左手は利き腕の右手よりは若干力が劣る。と言っても、打たれるほうにとってみれば、たいした差ではないと思うだろう。
「がっ!!」
打たれた身体がしなり、仰け反った頭で髪が宙を舞う。
狙い違わず叩き込んだ左の肩から腰にかけて、くっきりと浮かんだ赤い線がじわりじわりと色を濃くしていく。
「う、くっ……」
天井を向いていた頭がぐらりと前へ倒れて、小さく呻く。
力は入れていないが、こんなものを味わったことのない身体には過ぎた痛みだろう。
いくら厳しい親だと言っても、せいぜいが手のひらを教鞭か何かで打たれたくらい。拷問に使われる鞭の威力とは比べものにならない。
それが判っていて、否、判っているからこそ、笑みを浮かべたまま再度腕を振り上げた。
その姿に、リアンが気付いたときには、手の中の柄まで震えが走る。痺れるようなその妙なる感覚は、経験しているとやみつきになってしまう代物だ。
もっともっと。
俺のような質には、甘い毒となって精神を蝕んでしまうほどに危険なものだ。
まして、為す術もない獲物が放つ。
「ぐっ、あぁぁぁ──っ!!」
こんな悲鳴を聞いてしまえば、それがさらに助長させられて。
こんな俺に魅入られたリアンがかわいそうだと、憐憫の情にすら酔いしれる。
撃たれた衝撃に瞠られた瞳は焦点が合っておらず、先よりさらに背が反ったせいでしなった身体はすぐにバランスを失った。
その動きに合わせて、三撃目を放つ。
パンッ!!
と、鋭く打つ音に、悲鳴が被さる。息を吐き出しきったままに続いたそれは、ひどく短く、弱く、小刻みに震えていた。
「あ、うっ、……うっ……くっ、うっ」
少し間を置けば、なんとか喘いで不足した空気を取り入れるリアンの頬に涙が流れ落ちていった。痛みによる生理的な涙は、けれど次の瞬間、きつく瞳が閉じられたままに頭を強く振られ、飛び散ってしまう。
「っ、くそっ、ちくしょっ」
零れた悪態はすぐに、己が零した悲鳴を恥じるように固く口を噤まれて消えていく。
「どうした? 喋る気になったか?」
身体の横に鞭を下ろして近づいて、亀甲縛りの紐の痕以外傷のなかった背中に走った赤い線に指先で触れた。
「んっ」
硬直した身体から息を飲む音が零れる。
肌が傷つくほどではなかったが、内出血は始まっている。それに、冷たい身体の中でその痕は明らかに熱を持ち始めていた。
その痕に誘われるように息を吐きかけてやれば、おもしろいようにその身体がびくびくと震える。
「名前と所属……ついでに、そうだな、あの基地の人数も教えてもらおうか」
考え込むように追加した言葉に、見えない顔からギリッと歯が軋む音が届く。
だったら、と。
「んがぁっ!!」
「ぎあっ!!!」
「がぁあぁっ!!!!」
立て続けに三回、鞭を振るう。
右の肩甲骨に、腰に、左の尻から大腿に、三本の線が鮮やかに浮かび上がっていくのを、しばし堪能した。
肌が白いせいか、存外に似合うその模様に、じゅるっと溢れた唾液を飲み込んで、熱く乾いた唇を舌で潤す。
なんだか美味そうな色合いだ、と、誘われるそれに近づいて。
「まずは名前だ。言いたいなら言え」
後を引く痛みに耐え、眉根を寄せて固く目を瞑り小さく震えている身体を背後から抱きしめた。
顎に回した手でその顔を後に向けさせて、ねっとりとその頬に流れた涙を舐めてやる。
その感触に、リアンが一際大きく震えて、痛みに溢れたであろう涙に潤んだ瞳が俺を捕らえた。恐怖とも嫌悪とも羞恥とも、いろいろな感情が入り交じったその表情に、ずくっと下腹部の熱が暴れ出す。
怯え、けれど気丈に力を込めて睨み返してくる瞳も、震えを恥じるように唇に食い込む白い歯も、堪らなく俺をそそる。
「まだ言うつもりはないか」
目的からすれば、早々に情報を吐露させるわけにはいかず、けれど、最初から飛ばすのは尋問の順番としては不適切だ。
斜めに走る痕は、実際のところ縛った紐にも遮られていて、この程度ならそれほどのダメージではないはずだ。俺たち暗部随一のチームに取ってみれば、小手調べでしかない行為で早々に屈してしまわれては興醒めだった。
「良いのか?」
再度の問いかけに、帰ってきたのは前髪越しの鋭い視線だった。
生温い金持ち息子ではあるけれど、あの当主の息子として育てられた分、プライドだけは高い。こんなふうに敵地で、しかも裏切り者という認識の俺相手には屈しないという、強い思いがその瞳からありありと伝わってくる。
それでこそ、リアン。
だが。
バカな子だ。
ふっとそんなことを思い、けれど、そんなところも含めて気に入ってしまったのだと思い出して、浮かべてしまった微苦笑を、あげた片腕で隠す。代わりに、笑みを孕んだ視線を返して、その無駄な虚勢を嘲笑った。
「くっ!」
口惜しそうに歪んだ口元が、けれど、また閉じられる前にと、左手首を捻る。
それだけで、床を這っていた鞭が蛇のごとくうねって、リアンの腰に鋭く、音を立てて巻き付いた。
「あぁぁぁっ!!」
予期せぬ場所の打撃に、リアンの喉から堪らずに悲鳴が零れた。
返す先で、今度は反対側の腰に巻き付ける。
皮膚の弱い腹側にまで回った鞭は、背中よりはるからきつい痛みを与え、恐怖を呼び起こす。
「い、痛っ……うくっ……うっ」
堪えられず零れる嗚咽に、埋めていたはずの嗜虐心が強くなっていく。
やり過ぎたらまずいからと、理性の奥に入れて置いたはずの感情が、溢れんばかりになっていく。
「おいおい、情けねえ悲鳴を上げてる暇があったら、さっさと聞かれたことを言えよ、こら」
「んぐっ、ひぃぁっ」
「モリエールの自慢の息子だろう、てめぇは。商売は他の息子がするから、てめぇは人脈作りに走れって、親父に放り込まれたんだっけなあ軍隊に。母親譲りのそんななまっ白い顔と身体でたらしこめ、とかなんとか言われたのかぁ?」
はははっ、と高笑いに乗せて、かつて聞いた話と後から手に入れた情報から推測できたことをぶちまけてやる。
「っ!!」
とたんに、リアンの顔が一気にかああっと赤くなった。
その瞬間、確かにうろたえ、外れた視線が、その意味を如実に俺に知らせてきた。
推測が、推測でなかったのだと、あまりにも簡単に知ってしまうことができるほどの、それはあからさまな変化だった。
それはほんとうに劇的で、思わず手も口も止めてしまう。
マジか?
疑問系で考えたけれど、確定事項として俺の頭の中を支配していく。
何より、無視することなどできなかったショックに、リアンの視線は、痛みに弱っていたはずなのに再び強くなって、ぎっと音を立てるほどに睨み付けてくる。
「図星だったってかぁ?」
それに返した揶揄するはずの言葉は、意図した以上に低くなる。
確かに入手した情報のモリエール家のあくどい手法の中に、人身売買のごとき貢ぎ物の話があったのは確かだ。顧客が気に入りそうな人材を、強引な手段で入手して、相手に引き渡す。その見返りが商売の独占だったり、高価格での販売だったり。
一回の取引が大きければこそ、そのあくどさは唾棄すべきものだと──。
そんなモリエール家の当主からの命令であれば……。
「つまり、そのいやらしい尻で、男どもを銜えて誑し込んでいたって寸法か」
「違うっ!! そこまでしてないっ!!」
久方ぶりの、けれど強く吐き捨てられた言葉は、それだけだった。
だが、バカ正直さがもろに出てきている言葉は、きっと本人も気付いていないだろう。
つまりはそのつもりではあったけれど、銜え込むまではいっていない、そう言っているのだ。
だが、そんなことにも気付かずに、睨み付ける瞳はさらに強く、奥歯がギシギシと鳴っていり、喉の奥で低いうなり声が続いていた。
だが、そんな怒りは子猫のそれと大差ない。
というより、なんだか無性に怒りが込み上げてきて、その首根っこを捕まえて、ぶん回して、放り投げたくて堪らなくなっていた。
「何が違うだって? だから、てめぇみてぇな若造を逃げるときに連れ出したってわけだ。せっかくモリエール家から貢がれた貴重品を見捨てられなかったってわけか、ああ、そうか」
モリエールの息子であって、あり得ないほどの貴重な貢ぎ物で、いろんな理由がこの身体にはあったというわけだ。
そんな考えが幾つも脳裏を過ぎり、そのたびにすうっと腹の底が熱くなっていく。
あの酒場で話をした時点ではどんなことを親父に命令されているのかまでは判らなかった。判らなかったが、そこまで嫌なら拒否することも考えたほうが良いと諭したのもあの時だ。けれど、こいつは拒否するどころか、そんな命令に唯々諾々と従ったというわけだ。
今は慎ましやかに隠れている尻穴がすでに男を知っているか、といえば、実のところ、それはないだろう、ということは、確かなところではあった。
ここで吊す前に行った危険物持ち込み検査のための直腸診で「久しぶりの処女だねえ」と悦んでいたこの部屋の担当官であり医師でもあるマーマニーの奴の言葉に、安心したのと同様に、あいつを殴り倒しかけたことを思い出す。
そんなことは今考えるべきではないだろうに、けれど、いったん脳の片隅を支配した思考は、最悪ではなかったというのに、けれど暗い感情が己を徐々に支配をしていくのを感じていた。
「そういやあ」
怒りと羞恥が原因とはいえ、朱に染まった身体。
痛みに浮かんだ涙に濡れた瞳が、怒りを込めて睨み付けてくる。
度重なる痛みに小刻みに震えている身体に足。
そんな諸々が、イヤらしく俺を誘う。
「さっきからイヤらしい腰つきで誘ってるけどな、残念ながらてめぇのイヤらしい身体に溺れて、基地を放りだした連中はここにはいねぇんだよ。だからと言って、こんな敵地で自分で尻を振り食っているような淫売には、やっぱり罰を与えねえとなあ」
俺は所在なげに垂らしていた鞭をたぐり寄せ、まとめて持つために輪を作った。その垂れた先は三十センチ程度だ。
それを片手にひとまとめにして持ってから、侮蔑の視線でリアンを見つめながら横に移動して。
ペシンと平手で尻タブを軽く叩いてから、離れる。
「くう……」
尻叩きという、明かな屈辱行為にリアンが唇を噛みしめて、唸る。
否定したいけれど、完全には否定できない。少なくとも、男を知らぬ身体ではあっても、それ以外はしていたのかもしれない。
プライドは高いけれど、感情豊かなところがリアンにはあって、よくもまあ、モリエールの当主もこんな腹芸ができぬ息子にそんな無茶な命令をしたもんだと呆れつつも、先より強くなった怒りは薄れない。
「そんな淫乱野郎には、俺が罰を与えてやるよ」
束ねた鞭の先で、剥き出しの尻タブを一撫でして、嗤う。
「そんなバカなことをする子は、お尻叩きの罰ですよ、ってな」
女言葉で揶揄してやって、ぺろりと舌なめずりして、鞭を構える。
そんな俺の視線の先に気が付いたのか、言葉の意味が判ったのか。
さあっと音が立てるほどに朱色を濃くしたリアンが、口を開ける。
けれど、それが言葉を発する前に、俺の腕は動いていた。
「ひ、ぃぃっ、やぁ、あっ、はぎぃっ!」
軽く手首を捻って、短い鞭をなぎ払うように剥き出しの尻タブに打ち据えた。
何度も何度も。
縦に横に、盛り上がった尻は叩きやすく、幾重にも赤い線が浮かび、白い肌を埋めていく。
いつしか、手のひらが汗で濡れて、革が吸い付くようになっていても、それでも、短い先端で尻タブを打ち続けた。
そのたびに、リアンの身体が揺れ、尻が離れては近づいてくる。
もう悲鳴を押さえる気もないのか、呼吸音だけがひたすら多く繰り返されて、為す術もなく揺れている。
身体を支える足は子鹿のごとく震えていて、時折がくりと膝が崩れた。
痛みを堪えるように眉根を寄せて固く瞑った瞳は、背後で楽しげに嗤っている俺をもうその瞳に捕らえてはいないけれど。
自分に屈辱を与える存在を決して忘れてはいないのだろう、時折、唇を噛みしめて、無様な悲鳴を堪えようとはし、叶わぬまでも足を伸ばし、前へと動いて離れようとはしているのだけど。
そんなときには、少し長めにして腰を巻くように打ち付けて、その痛みに動いた腰が近づいてくる。
「ほらほら、お猿の尻のように真っ赤だぜ、もう。しかも、さっきより腫れて、おっきくなってる。はは、可愛い真っ赤なお猿の尻のできあがりだっ」
白い身体の色が変わるほどに繰り返し繰り返し叩き続ける行為は、己を十二分に昂揚させてくれて、楽しくて堪らなかった。
時折、堪えきれない悲鳴と嗚咽が混じるのを聞いていると、もっと喚かしてみたい欲求に捕らわれる。
自身がそういう性癖があるのは確かで、実際に娼館や馴染みの男娼相手に、SMじみた行為をすることもある。
けれど、今のこれは、それとはどこか違っていた。
これが実際の拷問だから、というのもあるだろうけれど、何よりも相手がリアンだから、というのが一番しっくりする答えだろう。
いい加減真っ赤になった尻はもう白いところなどなくなっていることに、ふっと気が付いて、手を止める。
一体いつのまにこんなに叩いたのだろう? と思って時計を見れば、意外にも時間が経っていた。そんなにも熱中していたという自覚はなくて、その記憶が薄い時間を呼び戻そうとするけれど。
それは戻っては来なくて。
「んっ、ぐっ、ひっ……」
二人だけの部屋に零れるのは、己の荒い息とリアンの嗚咽だけだ。
それに思った以上に己の腕も疲れていた。
今回は腕の力と言うより、手首を捻り、その反動で打ち据えていたから、よけいな力が関節にかかっていたようで、手首にも少し痛みがある。
鞭を握っていた手を数度開閉させれば、指が多少強張っていて、ぎこちなく動いた。開いたその手のひらはじっとりと汗に濡れていて、革の巻目の痕が残っている。
鞭にはたいした力を込めていなかったというのにこんなことなるのは、俺が意識していた以上に手に力が入っていたということだ。
けれど、腹の奥でどこか重苦しくたぎったものがあって、それがもっとしたいと訴えている。
尻だけでなく、その全身を打ち据えたい。
鞭を絡ませ、巻き付いた蛇のように痕を残したい。
込み上げる欲求は、目の前を赤く染めていくほどに強く、激しい。
鞭を一降りするたびに、内なる欲求が強くなっていようだ。
どうも、性的な興奮が追い打ちをかけているのだと気が付いて、その熱を逃すように息を大きく吐き出したけれど、その熱塊は簡単に小さくなりそうにない。
だったら、このまま鞭打ちし続けて壊す前に、と意識を切り替え、組んでいた手順をおさらいした。
そうしてから、束ねていた鞭を解いてその鞭先を床に落とし、ずるりと引きずりながらリアンの前へと移動する。
そんな俺の姿を、リアンがぜいぜいと荒い息を吐きながら追っている。
その瞳には、もう最初ほどの力はない。
ダメージは背中ほどではないけれど、それでも連続して打ち続けられたということに、気力も体力もそぎ落とさせているのだ。
そんな力の入っていない身体はもう括られた腕だけで支えているようで、力無くゆらゆらと揺れていた。
そろそろ、あの腕も解かないと……と、その様を見て思う。
頭よりは高くはしていないが、それでも心臓より高い位置で固定している以上、だんだん痺れてはきているだろう。
けれど、それより先に、まだ。
「名前、階級、所属、基地の人数……」
手に持った鞭の柄でリアンの顎を持ち上げて、汗にまみれた顔に嗤いかけながら、冷たく促す。
「言え」
端的な命令に、けれど帰ってくる言葉はない。
わずかに開いた唇が、再び閉じられて、視線が伏せられる。
ゆうらりと揺れた身体はたたらを踏んで戻ってきた。
「そうか、尻叩きだけでは、淫売のモリエールのご子息にはお気に召さなかったというわけか」
俺の乾いた笑い声が響き、それに、弾ける音が続く。
パシッ!!! ダンッ!!
振り切ったはずの先端が、床を叩いて跳ね返る。
「う、ああああっ!」
一瞬遅れて、リアンの甲高い悲鳴が迸った。
それは、今まで聞いたこともないほどに悲痛なものだった。さっきより余分に力を込めた分、それに、弱い前側から受けた分、そんなことが、リアンを痛めつけていく。
「んぐっ、うっ、ぐっ」
そのリズムに乗せられたかのように、鞭が掲げられて、落ちる。
「ああ、ぁぁぁ!!」
「やあぁぁっ!!」
「ひぎぃぁぁぁっ!!!」
何度も何度も、肩に、胸に、腹部に、足に。
柔らかなところに落とされる鞭が、赤い痕を作り続ける。
弱い内ももに掠めたときには、その身体が跳ね上がった。
突き出したペニスを巧みに避けて、けれど、風圧を感じる距離に、リアンの顔が恐怖に強張る。伺うように俺に目をやって、その顔が笑みを浮かべていることに気が付いたのだろう、ますます強張っていく。
「もう一発。とびきりのやつをくれてやる」
そんなリアンと視線を合わしたままに、冷酷な宣告を下した。
「いっ、ま、まっ、ああっ、やあ────っっ」
咄嗟に出かけた静止の声。けれど、全てを待たなかった。
パシッーンッ!
左肩に落とされた鞭が、背後の拘束棒に跳ね返る。それがリアンの頬を掠め、そのまま俺へと跳ね返って。
襲い来る鞭を手のひらで受け止め、手の中のその先端をまじまじと見下ろして、それからリアンへと視線を向けた。
狙ったはずなのに、肩より下を狙ったはずなのに、思いっきり外してしまったことに、舌打ちして。けれど、今の一撃はちょっと強すぎかもしれない、と不意に気付く。
どうやら少し、熱中しすぎたのかもしれない。
改めて見やると、思った以上にあちらにこちらに打撃痕が残っていて、リアンも肩で息をしている。その瞳からは涙がぼろぼろと流れていて、口の端から飲みきれなかった唾液すら零れていた。
ふと時間をみれば、この部屋に入ってからすでに1時間以上が経っていることに驚いた。
最初から飛ばすつもりはなかったけれど、思った以上に熱中してしまったのだと気が付いて、頭を振る。
「ちょっと疲れたから、休憩だな」
頭の中が少しもやがかかっているような気がしていた。
こんなことは今までないと、俺は再度大きく息を吐くと、手の中の一本鞭を傍らの台車に置く。それから天井の滑車のスイッチを操作して鎖を伸ばし、リアンが座れるだけの高さにしてやれば、そのままその身体はがくりと崩れていった。
ひとしきり休憩して。と言っても十分ばかり俺が外に出ていただけで、括られたままのリアンにしてみれば、休むどころではなかっただろう。
打ち過ぎて腫れた尻は床につけるのも痛いようで、膝と棒に括られた腕で身体を支えている状態だ。けれど、コンクリの床は膝には痛いのだろう、戻ってきたときにはモジモジと足を交互に動かしていた。
けれど、そんな姿も一瞬で、俺が視界に入ってすぐには気丈にも睨み付けてきた。それを少し意外に思う。
あの酒場で話しているときは、親父の言いなりになってきた、根性なしとまでは言わないが、それでも弱いところがあると思っていたけれど、鞭の痛みに、まだ音を上げていないし、何よりまだまだ屈しそうにない。
だがさすがに、その表情は先よりは弱い。
「で、言う気になったか、淫乱」
ツカツカと勢いよく近づいて、揶揄混じりに問いかけながら前髪を掴んで顔を上げさせる。
けれど、返ってくるのは強い視線ばかりで、その瞳にあるのは憎悪ばかりだ。勢いはなくなっているが、その分腹の中にあるごまかしようがない悪感情だけが表に出てきているのだ。
もしかすると、あの時リアンも俺に気を許していたのかもしれない。少なからず好印象でいて、だからこそ、その反動が大きいのか。
ふと、そんなことを考えたけれど。
だが、だからといって、それが今の関係を翻させるものではなかった。
結局、今はこれと俺は敵同士でしかないのだ。
互いがどんな感情を持っていようとも、この状態では行き着くべき先は一つしかない。
俺にとって、これを奪われる未来など考えたくもないことで、そんなことをちらりとでも考えてしまった己への不快感に、舌打ちした。
そんな音にすらびくりと背が震え、怯えた自分を恥じるように目を逸らして、けれど全身でこっちの一挙手一投足を窺っているのが伝わってくる。
ならば、と、ことさらに揶揄を込めて笑いかける。
「さて、今度は淫乱には泣いて喜び遊びをしようか」
休む時間をかける余裕はなかった。
さっきゴルドンから得た情報によれば、ここにリアンを留めておけるのは今日も含めて二日だけ。あさっての朝には輸送ヘリが来るという。
それまでに全てのカタをつけなければならないのだ。
俺は床を這っていた鎖を手に取ると、それをリアンの首の枷に取り付けた。
「何をっ」
咄嗟に出たらしい意味ある言葉は掠れていて、不気味に這う鎖を目が追っている。
けれど、それを無視して天井の滑車のスイッチを操作して、吊るしていた鎖を降ろした。
「ぐっ、うっ」
体力のない身体に、肩を渡る棒は重い。支えていた鎖が伸びてくるのを捻り、身体が鏡に向かって真横に向かうようにし、後は重みにその身体が前傾するのに任せてうつぶせにさせる。
腕が使えぬ身体は上半身を顔で支えることしかできなくて、不自然な姿勢に無様に喘ぐ声が床に響いた。
その間に床の鎖の長さを調節して顔を上げられないようにし、両手首の枷にもそこから伸びた鎖をつけて。
「苦しいだろうから、外してやろう?」
憐憫の情を、揶揄に込めて囁き。
「ありがとうございますって言ってみな」
両手を棒に固定していた枷を外しながら言ってやったら、当然ながら返す言葉はなかった。
まあ、それも道理と苦笑を浮かべ、外れた棒を鎖から外して傍らに押しやって。
「う、ん……」
両腕が自由になった解放感からか、反射的にリアンの喉から悩ましい声が漏れ聞こえた。
とたんに敏感に反応した息子に、もうちょっと待てといい聞かせ、空いた天井からの鎖に鍵フックをつけて、それを腰辺りの組紐へひっかける。
それを三十センチばかり上へと持ち開ければ、膝が勝手に腰側へと引き寄せられて身体を支え、準備完了というわけだ。
「な、何を」
頭を上げられず、腰だけが浮いた格好は、意識すれば恥ずかしいものだろう。
うろたえ、なんとか顔を上げて伺うリアンに口角をあげて笑いかけ、何も言わずに作業を続ける。
閉じられないせいで足は開いているから、突き出した尻の狭間まで丸見えなのだ。まあ、その様子を見ているのは、俺とカメラと、その向こうにいる仲間たちだけなんだが。
あいつらの出番は明日だと言ってあるのに、今から股間を膨らませているってどうよ、とか思うけれど、贔屓目なく見たとしても、昨今まれに見る上物なのは違いない。
さっき鞭打った分、身体に絡みつく鞭の痕が、亀甲縛りよりもイヤらしく身体を飾ってるし、尻は真っ赤になってひどく美味そうに見えた。
鞭痕は、明日になれば色が変わって、醜いまだら模様になってしまうから、いまが一番きれいと言えばきれいなのだ。
その尻の狭間に見える肛門は、確かに使い込まれた感はまったくない。
つつしまやかなそれは、まだまだ未熟な堅いつぼみでしかなかった。
そんなつぼみを無理やり開けば、裂けて、枯れてしまう。
拷問ではそれを目的にすることもあるが、情報を得るという大義名分がある以上、ちゃんと前準備が必要だった。
俺はさまざまな道具がセッティングされている台車で準備した薬液の入ったシリンジを取り上げた。
五百ccは最初にはきついかもしれないけれど、あまり時間をかけられないから仕方がない。
「な、何だ、それは……?」
しかめた顔をますます歪め、呟くように問う様に、声音に嗤いを被せて返す。
「途中で漏らされたら興ざめだかなぁ」
「なっ、まさかそれってっ!!」
さあっと血の気が失せていく顔に、想像通りだと頷き返してやれば、ジタバタと無駄なあがきで暴れ出した。
「おとなしくしねぇと、内臓に穴が空くぜぇ」
「い、イヤだっ、止めろっ!」
それでも喚く身体を左腕で抱え込み、尻の狭間へと右手で鷲掴みしたシリンジを向けて。
必死になって尻に力を込めようとしているのだろうけれど、潤滑剤が塗られたシリンジの口を止められるほどではない。ぬるっと侵入を果たし、難なく肉の中に埋もれていく。
「やー、あぁぁ、やめっ」
鞭の時より痛くないだろうと思うのだが、どうやらこっちのほうが辛いらしい。
高貴なお家柄の育ちというのもあるだろうけれど。
まあ、人前で糞をひるなど、作戦中でもやりたくないのは俺も同様だけど、手順的にも衛生的にもきれいにしておくのは後々のためだし、俺たち的にも楽だし、これにとっても良いことだけど。
そんなことなどおよびもつかないリアンの暴れる身体を押さえつけながらの薬液の挿入はやりづらく、けれど、子供が暴れる程度にしか感じない相手に注ぎ込み終えるのはすぐだった。