「無茶ですね」 見上げる先にいる家城が素っ気なく言い捨てる。 啓輔はじとっとその表情を恨めしげに見つめた。 「だってさ、約束したんだ」 気怠げにソファの上で身動ぎながら、なんとも言えぬ痛みが落ち着くのを待つ。 啓輔はいつも家城が座っているソファに身を委ねていた。 動かないのだ、躰が。 力を入れようとすると痛む腰。だるい体は未だ熱を持っているようだった。 目覚めても自らシャワーを浴びることすらできない啓輔を、家城が運んでシャワーを浴びさせ、着替えさせた後、ここに連れてきた。 夕食も食べずに家城を待っていた啓輔は、そのまま事になだれ込んだせいで昨夜は何も食べていない。 啓輔の体内では、性欲や睡眠欲より、今は食欲が満たしてくれと暴れていた。 家城が用意したトーストにコーヒー、目玉焼きをかき込みながら、服部のことを話したのだが……。 「でも〜、服部さんが可哀想なんだよ。だって、やっと好きになったんだぜ。好きになったから抱いて欲しいって言ってんのに、その相手に拒否されるんなんてさ。それを言うのだって、すっごい勇気いったと思うのに……なのにさあ、あんな結果なんて……可哀想だよ」 「それでもそういうことは当人同士が何とかしないといけないことですよ。他人がちょっかい出しても、上手くいかないかも知れませんし……こじれるかもしれませんし」 確かにそうだとは思う。 だが……。 「俺、あの二人の悩み事相談係なんて嫌だよ。なんでか、梅木さんも服部さんも俺には話すんだよ、そういう事。俺、そーゆーの、やだ」 それでなくても自分の事で手一杯だというのに、何で他人のことまで面倒見なきゃいけないんだ。 「ですが、なかなか難しいですよ。もしそれで拒絶されたら、服部さんはもっとショックを受けるでしょうし……話を聞く限りでは、彼は精神的に弱いところがあるようですが……」 首を傾げる家城。 口では気乗りしなさそうでも、結構真剣に考えてくれているのが嬉しい。 俺しか知らない家城さん。 ふと、その頬に向かって手を伸ばす。 「でもさ、こと梅木さんのこととなるとあの人凄いよ。必死なのかも知んないけど、すっごく感情的になる。怒った服部さんって怖いんだけど、その原因ってたいてい梅木さんなんだ。他の人が何しても、何言っても、いっつも笑っているような人だからね。それだけ梅木さんにだけは心許しているって感じするし……。俺、間近であの二人見ているからさ、だからかな助けてあげたいって思う。だからさあ」 伸ばした手で家城の頬のラインを撫でる。身じろぎ一つしない家城は、黙って啓輔を見下ろしていた。 「手伝ってよ。俺、あの人達何とかしたいんだ。だってさ……」 「何です?」 掠れた声が家城の口から漏れた。それに気付いて啓輔はくすりと笑みを漏らす。 家城が慌てて口を噤むが、啓輔ははっきりと気付いてしまった。 遅いって……。 頬に添えた手に力を込める。 その手の意志に気付いた家城が頬を赤らめる。 なんでだろう……こいつって、今俺が動けない原因を平気で作った人なのに……なのにこんなことで赤くなる。 俺が触れただけで、赤くなる彼を可愛いと思うのは、もうどーしよーもない。 だから……入れたいって思うのに……。もっと朱に染めて、俺の下で悶えさせたいと思う。 啓輔の手に引き寄せられるように家城が腰を屈めた。 「純哉……」 呼びかけた途端にふわっと上気する顔に、昨日の鉄仮面が重なる。昨夜は名前で呼んでもこんなことにはならなかった。それだけ、怒っていたんだ。 啓輔は家城の唇にそっと口付けるだけのキスをした。 あんたってさ、ほんと……俺だけには感情的になるだろ。 そんな所、結構服部さんも似ているんだ。だから……判る。 それだけ、家城さんが俺に心を許してくれているってさ。そんで、服部さんもそれだけ梅木さんに心を許してるって判るから……。 俺、あの人のこと、好きだよ。 恋人とか抱き合いたいとか言うんじゃない。人として好きだ。 傍にいるとほっとする。 だから、いつだってあの人には笑顔でいて欲しいって思うんだ。 啓輔は、至近距離の家城の顔に笑いかけた。 「服部さんは、結構世話になってるから。俺としては、梅木さんの意志より服部さんの意志の方を優先したいわけ。それに、これで上手くいけば、あの人達に借りを作れるんじゃねーの」 「借り、ですか?」 ふっと家城が何かを探るように啓輔の目をじっと見つめた。 「な……」 言葉を発しようとした途端、家城の口に塞がれた。 今度は触れるだけではない。 するりと入った舌が、口内を探り啓輔の舌を捕らえる。絡み合った舌がせめぎ合い、口の中を暴れ回った。 「ん……」 だが、啓輔の喉から声が漏れた途端、すうっと家城の唇が離れた。 「嘘つき……」 その口から囁かれた言葉に、目を見張る。 「何?」 「借りを作ろうなんて気、ないですよね、啓輔は」 きっぱりと言われた。 何で? 視線で訴えると、その先で家城がふっと口元に笑みを浮かべた。 「啓輔は服部さんを気に入っているでしょう?だから、彼にあなたが味わった失恋っていうものを味あわせたくないんですよね」 くすりと笑う家城に、嫉妬に狂った様子は微塵もなかった。 酒を飲んだ家城の姿が本音だとしたら、これは仮面を被った姿なのだろうか? だとすると、俺はひどい事を頼んでいるのかも知れない。 だけど。 啓輔は苦笑いを浮かべて、家城の胸に頭を預ける。 「……ばれた?」 苦笑いを浮かべる啓輔の頭を家城はそっとなでる。 子供みたいだとは思うが、でも心地よいからそれにうっとりと身を委ねる。 目を閉じていると、そのまま眠ってしまいそうな心地よさ。 「ま、私としても、彼が梅木さんとひっついてくれた方が安心できますからね。確かに彼は可愛いですから、啓輔が惹かれるのも判る気はするんですよねえ……困ったことに。ですから、手伝います」 突然家城が手を止めた。 啓輔の顔を覗き込む。 「その代わり、私が何をしても信じてくださいね。一つだけ案があるんです」 「何?」 信じて、という言葉に、何をするのだろうと不安になる。 だが、家城はそれに応えず僅かに微笑むだけだった。 「なんだよ、それ?」 「それは当日のお楽しみと言うことで……ま、啓輔に言うと反対されそうですし……」 「そんな……」 くすりと笑う家城。 だが、啓輔は面白くない。 俺が反対するようなことって何するつもりだ?それに信じられなくなるようなこと? なんだかひどく不安で、気になって仕方がない。 「そんなの嫌だ……気になってしようがないじゃないか」 「それでも、啓輔が言い出したんですよ。服部さん達を仲良くさせたいってね。それなのに文句を言うんですか?」 「だってさ……」 俺、家城さんみたいに頭良くねーから……それがどんなことなのかぜっんぜん判らねー。 むすっとして家城を上目遣いにして睨む。 「そんな顔して見られても困ります。なら、服部さんの件、止めましょうか?」 別にかまいませんよ。 目がそう言っていた。 啓輔はぐっと言葉を飲みこむ。 服部の泣き笑いのような表情が脳裏に浮かぶ。 家城にはああ言ったものの……実は、結構欲情してしまったのだ。あの表情に。 やばいじゃねーか……俺って。 すっかりホモの道にはまってしまった啓輔は、やっぱり男に対してしか欲情しなくなってしまっていた。これはこれで厄介なことで……。 やっぱり、俺って欲求不満……なんだろうなあ。 こんな腰が立たなくなるほど犯られてるっていうのに……それなのに……外の男に欲情してしまうのだ。 まじーから……だから、やっぱり、服部にあの表情をさせてはならないって思う。 まあ、失恋させたくないってのもあるけれど……啓輔の場合、自分自身をも助けたかった。 あんな昨日みたいな家城さんはごめんだ。 ちらりとキッチンに視線を移すと、片付けられた床には破片はもう転がっていない。 すっげー、意地悪……。 啓輔はため息を付くと、家城に向かって頷いた。 「判ったよ……家城さんに任せるから」 啓輔の言葉に家城はその口元に微かな笑みを浮かべ、言った。 「信じてくださいね」 |