【仔猫のミーヤ】

【仔猫のミーヤ】

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 神秘的な青みを帯びた銀の髪、空色に近い青の瞳と、透明感のある白い肌。
 リジンの原初の民の証と言われる三つの色を彼は確かに持っていた、けれど。
 髪は銀に混じる青色が白すぎるせいかくすんだ銀灰色で、明るいはずの青の瞳は今度は色が濃くて、闇色に近い。
 純血の中に時折生まれる忌み子(いみご)。
 生まれるはずの無い子。
 混血とは別の意味で忌み嫌われる存在で、特に色味が悪い時には、無理やり混血にされて、奴隷に供されるか抹消されることも多かった。
 光夜が残されたのは、なんとか純血の定義に入ったせいだ。
 だが、コーノ伯爵家という名門の子としてはあまりにも外聞が悪すぎて、外出時には必ずカツラを付けさせられた。学校にも行けず、勉強は一年ほど読み書きと計算の初歩だけを習った。
 知能の遅れた子なの。最低限のことは教えたけれど、駄目だったのよ。だから外には出せなくて──と、両親が客に説明していたのはいつのことだったろうか。
 遅れているどころか、5歳離れた兄の教科書を理解できるほどに優れた知能を持っている光夜は、いつも倉庫にあるたくさんの本を読んで過ごした。
 食事も風呂もトイレも、すべてが部屋に有る。
 そのうちに、一人で勝手に屋敷を抜け出すようになっても、誰も気づかないほど、忘れられた存在となっていた。
 

 阿鼻叫喚の地獄——というのは、こういうことを言うのか?
 ただっ広い広間に、ぎゅうぎゅうに詰め込まれたリジンの生き残りの王侯貴族。
 逆らう者は叩き伏せられた。
 衣服をぼろぼろに破かれて、女の子達が泣き喚く。
 12才以下の子は、親元から離されて一塊でどこかに連れて行かれた。その親たちが泣き叫ぶ。
 王家に近い血筋の者が先に連れ出される。そして、次に若くて見目麗しい者が、連れ出された。
 まるで家畜の選別だ。
 肉付きの良いブタは解体場へ。病気のブタは別の豚舎へ、治らなければ処分。まだ飼育が必要なものにはたくさんのエサ、まだまだ生きられる。
 前に読んだ本に書いてあった光景が目の前で繰り広げられている。
 選別しているのは、ラカンの兵士達。
『人としての権利を剥奪する』
 耳に甦る力強い言葉。
 あの時、周りの人達は何のことか判っていないようだったが、光夜にはその意味がはっきりと理解できていた。 
 リジンにも、全ての権利を剥奪される存在がいるというのに。自分たちがそんな存在になるとは露とも思っていないから想像だにできない。
 光溢れるリジンの闇は、奥深さにかけてはラカンより酷いと、光夜は思っていた。


 少し前、光夜を友と言ってくれた8歳の子がいた。
 いつものようにふらりと外に出て、ゴミゴミした裏通りを歩いていた時に出会った澄んだ緑の瞳の子。
 蹲った彼が顔を上げるとその頬が真っ赤に腫れて、血まで流していた。それを止めたくて。
 柔らかな絹の白いハンカチに血が染まる。すぐ横の泣き濡れた緑の瞳が驚きに見開かれていた。
 その瞬間、魅入られたのかもしれない。
 それから毎日のように、光夜はみぃあに会いにきた。
 みぃあも、その時間になると店を抜け出してきてくれた。
 混血の奴隷の子として生まれた彼──みぃあは5歳の時には親から引き剥されて売りに出された。名前は買い取った今の店の主人が適当に付けたのだ。その店でみぃあは雑用係なのだと言っていて。
『ミーヤ』
 みぃあは光夜のことをいつもそう呼んだ。
『ミーヤは優しい、ミーヤ好き』
 舌足らずに呼ぶ声音はとても可愛かった。
 親の優しさを知る奴隷は少ない。
 けれど彼はそれを知っていた。それは奴隷にとっては不幸なことだと思う。
 二度と与えられない優しさに焦がれて、みぃあはいつも寂しそうだったから。
 そんな彼を笑わせたくて、光夜はいろんなものをみぃあに渡した。
 それは食べ物だったり、薬だったり。その度にみぃあはとても喜んでくれた。
 光夜もみぃあが喜んでくれるのがとても嬉しくて。
 けれど、そんな蜜月は一月も続かなかった。
『ミーヤに会えて嬉しい。みんながミーヤみたいに優しかったら良いのにね』
 彼がどんな思いでその言葉を言ったのか。
 大きなパーティーの準備だとかでなかなか抜け出せなくて、なんとか出かけられたのは、最後に会ってからもう1週間が経っていた。
 いつも出会う場所から程近い大きな館の裏口でこっそり窺う。
 午前中はこの館はいつも静かで、みぃあはいつもその時間に抜けてくるのだ。
 けれど。
 やけに賑やかな様子に慌てて隠れた途端に、裏口のドアが開いた。
 こっそり隠れた光夜の前を、大きな荷を抱えた男達が通り過ぎようとした、その時。
 荷を包んでいた布がはらりと外れたのだ。
『っ!』
 音の無い悲鳴が喉から零れた。
 みいあだった。
 青白い肌に銀糸の髪が纏わり付いている。その生気の無い顔。
『ったくよお。壊すこたねえよなあ。いくら金積んでっからったって』
『ああ、後片付けもめんどうなのによお』
『全く好色な親父だぜ。こんな乳くせぇガキの尻突っ込んで楽しんで、挙句の果てに犯り殺すんだからよぉ。しかも見たか? こいつの尻。ずたずただぜ。ずいぶんとでっけえ張り型突っ込んでよお、そりゃ、壊れるわ』
『ああ、お偉いコーノ伯爵様はなんでも金を積めば良いと思っていらっしゃる』
『まあ、奴隷だから良いけどよ』
 男たちの声が遠く聞こえる。
 その意味が判らぬほど光夜はバカではない。
 男達が残した名が、誰よりも良く知る名であることも。
 その男たちの後をふらふらと追ったのは無意識のうちだった。
 きっとお墓に入れられるんだと、そう思ったのに。
 ゴミや汚物が積まれた一角に、みぃあの身体が外のゴミと一緒に放り投げられた。土の代わりにかけられたのは汚物の山。彼の綺麗な銀の髪が、茶色の臭い汚物に埋もれていく。
 優しい笑顔の——たった一人の友達が汚されていく。
『み……あ……。みぃあ……』
『ミーヤの色だあい好き。きれい』
 きれい——なんて言葉、みぃあから初めて貰った。
 本当はみぃあの方がもっと綺麗だったのに。銀の髪も、澄んだ緑の瞳も、白い肌も、とっても綺麗だったのに。
『みぃあ……』
 みぃあが苦しんでいた間、自分は何をしていた?
 残すほどにたくさんの食事をして、いつまでも眠っていて、まっさらな服を着て。
 その一つでもみぃあの助けになったかもしれないのに。
 何かができたかもしれないのに。


 国が滅んだ時も、両親に刃が振り下ろされた時も、兄たちが早々に隣室に連れて行かれても。
 光夜は冷めた瞳で、その光景を見ていた。
 ようやくみぃあの敵が取れた。
 ただ、そう思っただけ。
 乱暴に髪や瞳を試すがめす観察されても、「こいつ、純血か?」と言われても。
「……ほら伯爵家の息子だ」
「そうなのか?」
 惑う視線が、何度も光夜の肌の上を往復する。
「まあ……身体は綺麗そうだし……顔立ちもまあまあだな」
「ああ、色は今一だが……」
「だがなんかこいつ反応ねえなぁ、壊れてんのか?」
「どうだろ? だがまあ純血には違いないから、性奴は決定だが」
 忌み子の自分でも、純血には違いない。
 みぃあを殺した血が流れている。
「そっちだ」
 連れて行かれる先に何が待っていたとしても、もうどうでも良かった。


 光夜達は何一つ身に纏うことを許されない状態で、壁に繋がれた。
 後ろ手に括られているから、露になった性器を隠すこともできない。
 それぞれの首に名前や年齢などが書かれた札がぶら下がっている。
 そんなリジンの民の前に幾人ものラカンの人々が立ち止まる。華美すぎない、けれど高貴な衣装に身を包んだ老若男女が、興味津々と言った面持ちで並べられた光夜達を観察していた。
 ラカンでも滅多にない奴隷の競売だ。
 犯罪者以外奴隷にならないこの国では、奴隷は最下層向けのものだ。だが今回の奴隷は、まず貴族階級、そして戦功を立てた者に配布される。何しろ氏素姓が確かな者ばかり。貴族でも持っていない程のきれいな容姿の奴隷がずらりと揃っているのだ。
 この常ならない行事に、ほとんどの者が参加していた。
 数多くの奴隷を捌くために、ここでは気に入った子の胸元にぶら下がっている札に名前を書き、複数になった場合は抽選制を取っていた。
 やはりきれいな子——特に女の子は早々に多くの名が書かれいる。
「い、いやああっ、触らないでぇ!」
「きゃああっ、やあぁ──、やだぁっ!」
 会場のあちらこちらで、女の子たちの悲鳴が上がる。
 胸を鷲掴みにされ触り心地を確かめられている者もいれば、股間に指を入れられ嬲られている者もいる。
 光夜の隣の男の子も、さっきから執拗にペニスを弄くられ、泣きながら勃起させていた。
「おやおや、可愛いことに皮を被っている。箱入り息子ならぬ袋入り息子か? どれ、お外に出してあげようか?」
「い、嫌だ、やめろっ、止めっひぎぃ!」
「こっちの乳首も可愛いね」
「んんっ、いやあ──あ、くう」
 与えられる屈辱に、堪えきれずに舌を噛もうとした者もいたようだが、あらかじめ施された暗示で、どうしても噛めない。
 誰かが笑いながら言った言葉が皆に聞こえるように響く。
「奴隷には死ぬ権利すら無い」
 人で無いから、権利など何も無いのだと。
 目の前で繰り広げられる状況に、いくら世間知らずの連中でも自分の運命を悟ったのだろう。その頬を涙が流れ落ちていた。
 そんな中、光夜の札にはまだ誰一人として名前が書かれていなかった。
 血筋は良いのだが、原初の民としては色味が今ひとつのせいだ。
 人の目はどうしても、生っ粋さを色濃く顕す──見栄えの良い者に向かう。
 けれどこの先何が待っていようと光夜は気にならなかった。
 いっそのこと酷い相手に当たって、早々に壊してくれれば良いのに、とすら思っていた。
 あのみぃあのように。
 こんな身体など壊されてしまえば良いのに……。
 ──と。
「ふうん、こんな毛並み……実際にあるんだ」
 くしゃりと前髪を掻き上げられ、目の前に青年の顔が現れた。
 淡い色の肌に、緑の瞳。
 何か……似ている……。
 綺麗に澄んだ瞳の色。
 にこりと笑う時の目の形。
 けれど……。
「ふぅん、こうすると色が変わるな」
 その瞳と声音に含まれるのは好奇の色。
 薄い唇が笑みの酷薄さを伝えてくる。
 違う……。
 そんな筈は無いと判っていたのに、それでも抱いた僅かな期待は失望へと変わった。
 何より、目の前の人は25になった兄と同じか、さらに上か。
 みぃあの年齢とは全く合わなかった。
「相変わらず、だな。コウシュ」
 光夜から手を離さない青年に、隣にいた男が話しかけている。彼は、二人ほど隣にいる長い銀髪の少年の札を手にとって、名前を書こうとしていた。
 その声音に含まれる揶揄に、コウシュと呼ばれた青年が肩を竦めた。
「俺は、そういう煌びやかな色は嫌いなんだって」
「ああでも……ふぅん、悪くない顔立ちだな」
 近づいた男が、首を傾げながら光夜の髪を手に取った。
「別にきれいな奴なんかいらないし」
 さらさらと首の下でペンを滑らす音がする。
「ん、お前の名、ミヤ? ミーヤか?」
 札に書かれた綴りをなぞる。
 その発音に、光夜は目を見開いた。
 光夜の名は「みや」だ。けれど、みぃあだけは、ミーヤと呼んだ。
「どっちだ?」
 首を傾げるコウシュに、光夜の唇が動いたのは、懐しい呼び名を聞いたせいか。
「ミーヤ……」
 震える声音と瞳に、コウシュが瞬き、次いでくっと喉の奥を鳴らした。
「へえぇ、ただの人形かと思ったけど、生きてるじゃん」
 掴まれた髪で頭を上げさせられて、至近距離でコウシュが笑う。
「キバの相手、お前で良いや。きれいな奴なんか、あいつには近づけられないからな。けど、白い仔猫が欲しいっていうから、しょうがないな」
 耳朶に直に吹き込まれる囁きは何のことかまったく判らなかったけれど、何を問う間もなく、コウシュはさっさとその場を立ち去り──。
 その光夜の札は、競売が終わってもその男の名しか記されていなかった。