【Animal house】(1)

【Animal house】(1)

「っ……い、らっ……しゃぃ、ま、せ……」
「いら……しゃいませ……ぇ……」
「あ、ひ…………ませ……」
 深く、磨き抜かれた木目の床に額が付くほどに頭を下げて、客を迎える。けれど迎える声はか細く震えており、中には嗚咽や喘ぎ声すら混じっていた。
 知らぬ者から見たら異様な風景だろう。
 床に跪きひれ伏して深く頭を下げた全裸が二列、エントランスから奥の扉に続く緋毛氈の横に並んでいるのだから。
 性別も年齢も、肌の色も頭部の髪の色も様々ではあるけれど、その背と尻の膨らみまで何もかも訪れた客には丸見えだ。中には頭部に飾りを付けた者、尻に尻尾を付けた者、肌を淫らとしか言えない模様や卑猥な言葉のタトゥで飾っている者もいる。
 そんな彼ら・彼女らが零す歓迎の言葉は、けれど各種の切なる響きが込められていた。体内から零れる微かな響きに甘い喘ぎ声を漏らすモノもいれば、青ざめて涙を流しているモノもいた。
 常識を持つ者なら、立ちすくんで動けなくなるほどの悲哀と情欲の相反する二種類が入り交じり、目眩すら起こすだろう。
 だが、そんな声に動じた様子など無く、緋毛氈に吸収されて鈍い靴音は、「お帰りなさいませ、マスター・リィ」という言葉とともに、皆と同じく頭を下げていたウサギのすぐ近くで止まった。
 その言葉に、びくりとウサギの全身が震える。
 黒い髪に濃茶の瞳から、黒兎に喩えられたのは最初からだ。けれど、今は呼び名すら「ウサギ」となっている。
 再び足音が鳴り、それが徐々に近くなってくるのを聞いてもなお、その名の持ち主でないことを願う。それでも正直な身体は怯え、震えが止められない。
 肩から前に流れる黒髪は切ることを許されぬままに頭頂部で結い上げられ、頭を下げる度に尻尾のように揺れた。同時に、頭に付けられたウサギ型の黒く長い耳もまたひらひらと揺れて、視界の端で床を擦る。その動きが、視界の中に黒光りする革靴が入った途端に大きくなった。
 ダメだ……ダメだ……。
 意識して震えを止めようとするのに、止められない。
 自分以外に行って欲しい……と思うのに、革靴の先はウサギの方を向いている。ほんの少しも曖昧な場所ではないことに、絶望が襲う。
「ウサギ、今宵も震えているのかい、可哀想にね」
 同情とは裏腹の嘲笑を孕んだ言葉をかけられて、ガクガクと大きく全身が震えてくる。
 この声音を間違えるはずもない。何より、客を迎える黒服が大切な客を間違えるはずもないのだけど。
 ここに来てつけられた名前すら捨てさせて「ウサギ」と名付けたリィは、ウサギの大切な客だ。同時に、接客を始める前まではかろうじて持っていた矜持も人としての尊厳も何もかも奪った男でもあった。
 何もかも。何もかもが初めてだったウサギに一方的に全てを教え、支配する客がリィだった。
「ご用……を、お、うかが、いしますっ……」
 だけど、否という権利はウサギには無い。耳より向こうに見える革靴の持ち主は大切なお客様で、しっかり対応しないと後で手酷い罰を受けてしまう。それはよく判っているのに、声が上擦り言葉が途切れる。
「そうだね、今日もこの可愛い黒兎と遊びたいね」
「ひ、いぃっ!」
 言葉と共に後頭部の括られた髪が引っ張られた。容赦ない力に上体を上げるしか無くて、噛み締めた唇の端から苦痛の呻きを漏らす。
「ウサギ、可愛い私の子兎」
「あ……ひっ……」
 上げさせられたせいで視界に入った客の表情に、ウサギの顔から一気に血の気が失せていく。
 リィが愉しげに嗤っていたのだ。しかもウサギの全てをじっくりと上から下まで観察して、だ。
 首輪と腕と膝に付けられた拘束具、そして頭の飾りのみしか許されていない身体は、恐怖に色を失っていることすら隠さない。それに気付いたのだろう、その笑みが深くなっていく。
「相変わらず臆病だね。そんなに人が怖いかい? まあ、しょうがないか子兎だから。いつも一緒にいないとやっぱりダメだね」
「ひっ……」
 優しい声音なのにその瞳に浮かぶ酷薄な色に気が付いて、ウサギの身体の震えがさらに酷くなる。
「マスター・リィ。お部屋のご用意ができております」
「ああ、判った。ウサギにはプレゼントがあるから、着けさせて寄越してくれ」
「かしこまりました」
 黒服の恭しい言葉とともに、無造作に髪が放された。がくりと崩れ落ちた身体は、四肢に力が入らずに床に突っ伏してしまう。
「い、いや……」
 小さな啼き声は、その周りにいる皆の耳には入っただろうに。
 けれど、深く頭を垂れたままの者達は、誰一人動いてはくれない。今ここでウサギと同じように全裸でいる者は、誰一人意見を言うことも拒否する事も許されていないのだ。今はきっと、自分がリィの相手をしなくて良かったと、ほっとしているだろう。
 ここには味方はいない。そんな判りきったことを再度認識してしまい、絶望感に捕らわれる。
 ふるりと飾りの黒い耳が揺れて、溢れた涙が頬から顎へ、そして剥き出しの胸にまで垂れた。
 黒服はそんなウサギの腕を取り、言葉もなく準備へと誘う。その動きは激しくはなかったけれど、有無を言わさぬ強さがあり、そしてウサギには逆らう力などなかった。


 ウサギは二ヶ月前にこのコンパニオン・ハウスと呼ばれている館に連れてこられた。
 幼い頃からスラム街で育ち、スリやかっぱらいをして稼ぎ、それを親方と呼ばれる男に貢いでなんとかここまで生きてこられた。だから、両親の顔どころか年もよく判らない。20は来ていないだろうけれど、それでも成長期は過ぎている。けれど、幼い頃から栄養が足りていないから、ひどく小柄でスリムだ。それに、黒髪に濃い茶色の瞳、少し黄色ががった肌だからアジア系で、だからこそ余計に大きくなれないだろうと言われたこともうるけれど、気にしたことなど無かった。
 ただ成長期を過ぎてそこそこの稼ぎ頭になってからは多少は余裕ができてきて、これからは自分一人で生きていこう、なんて考えていたとき。
 そんなとき、いきなりここに連れてこられたのだ。
 どうやら親方に売られたらしいということは、連れてこられた時の会話から判ったけれど、それが判ったときには、もうウサギには逃げ出す術などないに等しかった。
 このコンパニオン・ハウスがアニマルペットを用いた癒しの場として、ごく一部の輩には有名な場所なことは、ここに連れてこられて初めて知った。
 当たり前だろう。
 身体を売ることが当たり前のような地区でもあったから売春行為自体は知っていたけれど、稼ぐことができたから縁がなかった。まして、人を動物に喩えて、全てを奪って売春させるなど、聞いたことなど無かった。
 だが、実際にここにはそんなモノが存在していて、自分がその対象になっている。
 しかも、その癒しで働く行為の全てが性的虐待だと知ったモノ達を徹底的に監視し死すら支配してしまう。そんな場所があるなどと思ったことすらなかったのだ。
 逆らうこともできぬままに暴力と性技の最低限の躾を経て、今日のように客前に出さされたのが一ヶ月ほど前。その最初の客がマスター・リィだった。
 その名はもちろん偽名で、マスターの称号はここの支配人が彼の手腕を讃えて特別に贈ったものだ。
 それ以来、ウサギはリィのお気に入りとなっていた。
 黒兎のウサギ。
 リィがそう呼ぶから、ウサギの頭には黒兎の耳が飾られる。そのせいでエントランスで頭を下げていてもウサギがどこにいるかすぐ判ってしまう。だから、彼は選ぶときにウサギを間違えない。
 ウサギが気にいった彼は、最近では週に一度以上、二度から三度は訪れるようになっていた。


「お、待たせ、いたしました……マスター」
 スラムにいた頃は勝ち気だったウサギは、今はここにはいない。スラムで培った尖った牙は性的な暴力の中でへし折らてしまっていた。
 さらに、その手足にはリィがわざわざ高額の金を払って付けさせている拘束具がある。他の客相手の時でも外すことはできないようにされたそれは、ウサギの両方の肘は90度、膝は90度から鋭角の範囲でしか曲げられないように固定する金属製の枷で、そのせいでウサギは四つん這いか、跳ねるか、尻でいざるようにしか移動することができない状態だった。
 そんな事をされているアニマルは他にはいない。面白がる他の客はいるが、そのための費用を聞けば二の足を踏む。いくら面白くてもアニマルにそれだけ金はかけられないという客達の中で、リィはその金を惜しまなかった。惜しまずに、ウサギを躾けるためなら、いくらでも払う。
 それが、ウサギがリィを畏れる最大の要因だった。
 金さえあれば何でも叶えられるこのハウスの中では、自由も肉体改造も死も、全てが金の支払いがあるかで決まる。それこそ、リィが望むことができるからだ。
 だが、ウサギは兎。金など一銭も持たないアニマルで、しかも、自由にならない身体では逃げることすら叶わず、リィの前で怯える子兎でしかない。
「ほお、よく似合うね。ほら、もっとよく見せなさい」
「はい、マスター」
 嬉しげにほくそ笑むリィに、ウサギはこくりと頷きのろのろと自分の背後を見せた。四つん這いの姿勢を崩せないウサギのその動きは緩慢だが、それで彼が声を荒げることはない。
 かくんと上体を落として肩を床に付け、その分上がった尻を彼に見せつける。
 そこには、今日の贈り物である可愛い兎の尻尾がゆるゆると揺れていた。もちろんただの飾りではない。
「ふふ、良い大きさだったようだね。ウサギのために特別に作らせたから、とっても良いサイズだろう?」
「は、はい……」
 返事に躊躇うけれど、結局は頷くしかなかった。その尻尾の根元には男根を模した太い張り型で、大きいと言われるマスター・リィのペニスよりも長くぎちぎちにウサギの身体の奥深くまでを満たしている。その張り型の尻を飾る黒い房が日に焼けたことのない白い尻タブにひどく映えていた。
 それを満足げに見ていたリィは、おもむろにポケットから取り出したリモコンのスイッチを入れた。
「ひあっ……あぁぁっ」
 がくんっと身体が崩れた。
 中から伝わる激しい振動が脊髄まで揺さぶって、四肢の力を奪った。そんな事を考える間も無く、凄まじい快感が飛散し、暴れ、脳髄を爆発させる。
「ひっぎぃぃぃ、ガッああぁぁっ、ぁああっ」
 何もスイッチなど無かった。だから太いだけのただの張り型かと思ったのに。
 だが、実際には今まで使われた玩具のバイブなど目にないほどの強震が、ウサギの身体を中から揺さぶっていた。涙で霞む視界の中で、リィが愉しげにリモコンを弄くっているのが見える。
 大きくスライドする度に、震動がより激しく襲ってくる。しかも、ウサギにあわせて作ったという言葉は嘘ではないのだろう、前立腺にその振動がもろに当たる。
 痛いのに、ペニスが体液を噴き出すほどの快感が止まらない。けれど、辛い。
 ガクガクと腰が跳ね、リィの前で啼きながらのたうち回る。
「ああ、良さそうだね。そんなに嬉しそうに飛び跳ねてくれて嬉しいよ」
「い、ああっ! あひっ……いぃ」
 手が伸びないから、外したいのに外せない。
 その分尻を擦りつけて、尻尾をどこかにひっかけて外そうとする。
 でも、その程度で抜けるような構造をしていない。尻尾はふさふさの毛で覆われていたけれど、その中心は大きくて硬い球体だ。太い張り型とその球体は金属のジョイントによって繋がれていて、その間は細かった。そこに肉壁が食い込んでいて排泄しようにも、簡単には抜けてくれないのだ。しかも、尻尾の上に身体が乗っているといくら息んでも僅かすら排泄できない。仕方なく仰向けになって足を高く掲げて尻尾が自由になるようにするけれど、その苦しい姿勢では息むことすらできなかった。
「あ、あひっ……がっ、はっ、ああっ」
 快感の兆しに震えるペニスが、白濁を噴き出す。その液が、リィの靴を汚しても、許可されていない射精に、リィが頬を震えさせたのに気が付いても、止まらない。
 何をされても堪えて、客が喜ぶように応えることがアニマルである役目だったけれど。
「ひぃ、ひぃぃぃ、ぎぃ、ああっ、いくっ、いくぅっ」
 毎回嬲られ続けて敏感になった前立腺を直接揺さぶられては、我慢などできるはずもなく。
「可愛い子兎は、なかなか我慢ができないんだから。さて、どうしたものか」
 暗い笑みを孕んだその言葉が耳に届いても、再度噴き上げる精液を止めることなどとうていできなかった。




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