も無かった。
「逃げたか?」
 昨夜から朝にかけての陵辱に、そんなに簡単に動けるとは思わなかったが。
 首を絞めるネクタイを、煩わしく振りほどき床に投げ捨てる。
 もっともいないからと言って焦りはなかった。決して逃がさないと言ったとおり、一声連絡すればすぐに捕獲することはできるだろう。一度奴隷とした者は常に監視対象なのだから。
 それに、着け直したピアスは微弱な電波を持っていて、近くにいれば居場所を捕らえることはできる。
 さすがに小さい分範囲は狭いが、見つける助けには十分になる代物だった。
 それでも身の内に生まれた苛立ちが、フツフツとその泡立ちを大きくし始めていた。
 同時に、全身にわずかながらの倦怠感も生まれていて、その感覚に顔を顰めた。
 英語は意識すること無く喋れるほどに流ちょうだが、少し疲れたのはやはり普段使用しない言葉だからだろう。それに、いつもは飛行機内で調整する時差も、今回は遊戯に取られて調整する間もなかったのも効いている。
 それでも仕事に支障があるようなことにはならないとは思っていたけれど、そうでもなかったようだ。誰もいない部屋の静けさに、徒労感が生まれてくる。
「逃げられやしねえのに」
 仕事中に張り付いていた型式ばった口調を崩して、自身の本音をそのまま漏らす。
 逃げるだろうと思っていたけれど、それでも今朝方の崩れ落ちるように力尽きた様子から、今日は無理だろうと思っていたのだが。
 ごまかすこともできずに零れたため息は、思った以上に落胆が大きかったせいだ。
『どうして?』
 と問われたとき、実のところ回答など持っていなかった。
 ただ、せっかくアメリカくんだりまで来たのだから観光でもすれば良い、とそう思っていたのも事実で。
 その許可が、逃げることに結びつくと思ったのは、カードを渡してからだった。
 何故奴隷を自由にさせたのか、気が付いても撤回する気はなくて。もっとも逃がすつもりも毛頭なかった。
 ただ……。
 最近の従順な様子に絆されてしまったのか。
 そこまで考えて、そんな似合わぬ考えに、苦笑が零れた。
 何にせよ、再捕獲するなど簡単な事だ、と灯りをつけぬままにリビングに入り、窓際のソファに腰を下ろそうとして。
 その動きがぴたりと止まった。
 ロボットめいたぎくしゃくした動きで視線を巡らした後。一瞬硬直した表情が、薄く弛む。
「そうか……」
 ふと視線を向けた窓はカーテンが閉まっておらず、だから外の灯りが入ってくる。
 先ほど気が付いたそれは、ターンダーンサービスのためのスタッフが入っていない証拠だ。二人のどちらかでもいる時はスタッフを入れるなと厳命しているからであって、ならばその時間にここには人がいたということで。
 隆昌は座ろうとしたソファの向かいへと足を進め、覗き込んだ。
 すうすうと規則正しい寝息がようやく耳に入る。
 ソファの背もたれに、半ば沈み込むようにしているシュンは、こんなに近くにいても気づかないほどに寝入っていた。
 ふと視線をやれば、テーブルの上には朝から置いてあった朝食が空になっていた。けれど、昼食の痕は無いから、昼過ぎにでも起きて食べたのだろう。
 それとも、英語が喋れないから依頼できなかったか。
 空港やホテルで、不安げにアナウンスや会話に耳を傾けてた様子を思い出し、くすりとその口元に笑みを浮かべた。
 今回の場合は前者であろうとは思うけれど、日本語が通じるスタッフがいることを伝えていなかったのも事実だ。
 逃げる、と少しは考えたのかも知れない。
 誰とも親しくさせたくない、と思ったのかも知れない。
 たとえ理由がなんであれ、シュンには教えたくなかったのは事実だ。
 通じないと判っていてもフロントで話しかければ、日本語スタッフを紹介してくれるだろうということは知っていても、それでも己の口から助けるような事は言いたくなかった。
 太い肘掛けに腰を下ろし、薄暗い中シュンの寝顔をじっと見つめる。
 行為の後はいつでもシュンの方が先に寝入るから、見慣れた表情ではあるけれど。いつものような行為の後で無い今は、昨日のリムジンでも思ったようにひどく新鮮だ。
 ふと、先まで感じていた疲労が消えているのに気が付いた。
 澱みのように渦巻いていた疲労感が、どこにも無い。その違和感に意識を逸らし、けれど再度シュンの寝顔を見つめたまま肩を竦めて立ち上がった。
 自身はもう食べていたけれど、昼に簡単な食事しかしていないシュンは栄養が足りていないのは明白だ。
 遊ぶにしても体力がなければ長く遊べないと、その栄養管理は主人たる己の役目だと思っている。
 取り上げた電話でフロントに連絡して、夜食を準備するように伝えた。
 なぜだか湧かぬ性欲は、きっと明け方までさんざん犯し尽くしたからか判らぬが、落ち着いた気分で隆昌は隣のソファに腰を下ろし、すうすうと規則正しい寝息に耳を傾けるように目を閉じた。
 それはひどく優しい音色で、なんだかずっと聞いてみたいと思ってしまったのだ。