【捨てないで 前編】

【捨てないで 前編】

 真木亮太(まき りょうた)が高藤春樹(たかとうはるき)に出会ったのは、実兄の婚約者との顔合わせの時だ。
 彼女が連れてきた家族の一人が、同い年の春樹だった。
 その時は、明るい人当たりの良いヤツ、と思っただけだったけれど。
 それから半年も経たないうちに、亮太にとって春樹は、何一つ逆らえない、逆らってはならない存在になっていた。


「どうしたの?」
 サークルの仲間内でも人気のある女の子が、心配そうに問いかけてくる。
 クリスマスパーティーだと居酒屋に誘われて来ているのだけど、さっきから亮太はずっと上の空だ。その上、ほとんど酒に手を付けてないのに、顔を上気させて汗をかいている。
 そんな様子に、調子が悪いのかと心配してくれているのだ。
 確かに、体が熱くて堪らないのは事実だ。
 喉が焼けそうなほどに、体内から出て行く空気が熱い。
 けれど、彼女に心配されても困るのも事実で。
「……ん、大丈夫だから」
 にこりと微笑んで返すけれど。
「でも、そんなに汗かいてて……。顔色は悪くないけど……ほんと大丈夫?」
 そう言いながら擦り寄られて、その腕を邪険に払いそうになるのを必死で堪えた。
 崩れそうになる笑みに、頬がひくつく。
「ん、大丈夫だよ、ありがとう」
 微笑むと甘さを孕む亮太に、女の子がほおっと見惚れている。突っぱねればよいと判ってはいるけれど、性格的にそれができない。
「ねぇ」
 と、さらに甘く媚びる声音に、心が悲鳴を上げる。
 どうしたら良いだろう?
 これでは、彼女がつけている化粧品か香水の匂いが、移ってしまう。
 春樹は、この手の香料の匂いがあまり好きではない。
 臭いと言って、全身をボディシャンプーで徹底的に洗われてしまうのだ。髪や胴体はもちろん、指の股から、それこそ体内の奥深くまで、だ。
 そんなところまで匂いが付いているはずは無いのに、春樹に言い張られては、亮太は逆らえない。
 春樹自身の手のひらや指を使って丹念に洗われると、それでなくても敏感な肌が甘美な快感に痺れ、快楽の源が激しく波打って、達きたくて堪らなくなる。実際何度も絶頂を迎えるのだけど、そんな時の春樹は簡単に亮太を達かせてくれない。
 その辛さに、どんなに泣き喚いて懇願しても、だ。
 それに、亮太はもともと我慢強くないのだ。こんなふうに体の芯から疼くと、すぐにでもなんとかしたくて堪らなくなる。
 それなのに、春樹は亮太に我慢を強いる。
 時にとても甘やかしてくれる優しい春樹が、そんなときはものすごく意地悪で、悪魔のように感じてしまう。
「ね、ここを出て静かなところに行くと、良くなるんじゃない?」
 急に耳元で甘ったるく囁かれて、ぞくりと肌が粟立った。
 慌てて意識を向けると、さっきの彼女が潤んだ瞳で亮太を見上げている。
 これは……。
 明らかな誘いに、亮太の芯が僅かに冷える。
 昔の亮太なら、こんなふうに言われたら、浮き浮きと連れだって出て行ったかもしれない。
 けれど、今の亮太はこの不快な臭いの元から離れたくて、うずうずしているところなのだ。
 それに、我慢ももうあまり保たないだろうと判っている。
 本当は、来たくなかったのだけど、春樹が行けというから来ているのだ。
『友達付き合いも大切だもんな。亮太が行きたいんだったら、行っても良いよ』
 聞き分けの良い同居人の顔でにこりと微笑み、けれどその手が渡してきたのは、見慣れた玩具と薬。
『クリスマスだからね。俺からのプレゼント。亮太、好きだもんね』
 その言葉に、何一つ逆らえない。
 本当は、友達なんてどうでも良い。このサークルだって、春樹に言われて入ったようなものだ。
 浮ついた女の子と、ナンパばかりしている男子。活動なんてほとんどしていないけれど、名前だけは立派なサークル。
 それに。
 身動いだ拍子に、違うところを刺激し始めた玩具に、ぶるりと小さく身震いする。
「寒いの?」
 慌てたように上着をかけようとする彼女を制止して、意識をなんとか他に向けた。
 春樹が強いるいろいろな事柄は、本当はどれもが好きなんかじゃない。
 そう言えれば、どんなに良いだろう。
 けれど、春樹は亮太の言葉なんて聞きやしない。それ以上に、亮太には春樹の言葉を否定することは許されていない。
 最初の数ヶ月で、それは徹底的に躾けられていた。
 好きだろう、と問われれば、好きと言うしかない。
 欲しいだろう、と言われれば、欲しいと言って、貰ったら礼をいうしかないのだ。
 来る前に貰ったプレゼントは、春樹の目の前で使って見せた。それが、気に入ったという意思表示になるのだから。
 飲み込んだ薬は、始まってしばらくしてからじわじわと亮太の体を冒し始めた。
 それでなくても敏感な亮太の体をさらに敏感にしていき、アナルが疼いて仕方が無くなってくる。この薬の効果はそれほど強くはないけれど、その分長く続く。
 それに、一度敏感に感じ始めた肌は、それこそ衣服の布地にすら反応するのだ。
 うかつに気を抜くと、内股をすり寄せてもぞもぞと体が動きそうになる。
 春樹と共にいるようになってから、出かける時は下着代わりのサポーターが離せない。それすら許されない時もよくあったが、幸いにも今日はOKが出ていた。
 けれど、締め付けているとはいえ、勃起した股間はやはり顕著な膨らみがあって、亮太は丈の長いシャツの裾で隠すようにしていた。それが、ちょっとした油断ですぐに覗きそうになる。
 そちらを気にすれば、今度は力が入ったアナルの奥深く、親指大の玩具を締め付けた肉壁が、ひくひくと痙攣した。
 ごくりと溢れ出そうな唾液を飲み込むと、彼女が何か誤解したようでますます顔を寄せてくる。
「ね、どうする?」
「あ、いや……」
 興味など何もない相手と出て行く気力などもうないと、断りかけて。
 けれど、少し熱で浮かされた頭が、いい機会だと囁く。
「そ、そうだね……。帰った方が良いかも……いや、帰るよ……」
 体調が悪いのだから、もう帰っても良いはずだから。
 もともと宴の終了時間も迫ってきている。最後までいて二次会に誘うわれるよりは、と亮太は彼女に頷いた。
「じゃあ。すぐ用意するわ、待っててね」
 一緒に行くのだと勘違いした彼女が、その表情に満面の笑顔を浮かべた。
 幹事役のところに向かいこそこそっと話をするのを横目で見ながら、そっとコートと荷物を掴んで立ち上がる。
「ん……」
 立ち上がったことによって、中の玩具が動きを変えた。
 ぶぅんと小刻みな振動を与えるそれは、とても弱い刺激だけれど、時々快感の源を抉ってくれる。
 そのせいで、どんどん体温が上がっていって、今にも芯からとろけていってしまいそうだ。
 外に出ようとしたところで、がくりと膝が砕けそうになった。もう相当キているのだと、目眩がしそうな快感に襲われながら、感じ取る。
「ふふ、……今夜は……」
 彼女の声が小さく聞こえる。
 ちらりと背後を窺えば、出入り口近くにいた友人と話しているようだ。
 首尾良くいったと自慢でもしているのか。
 その隙に、と亮太は空車のサインが出ていたタクシーに飛び乗った。
 
 

「お帰り」
 にこやかな笑みに迎えられて、泣きそうなほどに安堵した。
 タクシーの中で、そのタイヤが生む僅かな振動にすら感じた体は、もう限界だ。
「は、はるきぃ……」
 甘ったるい声で媚びを売り、己をこんな体にした男に縋り付く。
「達、きた……、もう……達きた……い……」
 甘えて強請って、いきり立った股間を擦りつける。
 とたんに春樹の顔から笑みが消え失せた。
「何だよ、メス犬みたいに盛ってさ」
 冷たい物言いに、心がびくりと硬直する。
「亮太は、何? メス犬だったっけ?」
「あ、……違う……」
 ブルブルと大きく首を振る。
「ご、ごめんなさい、俺……犬じゃない……」
 我慢の効かないメス犬は嫌いだと、前に言われたことがあった。
 慌てて体を離し、玄関入ってすぐの床に尻を付く。
 尻に伝わる冷たさより、春樹から伝わる冷たさの方が辛い。
 その冷たさの分だけ、春樹が亮太に当たる言葉は厳しくなるのだから。
「そう、それで今日は楽しかった?」
「た、楽しかった」
「何で?」
「みんなと……話して、食べて……」
「女の子に迫られて?」
 言いたくなかったことを先に言われて、亮太はひくりと喉を奮わせた。
 けれど、亮太に嘘をつくことはできない。
 過去何度も嘘をついて誤魔化そうとしたことはあったけれど、春樹はいつだってその嘘を見抜いて、そんな亮太を見捨てようとする。
 たくさんの淫具を体につけられたままひとりぼっちで放置されて、相手にしてもらえないのはまだ良い方。
 何度か、春樹がいない部屋で何日も待ち続けさせられたことがあった。
 食事と水、そして取り付けられた淫具以外は何もない部屋。夜ともなれば真っ暗になってしまう音のない部屋だ。そんな部屋で、衣服すら与えられずに、閉じこめられて。
 春樹が気が済むまで、どんなに泣き喚いてもそこから出してくれなかった。
 辛くて悲しくて、何よりも堪らなく寂しくて気が狂いそうになる。
 もともと亮太は一人でいるのが苦手だ。
 母親を早くに亡くした亮太は、物心ついた時から一人でいることは多かったけれど、成長して慣れるどころかますます嫌いになった。
 小学生までは優しい兄と父が帰ってくるのをひたすら待つ時間が辛くて、泣きそうになるのを必死で堪えていたほどだ。
 それでも兄が学生だった頃までは早くに帰ってきて相手をしてくれたけれど、ここ数年は二人とも忙しくて1日顔を合わせないことすらあった。
 それが辛かったなんて成長した今では誰にも言えないけれど、実際のところ、亮太の本質は変わっていない。
 寂しがりやの甘えん坊。
 父親は高藤の当主の物。兄も春樹の兄の物。
 彼らが亮太をかまうことは、それぞれの持ち主の許可がなければ許されていない。
 二度と昔のような団らんを過ごすことはない亮太にとって、春樹に捨てられたら、他には誰もいない。
 そんなの、耐えられない。
「迫られた」
 だから肯定する。
「へえ、それでこんなに臭い臭いがするんだ?」
「うん、俺……臭くなった……」
 だからいやなのだ、あの化粧の臭いは。それだけでこんなに春樹が機嫌悪くなる。
「だから……キレイにして欲しい」
 春樹を見上げてお願いする。
「春樹にキレイにして貰いたい」
「そう、俺がキレイにするの、好き?」
「……好き」
 また達けないままにさんざん嬲られるのだけど。
 浣腸も苦しいほどされるのだけれど。
 それでも。
「春樹にしてもらうの……好き」
 一人になりたくないから、そう答えるしかなかった。




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