月明かり番外【ひとでなしの恋】

月明かり番外【ひとでなしの恋】

 ヴァルツ×ザーンハルト
?


 心地よい温もり。
 ふわふわの体毛に擦り寄って、体に掛けていた布を引き寄せる。
 もうそれだけで、最高のベッドのできあがりだ。
 ヴァルツは心地よいそれに身を委ね、警戒心の欠片も無い笑みをその面に浮かべていた。
 何しろ、ここは容易く人が辿り着けぬ所なのだから。



 城の裏手にはうっそうと生い茂った森がある。
 その大木と言っても良い木は、周囲のどの木よりも太い幹を持っていて、その頂は森の全ての木を睥睨できるほどだ。
 城ができた時にはすでに十分大きかったという木は、今はこの森の主的存在だった。
 その中腹あたりに、並の木の幹と同じぐらいの太さの枝が三つ叉に分かれた部分があった。自然の妙技かと思うほど、枝がうまく伸びて、その股の部分は程良いくぼみになっていて人が寝転がるには十分な広さがあるのだ。
 そこを教えてくれたのはザンジ。
 魔獣とも喩えられるほど、優れた身体能力と恐るべき牙と爪、体躯を持つ黒い獣は、この高さであろうと軽々と昇っていく。
 そんな人にとっては畏怖の対象であるこの獣は、対であるヴァルツにはひたらす甘い。
「ん……ザンジぃ……」
 対とは人と獣、一人と一匹が心を通わせることのできる関係。一人と一匹はまったく別のモノでありながら、己と同じ存在なのだ。 
 だが、過去幾多の対を鑑みてもザンジはヴァルツに甘いと、たくさんの対を見てきた男は言っていた。
 そのザンジはヴァルツが寝返りを打っても木の枝から落ちないように体を丸めて、敷き布団と枕の代わりをしているのだ。
 普段もヴァルツの願いを可能な限り叶えてくれる。
 見た目ほど凶暴ではないザンジは、どちらかと言えば獣の中でも特に優しい心根を持っているのだろう。オスでありながら、母性愛に満ちているザンジにとって、ヴァルツは子供のようなもの。慈愛に満ちた眼差しが、時に悪戯っぽく歪められようとも、そこにあるのは無償の優しさだ。
 今も、心地よさそうに眠るヴァルツを優しい瞳で見つめている。
「う、ん……」
「ぐるっ」
 ザンジも心地よさそうに喉を鳴らした。
 その響きに、ヴァルツが嬉しそうに笑みを浮かべる。
 穏やかな風が、ヴァルツの黒い髪とザンジの黒い毛並みを揺らした。
 幸せな時。
 けれど、王の代理を務めるヴァルツがいつまでもここで惰眠を貪っている訳にはいかないのも事実。
 そのことに気付いたのはザンジが先だ。
 彼の人よりはるかに優れた感覚が人の気配に気付く。
 ぴくりと頭が動き、閉じられていたまぶたが開いて、深紅の瞳が闇色の中に浮かんだ。そのまま、瞳をはるかな大地へと向ける。
 そこに見えたのは、陽光に煌めく銀の糸。風にたなびき、ふわりと宙に舞う。
 それが人であることも、彼が誰であるかも、ザンジは知っていた。
 はるかな先を見通す視力が、彼が困惑を浮かべて見上げているのすら教えた。
 その様にザンジは、赤い舌先でぺろりと口の周りを舐め、寝入っているヴァルツを見下ろす。
 眠りを邪魔される事を厭うのは知っている。だが、彼が来たのだ。
 それを教えずにいれば、困るのはヴァルツの方なのだ。
「ぐぐぅ」
 だが、つんつんと鼻先で突いても、寝入ったヴァルツは容易には起きなかった。
 くすぐったそうに身を捩り、ますますザンジの体毛に縋り付く。
 最近かなりの仕事に追われて、睡眠時間が減っていたから、ヴァルツを捕らえた睡魔は容易なことでは逃げていってくれそうになかった。
「ぐぅ……」
 ザンジの瞳が困ったとばかりに細められる。
 子供のように寝入るヴァルツを見やり、はるかな先にいる彼──ザーンハルトを見やる。
 ひょいと首を伸ばしたザンジに、ザーンハルトも気付いたようで手招きをするのは判ったけれど。
 その口が言葉を紡ぐように動いているのも判ったけれど。
 対であるヴァルツはもとより、ザーンハルトもザンジにとっては大事な相手。それは彼がヴァルツにとってもっとも大切な人だからだ。この二人が幸せであることが、ザンジにとっても幸せになる。
 その片割れの要求に、さてどうしたものか、とザンジは首を傾げた。
 困ったことに、ザーンハルトにザンジの心は届かない。
 う?む、と首を傾げるザンジは、惑うように何度もヴァルツとザーンハルトを見比べて。
「ぐうっ」
 首を傾げる。
 ゆっくりと視線を周りに巡らせるザンジは、何かを逡巡しているようだった。
 その体の傍らで、ヴァルツが幸せそうに顔を歪めて笑っている。
 寝相の良いヴァルツはさっきからあまり動いていない。
「ん?、ザーン……」
 邪気のない寝言に、ザンジはくすりと笑ったようだ。
 優しい瞳がヴァルツを見つめ、そしてゆっくりとヴァルツから体を引き出した。
 前足を使って、頭が枝に激突しないように支えて降ろす。
 寝心地が悪くなったのが判ったのか、ヴァルツの顔が顰められた、が、それもザンジに顔を舐められて、すぐに緩んだ。 僅かな衝撃程度では目覚めようとしないヴァルツを満足げに見つめ、その口元が微かに歪む。
 それがほんの少しの茶目っ気を滲ませた様子に気付くものは誰もいなくて。
 とん。
 軽く枝を蹴る音が小さく響いて。
 一瞬後、ザンジの姿ははるかな大地の上にあった。

 

 どことなく寝心地が悪い。
 何度か寝返りを打ってもそれは変わらない。
 けれど、頭の下だけは柔らかい。
 だが、首から下が触れているのは固い木肌だと気付いたのはすぐだった。
「ザンジ……どうしたんだよ……」
 寝ぼけ眼を腕で擦り、ザンジを探す。
 だが、呼びかけに返事は無く、それどころか、当惑に満ちた声音が微かに響いた。
「……でんか……」
 それは。
「ザーンっ!」
 声の主を理解した途端、一気に覚醒した。
 両手をついて跳ね上げた頭のすぐそばで、ザーンハルトが当惑の色も露わに見つめるのに気付いて、言葉を失う。
 どうして、ここに?
 きょろきょろと辺りを見渡しても、寝入る前と景色は変わらなかった。
 少なくとも人が登れる高さでは無い。
「ザーン……どうやって、ここへ?」
 問わなくても判っていたけれど。
 ここにいた筈の対がいないことが答えだと判っていたけれど。
「……ザンジ……が」
 囁くような声音。
「やはり、な」
 この高みに人を運べるモノなど、今この辺りにはザンジしかいない。
「で、そのザンジは?」
 知らないと首を振るザーンハルトの視線を追って、はるかな大地を見下ろした。
 静かな森。
 空では鳥の鳴き声が響いているが、後は風に梢が鳴る音だけ。
 どんなに目を凝らしても、黒い対の姿は見えない。
「どこ行ったんだか……」
 ザンジがいないとここから降りられない。
「しょうがないな」
 ぽりぽりと頭を掻き、ザーンハルトへと振り返った。
「で、ザーンは、何の用だ?」
 聞いて、はた、と口を閉ざす。
 今のこの時間、ザーンハルトは城で仕事中。
 実を言うと、ヴァルツもまた仕事中だった。ただ、あまりにも多量の書類に嫌気が差して、ついザンジと抜け出したのが数刻前。
 気付いたザーンハルトがヴァルツを探しに来たのは容易に想像できて。
「あははは。でも、これじゃ、帰れないな」
「ええ」
 笑って誤魔化そうとすると、ため息で返された。
 それは聞こえるか聞こえないほどの声を伴っている。
 喉を焼かれる薬を飲んで以来、かなり声は戻って来た。
 だが、大きい声はまだ出せない。
 普段はザーンハルトの囁く声を付き人のファムが皆に伝えるのだが、今はそのファムはいない。だが、静かなこの場所では、そのザーンハルトの声も十分届いた。
 静かな声音だ。
 声音は変わったが、それでもザーンハルトの声は好きだ。
 注意して聞くようになって、より好きになった。
 もっとも、相変わらず言葉は少ない。
 今もひと言返すだけで、口を噤んでしまった。
 もっと、聞きたいのに。
 単調な会話での言葉だけでなくて、もっと普通の会話。いや、それ以上に……。
 できれば……。

?
 強く吹き抜けた風に、ザーンハルトの銀色の髪がたなびいた。
「ふっ……」
「!」
 思わずザーンハルトの喉から零れた声音。
 ずくんとヴァルツの下肢が疼く。
 顔にかかった髪を鬱陶しそうに掻き上げる仕草。邪魔なそれに、堪らずに声が出たのだろう。
 凝視するヴァルツに気が付いていない。
 揺った紐を解き、結い直している。上がった腕が袖の短い服から覗いていた。
 白い腕だ。
 あまり筋肉の付いていない腕は細い。
 その腕が、ヴァルツの首に回される動きを知っている。
 首筋に回されて、近寄った口があえかな嬌声を上げる様も。
 長い髪が乱れて、寝具に広がる様も。
 けれど、それは滅多に見られない姿で……。
「ザーン……」
 気が付けば、いつもより近い距離に彼の顔があった。
「はい?」
 返す言葉はいつもと同じようだったけれど。
「震えてんのか?」
 気をつけて見ていればようやく気が付くほどの震えだった。
 だが、小さく首を振るその仕草にほくそ笑む。
「意識してんのか?」
 指で頬に触れる。ぴくりと震える肌。海辺の街で日に焼けた色は、もう無い。
 何も答えないザーンハルトは、唇を噛みしめているようで、唇が赤く染まっていた。
「ザンジが戻ってこないとどうしようもないからな」
 覗き込んでも視線を合わせないザーンハルトの耳元に囁く。
 いつもは、仕事仕事と逃げられるけれど。
 ザーンハルト一人ではここから逃げられない。それに、仕事もここには無い。
 これはきっとザンジがくれた贈り物。
 ザーンハルトと二人っきりなんて、一体いつ以来だろう。
「ザーン……」
 甘く囁く声音に、ザーンハルトの首筋が朱に染まっていく。
 ザーンハルトは恥ずかしがり屋だ。
 きっと、どんな人よりも羞恥心が強い。
 けれど。
「ザーン……おいで」
 その羞恥心が強固な壁を作るから、邪魔でしようがないと思うことも多いけれど、今は、その姿が可愛くて堪らない。
 引っ張る腕の力に逆らおうとするが、高い梢で暴れる愚行に気が付いたのか、その動きも止まる。
 難なく腕に収まった体は細い。
「ここには誰も来ない……」
「……ヴァルツ……さま」
 ようようにして聞けた掠れた声音。
 それだけで、下腹部が甘く疼く。
「嫌なら、そう言え」
 ザーンハルトの持つ言霊の力は、人を操ることすらできる。
 今でも、嫌なら嫌だと──離れろと命令してヴァルツを操ることができるだろう。だが、ザーンハルトにそんな気配は微塵もなかった。
 ただ、羞恥に身を捩り、頑なに口を閉ざすだけ。
 それは、諾ということだろう。
 内心歓喜の声を上げ、けれど、ここで失敗して堪るかとヴァルツは優しくそんなザーンハルトに擦り寄った。
 顎を掬い上げ、赤く染まった唇を啄む。
 こんな他愛もない口付けすら、いつからしていないだろう。
 柔らかなそれに触れただけで、体の奥底から黒い熱が湧き起こる。
 舌先で唇の上を突けば、甘い吐息を零してそこが緩んだ。
 思考より先に舌が動く。
 気が付いた時には、ザーンハルトの口内を深く貪っていた。
 熱い舌先が絡む。
「んっ……ふっ……」
 鼻にかかった甘い吐息。
 縋り付いてくる指先。
 誰よりも愛おしくて、誰よりも優しくしたくて──けれど、誰よりも激しく貪りたくて。
 ヴァルツの理性を狂わせる相手。
 悔しい。
 いつだって夢中になるのはヴァルツの方だ。
 こうやってどうしようも無くなって初めて、ようやくザーンハルトがその気になってくれるのだ。それもいい加減悔しい、と思った時だった。
 ふと、あることを思いついた。
「ザーン……」
 長い口付けで息も絶え絶えになっているザーンハルトの顎を上げさせ、その瞳を覗き込む。
「私が……欲しいか?」
 途端に見開かれる瞳を見据えて、ヴァルツは真剣な表情を崩すことなく問うた。
「私が欲しいのなら言え。欲しくないのなら、そう言えば良い。私は、お前がどうしたいのか聞きたいのだ」
 片手で事足りるほどに数少ない逢瀬は、いつだってヴァルツから迫ったものだ。
 声が出なかった頃は致し方ないにしても、今は小さな掠れ声とはいえ、ザーンハルトは意思の疎通ができる。
「ザーン……聞きたいんだ」
 ザーンハルトの本心を。
 その口から。その声で。
 ザーンハルトがヴァルツの事を好きだと言うことは知っている。
 それを疑うものではない。だが、聞きたいのだ。
 欲しい、と言わせたかった。
「ザーン……」
「ヴァルツさま……」
 ようようにして名を呼んで、嫌々と小さく首を振る。その動きをヴァルツは後頭部を捕らえることによって押さえ、さらにその瞳を覗き込む。
 今や真っ赤と言って良いほどに肌を染めたザーンハルトの瞳が、うろうろと視線を合わせないように蠢いた。
 もっとも、至近距離ではそれも叶わない。
「言ってごらん?」
 赤い唇をそっと指でなぞる。
 強張って動かない唇を二本の指でこじ開けるように開かせた。
 唇とともに体まで強張っているのか、ザーンハルトはぴくりとも動かない。
 そんな姿に可哀想かな、という気にもなったけれど。
「ザーン、言ってくれ」
 どうしても言わせたい気持ちに代わりはなくて、最後には懇願になっていた。
 心臓はさっきから激しく鳴り響いている。
 なのに、いつまで経ってもザーンハルトの口は言葉を出さない。
 ──ダメか……。
 落胆の色も露わに、ヴァルツががっくりと肩を落とした時だった。
「ほ……です……」
 目の前の唇が震えたように見えた。
 否、震えたのだ。
 その証拠に、耳には微かな声音がかろうじて届いていた。
 思わずまじまじと凝視するその顔の閉ざされた目の端に小さく光る滴が見える。
「ザーン……今なんて?」
 決して悪い言葉では無かったはずだ。
 だが、はっきり聞こえなかったせいか、今ひとつ自分の耳が信じられなかった。それにもっとちゃんと聞きたかった。
「頼む、もう一度」
 その言葉が聞けるなら、と恥も外聞もなく頭を下げる。
「ヴァルツさま……」
 見つめる先で薄く瞳が覗いた。
 羞恥は際限までザーンハルトを支配しているのだろう。
 潤んだ瞳は、ヴァルツの理性など吹き飛ばしそうになった。けれど。
「ザーン……愛している。だから……言ってくれ、もう一度だけ。今度は絶対に聞き逃さない」
 きっぱりと言い切って、彼を真正面から見据えた。
 流れる銀の髪が風に流される。
 それでも続いた沈黙。
 やはりダメかと諦めた瞬間だった。
「……ほしい……です……。ヴァルツさまが……ほし…い……」
 言い終えた途端に、首筋に縋り付いてきた。
 きつく腕を絡めて、羞恥に染まった顔を見せないとでも言うように、肩に顎を乗せて。
 けれど、その寸前垣間見えたその艶やかに彩られた表情を、ヴァルツは見逃さなかった。
 あまりの艶やかさに、目の前が真っ赤に染まり、抱きつかれてもしばらくは動けなかったほどだ。
「でも、こ……なの……や……です……」
 掠れた声音で訴えられても、それくらいしか声が出ないと判っていても誘われているとしか思えない。
 硬直した体ががくがくとまがい物のように動かないのがもどかしかった。
 それでも、抱きつくザーンハルトを強く抱きしめる。
「そうか、私が欲しいか?」
 嬉しさに、声が弾む。
 そうと来れば、我慢など無用、と、ザーンハルトを自然の褥に押し倒した。
 白い肌がこれでもかというほどに朱に染まり、潤んだ瞳が責めるようにヴァルツを見据えている。
 その美しさは、神とも見紛うほどだ。
 触れる唇も、柔肌も。
 胸を飾る乳首も、細い体の線も。
「あっ……はぁぁっ……ヴァルツ……さま……ぁ」
 身悶え、小さくしか上げられない嬌声も、ヴァルツにしてみれば、全てがヴァルツを狂わせる。
「なんて……可愛い……、愛しているザーン……。もっと私にお前の姿を見せてくれ」
「わ、たしもっ、っくっ……やめ……。そこ、やあっ」
 足を上げさせて、白い柔らかな内股に吸い付く。
 びくびくと震える肌に伝う汗は、天界の美酒のように甘美で幾らでも欲しくなった。
「ザーン、ここにも欲しいか? 言って?」
 ちゅっと音を立てて陰茎に吸い付けば、がくがくと体が揺れる。
 必要以上に声を上げまいとしているらしいが、それも僅かな刺激に容易く崩れた。
「ん、あぁ、そんなぁ…」
 妙なる声音にぞくぞくと背筋を快感が這い上がる。
 後少し。
 ザーンハルトの頑なな理性を崩壊させなければ、最後まで進めないのだ。
 そのためには羞恥を煽ることも効果的だった。
「でもね、言わなくても判るよ。ここはこんなにも欲しいと吸い付いてくる」
「あ……やめっ」
 指を銜えた後孔を揶揄すれば、逃れようと身悶える。
 それが、どんなに淫猥な踊りになっているか、ザーンハルトは知らないだろう。
 逃れられないように腰を捕まえて、さらに奥深くを抉れば、びくんと大きく全身が震えた。
 嫌々と子供のように頭を振るたびに、銀色の髪が広がっていく。
 そそり立つ陰茎は、これでもかと言うほどに濡れそぼり、先端はひくひくとヴァルツを誘っていた。
 その溢れた液が流れる先には、普段は慎ましやかに口を閉ざす後孔がある。だが、今は美味しそうにヴァルツの指を銜えこみ、さらに奥へと誘っていた。
 そこに入る指が増えるたびに、もう挿れたい、と願う。
 我慢は限界に近付き、それでも必死に堪えていたヴァルツだったけれど。
「あ──んあっ」
 一際高い嬌声を聞いた途端、そんな些細な我慢は全て消し飛んだ。

 
 ピー──。
 空高く飛ぶ鳥の甲高い鳴き声が響く。
 さっきまでそれすらも気付かないほどに快感に身悶えていたザーンハルトは、今はヴァルツの腕を枕にして、その体を投げ出していた。
 疲労のせいか物憂げな表情は、萎えたはずのヴァルツを元気にさせるだけの力は持っていたけれど。
 それでも、無茶をして嫌われるかも、と思うと我慢はできた。
 そのザーンハルトの乱れた衣服はかろうじて直したが、その肢体にはまだ残滓が残っている。
 早く拭いてやりたい、と願うヴァルツは、ザンジを呼んでいて。
「ああ、来たか」
 舞う風に視線を寄越せば、いつの間にかザンジがその黒々とした体躯を窮屈そうに丸めて隅で控えていた。
「ザーンを誰にも気付かないように部屋に連れて行きたい。できるか?」
 乞えば、頷きで返される。
 そのザンジが心配そうに、ザーンハルトに擦り寄った。
「くうん」
 ザンジの鼻面が心配そうにザーンハルトの頬に擦り寄せられる。
「ん……だいじょうぶ……だよ」
 ザーンハルトももう慣れて、どこか嬉しそうにザンジに手を伸ばしていた。
 ザンジは、優しくて、良く気が利いて、何でもできて、とっても強い頼れる対。
 ザンジが気を利かせてくれなければ、ザーンハルトとの幸せな逢瀬は叶わなかっただろう。
「ありがとな。ザーンを連れてきてくれて」
 感謝の意を込めてそっと目を閉じる。
 ぺろりと舐められる気配に、くすぐったく身を捩ったが、それだけだ。ザンジがしたいように舌を絡める。
 これは儀式。
 前にはそう教わったが、今は違うと判っている。
 それでも、ヴァルツはザンジとのそれを欠かさなかった。
 この行為をザンジが好きだと知っているからだ。
 だが。
「んっふ……」
 息苦しさとぞわぞわと込み上げる快感に、苦笑をしながらザンジを押し退ける。
 やみつきになっているのはこっちの方かも。
 そんな考えが浮かんだ己を誤魔化すように頬をザンジの頬に擦り寄せた。
 ザンジともザーンハルトも、ヴァルツにとってはどちらも大事な相手だ。けれど、最近これをあまり長く続けるとザーンハルトの機嫌が目に見えて悪くなってしまうのだ。
 今だって、少し眇めた視線がヴァルツを追っている。
 それに安心させるように微笑んで、左の手で黒い体毛を撫で、右の手で銀色の髪を梳いた。
 そう言えば、どんなに離れていてもヴァルツはザンジを呼べるのに、目覚めたヴァルツにザーンハルトはそれを強要しなかった。
 ふと、そのことに気付き、我知らず口元の笑みが深くなる。
 言葉よりも何よりも、雄弁なザーンハルトの態度が可愛らしくて堪らない。
 ふわりと、心地よい風が頬をなぶった。
 遠くに見える城の姿に、そろそろ戻らないと拙いだろうと二人を見やる。
「帰ろうか」
 城へ。
 いつもの日常へ。
 帰ってしまえば、今度はいつこんな僥倖があるかなんて判らないけれど。
「ここは、私たちだけの秘密だよ」
 己とザーンハルトとザンジだけの、と願うけれど。
「ま、どうせ誰かさんにはバレてるだろうけどね」
 苦笑を浮かべて城の方を見やれば、ザンジもまたその眉間にシワを寄せて同じ場所を見つめていた。
 寝っ転がったままのザーンハルトも、視線を動かして、深いため息を吐く。
 遠くに見える城の一区画。
 きらりと何かが光っているのは、紅玉殿のあるところ。
 その瞬間、皆考えたことは同じはずだった。

【了】