[番外] はるうらら

[番外] はるうらら

はるうらら



 うららかな春の日曜だった。
 新しいマンションが並ぶこの地区にも、朝から元気な子供たちの声やさわやかな鳥の鳴き声が響く。
 だがそれも、防音が完璧なこの最上階の部屋までは届かない。
 その代わり──。
「ん、んあっ、ひぃ」
 静かなはずの室内に、引っ切りなしに淫猥な音色が響いている。
「あ、あぅっ──だ、だめ、ぁ……」
 掠れた悲鳴に、甘い吐息が混じる。
 肌と肌が打ち付けられる音。抽挿のたびに泡立つ濡れた音。
 遮光カーテンのすきまから漏れた昼近い日差しが、薄暗い寝室を少しだけ明るくしている。
 その薄明かりの中、大きなベッドの上で、2組の四肢が複雑に絡み合っていた。
 細みの四肢が不規則に震え、筋骨逞しい四肢に縋り付く。
 あえかな嬌声を上げる組み伏せられた身体に、力強い腰が音を立てて打ち付けられた。
 そのたびに汗が散り、甲高い悲鳴が喉も避けよとばかりに迸る。
「ひあっ! そんな─、した……ら、ああっ、狂ぅっ──」
 園田文昭(そのだ ふみあき)の逞しい身体に似合う剛直が2人の隙間から覗き、すぐに肉の中に埋もれる。己の中にあるとは信じられない体積のそれに抉られるたびに、鴻崎紀通(こうざき のりみち)は妙なる快感に脳が沸騰しそうになった。
 園田が与える甘美な責めは、あっと言う間に紀通を狂わせる。
「あ、あぅう──っ、も、もうっ、達くっ、っ達かせてぇっ」
 熱い楔がじゅくじゅくに蕩けた肉を切り開く。
 傘の張った先が感じる場所を抉り、揉み上げる。
 それだけでも十分なのに、園田の舌は休むことなく紀通の胸の突起を苛め、歯先が敏感な肉を齧る。無骨ながら起用な指先が、開発されまくった全身の性感帯を愛撫し、しっとりと馴染む肌が敏感になった肌を包み込んだ。
 そして。
「まだ始まったばかりだ。もっと我慢できるだろう?」
 耳朶に直接囁かれる、脳を焼く声音。
 熟れ切った身体に響くそれに、紀通の体は呆気なく限界を迎えた。
「い、いあぁあっ、あはぁあっ」
 手のひらで包まれた陰茎が、激しく震えながら白濁を噴き出した。
「あ、やっ──」
「最初から飛ばすと後が辛いぞ?」
 ほくそ笑みながらかけられた言葉の意味が、もうろうとした頭にも染み込んでくる。
「や、う、動くなぁ……ああ」
 間髪を容れずに動きを再開され、さらに敏感になった身体が悲鳴を上げる。
「無理言うな、俺はまだ達っていない」
「い、やっ──て、昨日やった、あっん、く、いっぱい、やった──くせに──うう」
 昨夜、居間のソファで始まった睦み合いはそのまま激しくなって、浴室で洗われながらやった後、ベッドの上でもさんざん貫かれた。
 半ば失神するように眠りについたらしく、いつ終わったのか記憶が無い。
 それなのに、今朝肌を嬲られる感触に目を覚ました時には、もう園田のモノが紀通の中に入ってこようとしていたのだ。
「いやらしい尻を剥き出しにして、甘く強請ってきたのはお前の方だろうが」
 パチと軽く尻を叩かれ、涙目になりながら首を振る。
「ち、違う、それ……」
「いいから、黙ってろ。2週間ぶりなんだ、昨日だけではたりねぇ」
「ああっ」
 強く奥深くを抉られて、反論は呆気なく消し飛んだ。
 打ち付けられるたびに、狂いそうな快感に襲われる。頭の中が何度も弾け、身体はどこもかしこも言うことなど聞かなくなって、ただそのたくましい身体に縋り付くしかない。
 2週間ぶりの逢瀬はきのうたっぷり味わえた──と、思ったのはどうやら紀通だけだったらしい。
 過ぎる快感に、それでも慣れた身体は、貪欲に園田の陰茎を締め付ける。
「んぅ、くっ──ひあぁ──」
「くそっ、なんて身体だ、お前はっ」
「ああ、やああ、そ、園田ぁ」
 何を言われても、ただ受け入れてしまう。
 深く抉られれば意識は弾け、身体は快感に震え、次を欲する。
「あああっん、あはぁ──、園田──、そのだぁ」
 揺さぶられれば揺さぶられるだけ、紀通は園田を欲した。
 さらなる高みを求めて──。
「う、うぅ……」
 求めた果ては、いつも同じ。
 さわやかな春の日差しを窓越しに浴びながら、紀通はまるで自分の物ではないような身体を捩って、唸っていた。
 やっている際中は、たとえ股関節が外れてしまっても気づかないのではないか、と言うほどに快感しか感じない。
 だが事が終わり時間が経つと、関節が悲鳴を上げ、筋肉に力が入らなくなる。怠い腰もまた苦痛でしかなくて、紀通は近いはずのドアを恨めしく見つめた。
 トイレ、行きたい……。
 お腹空いた……。
 生き物として当然の生理的欲求にさっきからずっと苛まれているにも関わらず、だるくて動きたくない。
 いつもならかいがいしく世話をしてくれる園田は、終わるか終わらないかのうちにかかってきた電話によって、出ていってしまった。もっとも行っていいよ、と言ったのは紀通の方。
 今回は回数も少なかったし──と思ったのが運の尽きだ。
 朝の回数は少なかったが、夜の回数を足せばいつもより多い。というより夜のダメージが癒える前に朝の行為が重なったと言うことか。
「ああ、もう……」
 ここで漏らす訳にはいかないだろう……。
 大人の男としてのプライドが、身体を動かす。
 けれど。
 みしっ、と音がした。
 筋肉が身体を支えない。
「うそ……」
 かろうじてベッド下に降りたまでは良かったが、へなへなと床に崩れ落ちる。
 冷たいフローリングが剥き出しの肌を震えさせた。
「ひえぇ……さむっ……」
 慌ててずり落ちていた毛布に潜り込む。
 一糸まとわぬ身体にふわりとした温もり。ほっと息を吐いて、まだ遠いドアに視線を向けた。いつもなら数歩の距離が、今日は恨めしい。
「あ、やば……」
 冷えると尿意が近くなる。ぶるりと身体を震わせて、急いた気分でずりずりと手の力で這った。
 寝室のドアを開ければ廊下。
 その先にあるトイレに入れば、もう後は……。
 と思った時だった。
「ちわ?」
 賑やかな声とともに、明るい日差しが暗い廊下に入ってきた。
 トイレは玄関を入って少し奥。普通の客ならば玄関口でとどまって、トイレの前にいる紀通の姿は見えない。
 けれど。
「げっ、なんちゅう格好してんだよっ」
 素っ頓狂な声に、紀通はむっとしながら振り向いた。
「勝手に入ってくる奴に言われたくない」
 身体を覆う毛布に潜り込み、すぐ傍らの高い位置にある明るい笑顔を睨め付けた。
 茶褐色の髪が、ふわりと泳いでいる。
「中井、何の用だよ?」
「へへ、用があるのは紀通の方じゃないのか?」
 このマンションの管理人兼警備員の一人である中井純が、紀通の背後に回って腰をかがめた。脇の下に手を入れて、力の入らない身体を支えてくれる。
「力入らないんだろ」
「あ、ありがと──って……判った?」
 何もかもバレて照れる相手でもなく。けれど、多少はわいてくる羞恥心に苦笑いを浮かべた。
 中井には、何もかも知られているし、見られてもいる。
 行為の後はこんなふうにバテてしまうのもばれていた。
「なんつうかさあ……」
 零された呆れ気味のため息の後に、中井の口元に自嘲気味の笑みがのる。
「たかだか2週間なのにさ」
 その笑みが、何を指しているのか判ってしまう紀通もこくりと頷いた。
「だな、たかだか2週間、だよな。あんなにも元気ださなくっても、って思うよ。でも、そっちは元気そうじゃないか」
 少なくとも紀通を抱えて、支えてくれる。
「紀通よりは年期があるぜ、俺は。だいたいあいつの前で弱ってみろ、ここぞってばかりに何をされるか」
 げえっと顔を歪めながらも、かいがいしく紀通をトイレに運び座らせた。
「毛布、濡らすなよ?」
 バタンとドアが閉まる寸前にかけられた声に、舌を出す。
 でも助かった。
 ほっと息を吐く。
 こうやって助けがいる時に中井はいつも来てくれる。
 何もかも知られているという気恥ずかしさがない訳ではないが、気心の知れた相手の助けはものすごく安心できた。
 中井に手伝って貰って服を着て、準備してくれたご飯を食べて、ようやく人心地がついた。
 カーテンを全開にすれば、真っ青な春の空が見えた。
 陽の光の暖かさに癒されるようだ。それに、栄養満点の食事のおかげで身体にエネルギーが回ってきて、さっきより足腰のだるさも消えてきたような気がした。
 いつもは園田がしてくれることだが、中井にしてもらえるのも同じくらいには嬉しい。
「しかし、マジ2週間してないからって、がんばらなくても良いよな」
 対面で中井も食後のコーヒーを飲みながらしみじみと呟く。その言葉に、うんうんと賛同して。
「挿れられるほうの負担が大きいんだよな。不公平だよな」
「だよな?。射精だけならさ、こんなことにならないもんな」
 平気なふりをしている中井も、よく見れば腰をかばう動きを見せる。イスに腰掛ける時も、どこか動きがのろい。
 中井が照れたようにぽりぽりと指先でかく首筋に、鮮やかな朱印が見えた。シャツの上からでも見える所有印は、もう中井もあきらめているようだ。
 何よりも執着の強い相手に惚れられて、中井の身体にはあちらこちらに持ち主を表す印がある。
 そんな中井の相手もまた、昨夜は2週間ぶりに家に帰ってきた。
 早々に自室から引きずり出され、ここの隣の部屋に連れ込まれた彼が、どんな目に遭ったのか──想像できないところが恐ろしい。
 それでも中井は元気だ。
 それに、いなかった間の2週間、中井がどことなく元気が無かったことも知っている。
「なあ、毎日1?2回されるのと、休みの日にまとめて何回もされんのと、どっちが良い?」
 昔はこんな話をする相手などいなかったけれど。
 まったくいない訳ではなかったが、あくまで想像上の世界だった。
 だが、今は──。
「毎日……も考えもんだな。俺、仕事があるし。腰かばって仕事なんかできないし。でも……1回だけなら、負担にならないかな?」
 ものすごく現実味のある──いや、現実そのものの会話だが、中井となら恥ずかしいという気すら起きない。
「俺、毎日1回”だけ”希望?。だってよ、昨日なんかフルコースだぞ。玄関で一発、居間で一発、風呂で一発、ベッドで……えっと何発だ?」
「あはは……あいかわらずだね、千里さん」
「しかもっ、俺より保ちがいいんだ、あいつのは。俺、最後には出なくなってた……」
 がくりと肩を落とす中井に、慰めの言葉は出ない。
 ただ、苦笑いを浮かべるのがいつものこと。
「てことは、昨日は達かせてもらったんだ」
 聞く度に違うずいぶんとバラエティに富んだ性行為は、なるほどと思うことも多々あるが、やろうとはあまり思わない。
「紀通も相当されたんだろ。いいなあ、園田さんと……」
「良いだろう?」
「今度俺も交ぜて?」
「嫌だ」
 園田が自分以外の誰かを相手にするところなど見たくもない。それが大事な中井であっても同じこと。
 きっぱりと言い切ると、ずるいと唇をとがらせる。
「じゃ、紀通抱かせて?」
「千里さんにバレたらどうすんのさ」
「バレないようにするさ」
「無理だろ」
 今まで中井の浮気がばれなかったことが無い。
 そのとばっちりは受けたくないと首を振る。
「じゃ、今度見せて? 久しぶりに紀通の達く時の声、聞きてぇ」
「見て、聞くだけじゃないだろ」
 相変わらずの言いぐさに、肩を竦めた。
 中井は紀通と園田の声が大好きなのだ。
「ん?、キスくらいはさせて?」
「何言ってんだよ、また園田に殴られるぞ」
「おおっ、最高だね」
 満腹するほどの相手がいても、それでも大好きなおやつは別物だ──とばかりの中井が、じりじりと上体を近づけてくる。
 ほのかに目元を桃色に染めて、欲情に潤んだ瞳が目の前に来ていた。
「相変わらず想像だけで、勃ってんのかよ」
 苦笑する吐息が触れる距離で囁くと、にやりと笑われる。
 ぺろりととがった舌先に、唇を舐められて、ぞくりと肌が粟立つ。
 もともとは中井に馴らされた行為だ。
 園田にも淫乱とからかわれるほどに、性的な触れ合いを受けると身体はすぐに熱くなる。
「俺、もう十分なんだけどなあ」
 そんなことをうそぶいて、紀通もまた唇を深く合わせた。
 くちゅくちゅと唾液が交わり、舌が絡まる。
 さっきまでやっていた行為に比べれば、ままごとのような睦み合い。
 だが、愛を確かめ合う重さがないせいか、心が軽い。遊技のように触れて離れて、また触れて。舌先が相手をからかうように逃げまどう。
 こんなことは、園田とはしない。
 園田が相手の時は、一度絡んでしまえばもう絶対に離せない。
 与えられる熱以上に熱を与えたくて、与える熱よりももっと欲しくて。
 あっという間に身体が熱くなり、沸騰してやめられない。
「なかい……」
「ん……もっと声出して……」
「んぁ……あぁぁ……」
 たらりと流れた唾液を辿って喉を這う舌に、身体から力が抜ける。
 緩い下衣の下で、己のモノが勃ち上がってきていた。
 中井の手が、自分の下着の中にまで入り込み、股間をまさぐっている。
 じれったくまどろっこしい──自慰の延長線上の行為がこれ。
「触れて……俺の」
 中井の手にイスから引きずりおろされて、床で重なった。
 若い雄は昨夜の激務をものともせずに隆々とそびえていた。
 手の中でびくびくと育つ中井のモノは愛おしいが、これを身体に挿れたいとは思わない。
 けれど。
「元気だね……」
 達かせてやりたい、と思う程度には愛おしい。
 指が絡まり、上下に扱く。
 中井の手も、紀通のそれに絡んできた。
「あ、ああぁ」
 園田とは違う手の感触。
 行為を覚えている身体は、確実に追い上げられる。
「な、なかいっ」
「ん──、ね、もっと呼べよ……俺の……名」
「あ、ん、中井っ、中井──っ」
「すげっ……くそっ──あくっ」
 追い上げられ、追い上げる。
 ぐじゅぐしゅと手の中で鳴る二本の陰茎から、だらだらと先走りが流れていく。
「な、かいっ、俺、もう……」
「んく、俺も──」
 果てるタイミングは、同じだった。
 パチパチパチパチ
 弛緩しかけた2人の耳に、小気味よい拍手の音が響く。
「え……」
 上にいた中井がぼんやりとした視線をそちらに向けて。
 ひくりと強張った。
 紀通もまた、その視線の先の光景に気がついて、陰茎に手を添えたまま硬直した。
「いや、子犬がころころと転がって遊んでいるのはかわいいもんだねぇ」
 陽気な言葉のわりに、いやらしく嗤う男の視線が両側に立つ2人の男に向けられる。
「ええまあ、かわいいと言えばかわいいですけどねぇ」
 返されたため息ともつかぬ声音の温度は、限りなく低い。
 そして。
「……中井……てめぇ……また鴻崎にちょっかいをぉ──っ」
「ひ、ひぇ──、す、すんませんっ!」
 部屋を振るわせる怒声に、中井がぴくりと跳ね起きた。その襟首に伸ばされた太い腕をかろうじて交わし、逃げた先は冷ややかな視線を向ける男の背中。
「だっ、だって、紀通、欲しそうだったから」
「だからってちょかい出すなって言っているだろうっ、おい、千里、そいつを出せっ」
 いつもは少々のことでは吐き出さない怒気を、今は際限なく溢れてさせている園田を、千里が小さく笑う。
「この子のお仕置きは私がしますよ、園田さん。でないと、悦ばすだけになりそうだし」
 ね、と背後を振り返る。
 それに、中井は息を詰めて目を見張り、染まっていた頬を隠すように俯いた。
 上目つかいの視線が、困惑をにじませながら園田と千里双方に向けられている。
「中井くんはどっちが良い? 私と園田さんと」
「そりゃあ……」
 思わず、といった感じで口を開いた中井だったが、次の瞬間キョロキョロと千里と園田を見やってから、口をつぐんだ。
 紀通にも判る中井の葛藤が、千里にも判らないはずがない。
 皆の注目から外れていることを良いことに、こっそりと服を整えながら紀通は千里の表情を窺った。
 笑っているのに、笑っていないと感じるのは、中井にさんざん愚痴を聞かされているからだろうか。
 その視界に入っていないことに安堵すら覚える。
「中井くん?」
「……えっと……」
 葛藤が態度にも出ている。
 さすがに園田も手を出さず、中井の言葉を待っている。
 そんな中で中井が、だれも助け舟を出してくれないと、あきらめの吐息をこぼした。
「……遊んでただけなのに……」
 それだけをつぶやいて、口を閉じる。だが、千里の背から離れない、その態度が答えだった。
「じゃあ、戻りましょうか」
「う?」
 不満そうに口元を歪めているわりには、意外に思うほど従順について行く中井を不思議な気分で見送る。
 園田が軽く舌打ちするのを見上げて、再度閉じられたドアを見つめて。
「ほどよく飼いならされてるなあ、あれは」
 苦笑交じりの声音に反応して振り返る。
「卓真さん……」
「おまえもそう思うだろ?」
「あ、はい……」
 飼う、という言葉が適切かどうかは判らないが、たしかにあの状態の中井を見ていたら、そんな感じがする。
「あんなに、嫌だ、嫌いだって言っているくせに」
「嫌い、というより苦手、なんだろうよ。何せ、あれ、だからな」
 肩を竦めながらソファに腰を下ろした卓真が、園田に向けて顎をしゃくる。
「千里がいなくなってしまいましたが……」
「ほっとけ、すぐに来る」
 持っていた茶封筒から、たくさんの書類が出てきていた。
「……えっと……仕事?」
 邪魔だったら逃げようと伺ったつもりだったけれど。
「ああ、手ぇ洗ったら手伝え」
「え……」
「イカくせぇ液をつけんじゃねぇぞ。んで、これはそっちの帳簿と照らし合わせろ。足りねぇ書類があったら、教えろ」
 気がつけば、山のような書類の前で、数字とにらめっこするはめになっていた。
 15分もしないうちに千里が戻ってきて、それから簡単な食事の時間以外は夜が更けるまで4人でひたすら帳簿の確認をした。
「出てくるもんだなあ……」
 呆れるほどにおかしな内容の帳簿だった。
「気がついて良かったですよ。今ならまだなんとかできます」
 千里がとんとんと書類を束ねながら、ほっと息を吐いた。
 卓真と園田は、片づいたと思ったとたんに、ウィスキーとグラスを持ってきて水割りを飲んでいる。
「ところで、これ、なんですか?」
 手渡されたグラスに口をつけながら、問いかける。
 訳も判らず確認させられたそれが、どこかの店の帳簿だということは判っていたけれど。
 なぜにこの3人が一生懸命チェックしていたのかが判らない。
「これは、うちが管理している店ですが。どうも裏帳簿があるようだ、という話で確認していたんですけどね……」
「いやあ……また下手な裏帳簿だ。こんなの、すぐにバレるぞ」
「バレるために作っていたのかもしれません」
 卓真と千里の会話が理解できない。
 首を傾げながら園田を見やると、どことなく不機嫌な園田が、吐き捨てるように言った。
「古葉の置き土産だ」
「古葉……ってあの?」
 3ヶ月ほど前に自ら死んだ男。
 後から聞いた話では、今ここにいる卓真と敵対していた相手だったらしい。
 彼がいなくなって、敵対する勢力は一気にその勢力を縮小した。
 紀通が園田と一緒に暮らせるようになったのも、仕事に行けるようになったのも、そのお陰だ。
 他人の不幸を喜ぶ性格ではないけれど、これに関しては、素直に嬉しいと思っていた。
 その古葉の置き土産。
 どう考えても良いモノとは思えない。
「まあ、事前に気がついただけでも対応が取れます。これを指示した当の本人は死んでいますからね。その辺りでうまく手を考えます」
「ああ、頼む」
「それでは私はこれで」
 千里が書類を持って足早に部屋を出て行く。
「おいっ」
 その背に卓真が声をかけた。
「あんまりあいつをいじめるなよ」
 その言葉に、千里が振り返る。
「いじめる? 可愛がっているだけですよ。今だって、たいした罰になっていないと思いますよ」
 にこやかな笑みとともに、きっぱりと言い切った。
「だったら、貸せよ」
「その──だったら、が、何にかかるんですか」
「俺も可愛がってやるって言ってるんだよ」
「冗談。他人に貸すなんてもったいないことを」
「けち」
 子供のように口をとがらす卓真に、千里と、そして紀通が呆れたように嘆息した。
 この卓真は、初めて紀通の前に現れた時からこんな感じだった。
 いつもふざけていて、人をからかうのを愉しんでいる。
 中井から、怒らせるととても怖いのだと聞いたことはあったけれど、そんな姿はまだ見たことがなかった。
 今も卓真は陽気な酔っぱらいのようにふざけている。その対面で、園田が2人の絡み合いを無視してただ黙々と酒を飲んでいた。
 だが、紀通はこの3人が酔っぱらったところなど見たことがなかった。
「浮気ですか?」
「違う違う、単なる暇つぶし」
 暇……つぶし……?
 にこやかな卓真に、他の3人が冷たい視線を送る。
 それに気づいているはずなのに、卓真は意にも介さずに「ああ、遊びてぇよ?」と呟いている。
「……どこが暇だ……」
 さすがに園田がぼそりと言う。
 それに千里も頷いて、携帯を取り出しながら、誰にともなく呟いた。
「……新居浜さんを呼びましょうかね。ここにとても暇な方がおられますから」
「えっ……」
 その名に、卓真の動きが止まった。
 笑顔が引きつり、軽快だった軽口が途絶える。
「俺が電話しよう」
 園田までも、携帯を取り出す。
 指先が慣れた動きで、番号を呼び出しているようだ。
「ちょっ、やめろっ」
 手が伸びる。
 その手を避けて、園田が冷ややかな笑みを向けた。
「そろそろ帰った方が良い。どちらにせよ、迎えが来る」
「……だってよぉ……」
 うじうじ……してるよ……。
 似合わねぇ……。
「新居浜さんって……卓真さんの彼だよな……?」
 問いかければ、千里が頷いた。
「もっか大げんかの真っ最中でしてね。それで事務所からここに逃げてきたんですよ」
「あ……それで、早く帰ってきたのか……」
 遅くなる──と言っていたはずだったから、早くに帰ってきてよけいに驚いたのだった。
「殴るは蹴るわのとっくみあい……。いったい何が起きたのか、こっちにも判りません。ということで、さっさと退散しますよ。鉢合わせはごめんです」
 なんだか恐ろしい言葉を聞いたような。
「では、失礼します」
 去り際だけは丁寧に礼をして、千里はさっさと出て行った。
 ふっと中井がどんな目にあっているのか気になったけれど。
「こっちもとばっちりはごめんだ。ということで、どうぞお帰りを」
 立ち上がった園田が、卓真の腕を掴んで立ち上がるのに慌てて、紀通も立ち上がった。
「お、お前、上司に向かって」
 ぎりっと卓真が歯噛みをする。
「もう仕事は終わったはずだが……」
「……くそっ、こ生意気になりやがって。組のままの方が良かったか?」
「冗談じゃない──と、迎えだ」
 園田の忌々しげな舌打ちに、タイミング良くインターホンの呼び出し音が重なった。
 新居浜に引きずられるようにして卓真が帰って行った。
 最後まで騒々しかった卓真がいなくなると、一気に部屋に静寂が戻ってくる。
 それを少し寂しく思いながら、そろそろ夕飯の支度をしよう──と、キッチンに向かおうとした時だった。
 手首を痛いほどに掴まれ、引っ張られる。
「そ、園田?」
 荒々しく寝室に引っ張り込まれ、そのままベッドに押しつけられた。
「ったく……1日が長かったぜ」
 上から覆い被さった園田の腰が太ももにあたる。
 肉に食い込むぐりっとした確かな感触に、紀通は目を瞠った。
「園田?」
「いやらしい声を上げて、中井なんぞに許しやがって……」
「もしかして、あの時から?」
 三人が訪れたあの時から、ずっと?
 言葉にならない問いかけに、園田が紀通の首筋に吸い付きながら「ああ」と答えた。
 その振動にぞくりと肌が粟立つ。
「あの場で押し倒したかった……」
「んっ、や」
 園田の大きな手が、紀通の股間を包み込んで揉み上げている。
 昨夜から朝までたっぷりと搾り取られている筈なのに、3ヶ月ですっかり馴らされた身体はあっけなく火が点いた。
 剥ぎ取るように裸に剥かれ、隠すところ無く園田に裸体を晒す。
 指が、唇が、感じる場所を辿り、まだたくさんあるキスマークがさらに増えた。
「そ、園田ぁ……やっ、そこ……」
 甘い吐息が零れる。
 舌先での柔らかな刺激が物足りなくて、切なく身悶えると、太ももにあたる塊がさらに大きくなった。
 それを感じているだけで、身体が熱くなる。
 もう十分──と思ってからまだ半日しか経っていないのに。
 一度抱きしめられると、もう我慢なんかできない。
「園田……もっときつく……俺を、離すな……」
 どうしてこんなにも安心できるのか。
 力と温もり、そして匂い。
 そのどれもが園田だと実感できる。
「あ、んくっ……んふぅ……」
 おざなりに広げられた後孔に、もう我慢できないとばかりに熱くて太い陰茎が突きつけられた。
「挿れるぞ」
 低い甘い声音が直接吹き込まれて、それだけで達ってしまえそうなほどに感じる。
 でも、まだだ。
 これよりももっと大きな快感が、この先にはある。肉を押し広げられ、突き上げられた場所にある快感の源に誘い込むように、腰が揺れた。
 その動きのせいか、それとも園田が腰を動かしたのか、つぷりと押し広げられる。
 進入してくるそれに、ぞくぞくと肌が粟立ち、あえかな嬌声が零れた。
「あ、いぃ……」
 深く深く、限度いっぱい押し込まれて、すぐに抜かれる。
 ぎりぎりのところで止まり、また深く押し込まれて。ゆっくりと壁を辿り、時折抉るように変化する。
「ひっぃ、やあぁぁ──、あっ、そこっ、感じるぅっ!」
 声が止まらない。否──止めない。
 園田の前で、何も隠さない。
 我慢して苦しんだ日々があるから、泣きたい時には泣いて、怒る時には怒って。
 そして。
「ぅっ、もっとぉ──っ、園田っ、あはっ──すげっ、いいっ」
「ああ、お前の中もすげぇ……。熱くてうねっていて、吸い込まれそうだ……」
 ぶつける感情が大きければ大きいほど、園田もそれに答えてくれるから。
「んあ、そこっ、もっと欲しいっ──もっと挿れてっ」
「もっと欲しいって? このド淫乱」
 苦笑混じりの揶揄も園田からだから嬉しくて、紀通はうっとりと微笑んだ。
「園田だから……」
 他の誰でもない。
 相手が園田だから、こんなにも欲しい。
「そんな顔して誘ってのか? 抱き殺すぞ?」
 眉間による深いシワに、低く押し殺すような声音。
 ドスの効いたそれは、平常時なら怯えてしまうものだけど。
「園田なら……良い……」
 こんな時に言われても、幸せにしか感じなかった。

【了】