【DO-JYO-JI】(10) 勝負の章

【DO-JYO-JI】(10) 勝負の章

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【DO-JYO-JI】 勝負の章

 火薬と血の臭いが室内に広がっていく。
 頬に感じた熱が、ひどく不快だった。
 爆音の後に続いた恐ろしいほどの静寂の中、きな臭い煙が広い筈の部屋にどんよりと漂う。それが大きな黒いスーツの背に隠れたのはすぐのことだ。
「大丈夫ですかっ」
 視線は前方に向けたままの新居浜の珍しく焦った声に、卓真は嗤った。
 何があっても動じない男なのに、さすがにこれには肝が冷えたらしい。
 古葉が銃を持っていることを、新居浜にはわざと知らせていなかった。それどころか、持っていないと教えていた。
 少し離れた場所に座した新居浜が、卓真に向けられた銃口に駆け寄ろうとしても間に合わない距離も計算の内。
 かばおうと差しのばした手が届く寸前、もっと何も知らない古葉は笑みすら浮かべて引き金を引いた。
 爆発は、その一瞬後。
 持ち主の手を吹き飛ばしたそれは、もう原型をとどめていない。
「大丈夫だ、掠ったけどな」
 頬に当てた手の甲がぬるりと滑る。流れた血はたいしたことはないが、頬が熱い。
 ぺろりと唇を舐め、新居浜を押しのける。
「どけよ。見えねぇ」
 文句を言っても硬い身体はびくりともしない。視線を向けると、振り向いた新居浜の怒りに満ちた視線と絡んだ。
「あなたって人は……」
 唸る男に、笑みを深くした。
「別に。俺は何もしてねぇぜ」
 何もしていない。
 使うこともないままにしまい込まれた整備不良の銃を持ってきた古葉の自業自得だ。
 まして、戦争でもないのに拳銃など持ち出している事自体が論外だ。
 この場の誰も、持ってきていないというのに。
 現組長である父親も園田も千里も新居浜も。
 すでに盟約を取り付けているこの場に呼んだ傘下の組の面々ももちろん持ってきていない。彼らは、別室に警察がいるのを知っているからだ。そんな輩が緊張した面持ちで、一カ所を凝視している。
 その場所にゆっくりと視線をやれば、畳が血に染まり、広がっていた。
 黒い袖の先、投げ出された右腕の先が特に赤い。
 指と呼べる破片が散らばる中、びくりと男が身じろいだ。
 呻き声が静かな室内に響く。
 ──なんだ、生きてんのか。
 もとより暴発くらいでこの男が死ぬとは思っていなかった。運良く死んでくれれば儲けもの程度にしか思っていなかったから。
 だが生き伸びたとしても、もうこの男に未来は無い。拳銃を出した時点で、別室の刑事達に自ら証拠を提示したようなものだ。
 その古葉の噴き出す血は止まりそうにない。
「てめぇ──っ」
 ようやく周りの男達が動き出した。同時に激しい殺気が向けられる。
 古葉の配下の、今は仲間とは思えない輩。向けられた銃口は三つ。それらを一瞥し、「バカが……」と呟いた。
 なぜ、気がつかないのか。
 仕掛けられた罠に。
 十重二十重の罠に、自らかかりに来て──。
「銃を捨てろっ!」
 芝居がかった台詞だな、と背後からかけられた声に嗤う。
「おせぇよ、刑事さん」
「この屋敷が広すぎるんだ」
 密かに懇意にしている刑事が、卓真と同じように嗤っていた。
 まだ若いが、肝っ玉だけは太い。
 それに、間違えない。
「な、なんで警察がっ」
「くそっ──うわっ!」
 慌てて銃口の向きを変えた男を、新居浜が張り飛ばした。
 手から弾け飛んだ銃が、面白いように刑事の足下に転がっていく。
「危ないなぁ」
「ああ、さっさと持って行ってくれ、そんな物騒なもん」
「よく言うよ」
 場にそぐわない笑みの向こうで、古葉の子飼い達が次々と連行されていった。
 どうしても仲間に入れることができない輩達。
 千里が提出した証拠書類にかかれば、そう簡単に出てくること叶わない。その間に、地場固めはやり通すつもりだ。
 古葉が出てきても、簡単には手が出せないほどの組織──少なくとも表向きはヤクザではない組織を作り上げる。
 そのための第一歩だ。
「ぐぅ……うっ……」
 古葉が大きく身動いだ。
「動くな、出血が酷くなる。もう少ししたら、救急車が着く」
 刑事の呼びかけを無視して、古葉が顔を上げた。苦しげに喘ぎ、その顔面は蒼白だ。だが浮かぶのは鬼の形相。気の弱い質なら卒倒しそうなほどの形相は、けれど卓真には哀れにしかうつらない。
「た、卓真っ……貴様ぁ……」
 右手が吹っ飛んでも刃向かうだけの根性は見習う必要があるだろう。
 だが、古葉がいては望む未来が作れないのだ。
 いつまでも、過去の栄光に捕らわれているこの男がいては。
 少しずつ変えてきた最後の障壁がこの男だった。組長にも見捨てられていたことに気がつかず、権力にしがみつこうとした男。
「よ、よくも……っ、許さん──っ」
 あわよくば死んでくれれば。
 自ら手を汚すことはもうできない以上偶然を狙ったが、どうやらそこまでは運は向いていないらしい。
「古葉さん、あんま喋ると地獄の入り口に近づいてしまうぜ」
「落ちるのはっ、お前の方が、先だっ」
「そりゃ、困る」
 まだまだやりたいことはいくらでもある。
 何より、自分の傍らで不機嫌さを露わにしている新居浜をモノにしていない。
 この大芝居が終われば、やることはたくさんあるが、その一つが新居浜をモノにすること。
 それが、実は一番大きな目標であることは、園田にも言えない。
「あんたの時代は終わったんだから、ゆっくりと老後を愉しんでくれ」
 たとえ塀の中であっても、油断ならないといえばならないが、それでも……。
 権力はもうこの男には無い。
 哀れな男に視線を落とす──と。
「うぐっ」
「……?」
 いきなり古葉の身体が大きく揺れた。
 仰け反るように上体を上げていたのに、今度は身体を抱えるように丸くなる。
 ひくひくと震える身体、血を流す手が、それには痛みなどないように胸をかきむしっている。
「ぐぅぅぅ──、ううっ」
「お、おいっ」
 突然の豹変に、さすがの卓真も動けなかった。
 廊下まで出て外の様子を窺っていた刑事達が、慌てて戻ってくる。
「卓真さんっ」
 再び新居浜にかばわれ、太い腕が、護るように視界を遮る。
「な、んだ……?」
 鋭い聴覚が音を捕らえなくなった。さっきまで聞こえていた古葉の呻き声が聞こえないのだ。じたばたと暴れていた身体の、動く音もしない。
「……心臓が止まってる」
 呻くような刑事の声。
 慌てて新居浜の身体から乗り出して呆然と見つめる先で、確かに古葉の身体は伸びていた。わずかに痙攣しているような──けれど、さっきまで感じていた殺気がそこにはなかった。
 怒りを宿した瞳は、もう光を持っていない。
 いつかは刑務所から出てくるだろう古葉を、どうやって迎えてやろうか、などと考えようとしていたのに。
 指示を受けた警官の一人が心臓マッサージを始めても、救急車が来て病院に運ばれても。
 

 古葉は、結局息を吹き返さなかった。
 久しぶりに自室に戻り、よれたネクタイをむしり取った。
 目眩がするほどに疲労が蓄積されている卓真は、もう一歩も動けないとばかりに崩れるようにソファに身体を投げ出した。
 古葉は結局死んだ。
 銃の暴発による怪我は直接の死因ではない。よる年波に、心臓が弱っていただけのこと。
 警察の事情徴収もしつこかった。
 懇意にしている刑事達や千里が根回しはしていてくれたらしいが、全てを押さえ込むだけの力はまだもっていない。もっとも、卓真自身、彼らに無理をさせるつもりはなかった。
 こちらの世界に近づき過ぎれば、彼らが自分の組織に切られてしまう。そうなれば、何の役にも立たない。
 その分、千里には働いて貰ったが、時々いなくなるのだ。大事な場面には必ずいたが。しかも、園田も時間があるとすぐにいなくなった。
「あいつら、後で覚えてろ。俺を怒らせたらどうなるか……」
 自分らだけうまくいってるからと、こっちをないがしろにしやがって……。
 まったくもって腹の立つ理由でバックれた二人への報復をずっと考えている。
 そうでもしないとやってられない程、何もかもが卓真に被さってきて、寝る暇がない数日間だったのだ。
 それもなんとか一息つけるところまで来て、今日やっと部屋に戻ってくることができた。
「新居浜?、酒出せ、酒」
 新居浜だけはどこに行くこともなく、今も卓真に付き従っている。
 それだけが救いだが、終始仏頂面で、何を言っても無視されては苛立ちは増すばかりだ。
「食い物も、なんかねぇか?」
 エネルギー切れの身体には今はもう何でも良いから腹に入れたい。
 起きあがる気力もなく背後にいるはずの新居浜に呼びかけたが、返事はなかった。
「……新居浜……いい加減にしろ、とにかくなんか持ってこいっ」
 これが中井だったら、今頃いろんなものが目の前に並んでいるだろうに。
 怪我をして入院中とは言っていたが、怪我自体はたいしたことが無いと聞いていた。
 ならば、呼んで遊び相手にしてやろうか。
 ポケットの携帯を取り出して、アドレス帳を開く。誰かに連れてこさせて……一晩相手をさせよう。
 溜まりに溜まっているのは、憤懣や疲労だけではない。
「新居浜っ」
 何度呼んでも返事をしない男に苛立って、ぐるりと首を巡らせる。
「──っ、な、何だ?」
 キッチンにいると思った新居浜がすぐ後で卓真を見下ろしていた。
 何を考えているのか判らない冷徹な瞳が、さすがに驚いた卓真を凝視している。
「新居浜?」
「……誰を呼ばれるつもりで?」
 抑揚のない声。
 普段の新居浜と同じようで、けれど、不機嫌さは何割か増しだ。
「誰って……誰だって良いだろ」
 ムッとしながら、けれど答えてしまったのは、何かが違うような気がしたから。
 卓真の肩に触れる手のひらの力が強いような気がする。
「良くはないですね」
 これは相当怒っている。
 無意識のうちにごくりと喉が鳴っていた。
 短くないつきあいだが、ここまでの怒りは珍しい。殺気すらこもっている新居浜の手が伸びてくるのを拒めない。
 肩に指が食い込み、ソファの背に押しつけられる。
「に、いはま、てめぇ何考えてる」
 ドスの効いた声に、被さるのはさらに低い声音だった。
「あなたにもっとも効果的な躾の方法を」
「なっ──ぐはっ!」
 ふざけた言いぐさに手を振り切って立ち上がろうとした瞬間だった。
 腹に重い衝撃が走った。
 不自然な姿勢の一撃は、それでも意識が飛ぶほどの衝撃を与える。一瞬後に、迫り上がった胃液が、口から噴き出した。
「あっ、がっ……」
 力が入らない。
 ソファから崩れ落ちかけた身体を、ソファの背を乗り越えてきた新居浜が軽々と支える。
 本気になれば内臓を破裂させる新居浜の拳を受けたのだと、ようやく頭が理解した。霞む視界でなんとか新居浜を睨み付けれる。
「うっ、くっ、てめっ……」
 腹が痛い。
 自然に腹をかばうように身体が丸くなった。
「さすがに気絶はしませんか」
 冷静な声音にカチンと来た。
「だ、誰がてめぇの拳くらいでっ」
「そうですか。だが、立てないようで……」
 悔しいが、その言葉の通り、卓真は立つことができなかった。
 空っぽの胃がきりきりと痛んで吐き気が止まらないし、強張った腹筋を伸ばすことができなかった。
 エネルギーも不足している。てっとりばやく酒でも飲んでおくんだった、と後悔ばかりが浮かんでくる。
 それほどまでに自分の劣勢を自覚していた。
 確かに新居浜の肝を冷やしてやろうと無謀な真似はしてみた。銃口を向けられることなど覚悟の上だった。その結果、新居浜を驚かせるという目的は達することができた。それは間違いない。
 だが。
「あなたを失いたくない」
 ここまでの効果は想像していなかった。
「に、いはま……、貴様何をする、つもり……」
 弾け飛んだシャツのボタンが視界の端に消えていく。引き裂かれた布地が、肌に擦過傷を作った。
「あなたがいなくなるのは我慢ならない」
 のしかかる熱よりももっと熱い声音が響く。
「あなたの全てを私のものにします」
 愕然と見上げた新居浜の瞳の奥に、昏い焔が浮かんでいた。
 必死に抗った腕は、さっき放りだしたネクタイで手首をひとまとめにされてしまった。着ていたシャツもスラックスも力任せに引き裂かれ、ぼろぼろになって身体にまとわりついている状態だ。
 蹴り上げた脚は、今はもう関節への急所攻撃を受けて力が入らない。噛みつこうと歯を剥けば、呆気なく頭を押さえつけられた。
 もう何発殴られたことか。頬がじんじんと熱を孕み、腫れているのが触れていなくても判る。
「犯らせるかっ!」
 芋虫のようにのたうつ身体が俯せにソファに押しつけられ、尻の狭間を指が食い込んでくる。
「判っています。ですから、我慢していたんです、ずっと」
「だったら、もっと我慢しとけっ」
 羞恥と怒りで赤くなった視界の中、肩越しに振り返れば新居浜が僅かに笑みを浮かべていた。
「もう限界です。まずは、危険な場所と判ってふらふらと遊び歩くことができない身体にしますから」
「はあ? ──っ、あぁぁっ」
 身体の中に、太い異物が入ってきた。
 締め付けようとしても、ぬるぬると滑りを帯びたそれは呆気なく入り込んでくる。
 すぐにそれが新居浜の指だと気がついた。
 鍛え上げた身体は指だって太い。 
 痛みが走るが、プライドが口が閉ざす。
「っ、ぐっ……」
 尻に力を入れると、痛みが増した。痛みには強い筈だった。だが、内臓を抉られる痛みは、また別物だ。
 鍛えられない場所への攻撃に、身体が震えた。
 恐怖とはこんなものだったのか?
 身体の震えが止まらなくて、自身が信じられない──と、目を見開く。
「怖い、ですか?」
 問われて、首を振る。何度も横に振る。
 そんな筈はない。ある筈もない。
 けれど。
「う、あぁっ」
 指が増えた。
 最初に入っていた指をガイドにして、次の指が入ってくる。太い、関節がごつごつと膨れている指が二本になった。無理に開かれる後孔が悲鳴を上げる。
 だが今度は、奥深くを抉られた時に、痛みだけではない感覚が走った。
 ざわりと、恐怖は違う原因で全身が総毛立つ。
 まさか──と、首を振った。堪えるように眉根を寄せて固く目を瞑り、奥歯を噛み締める。
 今口を開けると、厭な声が出そうだ。
 今までさんざん他人にはしてきた行為だ。この感覚の原因が何かは知っている。
「力を抜いてください」
 静かな声音に、目を瞑ったまま首を横に振る。
 このままでは犯られる。
 逃げないと──とじたばたと抗ったが、新居浜の身体がのしかかっていてびくりともしなかった。
「ん、くっ」
「もう観念してください」
 腹が立つ、腹が立つ、腹が立つ。
 新居浜の言いぐさに、態度に。そして、ただ押さえつけられて、抗うこともできない己に。
 腹が立って、ぐいっと太くて熱い塊が大腿に触れても、力は抜かなかった。
 引き裂く痛みにも、喉が僅かになっただけだった。
 熱い楔が食い込んでいっても、悲鳴など上げるつもりはなかった。
 悔しさばかりが先に立っていた。
 事が終わったら逆襲してやる。銃を突きつけ、手錠で四肢を繋いででも、犯してやる。
 そう思ってぐっと堪えた。
 本気になった新居浜に卓真が敵わないのは判っていた。
 だから、手が出せなかったのだ。
 だがまさか、この新居浜が自ら動くとは思っていなかった。
 しかもこんな乱暴に無理矢理犯されるとは。
 あちこちに走る痛みが、怒りを助長する。
 許せないと、怒りに満たされた卓真は、それでも今は行為が終わるのを待つしかできなかった。
 それほどまでに劣勢なのだ。
 縛られた手首は、暴れたせいでさらにきつくなってほどけそうになかった。殴られた腹筋はまだ痛いし、四肢の関節は、急所を責められて未だに痺れたようになって力が入らなかった。
 となれば、事が終わってからが勝負だ。
 そう思って、じっと堪えていた卓真だった──が。
「危険にその身をさらさないでください」
 不意に耳元で囁かれた声音に、息を飲んだ。
 滅多に喋らない新居浜の、あまりにらしくない切なさが込められた言葉だった。ひくりと震えた心が、別の何かを感じ取る。怒りに充ち満ちていた感情が急速に麻痺し、代わりに五感が鋭くなっていく。
 その五感が、新居浜の全てを捕まえてしまう。
「堪えられない、あなたがいない世界など……」
 抱き込まれ、心音が背から伝わってくる。欲情に掠れた声が、鼓膜を震わせる。肌を這う熱い手のひらはひどく優しい。
「誰にも渡したくない。あなたがいてこそ、私はここにいる。誰にも渡さない」
 これはやばい。
 限りない独占欲を感じて、心が甘くざわめいた。
 こんな感情など未だかつて味わったことがない。あまりにも甘美で、捕らわれてしまいそうな感情に、卓真は必死に抗った。
 自分が壊れてしまいそうだ。
 慌てて手を伸ばし、己をつなぎ止めようとするけれど、それを新居浜の言葉が邪魔をする。
 とつとつと繰り返される拙い、だからこそ心に楔を穿たれたように外せない。
 吐き出した吐息が熱い。
 話しかけられるたびに、怒りが急速に萎えていくのを自覚して、焦った。後孔の痛みを怒りのエネルギーにしようとしたのに、背筋を舐め上げられて散らされてしまう。
「や、めろ……にい、はま……」
 思わず呟いて、先とは違う理由で首を振る。
 こんなに簡単に怒りが萎える自分ではないはずなのに。なのに、呆気なく自分の感情が、流されていく。
 それもこれも、新居浜がらしくない声で言葉を吐くせいだ。
「代わりたい」
 真摯な言葉にかあっと身体が熱くなった。
 そんな言葉、いつだって言われ続けられてきたはずだ。
 なのに、こんな時に限ってそれが違う言葉に聞こえる。
 怒りよりも羞恥が勝って、頭が混乱する。顔が熱くなって、慌ててソファに顔を押しつけた。その拍子に腰を掴み上げられ、ぐいっと突き上げられる。
「ああっ!」
 閉じていなかった口が開いて、悲鳴が零れた。仰け反った身体を背後から支えられ、さらに何度も深く穿たれる。
 突き上げの度に、悲鳴になって肺から空気が抜けていく。
 吸う間もなく次の突き上げがくるから、どんどん酸素が足りなくなった。
 意識がもうろうとして、突き上げられる痛みと快感がない交ぜになった感覚ばかりになって。だから考えなくて済む。
「や、めぇ……ああぁっ、くぅ!」
 自分の悲鳴がどんなに甘いものなのか。
 初めての筈なのに、激しく感じてしまう。的確な攻撃が、卓真を狂わせる。
 抗っていた指が、ソファの生地に食い込んだ。爪先がひっかき傷を幾つも作る。
 足されたローションのせいか、淫らな水音が室内に響いていた。
 とても熱く感じるそれに、薬が入っているものだと気がついていた。卓真自身初めての男を落とす時に使う薬だ。裏社会特製の媚薬は、市販品とは格段の効力を持っている。これを使われては、卓真の矜持がどんなに高くてもどうしようもない。
 あきらめが、さらに快感を引き起こす。何より、相手は新居浜なのだ。ずっと手に入れたいと願っていた相手なのだ。
 何度も突き上げられ、前に回ってきた無骨な手が卓真のものを扱き上げる。
 そのたびに身体が小刻みに震え、喉を晒して悲鳴を上げた。
 無様だ──と、僅かに残った正気が嘆く。
 組み伏せて支配しようとした新居浜に犯されている自分の姿は、あまりにも滲めなものだ。
 けれど。
 嬉しい──と大半の心が、今の状況を喜んでいる。
 快感に屈した身体は、なおも深く新居浜の逸物を食らいたいと欲し、もっとたくさん触れていたいと願う。
 はあはあ、と荒い呼吸を繰り返す新居浜など、普段なら絶対に拝めない。
 数十人を相手に立ち回っても、滅多に息を荒げることのない新居浜だ。
 それなのに、今卓真の上で、苦しそうにすら思えるほどに息を荒げている。
 その息を背に感じるたびに、大きな充足感を感じた。
 卓真だから新居浜が欲してくれた。卓真がいないとダメだと言う──その執着が、嬉しい。
 生理的な涙が瞳を潤ませ、視界を歪ませた。
 その視界が白く弾けた時、快感に満たされた心が呟いた。
 ──俺だって……離したくない。
 ずっと欲しかったこの男が。
 どんな関係が良いかも判らないままに、ずっと欲しかったのだから。

 

「そろそろ起きてください」
 静かな、けれど脳髄に響くような声が、卓真の意識を呼び起こす。それでもひどく眠くて、怠くて。引きずり込もうとする睡魔に身をゆだねる。
 だが、今度は身体を激しく揺り動かされて、意識は一気に覚醒した。
 カーテンが開く音が聞こえ、まぶた越しでも判る眩しい光がトドメを刺す。
 それでも、意識が現実を理解しなかった。
「客が来ますから」
 声は判る。
 これは新居浜だ。
 新居浜が卓真を起こしに来たのだと、理解はできる。
 いまだ霞がかかった視界の大半は、明るい陽光だ。窓越しとは思えない明るさに、もう昼が近い事を知る。
 けれど。
「ねむい……」
 駄々っ子のように甘えた声音を零した卓真は、枕を抱え込みながら目を閉じた。
 もっと寝ていたい。
 本能が、睡眠をどん欲に欲する。それほどまでに、身体が疲れていて、ただ、眠い。
「後30分もありません」
 そういう新居浜の声も慌てていないから、よけいに起きようと思わない。
「やだ……」
 なんで新居浜が起こしに来たのだろう?
 学校は休みだよな……。
 ぼんやりと記憶を辿って、新居浜がいる理由を探す。
 新居浜は、卓真の教育係として目の前に現れた。極道という特殊な環境で、嫡男として生まれ、その性格も力も跡継ぎとしての技量を備えた卓真のために、父親が選んだ男だ。
 10歳ほどしか離れていない新居浜は、そのころにはもう組の中でも頭角を現していた。
 年齢の割に落ち着いた態度。その態度に似合うだけの知力も体技も持つ男は、教育係を任命されてからいつも卓真の傍らにいた。鬱陶しいとは思ったのは最初のうちだけだ。そのうち、いて当然──いなくてはならない存在になった。
 けれど、新居浜は初めてあった時から常に同じ態度だ。
 父親の命のままに、卓真を次期組長としての地位につけるために。ただ、それだけを目的に卓真に接している。それが悔しいと思い始めたのはいつからだっただろう。
 父親の命ではなく、自分の腹心として傍らに置きたいと思ったのはいつからだろう。
 学校を出て、組に入って。
 それでも傍らにいるようにし向けて。
「あ……」
 不意に記憶が、ずれていることに気づいた。
 卓真はもう学生ではない。新居浜が起こしに来たのは、学校に行くからでなく……。
「客?」
 ぱちりと目が覚めた。
 今新居浜はなんと言った?
 というか、この状況は?
「新居浜っ! ──つぅっ!」
 跳ね起きたとたんに枕に突っ伏した。
 身体が動かない。というより痛い。
 ──思い出した……。
 昨夜何が起きたのか、何故ここに新居浜がいるのか。
「新居浜あ……」
「はい」
 腹が立つほどに涼やかな声に、ぎりりと奥歯が鳴る。
「客ってなんのことだ?」
「園田と千里が、後始末の作業について」
「聞いてねぇ……」
「昨夜、連絡がありました」
 さらりと言ってのけた新居浜が、着替えを一揃え持ってベッドに近づいてくる。
 確かに、あの二人が奔走している事は知っていて、その打ち合わせがあることも知っていた。
 だが、何故ここに?
 何故、この時間?
「まさか、てめぇ……」
 睨み上げれば、それが? というような表情で返された。
 それでも、新居浜のそれが肯定の態度だということは、長いつきあいで判る。
「謀ったか……」
「動けないでしょうから、着替えるだけ着替えて、ソファに座っていてください」
 手を引っ張られ、抗うより前に痛みに唸る。
 下肢の筋肉と殴られた腹が鈍く痛む。それ以上に、ひりひりとしているのは後孔。
 喋りにくさに、頬も腫れているのだと知った。
 何もかも新居浜のせいなのに、当の本人は知らぬ顔で、卓真を動かす。
 起こされてみれば、衣服一枚まとっていない身体は虫さされのような赤い斑点でいっぱいだった。
 こんな身体を見られたら──卓真の負けがあの二人に知られてしまう。
 動けない時点でバレバレだろうが、それでも気を張ればなんとかなる。
 勝ちを誇るために新居浜があの二人を呼んだのだとしたら、自ら策略に乗ってやる必要はない。それでも、このまま出迎える羞恥心を考えれば、新居浜の乱暴な着替えに文句を言っている場合でもなかった。
 それでも、痛みが怒りを呼び起こす。
「てめぇ……後で覚えてろ」
「私に敵うのであれば、いつでもどうぞ」
 恨みの声は、含み笑いで返された。 

【了】