?– Update :2008-08-16 — 紀通と中井の日常編
「なぁ、食事行かね?」
運転席からの不意の問いかけに、うつらうつらしていた紀通はぴくりと頭を上げて、ぼんやりと中井を見つめた。
「何で?」
働かない頭より先に、問いが口を吐いて出る。
「ん?」
視線の先で小さな苦笑を浮かべている中井の横顔を、街の灯りが照らしている。
その眩しいほどのネオンとライトに気がついて、紀通はきょとんと首を傾げて辺りを見渡した。
いつもの道と違う。
「中井……どこへ?」
「おいしいラーメン屋があるって聞いたからさ」
そういえば食事がどうのこうの、と……。けれど。
「良いのか? 寄り道して」
それぞれ、まっすぐ帰るように言われてる筈なのだ。
あの、何かにつけ心配性な二人に。
「またあの二人しばらく帰ってこないっていうからさ」
「ふ?ん」
遅いのか。
紀通がぼんやりと街の灯りに目をやる。
先日正式に解散宣言をした弥栄組ではあったが、まだまだ諍いの種は尽きない。警察も先日の騒ぎが再燃するのではないかと、警戒の色を強めている。
そんな中でも園田はできるだけあの部屋に帰ってきてくれる。
紀通とともに暮らすあの部屋に。
それがどんなに大変なことか判っているから、不満を口に出すなんてできない。
たった数日帰ってこられないくらいで、文句を言うなんてできない。
たかだか一週間もご無沙汰だからって、疲れ切った園田に抱きつくなんてできない。
「ラーメン屋……」
「え?」
「美味しいのか?」
問いかけに、中井がこくこくと頷いた。
「井口さんお勧めで。んで、今日行くからどうかって」
「井口さんが? 時間大丈夫なのか?」
ちらりと腕に付けた時計をみやれば、もう結構遅い。
今日は担当する装置にトラブルが発生して、修理や試作やなかなか終わることができなかったのだ。そのせいで、中井もずいぶん待たせてしまったほど。
「遅くなるって一度連絡入れたんだけど、それでもOKって」
「そうなんだ」
「それと、一応園田さんにも確認済み」
「園田にも? なんだ、お膳立てできているじゃないか」
くすりと笑みを溢し、手を伸ばして運転席のヘッドレストに絡める。
「じゃあ後は俺の返事次第? って、そんなの決まっているだろ。わあ久しぶりだな?、外食も」
「そっ、久しぶりだろ。ただし酒は禁止らしいけどね?」
そう言いつつも守る気のなさそうな中井に、紀通の笑みが深くなった。
ヘッドレストに頬をすり寄せるようにして、隙間から囁きかける。
「守らないと、お仕置きされるぞ?」
怖い怖い保護者に、と吐息とともに囁けば、とたんに中井が目に見えてびくりと震えた。その拍子に、僅かに車もふらついた。
「紀通?、ふざけんじゃねぇよ」
じろりと一瞬睨まれたが、その口元は微妙にひきつっていた。
中井は紀通の声に弱いのだ。そして堪らなく気に入っている。
最近仕事中以外は常に一緒にいるせいか、園田の声に欲情するより紀通のそれの方が多いとすら言う。
前に戯れに与えられていた園田との快楽より、今目の前にいる何でも話ができる友人との快楽の方が、ことのほか中井の被虐性を擽るらしい。何しろ、互いに相手がいる以上、しかもその相手はどちらも執着心が非常に強い。
そして紀通もまた、性に対してかなり奔放なところがあったのだ。特に園田の元に来てから、その兆候が激しい。
「しばらく会えないってことは、何かされた?」
中井の相手である千里のサドっぷりと中井への執着ぶりを知っているから、今回も当然何かされているだろうと思ったけれど。
「あ?、あいつっ、俺にコックリング嵌めやがったんだよっ!! 」
「へ……? えっ……と、何?」
「だから、コックリング──」
ハンドルを握る指に力が入ったのが判る。
紀通は後ろから覗き込むようにぎりりっと唇を噛み締める中井の横顔を見つめ、それからゆっくりと視線を下へと下ろした。
「リングって」
「浮気しないように──って、いい加減にしろってんだ」
心底怒っているようなその横顔を再度見つめ、再び外からは変化の無い場所を見つめて、首を傾げた。
「でも、いつものことじゃないか?」
千里が出かける時は必ずつけさせられるというリングは、もうアクセサリーみたいなものだと、先日ぼやいていたような覚えがある。
「それが、今度のは俺の手じゃ外れないんだよっ」
「え?と?」
それもいつものことで。
外れちゃ意味が無いとは思うけれど。
「ああ、だから──っ、て紀通、そんなに見るな?、感じちまうっ」
「……ん、勃起してるね」
それもまたいつものことで。
むずむずと身悶える太ももの間で、股間がむくむくと盛り上がってきていた。
「うう?」
「なんで、こんなに反応良いんだろうね」
こんな街中で運転しているせいで、中井が飛びかかってこないことが判っているから、じっくり観察できる。
相変わらず元気だなあ?と、紀通はさらに後ろから身を乗り出して、その部分をじとっと眺めた。
できれば触ってみたいと手が疼く。
「さ、触んなよ?事故るっ」
もっとも先に中井に制止され、慌てて手を引っ込めた。
中井で遊ぶのは愉しいが、事故っては堪らない。
さすがに中井と心中する気は無いし、これ以上園田に心配はかけたくなかった。
それでも、興味は外れない。
「なあ、いつから付けてる?」
「い、いつから……だっけ……」
辛そうに首を傾げる中井に、紀通は不思議そうに問いかけた。
「ってことは、もうずいぶん前から? つうか……痛いのか、もしかして」
見上げた顔が苦痛に歪んでいる。
膨らんだ股間が、いつもより小さいのにも気がついた。
「い、痛い?。だから煽るな?」
「……きついのか?」
「きついなんてもんじゃないっ。今、めっちゃ食い込んでるっ」
「うわぁ、痛そうだな」
自身にそれが食い込んでいる様を想像して、紀通の顔も痛みに歪んだ。
「運転変わろうか?」
「い、いや、いい。もうすぐそこだから」
言われて前方を見ればそれらしきラーメン屋の看板が。
「あぁ、あれ井口さんだ。待たせたかな?」
ウィンカーを出したこちらの車に気がついたのか、手を振る井口に紀通も手を振り返す。
「ラーメン、美味しそうだな。楽しみだ」
久しぶりの外食にうきうきと看板を見上げる。
だが中井はかろうじて駐車場に車を入れたと同時に、ハンドルに突っ伏した。
「痛い、痛い、痛い……」
紀通が降りようとしても動かない。
「中井?」
「う、動けねぇ……」
「どうしたっ」
唸る中井に、異変に気がついたのか井口が駆け寄ってきた。
その井口に紀通が事情を説明すると、とたんに井口の顔がしかめられる。
「あいつ……なんてことを……」
元ヤクザだが、性生活においてはごくごく一般人レベルの井口には相容れない実の息子の所行に、天を仰ぎたいほどらしい。泣き笑いのように歪んだ顔は、元ヤクザとは思えないほど情けない。
それでも数度深呼吸を繰り返した井口が、中井の傍らにかがみ込んだ。
「ま、まあ……、そんなに痛かったら、萎えるだろ」
大通りに面したラーメン屋の駐車場は、はっきりといって目立つ。そこでいつまでもこんなふうにされていたら、人目を惹くこともあるだろう。それは、時期的にも立場的にも避けたい三人組だった。
「そ、それが……痛いのに、なんか、ヨクって……」
「……」
溢された言葉に、井口が硬直した。
その横で紀通がぽんと手を叩く。
「ああ、そういえば中井は、痛みも気持ちいいんだっけ」
すっかり忘れていた事柄を思い出して、はたっと気づく。
「あれ、だったら……萎えない?」
慌てて覗き込めば、痛みに苦しんでいる筈の中井の横顔が僅かにとろけているようで。
思わず井口を見やれば、井口もまた紀通を見ていて、目が合う。
「……どうする?」
「え?と……、どうしましょうか……」
ぼつりと呟いたけれど、だからと言ってどうしようもなく。
「……中井、俺、食べてきたいんだけど」
「そうだな。まあもう少ししたら落ち着くと思うだろうし。萎えたら来てくれ」
このまま待っていても埒があかないと立ち上がった紀通に、井口も習う。
「ひでぇ、見捨てるのか?」
「だってさ、俺がいたら、萎えないだろう?」
一応原因だと自覚している紀通だからの言葉に、中井が続けるべき言葉を失っていた。
実際、紀通の指摘通り、中井にとって紀通はその存在だけで勃起できる相手なのだから。
「うう、いってらっしゃい……」
結局、中井はそう呟いて二人を送り出して。
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中井がラーメン屋に入ってくることができたのは、それから30分以上も後のことだった。
【了】