見た目はそれほどでもないというのに、ダテの首に回された腕は十分に筋肉がついている。そんな事に今更のように気付いたのもつかの間、ダテはくすくすと耳元で楽しげに笑われて、抗議の視線を至近距離にある顔に向けた。
 だが、すらりとした鼻梁を中心に造形美の極致であろうと言われる相貌は、可笑しそうに笑い続ける。
 肩を震わせるたびに揺れるのは、艶やかな明るい茶色の髪を結わえた先だ。
 あまりに理不尽な事をされると、ダテはそれを闇雲に掴みたくなることがあった。
 掴んで引っ張って、その顔を顰めさせたいとすら思う。
 今でもそうだ。
 懸命に次回の修理計画案を立てていたダテは執務中で、そのためにかなり集中していた。なのに、本来この仕事をすべき上官であるリオがいきなりその邪魔をしに来たのだ。
 しかも、何が可笑しいのか、ダテには皆目見当も付かない。
 こんな突拍子のない行動はリオにしてみれば日常茶飯事で、慣れたと言えば慣れた。
 だが、それでも時と場合による。
 うずうずと指にまで伝わる欲求を必死で堪えているダテは、唇を一度きつく引き結んで、とりあえず肩に掛かった腕を掴んだ。
 その掴む力が自然に強くなったのは、致し方ないことだろう。
 それでも、にこりと口の端を浮かべることには成功した。
「何が可笑しいんです?」
 声が震えなかったことも、まずは成功だろう。
「ん?、ダテちゃん、相変わらず一生懸命だなあってさ」
「……?」
 リオの言動に振り回されるのはいつものことだ。だが、今回のこの言動の説明としては、それは意味不明なものであった。
 なぜに仕事を一生懸命していて、笑わなければならないのか?
 浮かぶ疑問は、多分に怒りを孕んでいるのは、──リオのその言葉に深い意味など無い、と気付いているからだ。
 ちらりと窺い見る先で、リオはくすりと笑みを浮かべたままに、今度は壁面のディスプレイを見ていた。
 壁いっぱいのそれは、今度の修理対象である一隻の艦を映し出している。名前は【ニケ】。美しい流れるようなフォルムを持つ、機能美の極致、と言われている艦だ。
「ニケが翼を広げたところを見たことがあるか?」
 言葉と共にぐいっと引き寄せられ、女性のように紅など入れていないのに適度な朱を持つ唇が頬に触れた。
 優しい口付けに、体の芯が甘く疼く。
 だが、今は執務中で──ダテは、意識を集中してその快感を逃し、外見的には薄く目を眇めただけだった。
「いいえ」
 手が頬を撫でる感触も、意識を逸らすことで堪える。
 こんなリオの戯れは、いまさら気にするほどでもない。執務中は常にそう意識することにしているダテの返した言葉に、リオは面白くなさそうに顔を顰めていた。
 だが、すぐに口の中で「そうか」と呟くのが聞こえた。
 カベイロスというこの工作艦に配属され、常に第二艦隊であるプロノイア・アテナと共に宇宙を旅してきて1年あまり。その間に幾度が合同での作戦行動や訓練などはあったけれど、リオの言っているニケの翼は見たことがなった。
 何せ、旗艦であるパラス・アテナの傍らにいつも寄り添う忠実なる供の一隻だ。このニケと同型艦のイリースが、通常時には必ずパラス・アテナと共に運行していた。
「行動中は後方任務ですから、あまり【彼女】達を見ている暇はありませんから」
 下手をすれば、「面白くない」と言い切って、全てをダテに押しつけることもあるリオの尻ぬぐいはいつもダテの役目で、故障もしていない他の艦が何をしているのかなど観察する暇など無い。
 だからこんなふうにディスプレイの中にいるニケをまじまじと見たことなど無かった。
 そのニケを見て、ダテはふっと小首を傾げた。
 他の艦達とは一線を画したフォルムを持つニケは、遠目のフォルムは確かに優美だ。
 だが、俗称で「翼」と呼ばれるシステムのせいで、多少いびつさはある。
 綺麗だと言うには、少し躊躇われる。
 だが、なぜか隊員達は皆、ニケやイリースが綺麗だと、それどころか「機能美の極致」とすら言う。
 旗艦パラス・アテナの方が見た目だけで言えば、もっと綺麗という言葉に相応しいだろう。まして、ダテの目は、そこにある機能美を誰よりも正確に視ることができる。
 その点から言えば、ニケは鈍重にすら思えるのだ。
「見たことがないか……」
 くすりと、またリオが笑みを零して、その腕をするりと離した。
 慣れ親しんだ匂いと温もりがいきなり消え、ダテは思わず当惑気味な視線をリオに向けていた。だが、刹那そんな自分に気が付いて、慌てて顔を伏せる。
 けれど、伏せた頭の付近に視線は感じていて、ダテはますます焦った。
 だから。
「翼がどうかしたというのですか?」
 つっけんどんな物言いで言い返してしまう。
 翼の機能は、ダテとて知っている。
 翼とは、広範囲の索敵に使うニケとイーリス専用のシステムだ。ようするにアンテナなのだが、それがフル稼働した時のフォルムが、まるで翼を広げたようだ、と称されたことから、【翼】という名がついたものだった。
「綺麗だぞ」
 その意味ありげな視線が無ければ、他の人たちと同じような意味で言っているのだと思っただろう。
 だが、どう見てもダテの反応を愉しんでいるようなリオの様子に、ダテの警戒心は最大レベルにまで到達している。返す言葉にすら神経を使い、見やる視線は何かを探るように鋭い。
 その視線を受けたリオに、いつもと変わるところはない。
 こんなふうな応酬はいつものことで、もしかすると単なる戯れの言葉かも知れない。
 読めないリオの行動に、ダテは結局、「そうですか」と呟いて返した。それが一番当たり障りのない言葉だからだ。
「何だ、見たくないのか?」
「そのうち、見る機会などいつでもあるでしょう?」
 索敵して情報を仕入れるために、必要な時に彼女たちは翼を開く。
 いつか、それを目にすることはあるだろう。だが、少なくとも今はそのときではない。
「すみませんが、今日中にこれを仕上げてしまいたいので」
 手元で作成中の資料は、まだ先が長い。
 ニケの修理内容はそれほど深刻なものではないが、それでも急を要するものであった。
 その期限は──敵が現れるまで。
 特定の敵を持つわけではないオリンポスだったが、それでも勝手に敵視している輩は多い。いきなり攻撃を受けることも多々あるのだ。
 だから期限は、はっきりと言えば、いますぐに、と同じ意味になる。
 それでも厄介なので、少し前準備をしているところだったのだ。
「そんなに手間暇かけることはねーよ」
 だが、リオは素っ気なく言うと手を伸ばし、いとも容易くダテが打ち込んでいた資料を消してしまう。
 消え去った文字の羅列は、ダテを呆然とさせるのには十分だった。
「な、何するんですっ!これは急ぎなんですよっ」
 起動させればまた元の状態に戻すことはできる。だが、リオがこんな事をするということは、ダテに仕事を続けさせる気がないということだ。
 それは許されないことなのに。
 怒りも露わに立ち上がってリオを睨むダテだったが、リオにいたってはその怒りを何とも思っていない。
 ただ。
「いいから、来いよ」
 いつもように楽しそうに微笑んで、ダテの腕を掴んで。
「し、仕事っ!」
「構わんっ、ほっとけ」
 上官の命令はあまりにも理不尽で、素直に聞けば後で手痛い目に遭うのはこちらの方だ。
 だが、このリオの命令は何よりも優先されなければ、後が恐ろしいことになる。
 だから。
「知りませんよ?、もう」
 結局ダテは深い嘆息を吐きながら、リオに引っ張られるがままについて行くしかなかった。
 リオの執務室を出、どこにと思う間もなく、その向かう方向でダテは見当がついてしまった。
 賑やかな気配がするのは、ちょうど勤務の交代の時間が過ぎてすぐだからだろうか?
 そんな喧噪から離れて、リオはダテを自身の部屋へと連れ込んだ。
 またか。
 と、ダテの吐いたため息に、リオがぴくりと片眉を上げる。
 プライベートも仕事も全く区別をつけないリオに、ダテもいい加減諦めはつけようとしたけれど。
「仕事中なんですけどね」
 零れる愚痴はもう止めようがない。
 だが、そんな愚痴は全く無視されて、リオはダテの肩を強く押した。
 促されるがままに体を屈めれば、ちょうどベッドの縁に腰掛けることになる。
「これも仕事だ」
 頭上からした声に、ダテは胡散臭げに顔を顰めたまま上官へと視線を走らせた。
「どこが仕事だって言うんです?」
「俺が仕事だって言ったら、仕事なんだよ」
 相変わらずの傲慢な理論はいつものことだったけれど。だが、リオがふっとダテから離れて壁面に設置してあるディスプレイを操作した。
 通信と娯楽のためのテレビ、情報端末兼用のそのディスプレイに何かの操作パネルが映る。
 ──コントローラー?
 映像コントロール用のシステムを操作しているリオの横顔はどこか楽しそうだ。
「いいもの、見せてやる」
「いいものって?」
 まさか──?
 露骨な描写のアダルトビデオを見せられた時のことを思い出して、ひくりと片頬が引きつった。
 壁面をスクリーン化して、映像を投影するシステムで鑑賞させられたビデオは、そのサイズが実物大に近かったことも相まって、あまりにも赤裸々なモノだった。設定は、上司と部下。見目麗しい──ただし、リオよりは格段に劣る男優同士の、しかもやっていることは軽くSMじみていて。縛られて言葉と手で嬲られている部下は、ダテと同じようにモンゴロイド系で黒髪だった。
「雰囲気がお前に似ているだろ?」
 映像と同じ動きをしてくるリオの手に、なぜか体がいつも以上に反応した。
 そんな事を思い出して、ダテの顔が熱くなる。
 そわそわと落ち着かない気分で、ダテは楽しそうに操作しているリオから逃れるように視線を彷徨わせた。
 自然に視線はドアに向かい、ここから出て行く方法を考えてしまう。
 そんな間にも、脳裏に浮かぶのはそのときの情景だ。
 嫌だと懇願するダテに浮かんだ涙を舌先で掬い取られた時には優しかった。だが、結局懇願は聞き遂げられなくて、宥められながらリオの腰に自ら体を沈めていったのだ。
 縛られこそはしなかったけれど、ビデオと同じ行為はまるで鏡で自分の姿を見ているようで、ダテの熱を高めてしまった。
 その上にリオの手管はダテを翻弄し、気が付けば勤務の時間などはるか彼方に過ぎ去っていた。
 じわりと蘇る記憶から逃れるように、ダテはきつく唇を噛みしめる。
「よし、ダテちゃん、こっち見ろよ」
 リオの呼びかけに、ダテは大きく息を吸ってから顔を上げた。
 投影する映像をより鮮明に見るために室内はすぐに照明を落とされる。
 薄暗いけれど、見通しが十分に利く室内でリオが近づいてくる。その距離に反応して、鼓動は大きくした。
 期待しているつもりはない。
 どんなに諦めているとは思っていても、それでも頭の中では、今が執務中だということは常にあった。
 なのに体が、勝手にリオを求めようとするのだ。
 服が擦れ合う距離でリオが腰を下ろし、ベッドマットがその重みでゆらりと揺らぐ。その動きに反応して、ダテの体も傾いでリオの肩と触れた。
 とたんに、心音はさらに高く激しくなる。
 だが。
「何、目ぇ逸らしてんだ?」
 いきなり顎を掴まれ、くいっと上向けさせられる。
 意識していなかったが、いつの間にか俯いていたらしかった。
 至近距離でリオが楽しそうにしているのが判る。
「べ、つに、逸らしていた訳じゃ……」
「もしかして」
 リオが意地悪げに笑う。
「なんかいやらしい想像してんじゃねえのか?」
「違いますっ!」
「そうか?」
 にやにや笑うリオは、ダテの取り繕った言葉など信じていない。
 実際指摘されたとおりだったダテも、すでに冷静な態度は取ることができなかった。あたふたと首を振り続けるダテに、リオは嫌みな笑みを崩さない。
「ちゃんと見ろよ」
 リオが最後通告とばかりに低い声音で命令した。
 逆らえないとダテは、小さく息を吐いた。
 隣でリオはしっかりとダテの横顔を見据えている。見ているかどうか見張っているようだった。
 こうなるとダテは、どんな露骨な映像でも始まるかと冷や冷やしながら正面を薄目で窺うしかない。
 だが。 
 いきなり現れたのは漆黒の宇宙空間で多数の星をバックにしている艦の姿だった。
「ニケ……?」
 さっきまで執務室で確認していたフォルムを見間違いようもない。
 そのエンブレムも、アテナのそれだ。
 白銀に近い色合いの中に、幾筋もの虹が走っている。
「翼が開く」
 短い言葉が至近距離で耳朶を打つ。
 その熱の籠もった息吹を抗議する間はダテにはなかった。
 ごくりと息を飲んだのは、音もない映像に、儀式にでも臨むような緊張感に晒されたからだ。
 そのダテの視界の中で、高速運航中にはアンテナを保護する壁が無駄のない動きで畳まれていく。
 そして。
 煌めく光のシャワーを撒き散らしているかのごとく、ニケが光の放射に包まれた。
 それは、数え切れないほどのアンテナを稼働するためのエネルギーの噴出のせいだ、とダテはすぐに気付いた。流れるエネルギーの帯は、絡まり合い、弾きあい──さらにその力を高めて漆黒の宇宙空間に飲み込まれていく。
 アンテナも太い幹が伸び、枝分かれして、さらに細かい枝葉が伸びる。枝葉の間には銀河が煌めき、さながら翼全てが白銀の産毛にでも包まれたようだ。
 広大な宇宙空間に蠢く僅かな存在を捕らえ、逃さないため、高出力の探査エネルギーがその枝葉から放出されていた。
 それが目に見えるわけでないのに、ダテには風が翼を震わせているような揺らぎを見て取れる。
 そして。
 音のない動きは、やはり無音の内に全ての動きを停止させ──全てのアンテナが伸びきって、二回りばかり大きくなったニケが、そこにいた。
「翼……」
 比喩は、決して比喩ではないとダテを感嘆させる。
 確かにそう見えるのだ。
 そして、システムの伝導ラインを一瞥するだけで視て取るという類い希な能力を持ったダテの目は、そのアンテナの動力系統が全て緻密で寸分の狂いも無駄もなく組み立てられていることを視てとってしまう。
 複雑な回路であろうことは想像するに難くない。
 なのに、もっとも小さなエネルギーで、もっとも大きな効果を得ることができるようにその一本一本が緻密に設計されているのだ。
 ──機能美の極致
 技術屋であれば、誰でもそう思うだろう。
 そして、それは、こうやってニケが翼を開くところを視てこそ判るのだ。
「すごい……」
 体が震える。
 あまりにも素晴らしいものを見たせいか、泣き出したいほどに体の芯が震えそうだ。そんな激しい感動に晒されて、ダテは、呆然とスクリーンを見つめていた。
「ニケが翼を開くってぇのは、勝利の女神が舞い降りたことを示すとも言う」
 リオの言葉にこくりとダテは頷いた。
 ニケ──勝利の女神は、翼を広げ、戦地に舞い降りる。
 彼女は、女神アテナの従者でもあるのだ。
「綺麗だろ?」
 満足げなリオの言葉がダテの頬に震動を与えてきた。
「はい」
 と、小さく頷いて、ダテは抱きしめられた腕の力に促されるように背をリオの胸に預ける。
 だが、視線はスクリーンを凝視したままだ。
 リオに触れられているのは判っている。あやすように髪を梳かれていることも。
 だが、ダテはニケから目を離すことができなかった。
 あれを創り上げた先人達への、賞賛と──そして羨望が体の中を炎となって駆けめぐる。膝の上できつく握りしめられた拳がぶるぶると震えた。
 あんな凄いもの──創りたい。
 近くで見たら一本一本は無骨な金属の塊であるというのに。あれほど機能に優れ、美しい建造物。
 緻密な計算と、繊細な技術によってくみ上げられた人工物としての傑作品。
 ダテの技術者としての意識が、何よりも自身の矜持をくすぐる。
 ──自分なら、あれより凄いモノをいつか創る。
 それは、ずいぶんと長い間心の奥底に沈み、なおかつ重りすら乗せて浮上してこないようにしていた感情だ。
 誰にも負けない技術力と知識と才能を持っていて──だがそれを眠らせることを望んだはずだった。
 それなのに、ダテの好奇心が、むくむくと堪えきれないほどに込み上げる。
 と。
「っ!」
 唇に走った鋭い痛みに、とっさに口元に手をやった。
 弾けそうな感情を堪えようと、無意識のうちに唇を噛みしめていたらしい。
 僅かに触れただけで、びりびりと痛みが走る。
 だが、その痛みすら込み上げる激情を制御できない。押さえつけられていたものが、解放されるきっかけを見つけて悦んでいる。出たいと、ダテの体を動かそうとする。
 けれど、それでも心の奥底に、ほんの僅かに残っている理性が、「駄目だ」ときつくそれらを押さえつけていた。
 そのせめぎ合いに、意識が、感情が──さらに暴れ狂う。
 その全てが、我慢できなくなる限界まで来ていて──。
「お前の瞳が、輝いているぞ」
 口の端をぺろりと舐められて、ダテの瞳が間近に迫ったリオを映した。
「最高だ……ぞくぞくする」
 欲情している。
 リオが、その目元をうっすらと朱に染め、欲望の炎をちらつかせる瞳をまっすぐにダテに向けていた。
 それは、いつもの戯れの時よりはるかに激しい。
 だがダテは、リオの瞳に映る己の瞳もまた、激しい欲情を浮かべていることに気付いていた。
 何より体がぞくぞくと粟立ち、芯から熱くなっていく。
 こんな己が可笑しいとは思うけれど。
 何かを乗り越えたいと、相手を凌駕したいと、闇雲に体内を暴れ回る。その激情を逃したくて、だけど、今はどうしようもなくて。
 駆け回りたいほどの衝動に震える体を、リオに抑えられているようで。
 視線をリオに向ける。
 離して欲しくて、だけど、捕まえて欲しいと、ダテの手が躊躇い泳ぐ。
 ダテは、己が何をしたいか判っていなかった。
「リオ……」
「予想外の展開だ」
 くつくつと喉で笑うリオがダテを引き寄せる。
 僅かに腕に力を込めて突っぱねようとしたけれど、それは戯れの域を出るものではなかった。
 こんなつもりじゃなかったのに、と唇を歪めて低い声で言葉を選んで伝える。
「変なんだって判ってるのに……。だけど、暴れ出したいほど、体が疼くんです……」
 それは決して性欲なんかじゃなかったはずだった、と。
「火が点いたんだよ。心に火が点いて──体が引きずられているんだ。ダテちゃんの闘争心が血をたぎらせているんだ。だからだ。──本当なら、好きなようにさせたいが。──まあ、いいか。今日は、俺が鎮めてやるから、任せな……」
「リオ……」
 言葉が耳の奥底を犯し、ダテの心を痺れさせた。
 落ちてくる唇を抗うことなく受け止めて、胸の上に置かれたリオの手を掴む。戯れ、絡まる指が擦れ合い、いつしかしっかりと握りしめられた。
 抱きしめられた体がさらに引き寄せられ、柔らかな寝具に体を押しつけられる。シーツが瞬く間に乱れ、幾重にもシワを重ねていった。
 絡まる肢体から、性急なほどの動きで衣服が剥ぎ取られていく。
 その間も湿った音が何度も響き、ダテの掠れた吐息がこぼれ落ちた。
「んあっ……ふぁあ──」
 胸元に口づけられ、震える体に押し出されるように熱い吐息を吐き出す。
 リオがダテの感じる場所を余すことなく口づけ、指で辿っていた。
「んっ!くっ」
「敏感だなぁ……すっげえ、色っぽい……」
 リオの嬉しそうな言葉に、ダテはきつく閉じていたまぶたをゆっくりと開けた。
 至近距離で微笑むリオに、胸が高鳴る。
 刹那、激しい快感の波が、背筋を走り抜けた。
「っ……くぅ……」
 暴発の危険性すらあったその荒波をかろうじて乗り越えたダテが荒い息を吐く。
 ぎゅっと指先が白くなるほどリオの腕に縋り付いていることすら気が付いていない。
「トシマサ……」
 リオの唇があやすようにダテのまなじりに触れる。
 その優しさに、思わず涙が滲んできた。
 淡い虹色が視界を遮り、リオの顔の輪郭を滲ませる。
「リオ……」
 強引な人なのに。
 いつだって自分が一番だと豪語する人なのに。
「ニケを見せたのは……わざと?」
 好きなように動いているはずなのに、その行動は後から辿ると、いつも一つの線を描いている。
 いろんな複雑な道のりを描いたとしても、最終的には始まりと終わりは、ちゃんと繋がっているのだ。そして、それに巧みに絡まされているのは、ダテ自身。
 ダテ自身が押し殺した心をくすぐって、萎縮しているはずのそれを復活させようとする。
 そんな事を他人に強要されるのは堪らなく嫌だった。だが、同じ事をリオにされると仕方がないと思えるほど、その行為は巧みで。
「あ、ああ──」
 甘い息が喉を揺さぶり、弛緩した体をリオが愉しそうに嬲る。
 じんじんと伝わり走る快感は、全身の神経網全てを支配しているのか、体に力が入らないのだ。
 ことりと倒れた顔から見ることのできる壁には、まだニケが映っている。
 白い衣の女神が純白の翼を広げていた。
 ──ニケを創りたい。
 オリンポスに勝利をもたらすニケを──。
 欲望は果てしなく、昂揚した心が煽るように体に火を点ける。
「私は……普通で……いたかったのに……」
 そう思っていた頃は、そんなに遠くない過去だというのに、もうそれがいつだったのか思い出せない。
 リオに感化され、リオに高められた意識は、もう普通ではいられない。
 知らなかった快感を骨の髄まで教え込まれたように、意識すら、リオの望む様に変えられている。
「普通だよ、今のお前が──。他人の創ったモノを見て、それ以上のモノを創りたいと思う。それが、トシマサ・ダテにとっては普通なんだ」
 リオがそういうと、心がひどく安心する。
 ダテは、力の入らない腕を上げて、その背に手を回した。
「リオと一緒にいたら──」
 きっと自分は普通でいられるのだろう。
「離すもんかよ、お前を」
 笑い震える肌がダテの上を這い、熱い楔が進んでくる。
 息苦しさに喘ぐダテの呼気すら奪い取って、リオは深く口づけてきた。
 押し広げられ、軋む体内に痛みはない。
 すっかり馴染んだそこは、何よりもリオを求めて蠢いていた。
「リ、リオっ!」
 深く、熱く、二つの体が一つになる。
 ダテは、さらにリオを欲して自ら腰をすり寄せていた。
 弾けるような快感が腰でいくつも湧いてくる。ぞくぞくと肌が震え、先より強い快感の波が来る。
 縋り付いて、必死で堪えていれば、リオは愉しそうに笑みを浮かべていた。
 その余裕の笑みに、ダテは物足りなさを瞳にこめて訴える。
「欲しいのか?」
 意地悪げな声。
 優しさも底意地の悪さも、何もかもが同居しているこの恋人は、ある時はダテの手にも余る相手ではあるけれど。
「欲しいに決まってるっ!」
 意地悪さに腹が立って、拗ねたような物言いで本音をぶつけてみせたダテに、リオが瞠目した。
 だが、それは一瞬で、そして、ゆっくりと顔を綻ばせて、笑う。
「堪んないな、お前と来たら」
「だ、だってっ──くっ」
 挿れられたままで笑われて、ダテの奥深くで快感が弾けた。
 文句はもっと言いたいけれど、言葉が紡げない。
「何もかもが最高だ。こんな愉しい奴は、どこにもいない」
「あっ、いやっ」
 言葉が終わるか終わらないかのうちに、リオが腰を使い出した。
「何が何でも、絶対にっ、お前を……ヘーパイトスの総司令官にしてやるっ」
「んあっ……ふぁっ──あ!」
「そのためには、何だってしてやるからっ──なっ!」
「ん、んあっ!!」
 きつく穿たれ、体が跳ねる。逃れようとした腰は、しっかりと掴まれてまたリオのそれを深く飲み込まされる。
 それでなくても熱かった体は、水をかぶったかのごとくびしょぬれで、ダテが揺さぶられるたびに、滴が辺りに飛び散っていた。
 もう、頭の中は何度も白く弾けている。
「リオっ、もうっ!」
 波が限界まで高くなり、かろうじて持ちこたえていた防波堤は、今にも崩れ落ちそうだ。
 そして。
 狙いすました一撃が、ダテの奥深くを抉る。
「あ、あぁぁぁっ!」
 それまででもっとも大きな嬌声が、ダテの喉から迸って。
「お前が……ずっと……お前でいられるように──」
 真っ白な脳裏に、穏やかな声音が満ちていく。
「俺も俺でずっといるから……」
 その言葉に、心がひどく安堵する。
 リオが、リオでいるならば。
 そんな言葉に、堪らないほどの安心感が湧き上がり、ダテを満たす。
 リオだったら、何が起きても笑って乗り越えて、そして、いつまでもつきあってくれそうだから。
 だから。
「いつか……ニケ以上の物を創ってみたい……」
 ずっと封じこめていたはずの欲望が、さらりと口を吐いて出た。

【了】