【DO-JYO-JI】 再会の章
今日からもう逃れられない──けど……。
空はきれいな青空が広がり、太陽が燦々と輝いている。
雨の心配など全くしなくても良い晴天の中、数台のトラックが地下駐車場に入っていった。
いつもは閉じられている駐車場からの大型荷物用の出入り口を、今日は一時的に解放してある。その分、警備員が交代で見張りに立っていた。
本来ならば、中井もこなさなければならない仕事だ。
だが千里が到着し、満面の笑顔の彼に手首を掴まれては、もう仕事に戻ることはできなかった。
そのまま管理人室に連れて行かれ、あろうことか千里と並んで客用のソファに座っている。
対面には新しい上司である井口が、苦虫を噛みつぶしたように顔を歪ませ睨んでいた。
何せ元ヤクザだ。
普段は厳つい顔を何とか綻ばせ、意外にも愛嬌が出て人の良さなどを醸し出しているけれど。
睨まれては、中井のような下っ端は竦み上がるしかない。
早々に逃げ出して、何とか慣れてきた仕事をしている方がよっぽどマシだと思えるほどに。
それでも、千里は何が嬉しいのか、終始笑みを崩さずに、ついでに中井の手も離さない。
その様子を井口がちらちらと視線を走らせるたびに、室内が暗くどんよりと重くなっていく。
暗雲立ちこめる、とはこういう事をいうのか……。
何かの映画のワンシーンを思い出して、この後何が起こるのか想像しようとしたのだが、さっぱりと思いつかなかった。
いつまでも静かな部屋で、時間だけが過ぎていく。
さっきまで、すぐ外のフロアも管理側の人間や引越業者の会話で賑やかだったけれど、今はもう静かだ。
きっと千里の部屋で荷解きなり片づけなどをしているのだろう。
それを想像する度に、自分もそこに行きたいと強く願う。時々、そっと腕を外させようとするが、よけいに強い力を入れられただけだった。
このまま永遠にこんな状態が続くのだろうか?
重いため息を飲み込んだ、その時。
「マジ……かよ……」
井口の顔が、怒りとも、悔いともつかぬ、なんとも言えない表情に変化した。
はああ、と腹の底からため息を漏らして、やってられないとばかりに、顔を覆う。
そのあまりにもらしくない態度を呆然と見つめていると、千里がくっと肩を揺らした。
「そんなにも、驚くことはないと思うけどね」
くすくすと笑みを零して、中井の肩に腕を回して引き寄せる。抗う間もなく胸に倒れ込んでしまって、慌てて腕を突っ張った。
「止めろ……てください」
小声で制止するが、そんなことを聞く千里でもなかった。
「なぜ? ようやく会えたっていうのに。約束の日も来られなかったし。ほんとうに寂しかったよ……でもこれからはもう大丈夫だね」
甘い睦言が耳朶を擽る。
休みの度にはこちらに来るから、と言う言葉は、結局果たされたことはなかった。
定時連絡の電話をしても、繋がるかどうか。
繋がらなかったからと言って最初の日のような罰はなかったが、メールでしか会話できないことになぜだかひどく苛立った。
せっかく一週間で使い切る約束を守ったのに。
言われたとおり、パソコンを買ってネットにつなげるように設定したのに。
メールで連絡してきた買い物を済ませ、いつ来るか判らない千里を待つのは、意外にも辛かった。
それで結局来ないのだから、質が悪い。
少なくともこれからはそれが無くなるであろうことは安心できる筈。だが千里の言葉に素直に喜ぶこともできない。遠隔操作のように操られることは無くなっても、今度はこの千里自身が常に傍にいるのだ。
こんなふうに。──逆らうことのできない中井を思うがままにする男が。
ちりちりと痛いほどに感じる視線に、肺の全ての空気を吐き出すようなため息が零れてしまう。
「なあ、離してくれよ……」
突き飛ばして逃げてやろうか?
いたたまれない程の視線に、そんなことを思った瞬間だった。
井口の言葉が天からの救いのように感じた。
だがそれは、きれいに無視された。
「ほらほら、静かにしないと、首輪でもしようかな」
思わず井口へと動いた身体を抱きしめられて、穏やかな笑みの中に冷ややかな視線が混じる。
「え……」
喉をさする指が、きゅっと食い込んだ。息苦しさに歪む顔を、千里が覗き込んで笑う。
「素敵な首輪があるんだ。でも、せっかくだからもっと雰囲気が良い時にしようかと思ったけどねぇ。でもあまり暴れるなら、今してあげようかな。ちょうど鎖が付くから、繋ぎやすいし」
首輪、首輪──首輪……?
想像しようとして、頭に何も思い浮かばない。
ただ判るのは、それがきっと、アクセサリーとかそういう類ではないだろうということだけ。
「じ、冗談?」
問うている内に、記憶が単語の意味を思い出す。
「おや、私はいつでも本気だよ、ね」
ねっと笑われて、思わずこくこくと頷いた。
千里はいつだって本気だ。冗談めかしていても、たいてい実践してしまう。
本気と冗談の境があまりにも曖昧で、だからこそ、読めなくて怖い。
さすがにこんなところで首輪をごめんだと、頭が理解するより先に、身体が強張って動かなくなった。
「ああ、いい子。そうやっておとなしくしていなさい」
触れる指が、やさしく髪を梳く。
それは気持ち良いのだけど。
「おい、離してやれ」
「なぜ? やっと会えたのに。中井くんと遊ぶのを楽しみにしていたのにさ」
「嫌がっているだろうが」
「どこが?」
普通の人間なら絶対に逆らわない声音をあっさりと流し、千里の手が今度は地肌に触れてきた。
愛撫でしかない刺激に、ぞくぞくと肌が粟立つ。ぎゅっと目を瞑り、救いであった井口の視線から逃れたいと俯いた。
「……気に入ったっていうのか?」
「そうなんだよね。この子は……なんていうか、可愛くて仕方が無いっていうか」
「……そうか……」
井口の諦めにも似た吐息が、遠く聞こえる。
ぎゅっと固く口を閉じていないと喘ぎ声を漏らしてしまいそうに、千里の手が感じる場所ばかりを擽っていた。
それでなくても、千里が来なかった一ヶ月近く、自慰をしても今ひとつ愉しめなかったから、最近はすっかりご無沙汰になっている。それもこれも、最初の一週間でローションを使い切るために、思いっきりしまくったからだ。
静かになった井口が、諦めたように事務的な口調で、マンションの説明を始めた。
千里がここに来るのは初めてで、全て園田と中井が手配から事務手続きまで全てすませた千里は、何も知らない。そんな千里に説明することはたくさんある──と、昨夜井口から聞いていた。
けれど、これは……。
身体が熱い。
腰の辺りをやわやわと揉まれて、ひくんと身体が震えた。
甘酸っぱい感触に唾液が口内いっぱいに溢れて、何度も喉が鳴る。
その全てを聞かれているのだ、井口に。
必死で我慢している声が、ほとんど出かかっていた。
それなのに、また終わらない。
管理組合の事。
いくつかの注意事項。
その他、いろいろ。
何が愉しいのか、千里は終始にこやかだ。
いや、愉しいのだろうけれど。
「っ──う」
腰骨の辺りをぎゅっと押され、甘い吐息が零れる。
も、もう……。
「せ、千里さっ……」
震える手で、千里の胸のシャツを握った。見上げる先にある至近距離の千里を見つめる。
「どうした?」
悔しいぐらいに余裕綽々の表情だが、今はそれに構っていられない。
「お、俺、もう……」
身体が、限界を訴えていた。
若い性は、激しくズボンの股間を膨らましている。
「おやおや、堪え性の無いことだ」
すっかり責任転嫁された中井は、もう反論する余裕などなかった。
必死で息も堪えていたせいで、朦朧として少しふらふらもする。
「ということですので、また後で続きを聞きに来るよ」
「……ったく……、遊ぶのもいい加減にしろ。何でよりによって……。園田さんから名前を聞いた時、ぜってぇに人違いだと思っていたがな」
「そう? 未だかつて、私と同じ職業で同じ名前なんて聞いたことなかったが」
「ああ、俺もねぇ……残念ながらな」
しれっと言い返す千里に、井口の顔がますます歪んだ。
「良いとこの事務所に入っていたんだろうが」
「まあ勉強にはなったが、まじめすぎて退屈でもあったね」
「何言ってんだ。だからこそ、一流なんだろうが」
「だからこそ、私のような下っ端では面白いところにはなかなか参加できなくってねぇ」
なんだか剣呑さが増してきて、さすがに千里も手を止めてくれた。
だが、ホッとすることができない。
きっとパンツの前にシミが浮き出ているであろう程に感じている身体は、早く先を欲してるのだから。
なのに、一度はキリが付いたはずの会話が、また始まっていた。しかも、さっきより剣呑さが増していて、なおかつひどくプライベートな話になってきている。
前に一度千里の事を話した時には、知り合いとも何も言っていなかったけれど。
どうやらずいぶんと千里のことに詳しそうな井口の怒りが、ますます強くなっている。
「で──、何で辞めた」
さらに低くなった、すでに怒声と呼ぶべき言葉を、千里は動じた様子も無く微笑みながら返す。
「園田さんに誘われてね。面白そうかな、と」
「園田さんが……」
その名は井口にとっても特別なのか、一瞬鼻白んだように言いよどむ。それでも、意を決したように言葉を継いだ。
「いくら園田さんから誘われたからって、エリート弁護士の未来を捨てるっていうのか?」
「エリートなんてものに興味はない。どうせならいかに愉しく仕事をしたいと思ってね」
「……だが」
「それに、もともと私はこちら側の人間だしね、お父さん」
とたんに黙り込んだ井口と、相変わらず笑みを浮かべたままの千里。
その双方をまじまじと見比べたのは中井だ。
「……お父さん?」
──どっちが……?
と思わず指さして。
「とうぜん、この人が私の父ですよ」
「うそっ」
「本当ですよ。似ているでしょう?」
にこやかな千里に、苦虫をかみつぶしたような表情でそっぽを向いている井口。
二人揃って並んでくれても。
「に、似てねぇ……」
どこをどう見ても、顔だけでなく性格まで似ていない。
ぶんぶんと首を振って否定すると、千里が肩を竦めた。
「そう……?」
その様子に、井口ががくりと肩を落とした。
「お前は母親似だからな。子供の頃から、俺に似なくて良かったって、皆に言われていたくらいだ」
まあ、確かに。
と、さすがに口には出して言えない言葉を飲み込んだ。
だが、性格は父親よりも恐ろしい気がした。下手に柔和な顔をしているから、よけいに質が悪い。
「頭も良くて、進学校にトップの成績で入って、法学部も軽々と入って……鳶が鷹を産んだって、あれほど揶揄されたっていうのに……」
「今でも優秀だけど。法律遵守の精神を貫き、クライアントを守っているよ」
自画自賛する千里に、井口と中井が揃ってため息を飲み込んだ。
「ヤクザの顧問弁護士が法律遵守?」
「あんなエロいあんたが法律遵守?」
きれいに揃った二人の疑心暗鬼の言葉を、千里は口角を上げて一笑に付した。
「法律は守るためにあるものだよ、ね」
あっけなく言い返された言葉は、いくらでも文句の付けがいがあるものだったけれど。
親だからこそ知っている子供の性格。
短いけれど濃厚なつきあい。
これ以上言いつのる危険性を本能的に理解してしまったが故に、二人とも黙りこくるしかなかった。
千里の部屋はまだ片づいていないから。
そう言われて千里を案内したのは、中井の部屋だ。
前のアパートにあった荷物がこぢんまりと部屋の片隅に置いてあるだけの、生活感が少しずつ出始めたばかりの部屋だ。その片隅にあるバックを、千里が嬉々として取り上げた。
「ああ、使い切っているね。絶対に確認しに来ようと思っていたのに、残念だったよ」
にこりと笑いながら取り出されたローションの容器は確かに空だ。
とにかく、頑張って一週間で使い切ったから、千里が来られないと聞いたとたんに、一気に気力が萎えた。
ほんとうにそれから数日間、自慰どころか園田の怒声を聞いても性的興奮一つ起きなかったのだ。
それが自分にとって異常だという自覚はあって、なんとか気分を切り替えたのだけど。
ここ一週間ほど、その元気がまた萎えてきていた。
なんだか物足りないのだ、何をしていても。
特に一人で部屋にいるとそれが顕著になる。
テレビを見ていても、食事をしていても、ぼんやりしていても、何かのおりにふっと辺りを見渡してしまうのだ。何もいないのに、そこに誰かがいるようで。
けれどいなくても、重いため息を吐くのだが、自分がなぜそんなに落ち込んでいるのかが判らない。
俺は──何をしているんだろう?
判らない感情がよけいに気力を奪い、最近ずっと荷ほどきも何もできていなかった。
その中井の部屋に、今千里がいる。
ぼんやりと千里を見つめていると、彼がふっと顔を上げて微笑も返してくる。
「これからは、ずっと一緒にいられるよ」
「あ……」
一緒に──という言葉は、なぜだかひどくほっとした。
中井の身体を引き寄せる仕草に、手が頭や背を優しく撫でてくれる様子に、ひどく安堵した。
こんな自分がおかしい、と思う。だが、千里の前だと身体から力が抜ける。
「欲情しているね」
手が、頬を撫で上げるだけで、身体がぞくぞくと震えた。
万年床と化していた布団の上に押し倒されただけで、甘い吐息が零れる。
さんざん煽られていた身体は、一見鎮まっているようでも奥底にはいくらでも熾火が残っている。
「あ、当たり前だろ……それに……」
「ん?」
言いかけた言葉を飲み込むと、千里が覗き込んでくる。
「何? 言ってごらん?」
意地悪な誘い文句は、触れるだけの口づけを伴っていた。
「熱いね」
くすくすと唇の上で笑われて、ずくんと下腹の奥に快感が走る。
盛り上がっていく股間の布地が、千里の手で呆気なく暴かれた。
「こんなにも、ね……。やっぱり離れていると辛いだろ?」
「そんなんじゃない」
辛いとか、そんなんじゃない。
ただ、何をしても満足できなくて、物足りなくて……。
──寂しくて……。
縋るようにその首筋に頬を寄せると、耳朶に吐息が触れる。それだけで、身体が歓喜する。
「今日はたっぷり愉しもうね。私は一週間禁欲してこの日を待っていたから」
嬉しそうな声音に、ぞわぞわと背筋を走った悪寒。
けれど、同時にびくびくと身体が跳ねる。
「そんなん、もたな──ぁ……」
なぜだろう?
肌がものすごく敏感になって、触れられただけで感じてしまう。
はあはあと、熱い吐息を零しながら千里を見上げれば、目が笑っていた。
かあっと身体が熱くなる。慌てて視線を逸らすのに、顎を掴まれて引き戻された。
「私を見ながら、服を脱ぎなさい」
裸など嫌となるほど見られているが、それでも犯すような視線で見つめられていると羞恥が増してくる。
ほんとうにこの男は意地悪で、恥ずかしいことを強要する。
「ああ、もうっ」
「ほら、脱いで。それからどうして欲しいのかな?」
意地悪な言葉、けれど手が残っていた衣服を剥ぎ取って、足が勝手に開いた。
羞恥を凌駕するほどに、中途半端だった身体がひどく飢えている。
ひくひくと自分の後孔が震えて、それが全身にまで伝わった。
「あ、はっ」
ぷつりと入ってきた指が感触に、身体が仰け反る。
「ああ、きつくて、でも中の方は柔らかい。しっかりと遊んでいたようだね。これならすぐに入りそうだ」
「あ、ああぁっ」
おざなりに解されて、すぐに入ってきた熱い塊に、身体が仰け反る。
苦しい、けれど、嬉しい。
ずるずると奥の方まで入っていくそれを逃したくなかった。
「ああ、熱い。それに厭らしく肉がまとわりついてくる……。そんなにも私が欲しかったのか?」
「ちが……あっ……んくふぅ」
違うと首を振りながら、けれど嬉しさのあまり、涙がぼろぼろと伝い落ちていった。
「可愛いよ、こんなにも欲しがってくれるから、私も無理ができる」
「んあっ──やだぁ、そこはっ。ひぅ──っ」
数回突かれただけで、呆気なく精液が迸った。ぽたぽたと下肢に落ちる精液が拭われ、まだきついそこに塗り込められる。
何回もやったら腰が立たなくなる──。
快楽にまみれた脳の片隅で、理性が指摘はしてくれたけれど。
「やあっ──ああっ──。……せ、千里……ぃ」
「まだまだ、がんばれるよね」
欲しがっているのは千里の方だから、仕方がない……。
伸ばした腕に落とされたキスに、柔らかく微笑んで返していたことに、中井自身は気づいていなかった。
【了】