世の中はクリスマス一色。
緑と赤のクリスマスカラーが氾濫している。
だから、パーティをするために部屋の中を飾り立てるのも問題ないとは思う。
けれど、目の前の天井まで届くかと思うほどのクリスマスツリーは、この手の催しにしてはばかでかい。
「限度ってもんがあると思うけどねぇ……」
心底呆れた風情の中井の言葉を、ツリーにモールを飾り付けている紀通が苦笑混じりで返してきた。
「良いだろ。大は小を兼ねるっていうし。何よりスポンサーがしっかり飾れって言ってんだから」
スポンサーって誰よ──とここに手伝いにきている強面の連中ならばだれもが知っている事を、今更問いかけたくはないけれど。
それでも言いたくなる言葉は飲み込んで、それよりも、こんなところに紀通がいるという事実も問題だろう。
「いいのかよ、ここに来て」
「ん?、一応、言ってはきたよ」
「ならいいけど」
二年ほど前までは、元組事務所。
現在、この地区のボランティア詰め所。
一度は安く売りに出したこのビルを、おもしろがって元組長になるはずだった男が、ポケットマネーで買い取った。
もちろん、本人の名前は出してはいなくて、某弁護士事務所の持ち主ということになっている。
それを格安の賃料──というのも憚られるほどの、子供のこずかいのような金額で、この地区のボランティアに貸し出したのだ。
もちろん最初の時はすったもんだあったけれど、今はすっかり定着している。
今など、ここに溢れかえっているのは、元気の良い子供達だ。今日は、これからクリスマス会をすることになっていて、その準備に大わらわなのだ。
「おい、こら、その辺でじっとしてろ。いたずらするヤツは、ケーキやらねえぞ」
終業式を終えた子供達が増えつつある部屋は、広いにもかかわらずけたたましい。中井に追われている子供達も負けてはいないから、どっちが遊ばれているのか判らない。
「中井?、そっち持てよ」
「はいはいっ、」
「うわ、腰が……」
「無理しないでくださいよ、斉藤さんっ」
搬入されたばかりの天井まで届きそうなクリスマスツリーはほんとうに予定外で、警備会社の面々が間に合わせようと必死になって飾り付けている。
彼らがここにきているのは、子供や孫がきているからであって、若い中井も手伝いに引っ張れ出されただけのことだ。
彼らの奥さんや近所の女性陣達は、みんなでごちそう作りにいそしんでいる。
けれど、紀通は違う。
今日とて午前中までは会社に行っていて、午後休みを取ってまで来ているのだ。
「まあ、楽しそうだったし」
こんなふうにツリーを飾るなんて、子供の時以来だと楽しそうだから、まあ良いかと納得する。
何しろ、紀通が元とは言え組に関係する事をとことん嫌うのが若干1名ばかりいるからだ。
だけど、最近の紀通はいつだって楽しそうで、頭ごなしにダメだとも言えない雰囲気がある。
初めてあった頃は、怒ってばかりで。
欲情するほど気持ち良い声だから、それでも良いと思っていた。けれど、そのうち、とっても辛そうになって、こっちまで泣きたくなるほどで。
だから、今の楽しそうな紀通を見るとほっとする。
園田と再会してからの紀通は、本当に日々が楽しそうだ。
良かったなあ──と思うと同時に、ますます惚れてしまいそうになる。
今でも、にこにこと子供達の相手をしている紀通にほおっと見惚れてしまう。──と。
「今日は、千里さんはどうした?」
いきなり振られて、手に持っていた箱ががしゃんと足の上に落ちた。
「──っつぅ」
「大丈夫?」
最近の紀通はこんな時はちょっと冷たい。
中井の涙のにじんだ恨めしげな視線にも動じない。くすくすと笑っていて、近寄ってもきてくれない。
「そりゃ、大丈夫だけどさ」
「まあ、怪我しても、千里さんが手当てしてくれるもんね」
「……謹んで遠慮したい──っていうか、言うなよなっ」
何が、と、きょとんと首を傾げる紀通は、本当に鈍いと最近思う。
「あいつに怪我したなんて言うな。この前、あれだけ言うなって言ったのに、言っただろっ」
ほんの少し、指にできた切り傷の治療だと称して、千里は中井を裸に剥いて、消毒だと全身を舐め回した。
怪我より何より、戒められた陰茎の方がよっぽど痛くて、ひいひい泣き喚くはめになったのは、とても記憶に新しい。
「そんなの、中井が正直に言っていないからだろ。それにあれは話の流れって言うか……」
千里の口は、人に自供させるためにあるのではにないか、というくらいに人に喋らせるのがうまい。
気が付いたら、どんな内緒事もあっという間にばれているのが常だ。
「だから、中井が悪い。というか、中井のものなんだから、中井が責任持てよ。俺に振るな」
きっぱりと言われて、ううっと唸りかけて。
「なんで、俺のものなんだよ、あいつがっ」
慌てて突っ込むべきところに突っ込む。
「違うのか?」
周りの誰かが遠い目をしていうのに、大きく首を振って。
「違うっ!」
と叫んだとたんに、冷たい空気が室内にひゅうっと吹き荒れた。
人々の視線が、いっせいに出入口に向かう。
エントランス側の自動ドアが音をたてて締まっていくその前に、皆が良く知っているスーツ姿の男がいた。
男と共に入り込んできて吹き荒れた冷気は、エアコンの風にあっという間に霧散したけれど。
「何が違うって?」
男の周りにだけ、いまだ冷たい空気が取り巻いているようだ。
そそくさと、紀通含めて仲間達の姿が遠のいていく。
「え?と、何でもないって。ぜっんぜんっ、千里とは違う話だって」
一体いつからいたのか?
冷気を感じる寸前にドアが開いたのだから、それより前の話は聞こえていないはずなのだけれど。
なんだかその辺りの記憶が曖昧で、確証が持てない。
背筋に走る冷たい汗に、ぞくりと体が震える。
そんな小さな震えに、千里はめざとく気が付いたのか、小首を傾げて僅かに口の片端をあげた。
「そうか。どんな楽しい話だったのか、今晩でもたっぷりと教えて貰いたいものだね」
「い、や……そんな楽しい話ではないって」
「そう? いや、でもますます興味が湧いてきたよ。ねぇ、鴻崎さん?」
いきなり振られて、紀通の乾いた笑い声が響く。
マズイ……バレバレだよ。
今までの経験があるからか、千里と中井の関係を知る全ての人間の顔が皆、硬直している。
中井本人もそうなのだから、これでばれない方がおかしい。
「どうしたの??」
傍らの5歳くらいの女の子が無邪気な笑顔で聞いてくる。
「あ、ああ、何でもないよ」
にこりと微笑みかけると、なんだか背中に冷たいものが突き刺さっているような……。
振り返るのが非情にマズイような気がする。
どうしたものか、と悩んだのもつかの間。
「あらあ、千里さん、いつもありがとうございますっ」
ボランティアの代表の言葉が室内に響いたとたん、視線が逸らされた。
「ああ、こちらこそ、盛況で何よりです」
「それに、こんなに大きなツリーまで」
「それは、警備会社の会長さんから依頼されたもので。それで手配しましたが間に合って良かったです」
にこりと営業用スマイル全開の横顔をちらりと見やり、ほおっと大きく息を吐いた。
助かった──とは、とても思えないけれど、さすがにこんなに人目であるところでは何もしてこないだろう。
そんな安堵の吐息を零す中井に、女の子はきょとんと首を傾げ、紀通達は気の毒そうに中井を見つめていた。
これは……きつい……。
はあはあと喘ぐ中井は、汗だくの顔を上げて目の前の男を睨み付けた。
「がんばってくださいね、中井くん」
千里が笑って促すけれど、これは辛い。
千里は来た時に種々のパーティ用ゲームを持ってきていて、そのうちの一つのお手本を、と一番に指名されたのが中井だった。
相手は、来ていた子供のお父さん。細身で小柄で、大工をしているととても若い男性だ。そちらは、ボランティアの代表者が推薦して決まったのだ。
そうして始まったのがこのツイスターゲームだ。ルーレットを回して出た色に手足を置いていくもので、倒れたら負け。
若い男とくんずもつれず……と、中井的には美味しいシチュエーションではあるが、いかせん人目が多すぎる。
何より、見つめている千里の目が笑っていない。
「い、いたたたっ」
無理な姿勢に体が悲鳴を上げる。
こんなゲーム、さっさと倒れれば負けが決まるって終わるのだけど、始まる前に耳打ちされた言葉が頭の中にこびり付いていた。
『ちゃんと勝ってくださいよ』
たったそれだけの言葉だけど、あの千里が言ったのなら、何か意味があるはずだ。
そう考えると負けられない。
対戦相手のお父さんは、やたらに体が柔らかい。中井なら悲鳴を上げるような姿勢でもひょいひょいとこなしていく。
「がんばれ?、とーさんっ」
舌っ足らずの応援に、余裕で答えている。
「こなくそっ」
それでも、こっちだって死活問題なのだ。
機嫌の悪い千里はやたらにねちっこい。それこそ蛇のようにしつこくて、若い中井の方が先にバテてしまうのだ。
それを考えるといらぬところでご機嫌を損ねたくはなかった。
「よいせっ」
青──と宣言されたとたんに、思いっきり足を動かした。
ぎくっと関節が悲鳴を上げて、マズイっ──と思ったのと同時に、「あわっ」と背後で悲鳴が上がって。
「中井の勝ちっ!」
紀通が楽しそうに宣言してくれて、ようやく終わったのだと知ったのだった。
「中井くん、おめでとう」
にこりと笑う千里の手から、リボンのかかった箱が手渡された。
ごく普通の包み紙のそれを受け取って、首を傾げる。
「こちらは、残念賞です」
善戦したお父さんにも進呈されたのは、さらに少し小さい箱。
それと形状以外はあまり変わらない。ということは、ただ単にあれは応援だったのだろうか……。
「勝てて良かったね、中井くん」
にこりと笑顔で返されて、ひくひくと引きつった笑みを返した。
「勝った方の景品の方が良いモノなんで。当然ですけどね」
客用スマイルはこんなにも人当たりが良いというのに。
隣のお父さんなんて、照れた風ではあるけれど、とっても嬉しそうだけど。
その正体を知っている中井からすると、何もかもが信用できない。
「これって、みんな同じなんですか?」
「もちろん。大人用と子供用とそれぞれ二種類あってね。勝った子と負けた子用になるかな。そんなにたいした違いじゃないけれど、ね。でも、大人用はとても良い物なので……」
中井の問いを代弁してくれた紀通に、感謝したい気分だ。
となると、これは素直に受け取れる代物なのだろう──きっと……たぶん。
実際開けた中身は、ステーショナリーセットだった。と言っても、安物じゃないのは一目でわかる代物で、それを見て取った周りの大人達のざわめきが大きくなる。
負けた側の景品は、その中のボールペンのみ。
「……ブランドものなんか、こんなところの景品にするかよ……」
呆れて思わず呟けば、千里もくすりと苦笑を零した。
「金が余っているスポンサーがいましてね。良いことをしたくて堪らないんでしょうね」
そのスポンサーの昔の仕事を知ったならば、彼らはこれを受け取るだろうか?
ふと浮かんだ考えを、頭を振って振り払う。
昔は昔、今は今。
どうせ考えるのならば、良いことを考えよう。
今日はクリスマスなのだから。
紀通も笑顔全開でとっても楽しそうだから、一緒に楽しまなきゃ絶対損に決まってる。
前言撤回。
確かに今日はクリスマスだけれど。
頂いたプレゼントは喜んで受け取る性格だけれど。
今日はなんだって思いっきり楽しみたい気分ではあるけれど。
「謹んで遠慮したい気分です……」
賑やかなパーティがお開きになった後、自宅に帰った時に、千里に一つの箱を手渡された。
それを、先ほどまでの余韻のままに警戒心なく開けてしまった中井は、さっきから呆然とその中身を見下ろしている。「どうして? 会長から特別にあなたに頂いた物なのに。突き返すならば自分でしなさいよ」
千里に言われて、力無く首を振る。
「会長──って、言われながら、好き放題やっていないかい、あの人は」
組を辞めたとはいえ、弥栄卓真の実力も名声も決して衰えていない。ついでにあのはた迷惑な性格もちっとも変わっていない。
子供達へのプレゼントはまだ良いけれど、中井へのプレゼントを別に用意しているのはどうよ──って唸ってしまう。
しかも、中身はただのプレゼントではない。
「これ、絶対、紀通んとこにも行っているよなあ……」
紀通も卓真のお気に入りだから。
園田経由で手渡されたとしたら、今頃はもうベッドの中だろうか。
「あなたの体は、こんなものではもの足りないでしょうに」
「うっさいっ」
細身のバイブは、確かに千里自慢の特注品よりは細いけれど。
ベルトで固定できるタイプで、さらに無線リモコン方式ってのはどうよ?
さらに、このたくさんのボタンと、やたらに段階の多いダイヤルは一体何?
しかも、メーカー名も何にも付いていない。
それがなんだか怖い。
「そういえば、新しい事業として、アダルトグッズの店をネット上で開くとか言われていたけどね、そこの商品かねぇ」
「……そこって……法律守ってんのかよ」
なんだかとんでもない物を売るつもりなんじゃないだろうな。
「当たり前、私が確認してるんだから。ただ、自社開発製品も売るというので、今いろいろと試しているようだけどね」
「……」
「これもその一つかな。会長の部屋には、いろいろな試作品の図があって、その一つにこんなのがあったような……」
「試作品送ってきたのか? それって、モニターでもしろってことかよ」
「モニターは会長ご自身がされているかと思うけどね」
こそっと落とされた言葉は、聞かなかったことにしよう。
「……それで、どういう機能か知ってんのかよ?」
「いいえ」
けれど、安心はできない。
なんだか、さっきから千里がずいぶんと楽しそうだ。
こいつは嘘を見抜くのもうまいが、嘘をつくのもうまい。
「まあ、試してみるのも一興ですねぇ。何にでも悦ぶあなたの意見では、商品開発に役に立たないかもしれませんが」
「何でも悦ぶかよっ」
「そうですか?」
「ああ」
千里の言葉を否定しながらも、けれど、何故か体が熱くなっている。
それは、千里の粘つくような視線が、股間辺りを彷徨っているせいか、それとも……。
「せっかくのプレゼントもあることだし、今日は、聖夜ですからね。たっぷりと楽しみましょう」
じっと見つめられて、感情的になっていた頭がすうっと冷えた。かわりに、股間の方に熱が集まってくる。
「あ……千里……」
「私のプレゼントもありますよ」
にこりと笑うその横で、黒革のチョーカーが揺れている。
「それ、首輪に見える……」
メタリックなフックのような飾りは、ここに手綱をつけてください、と言わんばかりの仕様。
「楽しいでしょうね、これをつけた中井くんとお散歩は」
「……やだ……」
そう返しながらも、少しだけ体が熱くなっている。
そんな自分が少しイヤだと思うけれど、千里に見つめられると結局はなすがまま。
「いっぱい悦ばせてあげよう」
伸ばされた手が頬に触れてきた。
いつもように少し冷たく湿った手。
見つめてくる瞳は、粘り着くように中井を絡めていく。
「ベッドに行こうね」
耳元で囁かれて、びくびくと全身が震えた。
手に握らされたのはあのバイブ。
「どうしたい?」
問われて、くっと喉を鳴らす。
どうしたい? と問われて、答えられるわけがない。
「あ、ついんだ……。熱くて……」
冷たいはずの千里の体に包まれているのに、いくらでも体温が上がっていく。
はあはあと喘ぎながら揺らぐ瞳で見つめてくる中井を、千里が微笑みながら愛おしげに見つめていた。
【了】