祝福と呪いの狭間の物語 前編

祝福と呪いの狭間の物語 前編

某昔話のパロディー。
ですが、かなり、螺館風に。
皇子様と王子様と神様の遣いと悪魔と皇子様のお仲間が出てきます。
淫乱化。愛はあります、螺館の話にしては、ですが。




 むかしむかしの話です。
 空と陸と海の神達が共同で創世した世界に一つしかない大きな陸地を、大きな国の王様がその大半を支配しておりました。
 その大きな国の周辺には中ぐらいの国がいくつか、さらに大陸に寄り添うように海に浮かぶ島々にも小さな国もありました。
 今日のお話は、その小さな島国で、可愛い王子の生誕祭が行われたところから始まります。
 その国は、均整のとれた細身の体格、褐色の肌と漆黒の髪、深い海の色である紺碧の瞳を持つ一族が造ったと言われており、今も王族や大半の民がその特徴を引き継いでいます。
 島国といえども、そう多くない国民に見合った農地はあり、温暖な地であることから農産物も充分確保できていて、また周囲の海からの恩恵も豊かで、また海を隔てていることから外敵の侵入も少なく、小さいながらも穏やかで裕福な国でした。
 そんな国の王様とお后様の間に生まれた最初のお子さまは、たいそう可愛らしい王子でした。
 深く透き通るようなべっこうのような色合いの肌に、吸い込まれそうな紺碧の瞳をお持ちで、国一番の美姫と誉れ高かったお后様の色合いと建国の創生王の生まれ変わりと言われた賢くも凛々しい王の赤子の頃によく似ており、成長するのが楽しみだと、皆に心底言わせたほどでした。
 そんな素晴らしい王子の誕生を祝う生誕祭には近隣の王や大臣、果てはこの国と親しくしている海神の遣いや巫女、精霊達も交わり、とても華やいだ雰囲気に包まれていて、皆が王子に心からの品と祝福を贈っていました。
 特に御遣いや精霊の祝福は特別な力がありますから、王子の幸せな一生は約束されたようなものです。
 そんな宴も、そろそろ終わりに近づいたその時、突然会場の扉が吹っ飛んだと認識するより早く闇色の風が吹き込み、王子を包み込んだのです。
 吹き荒ぶ風は嵐のごとく激しく、辺りの物を巻き上げ、王子を中心に竜巻のように渦を巻いて、誰も王子に近づけません。
 水に墨を溶かしたような風の流れの薄いところから、かろうじて王子が瀟洒な寝具に包まれたままなのは見えますが、手を出すことすらできないのです。
 お后様の悲鳴が聞く者の感情を揺さぶりますが、水を操る力を持つ海神の遣いも風相手ではなす術がありませんし、精霊達もオロオロとうろたえるばかりで、人などもっと手を出せるものではありませんでした。
 もとより黒い風は死神がもたらす、言わば葬送車といわれていました。
 死する運命にある人は、その風に逆らえるものではないのです。
 誰もが王子の死を予感し、絶望に苛まれたその時。
 天窓から吹き込んだ突風が、強固と思われた闇色の風に絡みつき、その勢いを相殺し始めたのです。
 混じり合い大理石のように模様を作る渦の勢いは、確かに衰えていて、飛散する物も次々に落下していきます。
「おお、空神の遣いよ」
 海神の遣いが歓喜の声を上げました。
 それは、遅れて訪れた風を操る空神の遣いの技でした。
「陸神のも」
 続いて陸神の遣いも降り立ち、会場の周りに清浄なる緑を這わせました。その援助に、海神の遣いも聖なる湧き水を導き、闇に侵された室内を清浄しました。
 すると、ますます闇の風は薄れていき、不意に。
 音もなく闇色が消え、空神の遣いの技の残りが最後の残り香を吹き飛ばすように通り過ぎていって、会場はいきなり静けさを取り戻しました。
 音のない空間で、為すすべもなかった人々は恐怖に捕らわれたまま、動けません。
 解放された王子は、何事もなかったようにすやすやと寝ています。
 まず海神の遣いが駆け寄りました。
 老婆の姿をした彼女は、額に汗を浮かせ荒い息を吐いていました。
 それほどまでにあの風の力は強大で、敷地の浄化に多大な力が必要だったのです。
「おお、おお、王子は無事じゃ、どこも怪我などしておらぬ」
 シワだらけの手が、王子を優しく抱き上げます。
「ああ、良かった」
 安堵のあまりお后様がその場に崩れ落ちそうになるのを、王様が支えています。周りの人々もほっとしたように、息を吐き出しました。
「だが、あれは闇夜の森の悪魔の技よ。あれが、何も残さぬはずがない」
 雄々しい男性の姿をした陸神の遣いが、気遣わしげに覗き込んできました。陸神の遣いの彼は大陸に住まう関係で悪魔のことは良く知っています。悪魔が善良なる民を支配下におくために、恐ろしくも狡猾な罠を仕掛ける様子を何度も見てきたゆえの言葉でした。
「確かにの。胸くそ悪い残り香がまだ残っておる」
 空神の遣いの壮年の細身の男が、その手の上で渦を巻いた風を、王子に吹きかけました。
「なんと……消えぬ」
 苦々しげに呟き、確認しようと覗き込みます。
 海神と陸神の遣いも同様に、心地良さそうに眠っている王子を覗き込みました。
「ああ、御遣い方。王子はいったい……?」
 安堵したのも束の間、遣い達の深刻な様子に蒼白となった王様とお后様に、空神は小さく首を振りました。
 残りの二神の遣い達も沈んだ様子を隠していません。
「王子には呪いがかけられておる」
 その言葉に、あちらこちらから息を飲む音がして、恐怖のあまり崩れ落ちる者もおりました。
 数多の呪いの中で、闇の森の悪魔の呪いのその凶悪さは他に追随を許しません。
 特に有名なのが、悲運の狂王として名高い某国の王の話でした。
 呪いに気付かなかった賢王の誉れ高かった王は、建国記念祭の最中に突然狂い、自国や隣国の招待者を自らその刃で殺した後後宮に駆け込み、愛妾のみならずまだ赤子であった己の子まで切り捨て、その子の血を啜り尽くしたところで、正気を取り戻しました。
 己が何をしたか知った王は、激しい自責の念にとらわれ正気をなくし、狂気の中で、ただひたすら懺悔と悔やみの言葉を繰り返すのみとなりました。その後すぐに、王位を剥奪され、家臣の手によって幽閉されましたが、その国は急速に傾き、今は隣国の支配下となっています。
「なんてことだ……」
 誰の脳裏にもその最悪に事態が浮かびました。
 けれど、同時にここには遣い達が三人とも揃っている事実にも気付きました。
 悪魔の呪いは気づきさえすれば、呪いの効果を薄める手だてはあります。
「どうか、どうか、御遣い方のお力で、この子の呪いを解いてやってくださいませ。どうか!」
 王様もお后様も三人の前に跪き、額を床に擦り付けんばかりに頭を下げました。
 慈しむべき子のためならば、どんなことでもしようという必死さに、周りの人々も膝を折り、願います。
 精霊達も、その身体を煌めかせ、この地と王子のためを思って祈りました。
「もとよりそのつもりではある。だが、この呪いはたいそう強固。完全に打ち消すことは、我らが揃っても難しい」
「悪魔め、かなりの魔力を、この王子の胎内に埋め込んでおるゆえに、無理に引き剥がせば、この子の命すら奪いかねようよ」
 空神と陸神の遣いの苦々しげな言葉に、人々は顔を歪めました。
「この呪いは、王子が成人する日に発動します」
 海神の遣いが、複雑にからみあった呪いを紐解き、解除の糸口を探りました。
「それは美しく優しく、そして思慮深く育った王子の晴れの日です。それまでは、今までに受けた祝福の通り、素晴らしき日々を王子は過ごすことになるでしょう。けれどその日、何かが王子の身に起こり……それは……王子の身と精神に多大なる苦痛をもたらすきっかけとなり、その後王子は地獄のような生活を、一生送ることになる……そんな呪いが」
 彼女の瞳から、海の色をした涙が溢れ、床で硬質な音を立てました。
 それはアクアマリン製の涙だったのです。ただ、幸せで零すアクアマリンはそのままで海難除けのお守りになりますが、今回のは水になって床を濡らしてしまいました。
「ああ、なんて、悲惨な呪いなのでしょう……王子がそれまでにその呪いのことを知っただけでも発動してしまうようですし。知らなければ、きっかけによって発動します。ああ、このきっかけが何かが……読めないのです。それに、私はすでに祝福を授けてしまったので、これを打ち消すだけの力がありません」
 海神の遣いの悲惨な言葉に、けれど、空神はきっぱりと言い切りました。
「我が偉大なる空神の御名において、王子に新たなる祝福を与えん。その呪いは悪魔がもたらすきっかけにより発動するが、すぐに悪魔の手から逃れた後、王子は強固な壁に守られて日々を過ごすことになるであろう。いずれ悪魔の呪いを完全に打ち消すほどの力を持つ訪問者の訪れにより解放され、王子は再び幸せな日を送ることになるその日まで」
 さらに、陸神が続けます。
「尊ぶべき陸神の誇りと力にかけて、陸神の御技による壁は、悪魔とその遣いを通さぬために人も通すことができぬ。そうでなければ、人の心に潜んだ悪魔が隠れて通ってしまう故に。そのため、王子は孤独に暮らすことになるであろう。だが、陸神の加護を受けて、壁の中の生活に苦労はない。また、孤独が強ければ強いほど、後の生活は孤独とは無縁の幸有るものになるであろう」
 それは、完全な解除ではありませんが、元の呪いに比べればたいそう良くなっていました。
 御遣い達は、完全に消せない呪いを巧みに転換させることによって、違う未来に導いたのです。
「一つだけ、私も言葉を重ねましょう」
 海神の遣いが王子を優しく抱きかかえ、その額に祝福の口付けを与えて言いました。
「幸いの日、どうか贈り物にお気をつけて。きっかけが何かを読むことはできなかったけれど、あなたが外から来た誰かから受け取った何かがきっかけになります」
 その言葉に、我が子の不幸に涙する王様とお后様は、確かに理解し記憶に深く刻みました。
 重臣や家来、召使い達も同様です。
 そのきっかけがなければ始まらない不幸であるならば、そのきっかけを徹底的に排除すれば良いのだ、と、考えた王様達は、次の日には国中の民に公布しました。
「誕生の祝いに贈り物のやりとりを禁止する。その日に贈り物を受け取ることは、不幸の訪れである故に」
 呪いのことを知ることのできない王子が、誕生日に贈り物がないことをいぶかしまないように、最初からその習慣を無くしてしまえば良いのだと、王様達は考えたのでした。
 もちろん、それだけでは足りないのは判っています。
 けれど王子のために、皆がそれぞれにできることを行うだけでした。


 この国では18才の誕生日に成人したと認められ、全ての義務と責任が課せられ、親の庇護から完全に離れます。
 王子はそれより前の15の頃から国政に関わり、その優れた才を開花させました。高潔な王子は人のために働くことを喜びとし民にも優しく対応しましたので、皆からたいそう人気があり、街に出ると必ず人々が寄ってきました。
 また彼は、父王の凜々しさと幼き頃に亡くなった母の美しさを兼ね合わせた類い希な美貌をお持ちでしたから、女性達にもたいそう人気でした。しかし、自分の地位を自覚されていた王子は決して色恋にうつつを抜かすことなく、いずれ娶るであろう奥方のみを愛されることを誓っていて、浮いた噂話も無かったのです。
 王子は、自分に呪いがかかっていることを知りません。生誕祭の出来事は、知っている者全員が固く沈黙を保っていたからです。
 しかしながら、18の誕生日が近づくにつれ、王子も少し周りの雰囲気が違ってきたことに気がついていました。
 王も重臣達も、どこか神経質で、誕生日を過ぎるまでは城下に出ることも禁止されました。
 詳しい説明も無く行動を制限されて、さすがの王子でも多少の不満を抱きましたが、何か理由があるのだろうと口には出しませんでした。ただ親しい友人を呼ぶことは許されていましたから、時折彼らを呼んでお茶会をして過ごしました。
 友人は家臣や貴族の者が多かったですか、中には民の中から選ばれた者もおりました。
 中でも王子が気に入っていたのが、城に出入りしている大工見習いの青年です。同い年で快活で気さくな彼とは、一年ほど前にお気に入りの東屋の修理の時に出逢って以来、親しく話すようになりました。
 そんな友人達と会話をするのはとても良い気分転換で、王子も楽しんでいたのですが、誕生日になると周りがいつも以上に神経質になっていて、誰かを呼ぶことすら許されない状態になりました。
 城内のどこの空気もピンと張り詰められていて、王子の一挙手一投足を常に誰かが見ているのです。あまりのことにさすがに王子も息が詰まりそうで、結局自室に戻りました。もっとも、自室に戻っても召使いがおり、しかも今日に限って勉強を見てくれる王の顧問役の老人が詰めていて、勉強が終わっても出て行こうとしません。
 なんやかや退屈な話と気詰まりな夕食が済んで、もう寝る時間になって初めて一人になれ、王子は安堵しました。
 どうやら誰かが尋ねてくるのをたいそう警戒しているようですが、この時間になれば訪問者などいないと、判断したようです。
 王子は寝台に向かう前、寝る前に外の空気を吸いたいと思い立ち、窓を開けてみました。王子の部屋は三階にありますが、目の前には空中庭園があります。けれど新月の外はすでに深い闇に覆われており、部屋の灯りが届かないところは真っ暗で見通すこと叶いません。
 それでも、王子は幾ばくかの解放感を感じ、ようやく息がつけたかのように深く空気を吸い込みました。
 と、その時。
「王子様」
 聞き知ったかすかな声が聞こえ、僅かな驚きとともに見やれば、見習い大工の青年が庭園の彫像の影からひょこりと顔をだしたではありませんか。
「君は……どうやってここへ?」
 今日は全ての客も業者も、城内奥には入れないことになっていると聞いていましたから、彼がここにいるのが不思議でなりません。
「北門の裏木戸の修理をした後に、帰った振りをして中に入り込んで隠れていたのです。どうしても王子様に逢いたくて」
「私に?」
 許しも得ずにこんな奥に入ってくるのは、犯罪行為です。もし彼がここにいるのがばれたら大変なことになると、王子は慌てて彼を部屋に招き入れました。
「君が投獄されたら、私は悲しい」
「けど、どうしても王子様にお目にかかりたくて」
「さっきもそう言っていたけど……明日まで待ってくれれば会えたのに。こんな危険なことをするなんて……」
「それが……これ、明日になったらもう咲いてしまうんです。だから……」
 そう言って彼が背中の荷物からそっと取り出したのは、15cm角くらいの箱でした。
「これ?」
「ええ、開けてみてください。とっても珍しい植物なんです」
「へえ?」
 王子は植物も好きですから、珍しいと聞いて、すぐに開けてみました。
「ああ、これは……」
 中に入っていたのは、小さな小さな薄桃色のつぼみが付いた鉢植えでした。小さな箱に入っていても、十個以上の花のつぼみがついています。一つ一つは小指の先よりも小さなつぼみで、根元から先にかけて薄くなる桃色は、その花が咲いた時にはたいそう美しいだろうと思わせるものでした。
「もしかして……これが、シェリオ? 前に君が言っていた?」
「はい、そうなんです。たまたま昨日山の奥にある家に作業に行った帰り道に綻びかけたつぼみを見つけて、ぜひ王子にご覧に入れたいと思って」
 たった一日しか咲かない可憐な花の開花を見ることができたら幸運が舞い込む、と民に言われている花だと聞いた時、ぜひ見たいとと往ったのは王子の方でした。
 それを覚えていてくれて、さらに無理をしてでも持ってきてくれたことに、王子は感激のあまり彼に抱きついてしまいました。
「ああ、ありがとう。やっぱり君は大切な友達だ」
「もったいないなお言葉です。でも、王子様がもっと幸せになったらって思っていましたから、ぜひ開花するところをお見せしたいと思ったんです」
 はにかんだ笑みに王子も笑って返すと、小箱から鉢植えをそっと取り出しました。
 細い茎の上で揺れるつぼみは、もう先端が開いています。
「ああ、王子様、もう開きますね」
 言われて覗き込めば、さっきより開いているように見えて、慌てて王子は彼と頭を付き合わせるようにして覗き込みました。
 少しずつ、少しずつ、瞬きする度に開く花は、同時になんとも言えず芳しい香りをもたらします。
「良い香りだね」
「はい。この香りは恋人の仲を取り持つ、とも言われています」
「そう。うん、なんだかゆったりとした気分になれるね。これなら喧嘩していても仲良くなれそう」
 花が開ききる頃には、その芳香をもっと嗅ぎたいと思いっきり鼻から吸い込みました。
 そうすると、彼の言葉通り疲れていた身体から強ばりが消え、窓の外で冷えた身体も芯から熱くなったように思えます。
 満開になった花は、外せない視界の中で僅かに揺れ続け、全てがその色に染まっていくようです。
 身体の奥から、ひどく熱い流れが全身へと広がっていきます。
「王子様……」
「うん……」
「王子様はほんとうにお美しいですね……お会いしたときからずっとお近づきになりたいと思っていました」
 彼の声が耳のすぐ近くで聞こえます。
 視線を向ければ、ほんのりとした薄桃色の霞の向こうで、見習いの彼が王子を見つめていました。
 王子も、つられるように視線を返します。彼の動く唇から目が離せません。
「こんなお美しい方のおそばにずっといたいと願っていました」
 甘い言葉を紡ぐ口元が近づいてきて、それがとても柔らかく、吐息はとても熱いのだと気付きました。
「王子様……どうか私とともに、私と一つになってください」
 耳から入る言葉が頭の中に浸透し、蕩けていきます。彼の手が背中に触れたとたんに感じたのは、全身が痺れるような甘い疼きでした。
「あ……ぁ……」
 自分の声が遠く聞こえました。
「そうすれば、あなたを私の所有物になれるのです」
 その言葉は王子の心を歓喜で満たし、全てを甘く疼かせて、堪らず膝から力が抜けてしまいました。その身体を彼が受け止めてくれます。その彼が、王子を包み込むほどに立派な体格を持っていることに気がついて、王子はとろんとした瞳を頭上に彼に向けました。
「寝台にお連れしましょう」
 同程度の体格だったはずですが、近づいた彼の上背は王子よりも大きく、腕も王子を簡単に持ち上げられるほどに太く強いものでした。実際、幼子を運ぶかのように軽々と運ばれて、その指は寝衣など簡単に引き裂くほどでした。
 衣服をすべて剥ぎ取り、裸体を爛々と輝く瞳でなぶるように観察する彼の様子に、王子の朦朧とした頭の中に、疑問が湧き起こります。
「君、は……誰?」
 良く知っている青年はもっと優しく、こんな乱暴なことも、獲物を狙うような獰猛な視線を向ける人でもありません。
「王子様も良くご存じの大工見習いですよ。一年前にお会いしたときから、私は私です」
 そう返されて、そうなのだと、納得してしまう自分がいます。けれど、心の奥底で誰かが、違う、とも叫んでいます。
 とにかく体を覆うものがほしいと身を捩ろうとしますが、両手を頭上で押さえつけられてしまいました。
「まだ正気があるのですね。あの花は、私が作った特別性の花なのですけど。あの芳香に晒されてまだ理性を保っていられるとは……。ええ、でもそれでこそ、楽しめそうだと思った私の目は間違いなかったということですが……」 
 苦笑気味に呟き、近づいた唇が押し当てられます。
 ぬるりと潜り込んできた肉厚の舌が、王子の舌を捕らえ、吸い上げます。引き出され、たまらず大きく開いた口内へ、注がれたのは彼の多量の唾液でした。
 咽せるほどの量に、反射的にゴクゴクと飲み込んでしまい、その奇妙な甘ったるさに顔をしかめました。
 何かが変です。
 僅かな違和感が王子を一瞬だけ正気に戻しました。即座に湧き上がった危機感に、王子は逃げなければと目の前の体を蹴り上げようとしました、が。
「黒……?」
 その瞳が、漆黒であることに気が付き、止まってしまいました。彼の瞳は、先ほどまで少し淡い青だったはずです。
 変装でも瞳の色を変える術は普通の民は持ち得ません。魔法薬など精霊が創るたいそう希少な薬物でしか変えることしかできないのです。
 そうでなければ……。
「人じゃなぃ、ぃぁぁ、んぁ」
 王子が発した言葉が、途中から浅ましい喘ぎ声に変わりました。
 全身がいきなり敏感になって、背中に触れる寝具の触感にすら激しい情欲に襲われた王子は、肌を紅潮させ身悶えました。
「あの面倒な結界やら警護に気づかれぬよう王子様に近づくために、人の若者に身をやつし、どんなにか涙ぐましい努力をしたことか。その分、王子様では楽しませていただこうと思っているのですよ」
「ああっ、やあっ! あ、つい…ぃ、んあっ」
 何を言われても、ジンジンと肌よりもっと深いところが疼くせいで、そちらに意識が引きずられ、理解できません。力が入らず投げ出された両足の付け根で、形の良い陰茎が酷く硬くそそり立ち、先端からダラダラと粘つく粘液を溢れ出させていました。そのせいで、王子の股間はヌルヌルと滑るほどに濡れています。
「王子様のために、特別に調合した媚薬のお味はいかがですか? 一口で、昇天できるほどに強力なモノにしてみました」
 言葉遣いだけはあの見習い大工ですが、それは、今や人でない何かの形を露わにしていました。
 朱色の世界に堕ちて足掻くことしかできない王子の蕩けきった頭でも、それが巷に伝わる悪魔であることが判りました。
 漆黒の髪と瞳、血の気の失せた青白い肌、そして左右の耳の上から後ろに向かって生えている短い角。さらにその身体は岩のように頑丈で、爪は鋭く、眼光は強く妖しく輝いています。
「あんっ! やあっ、さわ、る、なぁぁあっ」
 その爪の先が軽く肌を引っかくだけで、得も言われぬ快感が襲い、白目を剥いて喘ぎました。
 もはや悪魔の本性を剥き出しにしたソレは、沸騰しそうなほどの快感に狂う王子をうつ伏せに押さえつけ、その傷一つない、きれいな背中に、爪で引っかくことでできたミミズ腫れで絵を描いていきます。
 二重の円と不可思議な文字。
 柔肌に残る朱が滲んだそれは、明らかに魔法に関わるものです。
 けれど、王子にはそんなことは判りません。
 与えられる痛みすら快感を感じ、浅ましく悶え、ヒイヒイと身悶えるばかりです。
 すでに王子の美しい顔は卑猥に歪み、目の焦点は合っていません。悪魔の媚薬に身も心も侵されて、何も考えられなくなっているのです。
 一通り描いた悪魔は満足げに頷くと、王子の両の足首を掴み、左右に割り開きました。
 悪魔が小さく呟くと、悪魔が来ていた服は吹き飛び、その股間に人の腕ほどもあるグロテスクな陰茎が現れました。長さも王子の二倍はあろうかというものです。
 それを王子のまだ固く噤んだ尻穴に押し当てます。
「王子様、このままあなたのこの可愛らしい穴に私のマラを打ち立てますと、きっとあなたのここは壊れてしまいます。けれど、大丈夫ですよ。この魔法陣が有る限り、あなたの美しい身体はすぐに再生して、自ら壊れない方法を覚えますよ。素晴らしい悦楽を得るために、身体が学ぶのです。だから」
 ぬちゅ。
「んぁあ」
 悪魔の先端が、少しだけめり込みました。それだけで、尻穴のシワが無くなるほどに張りつめています。
 王子の身体がびりびりと細かな痙攣を繰り返し、歪んだ顔でハアハアと荒い吐息を零しました。口角からだらだらと涎を流し、イヤらしく白目を剥いていて、自分が何をされようとしているのか判っていないようです。
 だから、彼が口元を歪めて嗤い、言った言葉にはまったく気付いていませんでした。
「安心して、味わってください」
 ぐちゅうぅぅぅっ!
「ひぎゃぁぁぁぁぁ──っっっ!」
 聞く者に恐怖すら呼び起こすような悲鳴が、喉から迸りました。
 うつ伏せの身体が大きく反りあがり、びくんびくんと痙攣しています。ずりずりと太い杭が入っていくそこからは、鮮血が噴き出し、王子の肌と寝具を赤く染めました。
「ああ、思った通り、素晴らしい身体だ」
 悪魔の感極まった声音が震える背に落とされ、仰け反る首に添えられた指先が、鎖骨の上に別の文様を描きました。
「素晴らしい身体を持つあなたへのご褒美ですよ。あなたが言葉を発する度に、この喉が味わう震動と同じものを可愛いマラでも味わうようにして差し上げます。ええ、いつでも気持ちよく喘いでください。喘げば喘ぐほどあなたの身体は、とても気持ちよくなれますから」
 その途端、肺の空気を吐き尽くし、痛いとうめきつつ、ぜいぜいと喘いでいた王子の身体がびくりと震えました。
「ああ、あっ、またあっ、いひいぃ」
 最初は驚愕の、けれど今度は明らかに快楽の嬌声が溢れ出します。しかも、声を出す度には淫らな声はさらに甲高く、煽られたように激しくなります。
 それにあわせて、悪魔もゆっくり抜ける寸前まで引いては、一気に押し込んでいくことを繰り返し始めました。
 そのたびに、王子が激しく身悶え、掠れた悲鳴を上げながら、その腹の下でブチュブチュと体液を吐き出しています。暴れたせいであちらこちらにその体液が飛び散って、白い色が身体と敷布の間で塗り拡げられ、肌を淫らに汚していました。しかも、自ら腰を動かして、さらなる快感を得ようとしています。
 そこには痛みによる悲鳴はもうありませんでした。
 ほんのりと淡く輝く背中の魔法陣が効果を発しているのでしょう。
 噴き出していた鮮血はすでに止まり、裂けて肉の色を晒していた穴は、どこにも傷などありません。
 痛みが無ければ、そこにあるのは快感ばかりです。悪魔の巨大な陰茎が与える快感は特にすさまじく、王子は無意識のうちにそれを貪欲に欲し続けました。だからこそ、抜けそうになると尻を振って追いかけて、その凶悪な太さのそれをずっぽりと銜え込みます。
 すでに王子自身がほんとうに美味しそう飲み込んで酔いしれているのです。
 半ば白目を剥いている王子は、揺すられて喘ぎ、ビクビクと大きく震え、艶めかしく身悶えました。何度も射精を繰り返しているのは、見えなくても悪魔に伝わっていました。
 悪魔の太い陰茎は、その特異の能力によって徹底的に王子の快楽の泉を狂わせ続けました。
 貫かれ、揺すられ、激しく抽挿をされ、しかも王子の身体は声を出すだけでも感じるようになっていますから、王子は何度も何度も射精と空達きを繰り返しました。
 そのうちに、悪魔の命令されるままに動くようになって、ずっぽりと悪魔の陰茎を銜えた尻穴に、さらに自分の指を入れて自ら前立腺を圧迫して、自慰すら行って色情狂のように乱れ、あぐらをかいた悪魔のそそり立つ陰茎の上に自ら腰を下ろし、両足を抱え上げて腹の奥まで犯すそれを喜びました。
 さらに、自ら口づけを強請り、王子にとって強力な媚薬でしかない唾液を貪り飲み、また淫行に狂いました。
 そのうち、悪魔が傷つけた指先から出る血を美味しく啜り、尻まで追加で描かれた悪魔の印を喜んで受け入れるようになったのです。
 もう王子の耳には、悪魔の言葉しか入ってきていません。
 新月の夜が終わり朝日が昇って悪魔が去ったその時には、あの高潔で心優しい王子の姿はどこにもなく、悪魔の忠実な性奴隷に変わり果てた姿だけがありました。



 城の者達が異常に気づいても誰も入ることができなかった王子の部屋に、太陽が出てようやく自身のみ入れた海神の遣いは、寝具の上で呆けたように横たわっている全裸の王子を見つけ、息を飲みました。
 髪から足先まで、いたるところにまとわりついた卑猥な汚れはもちろんのこと、その背と首に刻まれた悪魔の所有印に気が付いたときには、その表情に絶望の色すら浮かんだのです。
 しかも、王子の血の流れの中に悪魔の血を感じます。
 それは、通常の印だけの結びつきよりもさらに深く激しい結合を持っていて、しかも他の誰にも容易に解くことはできません。実際海神の遣いにも、それを自分では解ききることができないことが一目で判りました。
 また、王子の体内にもおびただしいほどの悪魔の痕跡を見いだしました。しかも、それは子をなす精子であり、王子の体組織に入り込み、結合しようとしていたのです。
 悪魔の恐るべき能力の一つに、相手が雌雄どちらであっても、精子を残せば相手を同化させることができることです。最悪、子を成すこともありました。子を孕めば、その親たる者もその子に支配されます。もし悪魔と同化したり、悪魔の子を孕んでしまえば、いくら神の御技を持ってしても、助けることはできません。
 海神の遣いは、他の誰の目にも止まる前に、王子をこの国の外れにある館に魔法で飛ばしました。
 深い森に覆われた先、人が通れぬ断崖絶壁の下は深い海で地平線まで島一つ見えないそこが、あの生誕祭で定められた陸神と空神の力で守られる場所だったのです。
 王子がその館に入り、しばらくして海神の遣いの気配がその場から消えるとすぐに、館の塀に沿って鋭い棘を持つ荊が生え始めました。それは見る見る内に館を覆い尽くすほどに成長し、複雑に絡み合い、小動物や鳥すらも侵入できない強固な壁となりました。
 神の御技による壁は、天から注ぐ光も雨も通します。けれど、生きているモノを一切通しやしなかったのです。
 王子に対する説明──生誕祭の出来事と呪いのこと、そして遣いが言った訪問者のことは手紙で伝えられました。
 食事など生活に必要なことは、御技の助けにより自動的に行われるようになっています。また、御技によって守られた王子は、その日まで年を取ることは有りません。大切な若い月日を無為に捨てることにならないように施された慈悲でした。
 悪魔と交わった王子に課せられたのは、訪問者が来るまでたった一人で過ごすことでした。そうしないと悪魔に完全に支配されるとなれば、堪えるしか有りません。
 孤独に耐え忍べば忍ぶほどに、その先には幸いが待っているのだと、その言葉だけがより所なのだと、王子が知ったのはすぐのことです。
 それは、悪魔から離されたためにようやく心身が回復して理性を取り戻した日のことで、あの誕生日から一週間が経っていました。
 その日王子は、自分の身に起こった様々なことを、海神の遣いが書き残した手紙からようやく理解して、さめざめと涙を零し続けたのでした。


後編に続く