エンドレス・ラブ

エンドレス・ラブ

シュリが働く店のマスター フレッグとその恋人(?)カースの逢瀬。会いたいけれど会いたくない。それは別れの悲しみに晒されたくないから。
1
「マスターっ!!」
 あまりにも珍しいサンディのせっぱ詰まった声に、何事かと目をむいて。
 バタッ!!
 カラカラカカラカラッ!!

 けたたましい音でドアベルが鳴ったドアを見て。
「フレッ???グッ!!」
 熊なみのバカでかい図体が怒声にも似た雄叫びをあげて入ってきたのに驚愕して……。
 それらはすべて瞬く間に起こった一連の出来事で、予測していなかったとはとても言えないが、それでもこの時、フレッグ・クストーは度を超した驚愕で完璧に硬直していた。
 故に、逃げることもままならないうちに、あれよあれよと捕まえられて、店から担ぎ出されてしまう。
 真っ白になった頭はそれでも、サンディに声をかけなければ、とは思っているのだが、視界によぎった彼女へそんなことをする余裕など無かった。
 横抱きに抱えられて車に放りこまれ、体に衝撃を感じたときには、ドアが勢いよく締められた後。その風圧に顔をしかめつつも飛び起きてドアを開けようとすれば、寸前でロックがかかってしまう。しかもご丁寧に操作不可状態だ。
「カースッ!!」
 ようやく張本人に向けて発すことのできた怒声は、ニカッと楽しそうな笑みで返された。
「久しぶりだな」
「てめーはっ」
 目眩がしそうなほどの懐かしさのある声に、一瞬ほだされそうになって、だが、それを怒りでねじ伏せる。
 そこでフレッグの罵声を嬉しそうに聞いているのは、できれば遭いたくない男、カルシェイス・シェルマンだ。
「オレは仕事中だっ!」
「臨時休業ってことで」
 言葉は流され、怒りは無視される。運転席の背もたれに手をかけ、体を伸ばして運転をやめさせようとしたフレッグの手は、呆気なく払われた。
「危ないからじっとしてろ」
 さすがに真剣な声音に、それ以上は手が出せ無かった。確かに高速でひた走る車を無理に止めることは、危険きわまりない。それは判っているのだが、素直についていくことは今はできない。だが振り返って後ろを見ると、もう店の姿は跡形もなく消え失せていて、フレッグはガクリとシートに深く沈んでしまった。
 予測できたのは、今日家に帰ったらこの男がふんぞり返っているだろうと言うこと、夕方に店に来かも知れないとは思ったこと。
「……お前は……今日帰ってきたばかりだろ?」
 ならば司令部へ出頭する日のはずで、今この時間、こんなところを彷徨いていいものではない。だから、早々に顔を合わせることのないように司令部への配達は配下のシュリに行かせたというのに。
「司令部なら顔を出したぞ」
「なら、報告はもうすんだというのかっ?」
 時間的にそんなはずはないだろうと体を起こせば、「もちろん」と当然だとばかりに返される。
「そんな……」
「ちゃんと、司令官に会って、現状の報告と次の計画の拝命まで。全部こなしてきたぞ」
「信じられん……」
 今まで確かに理不尽な事をするやつだとは思っていたが、ここまで信じられない行為をするとは思わなかった。
 きっと、司令官すら呆気にとられるほどの早業を繰り出してきたのだろう。それができる男なのだという覚えはあったのだが。
「それは……まあいい」
 仕事をこなしたのならフレッグが文句を言える筋合いのものではない。だが。
「オレは仕事中なんだ。シュリのやつを配達に行かせて、サンディだけでこの時間の店番は無理だ。しかも仕込んでいる品はどうしてくれる」
 そういえば釜の中に入れたままのパンがあったはずだと思い出して、眉をひそめた。
「言ったろうが、臨時休業だと。それにサンちゃんがうまくやってくれるさ。こんなこと慣れてるだろ?」
「だ、誰のせいだっ!!」
 決してこんな事態に慣れてもらいたいとは思っていないのに、いつもこの男の強引さがトラブルを引き起こす。おちゃらけた雰囲気のあるサンディではあったが、それでも留守の店を任せられるほどの技量は持っている。しかも雰囲気を悟るのが巧い。この後フレッグが見舞われる出来事も十分承知しているはずで、そのことで後でフレッグがどんなに恥ずかしい思いをするかカースは判っていないのだ。
「いつもお前は強引で、人の都合を考えないっ」
 別にこっちは逢いたいなんて思っていなかった。逢ってどうするんだ……という気持ちもある。
 それは、逢ったとしても……。
 途端に心を占めていたはずの憤りが消え失せて、フレッグはひどく胸が締め付けられるような感覚に襲われてしまった。それはカースに逢うたびに込み上げる覚えのある感情で、フレッグは考えてしまったことを悔いて奥歯をきつく噛みしめた。
 一度考えてしまうと容易なことでは消え失せず、いつも、いつまでも心の中でわだかまって、フレッグの心を重く沈ませる。
 逢う前から、別れの悲しみを想像しまうのは愚かなことだと、カースは笑う。だが、それでも考えることはやめられない。
 宇宙が、地上よりはるかに危険な場所である限り。
 そのことにカースは頓着しない。だから、宇宙に行ってしまう。「また今度な」と言いながら、笑っていってしまう。
 それは、嘘を言っているつもりではないことは、判っているのだが、それでも何があるか判らないのだ。その事を考えると、あろうことか、行くなと強請りたくなる。言って欲しくないと、懇願してしまいそうになる。
 ……嫌だ。
 そんな醜態を晒す位なら、カースには逢わなくったっていい。
 この鈍感な男などに気をとられたくなんぞなかった。
 だから、帰ってこなくていい。
 生きていてくれればそれでいい。
「カース……」
「ん??」
「やっぱり……店に帰らせてくれ」
 こいつとあっているくらいなら仕事をしていたほうがいい。
 それは切なる願いであったのだが、カースからはそれに対する返事はなかった。
 カースは地上に家を持たない。
 持つ必要もない。だが、こうしてたまに地上に降りることがあって、そのときには必ずフレッグのところに泊まる。
 そういう隊員のための宿舎があるというのに、だ。
「着いたぞ」
 店から10分。
 慣れた様子で車を車庫に入れ、玄関から中に入る。鍵は最初の段階で、予備を持って行かれた。
 だから店に寄ってフレッグとともに帰らない時は、いつもここで待っている。鍵を付け替えようと家のソファでリラックスしている様を見るたびに思うのだが、結局実行に移せなかった。それは、カースなら窓を蹴破ってでも入っていそうで、その修理のことを考えると実行するのもバカらしくなったからだ。それから実に10年以上もの年月が経ったということで、我ながらあきれてしまう。
 そういえば。
 ふと、玄関に入っていくカースの背に違和感を感じて首を傾げる。
 こんなふうに問答無用で店から拉致されるなんて久しぶりのことだと思い出したからだ。いつもは、店にきたとしても他愛ない話をしながら、話の流れででつれて帰られるというのがパターン。
 何かがあったのだろうか?
 ことフレッグの事になると、いい加減嫌になるほど傍若無人に行動するカースではあったが、あの衆目の場での拉致騒ぎは下手すれば警察沙汰だと思い返せば、やはりカースの行動は異常であるという結論にしかならなす。
 それはそれで気になるものであって。
「カース?」
「ん??」
「あ、いや……」
 振り返った様子があまりにいつもと同じだったので、気にしすぎかと首を振った。
 だが。
 不意に背筋がゾクリと反応した。
 背後でドアのロックがかかった音とともに一気に襲ってきたそれに、無意識のうちに体が反応した。身を翻し、閉まったばかりのドアに手を伸ばす。が。
「どこに行こうって?」
 肩を掴まれ、そのまま勢いよく壁に押し当てられた。力任せに前の壁に押しつけられ、なおかつ利き腕は後ろにねじ上げられる。
 反射神経と格闘でカースに敵うはずもなかったが、それでも鍛えた反射神経の咄嗟の行動は間違っていなかった。確かに、感じた怒気。
 そういう時のカースの行動を熟知しているだけに、それはとうてい甘受できるものではなかった。
「は、離せっ!」
 骨がへし折らせそうなほどの痛みと、押しつける力の強さに息苦しくなって喘ぐ。
「離さない」
 せせら笑うような声音にゾクリと悪寒だけでない何かが背筋を走り抜ける。
「カ……カース……、お前何考えてる?」
 何とか振り解こうと全身に力を込めるが、押さえつけられた体はビクリともしなかった。しかも。
 生暖かい吐息が首筋に触れて、とたんにビリッと走った刺激に力が抜ける。
「我慢できねーから……」
 全身に満ちた怒気とは裏腹にその声はひどく切なく苦しそうだった。途端にそんな顔をさせたくないと、抵抗する気力が抜けかける。だからと言って、欲情に満ちた瞳で見つめられて我慢できるものではなく、フレッグは堪らずに顔を反らせていた。と、そのせいで露わになった首筋に、ピリッと引きつるような鋭い痛みが走った。
「…っ痛!」
 咄嗟に固く目を瞑ったのは条件反射で、途端にぞくりと全身をとろけさせるような快感が走って、息が詰まった。痛みのある場所を、生暖かく柔らかな舌が、何度も舐め上げる。そこにはもう痛みなんかないのに、それなのに固く瞑った目は開けることができなかった。ぞくぞくと何度も湧き起こる疼きに表情も含めて全身が思うようにならない。
 そのうち、位置を戻せない首筋に再び痛みが走って、四肢がビクンと跳ねた。
「カース……てめぇ……」
 痛みに食いしばった歯の隙間から吐き出す苦情は呆気なく無視されて、カースの歯が何度も食い込む。それは傷を付けるほどではなかったが、確かな硬質に、怯えにも似た感情が湧き起こった。
 だが、カースは自らつけた痛みを癒すかのように同じ場所を今度は舐めあげる。
 動物が傷口を舐めて治すように、同じような行為を繰り返す。だがそこには赤くはなっているが傷口など無くて、他より敏感になった肌は、そのイヤラシい動きを快感として伝えてくる。
「うっ…あっ……」
 それは忘れていた行為を無理矢理に思い出させて、肌が期待にゾクッと粟立つ。それに気付いたのかカースの唇がクスッと震えた。それすらも全身を疼かせるに十分で、フレッグのモノがズボンの中で成長し始めていた。
「止めろっ……」
「暴れんな」
 その先に来る行為が嫌だとなけなしの力で振り払おうとするが、それはなんなく押さえつけられた。低い声が、カースの怒りがまだあることを伝えてくる。
「てめっ……どういうつもりだっ」
「久しぶりに逢えたのに、あんまりつれない態度を取られると、さすがにむかっ腹がたってしまう……。それにもう半年はしていないからな、溜まってんだよ」
 ククッと震える声に、体が瞬く間に反応して、簡単に力が抜けてしまった。しかも話し手をしている間にも、カースの手が、指が、僅かな強弱を持って変化していることにも気付く。
 その先が欲しいと、体が動いてしまう。だが、それは受けいれるつもりのないことだ。
「そんなもんっ、勝手にてめーの手を使って出せっ!オレを使うなっ!」
 半年……その間どんな思いでいたか、知らないカースに触れられたくなかった。
 半年前、フレッグを思うように抱いて満足して去っていくカースの姿を思い出す。だが、フレッグにとってその瞬間がまさしく嫌で嫌で堪らない時なのだ。
 好きなのにっ。
 こんなにも好きなのに。
 なのに平然と別れていくカースは、それがどんなにフレッグの心を切り刻むか気付いていない。
 散々べったりひっつかれていて、なのに、いきなり一人で放り出されたら、そのギャップが失せるのに時間がかかるのだ。
 フレッグが今の仕事から離れられないように、カースの生きる道も宇宙にある。決して交わることのできない二人の道は、だから──別れたままでいれば良かったのだ。なのに、カースはフレッグを欲する。
 連れて行こうとする。
 カースがフレッグを抱くことは、説得しようとする心のあらわれなのだと……ある時気付いてしまったから。
「いやだっ!!」
 固く瞑った目尻から、涙は堪えきれずに流れ出した。
 好きだから……愛しているから……。

 だから、抱かれたくない──って……言ってんのにっ!!
 その最初の一文を省いた訴えは、いつもいつでも、無視された。

 

 後1mも移動すればダイニングキッチンでその隣がリビングで、残った部屋は寝室だというのに。玄関を入ってすぐの廊下でフレッグはカースに押し倒されていた。
 ダイニングキッチンの冷蔵庫には、カースの好物のピザの材料が入っている。ソースもチーズもレストーナ特製ピザに使っているものと同じ材料だ。
 どうせ、請われると判っていたから用意していたそれらがちらりと頭の中を過ぎる。
 だが、カースは今フレッグを喰らうことしか頭にないようで、激しい抵抗のなれの果ての引き裂かれたシャツがびりびりとなって床に転がっていた。その用をなさなくなった袖の部分が、フレッグの両手首をきつく縛り上げていて、それごと床に押しつけられる。傷がつくようなきつい縛りではないが、それでも抵抗すれば赤い痕が付くだろう。
「解けよぉ……」
 縛られるだけで人は不安になる。
 手が使えないとなればなおさらで、フレッグはなんとか解こうと必死になって手を動かしていた。その間にカースの手が残っていた布きれを引きはがした。
 薄暗い玄関先に、白い裸体が露わになる。
 カースの喉がごくりと上下し、目が色づいていつもと違う光を帯びていた。
 それは視線だけで体の中まで犯されているような気がするほどきついもので、知らず知らずのうちに鼓動が早くなった。
 手首の痛みも、乱暴にのしかかられてできたであろう青あざも、全てがこの男が原因だというのに、理不尽にもそいつに攻められているのだ。
「ふあっ……やあ……」
 堪えられないのは無意識のうちに漏れる、誘うような甘い喘ぎ声。
 制止の声は、役にも立たないと判ったから、とっくに止めてしまっていた。ただ、不要な声は漏らしたくないと、必死で歯を噛みしめる。なのに漏れるそれはカースを誘うように甘く聞こえるもので、フレッグは何度も首を振っていた。
 ただ単に、詰まる呼吸で喉が震えてしまっているだけだというのに。
 それでもどうして息が詰まるのかを知られるのが嫌で、どうしても漏れてしまう声を聞かれるのが嫌で、フレッグは必死で呼吸をコントロールしようとしていた。
「相変わらず日に当たってねーんだろ?この辺は」
「ひっ」
 カースの手が露わになった胸の辺りを撫で上げて、指先が乳首を引っかけていく。途端に電流に晒されたような痺れに襲われて、どうしようもなく体が反応してしまった。それにカースが嗤う。
「ふふっ、相変わらず敏感だ」
 面白がって、さらにそこを責め立てる。
 鋭い爪がひっかいていき、ざらりとした舌に丹念に舐め上げられた。
「んうっ、あぁっ…ん…」
 堪えきれない劣情がフレッグの神経を侵して、噛みしめていた歯が緩んだ。途端に、喉から漏れる嬌声は、耳を塞ぎたくなるものだった。なのに、縛られた手は押しつけられ、耳からはその声も、そしてカースが舐め上げるピチャピチャとした音すら入ってくる。気にすると余計に気になって、それが全身を熱くしていった。
「やめっ……カア…スぅ……ううっ」
 何度も何度も啄むように乳首に吸い付かれ、空いた手が肌の上を滑っていく。脇腹の背側、腰骨の少し上を強弱をつけて押され、ゾクッと背筋に疼きが走り、体が跳ねる。再開された制止する声も熱にうなされているように意味をなさないもので、カースがそれに煽られていることにも気付かなかった。
 嫌なのに。
 ただそれだけを思う。
 どうして普通に出会って、普通に食事して。
 休みの間を楽しく過ごせないのか?
 高校時代に出会った時のように、友人として楽しく遊べないのか?
 二人の道が分かれて以来ずっと考えていることが頭の中を過ぎって、快感に晒されて喘ぐ熱い体とは裏腹に、胸の中が痛くて苦しい。
「んあっ」
 躊躇いもなくズボンの中に入ってきた手が、フレッグのすでに固くなっていた逸物に直に触れて、逆らっていた力が一気に抜ける。
「いやだいやだも好きのうち、だな」
 耳元で嗤われて、震える吐息に肌が粟立った。
 言葉の意味なんか自分が一番判っていて、フレッグは泣きそうな思いで瞑っていた目をうっすらと開けた。途端に間近にカースの顔が合って、慌てて目を逸らす。
 初めてあった時からすれば年相応の風格はもったが、それでも同年代の連中からすればまだまだ若々しい。決して童顔ではなく厳めしさすら感じるのに、どうしてこんなにこいつは若いのだろう。
 懐かしい思い出は逸らした顔を顎を掴まれ引き戻されると同時に消え失せる。
 よけに間近になった顔はもう嗤っていなくて、唇がきつく深く塞がれてしまった。
「んぅっ」
 入れさせまいと閉じていた唇は、逸物を握りしめられた痛みに呆気なく開いてしまった。間髪入れずに肉厚の舌が潜り込む。
「うっ……あぁ……ぁぐ……」
 もう何を喋ることも許されなくて、フレッグはただ押し寄せる快感に翻弄される。
 それほどまでにカースは巧みにフレッグの快感を高めてくのだ。背が硬質な床に二人分の体重で押しつけられて、痛みを訴える。手首も縛られたままで思うように動かない。
 激しい口づけで朦朧とした意識が次に気付いた時には、服は全て剥ぎ取られていた。
 ぼんやりとした視界の中で、カースの移動した頭が蠢いている。ゾクゾクと湧き出す快感が、どんどん下へと向かっていっていて、その行き先がどこかなんて容易に想像できていた。だが、力の入らない体は快感に震える以外はびくりともせずに、カースの与える全てを受け入れていく。
 フレッグからはカースが邪魔で見えない股間は、限界まで張りつめているだろう。それが感覚で判る。しかもその先をフレッグは酷く欲していた。
 しっかりとその手で握りこまれて、時折刺激を与えられる。そのたびに腰が揺れ動いて誘ってしまう。そんな自分に気付いて、恥ずかしさに熱くなって。
 必死で声を堪えようとしても、結局誘うように零れてしまう。
「あ……ああぁ……」
 嫌だと、思っていても結局はこのていたらくだ、とフレッグは襲ってくる快感に完全に降参してしまっていた。
 まして相手はカースなのだ。
 その辺のどんな相手だろうと絶対に許しやしない行為だが、カースに対しては拒否できた試しがなかった。それは自分がどんなにカースの事が好きであるか、というそれが原因だと判っている。
「んんっ、んああぁぁ」
 好きだから、欲しいと思う心は、決して否定できない。
 カースがフレッグを求める心も判る。
 それでも……カースは傍にはいてくれないから……。
「いぁぁぁっ!」
 脳天を貫く快感に上げる嬌声は理性の崩壊の印だった。
 ニヤリとカースの口許が歪むのは、それを知っているからで、それまでフレッグの数カ所の性感帯を刺激し続けていた手を、一気に激しくなる。それは逸物に添えられていた手も同様で。
「あっ、やだっ!カースっ……カースゥッ!」
 激しく上下に扱かれて、固く瞑った瞼の裏で激しく星が瞬いていた。譫言のようにカースを呼んでいることにも気付かない。
 カースがいない間、自身の手指でしていた行為は、カースの手では快感は確実に倍増されていて、意識はもうそこにしかない。
 ぞくぞくと肌が震え、艶めかしく誘うように動く腰が止められない。
「あ、ああっ、んあっ……カースっ!……あっ……」
 だが後一歩のところで、カースの指の力が弱まる。緩慢になった指が括れを擦り、明らかに快感を与えようとしているのに、それは達くまでにはほど遠い。
 もっと扱いて欲しいと腰が勝手に動いて、それにカースの笑みを含んだ吐息で気が付いた。
「あっ……」
 かあっと全身が一気に熱くなって、羞恥に頭の中が真っ白になる。
「かわいーねー……マジ、たまんね」
 からかうその言葉も、それに拍車をかける。
 情けなく逸らした顔のその頬にやんわりと口づけられ、だが、不意に聞こえた怒気を含んだ言葉に、目を見開いた。
「でも……達かせねーよ」
「あ……」
 どんな意味でそれを言ったのかも判らないうちに、フレッグは情けない声を上げていた。
 欲しかったのに……。
 そんな事を思ったことにも気がついて、自分が信じられないと目を剥く。と、その先で、カースが意地悪く嗤っていた。
「淫乱なフレッグもまたオツなもんだ」
 言うに事欠いてそんな言葉が聞こえ、激しい羞恥心に身を焦がした。
 確かに欲したのは自分ではあったが、それを指摘されると羞恥より怒りが先立つ。堪らずに繋がれたままの両手で、勢いよく頭をはたこうとして、寸前で止められた。しかもカースの意地悪さを持った瞳が急に剣呑なものに変化してフレッグを見下ろす。
「これ以上逆らったら、身動きできない程に縛るぞ」
 その本気さを敏感に感じられるほどに、フレッグも十分聡く、浮かんだ苦笑は信じたくない思いの現れでしかない。
「両手と足首を繋ごうか?」
 繋がれた手首をなぞった手が、足首にも触れる。
「や、やめっ!」
 触れられた場所がざわめいたのは、恐怖からだと思っていたけれど。
「何?その方がいいのか?ここ、泣き出してるぜ」
「え?」
 カースが口だけで嗤う。
 その指がフレッグの張りつめた先端から透明な滴をたっぷりと拭い取って、それをあろうことか頬になすりつけた。
「ほら……こんなにも」
「やっ……」
 違うと首を振りたくて、だが確かにそれは自身の出したモノなのだ。
 指が動いてそれが肌の上を伸ばされる。それほどまでの量をフレッグは出していた。目の前で粘る液体を見せられて、激しい羞恥とは裏腹に体がさらに熱くなる。
 ドクドクとさらに鼓動が早くなって、全身に快感が渦を巻く。
「相変わらず……敏感だな、何もかも」
 そう言われて否定できないほどに──全身がざわめいていた。

 

「でもま、いっつも敏感だと思っていたが、今日はことのほか、だな。やっぱり縛るのが良いのか?そういう趣味があるってことか……」
「ち、違うっ!」
 それだけは、と、とんでもない勘違いに、必死になって首を振る。
 そんなはず無かった。
 快感は確かにあって、それに流されているのも事実ではあったが、それでもこれ以上縛られて何で悦ばなきゃいけないんだ。
 なのに、カースは酷く楽しそうにフレッグをひっくり返した。
「っつ」
 縛られた腕の反応が遅れて、胸の下敷きになった。苦痛に呻くフレッグに手を貸してカースがその腕を引っ張り出す。
「さて、と」
 むき出しにされた双丘にカースの手が這って、フレッグは頬を床に張り付かせたまま手で顔を覆った。
 一撫でするその手のいやらしさにほぞを噛む。だが、体はそんなことで快感を感じて、ゾワリと小刻みに震えた。
 手の平が口を固く覆って声を押し殺す。
 そうしていないと、とんでもないことを口走りそうだったからだ。肌を走るその甘い疼きが、中途半端に放置された股間まで増幅して伝わるのだ。
 欲しい……と言ってしまいしまうそうだという自覚はあった。
 だから、口を塞いで。
 カースの指が濡れているのを肌で感じた時も、それが後孔に突き刺さってきた時も、必死で我慢した。
 中で自在に動く指が目指すところなんて知りすぎるほど知っている。
 そして、自分がそれに期待していることも。だけど、それを認めたくはない。
 抱かれたくなんかないのに。
 それだけを何度も思い出して、脳に刻みつける。
 だが。
「きちーな。ま、浮気はしていないってことで……」
「ば、ばかやろーっ!!」
 その聞きずてならない言葉に、思わず怒声を発してしまった。
「てめーじゃあるまいし、誰が浮気なんかっ!!」
 カースが好きなのに。
 カースだけが好きなのに。
 カースでないとこんなことはさせやしないのに。
 なのに。
「オレはてめー以外こんなことしたことねーっ!!こんなっ、こんなっ!」
 上半身を跳ねあげて背後のカースを睨み付けて、ただ怒りのままに言葉をぶつける。
 浮気なんて……。
 震える唇が、次の言葉を吐き出す前に塞がれた。仰け反らして振り返っている顎を捕らえられて、背が限界を訴えてきしむ。だが、啄むように何度も何度も軽く口づけられて、それに溺れていく。そうなると逆らう気力は萎える一方で、それどころかその快感を貪欲に欲してしまうのだ。
「ん…うぅ…」
 呼吸するタイミングが掴めなくて、息苦しさに漏らした声にようやく顎が離されて、フレッグの体がガクッと崩れた。床に落ちる寸前、カースの手が胸を支えた。
「わかってるよ、言ってみただけだ」
 優しい声と背に触れる柔らかな刺激に、フレッグは小さく声を上げてその手に完全に体を預けた。
「フレッグは、オレのことだけが好きなんだろ?」
 判ってるよ。
 そう言いながら、胸の手が腹へと降りていく。
「お前は浮気できるような奴じゃないからな」
「んあぁっ」
 声だけは優しいが、握りしめられる手も中に奥を抉る指も、その動きが激しくなる。
「やぁ……っ……か、カースっ!」
 体内から迸る快感が全身を駆けめぐって、意識すら侵略していって。
「も…もうっ……」
 気が付いたら望んでいた。
 達きたくてたまらなかった。
 それは一人でする時より、もっと激しい欲望で、どうにも止められるモノではない。
「カースゥっ……た…のむっ」
 抉って奥まで満たして、一杯にして欲しいと、もう隠せない。
「あ、ああ……んあ……か、カースッ!」
「判ったよ、オレも限界だ」
「くふぅ……ん……」
 そんな言葉に全身が悦びに震えて、堪らずに喉が鳴っていた。
「まだきついから……マズいんだが」
「い、つぅっ……くうっ……」
 そんな殊勝な言葉が嘘だったと判るほどに入り始めた後は一気だった。
 ミシミシと骨がきしむ音が体内を響き渡るほどで、激しい痛みに快感も何もかもが吹っ飛んでしまっていた。
 ただ、掴めない床をそれでも縋るように爪を立てる。食いしばった奥歯から、堪えきれない悲鳴が漏れるほどの痛みに、その頬を幾筋もの涙が伝っていた。
「すまねー……オレも我慢できねー」
「ばっ……かっ!我慢し……うあっ」
 言っているわりには、その腰は絶え間なく動いていて、ぎちぎちにまで拡げられた後孔が悲鳴を上げていた。
「うっ……くぁ……」
 カースのそれは大きい。男としてもその立派さは目を見張るもので、しかしこういう時にはそこまで大きくなくても……と思ってしまう。内臓一杯にはめ込まれたそれが、カースが腰を動かすたびにずるずると内壁ごと動いているようで、フレッグは苦しげに呻き声を上げる。
 そこに快感などない。
 なのに、カースに攻められるとそれが無理矢理でも結局許してしまう。
「すごっ……きついっ……」
 フレッグの呻きに混じってカースの苦しそうな声が聞こえてきた。だが、その苦しさの中で、カースの動きは止まらない。
「やっ……やめ……」
 痛いのに、苦しいのに。欲したのはこんなものじゃない。
 痛みに流れる涙が顔をぐしゃぐしゃにして、床が触れてずるずるになっていた。
「あ、ああっ」
 もう痛みで何も考えられなくて、喰いしばることもできなくて、開いてしまった口から唾液までも溢れだす。
「ああ……やあ……あっ……」
「フ……レッグっ!」
「あっ……んあっ……」
「愛してる……愛してるからっ!」
 言葉が耳を通り過ぎていく。
 その言葉に縋りたいと──解放して欲しくて、助けて欲しいと、フレッグは動かない手を必死でついて顔を上げていた。振り向いた先にいるカースに救いを求めて、欲して。
「カースっ……たすけ……」
「フレッグっ」
「うわっ」
 ドクンとはっきりと震えたそれがひときわ強く一点をついた。途端に、激しい衝撃が全身を襲った。それは、痛みではなく、なのに目の前が真っ白になる。
「ここだっけか?」
 ニヤリと嗤っているその言葉の意味も、思い出したとばかりに同じところを何度も突かれて考えることもできない。
「あっ……ああぁっ……」
 痛みでないのに口が閉じられない。
 そんな状態で、カースが何を喋ってももう気になっていなかった。なのに。
「おいっ」
 カースが呼びかける。応えなかったら、無理に顔を引き寄せられた。
「あ……」
「イイんなら、そう言え」
 え?
 そう言って、カースが動くのをやめていた。フレッグが驚いたように目を見開いてその顔を見つめると、苦しげに歪んでいるというのに、その口許だけがニヤリと嗤っている。
「言えよ……オレがイイって」
「あ……」
 しかもその手がフレッグのモノをやわやわと扱いていた。
「ん、や……あ……」
 ゾクゾクと変わらずに快感は駆け上がってくると言うのに。先ほどまでの激しさがなくて、体が物足りないと喘ぐ。
 体内に満たされているそれを動かして欲しくて仕方がない。
 後少しなのに……。
「カ……ス……」
 欲しいよ……。
 言うなっと叱りつける心もあったが、ざわめく体がためらいなく言葉を言わせていた。
「カース……欲しい……お前のが……イイ……」
 途端に一気に突き上げられた。
「ひいっ!」
 快感なんてモノじゃなかった。
 過ぎる快感は痛みとなってフレッグを責め立てる。なのに、それは確かに快感でもあって、フレッグの逸物は完全に張りつていて、それをカースの手が一気に扱きあげる。
「うっ……ああっっ!」
 ドクッと全身が震えた。
 吹き出すその刺激に、意識が奪われる。堪らずに入った力に全身が硬直して。
「んあっ……しまるっ……!」
 体内でカースのものが一気に膨れあがった。

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> 翡翠色の穂波 > ?エンドレス・ラブ?  > 2
2
 休むわけには行かない、が。
 ベッドに引きずり込もうとするカースの手を振り払って店にと出てきたフレッグは、仕込みだけすませると最後の気力を振り絞って店の二階へとはい上がっていった。
 腰が、尻が、太股が、関節が。
 普段使っていなかった場所が、これでもかときしんでいた。
 仮眠用に据え付けていたソファベッドに崩れ落ちた途端に気力が完全に萎えた。
「あのやろー……」
 気が付いたらベッドに寝かされていて、また貫かれていた。結局、カースの攻めは深夜まで続いて、貪られた体は最後には感覚が麻痺して、何も感じなくなっていた。
 そのつけが今の体の状況で、動けないままに寝入ったフレッグを、目覚まし時計がたたき起こしたのはそれからわずか2時間後だった。
 動かない体を、それでも気力を振り絞って、シャワーを浴びて、這々の体でやってきてはみたものの、だ。
 しかも昨夜の行為がなにかにつけて頭の中を駆けめぐり、フレッグを動かす精神力すらも呆気なく萎えさせる。
 何もかも、忘れてしまえたら良かったのに。
 だが、一滴のアルコールも入っていなかったから、忘れる要因すらなくて、昨夜自分の身に起こった全てをフレッグははっきり覚えていた。
 何よりも、自分が欲してしまったことも。
 言われるがままに、カースを欲する言葉を言ってしまったことも。
「ちくしょう……」
 その言葉には嘘はない。
 何もかも剥ぎ取られた本当の心のままに発してしまった言葉。
 誰よりもカースを愛しているから、いつも言いたくて、だが言ってはいけないと縛めていた言葉。だからそれを言わされる行為を、フレッグは拒否し続けていた。
「オレだって……」
 あからさまにフレッグを欲するカースが羨ましいとすら思うことがある。そんなに深く考えなくてもいいんじゃないかと……思うこともある。
 だが。
『こうやって、毎日抱きてーよ……なあ、お前だってこんなにも悦ぶくせに』
 夢うつつに聞いた言葉をフレッグの頭は、はっきりと覚えていた。
「だから……」
 言いたくなかった。
 いつも一緒にいるということは、カースの乗る艦にいくと言うことだ。
「行けるわけないじゃないか……」
 両目を覆った腕が、しっとりと濡れてくる。赤くくっきりと残る痕に上げる事のできなかった袖は、瞬く間に滲んだ涙がいくつもの染みを作り出していた。
 行きたいと……昔は思ったことがある。
 だが、フレッグはパン職人で、カースの乗る艦にはその手の職人は既にいた。いつかある機会を待っているうちに、その腕はあっというまに上達して、コンテストで優勝して。
 その腕は確かに良くて、階級も上がって、皆に一目置かれる存在になって、店を任されてしまった。
 それこそ、あっという間だった。
 だが、そんなもの、本当はいらなかった。
 固辞したマスターとしての地位も、上の階級も、何もかも。
 欲しかったのは、カースの乗る艦の職人としての立場だった。だが、今はもうそんな事は許されない。レストーナという店は、司令部がフレッグが地上でその腕を奮えるようにと課した枷なのだ。その外宇宙にその名を轟かせた優秀な腕を、危険な宇宙に出してあたら失うことを恐れたからだ。
 結局、フレッグはレストーナから離れられなくなってしまった。
 そんなきっかけであったにせよ、マスターとして店を切り盛りしていれば愛着も湧いてくる。きてくれるお客さん達を裏切りたくないと思ってしまう。
 それに、今その地位も何もかもなげうってカースの元に行けば、上層部に睨まれるのはカースの方なのだ。今の司令部は理不尽な事をする人達では無いが、それでも避けられることは避けた方が良い。
 だから、結局フレッグは自分を押し殺した。
 パン職人しての誇りもあった。
 カースも愛している。
 だから……。
 フレッグは決断したのだった。
 もう逢わない。
 もう抱かれない。
 なのに。
 逢えないと。
 もう来るな、と。
 何度も何度も連絡して、それでもそれを拒絶する返信に、アドレスも番号も変えたが、結局いつも捕まってしまった。それは逃げることすら諦めさせるほどに執拗で、容赦が無くて。
『愛してるんだ、離すもんか』
 もう耳にたこができるほどに繰り返された言葉に、別れることも諦めて。
 帰ってきた時だけ一緒にいることにしたが、それは胸が引き裂かれるほどに激しい痛みを持った別離の悲しみを毎回与えるものだった。
 ようやく眠りに入って、叩き起こされても容易に目が覚めないほどにそれは深いものだった。
 夢の中にいたのはつきあい始めたばかりのカースで、今目の前にいるカースよりもっと幼くて、もっと陽気な笑顔の持ち主だった。
「……カースぅ……」
 手を伸ばしたのは無意識で、その頬に触れる。それにくすぐったそうにカースが笑う。
 途端にフレッグの胸に温かい感情が湧き起こった。
 ああ、カースだ。
 堪らずにクスリと笑うと、カースが困ったように微苦笑を浮かべていた。
「フレッグ……寝ぼけてないで出掛けようぜ」
「……ん……え……」
 本当は何を言われたのかはっきり判っていたが、それでもわざと寝ぼけたふりをして降ろしかけた手でカースの腕を掴んでいた。
 なぜだか離したくなった。
「ほら、出掛けようぜ」
 起こして欲しいのかと、カースがその腕を引っ張り上げる。
 人の気も知らないで……。
 気付いて欲しくない思いも、こうもはっきりと気付かれないとそれはそれで苛ついたが、それでも心の中だけで悪態を吐いた。そして言葉は別の悪態を用意した。
「もう……たくさんだ」
 引っ張り上げられた途端に走った痛みに顔を顰めながら、言い放つ。
「今日はしねーよ。昨日で堪能したし」
「うるせっ」
 堪能どころの話じゃねー。
 一体何回貫かれたのか?
 記憶ははっきりしているが、それでも何カ所かは飛んでいる。それほどまでカースとの昨夜は激しかった。しかも最初の加減のない行為が、結局最後まで響いて今の痛みの原因の大半になったのだと思い出して、唸り声を上げた。
 しかも朝より今の方が痛いのが筋肉痛だ。
「もう年だなあ、お前も」
 動きの悪いフレッグの様に嗤っているカースにクッションを投げつけて、奥のクローゼットから服を引っ張り出す。
「どこに行くって?」
「食事」
「食欲なんかねーよ……」
 視線を感じて背後を見やれば、カースの後ろのドアが開いていて、見慣れた暗い茶の髪が見えていることに気付く。その視線にカースが気付いた。
 蹴っ飛ばした故のけたたましい衝撃音に、シュリの悲鳴が混じっているのを聞きながら、手早く服を着替えた。
「躾がなってねーな」
 笑っているカースも、こんな状態を楽しんでいるのが判るからあえてコメントしないで、出るように促す。
 店を通らなくても外に行ける階段を下りて、カースの運転する車に乗った。
「ほんとうに食事だけだな」
 ぐったりと沈み込ませる体が、それだけのことで痛みを訴えるから念を押す。
「ああ……今日は無理はしないさ……」
 その声が少し寂しそうだと感じて、フレッグがそっと横目でうかがった時には、少しにやけたいつものカースしかいなかった。
 カースが連れて行ったところは確かにちゃんとしたレストランで、久しぶりにかしこまった食事に勝手が掴めなかった。
 それでも食欲のないはずの体がその一品一品を美味いと欲して、食べ始めてしまえばあっという間だ。
 こんなふうに和やかにすぎる時は、フレッグにとって理想のもので久しぶりに楽しいと感じてしまった。
 食事に付いてきたワインも、こんな改まって飲んだのは久しぶりで、こんなふうに心地よく酔ったのはいつ以来だろう、とぼんやりと考える。
「嬉しそうで何よりだ」
 にこやかなフレッグを見ているカースも満足そうに笑みを浮かべていて、こんな時がいつまでも続けばいいと願ってしまう。
 こんなふうに、そばにカースがいることが普通で、他愛ない話をして、たまに喧嘩して。それが二人の居場所が別れてしまうまではいつもあった日常だった。
「たまにはいいだろ?こういうのも」
「ああ」
 たまには……と言われて、ほんの少し後ろめたさに胸が痛む。
 本当はこんな馴れ合いすら許したくなかったから。だが、ここにこなければ、昨夜のような目にあうと思ったから。
 それは決してカースと同じ思いからではないのだ。
 そして今のところカースは何もしないといった言葉を守っていて、ずっと警戒していたフレッグの心も少し緩んでいた。
 だからだろうか?
「ちょっと寄り道したいんだけど……いいか?」
 その言葉に素直に頷いていた。
 
「ここは……」
 呟いた言葉が奮えてしまって、フレッグは思わず唇を噛んでいた。
 眼下に広がる、幾つも点在する街灯の灯り。
 その合間を縫うように車が光の軌跡を作り出していた。微妙に違う軌跡が眼下の世界を多種多様に変化させる。そんな灯りの中で、黒く静かに点在する闇の存在。それらは昼間であれば、鮮やかな緑の茂った木であるのに今は静けさだけを醸し出す。そんな闇と光の織りなす世界から少し上に視線を移せば、がらりと雰囲気が変わってそびえ立つ高層ビル群があった。その灯りは青白く、闇に星のように瞬いていた。そして、さらに頭上には広がる満点の星空だ。
 あそこにカースが暮らす場所がある。
 そして、ここは──この場所は、初めてカースに告白されたところだった。
『好きなんだ。我慢できねーんだよ』
『……バカ……だな……』
 抱きしめられて、抗う間もなくキスされて。
 なのに、返した言葉はそれだけだった。
 キスが嬉しいと思ったことだけは今でも覚えている。だが、他のことは何もかもあやふやだ。
 それが始まりだったのは確かだが、好きだと返したのは、一体いつだっただろうか?
 抱かれたのは何の拍子だったろうか?
 それすらもあやふやで、だが残っている記憶からすると、忘れたことがが残念だとはとても思えない。
 殴られて、殴り返して、それでも犯されて。
 そう、あの時は犯されたという記憶が残っている。殴られた頬の痛みの方が強かったような気がするほどに、とっくみあいの喧嘩をしたという認識だけがやけに鮮明なほどだ。なおかつ、顔に青あざを作って友人達に笑われたことも鮮明に覚えているというのに。
 それがどんなものだったかは、二回目の方がはっきりと記憶に残っている。
 そんなふうに、いつもカースは強引で、フレッグが返事をする前に行動に移すから、油断ならない。
 本当にいつも。
『我慢できねー』
 そう言っていつも始まっていたような気がする。
 そんな事を思いだして、今からすればふざけた笑い話だと笑みを浮かべようとして、だが、一気に湧いてきた激情に堪えきれなく口許は歪んでしまう。
 駐車場に車を置いた時に気付かなかった失態に激しい悔いがうまれていた。
 ここは過去を思い出す。
 楽しくて一番幸せだったあのころを思い出させる。だけど、酔いも手伝っていたのか、ここに来るまで気付かなかった。
 その少し高い位置にある公園の、そこから見た夜景は昔何度も見たものだったというのに。
「カース……」
「お前……好きだったろ?ここからの眺め」
 振り向かないのに声がまっすぐ飛んでくる。
 確かに好きだったから──だけど、一人では決して来たことがなかった。 だからカースが宇宙に行ってしまってからは、一度も足を運んでいない。
 それが自分に与えるものをフレッグは気づいていたから、訪れるのが怖かった場所。
 衝動的に込み上げる涙を必死で食いしばって堪える。それでも浮かんだ涙で、昔見た懐かしい風景がゆらりとぼやけて別のもののように変化する。それすらも堪えられないと、堪らずに瞑った途端に目尻からこぼれ落ちそうになって慌てて手の甲で拭った。
 反則だ……。
 こういう懐かしいモノにフレッグは弱い。
 フレッグを知り尽くしているカースが何を狙ってここに連れてきたのか?その真意はわからない、が、それでもフレッグは、ずるいと心の中で何度も呟いた。
「泣かせるつもりはなかったんだけどな……」
 ため息混じりの声が聞こえても、その無骨な指が頬に触れても、フレッグは動けなかった。
 拒みきれないのはいつものことで、もうどうしようもないことだと諦めてはいたが。
 いい加減自分の女々しさに呆れ果ててしまう。
「カース……」
 抱き寄せられて胸に顔を押しつけられて、ようやく言葉を発することができた。
 それでも、名だけで後の言葉が続かない。
「いいさ、何も言うな」
 優しい声音が拒否し続ける心の壁を壊させる。
 堪えていた全てが吹き出しそうになって、堪らずにフレッグはカースの胸ぐらを掴んで、額を強く押しつけていた。その背に触れる手が優しくて、ますますフレッグを混乱させ、触れてほしくないと願うのに、その手が振り払えない。
「反則……だ……」
 結局そんな言葉だけが口から零れて、フレッグは嗚咽だけは漏らすまいと必死で堪えていた。
 だが。
「……我慢…できねー……」
 そんな言葉が頭の上から降ってきて、咄嗟にカースの体を押しのけ、激しい勢いで数歩後ずさっていた。
 ドキッと胸が高鳴るのを、必死で無視して、言葉のもたらした恐怖だけに意識を集中する。
「て、てめーっ!!何にもしねーって言ったろーがっ!」
「そのつもりだったんだけどな」
 苦笑なのに、どこかイヤらしいと思ってしまいながら、フレッグは、ずりずりとすり足で後ずさって逃げるタイミングを探っていてた。こいつがその台詞を吐く時は、本気なのだと長年の経験で判っている。
 しかも、昨夜の行為はフレッグの体に未だに痛みを残していて、とうてい受け入れられるモノではなかった。
「ざ、ざけんなっ!!」
 無理に動くと体がきしんで悲鳴を上げる。それを必死で飲み込んで抗っているというのに、カースに体術で敵うわけはなかった。
「は、なせっ!」
 必死の言葉はぐいと引き寄せられた体がたくましい胸にぶち当たった途端に、カースの口内に飲み込まれてしまう。
 街灯の灯りの中、二人だけの世界では決してない。
 確かに視線を感じて体が羞恥に熱くなった。そのせいでわだかまった熱を逃したいのに、口を塞がれてはどうしようもない。籠もった熱が逃げ口を求めて胸の中を駆けめぐり、ますます体が熱くなっていった。
 なのに、カースは遠慮の欠片もなくフレッグの口内を貪っていく。キス一つとっても弱いところを知られているフレッグだったから、ざらりと上顎を舐められた途端、それまでの快感に上乗せされたそれが一気に膨れあがって、がくり膝が崩れた。
「ば……かっ……」
 解放された時には、膝下だけでなく全身に力が入らなくなっていて、崩れ落ちそうな体は、カースの腕によってかろうじて支えられている状態だ。そのシャツの胸に指を引っかけて力無く縋ったのは、無意識のうちだ。
「……やらないって……」
「すまねーな」
 悪びれた様子もない言葉に、逃げようとする気力も何もかもが一気に喪失した。
 脇に手を回され、抱きかかえられるように引きずって車まで運ばれる間、逆らうこともなくただなすがままになる。
 やることに納得したわけではない。ただ、もう逆らう気力がないだけだ、とその短い道中に無理矢理自分を納得させていた。いや……無理矢理なんかではなかった。
 逆らう気力が失せてしまったら、素直に受け入れたくなっただけなのだ。
 もともとカースのことが嫌いではなく、いつも傍にいて欲しいと、そんな叶うわけもない夢に捕らわれたフレッグにとって、カースと触れあえる機会を悦ばないわけがない。
 ただ、いつも強引に事を進めるカースに、素直に従うほどには人間ができていなかった。
 従うことが癪だと思ってしまうほどに、プライドもある。
 そんなフレッグだから、結局カースのすることを許してしまう。どんなに無理に抱かれたとしても、それが素直でない自分のせいだと思うから。
 ただ、こんなところまで連れてきて、人を感傷に浸らせて、挙げ句の果てがこれかと、結局はやることしか頭にないのかとひどく情けなくなりはしたけれど。
「一回だけだ、な」
 殊勝な言葉を信用しているわけではない。
 それでも、もうどうでもいい、と投げやりな思いに誤魔化して、体から少しだけ力を抜いていた。
 困ったことに、どんなにフレッグの心が否定しようとしても、カースがフレッグを欲する言葉に確かに悦びを感じているのだから。だから、広めの後部座席に押し倒されて、真上にあるカースの顔を見やったフレッグは、その口を微かに拡げただけで何も言葉にしなかった。
 ただ、鼓動がさっきからずっと早い。
 街灯の灯りがうっすらではあったが車の中まで照らしていて、カースの顔が影を作っていた。
 ふとその灯りが気になって身を捩る。
「……丸見えになる……」
「周りの車はもう帰ったから、見えやしねーよ。もう家まで我慢できねーから……」
 そうだろうか?
 先ほどの場所にいた数組のカップルを思い出す。
「嘘、つ……あっ」
 だが、首筋に降りてきた熱いほどの唇に、抗議の声は立ち消えてしまった。
 この男がこんなにも欲してくれると思うだけで、胸が疼くのは間違いない。欲しいと言われて、体が高ぶるのも確かだ。
 それなのに逆らってしまうのは……それに溺れたくないから──すぐにくる別れを冷静に受け止めるために、溺れないようにしたいから。だから……胸を押し返そうと手を突っ張っていた。
 だけど……。
「逆らうなよ……もったいなくて堪んねーんだよ。せっかくお前とここにいるのにさ……」
 押し殺した地を這うような低い声音にびくりと体が震えた。
 見上げる先でカースがほんの少しだが怒気を漂わせていた。
「何がもったない……?」
 声が震えているのに気が付いて、慌てて堪えるように息を飲んで整えて、それから視線を合わせる。力のある目が欲情の色を浮かべているのに一瞬目を逸らしそうになった。だが逸らした方が負けだと、眉根を寄せて見据える。
「何もかも……もったいない」
 耳の下に口づけられて、舌がぬめって這うように移動する。その生温かく滑らかな感触にぞわりと肌が粟立っていた。
「だ、だからっ?」
 そのまま感じたくはないと、必死で言葉を継ぐと、今度は耳の中にまで舌が入ってくる。さすがにもう問い返せなくて、へんな喘ぎ声が出ないようにと必死で口を噤んだ。
「ああ、いいよ、もう……言い合う時間ももったいない……」
 そしてカースはただフレッグを高める行為に没頭し始めた。
 大きな手の平が服の下の肌をはい上がる。
 柔らかな舌が、首筋を這い降りて。
「んあ……ぁぁ」
 湧き起こる快感に身を委ねて、それに堪えるように固く瞑った目尻から涙が浮かんでこぼれ落ちていた。
 だが、フレッグの頭の中にはカースが言いかけて止めた言葉が支配していた。
 もったいない──ああ、そうだな……ほんとう……にもったいない……。
 カースが言いたかったことははっきりと理解していた。
 自分たちに残された時間には限りがある。
 だから……喧嘩してその時間をつぶしてしまうのが、もったいない。
 だが、自分もそう思っていることを教えるつもりはなかった。そんなことはできるはずもなかった。だが、その代わりのように押しのけようとしていた手をカースに回す。
「いっ……あっ……」
 ベルトを外されズボンを脱がされるその行為を見たくないとばかりに、背に回した腕に力を込めて、その胸に顔を強く押しつける。
 だが、それは。
 欲することを受け入れたための動きであった。
「んあ……あ──」
 一日経っても熱を持っていたそこはまだ痛みもあったが、昨夜の余韻を思い出してあっという間に入れられることを求めて激しく疼き出す。
「ひあぁぁぁっ!」
 簡単に解されただけで、抱え上げられ、下から貫かれたその激しい衝撃に、背が大きく仰け反った。カースの手が支えていなければ、ドアの内装に後頭部を強打していただろう。だが、フレッグには、それを知る余裕はなかった。
 理性は溺れたくなくても感情は溺れたいのだから、抱かれ始めるともうどうしようもない。逆らうことを止めたなら、フレッグを支配するのは与えられる快感を欲する心だけだ。
 自身の体重と、カースの腕と腰の動きで、最奥が抉られる。
 そのたびに狭い車内に艶やかな嬌声が響いて、汗が飛び散った。
「カ……ス……カースッ──もっと……もっ……」
「ああ、イけよっ……お前が満足するまでっ……、何度でもっ……貫いてやるっ」
「あっ……あああっ────っ!」
 熱くて太くて、間違いのなく今はそこにいる存在が、この時だけだとばかりにフレッグを狂わせていた。
 
 ここのところ、毎朝目覚めると最初にするのは、隣にいるカースの顔を覗き込むことだった。
 微かな寝息を立てて眠っているその様子を見ると何故かほっとして小さく息を吐く。そしてしばらくその顔を見続けてしまう。
 それに気付かないで寝入っているカースは、額に前髪がかかってそれが年より若く見せていた。
 だがここにいるのは夢でも幻でもない生身のカースなのだ。
 後……。
 ふと考えてしまいそうになったある数字に、フレッグは慌ててそれを追い出すように強く頭を振った。
 残りの日を数えないように、そう決意したのだから、今は今だけを考えようと、カースを起こさないように、そっとベッドから降りる。何も身に纏っていなくて露わになった細い裸身は、もう消える間もなくつけられるカースの印に、悪い病気のようにすら見えた。
 その一つに指を沿わすと、堪らずに体が小さく震える。ほんのり赤く染まった顔を、鏡で見てしまって、余計に顔が熱くなった。
 その火照りを吐き出すように大きく深呼吸して、衣服を纏う。
 早く行かないと、遅刻してしまうと、気持ちだけは急いているのに、どうしても寝室にいるカースのことが気になって何度もその扉を見つめていた。
 まだ外は暗く、普通の生活をしているカースはまだ目覚める必要はないだろう。
 だが、フレッグはそうではない。
 皆が通勤・通学を開始するその時間こそが第一のかき入れ時だから、そのための仕込みが始まるのはまだ暗く静かな時間だ。
 毎夜のようにカースに求められ、それを邪険に拒絶するのを止めてからもう8日が過ぎていた。
 どうせ嫌だと言ってもするのだ、という打算もあったのだが、本音のところは、喧嘩をしたくなかったからだ。
 喧嘩をして、無視して、無視されて──残り少ない時間を、そんなことで失いたくなかった。それは、日が経つにつれて強くなって、今はもう何をされても逆らうことができない。
 それこそ、逆らう時間すら──もったいなかった。
 昨夜とて、遅くまでカースに攻められ続け、多少は慣れたとはいえいまだに体はぎしぎしと悲鳴を上げていた。
 それでも、気が付いたら逆らえない。
 こんなことになるから……。
 だが、いまさら溺れてしまったことに気が付いたからといって、悔やむことはもうできない。
 いまはただ、別れの時に取り乱さないように覚悟を決める方が先決だった。
 もう嫌だと。
 カースの顔を見るのも嫌だと思うほどに、抱かれまくったら、別れの時にはせいせいするんじゃないか?
 そんな詮ないまで考えて、一人赤面してしまうこともあった。
 だが、そう思うだけで未だにもういらないと思うことはない。
 カースに迫られるといつも体が疼いて止まらなくなっていた。今だって、本当はカースの横で眠っていたいのだ。
 仕事は好きだが、それでもカースに溺れると仕事が二の次になりそうになる。それを防ぐための店であったのだと、再度それを思い出してしまう。そうなると零れるのは苦笑ばかりだ。
 その当時のヘスティアの司令官の先見の明には、頭が下がり過ぎて、反動で頭突きを喰らわしたい気分だ。
 玄関から外に出て、まだ暗い空を見上げれば降ってきそうな程に満点の星が瞬いていた。
 いつか、カースはあそこに帰る。
 それまでは……。
 ここにいてくれるのだから。
 そう思うことで、フレッグはカースと過ごす日常を甘受していた。
 それでも日が経つと毎夜の重労働は体に負担をかけていて、店での仕事に差し支えだした。とにかく体が怠くて、眠くて、何もする気になれない。
 毎日毎日こなしていたパンが作れない。
 かろうじて朝一の仕事はこなしても、その後が続かないのだ。
 その分、シュリやサンディが忙しくしているのを見るとひどく申し訳ないのだが、それでも怠い体は一向に働こうとしなかった。
 ──あと少しで元に戻るから。
 心配してくれるシュリにはそう言ったというのに、その元気がなかなか取り戻せない。
 それも当然だろう。
 毎夜毎夜の睡眠時間は、カースがいない時の半分以下なのだから。
 快感に満たされた激しい肉体労働も癒す時間が無ければ疲労が蓄積されるだけで、さすがに年を取ったと感じるほど今回は酷い。
 結局今日も、最後の片づけもそこそこに家へと車を走らせる。
 その家にはいつものように──そう、すっかりいつもとなっていた灯りがついていた。中に人が待っている柔らかな灯りに、ほんのりと心が和む。
 扉を開けたら、カースが待っていてその胸にフレッグを抱きしめる。
 それがここ数日の出迎え方で、それはきっと今日もだろう。
 だが……。
 それも後1日……。
 そう考えた途端、胸にズキリと引き裂くような痛みが走った。
 思わず考えてしまった残りの数字に、それがあまりにも少ない数字だと言うことに気が付いてしまったのだ。
 押さえた胸の中で心臓が悲鳴を上げているようなそんな錯覚すら覚える。
 あんなにされたのに。
 精も根も尽き果てて、いつも死んだように眠りに入って、もう嫌だと思っているのに。
 静かな夜がそろそろ懐かしくなってもおかしくない筈なのに。
 そうやって、いろんな期待を考えて意識を逸らそうとするのに、だが、そうやって考えれば考えるほどに、嫌だ、と心が叫ぶ。
「……くしょっうっ……」
 食いしばった歯からその原因への恨み声が零れる。
 それでも、あれだけ拒絶しようとしていたのに結局受け入れてしまったのは自分なのだという自覚もあって、フレッグは外にはき出せない苛つきを飲みこむしかない。
 だが、言葉は飲み込めても感情はそう簡単には収まらなかった。荒ぶる感情は、はけ口を求めてかけずり回る。胃が胸が、全てが切り裂かれそうなほどに悲鳴をあけでいて、その激しい痛みに堪らずフレッグは胸と腹を押さえながら蹲っていた。
「……ううっ……」
 ぼたぼたと額から冷や汗が流れ落ちる。
 ただ痛みを逃したいと、ぎゅっと痛みをおぼえているところに手の平を押しつける。
 収まれ……と何度も心の中で念じていた。固く瞑った目も、食いしばった歯も、全てが無意識だった。
「フレッグっ!!」
 ややもたって、罵声にも似た激しい声音が耳に届いた。
 それにびくりと体が震えて、そちらへと視線を向ける。きつく閉じていたせいか、ぼんやりとしか見えない先で、カースが駆け寄ってきているところだった。
「どうしたっ?」
 辿り付いた途端に、腕がぐいっと引っ張られる。
「んくっ」
 痛みは少しは収まったが、それでも動くと引きつるような痛みが走った。
「痛いのかっ?どこがっ?」
「……だい……じょーぶだ……」
 引き寄せられてその胸に抱きしめられて、カースの温もりが布地越しに伝わってくる。
 密着した場所から、カースの鼓動がとくとくと少し早いものが聞こえてきた。
 気持ちいい、と目を瞑ってその音に集中する。
 規則正しい音は、時には苛つきを増すことがあるというのに、その音はちっとも不快ではなかった。いや、それ以上に、フレッグはそれをずっと聞いてみたいと願っていた。
「フレッグ……大丈夫なのか?」
 真っ青になった頬が、ほんの少し赤みを帯びだしたことに気が付いたカースの緊張がほんの少し解けていく。それが触れあっていた場所から筋肉の動きとして伝わってきた。
 ああ……心配されている。
 カースの見た目では窺えない、だがよく知っているはずの、そんな当たり前のことに気が付いて、フレッグは抱きしめられたままクスリと笑みを零した。途端に肩が震えてしまって、それはカースの気が付くところとなった。
「おい?」
 訝しげな声音に、ほっと小さく息を吐いて顔を上げる。そこにはまだ気になるとばかりに眉根を寄せて覗き込んでいるカースの顔があった。
 そうだ……カースはまたここにいる。
 そう思った途端に痛みは霧散してしまった。いや、抱き寄せられた時から、痛みなんか気にしてはいられなかった。
 彼はまだここにいるのだ。
 なら、こんなところでぶっ倒れているわけにはいかない。
 それこそ、もったないな……。
 終わりの時を自覚したから、なおのことそう思うようになっていた。

 

「本当に大丈夫なのか?」
 カースには心配そうな声は、どうも似合わない。それを聞く度に笑いそうになって何とか堪えていたのだが、とうとう吹き出してしまった。
「何笑ってんだよ」
 途端に不機嫌になるのは当たり前だろう。だが、それすらも愛おしいと思ってしまう。
 ずっとこうしていられたら。
 それは禁句であるというのに、後1日だと認識してしまったら、頭の中の一角を完全に支配していた。
 だが、それは無理なのだ。
 なによりも当事者であるフレッグ自身が一番判っている。
 だが。
「なあ……しねーのか?」
 ベッドサイドに跪いて、ずっと見ているだけのカースに思わず問いかけていた。
「何言ってんだ、病人が」
 苦笑で返されて、だが、と首を降る。
「何だ、今日は我慢できるんだ?もう今晩しかないんだぞ?」
 明日にはもう帰らなければならないことを冗談めかして言ってみる。その途端にまた胸が痛んで、思わず顔を顰めていた。
「……言うな……」
 途端にフレッグの唇がカースのそれで塞がれた。ただ触れあうだけのキスが、ずっと続いて、息が苦しくなる。それでもカースの唇は離れなくて、フレッグは仕方なくカースを押しのけた。
 それがとても簡単な行為だったことに気が付いて、目を見張る。
「……どう……」
 だが、見下ろされている瞳に気が付いて、その苦渋に満ちた色合いに言いかけた言葉を飲み込んでいた。
 手がずっと髪を梳いていた。
 その唇が何かを言おうとしてほんの僅か緩む。
 それは言葉にはなっていなかったが、それでもカースが何を言おうとしているのか、フレッグは知っていて。
 だが、その言葉は何よりも聞きたくなかった。
 それはいつも喧嘩の種になっていて、それを聞けば、もう今夜は喧嘩で終わってしまうだろう。
 そんな事はできないと……思っているのに、売り言葉に買い言葉、で、いつも悔いる終わり方になってしまうのだ。
 だから、咄嗟に顔を手で覆っていた。
 聞きたくないと、何度も何度も首を振る。
 だけどその手は、カースによってそっと避けられてしまった。
「大丈夫だ……」
 似合わないほどに優しい言葉が降ってくる。
「……カース……」
「言わない」
 そう言われた途端に、くしゃっと顔が歪んだ。みっともなく泣き出しそうで、それを必死で堪える。だが、限界だった。
「バカやろー……優しいてめーなんか、カースじゃねー」
「フレッグ……」
 悪態をつかれ、困惑の色を隠さないカースに手を伸ばす。
「いいから、いつものようにしろよ。オレを抱けよ。抱いて、何もかも忘れさせてくれよっ」
 無理矢理にその掴んだ胸ぐらを引っ張って、カースを抱き寄せる。
「頼むから……オレに何も考えさせるな。やってやりまくって……何もかんも忘れるくらいにしろっ!それで……」
 そこまで言ってフレッグは掴んでいた手を開いた。
 潤んでぼやけた視界の中にカースが少しだけ体を起こしてフレッグを見ている姿がある。それにもう一度手を伸ばす。
「頼むから……。やりたいだけやったら……そのまま放って……行って……。頼む……」
「……」
 カースは何も言わなかった。
 ただ、ほんの少し眉根を寄せて目を細める。
 そして。
「ああ、何もかも気にならないくらいに……狂わせてやる。覚悟しろ」
 ニヤリと嗤ってフレッグに口づけてきた。
 何度最奥を貫かれたのか?
 何度吐き出したのか?
 そしてカースが何度達ったのか……?
 もう何もかもが夢の中の出来事のように、全てが感覚の世界だけになっていた。
 的確に突かれる場所に、体がいくらでも反応する。
 声を我慢しないから喉はとっくの昔に枯れ果てていた。
 それでも心も体も快感を求めてカースの体に絡みつく。離して欲しくないと決して手を離さない。
「すげーよ……」
 感極まった声に、湧いてくるのは羞恥でなくて悦びなのだ。
 自身の体にカースが悦んでいるのが判るから、もっと悦んで欲しいと願う。
 また次にできるのはいつか判らない。
 だから、それまでフレッグの体を忘れないように、カースに刻み込みたかった。
 そして、自身にもカースを刻み込みたい。
「あ、ああぁ──っ、カ、カアスゥっ……」
 掠れてしまって言葉にするのも苦痛なのにそれでも何度も呼びかける。
「ほらっ、達けよ、お前のここは、まだまだ元気だ」
「んぁっ」
 嗤いながら扱かれ、それでも確かにそこはまた固くなっていく。
 自身が吐き出したものと、後孔から伝わってくるカースが吐き出したもので、太股までが濡れそぼっていて、二人が絡み合うたびに濡れた音を立てていた。
 その音すらも愛おしいと思うほどに、何もかも手放したくない。
 カースを抱き寄せて、自ら腰を落として深く埋める。
 だが、もう腰はガクガクで動こうにも動けない。かろうじて動いたら、それはただ焦れったさを増幅しただけだった。
「あ、ああ……ん……」
 もっと、もっと感じたいんだ……。
 だが体が動かない。
「フレッグ……いいから……俺がやる」
 ベッドに押しつけられて、カースがゆっくりと円を描くように突いてきた。
「んっ……」
 それだけでぞくぞくと肌が粟立って、じっとしていられないようなむず痒さに襲われた。うずうずとするそれから逃れたいと願うのに、それで縋り付く先はそれを与えているカースだ。
「カース……」
「なあ、フレッグ?」
 呼びかけられて顔を上げると、唇が触れてすぐに離れていった。ぼんやりとした視線でそれを追うと、カースが笑っていた。
「何だ?」
 問うてもしばらくそうして笑みを浮かべてフレッグを見下ろしてくる。そして。
「また……逢おう……」
 その声は本当に優しいもので。
 いつもならそんな事を言われると堪らなく嫌だと思っていたのに。
 なのに、自然に笑みが零れた。
「ああ……」
 本当に普通に笑って返したのに。
 なのに、それからいつまでたっても。
 涙が止まらなかった。
 
 白い軌跡が青空にまっすぐ延びている。その軌跡の数が次々と増えていって、いつしか空の一角は幾筋もの平行線で境を描かれた。

 その日。
 カースが指揮する第二分隊は、3ヶ月の航海に旅立っていった。

【了】