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ONI GOKKO
〜アベック鬼ごっこ〜 8
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 家城が一体何を企んでいるのか、啓輔にはとんと見当がつかない。
 だが、もう時間がない。何とかしないと……。
 焦りが湧き起こるのは、目前の服部の様子のせいだろう。
 服部の目の下にあるうっすらとした隈。その疲れ切った表情は、眠れていないせいだろうか?
 そのせいかも知れないが、朝からずっとぼーっとしているようだった。
 それに気付いてから、密かに様子を窺っていると、確かにその作業の手は何度も止まっている。作業の手が止まっているから、ディスプレスも同じ画面から動かない。しばらくして、ふっとスクリーンがブラックアウトする。省電力モードか働くからだ。それに気付いて、ようやく服部の手がキーボードやマウスを操作する。さっきから、それの繰り返しだ。だから、作業効率がすこぶるつきで悪い。
 いつもならとっくの昔に終わっている事務処理がいつまでたっても終わらない。
 まじーわ、これ。
 前にノイローゼにまでなったと聞いている。
 それからも判るが、服部は考え込んだらどつぼにはまるタイプだ。
 普通だったら、そういうストレスは何かで発散すればいい。
 過去の啓輔にとって、繁華街でのいろいろな行動だった。それが今や、家城とのセックスになっているような気がするのは……おいといて……。
 至極真面目な服部はどうやらぱーっと発散するような趣味は持ち合わせていないらしい。
「服部さん、俺これを配布してきますね」
 このまま服部の指示を待っていると仕事が一向に進まないので、啓輔はがたりと席を立った。その手に特許公報の配布用紙束を持ち上げて、服部の目前でひらひらとさせる。
 さすがにそれには気付いて服部が顔を上げた。
「ああ、いってらっしゃい」
 だが、視線があわない。
 ぼそぼそと呟くその姿は、見ているだけでこっちの気分まで暗くなる。
 もともと明るいとは言えない。だが、啓輔の冗談にくすくすと声を押し殺して笑う姿は、ほっとするような和やかな雰囲気を持っている。
 そんな所が気に入っていたのに、それが今はない。
 啓輔は、ふうっと息を吐くと部屋を出ていった。
 多量の紙の束を抱え直し、開発部へと向かう。
 困ったな……。
 はっきり言ってあの状態は、啓輔の場合よりひどい。
 啓輔とて、悩みや苦しみを抱えた高校生活を送ってはいた。だが、事の善悪は別として、たまった鬱憤をはらす場所を持っていた。
 だが、服部は……。
 とにかく何とかしないと……。
 だが、いい案は浮かばず、ため息しか漏れない。
 てくてくと歩いていくと近い位置にある開発部の部屋はすぐに辿り着いてしまった。工場の中でも大所帯を抱える開発部。しかもその仕事上の関係で事務所に席が必要な人間が多いせいで、もっとも広い事務所を保有している。
 だが、実質的には、そこにいる人間は少ない。
 医療材料チームのエリアに向かってみたが、そこには誰もいなかった。
 梅木の席も、空いている。
 文句の一つもいってやろうと思っていたが、いないのならしょーがない。
 ふと気がつくと、スケジュールボードに1日の会議予定が貼ってあった。
 どうやら今日は医療材料チーム全員参加の月度報告会らしい。そうなると、梅木を捕まえるのは今日は難しいだろう。
 しょーがねーな……。
 啓輔は諦めて、他のエリアへと向かった。
 服部は、なんとかして慰めるしかないのだろう。
 とにかくあれ以上どつぼに陥るのだけは何とかしないといけない。
 つぎつぎと配布していき、電気化学チームの席へ順番に配布していって終わり。
 と。
「あ、隅埜君、ちょっと待って」
 突然声をかけられて振り向くと、滝本が机の上をがさごさとひっくり返していた。
「はい?」
「これ、ついでに持っていってくれる?」
 差し出された書類を受け取ってみると、配布した資料の返却分だった。
 それもここに来る目的だったので、頷き返す。
 だが、それを渡した後も滝本が眉間に皺を寄せて啓輔の事を窺っているのに気が付いた。
 一瞬、逡巡しているかのように視線が彷徨う。だが、すぐに啓輔をじっと見据えると、手招きした。
「はい?」
 それに従って近寄ると、滝本が声のトーンを落として話し掛ける。
「あのさ……家城君さ、今日どんな様子?」
 様子?
 質問の意味が分からなくてきょとんとしていると、滝本が苦虫を噛み潰した様子で言葉を継いだ。
「ほら、金曜日にね、同期で飲みに行ったんだけど……家城君、ひどく荒れていてさ。う〜ん、荒れているというか、誰彼構わずつっかかるっていうか……で、どんな様子なのかなあって」
 金曜日……って、あの日か……。
 あの日の事は苦笑いを浮かべるしか表現のしようがない。
「特に、安佐君がこてんぱんにやられていてさ……家城君、口は達者じゃない?だからね何の反論もできなくて……とうとう、傍観を決め込んでいた竹井君までさすがに割り込んできて大喧嘩だよ。も、ね、酷かったんだから……。隅埜君は何か知っている?」
「え、ええ、まあ……でも今日の機嫌は良かったですから、もう大丈夫なんじゃないですか?」
 あの時の問題は、その日の内に解決してしまったのだから。
 けど……あの家城の攻撃に曝された安佐さんって……気の毒。
 さすがにそんな事を思ってしまう。
「機嫌治ってた?そりゃ、良かった。だけど、竹井君達はかなり怒っていたから、そっちの方が心配でさ。笹木もそっちが心配だって言ってたし……。家城君の方から謝るんならなんとかなるかも知れないけど……家城君ってそういうタイプじゃないだろ?」
 確かに……なかなか自分から折れそうにはない。
 俺のせいなんだよなあ。
 まあ、仲が良すぎるのも嫌だけど、だけど、友達なのに仲違いってのも申し訳ないかなあ。
「笹木が言うには、家城君の荒れている原因って、その……相手のせいみたいだって言ってたから……それで、君なら何か判っているかなあ、と……」
 ちらりと上目遣いに啓輔を見る滝本に、啓輔は何のことだと首を傾げ、はたと気づく。
 え……あれ?
「あの……ご存じで?」
 いっつも休憩に一緒だから、その様子を聞かれたのかと思っていた。
 だが、滝本の言葉の様子はどうもさらに奥まった部分を突っ込んでいるような気がする。
「ご存じも何も……新人歓迎会の時に酔っぱらって眠った君を家城君と一緒に介抱したのは私なんだ。その時に家城君が言っていたからね。まあ、それが無くても、最近の家城君見ていたらねえ……いくら私でも気づくよ」
「は、はあ……」
 って……ちょい待て。
 あの歓迎会って……緑山さんにばれちゃった日だよな。
 ああっ!そう言えば、この人、傍にいたっ!
 も、もしかして。
 啓輔の引きつった顔を見て取った滝本が、ため息をつく。
「何もかも知った上で家城君が君がいいっていうんだから、私は別にいいんだけど。というより、彼が片づいてくれて心底ほっとしているんだ。決して悪い奴じゃないんだけど、あの言動にはついていけないところがあって……実を言うと困っていた。だから君みたいな人が現れて、しかも受け止めてくれてるみたいだから、少しは落ち着いてくれるかもって思ったんだけどなあ」
 はああっと大きく息を吐かれても、啓輔には苦笑いを浮かべるしかない。
 だいたい、あの家城に敵う相手がいるのか?
 俺が制御できると思っているこの人の方が不思議だった。
「でもね、普段落ち着いているように見えたんだけど、なんかこの前みたいに荒れているときの家城君が情け容赦なくなっているというか……はっきり言って、ああいう家城君とは付き合いたくないくらいだったよ」
「はあ……」
 まあ、あの調子だとそうとう迷惑をかけたんだろうけど……しかも原因は確かに啓輔にある。
「でも、そんな事言われても……俺だってどうしていいか判らないんですよ。それはまあ、原因を作らないようには出来るかも知れないけど……でもさあ、家城さんって気が付いたら怒っているというか……」
 しかも静か〜に怒るから、最初気づかない。
 金曜みたいに、家を尋ねて初めて変だと気づいた位だ。
「あの……それで安佐さん達は大丈夫だったんですか?」
 あの家城の攻撃をまともに受けたという相手が気の毒にすら思える。
「どうかな?今日はまだ逢っていないけど、生産技術の部屋にでも行ってみたら様子が分かるんじゃない?竹井君って不機嫌だと態度にすぐ出るから」
「はい」
 頷いてはみたものの、そんな藪をつつくような真似はしたくない。
 どうも竹井って人は怒っているところしか見ていないような気がする。
 あんな相手とは関わりたくないって思うのは、普通だろうって思うし。でもま、家城さんも、あそこまではっきりと態度に表してくれると、楽なのに……。
 黙ってしまった滝本が僅かにその顔を歪めた。
「あの……」
「家城君のこと……頼むよ、ほんと。君の方が年下だから、うまく操る、なんてこと無理かも知れないけど、たぶん君にしかできないことだからさ。あいつ……君以外心を許せる奴がいないんじゃないかなって、私たちは思っているんだ。だから、ね」
「俺しか?」
「そう」
 その言葉を信じて良いのだろうか?
 心を許せる人間が一人でもいるってことが、どんなにも気を楽にしてくれるか、啓輔は経験で知っている。
 自分が、家城にとってそういう役目を負えるのなら、こんなに嬉しいことはないと思う。
 だが、果たしてあの家城を受け止めきれるのだろうか?
 なんだかいろいろと言われて頭が煮詰まってきた。
 頭ん中が飽和状態になっている。
 ちょうど滝本宛の電話が掛かってきたこともあって、啓輔は滝本にぺこりとお辞儀をすると、その場を離れた。
 
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