良い子-悪い子 4

良い子-悪い子 4

 深い、光も指さない深淵で蹲っていた。
 ズルズルと滑る粘液が全身を覆い、呼吸をする度に、焼かれるような温度が体内を焼いた。
 ズキズキとした痛みと這い回るざわざわとした感覚に、思考がかき回される。
 自分が何をしているか考えることもなく、胎児のように丸まって体内にわだかまる熱の塊が消えるのを待つ。
 いつまでもいつまでも。
 誰か、消してくれる、誰か。
 この熱から解放してくれる、誰か、を待って。
 ただ、時が過ぎ去るのを待っていたけれど。


 冷たい刺すような痛みが連続して全身を襲い、意識が一気に覚醒した。


「これが? ココ?」
 威風堂々とした男の部屋に運び込まれたのは、大型犬用のゲージで。
 汚れのこびりついた金属製の檻の中に、汚らしい体液にまみれたモノが転がっていた。
 その四肢は縮こまり、身体は丸められ、ヒイヒイと荒い吐息を繰り返している。
 それに側近の一人が氷が浮いた水を浴びせたとたんに、その意識が覚醒したようだ。
「あ、が……」
 それでも何が起きたか判らないようで、淀んだ視線が中空を彷徨い、濡れた頭を振って滴を落としている。
 その檻に近づいた男がその顔をのぞき込み。
「サルではないのか?」
 奇しくも、あの日のキリーと同じ意味のことを言い、側近達に振り返った。
 その表情に浮かぶのは、狡猾な笑みだ。
「ボスがサルというのであれば、サルでしょう」
 応えたのは第一の側近であるベイルーフで。
 この組織において、ボスが正なら正でしか有り得ないと、ベイルーフが賛同する。
 といっても、男もベイルーフも、これがココだとは判っていた。
 だが。
「汚らしいメスザルだ」
 クックッと喉の奥で嗤い、蔑みの視線で見やる。
 その姿に、そして周りの雰囲気に、メスザルといわれた彼の瞳が徐々に大きく見開かれ。
「ひっ、あ、ぁぁぁっ」
 枷をつけられた口から悲痛な声が細く長く零れた。
「おや、私を知っているのかな?」
 わざとらしい物言いに、ガクガクと震えだしたココは、逃れるように背後の金属柵に縋り付いた。けれど、狭いゲージの中では、逃げるところなどない。
 性欲に煽られ続け、行きすぎた快楽の中で地獄のような苦しみに追われていて。心身ともに限界に陥っているココには、男が企んでいることなど判らない。
 ただ、男が口にした言葉だけが、今のココにとって真実だ。
「しかし、サルなど飼ったことなど無いな」
 立ち上がり、先ほどまで座っていた革張りのソファーに座り、両手の指を絡めた上に顎をのせた。
「はい、私も存じ上げません。ボスがお買いになられていたのは、ココという奴隷だけですが」
「そうだな、ココだけだ。まあ、確かにココと言われれば、ココに似ているな。これは誰が連れてきた?」
 ぐるりと、周りの側近達を見渡せば。
「私の古い知り合いがメスザル・ディード・バイタという名で売りに出していたのを見つけて、連れてこさせました」
「ディード? ココという名では無いのか?」
「はい」
 言われた名に、ココの身体が激しく震えていた。
 一ヶ月の間、ディードのフルネームとしてその名とともに浴びせられた侮蔑と罵声が甦り、恐怖に陥れているのだと、ここにいる者は知っていた。
 この一ヶ月の間、ココが外でどんな目に遭ってきたか、ベイルーフの知り合いと言った者達が、逐一映像で知らせてきていたのだから。
 だからこそ、容易に想像できるのだ。
 ココは今後その名を聞く度に、家族に呼ばれた幸せの時ではなく、この一ヶ月間だけを恐怖とともに思い出し、その名を拒絶するだろう、と。
 あの日、ココが男の元を去った日、ベイルーフはココの後を追わせていて。彼が出会った者達がどんな者達か知っていても放っていた。そしてあの一ヶ月の間、ココが味わったことは、すべてベイルーフがキリーに渡したリストに書かれていたことで、その内容は側近達ならば皆知っていた。
 そんなことなどおくびも出さずに、皆、あえて知らない振りをして、ココの反応を愉しんでいた。
 ご主人様が与えた名を持つお気に入りだったくせに、愚かにもその地位を捨てた奴隷の行く末を案じるものなど一人もいない。
「顔写真がココに似ていましたので……。ただ、売り物でしたので、連れてこさせるには二束三文とは言え、買い取る必要がありました。まあ間違っていても好事家くらいには転売できますので、損はしません」
「ああ、動物相手のセックスが大好きな変態は少なからずいるからな。そういえば、奴隷の性欲処理のために、毎月のように犬や……蛇、サル、牛、馬を購入してはすぐに死なせる奴がいたが。そいつならば、どんなものでも購入するだろう。それに、あれは珍しい動物をいつも探しているからな」
 目の前の会話が理解できているのだろう。
 先ほどからココは、悪かった顔色をさらに白くし、怯えたように何度も首を横に振っている。
 ボスの奴隷というすばらしき待遇を拒絶したココは、組織にとりさらに格下の存在となったことに、ココはまだ気づいていない。だから、その縋るような視線に、返すのは侮蔑の視線だけだ。
「さっそくコンタクトをとりましょう」
 ベイルーフの言葉に、ココが慌てて男がいる側の柵に近寄り、隙間から手を伸ばす。
「あ——、あぁ——、あうあえ——」
 ボロボロと涙を流し、助けを請うように手を伸ばして。
 蒼白な中で必死の表情で意味の取れない言葉を叫び続ける。
「あえ、——うあおーあ——っ!」
「ふむ?」
 何度も繰り返される音は、明らかに意味を持って発せられているのだろうけれど。
 男達には判らない、ことになっていた。
 さんざん叫び、喉が枯れ始めた頃
「何かを言いたそうですか……しょせんサルの言葉など分かりませんね」
 ベイルーフが肩をすくめて、懐から携帯を取り出して。
 ココの表情に絶望に満たされた、その時。
「いや、これはココにしよう」
 あっけなく、男が前言を撤回した。
「ボス?」
「ああ、前のココだと言っている訳では無い。ただ、ココに似ているこのサルを、少し飼ってみようと思っただけだ」
 にこりと浮かべた笑みは、先ほどまでの冷たさは感じられない。
「それに、一見サルだが……よく見れば四肢は人のそれと似ているし、身体の毛は少ないしな。それにある程度の知性もあるようだ」
「確かに、サルよりは人に似ていますな。だが、あの格好ではサルより汚らしい」
「洗って栄養価の高いものを与えれて。髪型も整えれば、姿形は似ているからもっとココに似るのではないか?」
 側近達は、二人の行う猿芝居に噴き出しそうで、顔の筋肉がひくついている。
「だとしたら、しばらく飼ってみるのも面白いのではないかと考えたのだ。そのうちに、ココのような良い子になるかもしれないし」
「メスザルが人の知性を持つとは思えませんが、どのようにされるおつもりで」
「人はルールを守る生き物だ。このメスザルが課せられたルールを守れるならば、それは良い子だとして奴隷のココのように扱ってやろう。それまではメスザル・ココのままで飼う」
 もう二度と人としては扱わないと言っているようなものだ——と周りの者達は思ったが、決して口にはしない。
「それでは、名はココで、お飼いになると言うことで?」
「ああ、ココのような良い子になるように、とね」
 その言葉に。
「あ、あひあ—っ、ああおーおあおう——っ」
 先とは違う声音で、ココが泣く。その瞳に宿る感謝の念は、すべて男へと向けられていた。
 知らぬ輩に売られるよりは、ここのボスに飼われる方が良いと思っているのだろう。
 しかも、ここで人としてルールを守れば、奴隷に戻れるのだ。メスザルではなく、奴隷の方が待遇が良いのは、明白だ。
「おやおや、可愛い声だね。本当に、あのココによく似ていて、良いご飯に肌を手入れさせて、そっくりになったらココと間違えそうだなあ」
 優しく、けれど、実はとても愉しそうに、男はココに声をかけていて。
 ココもずいぶんと喜んでいるようだ。
 あの地獄の一ヶ月に比べれば、ボスの下にいた頃は格段に良い待遇で。あれに比べれば天国のようなものだろうから。
 だが。
 そんなココの姿に、ベイルーフはこっそりそっぽを向いて噴き出した。それは、他の側近達も同様で、震える肩がすべてを物語っている。
「ベイルーフ、準備をしてくれ」
「はい、かしこまりました」
 突然のボスの申し出に、ベイルーフは咄嗟に顔を戻して、真面目に頷いた。
 男も側近達の反応が分かっているから、その辺りは寛容だ。
「それと、例のものはなかなか良いできだった」
 突然の褒美の言葉に、ベイルーフは目を瞬かせ、すぐに彼がキリー達に渡した一ヶ月間のメスザル・ディード・バイタの世話の仕方のリストのことだと気がついて。
 黙して感謝の意を表して、頭を下げる。
「あれをこの屋敷流に手直ししたもので良いだろう。明日から頼む」
 あれにはゲームや売春なども含めて事細かに決めていたが。
 その項目は外して。
 リストの存在すら知らないココは、二人の話の内容が自分に関わっているとは思いもせずに、いまだに嬉し泣きをしているけれど。
「はい、それでは、若干の手を加えまして実施しましょう」
 その命令が、間違いなく翌朝から実施されることを、疑う者はこの場には誰一人いなかった。


 ココの世話に対するルールのリストは翌朝に公開、即開始された。 
 
 
 1. ココは、人と認められるまでこの屋敷でメスザルとして扱う。
 2. 部屋から外に出すときは、必ず引き綱を用い、一匹では出歩かさない。
 3. ココ用の首輪とアクセサリーは常時身につけさせる。
 4. 毎日、朝晩、中庭を10周以上散歩させる。
 5. 排尿は、中庭の一角にしつらえた専用の排泄場で行う。
 6. 糞は朝晩二回浣腸を用いて、中庭の排泄場でさせる。
 7. 餌は朝昼晩 三回与えること。餌皿・水入れは専用の机に置く。
なお、餌や水を与えるときは、必ず「待て」をさせ、許可された時以外の飲食を禁止する。
 8. おやつの回数、与え方の方法は特に制限しないが体型には気をつける。
   なお、食べる前に、「待て」をさせ、許可してから食べさせる。
 ……
 これらのルールを自ら率先して行えるようになったとき、奴隷の地位に格上げすることとする。 
 それを覚えさせるための処罰は、禁じない。
 なお、衛生上、ブジーは排尿後、アナルプラグは食事前に必ず交換する。その際に使用する潤滑剤には、「グリーン・エデン」グレード1を10%配合する。
 ……



 だが、男たちはたいそう忙しい。故に、専属の世話係「テン」に任せられることになったのだ。
 そう、彼らは誰もがいつでもたいそう忙しい。
 だから、彼らがこの屋敷に顔を出すことは滅多になかった。
 この屋敷は、もとより緊急時の予備の場所だったから、通常わざわざこんな辺鄙なところまで訪れることなどないのだ。だから、あのログハウスに行った回数より少なくても不思議ではない。
 それこそ特別なことでもない限り、ここは使われないのが普通だった。
 実際、今現在常駐しているのは、世話係の他には十数人の屋敷のガード兼召使い達だけで。
 何かあったときの屈強な兵隊でもある彼らは、この屋敷の維持・管理に己の鍛錬に日々を費やしていた。
 だから、ココの世話の人手が足りないときは、彼らが行うことも多かった。



 そんな状況だから、世話係の手によってリストの内容がいつの間にか変わっていることに、皆が気づかなかったとしても不思議ではないだろう。たとえ、予測はしていても、だ。

  1. ココは、淫乱でオスのチンポが大好きな万年発情期のメスザルであり、種付けは自由である。
  2. 部屋から外に出すときは、必ず引き綱を用い、一人では出歩かさない。また、引き綱を用いる時は、必ず四つん這いで歩かせる。
  3. ココ用の首輪とアクセサリーは、その淫猥な身体を喜ばせるために特別にあつらえたものとし、常時身につけさせ、交換時以外外すことを禁じる。
    なお、アクセサリーには体内に挿入するブジーやアナルバイブも含まれるが、アナルに限り種付け時は外しても構わない。
  4. 毎日、朝晩、体内のアクセサリーはMAXの状態で、中庭を四つん這いで10周以上散歩させる。
  5. 排尿は、中庭の一角にしつらえた専用の排泄場で行う。それ以外の場所での排尿は、禁止とする。
  6. 糞は朝晩二回浴室で冷水浣腸を行い、中庭の排泄場まで移動してから行う。それ以外での場所での糞は、禁止とする。
  7. 餌は朝昼晩 三回与えること。特に水分はタップリと与えること。餌皿・水入れは中庭の地面の板の上に置き、手や食器を使用することは禁止する。
 なお、餌や水を与えるときは、必ずチンチンの姿勢で「待て」をさせ、許可された時以外の飲食を禁止する。
  8. おやつは、奴隷のココの大好きだった精液のみとし、可能な限りたくさん、直接口で搾らせて与える。
   なお、飲み込む前に、必ずチンチンの姿勢で「待て」をさせ、許可してから飲み込ませる。
 ……
 これらのルールを自ら率先して行えるようになったとき、奴隷の地位に格上げすることとする。 
 いかなる理由があろうと、守れない時は徹底的に処罰する。
 なお、ブジー、アナルプラグ、バイブは食事前、排泄場に行ったときに必ず交換するが、可動式のものは常に稼働させることとし、電源を切る必要はない。その際に使用する潤滑剤は、「グリーン・エデン」グレード3を1%配合する。 
 ……


  その変更されたリストの内容は、奇しくもキリーに手渡されたものと酷似していた。



悪い子編 【了】

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「グリーン・エデン」とは。
 6年ほど前から巷ではやりだした常習性の低い未認可セックス・ドラッグのこと。
 錠剤で服薬することが基本だが、粉末化して潤滑剤に混ぜて直接粘液に塗ると即効性が有るので、最近ではあらかじめ混ぜ込んだものが出回っていて、そちらの方が好まれる。
 ただし、効果は錠剤の方が強いので、錠剤経験者は錠剤を好む。
 パッケージには、その名からグリーンの色か模様が必ず入っている。

 その効果として。
 セックス時に肌や粘膜、性器を敏感にし、快感を向上させて、そこを刺激されると多幸感に包まれるようになる。
 特に肉体間の接触時の効果が絶大なので、マンネリ化したセックスの改善、より快楽を求める行為に使用されることが多い。ただし、道具だけなど自慰、挿入を伴わない行為の時は敏感になるだけで、多幸感や満足度は低い。
 ただし、毎日使用したり、使用量を間違えると、常習性が出てくることもある。一般に出回っているのはグレード1のみであり、グレード2と3はスラム街でも最下層の特別な場所のみで取り扱われている、という話である。また、ハイパーの存在は完全に噂でしかない——ことにされている。
 なお、常習性を発症した場合の禁断症状は、以下の通りドラッグのグレードにより違い、またその強度も純度により様々である。
 酷くない場合は理性が残っているので、こみ上げる欲求に対する背徳心や罪悪感に苦しめられることがある。

  グレード1 自慰では満足できにくいので、欲情するとすぐにセックスをしたいと考えるようになる。だが、ドラッグを使用せずにセックスしても満足できないことが多い。
  グレード2 自慰では満足できない。性的嗜好に合致する性別、年代とみるとセックスのことしか考えられなくなり、無理にでも行為に及びたくなりやすい。ドラッグを使用せずにセックスしても満足できない。
  グレード3 自慰では満足できないうえに、日がな一日セックスのことしか考えられなくなる色情狂となる。男ならばメス、あるいはアナルなどの穴をもつモノを認識すると、それを使用して満足するまで腰を振り続けることしか考えないが、ドラッグを使用せずにセックスしても満足できないので、止まらないままに腹上死することが多い。理性が残っている場合は、浅ましい身体を嘆くモノが多いが、自分の意志では止められない。

  グレード・ハイパー 特別な成分を追加したもので、確実に常習性が発現し、欲望の赴くままにセックスをすることに罪悪感、背徳感を感じなくなる。さらに、気に入った相手の言葉を盲目的に信じ、従うようになる。
 もともとの開発目的は、その開発した組織に忠実で便利な兵を作ることにあった。
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