薊の刺と鬼の涙 3

薊の刺と鬼の涙 3


 男が手にし小瓶から、一粒の錠剤を取り出した。
 見たところ何の変哲もない錠剤だったが、この場で取り出すのだからただの薬ということはないだろう。
 いろいろとおもちゃで遊ぼうとする穂波ではあったが、その手の物は今まで使われたことはなかった。だが、そういうものがあるという事くらいは敬吾は知っていた。それは啓輔も同じなのか、槻山の動きから目が離れない。
 その槻山がそして机上にあったペットボトルを手にとって二人へと向き直った。

「……ああ、心配入らないよ。どこでも手に入る合法ドラッグだから」
 二人の視線に気が付いて、何でもないように言う槻山が、啓輔へと近づく。
「合法だろうか、非合法だろうが、そんなものいらねーよっ!!」
「だって、このままだと君たちが楽しんでくれそうにないしね」
 心底イヤそうに顔を背けるその仕草すら、槻山を煽るのか先ほどよりもその目が欲情に満ちているような気がした。
 ヤバイ……。
 ぞくりと今度ははっきりと悪寒が背筋を走る。
 金を使って男を捕まえてこい、と他人に命令する時点でこの男の非常識さには気付いていたが、それでも物腰の柔らかさに惑わされていたらしい。
 だが、はっきり言ってこの男はヤバイ。
「止めろっ!!」
「隅埜君から離れろっ!」
 今まで以上に暴れる啓輔に同調して、敬吾も必死で体を捩る。その振動で少しだけ啓輔に近寄れるが、それでもその縮まった距離は微々たる物だった。
「まあ、待っていたまえ。すぐに君にもあげるから」
 振り向く顔に浮かぶのは柔和そのものの笑みなのに、威圧感だけはそれ以上で敬吾の言葉が詰まる。
「大丈夫だって。ちょっと気持ちよくなるだけだから」
「い、イヤだっ!やめっ……」
「隅埜くんっ」
 槻山の指が制止しようとする啓輔の歯列の間に差し込まれた。いきなり奥深くを突かれて、吐き気を覚えた啓輔にもう一方の手が薬を摘んで押し入る。
「んげっ、ふあっ」
「はき出せっ!」
 啓輔が慌てて舌で押し出そうとする様子が敬吾からも見て取れた。だが、指で奥深くまで押し込まれ、しかも別の指が舌の動きを邪魔しているのか、それは一向にうまくいなくて。
「大人しく飲みなさい」
 その口にペットボトルが差し込まれ、鼻を摘まれて、勢いよく中の液体が啓輔の口へと注ぎ込まれる。
「んぐっ…がっ」
「駄目だ、飲んじゃっ!!」
 悲鳴も似た声が敬吾から吐き出された。
 堪えられなくてごくりと動く喉から目が離せない。
 しばらくして啓輔からペットボトルが外された。途端に激しく咳き込む啓輔の口からは、もう錠剤は出てこない。
「隅埜君……」
 呆然と呼びかければ、涙目の啓輔が自嘲めいた笑みを浮かべて顔を上げた。
「……飲んじまった…げほっ」
 その直後にまた咳き込む。
 一体それがどんな効果をもたらすのか……。どのくらいすれば効き目はでてくるのか?
 たがこの男が使うものだ。まともなものであるわけがない。
「じゃ、次は君ね。飲ませてあげようか?それとも自分で飲む?」
 そんな問いかけに答えることはできない。
 究極の二択とはこういうことを言うのかと、敬吾は目の前に差し出された錠剤を睨んでいた。
「う?ん……じゃあ、飲ませてあげようか」
 仕方ないというニュアンスではあったが、槻山の表情は喜色満面というのが一番相応しい。
 ペットボルトの中身は水だったらしく、残っていた僅かの中身に水道の水を足していた。
「あ、水はちゃんとアルカリイオン整水器通しているからね。美味しいよ」
 などといううんちくは敬吾の耳には入っていなくて、今や十分凶器といえるその水を睨み付け、薬を入れられないようにきっと歯を食いしばって唇を引き結んでいた。
「う?ん、君は難しそうだね」
 困ったように手の中で薬を弄ぶ。その後に悲痛な顔をして敬吾を見ている啓輔がいた。
「でもま、口を開く方法なんていくらでもあるけど」
 くすりと笑う槻山は余裕しゃくしゃくのようで、ことりと応接セットのテーブルにペットボトルを置いた。だが、薬はまだその手の中だ。
「素直に飲んだ方が身のためだよ」
 言われても素直に飲んだらどうなるか、の方が恐ろしくて、敬吾は口を噤んだまま首を振っていた。それすらも槻山は笑う。
「たいしたものだ」
 きっとそんな態度すら、槻山を煽るのだとは思うのだが、かと言って素直になれるものではなかった。
 その槻山の手が、シャツのボタンを外すのをじっと見つめることしかできない。後ろ手に縛られた手は、無理に動いていたせいでひりひりとした痛みが走っていた。
「ふ?ん、君の方が彼より凄いね。なるほど……」
 はだけられた胸に触られ、朱色の印を指がなぞる。ぞわりとした悪寒に肌が総毛立っていた。
 ゆっくりと辿るように動くその指を制止したいが肝心の言葉は発することができない。せいぜい歯を食いしばったまま、唸ることしかできなくて、結局槻山のなすがままになってしまう。
「ほら、ここにも……。いいねえ、相手がいるって事は、いつだってこうやって楽しむことができるんだ……」
「だったら、金で何か無理矢理買わなくったって、さっさと見つければいいんだっ!」
 羨ましがられても自分たちにはいい迷惑で、啓輔が苛立ち紛れに毒づいていた。それは、敬吾とて同様だ。ただ、口を開くわけにはいかなくて、視線で槻山を責める。
「……う?ん、今までなかなか良い子がいなかったんだよ。都会ならいざ知らず、こんな田舎ではねえ。それに、金目当ての子は、イヤだし。どう、君たち私に鞍替えしないかい?」
「けっ、冗談っ」
 それに敬吾もこくこくと頷く。
 啓輔が、女は駄目だという話は敬吾は初めて聞いたが、彼が家城以外にはっきりと欲情するのは確かに敬吾だけなのだ、という妙な自覚はあった。後は、普通の男が女に抱くような、好みの男に対する欲情はあるようだが、だが驚くべき事に、そういう時彼は明らかにタチとして、抱きたいと思っていのが判ってしまう。それは敬吾に対してもそうであって、最初家城と付き合っている事に違和感すら覚えた。そんな啓輔だから、彼にとって抱かれたい相手は家城ただ一人なのだと敬吾は思っていて、だったら、槻山の提案に啓輔が乗るわけもない。
 それは敬吾とてそうで、男に抱かれたいと思うのは後にも先にも穂波ただ一人だ。
「それは残念」
 ちっとも残念そうにない声が肌の上で響く。手が幾度も穂波がつけた痕を辿っていた。よくよく見ればそれらは全て敬吾の感じる場所にある。
 ……ゆきと…さん……あんたのせいだよ、どうしてくれるっ。
 イヤでもじわじわと湧き起こる快感に気が付いて、意識をそらせようと目立つ印をつけてくれた男を毒づく。それでも、自ら巧いと言った言葉に嘘はなく、絶妙な強弱でもたらされる刺激に食いしばった歯の間から喘ぐような吐息が漏れ始めていた。
「君も結構敏感だ。まあ、昨夜したばかりのようだから、体が快感を覚えているんだろうけどね」
 何もかも見透かされている事が、敬吾の羞恥を煽る。それに加えてなすがままというプライドを突き崩す行為に怒りを覚えて、今や敬吾の肌は淡いピンクに染まっていた。それがどんなに扇情的なことか、当の本人は意識をそらせることに必死で気付かない。
 だが、それは確実に槻山を煽って、その手が性急に敬吾の雄をズボンの上からまさぐり始めた。
「くうっ」
 びくりと予期せぬ震えが敬吾の体に走る。
 相手が穂波でないから、いつもよりは感じ方が遅いのだが、それでもそこに触られれば意識が快感へと向いてしまっていた。
 イヤだ、と何度も心で叫ぶ。
 なのに、体は確実に高ぶっていて股間はジーンズの硬い生地に苦しさすら感じていた。それが敬吾が感じていることを自身に強く知らしめて、自身の我慢のなさに衝撃を受けてしまう。
 こうも簡単に煽られるというのか?
 男の性欲がひどく恨めしく、そして嫌気がさしてくる。
 時折強く握られ、そして柔らかく撫で上げられる。それが直でないことに感謝するほどに、その動きは巧みで、敬吾を追い上げていた。
「んくっ……」
 必死で噛みしめていた歯が、何かの拍子に緩みそうになって、敬吾は必死で意識を集中した。
 薬なんて飲みたくなかった。
「……強情だね……。でもこの分だと飲まなくても楽しめそうだ。こんなに張りつめて──苦しそうだから、一回出してあげようか?」
 窺うように乞われて、慌てて首を大きく振った。
 この男の手でイカされるなんてまっぴらごめんだった。
 だが。
「遠慮しないで」
 嬉々として槻山の手がジーンズの前を開けていく。そこはすっかり突っ張っていて、ファスナーが全開すると、苦しそうにおさめれていた中の物が勢いよく飛び出してきた。
「んっ」
 それだけで、痺れるような快感が敬吾を襲う。
「ん、いい色してるね。好みだよ」
 揶揄としか思えない言葉にかっと血が上る。だが。
「んうっ!」
 叫びそうになるのを必死で堪えた。
 ぞくぞくとじっとしていることが苦痛になるような、そんな疼きが背筋から脳へとはい上がっていく。
 敬吾の雄は、今や槻山の口内に含まれていた。
 その生暖かい感触に、煽られ続けていた股間が早々に悲鳴を上げそうになる。しかも、舌が巧みに絡みつき、這い上がるように括れまでを刺激する。それは確かに巧いと豪語するだけのものであって、敬吾は必死で別のことで意識を反らせようとした。だが、それも敵わない。
 外したはずの意識が、すぐさま快感へと引き戻され、敬吾はただ喘ぐような呼吸を繰り返してその瞬間を必死で先延ばししていた。
 それほどまでに槻山の舌技は巧みで、翻弄される。
 しかも手が敬吾の腰から背へと回され、抱きしめるように力を込められる。そのせいで、敬吾のものは喉の奥まで銜えられていた。さすがに穂波でもそこまではしなかったその喉の奥の感触に、射精感は限界まできている。その上、手の平がさわさわと背筋を這い上がるのだ。
「んっ……くうっ……」
 無理矢理我慢させられることは多々あったが、自身でここまで我慢する事はあまり無い。
 一度高ぶった体を快感から逃すことはもう敬吾には不可能だった。
 イキたいと何度も体が欲して、それに心が追従しそうになる。
 だが、その度に穂波の顔が脳裏に浮かんだ。
 いつでも愛してくれると言った穂波を裏切りたくなかった。
 だから、必死で堪える。
 だが、そんな敬吾の必死の努力をあざ笑うように笑みを浮かべた槻山がその手を背から下へと動かした。尾てい骨のくぼみから割れ目に沿って指がねじ込まれていく。
「んあっ」
「緑山さんっ!」
 敬吾の体がびくりと跳ねた。指が後孔を押し上げたのだ。
 その明らかに今までと違う動きに、啓輔が決して漏らすまいとしていた名を呼んでしまう。
「ふ?ん、ミドリヤマ……ね。で、名前は」
 その瞬間だけ口が離れる。
「あっ……」
「ふふ、誘っているね」
「ち、ちがっ……ひぃっ」
 温もりが離れた瞬間、敬吾は堪らずに腰を動かしてしまったのだ。覚えず浮いた腰に槻山が揶揄する。それを否定しようとした瞬間、後孔に何かを差し込まれた。
 仰け反る体がソファに強く押しつけられる。
「緑山さんっ!!てめー、何をっ!!」
 啓輔の罵倒など意にも介さず、槻山の指が奥へと侵入する。濡れてもいないそれは、まだ指一本と言うこともあって痛みはない。だが、敬吾は入ってきたのが指だけでないと気付いていた。
「まさ……か……」
 声が震えて、瞳に怯えが走る。
「だって、素直に飲んでくれないからね」
 途端に、違和感の正体に気が付いた。
「やっ!抜いてくれっ!!」
 まだ体内に入っている指を排泄しようと力を込める。だが、しっかりと差し込まれたそれは、敬吾の意志では抜けてくれるものではなかった。
「駄目だよ。そうだね?、30分くらいはこのままでいたい……ところだけど……」
「うくっ……あっん……」
 指先が体内の敏感な部分をなぞる。それはもどかしいような疼きを敬吾に与えた。
「いい顔で鳴くね……。楽しみだよ……」
「やあっ!抜けよっ!!」
「う?ん、確かに30分入れっぱなしなんて無理だし……どうしようかなあ?」
 必死の抵抗を見せる敬吾を押さえつけ、どうしようかと思案する槻山はまるで子供が悪戯を考えているように楽しげで。
「ああ、そうだ。これがいい」
 腰を槻山の片手で抱かれたままだったが、それでもずるっと抜けた指にほっとしたのも束の間、薬を排泄する間もなく槻山の手が再び後孔へと伸ばされた。
 しかも今度は指とは明らかに違う何か硬質なものがそこに当たる。
「な、何っ!」
 慌てて逃れようと身を捩るが、それも敵わずそれが後孔へと差し込まれた。
「んあっ……何を……」
 指より少し太いのか、今度は引きつるような痛みが伴っていた。
「バイブだけど?」
 くすりと笑うその手にはコントローラーがあってコードが垂れ下がっていた。その行き先は敬吾の背後。
「なっ!」
 いつの間にそんなものを用意したのかと目を見張れば、槻山は面白そうにスーツのポケットから複数の小さめのバイブを取り出した。
「後でいろいろと試してあげるから。大きいのがよければ、向こうの部屋にはいろいろあるよ」
「じょ、冗談……」
 震える声に槻山が嬉しそうに微笑む。それは明らかに敬吾の動揺を楽しんでいるもので。
「変態……」
「光栄だね」
 その手が体を押さえるように肩に置かれる。
 その体重に完全に椅子に沈み込んだ敬吾の尻とソファには隙間がなくいくら下腹部に力をこめても、それは出て行こうとしなかった。
「ちくしょー……」
 押し込まれた薬が溶けてしまったら……。
 そう考えると何とかしようと焦りばかりは生まれるのだが、しっかりと押さえられた体はとにかく言うことをきかなかった。
「……緑山さん……」
 呼ぶ声がして異物感に顰めた顔を向けると、啓輔が酷く辛そうに顔を顰めていた。


「大丈夫?」
 言っても詮ないことだと思っていたが、それでも問いかけた。
「まだ……俺はだいじょーぶだけどさ……」
 啓輔の目が槻山の手に握られたコントローラーに向けられていることに気付く。
 あれを動かされたら……。
「何?動かして欲しい?」
 槻山が手の平でそれを転がして、敬吾は慌てて大きく首を振った。
 バイブを使うことは初めてでない。穂波の性癖は男相手とはいえ、ノーマルな方だと公言して憚らないのだが、何故かその手のものが部屋には幾つもある。それを敬吾に使ったことも一度や二度ではなかった。だからこそ、使われることに恐怖を覚えた。それは、自分がどんな痴態を表してしまうか、知っているからだ。
 その機械的な微妙な振動が、何故か体を狂わせる。
 その様子を、穂波以外の誰にも見られたくなかった。
「ふ?ん……。嫌い?」
「……好きじゃない……」
 嫌いといえば悦んでされそうで、だからといって好きだと言えるものではない。言い淀んで出た言葉は結局そんなものしか返せなかった。
 道具で強引に快感を呼び起こさせられるのは好きじゃない。拭いきれない異物感は、温もりを持たないせいだろうか?
 どんなに快感に晒されようとも、どうしても好きになれない行為を思い出して、身震いする。
 なのに……。
「面白いんだけどなあ。これなんか、こっちは前後に揺れて、このスイッチで円運動して」
 楽しそうな解説を聞く気にもなれなくて、どうにかして逃げ出す方法がないかと辺りを見渡した。だが、前をはだけられた状態でソファに縛り付けられて──どう足掻いたって逃げられるものではない。どんなシミュレーションを考えても、結局は逃げられないという結論に到ってしまう。
 せめて、電話することができれば……。
 持っていた手荷物は買い物袋とともに、入り口近くの床に転がっていた。
 あの中にある携帯だったらワンボタンで穂波の携帯へと繋がる。だが、それは今の敬吾達にとって遙か彼方と言っていいほど遠い存在だった。
 どうしよう……。
 俯いて下唇を噛みしめる。
 このままでは最悪の事態に二人とも陥ってしまう。
 あの飲まされた薬がどんなことを敬吾達に及ぼす……のか……っ!
「ひっ!」
 突然の細かな振動にびくんと体が仰け反った。
「あっ……やめっ!!…止めろっ!」
 ぞわぞわと湧き起こる疼きをもたらすのは、いきなり動き出した後孔の物。
「せっかく私が説明しているのに、上の空なんて失礼だろ?」
 槻山の手の平にあるコントローラーが、指先で器用に動かされる。
「ひやあっ!」
 さっきよりさらに激しくなった振動が、体内の奥深く直接震わせる。
 しばらく放置されていたせいでその形に馴染んでいた内壁がいきなり揺り動かされ、その振動が直接前立腺に伝わって、敬吾に激しい快感をもたらしていた。それはやはり覚えがある快感で、敬吾はいやいやするように首を振り続けた。
「止めっ──いやあっ!」
 じたばたと動かない体を捩ってそれから逃れようとする。だが、縛られて身動きもままならないうえに、体内で暴れるそれは排泄することができなかった。出そうと力を込めれば、より激しくその振動を感じてしまうのだ。
「緑山さんっ!!てめっ、それを止めろっ!!」
 啓輔の必死の怒声も聞こえているというのに。彼の前で痴態を晒しているというのに止められない。
「あっ──ああっ……」
 こんな声を出したくないっ!
 そんな思考は押し寄せる快感の波に一瞬にして霧散する。
 穂波によってさんざん鳴らされた体は、貪欲に快感を拾い上げ、敬吾を快感の虜にする。
 が。
「あっ……」
 突然、振動が止まって、緊張に強張っていた体は一気に弛緩した。
 だが快感に打ち震えていた体はすぐにはその余韻を消すことはできない。しかも与えられた快感をさらに欲して、肉壁がバイブに絡みつこうとする。それは敬吾の意志に逆らうものであったが、止めることなどできなかった。
「はあ……はあ……」
 叫び続けた嬌声に呼吸すらうまくできていなくて、敬吾は息苦しさに喘ぐ。
「気持ちいいだろ?後でもっとあげるからね。だけど、今は駄目」
 にっこりと笑いながら槻山が敬吾の頬に流れていた涙を舐め上げた。
「ん……」
 それだけで身震いするほどに体が疼く。
 ほんの僅かの間に体が自分の物でなくなったような気がした。
「気持ちよかったんだねえ……。好きじゃないっていってたけど、とっても嬉しそうだったよ。……もしかして君って天の邪鬼なのかな?」
 槻山の視線が、敬吾の股間で切なく揺れる雄に向けられていた。
「こんなに……うれし涙を出して……」
「さ……わるな……んくっ」
「うん。君はやっぱり天の邪鬼だ。ほら、私に触られてこんなに悦んでるよ」
 先端をぎゅっと絞られて、先走りの液が割れ目から溢れだした。
 それを指先でなすりつけられる。
 それだけなのに。
 なのに、体は悦んでいて、もっとして欲しいと願って。
「可愛いね、君は」
「んあっ」
 槻山の先端への口づけに、全身が震えた。
 さっきから触られるところすべてが熱くてとろけそうな感じがしていた。するっと肌の上をなぞられて、電流のような快感が脳髄まで伝わる。それはどこを触られても一緒。どこもかしこも疼いて堪らない。
「やあっ……」
 体が全部むき出しの神経になってしまったように、何もかもが快感に変化する。
 体が熱くて、さつきから胸が早鐘のように鳴り響いていた。槻山の手の動きが気になっているのに、触れられた途端に固く目を瞑った。
 触って欲しくて、身を投げ出したいのに、縛られて思うように動けない。
「ふふ。薬が効いてきたね。直腸は吸収が早い上にバイブでかき回されたからかな?それとも、もともと君はこんなにも淫乱だったのかな?──ま、今となってはどうでもいいけどね」
 敬吾を見下ろす槻山の姿が、ぼんやりとしか見えない。
 逃げなければ、と思う心はまだあるのに、それより先に快感を与えて欲しいと願う心もある。
「気に入ったよ。こんな快感に従順な君なら攻めがいがあろうというものだ」
 敏感だと、穂波にいつも言われていて、だか、そんなはずはないといつも笑って返していたけれど。
 今のこの状態では素直に頷けてしまう。
 何より、そんなことはもうどうでもいい、と思う。
 今は体の芯から疼くこれを何とかして欲しかった。
 だが。
 脳裏に穂波の姿が浮かぶ。
 その穂波は、目をつり上げて敬吾に対して怒鳴っていた。
『しっかりしろっ!!それでも緑山敬吾かっ!!』
 そんな言葉も聞こえて、その瞬間は敬吾も駄目だっと今の事態の最悪さを思い出す。
 だが。
「ほら、もっと可愛い声を出してごらん」
「んああぁっ」
 再び動き出したバイブに、一気に快感の渦に引き込まれる。
 薬は敬吾の体をさらに敏感にし、そして快感に敏感な体は、簡単に敬吾から反抗心を奪い去っていた。
 「緑山さんっ!!しっかりしろっ!!こらあっ、槻山っ!止めろって言ってんのがわかんねーのかっ!」
 啓輔は明らかに反応の変わった敬吾に焦っていた。
 槻山に浴びせる罵声にすら、敬吾の反応はない。
「……煩いねえ、そんなにきゃんきゃん騒がなくても君にも後でたっぷりしてあげるから。そのうち、君も薬が効きだすからね。楽しみに待っていてよ」
「てめっ……一体どんな薬なんだ、それはっ!」
 どんなに啓輔が怒鳴っても槻山は動じない。
 それどころかさらに楽しそうになるのだ。
「とっても体を敏感にしていい気持ちになれる薬だよ。これを使うととにかく気持ちいいことをして欲しくて堪らなくなるんだ。どっちかというと変に道徳心とか理性が強い相手に使う薬なんだけど、彼にはきつすぎたかな?」
「きつすぎるって……」
「達くだけで意識を朦朧とさせている……」
「そんな薬を俺達にっ!!」
 そんな会話も敬吾の耳には入っていた。
 今の状態も薬がもたらしたものだとは判ったけれど、それでどうしろというものではなかった。ただ今は、どうしようもなく快感だけを欲する体をどうにかして欲しい。
 どんなに啓輔が敬吾のために怒っているのだと言うことも判ってはいるのだが。
「んああっ……止め……て……いやあ……」
 言葉とは裏腹に体は貪欲に快感を貪っていて。
「くふぅっ!」
 ぶるりっと大きく体が震えた途端、敬吾はむき出しの下腹に白い液を散らせていた。



 啓輔の目の前で、敬吾がぐったりと弛緩していった。
 劣情に翻弄され血が巡った肌はほんのり薄桃色へと変化していて、吐き出された白色がはっきりと下腹を彩っている。そこから目が離せない。
 何よりも、それまでのあられもない敬吾の痴態に、見ては駄目だと思いつつ目を離せなかった。
 それが堪らなく悔しい。
 助けたいと、それは家城の次くらいに大事な敬吾だから思っているというのに。
 助けるどころかその姿に欲情して、啓輔の雄は立派に屹立していた。
 それが情けなくて──悔しくて堪らない。
 ぎりっと音が出そうなほどにきつく奥の歯を噛みしめて、敬吾をそんな目に遭わせた原因を睨み付ける。
 だが槻山は啓輔に背を向けているせいか、全く頓着無しに敬吾を束縛していた紐を解き始めた。
「んんっ……」
 敬吾の肌の上をそれらの紐が滑るだけで、妙なる声で呻く敬吾はソファから解放されてもぐったりと沈み込んで荒い息を吐くだけだった。
「緑山さんっ、しっかりしてっ!!」
「うん……」
 啓輔の悲鳴にも似た声になんとか反応するのだが、向けられた瞳はどこか虚ろだった。そこには、いつもの力強さはなかったが、あろうことか啓輔は痺れるような快感をその下肢に味わって息を飲んでしまった。
 晒された快感のせいか目尻が朱に染まっていて、それがひどく扇情的なのだ。
 いや、もう妖艶といっても良いほどだろう。
 敬吾が達っても、触れることすら許されない元気な啓輔の雄がさらにびくりと振るえるほどに、下半身が欲情する。
 それはもう、あまりの情けなさに涙が出てきそうな程で、どんなに落ち着こうとしても収まるものではなかった。
「おや……君もテンパっているね?」
 とにかく視線だけでも逸らそうと俯いていたところに声がして、慌てて顔を上げれば槻山が啓輔をにやにやしながら見下ろしている。その視線の先は、紛う事なき啓輔のいきり立った雄だ。
「だけどもう少し待っていなさい。わたしは彼と遊んでくるから」
 それだけいって作業を再開した槻山に啓輔は唖然として見詰めた。
 まさか……。
 言葉の意味を否定したくて堪らないのだが、それは決して否定し切れるものではなく。
「てめーっ!緑山さんから手を離せっ!!」
 槻山がまず敬吾を抱こうとしているのだと気付いた啓輔は、今の状況を忘れて暴れだした。だが、すぐに縛られているという現実を思い出して、今度は音を立てて血の気が引いた。
 手が出せない啓輔にとって、敬吾を助ける手立てはない。
 愕然として目だけを見開いた啓輔の前で、槻山が虚ろな敬吾を抱きかかえた。
 どう見ても何かスポーツをしてきたがっしりとした体格の槻山に抱きかかえられた敬吾の体が軽々と運ばれる。
「緑山さんっ!!」
 口しか自由にならない啓輔がどんなに叫んでも敬吾の耳には届かない。いや、届いていたとしても、薬に朦朧としている敬吾にはどんな声も反応しようがないのだろう。
 微かに身動いだような気がしたが、そのまま槻山はドアの向こうへと消えていった。
 しかもそのドアがぱたりと音を立ててしめられて、啓輔は一人そこに残される。
 できることと言えば、ドアを睨み付け続けることだけだ。


 ドアを閉じる寸前、槻山が啓輔を振りかえり挑発するように笑いかけてきた。
 その嫌みな顔が頭から離れない。そして、その腕の中で丸くなっていた敬吾の姿も。
 今頃彼がどんな目に遭っているかを考えると、とても落ち着いてはいられない。今すぐにでも駆けだしてドアの向こうに行きたいのに、縛られた手足は決して緩むことはなくて、その肌に傷を付けるだけだった。
「……緑山さん……」
 何もできない自分が悔しくて、こんな事に巻き込んでしまった自分の罪が重くて、啓輔はきつく唇を噛みしめる。
 本を正せば、親との不仲から荒れていた啓輔が最初に敬吾を脅したところから始まっているのだ。
 あの時、目をつけなければ、こんなことにはならなかったのに。
 何度も何度も頭の中にその言葉が浮かんで、啓輔を責め立てる。
 あの人を、二度も傷つけてしまう……。
 啓輔をからかいながらも、それでも敬吾はいつも啓輔に気をつかっていてくれた。あんな目に遭わせた相手を、気遣うだけの器を持っている敬吾に、啓輔は何度も惚れ直していたのだ。それは、家城に対する思いとは全く違う何か。──それはきっと尊敬に近い。
 だからこそ、啓輔は敬吾に煽られまくって彼を抱く妄想までしても、実行には移せなかった。
 尊敬する相手を傷つけることはできないからだ。
 そして。
 そんな啓輔を、敬吾は今日のように遊びに誘ってくれる。
 どんなに嬉しかったことか。
 嬉しくて、幸せで、楽しかった一日。
 なのに……。


『んあ……あ……』
 ドアの向こうから、聞きたくもなかった敬吾の喘ぎ声が聞こえてくる。
 最初は微かな──空耳のようにしか聞こえなかったそれが、どんどん大きくなっていく。
「やめろ……」
 聞きたくなくて、耳を塞ぎたいのに。
 叶わない願いに身を焦がしているのに、なのに、体はどんどん熱くなる。
『あんっ……そこ……イ……」
 明らかに求めてる声にびくりと体が震えた。
 夢の中では何度も妄想して、求めさせた声。
 だがそれは夢だからこその願いであって、現実に聞きたいわけでなかった。だが、体は夢の時と同じように反応して熱く高ぶっていく。
 ドクドクと激しくなる鼓動は、頭の中を朦朧とさせるほどで、額に浮き出た汗がぽたりとむき出しになった太股に落ちた。
 そこに目をやると、完全に勃ち上がってゆらり揺れる己の雄までもが目に入った。
 その先端がぬめぬめと明かりに照らされて光っていて、それが悔しくて涙がにじむ。
『ふああっ!』
 ひときわ大きな声に、どくんっと体の中が爆発しそうになった。
 意志とは裏腹に感じる体は、槻山の飲ました薬が効きだしたのだ。
 そのせいでどんどん体が高まっているのだと、今更ながらに啓輔は気が付いた。が、だからといってどうしようもなく、敬吾の声に煽られて、それこそにっちもさっちもいかなくなってくる。
 欲しい、と明らかな欲望が体の中に渦巻いて、啓輔は苦しさに身悶えた。
 一度達ってしまえば、楽になるのに。
 だが、触れることもできない今の状況ではそれは無理と言うもので、啓輔は焦れったさに何度も身を捩った。それに加えて、耳から伝わる敬吾の艶やかな声は、啓輔をさらに限界に近づける。
 なのに。
 後少しなのに。
 頬を流れる涙は悔し涙だというのに。──ぎりりと噛みしめられた奥歯は快感を逃そうとしている。
 こんなことはイヤなのに、イヤだと思うことを止めたいと切に願う。
 もうどっちが自分の考えなのか判らなくなって、啓輔は何度も頭を振った。
 だが、ぱさりと肩に触れる髪の毛も、ぽたぽた落ちる汗も、何もかもが敏感な肌を刺激して、啓輔は堪らず甘い吐息を吐いてしまう。
 それを後から気が付いて、啓輔はいたたまれなくなってさらに歯を噛みしめた。
 ぎりりと骨を伝わって頭に直接響く。
 誰か来て……。
 せつない体を持て余し、啓輔はとうとう誰かが来てくれることを願った。
 脳裏に浮かぶのは、家城の冷たい顔。そして、敬吾の笑顔。
 だが。
『あっ……ああっ!』
 艶やかな嬌声に、それらが全て引き裂かれる。
 びくんと啓輔の雄が声に煽られて揺れ、先端から先走りの液が流れ落ちる。その刺激すら今の啓輔には堪えられない快感で、ぞわりと全身を震わせる。
 身も心も揺さぶられるような快感に捕らわれて、だけど何もかも、大事にしていた部分を引き裂くように、今という現実が啓輔を襲って。
 なのに、それでも快感に身を狂わせて、欲しいと願う。それをはっきりと自覚してしまうから──自分がそれに興奮しているという事実が、何よりも啓輔を陥れて。
 心がむちゃくちゃに掻き混ぜられて。 
 いらないけれど欲しくて。
 欲しいけれどいらなくて、

 だけど……抱いて……欲しくて……。
 狂わせて……欲しい────だけど、ここは……イヤだ……。

 だって……。
 だって……ここは────っ!


『んああっ……いやあっっ……!』
 今までとはうって変わって悲鳴のような声が響いた。
「!!」
 朦朧と仕掛けた意識が一瞬現実へと戻った時。
「ちくしょっおおお!!やめろおおおおっ!!」
 啓輔は、声も枯れよとばかりに、叫んでいた。

続く