【高鬼(たかおに)】 3

【高鬼(たかおに)】 3

「純哉っ!来てくれたんだっ」
 家城が車から降りたとたん、エンジン音に気がついたのか、まだパジャマ姿のままの啓輔が窓から勢いよく身を乗り出してきた。
 その勢いの良さに思わず目を見開けば、すぐにその姿が視界から消える。だが、室内からはどたばたと勢いの良い音が漏れ聞こえ、しばらくして今度は玄関のドアが開いた。
「こっち、こっち!」
 呆気にとられる勢いの良さに、何を興奮しているのか啓輔が大きく手を振って家城を呼び寄せていた。
 その姿に驚いて──けれど、すぐにその口元に苦笑が浮かぶ。
 こんなにも歓迎されるとは思わなかった。
「純哉、早く来いよ」
 啓輔が焦れったく呼んでいる。
 そうされると、家城は自分が冷静になっていくのに気がついていた。
 からかうように行動がゆっくりになるのは、意識してではない。
「何をそんなに朝から焦っているんです?落ち着きがないって笑われますよ」
 隣であっても距離がある隣家ではあっても、元気な啓輔の声が聞こえないとは限らない。指し示すように視線を動かせば、啓輔が少しだけ眉根を寄せていた。
「だってさ、ひさしぶりじゃん、純哉が家に来るの」
 文句を言いつつも、その声音に純粋な喜びが含まれるのを感じる。
 それだけで、なぜこんなにも心が癒されるのだろう。
「あなたに用事がずっとあったから会えなかっただけです」
「……だってさ」
 正論で諫めれば、悔しそうに顔をゆがめていた。
 それは、ずっと会いたかった啓輔で、その表情に家城はほんの少し絆される。けれど、つい。
「私とは会いたくないのかと思うほどに、いろいろと用事を入れていましたのですけど?」
 口調が責めてしまった。
「だって……しょうがなかったんだよ。ああ、もう早く入れよっ」
 啓輔が、家城の手首を掴み、勢いよく玄関内に招き入れた。
 玄関といっても、勝手口サイズしかない場所だ。三和土も狭く、その上大きな啓輔の靴が邪魔で、足の踏み場がない。
 たたらを踏んで足場を確保している家城の体が、かちゃりとドアが閉まる音とともにふわりと啓輔の匂いに包み込まれた。
「啓輔?」
 柔らかな温もりに息が詰まりそうになる。
「う?ん、純哉の匂い」
 ぐりぐりと鼻先を肩口に擦りつけられて、下腹部にずきりと甘い疼きが沸き起こった。
「やっぱ、純哉の匂いが一番好きだなあ」
 感極まったような物言いに、急速にこみ上げるのは恥ずかしさだ。
 体が火照りだして、鼓動が早くなっていく。
「な、んなんですか、いきなり」
 このままでは、ここで事に及んでしまいそうだと、慌てて啓輔の肩を掴んで引き剥がそうとしたけれど。
「もう、いいだろ?久しぶりなんだし」
 啓輔の力強い手が背から離れない。
「しかし、ここは……」
 家城自身、抱きしめたい。
 何より今ここで家城を抱きしめている相手は、家城自身恋い焦がれていた相手だ。
 自身の性欲の強さをこうまで自覚させた相手だ。
「気になる?」
 体を屈めているのか、少し見上げるように家城に視線をやる啓輔の瞳は、家城の欲望を燃え立たせる。
 まず話をしようと思っていた。
 タイシのことを聞いて、啓輔の心を質したかった。
 だが。
 啓輔の一連の行為は、家城の予想外のことばかりで。
「だったらさ、部屋、行こっか」
 我慢できないと、啓輔の瞳が言葉よりもはっきりと伝えてきていた。


「むっ……んふぅ」
 のしかかられたのは家城の方だった。
 餓えていたのは家城も同じだが、啓輔はそれ以上だったらしい。がっつくようにキスを望み、手が来ていたシャツの下に潜り込んでくる。
「ちょっ、ちょっと待ってっ」
 さすがにここまで急いて求められたのはそうなく、家城も対応が後手に回ってしまっていた。
 何とか体の下から逃れようとするけれど、だが、息継ぐ間も僅かですぐに唇を塞がれる。
 その余裕のなさに、啓輔の飢えが相当なものだと知った。そして体がとたんに熱くざわめく。
 こんなにもがっつくほどに求められているのだと思うと、家城の体も煽られたのだ。
「もう……夢にまで見た……ずっと純哉を抱きたくて」
 熱い熱がキスとともに注ぎ込まれる。
 欲していたのはこちらも同じなのに。
 今度ばかりは、勢いで負けていた。それほどまでに、若い性欲は余裕のなさを見せていた。
「約束したこと、後悔した……何度も」
「んっ…く!」
 胸の尖りをきつく摘まれ、首筋を濡れた熱い舌先が辿っていく。
 包まれる啓輔の匂いが強いのは、先ほどまでここで彼自身が寝ていたせいだろうか?
「こ、うかいっ、する位ならっ」
「だって、約束したもんな……。ほんとは木曜会えるはずだったのにっ」
 シャツのボタンが引きちぎられそうな勢いで外される。広げられた胸元に、きつく吸い付かれて、その痛みに家城は喉を晒して喘いだ。
 手が、啓輔を押し避けようと足掻く。
 けれど、与えられる愛撫に、その手に力が入らない。
「っあっ、やっ……んくっ」
 迂闊にも甘いあえぎ声を出しそうになって、慌ててきつく唇を噛みしめる。
 何で、こんなにっ。
 啓輔に抱かれることは、家城が抱くよりはかなり回数が少ない。それでも体が覚えている過去の愛撫のどれよりも、今日の愛撫は丁寧で執拗で。
「あっ、ん、そこっ」
 びくびくと反応する体を持てあまして、結局啓輔の体に縋り付く。
「ふふっ、かわいい……。純哉も俺のこと欲しかったんだ?こんなにも、熱くなって」
「そ、んなことっ」
 揶揄する声音に、羞恥が強くなる。
 確かに餓えていたのは間違いない。
 今日こそは絶対に会おうと思っていたほどだ。だが、その飢えは、こういう飢えではない。
 なのに、体が与えられる愛撫にてきめんに反応して、逆らう意識が萎えていく。
「あ、ここもいいんだよな」
「ひっ!」
 どうして……。
 やはり上手くなっている。
 与えられる強弱も、快感の源を辿る順序も。焦らすように逸れていって、堪えられなくなる寸前に与えてくれる快感に。
 家城はただ喘がされて。
 いつもなら、途中で反撃に出て、攻守逆転など可能なことだったのに。
「けっ、啓輔っ!もう、やめっ」
 柔らかく握りしめられて。けれど、刹那激しく扱かれる。
「だ?め」
 ぎらぎらと欲望に満たされて余裕のない瞳が家城を見下ろしている。
 なのに、口調はからかうそれで、余裕を見せつけていた。
「今日こそは……貰うよ」
 興奮の度合いが強い、掠れた声が、耳に注ぎ込まれる。熱い吐息が、ねっとりと耳朶を包み込み、湿った音を立てた。
「ずっと我慢してきたんだ。なのに、あんた、つれないんだから……」
 怒ってる?
 怒っていたのはこちらの方なのに。
「鈴木さんとのドライブ、少しは引き留めてくれるかと思ったけどな……」
「そ、そんなこと言われても」
 行きたいと言ったのは、啓輔の方だ。
 あんなにも目を輝かせて、話に乗り気だった啓輔を、どうして止められよう。
「だから、今日は絶対に押しかけてやろうと思ったのに、あんたの方から来てくれて、すっげえ、嬉しいっ」
「ん、あっ」
 それではまるで、のこのことやってきたこちらが馬鹿みたいだ、と思う。
 待っていれば、啓輔がやってきて。
 きっと、今のこの状態とは全く逆の立場で、啓輔を苛むことができたのだと言うことだ。
 けれど。
「嬉しいよお、ほんとに」
 ここまで欲せられて、嫌なわけではない。
 ただ、立場的に恥ずかしいだけで。
「今日は挿れさせて、な」
 ふわりと啓輔の体が位置を変える。
 密着していた肌が離れたとたんに、空気に晒された肌がぞくりと粟だった。
 気がつけば、体の前の衣服は完全にはだけられて、スラックスは膝まで下ろされている。むき出しの性器は、啓輔の手に包まれてヤワヤワと揉みほぐされていた。そこから妙なる快感が背筋を走り抜け、脳髄を痺れさせた。
 慣れた手つきは、自ら自慰するより激しく感じる。
 啄むように胸に何度も口づけられ、「こんな、固くなって……」と、含まれながら呟かれたとたんに、堪えきれない声が喉から溢れた。
 もういい。
 そう思わせるほどに巧みな愛撫が意識を浸食して、家城から理性を奪う。
 いつだって大事にしていた理性だ。
 家城の行動のすべてを支配していた理性。
 それを突き崩す事のできる唯一の存在に欲せられて、家城が敵うはずもなかった。
「う、あっ……啓輔っ、もうっ」
 禁欲生活は、家城だって同じだった。
 限界がもうそこまで来ている。
 抱きついて、腰が勝手に動きそうになって。
 だが。
「駄目、それより俯せになって」
 あと少しだというのに、啓輔が意地悪く笑う。
 嫌な予感が家城の胸中におそう。けれど、結局為されるがままに従ったのは、家城自身欲しいと思ったからだ。
「ん……」
 後孔を襲う違和感に、肌がざわめく。
 きゅっとシーツを握りしめたのは無意識のうちで、力を入れすぎて腕の筋肉が勝手に震える。
「そんなに締め付けんなよ」
 視界の外にいる啓輔が、揶揄しているのが判る。だが、家城はかすかに首を横に振るくらいしかできなかった。
 慣れない行為だ。
 なのに、したことのある記憶が、その先にある甘い快感を期待させる。
 そんな風に浅ましく欲する自分が恥ずかしいと思うのに、家城の体は啓輔に言われるがままに体の力を抜いた。
「ん、そこっ」
「ここ?」
 ざわめく肌が、うっすらと朱に染まる。誘うように動く腰は、家城の目には見えていない。
 体の中からの疼きは、四肢の支配権を家城から奪う。
 ぐちゃぐちゃと淫猥な音を立てて、啓輔の指先が巧みに家城の後孔を解していった。


 貫かれたとたん、鋭い痛みに息を飲んだ。
 けれど、家城の体はすぐに弛緩していく。何度かの逢瀬で、体を強ばらせればそれだけ痛みが長引くことを知っているからだ。
「あつ──最高っ」
 感極まったように囁きかけられたせいもある。
 家城は大きく息を吐くと、肩越しに啓輔を振り返った。
 その時になって、ようやく啓輔があの匂いに包まれているのに気がついた。
「この……匂い……」
 たぶんずっと匂っていただろう。
 だが、今の今まで気づけなかった程に余裕がなかった。
「これ……、結構気に入ってんだけど……。何せ、純哉もこの匂いに反応してくれるし」
 笑われて、その微かな震えが体内まで伝わる。
 ざわめくように家城の体の中が啓輔を誘い、双方が甘い吐息を零した。
 確かに、この匂いには反応する。
 こんな時にこそ、強く匂うからだ。
 記憶と匂いと快感が、ワンセットになっていた。
「動くよ」
 かすかれた声で囁かれて、家城の全身がぞくりとざわめく。
 それは、啓輔にもはっきりと伝わって──家城が返事をするより早く、楔が体内深く穿たれた。
「あ、はあっ」
 押し込められるたびに、肺の中の空気をすべて吐き出しそうになる。
 吹き出す汗が額を伝って、シーツに滴り落ちる。
 腰を上げさせられ、先より密着して、これでもかと啓輔が快感を貪っていた。その余裕のなさが、家城を翻弄していく。
 荒い息が混じり合い、何度も意識が白く弾けた。
 先ほど一度限界近くまで高められた体が、再度限界に達するのは早かった。
 何より、三週間もの間待ちこがれていた相手だ。
 攻受逆ではあったけれど、相手が啓輔であればかまわない。
「ふっ……あっ……もうっ……」
 ぐっと手のひらを強く握りしめ、唇を噛みしめる。
 限界にうち震える家城のモノに、啓輔が手を添えた。
「いいよ、達きな」
 ぎゅっと握りしめられ、激しく扱かれる。
 それにまるで初めての時のようにあっけなく体が限界を超えて。
「う、うわあっ!」
 あられもない声を発して、シーツに幾つもの染みが広がった。


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T【高鬼(たかおに)】 7

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 荒い息を吐いて、啓輔も果てる。
 重い体がずっしりとのしかかってきて、家城は息苦しさに身じろいだ。
 一度達って、少しだけ落ち着く。
 大きく息を吐いて、体の上の啓輔を押しのけようとしたけれど。ぎゅうっときつく抱きしめられて、それもままならない。
「啓輔……」
「まだ……」
 訝しげに問いかければ、熱い欲望はその形のままに押しつけられた。
 ああ、こんなにも。
 啓輔が求めるときは、いつも何度でも、疲れ果てるまで続く行為。
 だが、そこまで求められているのだと思えば、それも嬉しい行為だ。
 でも、と家城は流されそうな心を必死でつなぎ止めた。
 欲しかったのは家城自身もなのだ。
 つれなかったと零した啓輔であったけれど、あんなにも行きたそうにしていたくせに、と反論したい。
 それに、タイシの件だけは、問い質したい。
 下手に詮索して、嫌われる等という思いはもうなかった。
 がっつくほどに求められた今の行為を思えば、啓輔が家城を嫌っているとは思えない。
 ぐりっと押しつけられる欲望の塊に、未だ体の奥は疼く。ともすれば、流されそうになる体を無理に離して、家城は、訝しげな視線を向ける啓輔と視線を合わした。
「啓輔……いつの間に、彼と仲良くなったんです?」
「彼……?」
 行為を中断された上に、訳が判らない事を問われたと、啓輔が眉間のしわを深くする。
「先週と先々週と……二回……。会えなくなったきっかけになった約束の相手です」
「は……、あっ」
 不意に思い当たったのか、啓輔が目に見えて動揺した。
 あれだけすり寄っていた体を離そうとするのを、腕を掴んで引き寄せる。ふわりと揺らいだ体の動きに会わせて、啓輔の体をベッドに押しつけた。
 見下ろすいつもの形に、家城の優位性が増す。その形勢逆転の体勢に、家城はふっとほくそ笑んだ。
「先週、日曜日。本屋の前の店から出てきていましたね。ずいぶんと、彼と親しげで」
「!」
 その表情に、啓輔もその時が思い浮かんだのだろう。
 まん丸に見開いた目が、家城を凝視している。
「なぜ、黙っていたか聞きたいですけど?」
 あれだけ考え込んだのが嘘のように、すらすらと言葉が出た。
「あ、あれな……ははっ」
 笑うその目が虚ろだ。必死になって言い訳を探そうとしているのが、家城にはよく判った。
「啓輔、どうしたんです?」
 だが、その追求の手を緩めるつもりはなかった。
 体の下から逃げようとする啓輔を、捕まえて引きずり戻す。下肢に体重をかければ、もう逃げられない。
 先ほどまで元気だった啓輔のモノが、気のせいか柔らかくなっているのにも気がついた。
「黙っていようかと──思いましたけどね。まあ、でも、やはり相手が相手ですし。何も言わないのでしたら、無理に聞き出してもいいかなと思いまして」
 いろいろと悩んだことは、この際押し隠すことにしよう。
 家城は自分が驚くほど冷静だということに、内心で苦笑していた。
 啓輔が自分の物だと思えばこそ、冷静に対処できる。
「あ、あのさあ……」
 視線を逸らしていた啓輔が、躊躇いがちに視線を合わせてきた。
「その……タイシとは偶然会って」
 ぽつりぽつりとつっかえながら話し始める。
 その内容は、あまりにも予想外なことで。
 がくりと家城の体から力が抜けて、そのまま啓輔の隣に転がる。額に手を当てて天井を仰ぎ見れば、知らずに深いため息が零れた。
 啓輔の話を要約すると。
 一ヶ月ほど前、たまたま街中でタイシと再会してしまった啓輔は、そこで無理矢理頼み込まれたらしい。
 パソコン──特に表計算ソフトの使い方を教えて欲しい、と。
 文系大学生のタイシは、ワープロソフトはともかく表計算ソフトの方はからきしで、たまたま再会した啓輔にこれ幸いと頼み込んだらしい。
 期限は、先週まで。
 槻山が海外から帰ってくる月曜までに、そこそこの完成度を見せなければいけなかったらしい。
 そうしないと、置いて行かれると。
 槻山が東京に仕事の関係で戻ることが決まって、仕事が手伝えるようになれたら連れて行ってやると言われたと。
「つまり、三週間ばかりパソコンの家庭教師をしていた、と……」
「まあ、そうなんだけど……」
 土日だけでなく、その前の週から、早く帰れた平日も時間を作って家庭教師をしていたらしい。
 さすがにそこまでは気がつかなかった。
 平日、残業の時間も会ってはいたけれど、帰った後のことまでは判らない。
 メールをしても、ごく普通に返信が帰ってきていたし。
「よくもまあ、それを了承しましたね」
 あんな危ない目に会って、嫌っていたはずなのに。
「なんか、必死だったんだよ。タイシ自身、あいつのこと嫌いだって、ただの金づるだって言ってたけど……。なんかそれだけじゃない、違うって判ったし。それにさ、何もしないって言うし……」
「それだけ?」
 とてもそれだけではないだろう。
 探る家城の視線に、啓輔が諦めたように吐息を零す。
「純哉とつきあってんの会社にバラすって……」
「……なるほど」
 とたんに沸き起こるのは、激しい怒りだ。
 そう言われては啓輔は逆らえない。同性愛者の二人にとって、バラされることは何よりも避けたいことだから。
「まあ……金もくれるって。アルバイトだと思って引き受けた。確かに何もしてこなかった。あいつ、ほんと必死だったよ。最後の日曜に……純哉が見たときは、応用編が載った参考書を買いに出たんだよ。もう基礎はOKだったから、今まで使っていた本じゃ役に立たなくなったし。だから、その」
「その間にすっかり仲良くなったわけですね」
 脳裏に友人同士としか思えない二人が浮かんだ。
「まあ……。もともと知り合ったときも、あんな感じでうまがあったからだし……」
 ごく普通に生活していれば、あんな風な友人関係だったのかもしれない。
 一緒に遊びに行って、食事して、笑いあう。
 どこか荒んだ二人はきっかけは普通でなかったかもしれないが、それでも引き合うことがあったから一緒にいたのだろう。ただ、一つのきっかけで、啓輔はその生活を止め、タイシはそのまま一人で突っ走った。
 きっかけは……何がどう左右するか、人によって違う。
 容易にそんな二人が想像できて、家城は嘆息した。
「しかし、アルバイトって……いくら貰ったんです?」
「んと……20万……」
「にじゅっ……!」
 がばっと跳ね起きて、まじまじと啓輔を凝視する。
「俺も多すぎるって言ったけど……。くれるって言うから」
 肩を竦める啓輔に、家城は何度目かのため息を吐いた。
「もう……」
「いやあ、その、金欲しかったし……」
「お金が……何に使うつもりです?」
 確かに啓輔の給料はあまり多くないけれど。
 そう思いつつ問いかけた答えに、家城は瞠目した。
「その……車、欲しいし……」
「車……」
 そういえば、休憩時間でも車の話題は多かったし、鈴木との件も車がらみだった。
「やっぱ、欲しいんだよなあ、便利だし。そうしたら金いるし。で、とりあえず免許とるのに足しになるかなあって思って」
「そう……ですか……」
 そんなにも車を欲していたとは知らなかった家城にしてみれば、驚くことばかりだ。
「鈴木さんにも何かの時に相談したら、いろいろと親身になってくれて」
「それで……」
 やけに親しいと思っていたら、そういう経緯があったのかと改めて気づく。
「鈴木さんち、実家に家族多くて、いろんな車があったんだよ。それも乗せてくれてさ。なんか鈴木さんちって家族で車好きみたいで、いろんな話が聞けたんだ」
「なるほど……」
 気があったというだけのつきあいだとは思ってはいたけれど。
 なんだか妙に気が抜けた。
 だが、そんな事を気づかれるのは恥ずかしいだけだ、と、家城は小さく息を吐いて気分を切り替える。
「それで、彼らは?」
 鈴木の件と車の件は、またゆっくりと話をするにしても、気になるのはタイシ達の動向だ。
 これ以上啓輔につきまとうなら、家城も何からの対処をしなければならない。
 だが。
「水曜日には東京へ引っ越した……」
「え?」
 その台詞に、拍子抜けする。
 だが、すぐに啓輔が少し寂しそうなのにも気がついた。
「啓輔?」
「俺、タイシの事──絶対に、二度と会うものかと思っていたけど。教えることになったときも何でこんな面倒なこと、とか思ったし。でも、なんか……楽しかった……から」
 友人と別れをした寂しさに落ち込みを見せる啓輔という意外な姿に、息を飲む。
「なんでかなあ、昔は友達なんてどうせすぐに離れるし、結局は自分だけなんだから、とか思ってたから。だから、親しかった奴が離れていっても何とも思わなかったけどさ。なんか、今回ばかりは変だよなあ……俺って」
 笑っているけれど、今にも泣きそうな啓輔の様子に、家城も言葉を失っていた。
 人とのつながりが希薄だったころには何とも思わなかった別れ。だが、今は、人のつながりの大切さを誰よりもよく知っているから、だから、啓輔はタイシとの別れが辛いのだ。
 知ってる人間、ただそれだけでも。
 そんな啓輔に何も言えなくて、ただ黙って震えるまぶたに口づけを落とす。
 元気な啓輔が好きだ。それは溌剌とした明るさの啓輔であって、こんなふうに寂しそうに笑う啓輔など見たくない。
 慰めるために何度も口づけて、その先がゆっくりと下に向かう。
 啓輔も、縋るように家城の首に手を回してきた。
 二人の裸体が触れ合い、熱を伝えあう。
 手が自然に体の線を探るように動く。固い男の体に、家城の欲望ははっきりと高ぶる。
「っ……あっ──」
 甘い声が啓輔の喉から零れた。
 潤んだ瞳がゆっくりと開いて、家城に向けられる。
 不意に激しい欲情が家城の頭を支配した。


 熱い体がまるで自分の体のように一分の隙間なく己を包み込む。
 柔らかく熱く、そして微妙な動きを家城に伝え、妙なる快感を与えた。
「啓輔……」
 意識することなく舌に乗せた言葉は、淫猥な響きを持って啓輔を熱くさせる。甘い喘ぎ声を堪えることなく漏らし、何度も家城に縋り付いて啼いた。
 深く貫いて、体を揺すり上げれば、啓輔も自ら腰を動かした。
 二人の汗が混じり、したたる。
 その匂いは、啓輔が使う匂いより、はるかに官能を刺激した。
 その震える体をきつく抱きしめて、さらなる高みを求める。
「あんっっ──純哉あ、もっとっ──もっと……」
 啓輔のモノが腹に当たり、その存在を誇示する。
 ふれて欲しいと啓輔が涙混じりで見つめてくるけれど、家城は故意にそれを無視していた。
「あげますよ、いくらでも。だから、もっと感じなさい」
 体内のもっとも感じる場所を狙って突き上げる。
 そうすれば、簡単には達けないと啓輔が啼くから。もっと啼かせば、さらに啼いて乞うのだ。
『達きたい、と』
 その声が聞きたかった。
「あっ、やぁっ、お──願いっ……っもう」
 せっぱ詰まった声が耳をくすぐる。
 震える手が家城の体を引き寄せ、腰が深く結合した。
 限界が啓輔に訪れようとしている。
 そして、ざわめく内壁と啓輔の痴態に煽られて、家城自身も限界だ。
 ずっと溜め込んでいた澱みをこの時とばかりに吐き出すために、極限まで我慢する。
 それでも、そんな我慢など吹き飛ばすくらいに啓輔の声が家城を誘った。
「あっ、あっ──もうっ、駄目っ!」
 一際高い嬌声が部屋に響く。
 どくんと震える体が熱を吐き出し、二人の間に白濁した液溜まりができて流れた。
 快感に打ち震える啓輔の後孔が、そのせいで締まる。
「ん……啓輔っ……」
 絞られるような動きに、家城も一気に高みへと駆け上がり──どちらからともなく、キスを乞う。
 甘く熱い吐息が、お互いの口内で熱く絡んだ。


「離さない」
 淡いまどろみの中、腕の中の啓輔を抱きしめて囁きかける。
 いつの間にかさらに世界を広げようとしていた恋人は、油断すると本当にどこかにいってしまいそうだ。だけど、そんな彼を手放すつもりなど毛頭無い。
 疲れ果てる程に翻弄して今や眠りに引き込まれた若い恋人には、そんな言葉は聞こえないだろう──と思った矢先。
「俺も……離したくない」
 小さな小さな言葉が届いて、刹那家城は大きく目を見開く。
 窺うように啓輔の様子を探っても、彼は深い眠りについているようだったけれど。
 それはとても幻聴とは思えない。
 だからこそ。
「ええ……私を離さないでください」
 さらなる世界を広げるというのなら、いつでも家城を連れて行って欲しい。
 それは他の何よりも、破られたくない願いだった。

【了】