【檻の家 -以心伝心-】(前編)

【檻の家 -以心伝心-】(前編)

 あの時ここに来なければ。
 ガラス越しに見える清潔感溢れる店内の様子を見て取って、敬一はぎりっと奥歯を噛み締める。
 センス良く貼られた目線の高さのチラシと明るい雰囲気のロゴが、適度な目隠しになっている店。
 適度な解放感があるつくりが、警戒心など抱かせなかった。
 それでなくても、手当たり次第に店を訪れていた時だ。ここも、藁にも縋るつもりでこのドアを開けた。
 あの時と似た服装なのは、単なる偶然だけど。
 あの時もこんなふうに手が震えていたけれど。
「いらっしゃい、ああ、敬一君、待ってましたよ」
 あの時と同じ、優しい笑みを浮かべた彼の姿も変わらない。
 けれど、今は……あの時とは違う。
「……は、あぁ……」
 後ろ手に透明なガラスのドアを閉めた途端に、熱い吐息が零れた。
 ようやく人目から逃れられたという安心感からか、じんじんとした疼きが先より激しくなったような気がした。
 毎日毎日いろいろな行為をさせられて、敬一の身体は快感に貪欲だ。しかもどこもかしこも性感帯になるように躾けられている。
 そのせいで、僅かな刺激も快感を呼び起こし、甘酸っぱい疼きに襲われる。
 そんな身体に、あの家の男達は容赦しない。手を変え品を変え、敬一を苛むことを忘れず、今カウンターの向こうで笑みを浮かべながら敬一を見ている鈴木とて例外ではない。
「こちらに持ってきてください」
 促されて、片足を動かした途端。
「んあっ」
 それまで必死で我慢していた気力が萎えてしまったせいか、逸らしていたはずの快感が暴れ出したのだ。
 ぐらりと身体が傾いだ。
 崩れかけてドアにぺたりとついた背が、服越しに冷たさを伝えてくるのが気持ち良い。だが、身体の奥から湧き起こる振動が、僅かな冷たさなど一気に消し去る。
「あ、あぁっ」
 姿勢がかわれば当たり所も変わって、見開いた瞳に鈴木が微笑む。
 ガクガクと痙攣する身体から力が抜けて、片膝をつく。暑い最中でもきっちり着込んだ襟元をゆるめるように引っ張って、息苦しさに喘いだ。
「おや、どうしたんです?」
 にこりと──変わらない笑みはあの時と同じ。けれど、その瞳がほの昏い熱を孕んでいることを、今は知っている。
「な、んでも……無い……」
 なけなしの矜持を振り絞って、ふらつく足に力を込める。
 だが、途端に奥で響く異物を締め付けて、振動を強く感じた。
「あ、んくっ」
 喘ぎ、力の抜けた足でなんとか立ち上がる。
 たかだか2メートルも無いカウンターまでの距離が遠い。足を動かすたびに尻を押し広げるほどのサイズの異物に肉が絡みつく。伝わる振動は内臓まで伝わり快感の泉を掻き回し、堪らず再び膝をついた。
 勝手に緩急をつけるそれは、慣れた時には激しくなり、達く寸前でまた弱くなって。
 まるで敬一の状態を見ているものがコントロールしているような動きで、敬一を淫靡に苦しめ続けるのだ。
「早く持ってきてください」
 呼びかけられ、手をついて前進する。右手に持った鞄がずるずると床を這った。
「あ、はぁぁ……」
 込み上げる熱が全身を犯し、いつも以上に敏感になった肌を震わせる。
 シャツの布地すら、やすりで擦られているようだ。
 ざらついた感覚が丹波の指に触られて愛撫されているようで、びくびくと身体が震える。乱暴な手は、敬一の性感帯を執拗に嬲る。こんなふうに服を着せたまま達かせることも多くて。
「んん──っ、ああ」
 目を閉じればそんな記憶に襲われて、開ければ澱んだ視界で鈴木が嗤うのが見える。
 人を蔑んだ視線を落とし、冷たい言葉で嬲る鈴木が口を開く。
「遅いですね。私としてはもっと早く持ってきて貰いたくて電話したんですが。こんな簡単な手伝いもできないのなら、躾し直す必要がありますね」
 鈴木の言葉が耳から脳を犯す。
 鈴木まで1メートル弱。
 けれど、それが遠い。
「ま、待って……」
 ふらふらと立ち上がるのも辛い。上から見下ろす顔が、濡れた視界でぶれて見えた。
 どんなに辛くても、この男が手伝ってくれないことは判っていた。
「顔を真っ赤にして震えて。欲情しきっているようですけど? もしかして地下鉄に乗っただけで欲情したんですか? あの振動で? それとも男の臭いでしょうかね?」
 快感に悶える身体を嘲笑い、とろけきった顔を揶揄されて。
「ち、違い、ますっ」
 慌てて伸ばした手で、椅子の脚を掴んだ。それに縋り、立ち上がる。
 それほど重くなかったはずの鞄がひどく重くて、はあはあと喘ぎながらカウンターの上に鞄を投げ出した。
「も、持ってきました……」
 電話で頼まれた物。
 言われたとおり地下鉄に乗って持ってきたそれを、確かに渡す。
「ああ、ありがとうございます。助かります」
 笑みを浮かべて見下ろされて、その表情にほっと息を吐いた。
「でも、遅いです。それに、先ほども言いましたが……何故そんなにも欲情しているんですか?」
「だ、だって……」
 冷たい問いかけにぶるりと震えたのは恐怖のせいだ。
 これが鈴木が望んだ事だということは、判っていても。
 それでも、敬一は逆らうことなどできなくて、ただ彼が望むままに動くことしかできない。
 それが、さらなる躾の名目を与えると判っていても。 
「だって? 私は、地下鉄で鞄を持ってきてください、とお願いしただけですけど」
「そ、そうだけど……バイブが……んくっ」
 言い募ろうとした途端に尻の中に深く埋め込まれたバイブが、また動きを変える。
 ただの振動が胴体を回転させるものになり、前立腺を肉越しに揉み上げ、激しい快感に意識が白く爆ぜる。
 背筋を伸ばして身悶える敬一に、鈴木が肩を竦めた。
「もしかして、あのバイブを挿れてきたんですか? ったく、好きですねえ」
 ほとほと呆れました。と呟かれて、嫌々と首を振る。
 生理的な涙をにじませて、口の端から飲み込めない涎を垂らしながら、がくりとカウンターの上に突っ伏した。
 積み重なった我慢は限界で、疼きは限界まで脳髄を揺さぶる。
 どろどろに溶けた身体は、もう力など入らない。
「だ、だって……バイブ……置いてあって……」
 朝、鈴木が出かける前に言われていたのだ。
『今度私と会う時には、部屋に用意してあるバイブを挿入して待ってくださいね。そうですね、30分くらいはしっかりと動かしておくんですよ』
 鞄の上に置かれたペニスを模したバイブを見た途端、その言葉がはっきりと思い出された。
 その途端、この依頼が仕組まれた物だと判ったけれど、それでも敬一には拒絶する権利など無い。
「会うから……、挿れないと……」
 ぐすっと鼻を鳴らして、あの時の葛藤を思い出す。鈴木が仕事から帰る前に挿入しろ、という意味だとは思った。けれど、会う時、と鈴木は言ったのも事実で。
 鞄を持って行けば、会うのは確実。
 あの家からここまでちょうど30分で、それに鈴木は電話で言ったのだ。
 早く──と。
「ああ、そういえばそんなことを言いましたね。忘れていましたけど、それは帰った時の意味だったんですよ」
 口の端で嗤われながらあっさりと言われたそれに、がくりと身体が崩れる。
 はあはあと荒い息を繰り返しながら首を振る。エアコンの効いた室内は涼しい位なのに、ぼたぼたと汗が落ちていく。
 鈴木がそういうのは判っていたけれど。だけど、きっと挿れて来なければ、それはそれで責められただろう。
 命令を従わなければ、お仕置きされる。
「まあ、敬一君はそういうの好きですからね。地下鉄の中、今の時間は混んでいたと思いますけど、そんなイヤらしい顔を晒したんですか?」
 ひくりと喉が震えた。鈴木の言葉が地下鉄の中の快感を思い出させて、激しい羞恥に身を捩る。
 声を堪えて、震える身体を押さえつけて、ただ、ただ、目的の駅に着くまでが長かった。
 気が付かれてはいないと思ったけれど、それでも人々の視線が痛かった。
「痴漢されませんでした?」
「そ、それは……無かった……」
 ふるふると首を振る。この店に入るまでは、平静を装えた筈だから。
「それは良かったですね」
 顎の下で手を組んで、にこりと微笑む鈴木の視線に促されるように、椅子に座る。
「んくぅぅ……あはぁ……っ」
 ぐさりと奥深くを抉られて、背筋がピンと伸びきった。
 店の中なら見られないという安心感のせいか、快感が何度も弾けて頭の中がとろけていく。
「イヤらしい子は好きですが、そんな顔を他人に晒して媚びるような子は嫌いですよ」
 理不尽な言葉は、とろけきった脳を滑っていく。
 何をしても、どんなに従っても。
 あの家の男達は、敬一を責める。
 けれど従わなければもっとひどくなるから……。
「帰ったら、たっぷりお仕置きして上げますよ」
 その言葉が耳に届いた途端にぞくりと背筋に走った疼きに、敬一は空気が漏れるような喘ぎ声を零した。
 


「辛そうですね」
 冷たい瞳は変わらない。
 くすりと嗤う鈴木に応えられたのは、熱い吐息だけだ。
 熱く火照った身体は、まだ治まりそうにない。けれど、少しずつバイブの振動が弱くなっている。
 強力な分、電池の消耗が早いのが救いだ。けれど。
「ゆ……るして……」
 こんなところで射精などさせて貰えないのなら、せめて、バイブを抜く許可を貰いたい。
 ここに来るだけで疲れた身体は、このままでは帰宅することすら無理だろう。
「か、えりたい……」
 この後、仕置きが待っているというのなら、それまで少しでも身体を休めたかった。
 だが、このままでは帰れない。
「ああ、私も今日はこの整理が済んだら帰りますので、一緒に帰りましょう」
 笑みを含んだ言葉と視線は、優しさから来ているなどと思わない。
「俺……は、先に……帰、ります」
 震える唇が、かろうじて拒絶の意を伝える。
 タクシーで帰るならまだマシだ。
 けれど。
「駅前の店で買い物して帰りましょう」
 敬一を追い落とす言葉が、敬一の望みを吹き飛ばす。
「その前に、1時間ほど時間をください。急ぎますからね」
 震える唇が言葉を失う。
 逆らえば、きっと悪い方向に進むだろうことは、今までの経験で判りすぎるほどに判っていた。
「はい……」
 掠れた声音が震えていた。
 一緒に暮らし始めて数ヶ月も経てば、それぞれの人となりが判ってくる。まして、敬一はそれを身体で教えられているのだ。
 嫌だと逆らえば、三枝ならば全身を縛り付けられ、敏感な場所が覆い隠れるほどにロウを落とされる。低温タイプだと言われたけれど、続けて落とされれば熱は籠もる。ロウに熱せられた肌は、三枝の日が終わっても、しばらくの間敬一を苦しめ続けた。赤くなった肌が布地に擦れるたびにひりひりと痛み、敏感な乳首や亀頭はさらに敏感になって。容易く勃起した場所は、他の面々の格好の餌食となった。
 鈴木は、まだ穏やかな方だ。
 他人がいれば彼らに従うが、鈴木だけの時はアナルや尿道の無理な拡張も、血が出るような行為も無い。
 ただ、鈴木の行為が一番辛い。
 四六時中敬一の一挙手一投足を観察し、冷たい視線で肌を嬲り、言葉で従わせ、また、言葉により貶める。 時間をかけて愛撫を繰り返して狂おしいほどの快感を与え、気が遠くなるほどの我慢の末に歓喜の渦に貶める。
 その間ずっと繰り返される言葉は洗脳に近い。
 望んで犯されているのだ、犯される事が大好きなのだ、と、気が付けば、そんなことを考えていて。
 『誰が相手でも悦ぶ淫乱な娼婦』と罵られて、否定できない自分にいつも愕然とするのだった。
 堪えきれずについた嘆息に、鈴木がふっと口の端を歪めた。
 それに気づいて、びくりと身体が震える。
 一瞬ひくついた唇が強張り、僅かに体内を震わせる振動を忘れた。
「暇なら、乳首弄りでもしていなさい」
 まるで、雑誌でも読んでいてね──と、でもいうような軽さで伝えられた言葉に、敬一がぎくりと顔を強張らせた。
「シャツのボタンを外して、Tシャツをめくり上げて」
 持っていたペンの先で、敬一のシャツのボタンを叩く。
「乳首、弄るの大好きでしょう? どうぞ自由に弄り続けてください」
 含み嗤いが落とされて、冷たい視線が敬一の身体を這っていく。指先に支えられたペン先が、コツコツと叩くのは、乳首がある場所だ
「うっ、くっ」
 コツコツと固い振動がざわりと肌を総毛立たせる。
 目立たないようにTシャツを来て、その上に厚手のシャツを羽織るのが最近の敬一の定番だ。
 胸ポケットにも隠された乳首は、穿たれたピアスのせいで常に刺激を受けていて、ほんの僅か追加の刺激を受けるだけで、淫らに勃起してしまう。それを隠すための格好だが、叩かれる刺激を遮るほどではない。
 まして、今はバイブのせいで欲情し切っていて、やたらに敏感になっているのだ。
「見せてください。敬一君が弄るところを」
「え……あ、でも、んくっ」
 首を振り逆らおうとして、押しつけられたペン先でぐりぐりと捏ねられて、堪らずに前かがみになった。
 甘酸っぱい刺激が乳首から股間へと共に脳髄にも伝わり、反射的に唾液が溢れた。
「イヤらしい顔」
 喘ぎ顰める顔を指先で嬲られた。
「身体を起こしてください。しっかりと背を伸ばしていないと、外の人たちが変に思うでしょうね」
「え……外……っ」
 促されて振り返れば、椅子に座った高さだと外の様子がガラス越しに良く見えた。歩いている人の顔は、ちょうどロゴやチラシに隠れているけれど、通り過ぎる車の運転手の横顔が遠く見える。
「ここ、見えて……」
 店内だと油断した。
 けれど、確かに外からこの内部の様子は良く見えていたことを思い出す。
 チラシやロゴが目隠しにはなっているけれど、見ようと思えば見ることは十分可能で。
 愕然とした敬一の襟元に鈴木の手が伸び、近づいてきた唇が耳朶に言葉を吹き込む。
「前屈みになるのであれば、乳首の代わりにそのイヤらしいチンポを弄くりますか? ただし、その場合は通りの方に向いて座ってもらいますよ」
「え……」
 敬一の肩を通り過ぎた手が、椅子の背もたれに触れる。キュッと鋭い音をたてて、椅子が動いた。
 回転式の椅子は、とても容易く敬一の身体を、表通りに向けてしまう。
「ひっ、す、すずき、さっ……やっ」
 今度は背後になった鈴木の手が、頭に触れる。髪を掴まれて、通りにまっすぐ顔を向けさせられて、蒼白な敬一の顔が、僅かにガラスに映る。
 明るい日差しの中、外より僅かに暗いのか。その分、外が良く見える。
 通りに停まった車の運転手と目があったような気がした。途端に悲鳴のような懇願が、喉から迸る。
「ご、ごめなっさいっ、乳首、乳首弄りますっ」
 恐怖に彩られた怯えにガクガクと震える身体に加わる遠心力。
 目の前に、いつもの敬一を凍らせる笑みの鈴木の顔があった。
「乳首弄り、好きでしょう? たっぷり遊んでくれて良いんですよ」
 許可の体裁を取った強制に、敬一は拒絶できない。ただ、コクコクと頷くだけだ。
「私も、敬一君の可愛い乳首が見られると仕事がはかどりますし。じゃあ、満足するまでご自由にどうぞ」
 敬一ではなくて鈴木が。
 言われなくても伝わる言葉の意味を理解してしまうことに臍を噛む。
 いっそ、何も判らず色に狂ってしまえば幸いなのかも知れないけれど。
 そんなことすら許されないだろう鈴木の巧みさもまた理解していて。
 敬一は何もかも諦めた表情で、震える手を叱咤しながらシャツのボタンを外し始めた。


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