【鬼窟(きくつ)】

【鬼窟(きくつ)】


 - 2-

 普通の生活がしたい。
 男達に媚びながらもなんとかこの四年間を過ごしてきた貴樹だったが、五年目に入ったあたりからそれがおかしくなってきているのを感じていた。
 まず、貴樹を求める人間の数が減ってきていた。
 注がれる精液の量も減ってきていた。さらに、精液が美味しくないのだ。
 まずく味が薄い。肉壁に染みいっても、快感が少ない。さらに傷を負うことも多くなっていた。
 そうなれば回復に力を使い、性欲が増してしまう。男達が貴樹に飽きてきているのだという感じもしていた。
 とにかく足りないのだ。
 水曜日の今日は本屋のバイトだったが、本を並べていても、レジを打っていても、体が火照って頭がぼおっとしていた。
 ジーンズの縫い目がペニスに食い込むだけで勃起する。誰かが肩に触れただけ、ざわざわと全身が戦慄き体が熱くなってしまう。
 念のためサポーターで締め付けているのと、エプロンをしているせいで、外見は変わらないけれど。それでも、火照った頬や潤んだ瞳は隠しようがなくて、熱でも出ているのではないかと心配された。
「大丈夫だから」
 と、がんばれたのは正午までだった。
 午後の最初の休憩時間に、堪らずにトイレに駆け込んだ。
 狭いトイレは、芳香剤の匂いばかりが鼻につく。
 そんな中で、はあはあと荒い吐息を繰り返して熱を吐き出そうとしたけれど、下がる気配など微塵も感じられなかった。それどころか、欲情はどんどん高まってくる。
 肌に衣服が触れるだけで、ぞくぞくと感じてしまう。
 手が震えて、体に直接触りたいという欲求に逆らえない。
「あっ、くっ……ぅぅっ」。
 乳首がズキズキと腫れたように疼いていた。
 アナルがパクパクと収縮し、異物が欲しいと喘いでいた。
「こ、んなところで……」
 狭いトイレの壁一つ向こうは店内で、すぐ傍の本棚には客が立ち読みをしているのを知っていた。
 声は出せない。けれど、思いっきり声を上げたい。
 扱いて達ける単純な体ではない。尻を嬲っても満足なんてできない。
 そう思って、今までは我慢してきた。
 我慢できていた。
 けれど。
「あ、んぁ……ダメ……」
 手が止まらない。
「んくっ」
 便座のフタに片手をついて、固く締まったアナルに三本の指を突き刺す。引きつれる痛みにぞくりと全身を総毛立たせ、乾いた皮膚が粘膜を荒らす刺激にひくひくと腰を揺らがせた。
「あぁっ! はぁぁぁっ──ぅぅっ」
 指先で前立腺のしこりを摘んで小刻みに突き上げると、目の前が何度も爆発した。
 指が粘液で汚れ、伸びきった括約筋の隙間からからこぼれ落ちていく。
 感じれば感じるほど粘液が溢れる体だ。アナルから溢れた粘液が内股を汚し靴下まで垂れていく。床に落ちたしわくちゃのジーンズにもボタボタと染みが散っていた。
「あ、はぁぁっ、んあ──」
 指を突き上げるたびに何度も絶頂が繰り返される。
 驚異的な回復力は、腸内が傷ついてもすぐに直してくれるから、躊躇いなど必要なかった。
 上体を落とし、フタに顔をつけて空いた手で乳首を摘めば、痛いほどの刺激に末端神経の隅々まで快感が走り回る。布地の刺激だけですでに赤く熟れていた乳首は、さらに敏感になり赤く膨れあがった。
「あっ、あっ」
 快感に涙し、いつまでも喘ぎ続ける貴樹の頭からは理性が吹き飛んでいた。
 もっと深く、もっと激しく。
 指が全てアナルの中に入り込んでいた。腕が、熱い肉壁にねっとりと絡みつかれている。
「は、ああ……」
 快感にとろけきった瞳が、薄汚れた天井を映していた。
 口の端から唾液がだらだらと流れ、シャツの襟を汚す。鈴口から粘液が溢れ出し、便座のフタに液溜まりを作った。
 それをうっとりと眺め、上体を落として舌をのばす。
 ぺろりと舐めて、その味に全身が歓喜に震えた。
 美味しい……もっとたくさん。
 もっともっと欲しくて堪らなくて堪らなかった。


 ますます欲情していく体に、無我夢中で激しい刺激を与えていく。
 喘ぎ声が止められない。止めようとも思わない。
 ただ、どうしたらもっとたくさんの快感が得られるか? 
 それだけが、頭の中を占めていた──その時。
 ──コツコツ
 最初は判らなかった。
 けれど。
 コンコンッ
「あ……」
 愕然と瞠った瞳が、おずおずとドアへと向かった。
 今の音は……。
 埋もれていた理性が、頭をもたげてきた。
 ノックだよ、と囁きながら、動かない頭脳が体を動かそうとする。
 けれど、手首近くまで入り込んだ指も、乳首が変形するほどにひねった指も、硬直したように動かない。
『おい、大丈夫か?』
 不安げな声。
『どっか……腹でも、ひどいのか?』
 訝しげな声音が、貴樹の体に冷や水を浴びせる効果をもたらした。
 理性が一気に戻ってくる。
 何を……していた、俺は?
 呆然と落とした視線の先には、貴樹の体液による液溜まりが幾つもあった。
 ジーンズやシャツの裾や襟にまで広がる汚れに気づかれてしまえば、用を足していたとは思ってくれないだろう。
 そんな現実が一気に貴樹に押し寄せてくる。
『おい?』
「あ、は……す、すみま……せん」
 震える唇で、なんとか言葉を絞り出す。
『ああ。なあ、なんか苦しそうな声がしていたんだけど』
 不審げな声音に、ぎくりと全身が強張った。
 何を言おうか、どう対応しようか。
 躊躇したのは一瞬だ。
「あ、あの……は、腹が……」
 さっき彼が言った言葉が口をついて出ていた。
「腹が痛くて」
『なんだ、そうか。ひどいのか』
「は、はい」
『大丈夫か?』
 疑いつつも、心配してくれているだろう声音に、貴樹は小さく息を吐く。
 いまだ衝撃で震える手をなんとか宥めながら、不審な音がしないようにゆっくりと体内から指を抜き出した。
 茶褐色の汚濁混じりの粘液が絡みついた指から、不快な臭いが立ち上がっていく。
 一体、何をしていたんだろう……。
 沸き上がる惨めな気分に、まなじりからじわりと涙が滲み出た。
「もう……出ますから……すみません……」
『……ああ』
 コツコツと靴音が離れていく。
 本当にばれていないのだろうか?
 耳を澄ませば、はっきりと聞こえる店内の音。
 こんなにはっきりと聞こえるのに、自分が上げた嬌声が聞こえないわけがない。それどころか、どんなに大きく響いたことか。
 さっきの彼が気づいていなかったとしても、客の誰かは気づいていたかもしれない。
 震える手でペーパーを引き出し手早く掃除した。乱れた衣服を整えるが、粘液が染みこんだ場所はくっきりと色が変わっていて、どう見ても誤魔化せるとは思えなかった。
 どちらにせよ、もうこの店では働けない。
 深いため息を吐いて、手の甲で滲んだ涙を拭き取った。
 普通の生活がしたかった。
 少なくとも昼間くらい、普通に暮らしたかった。
 けれど、もう無理なのかもしれない。
 こんな体では……もうもたない。
 トイレのドアをそっと開けて、幸いにも誰も傍にいないことを確認してから、走り出した。
 着ていたエプロンが、勃起したままの股間を隠してくれる。足を動かすたびに、未だ溢れ出てくる粘液が肌を汚し、ヌチャヌチャと音を立ていた。
 事務所に駆け込み、荷物を持って裏口から外に出る。
 貴樹は、この店には自転車で来ていた。自転車ならば、汚れたジーンズもシャツも目立たない。
 けれど、路面の僅かな凹凸がもろに股間に響いた。足を動かせば衣服が肌を擦る。敏感な肌は、そんな僅かな刺激にすら欲情する。
 ぷくりと熟れた乳首は、もっと敏感だ。脳天まで痺れるような快感を、全身に走らせる。時折、がくりと膝から力が抜けて、漕いでいられないほどにだ。
 そのたびに、自転車のサドルに何度もきつく尻の狭間を押しつけて、片手で熟れた乳首を押さえつけた。
 自転車を漕ぎながら、腰が浅ましく揺れる。
 邪魔な衣服を取り去りたい。ペニスを擦りたてたい。あの塀に使われている太い棒でアナルを貫きたい。
 トイレで冷めたはずの欲情が、どんどんと激しくなる。
 あと少し。
 家に帰れば……いくらでも……だから、後少し。
 朦朧とする意識の中の僅かな理性に縋り付き、貴樹は必死に自転車を漕いだ。
 そのまま自転車置き場に突っ込んで、アパートの階段を駆け上がる。
 家のドアが、至高の宝物のように輝いて見えた。
 もとより、いつでも男達が入ってこられるように鍵などかけていない部屋だ。
 飛び込んだドアの内側の狭い三和土で、貴樹は崩れこんだ。
 震える手で、携帯を取り出す。
 もう何度送信したことか。
 アドレス帳の一番最初に出てくるアドレスに、送信する。
「家」
 と、一言記載しただけのメール。
 それで受け取った人たちには十分通じる。。
『早い者勝ち』
 タイトルはそれ。内容は、貴樹が送った内容。
 だが、それで貴樹の意図は全てのメンバーに知れ渡るのだ。


 この日を境に、貴樹は崩壊しやすくなっていた。
 今までは男に犯されていてもなんとか保ち続けた理性が、僅かな快感を与えられるだけで呆気なく吹き飛ぶようになったのだ。
 淫らに腰を振り、あけすけな言葉で、男達を誘う。
 減った男達の替わりが欲しくて堪らなくて、ネットで見つけた掲示板で相手を探した。
 犯罪の色が濃い掲示板であったけれど、欲に浮かされた時の貴樹にはそんなことはどうでも良いことだった。
 そうやって手に入れた男達は、前の男達よりさらに乱暴に貴樹を扱った。
 平日の昼間であろうと、貴樹の部屋には何人もの男達がたむろしていた。
 バイト先であろうと乗り込んできて連れ出された。そんな状態ではバイトを続けることなどできなくて、いくつかのバイトはクビを言い渡されたけれど、それでも、貴樹から男達を拒絶することをしなかった。
 熱が、冷めなくなってきていたのだ。
 さんざん犯された直後でも、元気なペニスを見せられるとすぐに体が疼き、今すぐに犯されたいと自ら服を脱いで、尻を振るようになった。
 いつの間にか、一癖も二癖もありそうな男達ばかりが集まるようになっていて。
 貴樹を犯しているのがヤクザと呼ばれる類の人間ばかりになった頃。
 四年もの間必死に保とうとしていた人としての生活は、五年目にして完全に崩壊していた。