【鬼の子】 (6) 〜888,888キリリク〜 |
自ら体を開く純哉に、今更もう良いとは言えない。 本当は、あんな告白を聞いて、ローターを挿入したままの出社などどうでも良くなっていたのだけど。 それでも、ちょっとだけ見てみたいと思ったのも事実だった。 ローターを体内に挿れたまま服を着込む純哉は食欲などとうていなさそうで、促されるがままに会社へと連れて行った。 先日ようやく取れたばかりの免許がこんなところで役に立つとは思わず、しかも、隣で辛そうにため息を零す純哉に運転に集中できない。 「けい、すけ……もっと静かに……」 喘ぎながら注意されても、股間が苦しい啓輔にしてみれば、ブレーキ操作すらおぼつかない。初心者+気もそぞろな運転は、かなり純哉に負担をかけたのか、駐車場についても一向に立ち上がろうとしなかった。 ダッシュボードに突っ伏して、時折体を震わせる。 そんなに強くはしていなかったけれど、それでも当たる場所によってはかなりの刺激なのだろう。 いつもの皮肉も、冷たい態度も取れない純哉は、ひどく目を惹く存在だった。 これはヤバイかも……。 時間が無くなって慌てて車から出て行った純哉に、周りの人達がちらちらと視線を送っている。 そんなことに気が付いて、堪らなく焦燥感が湧いてきた。そんな純哉を一人会社に残すことなど、考えられなくなる。 結局、啓輔は純哉の後を追いかけるようにして出社した。 ただ、服部には虫歯の調子が悪いから午前で帰りたいと無理を言って午後休暇を許可して貰う。 半日──半日で良い。 少しでも時間を短くしたくて堪らなかった。だが、それが精一杯なのだ。 苛々と何度も時計を見る啓輔に、服部は虫歯のせいだと思ってくれたらしい。進まない仕事についても、あまり追求はされなかった。だが、啓輔の真意は、休憩時間が待ち遠しい、それだけだ。 何もない時に品証の部屋に行くのは難しい。ある意味、啓輔にはもっとも縁が無い部屋だ。 けれど、休憩時間なら仲の良い純哉の所に行くのはおかしくはない。 だが。 ようやく行くことのできた品証の部屋で純哉を見つけたのに、啓輔はそれ以上立ち入ることもできずに扉のところで硬直してしまった。 「こ、これは……堪んねえ……」 うっすらと肌を紅潮させ、潤んだ瞳の純哉は、堪らなく色っぽい。 辛いのか時々荒い息を吐いているのだが、それはどう見ても熱が籠もったものだった。 そんな姿に啓輔の節操のない下半身が暴走しそうになる。 作業着の前を押し上げようとするそれを必死で宥める。 だが、そのせいでようやく純哉から視線が外れた途端、とんでもないことに気が付いた。 せっぱ詰まった状態に陥っているのが、啓輔だけではないのだ。他の品証の部員が前屈みで座っている。しかも、純哉から必死で視線を逸らそうとして、けれど、吐息が聞こえるたびにびくりと反応していた。 朝の時点で湧いて出た焦燥感は、こんな状況を暗示していたに違いない。これ以上彼をこのままにしておくのは非常にマズい。 ど、どうしよう……。 もう止めさせなければ、と思うのだけど、だが、どうやって外せば良いだろう? こんな場所で、体内のモノを取り出すこともできない。 いや、トイレで……。 今の純哉の表情が詰まって暴走しかけている頭では、なかなか対処法が浮かばない。 ただ、どうしよう、と右往左往するばかりだ。 と──。 「どうしたんだ? 入り口塞ぐんじゃねえよ」 「げっ、梅木さんっ! って、滝本さんまで……」 背後からいきなり声をかけられて、啓輔の体が面白いように跳ねた。 そんな啓輔の反応に相手も驚いたようで、しばし沈黙が漂う。 「……なんなんだ?」 結局、梅木が訝しげに声をかけてくるまで、啓輔の硬直は解けなかった。 よりによって。 と、啓輔の背筋に悪寒が走る。 この二人は、純哉が啓輔の相手であることを知っている。 そして、彼らも男を相手にする以上──今の純哉がどういう状況なのか、バレてしまうのは必須だった。 「おい、どけろよ。家城君は……」 動けない啓輔を押し退けて、梅木が入り込む。やはり目的は純哉のようで、声を掛けかけて、不意に言葉を切った。 「梅木さん?」 硬直する梅木の背後で、中の様子が判らない滝本が、肩越しに覗き込もうとする。だが、梅木がそれをさせなかった。強い力で滝本の体を外の廊下まで引っ張り出した。 強く二の腕を掴まれた滝本が顔を顰め、呻く。 「い、痛いって」 「すまん。ただ──ああ、そうだ。あ、あのな、ちょっと家城君は忙しそうだから……。先に休憩行かないか?」 「え、でも、10時までって、約束の」 手の中の封筒を渡しに来ただけのに、と文句を言う滝本の背を梅木が押していく。 「良いから。それは大丈夫そうだから。なんか、今入るとマズそうだから、な」 「マズいって何が?」 「あ、なんか──その、鬼気迫ってるって。そう、なんかトラブってんだわ、きっと。だから落ち着くまで待とうよ、な?」 「……そっか……それだったら、まあ」 啓輔は、そんな二人の様子を何が起きたか判らないままに呆然と見つめていた。 二人の背が角を曲がって消える。 と、すぐに梅木が現れた。 「う、めきさん? え、わっ!」 険しい顔の梅木が、啓輔を激しく壁に押しつけた。 後頭部を打ち付けて、激しい痛みとともに頭の中が震動する。目眩にも似た視界のぶれが何とか治まった時、梅木が強い口調で言いはなった。 「お前、家城君に何している?」 「な、何って……」 いきなり核心を突かれて、ぎくりと全身が強張る。 「あれ。尋常じゃねえよ。あんな色気垂れ流しの家城君なんて、見たこと無い」 「色気、垂れ流しって……ってぇ」 あまりの当を得た発言に、笑うことしかできない啓輔の頬を、梅木がぎゅっと引っ張った。その強い痛みに涙が浮かぶ。 「馬鹿野郎っ、あの家城君が自分からそんな醜態晒すはず無いだろうが。何やらしているのか知らないが、とっとと止めろ。それで連れて帰れ。あのままでいると、そういう趣味でない人間もあいつを押し倒したくなる」 「え……」 「お前、ライバル増やしたいのか?」 その言葉には、慌てて首を振って。 そのことで何かしているとバレてしまったことにも気付かない。 梅木の言葉は逐一当を得ているから、啓輔の内心に一気に焦りが生まれてきたのだ。 確かに、今のこの部屋の状況を見れば、梅木の発言の真意も判る。啓輔自身、こんな効果を期待したわけではないのだ。 「で、でも……」 連れて帰るにしても、まだ後二時間は働かなくてはならなくて。 ローターの電源は、まだ数時間は保つだろう。 そして。 「何をしてるんです?」 掠れた声が、熱い吐息と共に二人に投げつけられた。 「じ、うっ──家城さん……」 「ああ、ちょうど良いっ、こっち来い」 「え?──うっ」 乱暴に引き寄せられ、純哉が思わず蹲った。 「お、おい……っ! まさか」 その様子に気付かれた、と啓輔の顔面から血の気が音を立ててひいた。 唯一の救いはそれが梅木だったことだろう。 いや、梅木だからこそ気が付いたのかも知れない。 「医務室……いや、トイレか屋上か……。いや、トイレなら……」 ぶつぶつ呟く梅木が、家城を立たせる。 「まったく、悪ガキにおとなしく従うお前も珍しいけどな。どんなに惚れてても、周りの人間煽るような真似すんな。いつだって、恋人と一緒にいられるような連中ばかりじゃねえだろ」 言われて啓輔は初めて梅木が滝本に見せなかった理由に気が付いた。 彼の恋人は、すぐには会えない距離に住んでいるのだ。 「とりあえず落ち着くまで医務室ででも寝とけ。この悪ガキは午後休取ったらしいからな。それまで挿れときたきゃ挿れたまんまんでも良いけど」 「で、でも……。仕事が……」 「あんなあ、仕事なんてお前が居なくてもどうにかなるっての。たまには他人を信用しな。だいたいこんな調子で、まともなことできる訳もないだろうが……」 「それは……」 梅木の言葉に反論できない純哉が悔しそうに唇を噛みしめる。 そんな態度を露わにする純哉も珍しく、啓輔は今更ながら純哉に強いた行為を悔いた。 こんな純哉を他人の目に晒したかった訳ではないのだ。 「ほら、このトイレならそんなに人は来ねえよ。さっさと抜いて、後始末はこいつにやらせろ。んで、ちゃんと連れて帰って貰え」 連れてこられたトイレは、来客用のトイレだった。人通りが在りそうで、時間によっては使う者など皆無の場所である。 それに医務室も近いから、今の状態の純哉がここにいてもおかしくはないだろう。 「あ、ありがとうございました」 「バカ、今更殊勝ぶっても遅いんだよ」 拳骨が頭を掠める。 そのまま帰って行くのかと思いきや、ふっと梅木が啓輔の耳に顔を寄せた。 「でもまあ、あんな色っぽいあいつのせいで、俺も今日は燃えそうだ。明日は誠ちゃん休ませるから、仕事の方よろしくな」 その言葉に頷くことしかできない啓輔に、梅木はひらひらと手を振って離れていった。 「んっ……」 思ったより奥深く入っていたローターを何とか引っ張り出す。 その間、純哉はきつく啓輔の体を抱きしめて、必死になって声を押し殺していた。 滅多に人が来ないトイレとは言え、それでも声を出せば通路にまで聞こえるだろう。きつく、痛いほどに抱きしめられ、純哉の苦しみが伝わってくる。 堪らなく可哀想なことをしたのだと、ひどく後悔する。 「ごめん……純哉」 抜いた途端に脱力した純哉をトイレに座らせて、その体をそっと抱きしめた。 疲れた表情の純哉の弱っていた体力と精神力は限界にまで来ているはずだ。 と──。 「啓輔……」 微かな呼びかけに、ふっと視線を動かせば、純哉のそれと合う。 「私が……したかったんですよ……啓輔が……したいなら……って」 ただ、それだけを言ってその目が伏せられた。 目の縁まで赤くなった純哉のその言葉を何度も頭の中で反芻して。 「じゅ……や……」 「早く、帰りたい……ですね……」 熱い吐息が首筋を擽り、ざわりと肌が粟立った。 こんなふうに簡単に啓輔が欲情するように、今の純哉も欲情しているのだろう。 こんな可愛い純哉の姿を、皆の目に晒してしまった。 啓輔にすら可愛いと言われたくないと嫌がる姿をだ。 だからずっと被っていた鉄面皮だというのに、それを剥がして素顔を晒してしまった。 それこそ、もっとも純哉が忌むべき行為だったはずなのに。 それなのに、啓輔のためだから、純哉は従った。 そのことを考えれば、悪いのは啓輔自身の方だ。 情けなくて、可哀想で。 「うん、帰ろう……」 「ごめん……、最後まで…我慢できなくて……」 この期に及んで、まだ侘びの言葉を入れる純哉に、啓輔は激しく首を振った。 「違う……違うよ……純哉……ごめん。ごめん……」 こんな弱気な純哉を見たかった訳じゃない。 本当に好きなのは──いつもの、純哉なのだから。 啓輔は堪らずにぎゅうっと純哉を抱きしめていた。 【了】 |