服部の耳元に家城が口を寄せ、何か話し掛けている。 その触れんばかりの所で、家城が随分と楽しそうに笑みすら浮かべているのが判る。 鉄仮面とすら評される家城だ。啓輔と休憩に来ている時ですら、そんなことはしたことがない。 なのに今は、周囲に見せつけるように随分と親しそうだ。 それに対して俯いている服部の仕草は、啓輔からすればどきりとするような可愛らしさで……。 竹井のみならず、それに気付いた数人が密かに窺っている。 ひそひそと漏れ聞こえる言葉が二人の事を揶揄しているように聞こえた。 何やってんだよぉっっ!! 叫びたくなった言葉を必死で飲みこむ。 少なくなったとは言え、まだ10人ばかりの人間がいる。少なくとも、家城は男がいいんだよーなんて思わない人達ばかりとは思う。だから、ただ異常に親密だなとは思う位だろう。啓輔と同じテーブルについているメンバー以外は。 そんな中で叫べば、次の日までに今まで以上にやばい噂が一斉に広がるだろう。 やば……。 ふうっと躰の中にある苛立ちを消し去るように大きく息を吐くと、そんな二人から視線を外した。 家城が何かを企んでいるのは知っているのだから、目くじらを立てることではない。だいたい家城自身がそう言っていたじゃないか。なのに、それに動揺してどうする? 信じろ、と言われたじゃないか? 「いい雰囲気だね」 吐き捨てるように言った竹井にちらりと視線を送ると、啓輔は何とも答えようがなくて曖昧な笑みを浮かべる。 しかし、まさか会社で仕掛けるとは思わなかった。 何かをするのは知っていた。 あの信じろと言う言葉から、ある意味想像できたことかも知れない。 だけど、こんな衆目を集める場所で……よりによって、この人達を相手にしている前で……。 まあ……俺と竹井さん達と一緒に休憩取るはめになるなんて、家城さんだって気づきゃしないだろーけどさ。 タイミング……最悪……。 がくりと落ちる肩。気怠げに頬杖をついて家城からも竹井からも視線を外す。 さっき言われたばかりだ。あの金曜日のメンバー方から。 俺と付き合いだしたから、大人しくなったって。その歯の根も乾かない内に、それ否定するようなことされちゃ、彼らだってまあいい気はしないわな。 「隅埜君、何かあったのか?」 安佐が心配そうに問いかけてくる。 ああ、もう。放っていて欲しい。 無視したかったが、また何か突っ込まれると嫌なので適当に言い放つ。 「何かって?別に何もないですよ」 ちくしょっ!損な役回りだ……。 にしても……。 どこかざわざわと不快な感情が湧き起こるのは止められない。 家城の心が自分にあって、服部の心は梅木に向けられていると判っているのに。 つまらぬ嫉妬だと……判っていた。 家城が信じろと言ったのだ。信じる……彼の心は啓輔のモノだと信じてはいる。 金曜日に啓輔が取った軽はずみな行動が、他人を巻き込む家城の嫉妬となったのだから。それを思えば、彼が啓輔から心を移すことはないと信じられる。 だけど、理性と感情は別物なんだと、こんな所で気付いてしまった。 あんまりあんな二人を見ていると自分が制御できなくなりそうだ。 「まあ、何かあったなんて当人同士の問題だとは思うけど……あれは会社で取る態度じゃないだろ?」 相変わらず竹井が毒づいている。確かに見ている分には当てつけられているようでいい気はしないからその言葉には頷かざるを得ない。 そうだよな?これって酷いよな。後でたっぷり文句言って良いよな。 啓輔はぎりりと奥歯を噛み締めた。 こんな所でする態度じゃないってさ。 そりゃあ、俺達は家城さんが男もOKって知っているから、そういうふうに勘ぐってしまうのだけど、あんたらの雰囲気って普通の人たちにも何となく判るんじゃないかって思う。 と、ふと頭に浮かんだ考えに啓輔はぞくっと背筋に寒気が走った。 もしかして……実は仕返しが続いている? ……。 やっぱ家城さんをコントロールなんて俺には無理。 なんか、こえーよなあの人。頭いい人ってこんなにも何するか判らんものだろーか?俺なんかには家城さんが何考えてるか読めねーもん。 ああ、もう好きにやって貰うしかねーよな。 「当てつけているみたいだ」 安佐がぽつりと言った。 「あてつけるって誰にさ?隅埜君にかい?」 「ほら、金曜日の不機嫌な理由が実は解消されて無くて、それで当てつけているのかも……」 ちょうど思っていたことを安佐に言葉にされて、どくんと心臓が高鳴った。 それを誤魔化すように笑う。が。 「目が笑っていない」 竹井がにきっぱりと言われた。 こ、この人は……。 どうにかして誤魔化したいと思うが、なぜか執拗に拘ってくる。 もーいいじゃん。 俺が割り切っているというのに。 「隅埜君、心当たりがあるんだ。だから誤魔化そうとしているだろ」 うっ……。 「竹井さん……隅埜君困っていますよ。二人の問題なんだから、放っとけば……」 「ばかっ」 押し殺した声ではあった。だが啓輔ですら、びくりとその言葉に反応するほど声音がきつい。 「お前、あんなにぼろくそにあいつに言われたのに、元をただせばこいつらのせいなんだぞ。それで放っとけるのか?また、あんな目に遭いたいって言うのかよ」 「それは嫌です。でも、隅埜君だってこんな事で責められてもどうしようもないでしょう?問題は家城さんの態度なんだし。彼だってショックなはずだし……」 ショック? 誰が? というか、何でこの二人はこんなところで言い合いを始めるんだ? 「何だよ、じゃあ安佐君はこのままでいいのか?それでなくても家城君に会う機会が多いのに、いっつもそうやってびくついていたら仕事にならないだろ?今日だって、何だかんだといって行かなきゃならないのを引き延ばしているじゃないか」 「あ、あれは、わざとじゃなくて、ほんとにデータがまとまらなくて……。中途半端に行っても家城さんは引き取ってくれないから」 さすがにムッとしたのか、安佐の声音もきつくなってきた。 うっわ〜、やだよ、これって。 どこか険悪なムードが3人の周りに漂っている。 「またかよ。いつだってそんなんだから、いつまでたっても家城君に舐められるんだっ!」 「くっ!」 それまでなんとか竹井を宥めようとしていた安佐の表情が見る間に強張った。 きつい視線が竹井を一瞥すると、ふいっとそれを外した。 窺った横顔が悔しそうに歪んでいる。 「俺、仕事戻りますから」 食いしばられた歯の隙間から漏れたような言葉が竹井に向けられた途端、竹井の顔が歪んだ。だが、安佐はそんな表情に気づかない。さっさと席を立つと食堂から出て行ってしまった。 竹井の視線が茫然とその後ろ姿を追いかける。 ひどく後悔しているようで、奥歯を噛み締めているのだろう。 その歪んだ口元からぎりりと音がしそうなほどだった。 ここもかよ……。 どうして、こうトラブルが多いのだろう? 梅木に言わせれば、服部がこんなふうに思い詰めたのは俺達のせいだという。 竹井達がこんなことになったのも、それは自分達のせいだとは理解は出来る。 もしかして……やっぱ俺達がトラブルメーカーなんだろうか? 「はあ……またやった……」 ぽつりと漏らされた言葉にはっと竹井を見遣ると、伏せられた目がまるで泣きそうに見えた。 「どうしてこうなんだろう。あ、ああ、君のせいじゃないから。どうもさ、ここんとこぎくしゃくしていたから、余計に家城君に突っかかられただけだとは判っているんだ。どうして、俺達ってこう乗せられ易いんだろう」 さっきまでの怒っていたのは一体どこに消えたんだろう。 呟く言葉も啓輔に聞かせると言うよりは、独り言に近い。テーブルの上にある二つの拳がきつく握りしめられていた。爪の色が白くなっている。 「ごめん」 何か言おうとした途端、竹井が席を立った。 そのまま踵を返すと、あっという間に去っていく。 「あっ、ちょっと!」 泣きそうじゃんか! 歪められた横顔からそう思った啓輔も慌てて席を立った。 足早に去っていく竹井の跡を追いかけて食堂から出ようとした。と、はたと足が止まった。 「っ」 漏れかけた言葉を、口を掌で塞ぐことで慌てて口の中に閉じこめる。 梅木、さん……。 梅木は、眉間に皺を寄せその細められた目は食堂の中の家城達を睨むように見つめていた。 そこに啓輔がいるのに気づいていないようだ。 ど、どうしろっていうんだよお! 竹井も気になるが今の梅木もやばい。やばいついでに、声もかけたくない。 啓輔は一瞬の逡巡の後、竹井を追いかけることにした。 どっちもできれば放っておきたい雰囲気だったけど、それでも無視するわけにはいかないだろう。 あんな怒りも露わにしている梅木など、相手にしたくなかったから。 ちょっとした間に、竹井の姿は消えていた。 階段の踊り場で啓輔は所在なげに佇む。 竹井って人、結構感情的なんだな。 さっきまで怒っていたのに、安佐が怒った途端、泣きそうな表情へと変化した。 あんな顔、見せられるとは思わなかったから、思わず追いかけてきたけど……でもこういうのって追いかけてもとうしよーもないんだよな。 俺なんかが何言ったって駄目だろうし。 二人の問題か……。奇しくも安佐が言っていた言葉が脳裏に浮かび上がる。 「安佐さんに連絡だけしとこーか。竹井さんが泣きそうだったの気づいていなかったみたいだし」 はああ どうしてこう厄介事ばっかり起こるのか? 啓輔は自分の方こそ泣きたい気分だった。 |