?回路? – 2002-09-03
トシマサ・ダテ中尉は数m程先のデスクで画面を見入っている上官をぼおっと眺めていた。
士官学校を出てすぐに配属された工作艦カベイロスは、オリンポスの第二艦隊プロノイア・アテナ(先見の女神)に派遣されていた。そのカベイロスの中でもトップレベルの工作隊のリオ・カケイ大佐率いる総勢20人のチームに配属された。
リオは、外見は当代随一と言われるほど整った美貌の持ち主で、さらさらの茶色の髪を後ろに長く伸ばして、いつもそれを無造作に括っている。
その姿は女性士官達にも人気の的で、その髪一本でも手に入れたいと画策している女性たちがいるという噂すらあるという。
と、その髪と同じの茶色の瞳がダテに向けられた。
慌てて視線を下に向けるが、リオはにやりとその口元に笑みを形作ると、ひょいひょいとダテを手招きした。
見つめていたのがバレたのは判っているから、それを無視するわけにはいかない。
ダテは小さな息を吐くと、席を立つと、リオの元に歩み寄った。
「何でしょうか?」
内心の動揺を極限まで押さえつけ、にこりと笑う。
隙を見せるととんでもない目に遭う。
この上官は、見た目の麗しさを差し引いてもおつりがくる位に、最悪な性格をしていた。
最悪と言っても、決して「極悪人」なのではない。
質の悪い「いたずら好きな鬼」だとダテは思っていた。
そしてこの質の悪い鬼は、よりによってダテの恋人なのだ。
「ずっとオレを見ていただろう?」
予想通りの問いかけに、ダテは考えていた言葉をその舌に乗せる。
「ちゃんと仕事をされているのか確認していたのですよ」
「そうか?」
言葉通りには決して取ってくれないのは判っていた。
だいたいこの見目麗しい上官は、ダテをからかうのを最大の楽しみにしている。隙あらば、ダテを組み伏せようとしている……それは文字通りのことさえある……彼に、最近ダテはいい加減食傷気味だ。
どこにそんな体力があるのだろう?
と思えるくらいにパワフルなリオ。
昨夜とて、補給計画の最後の詰めに司令官たるリオと参謀副官のダテ、そして事務副官のグリームベル中佐の3人で半徹夜状態だったのだ。
やっと提出し終わり、今は交替で3時間ずつ仮眠を取っていてさきほどダテがグリームベル中佐と替わったばかりだった。
そのせいか、ダテはまだ眠かった。それが正常な思考を妨げる。さっきだって、リオを見ていたのは、頭が働かなかったせいだ。そんな事をしているのがばれたら、どんなに突っ込まれるか……分かり切っていたというのに。
案の定、リオはにやりとそのくちもとを歪ませるとダテにさらに近づくように手招きをした。
「その口は最近平気で嘘をいうからな」
機械を扱うせいで見た目よりははるかに力強い指が、ダテの襟元に差し込まれ、ぐいっとリオの方に引き寄せる。自然に前屈みになったダテはため息を漏らした。
その動きに従うように腰を曲げながらそっと瞼を閉じる。
唇に味わう柔らかな感触は、もう何度も経験をした。
軽く吸い付かれ、それに誘われるよう僅かに唇を開くと、よく動く舌がするりと入り込んでくる。リオの手が背中に回され、さらに深くきつく貪られた。
リオの巧みなキスは、いつだってダテを翻弄した。
躰の芯から疼くような痺れに襲われ、膝から力が抜けそうになる。
がくりと崩れそうになる躰を、リオの机に手をついて支えた。
「……ん……」
漏らすまいと思っていたのに、気が付けば喉から甘い声が漏れている。
これがもっと別の場所だったら、いつまでも味わいたいとさえ思わせる甘いキス。
だが、ここは誰がいつ来るとも知れない執務室だ。
それに力がどんどんと抜けていくのと不自然な中腰の姿勢でいることにもが堪えられなくなったダテは、ぐいっとリオの躰を押しのけた。
細く開けた視界の中にいるリオは面白そうにダテを見ている。
どこか潤んだその視界に、ダテはくっと奥歯を噛み締めた。一度きつく目を閉じ、そして開ける。
心臓がいつもより早い鼓動を打ち、顔が火を噴いたように熱い。
自分が赤くなっているのが自覚できるだけに、それがいっそうダテの羞恥を煽った。
「いつまでも慣れない奴だな」
くすりと漏らした嘲笑に、ダテはリオから視線を逸らした。
……慣れるか、こんなこと……。
しっとりと濡れてしまった唇に手の甲を当てながら、ダテは頭の中で毒づいた。
いつだって感じさせられるリオのキスに、ダテは逆らう術を持たなかった。
ダテが自分の気持ちに気づく前なら、相手が上官だからと納得づくで受けることができた。だが、最近のキスは、お互いの想いを伝え合う恋人としてのキス。だからこそダテは余計に感じてしまう。
そして、自分がそれだけリオに惹かれているのだと自覚させられる。
だから口惜しいと思う。
ダテの想いを無視するようにいつだってリオはふざけたようにその行為をする。ダテの失敗やちょっとした仕草をからかうように、その行為を強いる。
いいように踊らされているというのがどうも癪に障るのだ。
できればもっとムードを大切にしたいとすら思っているダテにとって、リオの時と場所をわきまえない行動は、怒りすら覚えることがあった。
だが……。
相手は恋人である前に上官なのだ。
ダテはいつだってそう思うことで自分の感情を押し殺した。
性格は最低最悪でも、その技能は確かに最高レベルを持つリオは、少なくともダテが従うに足る上官だと認識していた。ならば、執務中である今は、上官であるリオには従わなければならなかったし、彼を仕事させるのが、ダテの仕事だった。
「そろそろグリームベル中佐が起きてこられます。それまでに、その資料を完成させる約束だったでしょう?」
息を整え平静さを取り戻したダテに、リオはつまらなそうに視線を向けたが、結局何も言わずに視線を手元に戻した。
それを確認したダテはほっとしながら、自席に戻った。そして、熱くなった躰から熱を吐き出すように、躰の奥から息を吐く。
どうして……。
休みの日とか仕事が終わった後で二人っきりの時だったら、いいのに……って、私は何を!
思わず浮かんでしまった考えに、ダテは掌で口元を隠した。
慌てて、モニターの影に隠れるように躰を小さくする。
火照ってしまった顔をリオに見られたくなかった。
ちらりとリオを伺うと、リオはじっと手元の資料を読みふけっていて、ダテの動きに気がついていないようだ。
ほっとする。
だが……。
実際、あれから一ヶ月以上経っているというのに、プライベートではちっとも逢う機会がない。
まさか男同士でデートをしたいと思っているわけではないが、それでも何も知らないリオの事を聞いてみたいと思う。
なぜ、自分が気に入られたのか……ダテの何を知っているのか。
どうして、助けてくれる気になったのか。
聞きたいことは山のようにあった。実際ダテはリオが一体何を考えているのかがよく判らない。
それなのに、その機会がない。
いつかその機会を持ちたいとは思っているのだが、もし自分からそんな事を言ったとしてリオはどういう反応を返すのか。
それを想像すると、恐ろしさがなぜか湧き起こる。
その結果、一向に進展のない関係がずるずると続いているのだ。
リオは一体何を考えているのだろう……。
本当に私のことを好きでいてくれるのだろうか?
考え出すとどつぼにはまりそうな思考をダテは首を振って振り払った。
今は仕事中だ。
まだまだやらなければならないことは幾らでもある。
先程のキスが尾を引いているのか、どことなく気怠げな頭がうまく働かない。
もともと寝不足気味だ。
時間の無い時の体力回復法の一つである短期集中睡眠法を使っても、それが1週間も続けば自ずと限界が来る。
それに先程の落ち込み気味な気分もそれに拍車をかけていた。
だから気がつかなかった。
「何をため息ばかりついている?」
「え?」
間近で聞こえたその声に顔を上げると、傍らにリオが来ていた。
わずか数メートルしか離れていないとはいえ、近づく気配に全く気がつかなかった。
何てことだ……。
すうっと眉間に深い皺が入る。
仕事中だとリオに文句を言ったばかりの自分がこれではまたリオに突っ込まれるだけではないか。
慌てて意識を仕事に集中する。
「何か?」
内心の動揺を隠して、リオを見上げる。
だがリオは僅かに首を傾げると、そのまま自席に戻ってしまった。
何だったんだろう?
珍しく何もしなかったリオに、それはそれで不審を抱いてしまう。
だがその疑問も微かな摩擦音を立てて開いたドアのせいで立ち消えた。
なんの誰何も無くここに入れるのは、リオとダテ、そしてグリームベル中佐だけだ。
「おはようございます、グリームベル中佐」
にこりと笑いかけると、グリームベルもすっきりとした笑顔でダテに答えた。
「おはよう、ダテちゃん。ベルで良いって言っているのに……ところで何もなかったかい?」
そろそろ40代というグリームベル中佐を、リオや他の仲間達のようにベルと呼ぶのは気が引けるのだが、それでも最近だいぶ感化されてきた。しかし今ひとつ踏ん切りがつかない。
ダテは苦笑を浮かべながら、グリームベルに首を振った。
それは呼べと言われたことへの返答と何も無かったからという返答の両方を含めていた。
グリームベルもそれは十分判っていて、おかしそうにくつくつと笑いながらリオの元へと歩み寄った。
「おはようございます、カケイ大佐」
「おはよう。さっきオレ宛にメールが来たんだが……」
ついと指さされたスクリーンにそのメールの内容が映し出される。
「ダテちゃん、お前も見ろ」
どことなく不機嫌なリオの声音に慌てて席を立ってリオ達の傍らに寄った。
席からでも十分読みとることが出来るのだが、なぜかそうした方がいいような気がした。
「指令ですね」
グリームベルがぽつりと呟いた。
これは……。
指令書と呼ばれるフォーマットで来ているそのメールを読み進む内に、ダテにはリオの不機嫌な理由が判った。
「ファーレーンってこの前からニュースになっている輸送船ですね」
ダテが誰にともなく発した言葉は、二人の頷きによって答えられた。
ダテ達の工作艦カベイロスはもともとヘイパイトス所属なのだが、第2艦隊アテナに派遣されている。別艦隊所属といっても派遣された以上、その指令は第2艦隊を指揮するアテナの総司令部が代行する。
今回の指令書はアテナ総司令部発行になっていたが、ご丁寧にもヘイパイトス総司令部の名も連名で入っていた。
『輸送艦ファーレーン航行不能の原因であるエネルギー伝導システムの修理』
簡潔に書かれたその指令内容は、普段であれば何の問題もないことであった。それがリオが率いるチームの役目なのだから。
だが……。
「5人でしたっけ?殺されたのは」
グリームベルが座ったままのリオに腰をかがめて問いかける。
「ああ、誰に殺されたのかは未だに不明。その神出奇抜さと通り魔的な行為、そしてその奇怪な殺人方法に、ファーレーンの乗員89名は別の艦に避難している……というのが昨日までの情報だ」
その言葉に、回されてきた情報が頭の中に甦ったダテは背筋に走った悪寒に微かに身動いだ。
2
「怖いか?」
それを目聡く見つけたリオがダテに声をかける。どことなく揶揄を含んでいるような気がしたが、ダテはそれを無視した。
リオもそれ以上は何も言わなかった。
リオだって判っているのだろう、ダテが何を思い出したのか。
資料の中に含まれていた死体の写真は、全身が血まみれで辺り一面に血飛沫が散っていた。
その様子は、マシンガン系の銃の乱射に思えたが、死体の中にあったのは金属弾でも樹脂弾でもなかった。およそオリンポスが保有する通常の武器の中にはない物質。
外壁が堅い繊維質でできた内部は成分としてたっぷりとした水分を含む炭水化物を含んでいた。
直径1センチ程の楕円形のそれは、分析した結果90%の確率でそれが植物の種子だと判定された。
それが推定で250個、一人の体内に打ち込まれたのだ。
どうやって打ち込まれたのかは不明。火薬系ではないらしいという報告文もあった。
そんな報告書の内容が画像として走馬燈のように頭の中を駆けめぐる。
「確か、自動航行で目的地まで連れて行く筈だったんですよね、あの艦は」
「壊れたって事みたいだな。で、積み荷を捨てたくないから修理しろってか?ったく厄介な仕事ばかり押し付けてくる」
「まあ、日頃の行いの結果ですからねえ」
歯に衣を着せぬグリームベルの言葉にさすがのリオも押し黙ってしまった。
このリオを黙らせることが出来るのは、長年連れ添ってきたグリームベルくらいなものだろう。まだまだダテには無理な芸当だ。
ダテのそんな視線に気づいたリオが眉間に皺を寄せて睨んできた。
慌てて、視線を逸らして再度その指令書に目を通した。
考えてみれば、この指令を受けるとなると……いや、受けざるを得ないのだが、ダテにとって初めての乗艦外の作業になる。しかもかなり大きな仕事。
期待に胸が膨らむと言いたいところだが、その実ダテの胸中にはやはり不安が湧き起こっていた。
初仕事がこれか……。
胸中に冷たいものが吹き抜けるのはどうしようもないだろう。
やはりリオの元にいることを選んだのは、間違いだったのだろうか?
「まあ、とにかく準備をしよう。ベル、頼むわ」
前髪を指で掻き上げながらリオはそう言うと、立ち上がった。
「ちょっと休憩、ダテちゃんもな」
「え?」
抗議の声を上げる間もなく引っ張られていく。
「あ、あのっ、私も手伝いますから」
振り解こうにもがっしりと掴まれた手首は痛いくらいでそう簡単には離してくれそうにない。
助けを求めた視線は、にっこりと笑みを浮かべたグリームベル中佐の言葉に遮られた。
「ゆっくりと休んできてください」
「で、でも!」
新しい指令の実行開始は、明日なのだ。
準備をしないと!
一人では大変なはずだ。それがダテの役目だというのに、二人はあっさりとそれを否定した。
「カケイ大佐っ、いい加減にしてください」
執務室を出た人通りの多い通路を引っ張られていかれるのはひどく恥ずかしくて、ダテは抗議の声を上げるがリオは一向に手を離そうとしなかった。
通り過ぎる中には、リオのチームの人間も含まれていた。
相変わらず、といった視線に顔が熱くなる。
仕方なく、逆らうのを止めた。引っ張られるのはごめんだから、足を速めて隣に添って歩く。
「リオぉ……」
エレベーターに乗って居住区に入ると人通りが絶えた。
「何だ?」
ようやく返事を貰えてほっとする、が。
って……私は何をほっとしているんだ?
「あ、あの……グリームベル中佐を手伝わないと」
「いい。ベルに任せておけばものの2時間もかからん筈だ」
その、リオにしてみれば絶大な信頼の言葉。
私は邪魔と言うことか……。
胸に走る痛みに、ダテは下唇を噛みしめた。
ふとリオが立ち止まり、僅かな動作の後にドアが開いた。
「ここは……」
「オレの部屋だ。ああ、そういえば来たことがなかったか?」
なかった。
ついと見回せば、ダテの部屋と大差ない。そもそもダテの待遇の方が破格なのだ。あの部屋は佐官級以上の隊員が入る部屋なのだから。
「なぜここに連れてきたんです?準備があるのに」
先程の胸の痛みがまたちくりと湧き起こってきた。
今は仕事中だから、なぜリオは私に仕事をさせてくれないのだ?
いつもならここまで思わなかったかも知れない。だが、どう見ても大変な指令。こういう大事なときに、仕事から連れ出されては嫌な考えばかりが頭に浮かんでくる。
「もともとあの手の準備はベルが一手に引き受けていた。だから、ベルに任せておけばいいんだ」
「しかし私の仕事でもあるんです」
参謀副官というのは名目だけとは思いたくなかった。
もともと上昇思考は皆無ではあるのだが、それでもなった以上はきちんとこなしたかった。
……役立たずにはなりたくない。
それはプライドというものなのかも知れない。このリオの傍にいることを選んだのだから、それ相応の立場でいたかった。
「何を考えている?」
リオの手がダテの頬にそっと添えられた。
「なんでもないです」
そこから伝わる甘い疼きから逃れるように身を捩る。
「戻ります」
グリームベル中佐の邪魔をしないようにすることくらいは出来る筈だ。
踵を返して戻ろうとしたダテだったが、気がついたらしたたかに床に背を打ち付けていた。
「!」
足を掬われたと感覚もなかった。痛みが息が吐き出させる。
苦しげに細めた視界の先にリオの顔と柔らかなアイボリーの色合いの天井が見えた。
「オレの言うことが聞けないのか?」
両肩に乗ったリオの手に彼の体重が加わり、床に押し付けられた肩胛骨が悲鳴を上げていた。
「リオ……」
怒っているのか?
呼びかけた言葉はリオの口の中に吸い込まれる。
まただ……。
きつく吸い上げられ探り出された舌を絡め取られながら、しかしダテの心は悲鳴を上げていた。
嫌だ……。
どうしていつも私の意志を無視するんだ?
今は仕事をしたいんだ。
こんな……私の行動が気に食わないからといってキスされるのはまっぴらだ。
リオの心が信じられなくなる、から……。
発することの出来ない言葉が、頭の中を駆けめぐる。
頼むから……止めてくれ。
閉じた目尻から、吐き出せない言葉の代わりのように涙が溢れる。
リオの手が頭に回され、肩にかかっていた体重が全身に分散された。
接した部分は熱く熱を伝えてくるのに、背は体温より冷たい床で熱を奪われる。
「泣くほど嫌か?」
絡められていた舌が解かれたと感じる間もなく降ってきたその言葉はひどく不機嫌で、ダテはうっすらと目を開いた。
眉間の深い皺が露わなリオの表情に、息を飲む。
「もういい……」
躰の上から重さと熱が消えた。
立ち上がったリオは、転がったままのダテを無視してベッドへと歩み寄る。
「仕事したいなら戻ればいい。オレは休む」
上掛けをはぐるとその服装のまま潜り込む。
「リオ……」
ダテは手をついて立ち上がりベッドへと近寄った。が、リオは壁の方に向いて横になっており、ダテを無視する。
ずきりと痛む胸は先程よりきつい。
怒らせた?
その背中がダテを拒否する
こんなふうに怒らせたのは初めてだった。
いつだってリオは、怒りをはっきりとぶつけてくるから、その怒りの対処の仕方にだいぶ慣れてきたダテではあったが、このいつもと違う様子にどうしていいか判らない。
「リオ……」
言われたとおりに仕事に戻ればいいのだろう。それがダテ自身の願いだったから。
だが、躰が動かなかった。
ベッドサイドに立ち竦み、じっとリオを見下ろす。
私は、どうしたらいいんだ?
ひたすら頭の中で考える。
怒らせるつもりはなかった。
ただ、どうしても気になったのだ、仕事が。
それがなければ……今が執務中でなかったら……私はどうしていただろう?
「仕事に戻ればいいと言ったろう」
背を向けたままのリオが吐き出すように言った。
「リオ……」
握りしめた拳が震える。
仕事をしに行けばいいのだ。今は執務中だ。
なのに……。
リオの言葉がダテを縛る。不機嫌な声音が、胸の奥を傷つける。
「どうして……いつも」
がくりと膝を折って床に跪く。ベッドについた手が震えていた。
「私は……今は執務中だから……なのに、いつもリオは……」
俯いて言葉を必死で紡ぐ。
従いたいのだ、あなたに。恋人としてだけでなく、上官としていてもらいたい。
だから、私を失望させないで欲しい。
そして私も……あなたに失望されたくないから……。
「確かにグリームベル中佐の仕事なのかも知れない。だけど、それでも私はそれを覚えたい。それが……私の仕事でしょう?でなければ私は何なんですか?リオの欲求不満の解消相手なんですか、私は?」
「誰が欲求不満だって!」
跳ね起きたリオがダテの胸ぐらを掴む。
ベッドの上に膝立ちになったリオに引きずり上げられるようにダテの膝が浮いた。
「そうじゃないというんですか!私には、そうとしか思えないっ!」
混乱した頭がリオの言葉に反論させる。
「いつだって、私の意志を無視して!仕事中ばかり迫ってきて!なのに、プライベートな時間では一向に逢わないじゃないか!私なんか、仕事中の暇つぶしなんだとしか思えない!」
「え?」
リオの手が解け、いきなり離されたダテはがくりと床に蹲った。
その途端、自分が何を口走ったかを理解する。
「お前……」
リオの呆然とした問いかけに、慌てて逃げようとその姿勢のまま背を向ける。
立ち上がろうとした不安定な姿勢の時に、ぐっと後から引っ張られた。
「うわっ!」
バランスを失った躰がベッドに背中から倒れる。その衝撃に目を瞑ったダテは、はっと気づいて目を開いた。
その目前にリオの満面の笑みがあった。
かあっと顔が熱くなる。
「何だ……欲求不満はお前の方じゃないか」
認めたくなかったことをリオに言われ、全身茹で蛸のように熱を持つ。
結局そうなのだ。
確かに仕事をきちんとしないといけないという想いもあったし、プライドの事もある。
だが……結局。
「寂しかったんだ?」
笑われるから……判っていたから、決して自分から求めることが出来なかった。
自分がこんなにも人恋しくなるなんて思わなかった。
認めたくなかった。
「違う……」
覗き込む視線から顔を背ける。
否定した言葉は、リオの耳には届かないことなど判っていた。
墓穴を掘ってしまった。
後悔してもしきれない。
「馬鹿だな」
だが、リオの口から漏れたのはひどく優しげな声だった。
「オレだって我慢していたんだぞ。昼間さ、我慢できないからお前にちょっかいかけていたんだが、まあ……さすがに疲れているみたいだから休みの時はゆっくりさせようかな、ってな。また胃潰瘍にでもなったら、今度こそ本当に配属替えになる。医者の命令は絶対だから……それは絶対に嫌だしな」
あっ……。
そうだった。
またあんな病室に軟禁状態にでもなったら、今度こそ配置替えだ。
「それで?」
そんなにも私の事を心配しくれていたんだ。
だから、なんだ。
いつの間にか胸の痛みが消えていた。
心が安心感で一杯になる。が。
「でも、もう我慢すること無いんだな」
うきうきとしたリオの言葉に、ダテはふっと収まった筈の不安が心の中に過ぎった。
「ダテちゃんのお許しが出たんだ。これからはいつだって逢えるって事だよな」
そ、それは!
ち、違う!ちょっと!
あまりのことに否定する言葉を吐きたかったダテの口は、あっという間にリオに塞がれていた。
リオの熱い舌が楽しそうに口内を暴れ回る。
だ、だからぁ!
今は仕事中ですって!
多少なりとも在った筈の遠慮がなくなったリオに、ダテが敵うはずもなかった。
3
舌打ちしながらリオが躰の上から離れるのを、ダテは半ばほっとしつつもそれでもどこか残念な気持ちになっている自分に戸惑いを覚えていた。
リオがかかってきたコールに否応なく出ている。
緊急時のその音は、リオを現実へと引き戻してくれたのだが……。
「ふ?ん。いいや、任せる」
そう言うと、かちりとOFFのスイッチを押す。
「何なんですか?」
はだけられた上着を止め直しながらダテは問いかけた。
もしコールが来なかったら、どこまで突き進んでいたか判らないリオに、ダテは正直流されかけていたのだ。触れられた肌から伝わった疼きがまだ躰に残っている。
上気して熱くなった肌は容易に冷めてくれない。
朱に染まった顔をリオに向けようとしないダテを、リオは面白そうに見つめていた。ダテの一挙一足をくまなく窺っている。
「リオ?」
その視線に気づいたダテがますます頬を赤らめた。
ベッドの上から立ち上がることの出来ないのがばれたのだろうか。
ゆっくりと動こうとするが、やはり力が入らない。
足に力が入らない今の状況をたぶんリオは気づいているのだろう。それが余計に羞恥を煽る。
リオが近づき、その手がダテの頬に触れる。
つつっとその指が頬のラインを辿り顎を捕らえる。
それだけで甘い疼きが背筋を駆け下りる。
収まりかけていた欲望の象徴が、またむくむくと反応する。
「最後まで頂きたかったんだがなあ」
残念そうに呟き、触れるだけのキスを落とした。
その言葉に残念だと思っている自分に気付き、ひくりと頬を強ばらせた。
私……は……。
そこまで……。
ぎゅっと握りしめる掌にシーツの感触がある。それをさらにきつく握り締めた。
ほんの少しリオの手が素肌に触れただけだというのに、その先を期待している自分。
こんなの変ではないか?
確かにリオは好きで、キスは不快ではなくなったが……。
だが、さらに触れられて欲しいと願うのは……。
ここまでリオに溺れていくのはいいのだろうか?
ふっと過ぎった考えは、リオの含みをたたえた瞳に気づいた途端に飛散した。
「何です?」
「ん、随分と素直になったなあって……完全にオレのものになるのももうすぐかな」
「!」
こ、この人は?!
かあっと頭に血が上った。
つい最近まで、それは部下と上司の関係だと思っていた。だが、今は、その意味がダテにははっきりと判る。判るからいつだってその言葉は羞恥の対象でしかない。
しかもリオはそれを公言するのだ。こんな恥ずかしいことはない。
きっと睨み付けたその視線をリオはくすっと笑って返した。
「そんな物欲しそうな目で見られたって、オレを煽るだけだって」
「物欲しそうな目なんかしていないっ!」
「してるさ、ほら」
つつっとリオの指が首のラインを辿る。
「っ!」
慌てて身を捩って離れるが、その仕草に反応したことはリオに見透かされていた。
触れられた首筋を手で押さえ、唇を噛み締める。きつく噛み締めたそれは、赤みがさしていた。
リオの指がその唇をそっと撫でる。
「そうやって敬語なんかぶっ飛んだダテちゃんもいいよな。余計に苛めたくなるしさ」
肩を揺らして笑うリオにダテは返す言葉もない。
何を言っても何をしてもこの人には敵わないのだろうか?
こうやっていつも振り回されるしかないのだろうか?
それって……決して対等な恋人同士にはなれないってとことで……。
確かに上官だし、対等ってことは無理かも知れないけど、こうやって弄ばれるのは恋人っていう関係じゃないような気がする。
「どうした?また悩んでいるようだな?」
「別に」
ぽんと頭に置かれた手を振り払い、ベッドから降りる。
いつまでもこうしていたら、本当に苛められるだけ苛められそうだ。
「仕事に戻ります」
熱くなった躰を冷やすように思いっきり息を吸って、吐き出した。
「相変わらず真面目な奴」
背後から聞こえた声を無視する。
するとぐっと背後から首を絞められた。
「無視するな」
羽交い締めにされ、息が出来ない。
「リ、リオっ!」
かろうじて吐き出せた言葉はそれだけだった。
気管が塞がって息が出来ないばかりでなく、きれいに決まったせいで血管まで締め付けられる。脳が酸素を求めてずきずきと響き始めた。
ばだはたともがくダテをリオがようやく離したときには、ダテは失神寸前だった。
霞がかかった視界のせいで焦点が合わない。締め付けられた喉が痛みを訴え、その場所にいきなり入ってきた空気に喉が悲鳴を上げて咳き込む。回復した血流の音が頭の中で鳴り響いていた。
「ダテ……無視するな」
耳元で囁かれ、ダテは虚ろな瞳をリオに向けた。
「そ、れで……首…絞めること…ないでしょ……」
声を出すのも辛い。
機械を扱うヘイパイトスの現場の人間の腕力は結構強い。それで首を絞められれば、人によっては首の骨を折ることだって可能なのだ。
つぶれた気管が元に戻るのに喘いでいるのを感じる。
「無視するからだ」
どこか不機嫌なリオが、それでも優しくダテを包み込むように抱き締める。
「お前はすぐ考え込むだろう。もう少し気楽に考えろって」
「だからって……」
うーっ。
喉が……。
「今度からそんなに考え込んだらまた首を絞めようか。最近キスも効果が無くなったようだしな。だが、キスの方がいいって言うんだったらそっちにするけど?」
なんて理不尽なんだ?
こんなのって……キスの方がまだマシだ……。
そんな事を考えてしまい、かぁっと顔が熱くなる。
「ほら、キスの方がいいって思っている」
心を見透かされているようでぎくりと強張らせてしまった躰。抱き締めているリオにしてみれば、こんなに判りやすい返事はなかった。
くくくっ
震える躰がリオが笑っているのを伝えてくる。
……。
リオがもう少し判りやすい相手だったらこんなにも考え込まない、と言いたい。
ほんとにこの人の行動は読めない……。
吐き出そうとしたため息は、リオの口に吸い込まれた。
もう、どうとでもなってしまえ。
おずおずと伸ばした手をリオの背に回す。
少なくともリオとのキスは嫌いじゃないのだから。
4
「?G(スリージー)装備、ですか?」
グリームベル中佐が考案したスケジュールと装備品のリストを見たダテは、驚きの声を上げた。
?はメンテに使う工具・装置類の装備のクラスで、それは問題ない。エネルギー伝達システムには必要な物だから。
だがGとは……。
これは身につける装備類を表す。
普段の制服でよければA。作業着ならB。艦外作業ならF。
そしてGとは、戦闘行動も起こりうる白兵戦中の修理に用いる装備だ。
はっきり言って重い。
耐熱、耐G、しかも耐真空。30分という時間制限付きだが艦外にも出ることができる。防弾機能だってある。
それに?をつけると、これはもう白兵戦専門のアレースの戦闘隊並だ。それだけで、戦うことだって出来る。
機械メンテに使う工具器具の中には、その辺の普通の武器より強力な物だって多々あるのだ。
「やはり殺人犯はファーレーン内にいると考えられるのですか?」
「そうですね。避難したファーレーンの隊員達に今は犠牲者は出ていませんし、今回の故障箇所は、通常では壊れそうにないところです。自動監視ロボットが確認した画像をチェックしましたが、どう見ても何らかの破壊活動が行われたとしか思えません。それに……」
「それに?」
「その監視ロボットが帰ってこなくなった」
「げっ」
思わず口走ってしまった口を慌てて掌で塞ぐ。
だが、グリームベルはそれを気にすることもなく、言葉を継いだ。
「まあ、破壊されたと見た方がいいようですね、これは」
「ふ?ん。また司令部は厄介な仕事を回してくれるわ。それで誰が行く?」
リオの言葉にグリームベルは名簿を表示させた。
「そうですね、こんなところかと。危険な作業ですし、それほど時間もかけられません。かといって、多人数で言っても狭い場所ですし、入りきれないでしょうから」
並んだ名前は6人だった。
「何だ、ベルは行かないのか?」
「行ってもいいですが、私の専門ではありませんから邪魔なだけですよ」
「……それもそうか」
リオの言葉をダテはコードネームで表示された6人の名前を目で追いながら聞いていた。
リオ、ダテ、リッチ、ボブ、ビル、キイ。
初めてここに来たときは、リオだけがそう呼んでいるのかと思ったそれらの名前は実はコードネームだったのだ。ただ普段そういう事を使うことがなかったから、教えてもらうまで、リオが勝手につけたのだと思っていた。
リチャード・シュナイダー少佐がリッチ。
ロバート・グレイル少尉がボブ。
ウィルバート・グレイル少尉がビル。
そして、キイチ・ウォンがキイ。
キイとボブ、ビルは普段でもその名を呼ぶことが出来たか、それ以外の人はなかなかその名で呼ぶことができなかった。
だが、作戦行動中はその名で呼ぶことになる。
ダテは何度も口の中で反復した。
緊急時に長々と名前で呼んでいては対処が遅れる。それを防ぐためのコードネームなのだ。
「ダテは初仕事だな。大丈夫か?」
揶揄が含んだリオの言葉に、笑って返す。
「大丈夫ですよ」
機械に関しては自信がある。リオとの関係より、よっぽど扱いが楽だ。
だから、返答する言葉に自信が出る。
「いい返事だ」
リオはその口元に笑みを浮かべると、グリームベルの計画書にサインをした。
それが計画開始の合図でもあった。
「重い……」
ぽつりと漏らした言葉は、マイクで拾われ全員に伝わってしまった。
スピーカーから含み笑いが聞こえ、ダテは赤面する。
「ダテちゃん、ひ弱?」
「その声は、ボブ?」
「当たり?」
一際高く笑い声が入ってくる。
はあ
音を立てないように息を吐く。
と、ふと気がつくとビルがダテの傍らにきていた。
「何?」
「設定が敏感なんですよ。もう少し設定を変えて」
ビルがコントロールパネルを操作して、さっさと設定を変えた。
双子なのに性格の全く違う陽気なボブと冷静沈着なビル。経験不足なダテにとって、何かと頼りになる二人だった。
「ありがと」
「どういたしまして」
さりげなくフォローを入れてくれるのはいつもビルだった。今も、ダテの装備を一部肩代わりしてくれている。
「緊張……しているようですね」
「まあ、少し」
マイクをプライベートモードに切り替えて会話する。
「緊張しているといらぬ失敗をしてしまいますよ。大丈夫ですから」
いつもは表情の変わらないビルが微かに笑みを見せた。
それが安心させてくれているのだと判るから、ダテも笑みを見せる。
「判ってる」
できればもう少し危険性のない仕事からやってみたかったと思うけれど、こればっかりはどうしようもない。運がいい方だったんだがリオの所に配属されてから、どうもその運というのが良いとは言えなくなってきている。
輸送艇が、ファーレーンにつく。
着艦した揺れが内部にまで伝わると一度は引っ込んでいた緊張がふつふつと沸きあがってくるきた。
「ダテちゃん、行くぞ」
「はい」
リオと共に輸送艇を出る。
普段なら操作員が操作室にいるのだが、無人の艦は全てが自動でしかない。僅かな灯りしかない格納庫は、それだけで緊張をかもし出した。
静かだった。
人の気配がないというのは、こうも静かなものなのか?
ダテはぐるりと回りを見渡すと、軽く床を蹴った。
もともとごく僅かな重力でしか設定していない格納庫だから、重装備のダテでも軽々と躰が移動する。
「ダテ、オレについていろ、初仕事だからな」
気がつくとリオがダテに寄り添っていた。
久しく経験していなかった低重力化の行動をさりげなくフォローしてくれる。
「すみません」
ここは素直に礼を言う。
というより、余計な事を考えている状態ではなかった。
考えてみれば、こういうこと全てが学校の訓練以来だ。ほんとう言えば、もう少し実質的な訓練を常日頃していないといけないのだが、参謀副官としての仕事を覚えることが先決で、躰を動かす訓練がおろそかになっていた。そのつけが今来ている。
帰ったら、もう少しきちんと訓練しよう……。
うまく動けない自分にほぞを噛む思いがする。
「キイが警備につく。だが今回の相手はまだ正体が掴めない。用心しろよ」
いつになく引き締まったリオの横側を見つめながら、ダテは無言で頷いた。
「キイっ!」
リオがキイを読んで、何事が伝えていた。
プライベートモードに切り替えるのが早いな、とどうでもいいことを考えてしまう。
「ダテ、伝達システムなんだが動力炉は動いているから、途中の回路をシャットダウンさせているだろ」
実質的な修理担当のリッチが話しかけてきた。
「そうです」
「そっち側も異常が出ているらしい」
「え?」
リッチがファーレーンの端末に携帯端末を繋いで情報を引っ張り出していた。
そのモニターをダテも覗き込む。
「ほら」
「確かに」
エラー表示されている項目をチェックしていくと、その場所があった。しかも故障情報だ。
「こちらも修理が必要ですね、リオ」
リッチの視線がリオへと向けられる。
「ふ?ん、ダテとオレが行こう」
「予想外ですね」
こんな修理は予定外だから、人数が足りなくなる。だが、ここ直さなければ例え問題の箇所が修理できたとしても、確認も何もできない。エネルギーが来ないからだ。
「ベルに連絡を入れておく。計画の修正ってのはいつだって起きるからな。それより、気をつけろ。こっちにはキイはつけられないからな」
その言葉に無理に笑顔をつける。
「判っています。ここにキイが二人いる方が怖いですよ」
キイは不思議なほどに感覚が鋭いから、いつだってこういう警備を専門にしていた。
士官クラスではないのだが、その実力から皆一様に尊敬をし、頼っていた。
後方の安心がなければ、戦闘時の修理はできない。
しかし、キイは一人しかいない。
修理場所が2カ所に別れた時点でその警備担当が一人しかいないことがネックになってきた。
「待たないんですか?」
「う?ん、ま、何とかなるだろう……」
リオがそう言うのだから……。ダテはそう思って、先を進むリオに付いていった。
誰もいない無人の艦というのは、どこか不気味な静けさというものを持っている。必要最小限の機能しか働いていないから、いつも聞いている艦独自の音がない。
ずっと聞き慣れていた音が無いというのは、こんなにも静かなことなのか……。
ダテの背筋に悪寒が走る。
ふと、先を行くリオを見ると、そんな事は全く気にしていない様子でどんどんと進んでいった。
一度チェックしただけで、修理箇所の場所はしっかりと頭に入っているようだ。
問題が起きた場所は、破壊された伝達システムから1ブロック、直線距離にして100mほど離れた所だった。
先に着いたリオがじっとその扉を伺っている。
「リオ、何か?」
その真剣な横顔に息を飲む。
じわじわと伝わってくる緊張感。
「なあ、ダテちゃん。今回、新しい警備と修理の人員を呼ばなかった理由な……」
「はい?」
「犠牲者を出したくなかったんだ……」
妙に弱気な声がリオの口から漏れた。その言葉に聞き間違いかと思った。
しかし、リオの声音からそれが本気なのだと判る。
「昨日から新たに情報が入っていたんだが……どうも被害が確実に広がっている。ここだって今日入った情報では、故障メッセージは入っていなかった」
「じゃあ……新しくできたってことですか……他の影響というのは?」
「原因不明の故障が発生して、しかも被害が広がった時点で主要な隔壁は下ろしている。それなのに、広がりは止められない……開けるぞ」
無造作とも言える動作でリオが開いたドア。
酷く緊張したダテの耳に聞こえないはずのドアの開く音が聞こえたような気がした。
5
「何もいないようだ」
中を窺ったリオが後ろに控えているダテを手招きする。
ダテも移動し中の様子を伺った途端、息を飲んだ。
これ……酷い……。
「直るんですか、これ?」
故障のエラーメッセージ?
そんな生優しいものではない。
力任せに引き剥がされたように見えるパネル、マシンガンで乱射されたのかと推測できる穴だらけの無惨なシステム。
ここまでやられるとそれ以外の言葉が出ない。
「あの画像と一緒だな」
「あの画像?」
疑問形のダテにリオは視線を送ると、にやりと意味ありげに嗤った。
「何です?」
「穴だらけの死体」
「!」
思い出してしまった。
画像一杯の赤黒い血。
その中に横たわる人だったもの。
顔をしかめるダテにリオは近づき、コンコンと顔面を覆うシールドを叩くと人差し指を上に向ける。シールドを開ける合図だ。
少々の銃弾くらいは弾くG装備は、当然頭からすっぽり被るヘルメットを採用していた。そのシールドは顔全体をカバーしている完全密閉式だが、視界は良好だ。それを開ける。
「何です?」
「やっぱり、顔色が悪い」
今までマイクを通していた声が直接聞こえる。
リオは顔も良いが、声も良い。その声で優しく囁かれると、どんなに酷いことをされても許してしまいそうになる。
「あんな姿に誰もさせる気がないから……今日のメンバーな、お前以外はこういう修羅場のスペシャリストだ」
心配そうな声。普段絶対に聞く事はないその声音と台詞に酔いそうになるダテがいた。
胃潰瘍で軟禁された時以来だ。
「ほんとなら、お前は留守番だったんだが……横やりが入ってな」
「…横やり?」
ダテの頬をグローブ越しで触れてくる手でも、それが心配してだと判るから、縋り付きたくなるほど嬉しい。
「指令を受けた後、オレの部屋に帰ったとき、邪魔が入った電話があったろう?」
「え、ええ」
あの時の状況を思い出し、赤面する。
リオの手が直接肌に触れ、全身が震えるほど感じてしまった後にあったあの電話。
口惜しいと思ったのは……リオだけではない。
「あれは、ベルからだったんだが……あのババア、お前を作戦に参加させろと言ってきた」
「ババアって……」
リオが心底嫌そうなニュアンスを持って言い放つ「ババア」は一人しかいない。
ヘイパイトス総司令官エミ・コーダンテ大将だ。彼女は、ダテの伯母でもあり、ダテを次期総司令にしようと画策していた。
「諦めてくれれば良いんですけど」
ダテには実力があった。
それは今まで受けた適性検査ではっきりと出ている。だが、母が死んだ事故のせいでダテはそれを拒んでいた。自己暗示までかけて自分の性格と技能を封印してきたダテにとって、未だに諦めようとしてくれない伯母の存在は頭痛の種だった。
「そう簡単にはいかないだろ」
「でも……それでリオ達に迷惑をかけては……」
訓練を受けたと言ってもベテランからすればど素人のダテ。
そんな彼を連れてくるのは、余分なお荷物が増えているのも当然なのだから。
「まさか……私がいるからこの修理指令はリオの所に?」
「それは違う」
それだけはきっぱりとリオは首を振った。
「もともとこういう厄介な修理はオレのチームが受けることが多い。そういうメンバーが揃っているしな。それにユウカ達もオレになら頼み易いんだろ。腐れ縁も厄介な物だ」
「ユウカ、が?」
ユウカ……アテナの次期司令。今現在すでに実質的にアテナを率いているまだ若い女性。
リオは彼女が気に入っているのか暇なときには旗艦まで逢いに行っている。
ユウカもリオが気に入っているようで……。
最近、リオの口からユウカの名を聞くと胸がずきりと痛む。
本当に親しそうで……。
って、マズ。
今は作戦中なのに、集中しないと駄目だ。
「ここ、修理はできませんよね」
ダテは自分の気持ちを振り切るように、目前の惨状に目を向けた。
「そうだな」
リオも頷く。
となると、他の手段を講じなければならない。
リオは、隣の部屋が無事なのを確認すると携帯端末を繋いで、情報を引っ張り出した。
使用不可の隣の装置を介さずに、リッチ達が修理している装置にエネルギーを流すラインを構築しなければならない。
「ここ、かな。こちらの回路を接続しよう。行くぞ」
リオの決断は素早かった。
手際よく携帯端末を片付けると、ダテを引っ張って行く。重力が小さいので躰が跳ねるようになるのを必死でバランスを取る。
慣れない装備にそれでなくても動きが悪いダテ。
足手まとい……。
そんな考えが脳裏に浮かぶ。
「リオ」
ふと気が付くと呼びかけていた。
「何だ?」
真正面を見据えたまま、返事をしてきたリオの声は固い。
「リオ……私は……」
心底ヘイパイトスの総司令である伯母を恨みたくなる。
こんな状態でリオと共に作戦をしたくなかった。
もっと役に立つようになってから、経験を積んでから……なのに、まだまだど素人の状態でリオと作戦行動。
足手まとい……だ、私は……。
「どうした?また考え込んでいるのか?」
揶揄するようにダテの頭をこづき、その唇に指を押しあててきた。グローブをつけているからそのざらりとした感触。なのに、びくりと躰が反応し、ダテは顔をしかめた。
「ヘルメットのせいでキスできないのが残念だ」
そう言って嗤うリオをダテは恨めしげに見返した。
触れられただけで反応する躰と、もっと触れて欲しいと願う自分の浅ましさが嫌になる。
今は何が起こるか判らない作戦中なのに……。
「ダテちゃん、そろそろシールドを下ろしておけ。何があるか判らない」
嗤っているのに、その声は酷く真剣だった。
慌てて下ろした。
いきなりそんなことを言い出したということは、何かあるということなのか?
緊張のあまり背筋に冷や汗が流れる。
「この先にあるの、何か判るか?」
ふと立ち止まったリオにぶつかりそうになってバランスを崩す。その躰をリオが抱き留めた。
「え……と、コンテナ室ですね」
脳裏に浮かんだ艦内マップだと、今いる所から推測するにその辺りだと思う。
「正解」
リオの手が目前の扉を指さす。
「この扉を開けるとコンテナ室に通じるドアに通じる。この輸送艦の2/3を占めるブロックだ。そして……」
「そして?」
「諸悪の根元の発生場所だ」
「?」
発生場所?
ダテの訝しげな視線にリオはにこりともせずに答えた。
「犠牲者全員がここのエリアで発見された。それもF2コンテナ付近に集中している。それ以来、このコンテナ室は立入禁止になったし、避難命令すらでたんだ。その意味、判るか?」
「ここで……」
「なあ、ダテちゃん。オレは諸悪の根元、ここにいるんじゃないかって思っているんだが」
「何故?」
でもここは、低気圧、低重力、コンテナによっては極寒……。人が長時間いる事なんてできないはずだ。
「リッチ達が直している装置の場所もさっきの場所も、メンテ通路を通れば一直線の場所にある。
他の破壊された所もだ」
「へ?」
そう、だったんだ……。
気が付かなかった……同じ艦内マップを見ていたのに、気が付かなかった。
「それに隊員の誰かが殺人者だと仮定したのなら、全員避難はさせない。艦内にそれぞれ隔離して徹底調査するはずだ。なのに、総司令部は速攻で、全員を避難させた。そして、死体発見場所は発見された時点で立入禁止になった。つまり総司令部は、薄々犯人像が想像できているということじゃないか?」
「!?」
「たぶん……推測だけどな、このコンテナ……それでもアテナ総司令部は捨てられなかった。本来なら、戦闘部隊を送り込む。戦闘に関して言えば、第四艦隊アレースの方が強力だが、アテナの戦闘部隊だって結構強力だ。なのに、そうではなく、オレ達を送り込んだ。それ程壊して欲しくない物だったんだ」
「でも……たとえどんなものでも犠牲者が出ているんですよ。それなのに、後生大事に護ろうなんて!」
「護らなければならないもの……ってなんだったのかなんて、この際問題ではない」
ダテの怒りをリオはきっぱりと切り捨てる。
「そんな」
「要はそいつがまだここにいると言うことの方が問題だ」
「それは……そうですけど」
「敵は、破壊活動を続けている。奴を放って置いたら、被害は広がるばかりだ。となるとオレ達がひたすら直さなくてはいけなくなる。こんないたちごっこ、さっさと終わらせないとオレ達はいつまで経ってもここから帰れなくなる」
きっぱりと言い切るリオ。その姿はいつものリオだったが、それでもダテの背筋に悪寒が走った。
「リオ、まさか自分で敵を倒そうとかなんて思っていませんか?」
「何を当たり前のことを聞いている」
あ、当たり前じゃないっ!
「私たちは戦闘員ではありませんよ。ここには修理に来ているんです」
「それはそうだが、直した端から壊されては元も子もない」
「リオ!」
もうリオは決めている。
そんな状態のリオに何を言っても無駄なのだ。
ダテはため息をつくと、その口元を歪めた。
「……死なないでくださいよ」
「オレは何があっても死なない」
「そうでしょうね、あなたなら」
何があっても天変地異があっても生き残りそうだ。
いつだって、自分を中心に世界が回っているような人だから。
「で、私は何をすればいいんですか?」
ついでに自分の命も預けるしかない。
その運に便乗させて貰うことができるかどうかは疑問だが。
「ああ、ダテちゃん」
ふっとリオが急に真面目な口調になった。
「何です?」
「一仕事すんで帰ったら、オレに抱かれろよ」
「!」
言われた瞬間、訝しげに首を傾げたが、一瞬にしてその言葉を脳が理解する。
かあっと全身の血が顔に集まったかのように、熱くなった。
「り、リオ!」
「判ったな」
真面目だった顔が一転してからかうようにダテを横目で見つめる。
くすりと笑うその目が揶揄しているようにしか見えない。
「からかったんですか?」
むすっとして返すと、リオは何も言わなかった。
視線をコンテナに通じるドアに向ける。
「行くぞ」
リオのまとう気が一転して戦闘モードになるのをダテは感じてしまった。
6
コンテナ室に通じる通路は、荷物を通ることを優先しているため、酷く広い。
それこそ戦闘機一機がぎりぎりで通れるくらいだ。
その中を通りながら、ダテはうすら寒い感覚に背筋がぞくりとした。
ただっ広いと言うことは、隠れる場所が少ないということだ。こんな場所で何者かに襲われたら……それは、今回の殺人劇の犯人だと言うことだが……、逃げることはできないだろう。
正面から対峙して勝てる相手なのか……。
ぞくりとした寒気は、ダテの躰から消えない。
足の裏から伝わる床に触れる感覚すら、神経を逆撫でする。
呼気の音すら、邪魔だった。
ふと視線を前方に向けると、リオが無造作に歩いていく。
その歩みは明らかに目的地を知っているようだ。
リオは正体を知っている。
そんな気がした。
何も言わないリオはただ真正面を見ているだけ。
数少ない十字路を通り過ぎながら、ダテはちらりとその横道を見た。
人のいない艦に灯りはいらないから、最低限の非常灯だけが闇の中に浮かんでいる。それは通路全体を照らすには不十分で、灯りがいっそう闇を際だたせ、またその逆に、闇が灯りを際だたせる。
ダテは数度瞬きして、見つめてしまった灯りを瞼の裏から消し去ろうとした。
闇の中の光は、それほど強くないのに網膜に焼き付いてしまったようだ。目の中に黒いモノが浮かび上がり、視界の邪魔をする。
微かに首を振った動作に、リオがダテを振り向いた。
「どうした?」
リオの声がスピーカーから聞こえる。
「ちょっと目に焼き付いてしまって……」
情けないことだが、黙っているわけにはいかなかった。
危険な個所にいるときほど、お互いの持つ情報は全てさらけ出さなければならないのだから。
お互いの会話は指向性の強い周波を使っているので、盗聴の危険性は少ないはずだ。
だから、マイクで話ができる。
ただ、これ乱戦になれば、使えなくなる……。
「間抜け」
ため息と共に漏らされた声。それが聞こえることがダテに安心感を与える。
罵られるのは慣れている。
今は、声をかけてくれるだけでうれしい。
と、リオがすっと近づいてきた。
?
何事かと、立ち止まったダテの腕にリオの腕が絡みつく。
「あ、あの?」
「落ち着けよ。シールドの遮光性をコントロールするだけだ」
「あ……」
闇の中に浮かぶ灯りを凝視すれば、目に傷害が発生する確率は高い。宇宙空間を相手にする場合は、それは考えられて然るべき問題だった。だが、外と中ではその光量は圧倒的に違う。それを関知して、自動的にコントロールすべきシステムは?G装備なら組み込まれている。
「す、すみません!」
ダテはそれを操作するのを忘れていたのだ。
腰のベルトに組み込まれているコントローラーをダテの前で腰を屈めたリオが操作する。
重力の低いエリアだから、リオのちょっとした動きで躰が倒れそうになるのを、ダテは足を踏ん張って堪えた。自然リオを抱き締めるようになる。
「これでいい」
リオが顔を上げた。
その表情に浮かぶ揶揄を込めた笑みに、ダテは俯いてしまう。
私は、何をやっているのだろう。
危険地帯に入る前に行うべき行為を、忘れているなんて……。
実技も講習も訓練も……士官学校時代には嫌と言うほどやってきた。
それら全てが、頭の中から飛んでいるような気がした。
こんな足手まといなこと……。
自分の失敗が自分自身を追いつめる。
ぎりりと食い込む痛みを感じて、初めて下唇に歯が食い込んでいるのに気がつく。
「初めてだから、っていうのは言い訳にはならない」
ふっと聞こえた言葉に、ダテは慌てて顔を上げた。
リオの茶色の目がダテを射抜くほどに強く見つめていた。浮かんでいた笑みも、揶揄も、何もない。ひどく真剣な目は……前にも見たことがあった。
「リ…オ……」
喉から喘ぐように発する。
多少の衝撃すら身を守る防護服の上から掴んでいる筈のリオの指が腕に食い込む。
それがどれほど強い力であるか。通常であれば、それだけで青あざは覚悟しなければならないだろう。
「落ち着け。お前はトシマサ・ダテ。俺の参謀副官だ。実力のない者は、俺の副官などにはなれない。実力のない者は、次期司令候補になることはできない」
「リオ……」
リオの腕が、ダテの頭を包み込んだ。
熱はない。ヘルメットを介している抱擁は、その圧迫感すらない。
だが、ダテはすうっと落ち着いていく自分を感じた。
不安も恐怖も……不信も……何もかもが退いていく。
「トシマサ・ダテ……俺は実力のない者はいらない。お前は……俺が認めた。俺がお前を副官にした。お前を……パートナーに選んだ。俺はお前を……好きになった……」
どきっと心臓が跳ねた。
声に籠もる熱が、ダテを支配する。
直接触れることはできない。包み込まれているその姿勢だけなのに……伝わるのはその声だけなのに……。
ダテの躰にぞくぞくと痺れが走る。
こんな時に……。
「リオ、離…して……」
堪えられなくなる前にと、ダテはリオを押しのけた。
俯いて手を伸ばしたままの姿勢で硬直している。
「すみません……もう……いいです」
どきどきと高鳴る心臓を深呼吸を繰り返す事で鎮めようとする。
私は、こんな時に……何を……。
装備を身に付けているから、羞恥に真っ赤になってる姿は見られることはない。それだけはほっとする。
だが、それに気付かないリオではなかった。
「こんな所で欲情できるとは、もう大丈夫だな」
くすりとスピーカーから聞こえる嗤い声に、ダテはさらに顔を熱くしていた。
「す、すみません……」
冷静さを取り繕おうとするが、掠れた声しか出なかった。
「な、ダテちゃん」
だが、からかわれると思ったリオの次の言葉は、さらに優しいモノだった。
「怖くない。必要以上の恐怖は判断を狂わせる。言ったろ」
くくっと嗤う声に、その優しい声音に含まれる何かに気付いた。
何?
ふっと上げた顔を掴まれ、シールドをこつんと合わされる。
至近距離のリオの顔が嗤う。
「言ったろ。ここから帰ったら、ダテちゃんを抱くって。も、絶対にな。それを叶えるためには、俺もお前も絶対に五体満足で帰らなきゃいけないんだ。だから、俺はお前を連れて帰る。判ったな」
「あ……」
ぐっと抱き寄せられ、リオを感じた。
「まっ、俺に任せとけ」
ぽんと背中を叩かれ、躰を離される。
くすりと嗤う口元がシールド越しに見えた。
その自信は一体どこから来るのだろうか?
その仕草に捕らわれて、ダテはリオの言葉の意味を深く考えていなかった。
その言葉に含まれる、リオが感じている危険性の大きさを。
7
「ここだ」
リオが立ち止まり指さした場所を仰ぎ見る。
F2
その文字が、くっきりとしたオレンジの蛍光色で輝いている。
ダテはその数字を見て、ごくりと息を呑んだ。
ここで最初の犠牲者が発見された。
「まだ、それはここにいるんですか?」
「さあな」
引きつった声の質問は、軽く返されてしまう。
その声が随分と楽しそうだ。
「リオ?」
「な、ダテちゃん。この部屋、変何だけどさ、判るか?」
「えっ?」
言われて、内部の状況を表示しているパネルを見遣った。
薄明かりの中でもはっきりと見えるよう表示されているパネルディスプレイは、室内の状況をリアルタイムで伝えてくれる。
室温・湿度・気圧……これって……。
表示されているデータから推測されること。
「空調設備が働いている?」
ぽつりと漏らした言葉にリオが満足気に頷いた。
「ご名答。さすが、ダテちゃん」
言われるまで判らなかったのに……馬鹿にされたような気がしたが、どうやら一応褒めてくれているらしい。リオがすっとそのデータを指で辿っていった。
その設定を見ると、重力以外は酸素も湿度も温度も一定に保たれている。
コンテナに一歩入れば、常夏の楽園の気候なのだ。
「では、第二問。何故、この部屋だけこんな設定がされているのか?」
試されているのだろうか?
判っているくせに教えてくれないジレンマがふつふつと湧き起こる。
いや、リオが判っているがとうかは疑問なのだが、そんな風に思えるのは、日頃のリオの態度のせいだろう。
ダテは大きく息を吐くと、再度そのデータに見入った。
「この空調設定は通常生きている動植物を運搬する際に用いられますよね。もっと動物の場合はほとんどの場合重力設定も行いますが……これは重力設定は通常モードですから……ということは植物か、重力設定を必要としない動物……」
「微生物……とかは、考えないのか?」
「微生物にしろ、藻類、プランクトン……そう言った個体サイズが小さいモノは、こんなコンテナ室全体を設定する必要はありません。よっぽど多量に運搬するならともかく、少量なら、特別設定のコンテナ一つを用意する方がよっぽど割安です」
となると……何だろう……。
「それは植物でも一緒だろう?」
「そう、ですね。でも、コンテナ室一つを設定する必要があった?」
「そうだな……では、答えを聞く前にこんな考え方もあるんだってのを披露しよう」
ふふんっと鼻にかかった嗤いに、ダテが訝しげにリオを見遣った。
「何です?」
「もし空調設定は荷物のせいではないとしたら?そんな予定ではなかったが、何かをしようとして入れてしまった、あるいは入れる必要が生じた。その結果、ある事が起きた」
な、に……?
「ここは単なる通常貨物室でしかなかった。だが、ある事をしようとして、その作業上の都合から空調を入れた。酸素・室温・気圧設定がされていれば、まず人は装備を付けなくても作業ができる。それは作業性の面からのメリットだけで言えば、無視できないものだろう。だいたいオレだって、こんな部屋に入るというんなら、速攻でこんな装備は脱ぐつもりだ」
ぬ、脱ぐって!
「だ、駄目ですっ!!こんな所で脱ぐなんて自殺行為ですっ!!」
慌てて、リオの手を捕らえようとするダテにリオはされるがままにしていた。その代わりのようにくつくつと嗤い続ける。
「言ってみただけだって……ったく冗談の通じない奴」
「……あなたの冗談は冗談に聞こえませんって……」
また、やられた……。
どうしてこんな時にこの人は私をからかえるのだろうか?
がっくりと肩を落としていると、その肩をリオがぽんと叩く。
「ま、それはともかく……」
私にとっては、ともかく、ではないです……。
「最初の犠牲者、何故彼はここにいた?」
「え?犠牲者がここにいた理由って……作業に来たのではないのですか?」
そう思っていたが……。
リオの目が動いてダテを捕らえる。
「お前……あの手の報告書ってのは裏があるもんだって思った方がいいぞ。あんなもん鵜呑みにしていたら命なんて幾つあってもたりやしない」
「はあ……」
そういうものなんだろうか?だが、あれは正式ルートから来た正式な報告書で……つまりそういう報告書は信用ならないと言いたいのかこの人は?
「特にな、あれ、この船の艦長じゃなくて、その男が所属しているチームのトップが書いているんだ。……ダテちゃんは、信じるのか?たとえばオレが書いた報告書をそのまま鵜呑みにしているのか?」
咄嗟に無言で首を振っていた。
当然のように横に……。
リオの書く報告書は、脚色が山のようにされている。
それは上層部に知られると降格くらいでは済まないようなことをたまにやっているからで……。それに関しては、ベルもダテも黙認していた。
ってことは……。
「では、その報告書を書いた人も、何かを隠そうてしたんですか?」
「ああ……あの報告書には、どこか辻褄のあわないところがあった。それを解析させたんだが……何かをさせていたっていうこと位しか判らなかったな……死んだのは、アテナの設計技術者の一人だ。ヘーパイトスとの橋渡しをするチームだよ。コンテナ室に出入りするような人間じゃないな」
「……技術者が何でこんな所に?というより、よく辻褄があわないって判りましたね。やっぱり蛇の道は蛇なんですねえ……」
頭の中に幾多の疑問が湧き起こるのだが、思わず口をついて出た言葉はそれだった。
「……な?に?が??」
ドスの利いた声が聞こえた途端、ぞくりと背筋に寒気が走った。
慌てて、リオから避けるように壁に背をつける。
「いえ…まあ、さすがリオっていうことで……あはははは……」
響くダテの空笑いに、リオのつり上がった目尻が緩み、はあっと大きな吐息が漏れた。
「ちっ、だからこんな装備つけるの嫌なんだよ。ダテちゃんを思うように襲え
しない」
「襲わなくて結構です」
それだけはきっぱりと言う。
こんな装備をつけたまま襲われた日には、全治1ヶ月は免れない。
「ところで、一体リオは何が言いたいんですか?」
気を逸らせるようにそう言うと、リオはにやりと嗤った。
「だから……ここで何が行われていたかを探れば、今回の事件の真相が判るんじゃないかって事
だよ」
「真相……ですか?」
まあ、確かにリオが言うことが真実だとすれば、いろいろと疑惑の種は湧いてくる……だが、ちょっと待て……。
一つ気になることがある。
「それ、何で教えてくれなかったんです。というより、実は作戦実行前から判っていたんじゃないんですが、変なことは?」
誤魔化されたくなくて、しっかりとリオを見つめる。
だが、リオはくすりと嗤うだけで、それには応えない。
「……リオ……もしかして、面白いから……なんて言わないでしょうね?」
「何だ、判っているじゃないか」
くくくと喉の奥で嗤われた。
ピキッ
頭の奥底で、何かが壊れる音がしたのは気のせいだろうか……。
ダテは口を一文字に結んだままリオを見つめ、そして、大きな大きなため息をついた。
「中に入ったら壊れたコンテナを探せ、どこかに必ずあるはずだ」
「はい」
返事はする。が、疑問は残ったままだ。
聞きたいことは山のようにある。
だが、目前のリオは動き出してしまった。
そのリオが大きく見える。
絶対の自信。それに彩られた人間の、なんて大きく見えることか……。
傍若無人で自分勝手、これが普通の軍隊だったら、リオは独房でも入れられて出て来れないことを幾らでもしている。
そんなリオにみんなが付いていくのは、彼がもたらす安心感だ。
一度つき合い出すと、リオから離れられない。
誰かがそんな事を言っていた。
チーム・リオの誰もがそう思っている。
現にあれだけ離れたくて、異動したくて堪らなかったダテにしてみても1ヶ月後には離れたくなくなっていたのだから……まあ、私の場合は別の意味でリオに参ってしまったのだけど……。
もう離れたくないと思う。
リオと共に進みたい思う。
そのためには、副官として確固たる地位を気付かなければならないのだ。
それは、ダテにとって初めての向上心とも言えるものだった。
誰にも今の地位を渡したくない。
なのに、私は……。
さっきからのミスで自信なんか吹っ飛んでしまっている。
それに全身にまとわりつく不快な空気が気になってしようがない。
不安……そして恐怖。
何度も目にしたその画像を……唐突に思い出す。
それは一度思い出してしまうと、脳裏に焼き付いたようになって消えることがない。
ぎりりと噛み締める歯の音が骨を伝って頭まで響く。
「落ち着けよ」
「……大丈夫です」
いい加減情けなく思われるのは嫌だった。
とにかくこんな所で怯えていては何にもならない。
そんなダテにリオは微かに笑みを浮かべていたのだが、扉を睨み付けてるダテには判らない。
「ダテちゃん、俺が先に入るから、援護しろ」
「…はい」
「じゃ、行くぞ」
リオは扉の開閉スイッチを押した。
8
環境の差の制御のため、コンテナ室は二重のドアになっている。その第1の扉が僅かな振動と共に開いた。
「ドアは無事のようだな」
中を無造作に覗き込んだリオがそう呟いた。
リオもダテもその手の中に切断用のバーナーを持っている。取っ手部のダイヤルで威力は自在にコントロールできる。最大出力の威力は宇宙船の外壁の加工用にも用いるくらい強力な物。
アレースの戦闘隊員達が使う銃よりも強力。だけど、射程距離は短い。サイズもちょっとだけ大きい物。これは訓練時の必須項目に入る装備。これを扱うから、ヘーパイトスの工作員は力が強いとすら言われる。
その先端が内側のドアへと向けられていた。
だが、そこには何もない。
「ふ?ん」
リオがひょいっと次の扉を操作すると、微かに地響きがする。
ふと、後ろを振り向くと、第1の扉が閉まっていた。
閉じこめられた気分だ。
暗い想像が押さえつけたはずの恐怖を呼び覚ます。
だが、これ以上醜態を晒すわけにはいかないと、ダテはむりやりその考えを封じ込めた。
目前の開きかけた第二の扉を凝視し、手に持ったバーナーを握り直す。
大きな扉が開ききるのに、数秒を要した。
中は僅かな非常灯で照らされている以外は、闇に包まれている所が多い。
見える範囲では、大きな2m角位のコンテナが幾重にも積み重なっていた。それが列を作って幾つも並んでいる。
「ふん……真っ暗か……」
リオの言葉がどこか遠くに聞こえる。ただっ広い空間と幾何学的なコンテナの列に方向感覚を失いそうで、ダテは装備についているセンシングシステムをチェックした。
そして再度その暗闇の中を目を凝らした。
「光のある範囲には何もいないようですね」
「そうだな。暗視装置は?」
「設定します」
装備を操作し、シールドのモードを切り替える。
「赤外線で良いでしょうか?」
ふと気になった。相手が熱源を持たない限り、赤外線タイプは意味がない。
「大丈夫だろ。動くにはそれ相応の熱量が必要だ。単純な運搬装置ですら、どこかに熱源の発生装置を持っている。これで関知できないとなると、それは動けない物か……」
ふっとリオが言葉を切った。ダテはその言葉の続きが推測できた。
「赤外線を吸収する装置を持ったものですか?」
その答えにこくりと頷き返された。
「そうだ」
ダテは暗視装置に切り替えたシールドでくまなく回りを見渡した。
ここは、最初の殺人現場だ。
だからと言って、その破壊者がまだここにいるかも知れないと言うのはリオの憶測にしか過ぎない。
いや、いたとしても今また外に破壊活動に言っているのかも知れない。
第二の扉が自動的に閉まっていく音に、ダテは身震いをした。
これで簡単には外に出られない。
何かに襲われて外に出ようとも、操作する間にやられるのがオチだ。
「……相手は、どんな奴なんでしょうね」
ぽつりと呟いた言葉は、確実にリオに伝わるだろう。
相手が人だと判っていれば、ここまでの恐怖を感じないのだろうか?
得体の知れない相手だから、私は恐怖を感じているのだろうか?
「そうだな……幸いにしてオリンポスの隊員ではないと俺は踏んでいるんだがな」
のんびりとした返事に、かっと血が上った。
「そんなの!当たり前じゃないか!」
隊員が隊員を殺すなんて……そんなことっ!
「かっかするなよ、ダテちゃん」
苦笑混じりのリオの声。
「隊員だから、人殺しはいないってのは思いこみだぞ。オリンポスにだって外と一緒で殺人事件だってあるんだからな。だが、確かにそう思いたくない気持ちは判るが」
リオの言葉の意味は判っている。
国家である以上、人が人である以上……そこには争いごとも意見の不一致も、嫉妬、憎悪、過ち……ごくごく普通にあるのだから。
今回の事件だって、隊員の誰かが行ったと考えられても不思議ではない。
ただ……。
ダテにしてみれば、そんな事は考えたくなかった。
仲間だから……共に戦い、生活する仲間達だから……そんな疑いなんか持ちたくなかった。
落ち着けば……リオが、幸いにして、といった意味が判る。
はああ、と大きく息を吐き出した。
落ち着け、と強く心に念じる。
感情的になった方が負けなのだ。
さっきから何度もリオに言われているじゃないか。
私は……。
「すみません……」
本日何度目だろう。
その言葉を言うのは。
「ま、初陣なんだからな、判らん訳じゃないけど……お前のは、結構酷いな。情緒不安に陥っていないか?」
リオの呆れた口調に、はたと気付く。
確かに……そうだ。
さっきから、何度落ち着けと言われているだろうか?
なのに……私は……何か、焦っている?
「すみません……」
口癖のように出てしまうこの言葉を、いつになったら止めることができるのか?
「……もしかして……」
リオがぽつりと呟いた言葉をダテは聞き逃さなかった。
「何?」
「いや……」
気になった。
リオが何かに気付いたのなら、教えて欲しかった。
それはきっと自分の事だな、と思う。
どうしてこんなにも自分がコントロールできないのか?
それが知りたい今だから。
「リオ!」
「…まあ、ダテちゃんがダテちゃんになろうとしているから、そんな事になるのかも知れないな」
「は?」
私が私に……?
「それは、どういう」
問いかけた言葉は、激しい衝撃音で立ち消えた。
「隠れろっ!!」
リオの叱責とともに、ダテの躰をコンテナの影に押し込んだ。
「っ!」
バランスを崩したまま転がり込んだせいで、ダテはしたたかに左腕を床に打ち付けた。腕全体に電気が走ったような刺激が走った。
躰を起こして左腕を動かそうとするが、左肘の辺りが痺れたように動かない。
「どうした?」
「腕が……痺れて……」
リオに説明すると、その顔が苦渋に満ちたものとなった。
「左か……バーナーは使えるか?」
「はい」
「そうか」
利き腕でなかったのが幸いだ。
リオの声がそう言っていた。
こんな所で身を守る手段が無くなるのだけは避けたかった。
「ところで、何の音ですか?」
「コンテナが落ちた音だ。そう簡単に落ちるものじゃないし、船が揺れたわけでもない。気付かれたかな?」
「ではわざと?」
「その可能性もある」
「とにかくここでじっとしていても仕方がない。探るぞ」
リオがゆっくりと立ち上がった。
その目は、暗闇の中を凝視し、右手にはバーナーを半ば構えるようにして持っている。
コンテナの影に隠れてゆっくりと進むリオの後ろにダテはついて、後方を警戒する。
赤外線と目視の両方の視野の中には、未だ動くモノはない。音も拾えない。
部屋の環境を整えるための空調設備の音とダテ自身の息遣いの音だけが耳に入ってくる。
リン
甲高い音が頭に響く。
「伏せろっ!!」
ダテは咄嗟に踵を返すと、跳ね飛ぶように傍らのコンテナの影に身を潜めた。
片膝をつき、バーナーを構える。
リンッ
再び鳴るそれは、センサーが異常値を示した時の警告音。暗闇に支配された世界には何もいるようには見えない。センシングシステムから発する警告音だけが頭骨を介して直接頭に響く。
それ以外の音はない。
どこに……。
ぞわぞわと触感が刺激されている。
それが何かがいると伝えているのに、見えない。
アレースの戦闘隊員ともなれば目に頼らず戦えると言うが……。
ダテは見えない闇の中をなんとか捕らえようと必死で辺りを見渡した。赤外線も何も捕らえない。
センシングシステムは、温度・空気の流れ・湿度・気圧等、装備についている各種のセンサーをとりまとめるシステムで通常は、装備を着用している人間の状態を感知するシステムだ。だが、時に各種のセンサーが捕らえた単発的な異常がある。今、それを警告しているのだ。それは人間が時折感じる勘のように第六感と呼ばれるモノとよく似ていた。
何かが変だ。
センシングシステムがそう言っているのだ。
空気のゆらぎ……。
他のシステムが感知している以外の要因がランダムな空気の流れを作っている。
それだけが判る。それも、随分と僅かなモノだ。
目視では視認できるのは、リオの姿だけだ。それも赤外線モードのお陰で、輪郭だけがかろうじて感知出来る程度だ。そのリオも、すでに30mばかり離れている。
このコンテナ室の大きさから考えると、そんなにたいした距離ではない。だが、ダテはその距離に焦燥を感じた。
離れてはならない。
そう脳が警告する。
リン
また鳴った警告音。
何を感知した?
相変わらず何とも言えぬ気配がダテを襲う。
何かがいる。
ふと思い立って、ダテは赤外線モードを増光モードに変更した。裸眼では明暗の差すらない状態でもそこに光源がある以上できる僅かな光度の差を感知し、それを増幅することで物を見分けることができるモード。
だが、このモードには欠点があった。
咄嗟の光の増加に対応できず、必要以上に光を増幅して網膜を焼いてしまう。
元の光源の強さによっては、最悪失明することだってある。
だが、ダテは敢えてそれを選んだ。そうしなければならないような気がした。
一瞬視界が乱れる。瞬きしてそれを逃し、闇を見つめ直したダテの視界の隅にすうっと何かが過ぎった。
捕まえたっ……けどっ!!
ダテはその先にあるはっきりとした輪郭に向かって叫んだ。
「リオ、後ろっ!!」
叫ぶと同時にバーナーを両手で支えるとレンジ最大設定にしてトリガーを引く。
少し固いそれが人差し指によってかちりと引き寄せられた途端、構えた先口から戦艦の外壁すら溶かせる熱線が放射された。それとほぼ同時にリオが跳ね、転がる。
リオのバーナーが床に当たる音がした。
「くうっ!!」
耳に入ったのが自分の叫び声だと気付く間もなく、ダテは激しい目の痛みにがくりと膝を折った。
ガチャッと金属質の音が響く。
気がついたら、四つん這いの状態で躰を支えていた。
目の奥の痛みが三半規管をも影響を与えたのか、激しい目眩と耳鳴りがする。
「ダテっ!」
「リ……オ……」
声の方に手を伸ばす。
伸ばした手の先に駆け寄ってくるリオの姿が見えたような気がした。
目が痛い……。
固く瞑った瞼の裏が瞬く強烈な光に晒され続けている。鋭い光がなおも目の奥で乱舞しているようだ。
床についた掌を通して微かな振動が伝わってきた。
9
軽やかなリズムを奏でるその音の正体を、ダテは知っていた。
「ダテっ!」
聞き間違えようのない声に手を伸ばす。
「どうした?!」
「あれは?」
「また、どこかに……おま……っ!」
何かに気付いたようなリオが言葉を切った。息を飲むその気配だけを敏感に感じてしまう。
ダテは、自分の身に起こった事を正確に把握していた。だが、それよりも優先しなければならないことがある。
一時の激しい痛みは消え失せ、目眩も耳鳴りも落ち着いた。
だが、目前にいるであろうリオの姿を見ることは敵わない。
曇り硝子に包まれた闇の世界にいるようだった。
その中央に小さく真っ白に浮かび上がる影がある。あの時、バーナーの光に浮かび上がった一瞬の影。それが網膜に焼き付いているのだ。
人型……確かにその形状を持っていると言える。だが拭いきれない機械が持ち得る質感は、その影の中にも見て取ることが出来た。
「あいつ、赤外線モードでは捕らえられない。音と通常の視野でだけ……」
肩を強く掴まれる刺激。その手が僅かに震えている。
「黒い影は…人影にしか見え……」
リオの悲痛な声がそれ以上ダテに喋らせなかった。
「ダテちゃんっ、もういいっ!それより、お前、目が!」
ああ、そうか……。
「ドジって……」
目を固く瞑って頭を振る。
自分が放ったバーナーの光に網膜をやられた。トリガーを引いた瞬間そうなるのは判っていた。なのに、目を瞑ることはできなかったのだから。
あれが見えたから……あれの正体と……そしてリオの無事を知りたかったから……。
リオの身に危険が迫っているような気がしたから……だから、あれがリオの後方にいたのが見えた途端、躰が先に動いた。
「ばかやろーがっ!」
ぐっと肩を強く掴まれた。その痛みはリオの怒りだ。
「増光モードにしたなっ!あれは、カバーグラスと兼用せんとやばいんだよっ!」
判ってたけど……しないとまずいような気がした。躊躇する暇はなかった。
「ちっ、しょーがないな。しばらくそこでじっとしていろ」
ぐいっと押しつけられた背に、コンテナらしき壁を感じる。
「でも……」
「いいから、じっとしていろ!バーナー程度の光なら失明することはないっ!休んでいれば回復する」
苛々と言い募るリオにダテは言葉を失った。
そう、だよな……。こんな危険な場所で視力を失えば、残ったリオの負担は想像以上に増大する。
ダテが、自分の判断の甘さにほぞを噛もうとした途端。
「お前は俺のもんなんだから、俺が良いって言わない限り怪我なんかするなっ!」
「……」
そのあまりの言葉にダテは発すべき言葉が思いつかない。
「ったく……どうしてお前は胃に穴を開けかけるわ、失明寸前になるわ……少しは自分の躰を労れ」
……。
ダテは零れそうになったため息を、かろうじて飲み込んだ。
胃潰瘍はリオのせいだ。
そう言いたい言葉もついでに飲み込む。
まあ、失明寸前はこちらの責任だからと気を取り直して、ダテはリオに向かって話しかけた。
「ところで、一瞬しか見えなかったんですが、あれって人形(ひとがた)でしたよね。推測ですが、パワードスーツを着た人に見えたんですが?」
がらりと変わった内容にリオは不満そうに鼻を鳴らすが、ダテはそれにかまわず言葉を継いだ。
「それほど大きくは見えませんでしたから、重装備用ではないと思いましたが」
「一瞬でそれだけ見て取れたら充分だ」
見えないのにリオがにやりと笑っているような気がした。
これはほめられたんだろうか?
「今まで確証はなかったんだが……やっぱり、奴ら、ここで運んでいたんだな」
「奴ら?」
「ヘーパイトスの中央技術チームだよ。あんな物騒な代物を専門に作っているところだ」
それをダテは聞いたことがあった。
どこでだろう……たぶんリオが持っている資料のどれかだとは思う。
確か、総司令の直轄のチームだ。
……こんな所にも伯母の姿がちらほらする。
いや、自分がヘーパイトスである以上、彼女から逃れる術はないのだろう。
どんなに足掻いてもそれは結局伯母の手のひらの上での動きでしかないのだ。
だが、ダテはヘーパイトスを離れる選択肢は選ぶことができなかった。
自分が、結局は一番向いている所だと判ってはいるのだから。
はああと今度ははっきりとついてしまうため息。
「ま、今回の事件はイレギュラーだとは思うがな、たぶん暴走してんだよ、そいつが。それでまあ、何とかしろって総司令部からも言ってきて、ついでにお前の能力を試そうとしてんだろうけどな」
ついで……か。
ついでで、こんな初仕事をやりたくなかった。
ああ、また落ち込みそうだ。
「ま、暴走の原因も突き止めなきゃいけないから、戦闘部隊を放り込んで壊されてはかなわないから修理と銘打って俺達を放り込んだってのもあるんだろーしな。どうも胡散臭いとはおもったんだ。単なる修理にしては、少人数の指示があったし、武装していけってのもあったし」
「そんな指示、あったんですか?」
あの指令書には書いていなかったけれど?
「ユウカから裏ルートでそういう指示がやってきた。便利だぞ、あいつらと仲良くしていると。いろんな情報が結構筒抜けでやってくる」
面白そうにくつくつと笑っているリオの気配。
「え、じゃあ、しょっちゅうアテナに行くのは、その情報収集なんですか?」
「当たり前だ。あいつらと付き合うのはメリットが大きいぞ。なんたって、アテナの中枢は、とりもなおさずオリンポスの中枢だからな。ユウカ達は次期とはいえ、すでにその実権の全てを掌握しているから、たいていの情報はあそこにある」
「そうだったんですか……」
てっきり遊びに行っているのだとばかり思っていた。
「なんだ、その驚いたような顔は……お前、俺が遊びに行っていると思っていたな」
ぎくっ
不機嫌そうな声音に心臓がどきりと跳ねる。
遊びに行っていると思っていたし、何よりユウカに逢いに行っているのだと思っていた。
だからしょっちゅう旗艦パラス・アテナまで出向いているのだと……。
「リオが何も言わないからさぼりついでに行っているのだと思っていました」
半分は肯定する。もう半分は悟られたくないから口を噤む。
「ふ?ん」
だが、リオの声が楽しそうだと気付いてしまう。
目が見えない分、耳がいつも以上に敏感にリオの感情を伝えてくる。
ダテは、内心の動揺を押し隠しつつ、当面の問題に矛先を向けた。
「そのパワードスーツなんですけど、何で暴走したんでしょうね。だいたいその手の物は、中に人がいないと動けないはずですよ?」
「人か……いると思うか?」
リオも与太話をしている暇はないと自覚してくれたのか、ダテの話に同調してきた。
されにほっとしつつも、リオの疑問に首を傾げる。
「パワードスーツの定義は、人の動きをサポートしてそれを強化するためのものです。そのために筋力の増強装置はついていても、自ら動く装置は付いていないはずです」
「マニュアル通りの意見だな、それは。確かに開発していたのはパワードスーツという名前だった。だが、実験的に駆動装置を組み込むことは可能だ。中に小型の二足歩行タイプのロボットを入れてリンクさせればいい。中にいるのが人である必要はないし、それにパワードスーツの初期テストでは安全性に問題があるから、ロボットを使う事が多い」
ロボット……確かにその考えもある。
だが。
「そういう実験で使われるロボットは、それこそ暴走の危険性を考慮して遠隔操作の筈です。動くために必要最小限の人工頭脳しか搭載していない。……だいたいリオだってそんなこと信じていないでしょう?オリンポスのロボットなら、それをどうやって止めるかくらいヘーパイトスの教育を受けた者ならたいてい知っているはずです」
この人は、何か知っている。
知っていて、はぐらかしているのか……それとも秘密にしなくてはいけないのか……遊んでいるのか?
「そろそろ知っている事を全部教えてください」
「そんな、面倒なこと」
声に含まれるその面倒くさそうな割合が随分と高いと感じる。
知っているんだ……。
知っていて、何も言わない。
「では、何も教えてくれないのですか?」
「教えてもいいけど」
ふっとリオの声音が楽しそうになったの感じられた。
嫌な予感に背筋に寒気が走る。
だが、ついつい聞いてしまった。
「何が、けど、なんですか?」
「ダテちゃんが俺のこれから言うことを聞いてくれるって確約したら、教えてやる」
その言葉にひくりと頬がひくついた。
何を言い出すのだろう。
だがリオがそう言った以上、それを約束しないとリオは喋ってくれない。
「とりあえず……その内容を聞いてみたいてのですが……」
できるだけ冷静に対応する。
見えない先でリオがどんな顔で自分を見ているのか、気になってしようがない。こんなところで目の見えない不自由さを感じてしまう。
「そうだな。お前の方から俺に言い寄ってもらうってのがいいかな。いつだって俺がせまって、ダテちゃんが逃げるってのがパターンだから、たまにはダテちゃんからせまって貰おう。それが巧くできたら、教えてやる」
「……」
……
意識が飛んだかと思った。
それはほんの数秒のことだったが、ダテははっと我に返るが、見えない相手を睨むわけにもいかず、ただ眉間にシワを寄せる位しかできない
。
「リオ……」
唸りながら声をかけると、くつくつと嗤う声が聞こえる。
この人は一体何を考えているのだろう?
今がそんな状態ではないことは、火を見るより明らかで……。
「どうする?」
随分と楽しそうな声に、リオがそれを待ち望んでいるのが判る。
しかし……。
ダテはくっと下唇を噛み締めた。
今自分の顔が赤くなっているのが籠もってきた熱で判った。
それを見られたくなくて、俯く。
「どうして……いつも……」
いつもいつもこの人は、どうしてそれをからかいの種にするのだろう。
ダテが羞恥に捕らわれて躊躇うのをいつも楽しげに見ている。
「嫌か?そんなに言葉にするのが嫌なのか?」
ふっとリオの声音が変わったような気がした。
「俺は、いつだって本気だ。いつだってダテちゃんをこの手の中におきたい。だから言葉にする。それに反応するお前が愛おしいと思う」
顔が上がるように動かされた。
たぶん、リオが覗き込んでいるのだろう。そう思うだけで、羞恥心で一杯になる。自分がどんな情けない顔をリオに曝していることか。
ここで平然とリオに返すくらいのことができないと副官であり続けることは無理なのだと思っているのに、それができない。
リオの言葉はいつだって心の奥底に直接響く。
「さ、どうする?」
リオの手が離され、その拍子にバランスを失った躰が後に倒れ、コンテナの壁にもたれるようになった。その壁にてのひらをつけ、目前にいるであろうリオを見つめる。
少しだけ、その姿が見えるような気がした。
別にここでリオに言い寄る必要はないのだ。
こんな理不尽な賭に乗る必要はない。
なのに……。
このとき、ダテの頭の中にリオの申し出を拒否する選択肢はなかったのだ。
10
ダテの口元からため息が漏れ、どうしようと逡巡する。
と。
リン
また、音がした。
どきりと跳ねる心臓に、必死で落ち着けと叱咤する。
何かが近づいてきている。
?Gシステムのセンサーが小さな異常を捉えたのだ。
それがダテだけではないことは、リオがさっとダテの腕を掴んだことからも判った。
目の見えないダテには何がどのように反応しているのか判らない。
じとっと滲む汗が、握りしめた掌に滲む。
どこだ?
外気に触れていないはずなのに、素肌をすっと撫でられたような感触にぞわりと鳥肌が立つ。その全身の肌に浮かんだであろう鳥肌に、思わず左手で右腕をさすった。
酷く不快で、気を滅入らせる感触。
それは未だかつて感じたことのないモノだった。これが敵の気配だということは、本能で悟る。
何か得体の知れないモノが近づいてくる気配だけは感じているのに、目を見開いても何も写さない。
「リオ……」
緊張に掠れた声がその喉から出てくる。
「近くまで来ている、なのに見えない」
リオとて同じ状況なのだ。
最低限の灯りしかないこの部屋のなかで、裸眼はほとんど役に立たない。
「確かに増光モードが一番役に立つが、二人揃って失明するのはまずいからな……」
緊張のせいか、幾分リオの声が固い。
ぞわりと逆撫でされる感触がある方向に、ダテは思わずバーナーの筒先を向けた。
ちりちりと伝わる刺激が、撃て といっているようで。
ダテはそれに素直に従った。
「ダテッ!」
リオの悲鳴にも似た叫びが爆風にかき消された。
ダテの放ったバーナーは確かに敵を捕らえたのをリオはその目で確認した。
が、同時に至近距離にあったコンテナの壁さえも余計に焼き切った瞬間、中にあった何かが爆発的に燃え上がった。
その衝撃にリオとダテは全く違う方向に吹き飛ばされる。
「ううっ……」
ダテは何が起きたか判らないままに、床の上を転がされ、壁のようなモノにしたたかに躰を打ち付けて、ようやく止まることができた。
強打した背中のせいで、息が苦しい。
爆発?
何が?
うすらぼんやりとした視界の先で、なにか明るいモノがもやもしている。
同時に、上から何かがそこに吹き付けられているのも何とか見て取ることができた。
「ダテッ!」
切羽詰まった声がどこか遠くで聞こえていた。
「リ……オ?」
何とか息を整え、言葉を発する。
「無事か?!」
「はい……」
意識がもうろうとしている。
どこかはっきりしない頭を叩こうとして、それがヘルメット越しだと気付いた。
ゆっくりと手足を動かしてみると、何とか動く。
どうやら、怪我はしていないらしい。
「何が、おきたんでしようか?」
自分が撃った事は判っている。
だが、そのせいで何が起きたか、判らない。
「あいつに当たったのは確かだ。だが、同時に傍にあったコンテナまでぶち抜いた。たぶん、粉塵爆発だ。中にあった小麦粉かなんかに引火して、爆発的に燃え上がった。そのせいで起きた爆風に吹き飛ばされたんだ」
あ、ああ……そうか……
「それにしてもよくあいつの居場所がわかったな?」
「なんだか嫌な感じがして、そっちの方を狙ったんです。撃たなきゃいけないような気がして」
そう言うと、リオが沈黙した。
「リオ?」
「お前、運が良かったって言っていたな。それすらも封印したと」
「はあ……」
パラス・アテナから帰ってきたときに、過去に封印したものをリオには伝えていた。
自分が何をしたのか古すぎる記憶のせいで、全てを思い出した訳ではない。だが、確かにその中に、人からずっと言われていた「運がいい」というのも確かに含まれていたのは自覚している。
それは何よりも伯母が言い続けたことだから。
『運のいい上司につけば、部下もその運にありつける』
だから、封印した。
それが封印できるモノかどうかは判らなかったけれど。
「それって、運じゃないんじゃないのか」
「は?」
「お前のそれ、キイに似ている」
キイ?
今ここにいない同僚の姿が脳裏に浮かぶ。
勘が鋭くて、敵の気配に誰よりも早く気がつき迎撃を可能にするから、後方の警備を任される仲間。
「見えている俺より早く確実に敵の気配に気付いている。そういう気配を敵に限らず自分に降りかかる災難でも気付くことができるから、運がいいように見えるんだ」
「……でも、リオの所に配属された時は、我が身の不幸を思いっきり嘆いたのに……運がいいのまで消すんじゃなかったって心底思ったくらいですが……っ!」
そこまで言ってから、リオの不自然な沈黙に気付いてしまった。
私は?、なにを?っ!!
慌てて閉じた口は、ガンッと頭に受けた衝撃で、再び開くことになった。
「い、痛いっ!」
ヘルメットを通してもなおも響くその衝撃は、相当なもので……。
爆風でもならなかった衝撃過多の警告音がヘルメット内に鳴り響く。
「俺のとこに配属されたのは、不運だとは思っているのか、お前はっ!!」
さらに固いもので叩かれる。
こ、これって。
「リ、リオ、今何で叩きましたっ!」
「ああ、これ」
見えないのに、リオが得意げにそれを差し出したのが見えてしまった。それは想像でしか過ぎなかったが、間違いないだろう。
「バーナーですね。バーナーで叩いたんでしょう?しかも、思いっきりっ!」
「だいたい、何で俺のとこに来るのが不幸なんだ?こんなラッキーなことはないだろーが」
「ちょっした言葉のあやです。今はそんな事思っていませんっ!確かに配属されたときはすっごく思いましたけどね。だいたい、問答無用でいきなり叩かないでくださいっ!それだって立派な凶器ですっ!!」
しかも、思いっきり……。
「煩いっ!お前が一瞬でも不幸だって思ったことが許せないんだっ!」
「だ、だからっ。そんなの当たり前でしょうがっ。どこの誰が部下にキスを強要する人がいますっ!いきなりそんなことされたら、誰だって我が身の不運を感じてしまいますっ!今ならともかくっ!!」
「今なら?」
「っ!」
はっと我に返る。
思わず口を閉じた途端。
ごんっ!
再び叩かれた。
ま、またあっ!!
避けられないのを良いことに、ごんごんと叩き付ける。
「今ならどうなんだ?黙ってないでさっさと言え」
「だからっ、叩かないでくださいっ!さっきから警告音も鳴って煩いんですっ!」
「じゃあ、言え」
う……。
たじたじとなりながら、ダテは奥歯を噛み締めた。
「さて、聞かせて貰おうか」
その言葉が随分楽しそうに聞こえるのは気のせいではないだろう。ダテはため息をつくと、口を開いた。
「ああ、もう……。私はリオの事が好きです」
いい加減やけくそになっていい放つ。
「確かに最初の頃は自分の身の不幸を嘆きましたけど……今は、そんなこと思っていません。今はリオの事が好きだから、ラッキーだったと思ってますっ」
「ムードがないっ!」
ゴンッ
「……今の状況で……どうやってムードを出せって言うんです……」
睨みたくても焦点の合わない目だと威力もなさそうな気がして、ふいっと横を向く。
「そうだなあ……目を涙で潤ませて、俺の首に縋り付くとか?」
「……この装備でですか?」
男二人、?G装備のほとんど宇宙服にも似た外装の二人が抱き合う姿……。
想像してもムードも何もないような気がする。
がっくりと肩を落としたダテに、リオはむっとしたのかぐいっと腕を引っ張った。
「何です?」
いい加減、疲れてきた。
それでなくても慣れない仕事、緊張を強いられる状況、それなのにどうしてこの人は、こんなにも勝手気ままに動くのか?
「ムードってのは、こうするだけで作れるもんなんだぜ」
「はああ?」
ダテは引っ張られるがままにしていた躰を、はっと身構えさせた。
「別に脱がす訳じゃない……」
その静かな低い声がマイク越しとは言え、耳に響く。
「好きだから、俺はいつだって、ダテちゃんをこの手の中に感じたい……抱き締めて、お前の肌に直接触れたい……。その、柔らかな唇に触れて、俺の悪口ばっかりいうその舌を絡め取って味わいたいよ……」
低く響く囁くような声。聞き取りにくくて、耳をそばだたせ、理解しようとする。その結果、必要以上にリオが言っている言葉を頭が認識してしまった。
ふっとその言葉の通りに抱かれている自分が脳裏に浮かんでしまう。
途端に躰の中心から熱いモノが膨れあがり、体中を駆けめぐる。
心臓の鼓動が早くなり、増した血流がさらに熱を全身へと運んでいくせいで全身が熱をもったようになった。
「リ、リオ……」
狼狽え、躰を離そうとするが、しっかりと捕まえられたその躰を後退させることもできない。
「お前の躰ならどこだって触れたい……余すところなく口付けて、お前の肌に舌を這わせたい……柔らかくて、敏感だよな。耳の後とか……こことか……俺が触れると、途端に硬く大きくなってただろ。俺の躰で押さえつけられていたというのに……すごく元気で……俺の躰に当たっていた……」
「や、やめてくださいっ!」
火が吹き出そうな程熱くなった顔を俯かせ、必死で手を突っ張る。
一度思い出したリオの唇と舌の感触が、まだ触れさせていない所ですら這っているような気がする。目が見えない分、他の感覚がリオの言葉に惑わされる。
「感じるだろ……あの時、俺が触れるたびに必死で堪えていたもんな。震えながら……」
あの時、という言葉と共に、あの時の情景が浮かび上がる。
「や、やめて……リオ……」
見えないから、余計に言葉に捕らわれる。
「お前さ、肌が白いからちょっときつく吸い付くとすぐ鮮やかな色がつくだろ?昨日つけたばかりだから、まだここいらには残っているよな……」
「もう……やめてください……」
がくりと膝をつくとようやくリオの手が離れた。
息を吐くとそれがひどく熱い。
私は……何で……。
言葉で嬲られた躰が自分の意志から離れてしまったように動かない。
「続きは、帰ってからだな……」
聞こえたリオの言葉にダテは力無く首を振るしかできなかった。
続く