?交点? 続編 1

「何で言わない?」
 誰をも魅了するほどの秀麗な顔立ちは決して嫌みではなく、その内面の知的さを含有している瞳が堪らない、と彼に出会った女性達は皆一様にそう評する。
 それほどの言葉が似合うことは誰をも否定できないだろう。
 ダテとて、リオは綺麗だと思う。
 だが、その近場に自分を置かなければならないダテにとって、彼こそ扱いにくい者はない。
 今ダテは、口の端を上げて冷たく嗤いながら迫ってくるリオに、その頬を凍らせていた。
 その冷ややかな笑みがろくでもないと事だと、ダテは僅かな経験の間に知っているからだ。
 しかもその顔が僅か10cmにもならない場所にあるとなると、襟元を掴み上げられているという行為をさっ引いても、身を震わすには十分なこと。
「な、ダテちゃん、お前いつから俺に隠し事なんてするようになったんだ?」
 そう言いつつ、声も顔もその目も嗤っているというのに。
 だが恐い。
 その言葉の裏に隠された怒りを敏感に感じ取ってしまっていて、答える言葉のためであっても躊躇いがちにしか口が開かない。
「な、何も……」
 締め上げられた喉のせいだけではない、掠れた声が出る。
 答えた言葉はあながち嘘ではない。
 慌ててフル回転させた頭の中には、唐突すぎる質問にすぐには心当たりが浮かばないのだから。
 一体何を怒ってるのか?
 それすらも思い浮かばない。
 この日一日普通に勤務して、普通に仕事場である司令部を引き払って。
 その間リオとは何度も話をしたというのに、その時にはこんな風に怒っていなかった。
 なのに、もう日が変わるかという時刻にタデの自室を訪れたリオは、すでにその身に怒りをたたえていた。
「リ……オ……」
 ねじ上げられる襟元が首の横を締めつけ頸動脈と気管を圧迫する。息を継ぐこともままならない上に脳が貧血を起こしてきて、ダテは身の危険にリオの胸を拳で叩いた。
 リオの顔が揺らいでしまう視界は、苦しさに浮かんだ涙のせいだ。
 いつも無造作に後で束ねられている筈のリオの茶髪が解かれていて肩から前に流れる。それがくすぐったくダテの頬にかかるのは、いつもは情事の最中だというのに。
 柔らかな髪に縋るその時が幸いだといつも思っていたというのに。
 苦しくて歪むダテの目に、その乱れた数本の髪が灯りに照らされ金色に輝いていた。
 綺麗だ……。
 苦しめているのはその持ち主たるリオなのに、何故かダテはそんな事を考えてしまう。それが危ない兆候だと気付く余裕はもはや無くて、それにようやくリオが気がついた。
 襟元を無造作に離されて、ダテはがくりと膝を崩した。
 力を無くし喘ぐように空気を欲している体は、支えを失った途端にぐらりと傾き、かろうじてリオの胸と腕が受け止める。
 力が入らない手で触れた布地をかろうじて掴んで、ダテは何度も大きく息を吸おうとした。そんな簡単なことすら苦しくて、堪えきれずに固く目を瞑ると涙が頬を伝ってしまう。
 だが、リオはそんなダテを労るでもなく、ただ黙って見下ろすだけだ。
 必死で縋るダテを支える程度でしかないリオの手がやけに冷たく感じて、意識が戻ってきたダテは怯えを滲ませた瞳をリオへと向けた。
「リ……オ……?」
 何をそんなに怒っているのか?
 リオの理不尽と強制はいつものことだったけれど、そこにはもっと暖かさがあった。
 こんな風に突き放すような態度は今まで受けたことがない。
 こんな風にダテをきつく苛むリオは知らない。
 どんなに口が悪くても、その根底にある優しさをいつも感じていたから堪えられた。なのに、今はそれがない。
 激しい怒りで我を忘れているのであれば、対処のしようもあるというのに、リオは少なくとも外見上は何ら普段と変わるところがない。それどころか、より冷静にすら感じる。
 何をそんなに怒っているのか?
 どうして……?
 今の状態の説明を欲して、ダテは請うようにリオの瞳を見つめた。
 僅かに細められた目がダテを見下ろすのに気がついて、体が震える。
「……ダテちゃん、俺に隠れて何をこそこそしている?」
 だが、リオの口から出た言葉はやはりその問いかけで、欲するものではなかった。
 さっきですら思いつかなかったことだ。意識すら朦朧としている今の状況で、そんな事は思い出せない。
 こそこそなんて……心当たりがない。
 だから答える。
「知らないです……。私は、リオに隠し事なんて……」
 だいたいリオに隠し事をしようとすることが実は不可能であると思っているから。
 今のリオの趣味は盗聴器と超小型隠しカメラをいかに誰にも気付かれずに設置して活用するかなのだ。
 その最大の被害者は、何を隠そうここでそんな理不尽な事で責め立てられているダテなのだ。
「昨日だって……私の行動を笑ってくれたではありませんか……」
 一人司令部にいる時にコーヒーを飲みたくなって、自分で入れたそれが何故か砂糖と塩を間違っていて──それを映像付きでみんなに紹介して思いっきり笑ってくれたのは、この目の前の本人だ。
 あの時の恥ずかしさと言ったら無かった。
「わざわざあんな小細工をして……」
 誰があんなところに塩があると思うだろう?
 小さなキッチンシステムの飲み物用品ワンセットの中に。普段砂糖が入っている容器と同じ物の中に、何故。
「う」
 さすがにリオの瞳が僅かに揺らいだ。
 何度言っても止めてくれないリオの行為に、ダテはもういい加減諦めて無視するようにはなったけれど。
 ならば何故、そんな事を言い出すのか、やはり判らない。
「リオ……すみませんが、私には何をあなたが気にしているのか判りません」
 どうにか力を取り戻した膝に、体を起こしてリオから一歩下がる。
 掴まれたままの腕が離れなくて、その場所に痛みが走っていた。
「あのなあ、俺だって四六時中お前を見張っているわけでない」
 それが随分と苦しそうで、呆れてダテは苦笑した。
「それは……まあそうでしょうけど」
 少しだけ和らいだ雰囲気は、だがリオが冷たく壊す。
「で、聞くが、今日4時過ぎだ。何をしていた?」
 今度は明快な問いを向けられ、僅かに首を傾げる。
 その時リオは司令部にいなかったな?とまずそのことが頭に浮かび、それから自分の行動を思いついたところから追跡する。
 司令部にいたのは?
 いや……それより後だ、と順繰りに記憶を辿っていって。
「あ……」
 頭がそのシーンを鮮明に描いて思い出す。
 リオに隠れてしたことを勘ぐられないようにと記憶の奥底に得意の自己暗示をかけたことまでをも思い出し、だが、マズいとそれ以上は拒否しようとした。
 だがその瞬間にダテの瞳に走った動揺を、リオが見逃すわけがなかった。
「何をしていた?」
 簡潔に問われたことに、答えようがないと首を左右に振る。
 それについてリオが怒っているのだとしたら、言っては駄目なのだと今更なことに気がつくのだが、それを隠すには遅すぎた。
 その行為がリオの怒りに油を注ぐことになったのだから。
「俺に隠すのか?」
 さらに声音が低くなり、ダテは言い訳を紡ごうとした口を半開きにしたままに硬直する。
 言えない。
 言えるわけがない。
 身の回りの危なそうな物を専用のモニターでチェックして、リオのいぬ間にと飛び出していったのは僅か5分程だ。僅かな時間の退出はいつものことで疑われる事柄ではなかったはずだ。
 あの時、ついうっかり忘れていた件を、自室に戻ってこなしたそれだけのこと。
 あの時、リオは別の司令部と打ち合わせに出向いていたはずなのに。
「ダテ……」
 呼び名が変わったことがさらに雰囲気温度を下げていく。
「リオ……私は……」
 それでも力を込めてリオを見返しながら、ふと脳裏に、しなければ良かったのだろうかという疑問も湧いてくる。
 だが。
 それでも。
「私は、贈りたかったから……」
 ダテの発した言葉に、リオがきつく顔を顰めた。

『贈るな』
 と厳しい口調で言われたのは、バレンタインデーの翌日のこと。
 山積みされた贈り物の名前が判る分を書き出している時だった。当然ホワイトデーにはお返しがいるだろうと考えたダテの行動を、リオが止めた。
『何故?』
 貰ったら礼をするのは当たり前の環境で育ったダテにとって、リオの言葉自体が理解できない。
 倍返しとか言われるときついものがある量ではあったが、それでも相応の物を返すのは礼儀だろう。
 だが、リオは言う。
『くれるものは貰っときゃいい。だけど、それに対して何かを贈るってのは、相手が妙な勘ぐりをするだろーが?俺なんか、一度も返したことなんかねーけど、毎年呆れるくらいの量のプレゼントは減ったことがない』
 苛々と……確かにその時もリオは苛々とダテに詰め寄っていた。
『しかし……』
『しかしもへったくれもねーんだよ。俺がするなって言うんだから、お前はするな』
 その高飛車な物言いに、かちんと来たのも事実だったが、それ以上反論してもリオが前言撤回するとは思えない。
 だから、ダテは大人しく引き下がったのだ。
 だが、しないとは言ってない。
 30人ばかりの相手に、ダテは密かにヘスティアのカタログ販売でお返しの手配をかけた。ただ、忙しさにかまけて発注自体が前日になったと言うだけで。
 だが、メールのみでこなしたそれを何故リオが気付いてしまったのか?
 まさか盗聴システムだけでなく、メールまでハッキングされているというのだろうか?
 そこまで来ると犯罪行為だと、ダテはリオを睨み付けた。
 そこまでいかなくても、そういう盗聴は犯罪なのだがそれを追求するのは当の昔に諦めてしまっていた。
「リオ……メールを読んだんですか?」
 それならば許さないと窺えば、それは鼻で嗤って返された。
「そこまでしていたら、送り先が誰かまで全部判っているがな、さすがに俺もそこまでしてねーよ。だけど、これ以上お前が俺に隠し事をするなら、メールもチェックせざるをえまい?」
 それが本気だと判るから質が悪い。
「なら、どうして?」
 何故気付いたのか?
 そう続ける前にリオに返された。
「ストローカーが、前日に発注かけてきた馬鹿者がいると言ってぼやいていたのを聞いた。しかも30個。半数が男相手だと」
「え?」
 ストローカー──その名にダテはピントこなくて要領を得ない表情を向ける。それにリオが答える。
「物資担当のストローカー大佐だ」
「あ……」
 カベイロスの倉庫番。ひげ面のストローカー大佐だとようやく思いだし、だが、何故リオにそんな事を言うのだと新たな疑問が湧いてくる。
 ダテが使ったカタログ販売を取り仕切るカベイロスの売店はストローカー大佐の配下だから、彼が受注票を見ればダテが頼んだ内容など一目瞭然とは言え。
「今日飲んだ時、傍らにいたんだよストローカーがな。それでちらりと男に返すという気になることを喋ったんで思いっきり飲ませて聞き出した」
「それって……ストローカー大佐の守秘義務違反です……」
 リオに言っても無駄なことをつい口に出したのは、なけなしの抵抗だ。
「そんなもん俺は知らん」
 無駄だとは思ったことは、やはり無駄であって、ダテはがくりと首を垂れる。
「ま、別にはっきりと名前までは言わなかったが……だが、俺にはそれがお前だとピンと来た。俺は贈るなと言ったはずなのに、何をこそこそしている?」
 きっとダテの想いなどリオには理解できないことだ。
 ダテは大きく息を吐くと、再度リオに視線を向けた。
「私が贈りたかったんです。この私が」
 礼を兼ねているのだから。
 だが、そんなダテの言葉を聞いた途端、不意にリオが嗤った。
 その嗤いを見た途端、ダテの背筋に激しい悪寒が走った。
 思わず一歩下がりかけた足は、だが空を切る。
「あっ!」
 受け身を取るまもなく、背中からしたたかに床に打ち付けられた。
 肺から勢いよく空気が吐き出され、その代わりが入ってこない。
 息をするのもままならない激痛に、ダテは身を震わせて背を丸めた。
 そのダテの上に加減なくリオが体重をのせ、そのせいでさらに呼吸がしにくくなる。
「リ、リオっ!!」
 喘ぐままに呼びかけてみるけれど、その瞳の怒りの中にある明らかな欲の色に体がひくりと強張った。
 冷たい床に押し付けられて、荒々しく前をはだけられる。
 その行為に躊躇いはなく、丈夫なはずの留め具が引き裂く音を立てて弾けた。
 その音が耳に入った途端、ダテは本能的な恐怖に襲われた。
 喉が掠れた悲鳴を上げ、目の前にいるのは知っているのに異なる人だと体が震えて止まらない。
 それでも。
「止めてくださいっ!!」
 掠れた声とともにリオに当てた手に渾身の力を込めた。
 それでようやくリオが動きを止め、だが、その表情にダテは恐怖だけでない震えを背筋に感じた。
「怖いか?」
 震えるのを見て取ったリオが、口の端を上げて嗤う。
「別にこんなことは慣れているんじゃないのか?」
 その形の良い紅い唇が零した言葉に、ダテは愕然と見つめた。
「な、にを?」
 震える声で問う。
 たがその答えは聞きたくないと耳を塞ぎたいのに、手はリオの胸に縋ったままだ。
「お前、しょっちゅう監禁されているじゃないか。パラスアテナでも。それにあのセイレスには散々弄ばれたくせに」
「!」
 だ……めだ……。
 仕舞い込まれた記憶を引っ張り出された衝撃は大きくて、先程よりさらに強張ってしまった体が、手が、意志に逆らって、床に沈む。
 抵抗をなくしたダテの体をリオが手早く裸にしていった。
 肌に直に触れる手が、あの時のことをさらに呼び戻して、ダテは小さく震えていた。
 あの時。
 治療を受けるために固定されたダテの体を、セイレスは弄んだ。
 薬を投与され、無理矢理に達かされた……。
 封じ込めていた記憶は、鮮やかなほどに目の前にその幻影を見せる。目の前にいる筈のリオがセイレスなり、触れる手はセイレスの物になる。
 不意に嫌悪感に襲われて、激しい吐き気にえづきそうになった。
「んっくっ……」
 込みあげる苦しみに、ダテはかろうじて現実にしがみついた。
 取り戻した己を守りたい。
 目の前にいるのはリオなのだと──決してセイレスではないのだ。
「やめろ……」
「お前は……こうされやすいんだよ」
 理解不能な言葉が、湧き起こってくる怒りに晒され始めた頭に届く。
 訳が判らないと、怯えとそれだけでない震えをたたえた瞳がリオを見た。
 忘れていたのに。
 忘れることが必ずしも良いことではないとは知っている。だが、それでも忘れたい記憶はあるというのに。
 リオによって助けられて、愛されて。
 その記憶だけがあればいいと、一番思い出したくない記憶は、思い出さないようにしていた。
 けれど、眼下に冷たく見やるリオは容赦なくダテの弱い部分を引きずり出して、晒け出そうとする。
 忘れることを許さないというのだ。
 苦しみも悲しみも何もかもを乗り越えれば良いと、簡単に言ってのけるリオが時折恨めしく感じる。
 それは正論だと思う。
 だが、それはダテにとっては危険なのだ。
 乱暴なやり方は、記憶と共に感情をも引きずる。
 あんな目に遭って怖いと思うことも、それをした相手を憎む心も、皆ダテの中にあって、もしそれを思い出して引きずることになればダテの日常は荒れるだけではすまなくなる。
 そんな恐れが、いつもつまとっていた。
 平穏無事。
 リオの元にきた時から、それは望むべくもないことになってしまったけれど、それでもダテはそれを切に願っている。
 本当に、大人しく静かに人生を送りたいのに、どうしてこの人はかき回してくれるのだろう?
 力の無かった瞳が光を持つ。
 鎮まっていた水面が嵐に晒されて波打ってくるように、荒れ狂う感情に引きずられて、怒りが湧き起こるのは、すべてリオのせいだ。
 理不尽なリオの言葉に。
 ダテの行為を否定するリオに。
 怒りを呼び起こされる。
「離せっ!」
 込みあげる怒りのままに、リオの腕を掴む。
 こんなこと……たとえリオであっても許さない。
 どうして私がしたいことをリオに否定されなければ行けない?
 たとえ自分が間違っていたとしても、私は私の意志で動く。
 暴走する感情に、理性は制止する術を失っていた。
 力でねじ伏せようとするその行為が憎いからとそのままに睨み上げる先で、リオが喉で笑う。
「久しぶりだな。お前の反抗的なその目。枷が外れたか?」
「離せっ」
「おもしれー。だけどな、俺もいい加減切れてるんだ。そう簡単には許してやらねーよ。それに、その顔……ぞくぞくするほど色っぽい……」
 上擦った声に、それどころではないと余計に怒りが増した。
 きつく手首が捻られ、激しい痛みがダテを襲い、声が漏れる。
「くっ」
 食いしばった歯の隙間から零れ始めた悲鳴は、だが次の瞬間、違うものに変わってしまう。
 吐息のリズムが変わる。
「お前、ここが弱いんだよな。こうすると……」
「んくっ」
 爪の先を擦るように微弱な律動を加えられて、堪らず息を飲んだ。そこからぞくりと粟立つ感覚が全身に広がり、反射的に固く目を瞑る。
 そこはリオが好んで口づけるところだった。
 服から見えそうで見えない所を悪戯するように選ぶ、リオの性悪さの象徴の場所。
 だが、それもリオだから、と諦めていたというのに。
 その艶めかしい感触がリオとの行為を思い起こさせ、こんな時だというのに抗うことを忘れさせようとする。
「んっ……んっ……」
 ここまで理不尽な行為を許容することなんてできないと、ダテは必死で体を捩って逃げようとした。だが、さすがにリオは軍人で、押さえ込む技というのは、どうやらダテより長けているらしい。
 歯噛みして悔しがるダテは、結局リオには敵わなかった。
 しかもきつく組み敷かれた両の手首から先は、血流が阻害されたのか痺れてくる。
 単純にリオの力に、屈するのは嫌だった。
 抱かれるのなら、やはり優しい方がいい。
 SMの趣味も、拘束されての行為もダテの好みではない。
 ならばそれがリオの好みかと言えば、今までそんな事をされたことはなかった。
 だが、その状態でも悪戯のように蠢くリオの指と吐息がダテの感じるところを容赦なく責め立てる。鎖骨のくぼみ辺りを舐め上げられ、全身を微弱な電流が流れた。
 痛みを堪えるために無意識の内に止めていた呼吸が、甘い痺れに堪えかねてはき出され、それと同時に掠れた声まで漏れてしまう。
「や、め……リオ……うあっ」
 ダテの艶やかな喘ぎ声が室内に響き、それがリオの情欲をさらに煽る。
「あっ」
 ぴくりと全身が震えたのは、太股の内側をなで上げられたからだ。柔らかすぎず、されどきつすぎず。
 慣れた強弱がダテの未だ服の下のそれを揉みしだいていた。
「んっ……んんっ……やぁっ……」
 慣れた行為にダテは簡単に追いつめられてしまった。
 息を継ぐこともままならないほどに快感の波にさらわれそうになる。
 だが、リオはまだ服を全て来たままで、いつも行われるキスすらまだ受けていなかった。
 何度も何度も……であった頃から繰り返された熱いキスを、情事の始まりにリオが欠かしたことなどなかったというのに。
 何度も高み近くまで駆け上がり、だが寸前のところでリオの手が離れていく。
 それは明らかに焦らすことを目的としていると判っているのに、体が言うことを聞かない。
「あ、やあ……もう……もっ……」
 懇願の声が掠れて響いた。
 欲しいのに。
 ただそれだけを欲して、リオに縋る。
 いつの間にか手首の戒めを外されていたのにも気付かない。
 こんなこと……。
 なおも抗う意志はあるのにそれに体が逆らう。
「んん……う……」
 荒くなる吐息がリオの頬に触れ、くすぐったそうにリオが笑みを浮かべた。
「お前はほんとに敏感だよな。こうやって肌の上をまさぐるだけで、こんなにも悦んでるんだからな。それで、よくもまあ俺に逆らおうなどとする?」
 先程よりさらに柔らかくなった声音が、未だ強張っていた心を解きほぐし、より愛撫に感じやすくなった。
 体が、心が、リオに煽られる。
 それはリオに捕らわれている証拠だと、半ば苦々しく、けれど嬉しく思って、ダテは大きく息をついた。
 途端に、感じる程度がさらに激しくなる。
 抱かれるたびに敏感になる体が恨めしいほどだと唸り、唇から熱い吐息を漏らした。
 リオの言葉は正しい。だけどそれを単純に肯定するのも嫌だ。
 だから。
「敏感なのは……っ……誰のせいっ……」
 何も知らなかったダテを開発し、感じることを教えたのはリオだ。
 リオがいなければ、こんなにも溺れるようなことはなかったはずだときつく睨む。
 だが一際激しく扱かれて、もう言葉を継ぐこともできない。
「んぁ……リ、リオ……あっ……」
 体重をかけて身動きを塞ぎ、床に押しつけてくる。だが背中に走る痛みとは裏腹に、ダテは床から伝わってくる冷たさかひどく気持ちいい。全身が熱を持っているかのように火照ってしまっていた。
「あ……あぁ……リオ……リ…オ……」
「お前は……こんなに俺を煽るという自覚がないから……」
 リオの手に包まれたそこがいきりたち、扱かれるたびに湿った卑猥な音を立てる。疼くように広がる熱に浮かされ、ダテは気付かぬ内に掠れた声を上げていた。
「あ……やぁ……」
 先刻までの酷い仕打ちの時は押しのけようとした手が、今はリオをきつく抱き締めようとしていた。
 

「まだ達かせない」
 耳朶を甘噛みされながら不意に囁かれた言葉に、ダテは我に返った。
「リ……オ?」
 言葉通りにリオの手が離れ、達く寸前だったそれは放置されてしまった。
 どうして?
 問い返す間もなく、リオの手がダテをひっくり返す。腹這いの状態から腰を引っ張り上げ、割り開いた白い双丘の割れ目をゆっくりと辿る。
 その感触にすら、ぞくりと体が痺れるというのに。
 焦らすようにリオの指が少しずつ入ってくる。
「んっ……」
 ぶるりと震える体は堪えきれない快感のせいで、濡れた先から滴が垂れ落ちていた。あと、少しで達きそうになっていたそこは無視されてしまう。
 続きが欲しい。
 触れて貰いたくて、ダテは体を起こそうとした。だが、肩にかけられた手がそれをさせない。
 涙に濡れた頬が床に貼り付いて、不自然な姿勢で肩が痛んだ。だが、その痛みより何より、途中で止められたその辛さの方がダテを苦しめていた。
 欲しい……。
 貰えないと判ったから、飢えた体が余計に貪欲にリオを求める。
「リオ……」
 切ない瞳をリオに向ければ、微かに嗤って返された。
「俺の言うことを聞かない奴に従う必要はないだろう?」
 冷たく返され、ダテの目尻から涙が溢れてこぼれ落ちた。きっと口元を引き締めるのは、辛くて零れそうになる嗚咽を堪えるためだ。
 そんなダテを嘲笑うようにいきり立った先端を軽く弾かれる。
「んっ!」
 全身に広がった快感の波に、ダテの膝が崩れそうになった。それを寸前でリオが支える。
「まだだ」
 まだ許さない。
 簡潔な言葉は何よりもダテに恐怖を与える。
 逃げようとする腰は、先程よりきつく掴まれてそれすらも叶わない。
「リ……オ……」
 一体リオが何をしようとしているのか判らない。
 ただ、乱暴にまさぐられる感触だけがしばらく続いて。
「我慢しろ」
 言葉と共に引き裂かれる激しい痛みがダテを襲った。
「ああぁっ!!」
 逃げる体は繋ぎ止められ、吐息が途切れるまで悲鳴が続く。堪えきれずに突っ伏した顔からは、涙と唾液がだらだらと流れ落ちていた。
 おざなりに解されただけのそこはリオの逸物を受け入れるには不充分で、その痛みにダテは意識すら失いそうになる。
 なのに、虚ろなダテの耳に届いたリオの声は、とんでもないものだった。
「きついな……まだ半分も入ってねーのに……」
 ぐいっと押し込む気配を感じた途端、知らずに全身が強張り、それが痛みを倍増させる。
「いった……や……」
 身を捩りながら痛みとショックで小刻みに震えるダテの体を見ていたリオの顔が苦渋に満ちる。
 さすがにもう無理だと、小さく息を吐いていた。
 だが、ダテにはそれは見えなくて、リオの手が腰から胸に回された途端、怯えるようにその体が震える。
 僅かに見えた優しさに流されかけていたと、震える手を床につけて体を起こし、振り返った。その目に宿るのは僅かな怯えとそれを覆い隠すほどの怒りだ。
「ど……して……」
 溢れた涙が、頬やこめかみを濡らして床に滴り落ちる。
 その露わになった激しい感情に怯んだリオが、思わず体をずらした。
「んっ」
 途端にずるりとリオのものが抜け落ち、晒された鋭い痛みを必死で堪える。
 尻から肌へと流れる感触に、出血したのだと知った。
「リオ……何故?」
 崩れるように床に座り込み、震える唇が掠れた声をはき出す。
 聞きたいと、そのあまりに理不尽な行為の訳を質した。
「お前が……」
 答えないかと思ったリオが、それでも口を開く。見据えた視線はきつく、その心にはまだ怒りがあるのだとダテは気付く。
 だが、どうしてそこまで怒るのかがダテには判らない。
 たかが、お返しなのだ。
 それに拘るリオが判らない。
「俺の言うことを聞かないからだ」
 たが、リオの答えはやはりそれで、ダテは眉間に深くシワを寄せるしかない。
「どうして、そんなに怒らなければならない?たかがお返しだというのに」
 思わず漏れたため息に、リオがむっと眉間のシワを深くした。
「だからっ、お前は自覚なさすぎなんだ!お前にとっちゃ単なる義理の返しでも、受け取った奴らはそうと思わねーかも知れないだろっ!」
「思ったら、私を襲うとでも言うんですかっ?……って……」
 いきなり怒鳴られて、ダテも思わず怒鳴っていた。その途端に後孔に激しい痛みが走り、床に手をついて唸ってしまう。
「襲う」
 だが、端的に返された言葉に、ダテはつかの間痛みを忘れた。
 そういう事を聞きたかった訳でなく、だが、それはリオにとっては紛れもなく本心らしくてその目は酷く真剣だ。
「あ、あの……?たかが……お返しに……」
 まさか、と思い問い返す。
「ケインもセイレスも……ああ、リンドバークにビルもだ。お前に言い寄る奴らは、変態ばかりだからな。そんな変態共は何をするか判らないだろう?それぞれに前科があることだし……。それに俺には……」
 ふと何かを言いかけて、リオは慌てて口を噤んだ。
 その僅かに朱に染まった頬に気付いてダテは、驚きに目を見張る。
 言うに事欠いて、弟のケインと仲間のビルまで変態呼ばわりしたリオは、随分と不機嫌そうにそっぽを向いていた。
 いつでも自信満々で、たまの失敗も他人のせいにするところがあるリオだから、悔しそうに歪められた横顔など、そうそう拝めるものでない。
 なのに……そのリオが……。
 その頬を思わず凝視して、ダテは意外なものでも見たように数度目を瞬かせた。
 ケインもリンドバークもビルも、バレンタインデーに贈り物をしてきたからそれ相応の物を返した。それが気にくわないのだ、リオは。
 他の誰でもない、そのメンバーに贈り物をしたから……だから……。
 気に入らないから、あんな曲解をしてしまう。
 そう結論づけてダテは深いため息を吐いた。
 だが……リオはくれなかったではないか……。
 それに。
「私に言い寄る連中が変態なら……その最たるは、リオ……あなたです……」
「何だとっ!!」
 怒りも露わに向き直ったリオにダテも負けじと見返す。
「私を最初に好きだと言ったのはリオです。リオに好きだと言われてから……何故か男にもてるようになったんです。だから、一番の問題はリオだと言うことでしょう?」
「そ、それは……」
「私は普通に女の子が好きだったのに。それなのに、私をリオに向けさせたのはあなたではありませんか?男にもてて変だと思わないようになったのもあなたのせいです。私が男にもてて困るというのであれば、リオが責任を取ってください。だいたい……」
 ダテは微かに息を飲んで、そしてゆっくりと告げた。
「リオに触れられると……こんなにも感じてしまうのは……誰のせいです……私は、リオ以外の人に触られたって……嬉しくも何ともない……」
 こんなに乱暴にされて痛みすら走っているというのに、ダテの体はまだくすぶる残り火が存在する。
 中途半端に煽られた体が、痛みより欲しい物があると訴える。
「私が男であるリオが欲しいと思うようになったのは……リオのせいじゃないんですか?だから、男が言い寄ってくるようになったんじゃないんですか?」
 畳みかけるように責めるダテに、リオが息を飲んだ。
 リオを見上げるダテの肌は、羞恥のせいかほんのりと色づいている。涙で潤んだ瞳は充血して紅く、酷く淫猥に輝いていた。
 汗ばんだ肌が、リオの前で艶めかしく灯りに照らされている。
「それが何だってそんなに疑うんです?バレンタインデーのお返しなんて、みんなしている事じゃないですか?それなのに、何で私がしたからと言って、襲われる話にまで発展するんですか?私だって……あんな目にもう遭いたくないですよっ!思い出したくないほどの出来事だったのに、忘れようと思っていたのに……なのに、何で思い出させるんですっ?一体……私はどうすればいいっていうんですっ!!」
 最後には絶叫に近い声を上げながら、全裸のままリオに攻め寄るダテに、リオが後ずさろうとして失敗した。その体にダテは覆い被さってリオを離さないとばかりに捕らえる。
「リオ……私は……リオだから……抱かれたいって思ったんです。リオだから……好きになったんです。それを……壊させないで……」
 溢れる涙がリオの頬に落ちて濡らす。見開いていたリオの目が、辛そうに眇められた。
 それに縋り抱きつく手をきつくすると、それに答えるようにリオの手がダテの背に回された。
「リオ」
 その手が壊れ物でも扱うようにそっと動くのを感じて、ダテは安心感に包まれた。
「ダテちゃん……」
 その日初めてリオがダテの唇を塞いだ。
 そっと労るように包み込まれた頬が引き寄せられ、さらに深く合わせられる。ダテの手が伸びて、リオの頭を掻き抱いた。
 荒れていた互いの心を解きほぐすように、ゆったりとした時間が過ぎる。
 触れあうだけのキスは、それなのに熱くダテを高めていく。
「ダテちゃん……泣くな……」
 少しだけ離れたリオが部屋に来てから初めて漏らした優しい言葉に、思わず目を開ける
て。
「リオ……」
「まったく、お前もいい加減頑固だからな」
 顔の見えないリオが動いた途端、喉に直接吐息が触れた。
「あっ……」
 荒ぶっていた感情とキスの余韻からすでに弛緩し始めていた体から一気に力が抜ける。
「ごめん……だけどさ、ほんと今回は……悔しかったからな……」
 リオの手が探るように耳の下から喉に向かう。
 爪の先でひっかけるようにしたのは、いつもリオが口付けるどころだ。心情とは裏腹に込みあげる感覚にダテは堪えきれずに甘い吐息を零した。
 いつもリオは、その性格からしては不釣り合いなほどゆっくりとダテを解す。
 時にはそんなに時間をかけなくても良いのに、とダテの方が思うほどだ。
 今回もそれで、なおもたっぷりの傷薬をそこに塗り込める。
 治療しているのか、愛撫しているのか……見えないダテには判らないが、感じる快感はいつもと変わらない。
「んっ……もう……やっ……」
 手の平を押しつけるように指を最奥までいれて、薬を塗り込める。痛み止めの効果もあるそれは、吸収の良い直腸壁から患部へと十分に染み渡っているようで、痛み自体は無くなっていた。
 それなのに、まだリオの手は抜けない。
 電流のように脳髄を犯す快感のせいで、脳が働かない。ぼんやりとした視線がリオの行為を追いかける。
「ん……リオ……」
 焦れて、リオの方に手を伸ばす。
「まだだ……もっと解さないと……」
 その声が、自らの股間から聞こえることにすら、ダテは気付かない。
 ただ、肌が粟立つような刺激を堪えるだけだ。
 いい加減入れて欲しくて、代わりのように入れられた指を締め付けてしまう。
「ああ、判った判った。痛かったら言えよ」
 呆れて苦笑を浮かべたリオの顔が、足の間から見えた。
「リオ……」
 手を伸ばす。
 抱いて欲しいと、願って。
 ようやくリオの体がダテの上に覆い被さってきた。
 その重みも温もりも、何よりも代え難いと、ダテはきつく抱きしめた。
「おい……そんなにきつくされたら、入れられないぞ」
 揶揄めいた口調で言われて、はっと手を離す。
 かあっと芯から込み上げる熱のせいで顔まで真っ赤になったダテに、リオは触れるだけのキスを落とした。
 それだけで心底安堵する。
「リオ……もう……」
 羞恥も何もかも、今更だとダテはリオを見上げて言った。
 その言葉に、確かな質量を持ったモノが触れた。
 びくりと一瞬震えて、だが気を取り直して力を抜く。
 拡げて、押し入るモノは先ほど一回入れたモノと同じだというのに、今度はどこまでも入れて欲しいと願うほどにそれが愛おしい。
 塗られた薬は、その薬効のせいか確かにダテの痛みを緩和させていた。
 だがどこか物足りなさをダテに教える。
 完全に挿入され、リオが一息吐いたのを見て取ってダテは尋ねた。
「リオ……もしかして……麻酔薬……?」
 何も感じないわけではない。
 だが、これでもかと体内で触れあっているはずなのに、どこか曖昧さを持ってその刺激が伝わってくる。
「あ、ああ……少しだけ」
 苦笑するリオに、ダテは目を見張った。
「そん……に……酷い?」
「いや、それほどでも。でも、間近で見ると酷く痛そうなんだ。俺は……お前を傷つけたんだな、と思うとちょっと後悔しているんだぞ、これでも。だから、これ位はさせろ」
 これくらいというのが麻酔薬のことなら、ついでに止めるという考えはないのか?
 ふとそんな事を考えたが、だが、ダテは即座にそれを拒否した。
 今はリオが抱いてくれる方が嬉しいのだ。
 怒っていたことも忘れたように優しいリオに包まれたいから。
「じゃあ……?」
 麻酔薬がリオをも犯してしまうのではないかと危惧するダテに、リオは首を横に振って返した。
「その前に、達くさ」
 言った途端に、腰を大きく動かした。
 話をしている間に馴染んでいたそこが、引き連れるように引っ張られる。
 麻酔を使ったと言っても、指が入る酷い箇所だけだろう。
 突き上げられ、前立腺を押しつけられれば、紛う事なき快感が、背筋を駆け上がった。
「リ…オっ!」
 ぞくりと寒い訳でもないのに、全身が総毛立つ。
 敏感な場所をすられるたびに、喉から歓喜の声が漏れた。
「ダテちゃんは……綺麗で可愛くて……面白くて……退屈しない……こんな最高の恋人はいない……」
 褒めてんのかけなしてんのか?
 快感に溺れながらもふと突っ込みそうになった。
 それでもリオの汗まみれの顔を見ると、どんなふうに言われても許してしまいそうになる。
 いや、すでに先ほどの理不尽な行為は完全に許していた。
 リオが嫉妬してくれるのが嬉しい。
 嫉妬すると言うことは、愛しているからに他ならないから。
「リオ……もっと……お願い……もっと……」
 まだまだ奥深くを抉って欲しくて、譫言のように言葉を吐き出す。
 リオのリズムと、ダテが息を吐くリズムが一致していた。
 突かれた拍子に吐き、抜きかけた時に吸う。
「あっ…………やあぁぁ……ふぁっ……」
 リオの手がダテのモノを包み込み上下に扱いていた。
 後ろからと前からと、二カ所同時に責め立てられ、ダテは一気に高みへと駆け上がる。
「も、もう……」
 限界だと思った瞬間。
「あっあああっ!」
 堪えきれずに吹き出していた。

 

「だから、ダテちゃん……。バレンタインデーでチョコくれなかったのに、ホワイトデーのお返しだけはきちんとするんだな、って思ったらむかっ腹が立っちまって」
 気怠げな情事の後。
 二人仲良く狭いベッドの中で、抱き合うように寝ていたら、ダテの頭上でそんな声がした。
「え?」
 うっかり聞きそびれそうになって、だがバレンタインという言葉に呆けていた頭が一気に覚醒する。
「だからさ……お前くれなかった。まあ、男同士って言うのダテちゃんが恥ずかしがっていたから、まあ……今回は俺も多めに見ようかって思ってたんだがな。あ……でも来年は絶対にしろよ。今度忘れたら今日見たいなお仕置きじゃすまねーぞ」
 茫然と見上げるダテの頭を、リオが子供をあやすようにぽんぽんと叩く。
「あの……リオ?」
 引っかかる台詞に、ダテは眉間にシワを寄せながらリオを見上げた。
 悪戯するリオの右手を払いながらだ。
「何だよ、やっぱり恋人からバレンタインは貰いたいってのは心情だろ?ま、チョコは食い飽きるほど貰うから、他のもんでも可だが?」
 強制することを怒っていると思われたのか、そんな事を言う。
 だが、ダテの関心は別の所にあった。
「私は……上げました……」
 すうっと眇めた目がそっぽを向き、のそのそと体を起こして、ダテはベッドにあぐらをかいて座り込んだ。
「え?」
 要領を得なさそうなリオが、ダテを訝しげに見つめる。
 そんな様子を横目で窺いながら、ダテは小さくため息を吐いた。
 やはり気付いていなかったのか、とそれでなくても怠い体からなけなしの気力までもが抜けていってしまいそうだ。
「私は……あの日、ちゃんとチョコを用意して……リオに上げました」
 恥ずかしかったあの日の行動が脳裏に甦り、知らず知らずのうちに全身が朱に染まる。それほどまでにあの時は、準備するのも持ち歩くのも恥ずかしくて……。
「だ、けど……俺はそんなもん貰ってねーぞ」
 貰ったなら判るはずだと、首を振る。
「それは……直接は渡していないから……」
 司令室までは隠して持って行った。
 だが、いざ渡そうとすると恥ずかしくて取りだせない。まして、あそこは他のメンバーもいつ来るか判らないから。
「だから……」
 いきなり飛んだ台詞に、体を起こしたリオがますます眉根を寄せた。
「その恥ずかしいから、リオの机の横にあったその手のモノが一杯入った箱に突っ込んで……」
 そして後は何喰わぬ顔で過ごしたのだ。
 あの山のようなチョコに、こっちだって少しは嫉妬して……機嫌も悪かったから。
「……ってことは……あの箱は名前はチェックし終わっていたから……」
 リオが眉間に指を当てて、がくりと肩を落とした。
「お前……あれはチェック済みだから……俺、もうそんな……見てな???いっ!!」
 いきなり絶叫して、ベッドから飛び降りたリオは、瞬く間に衣服を身につけた。
「リオっ!」
 何事かと慌てて追いかけようとしたダテは、だが即座に腕を引っ張られてベッドへと逆戻りだ。
「けが人は寝てろっ。だいたいお前は、そういう大事なもんは手渡しが原則だろうかっ!!」
「だから。恥ずかしかったんですっ!」
 嫉妬してしまったことだけは隠して、言葉を突き返す。
「だから、じゃねーっ!バレンタインのチョコなんて、一年かけて食べるんだぞ。最初にチェックしていると思ったら、もうカードなんか見ないっ。ちっくしょ?っ、まだあるかな?」
 ひとしきり悪態をついてリオが去っていくと、部屋にはいきなりの静寂が訪れた。
 つまり……なんだ?
 ダテはじくじくと湧き上がる頭痛にこめかみを指で押さえながら、今までの出来事をゆっくりと反芻した。
 つまりリオは、バレンタインデーで自分は貰っていないのに、ホワイトデーで他人には返している事が判って、それで怒り心頭で……こんな行為を?
 それって……つまりは嫉妬という訳で。
 事の発端がまさかそんな一ヶ月も前に合ったとは……。
 相変わらずのリオの意外性に、ダテはあきれ果て……力尽きてベッドに突っ伏してしまった。
 箱一杯の中から無事ダテからのチョコを見つけたリオが、再び部屋にやってきた。
「お返しはしないとな」
 にやりと笑って、ダテに覆い被さってきて。

「お返しなんて……もうしない……」
 ダテが精根尽き果てて動けなくなり、任務を休んでしまったのは次の日のことだったという。

【了】