アメリカからの長い空路を経て日本に着いた緑山敬吾は、遅れた国際線の到着のせいで成田からのリムジンから降りた途端に羽田空港内を走るはめになった。
 急かす係員の言葉に従おうとは思うけれど、ずっと座りっぱなしだったせいか、足がひどく重い。まして、預けていた荷物は幸いにも同じ航空会社だからそのまま国内線へと載せ替えて貰っていたけれど、手荷物ばかりはそうもいかなくて抱えて走ったものだから、待っていた飛行機に乗り込んだ時にはぐったりと座席に身を預けるはめになってしまった。

 余裕があるはずだった最終便のこれを逃せば、東京で一泊になってしまう。
 そんなことになればなんとか一日だけは取れている代休が移動日になってしまい、休む間もなく会社に出なければならなくなってしまうだろう。
 一緒に出張していた篠山もそれは不本意なのか、絶対に乗ってみせると本気になっていた。
 そんな最悪の事態は免れたことにホッと安堵して、その途端に、一気に眠気が襲ってきた。
 ずっと座っているのも存外疲れるものだし、時差の影響もあるかも知れない。
 大きなあくびを噛み殺しつつシートベルトをした後は、機内のアナウンスもそこそこにまぶたを閉じた。
 アメリカ出張は強行軍で、夜中にホテル入りした次の日には一週間連続の会議と合間を縫っての工場見学があって、隙間時間には発表資料を手直ししてなんとかぎりぎり間に合わせるという綱渡りも行いながら、時差の関係での日本とのメールや電話のやり取りが夜遅くまで続いて。多忙と寝不足と慣れない英語漬けの毎日に、頭の芯が未だにひどく重く感じる。耳から英単語が零れ落ちそうな程に疲れ切った脳は、落ち着いた睡眠を欲していた。
 だから次の瞬間ガクンと大きく揺れて睡魔から引きずり出された時には、地上にいる飛行機はまだ羽田にいるのかと思ったのだったけれど。
 見慣れた空港ターミナルが見えた途端に、その目をごしごしと幼子のように擦ったのは、未だに夢の中にいるような気分でいたからで。
 ざわめく周りにつられるように荷物を持って機外に出たときも、どこかボンヤリと現実味がなかった。
 数回の大きなあくびが堪えることなく口を吐いて出て、荷物を受け取るターンテーブルの脇に立って、何とはなしに、ターミナルへの出口へと視線を送った時。
「あ……」
 あくびの代わりに出た小さな声は、隣にいた篠山にだけは聞こえたらしい。
 彼もまた視線をガラス張りの向こうに向けて、その疲労の滲んだ面に満面の笑みが浮かんだ。同時に、上げた手もなんだかひどく嬉しそうで、荷物なんか放り出してそのまま出て行きそうになった彼の服の裾を慌てて掴む。
 もっとも、もし篠山が動かなければ、敬吾の方が出口へと向かっていただろう。けれど、篠山の動きではっと我に返ったのだ。
「荷物」
 と、小さな呟きで彼と自身を制す。
 残念そうにターンテーブルへと視線を向ける篠山の横で、敬吾はちらりと驚きの原因へと視線を向けた。
 篠山の相手の小柄な滝本恵と並んだ穂波幸人の姿はやはりそこにいて、そういえば迎えに来てくれるはずだったと今更のように思い出す。
 誰よりも真っ先に目が入ったほどに数段目立つ男の姿には、睡魔に呆けていた頭も一瞬で冷めた。何より、ようやく日本に帰ってきたんだ……という実感が、ヒシヒシと押し寄せてくる。
 10日にも満たない出張で、忙しければそれくらい会えない日もあった。それでも海を隔てた距離はあまりにも遠く、いつも以上の寂寥感を感じ、会いたくても会えないジレンマに一人身を焦がした夜すらあったのだ。
 会いたくて、けれど、まだ彼はガラスの向こうにいて、言葉すらかけられない。
『おかえり、敬吾』
 言葉は届かないけれど、その口がそう動いているのが判る。それに返したいと考えるのだけど、なんだか恥ずかしい。
 篠山達のように届かない音を無視して話し合うなんて恥ずかしい真似もできない。
 携帯電話はもうできるけれど、さすがにこの距離で使うのもなんだか変だと、ポケットの中の携帯を手のひらで転がした。
 そんな敬吾に気が付いたのか、穂波が微笑む。
 隣の滝本がクスクスとはっきりと判るほどに笑っているのは、焦れてうろうろと冬眠し損ねた熊のように彷徨っている篠山のことだろうけれど。それでも自分が何か恥ずかしい様を晒しているのではないかという羞恥心に捕らわれて、どこかいたたまれなく視線を外してしまった。


「お帰りっ」
 人が少ない夜のターミナルに、明るい声が響く。
「ただいま、恵っ」
 それに返す篠山の疲れなど垣間見えない元気な返しに、そろりと彼の傍を離れた。
 この二人は、時々見ているこっちが恥ずかしくなるほどに、仲のよい事を隠さないことがあった。そんな二人に注目が集まる前に、さらには当てられるより先に、さっさと離れてしまうに限るとずりずりとずれる敬吾の手に、大きな手が被さった。
「お帰り、敬吾」
「……た、だいま」
 いきなり触れてきた幸人にひくりと頬が引きつって、ありきたりな返答がうまく舌に乗らない。スーツケースの取っ手を握る手に触れている温もりに、じわりと胸の奥が熱くなる。
 顔が熱くなって、じとりと身体に汗が浮かんできた。
 どうしてだろう?
 いつもの彼がここにいるだけだというのに、ひどくいたたまれない。視線が合わせられなくて、重ねられた手を見つめてしまう。
 その上、一人身を焦がしていた夜が不意に思い出されてしまって、よけいに顔が上げられない。
 こんなの自分じゃないと思うのだけど、なぜか平静さが取り戻せなかった。
「それじゃ、お先に」
「お疲れさん」
 明るい会話が離れていくのを、穂波越しに手を上げて。
「じゃあ、俺たちも帰るか」
「はい」
 重たいスーツケースが幸人に取られ、ガラガラと進むそれに付きそうように傍らを歩く。
「疲れたか?」
「……少し」
 迎えに来るとは聞いていて、それは助かると思って喜びのメールを返したのはつい先日だったというのに。
 本当に来てくれたことがなんだか嬉しくて、面映ゆい。
「国内線に乗れるか危ないっていうメールを滝本が受け取っていたから、どうかな、って思ったけど、間に合って良かったな」
「あ……、そうか、俺、連絡してなくて……」
 そういえば、リムジンの中で篠山がメールを打っていた。
「間に合ったから連絡無いんだろうなって思ったからな」
「まさしく飛び乗ったって感じで。空港内をあんなに走ったのは初めてだった……」
 地方線はやたらに遠い搭乗口を、どれほど恨んだことか。
「乗り遅れるのなら、すぐに新幹線に飛び乗って東京に向かおうかと思ったよ」
 その言葉に、えっ、と顔を見上げれば、くすりといつもの揶揄を含んだ穂波の笑みが向けられていた。その笑みが近づいてくる。
「……もう一日たりとも敬吾に会えない日が伸びるなんて許せなかったからな」
 触れた唇の熱さはどちらのものだったのか、判らない。
 ただ。
「……人に……」
 触れただけの口づけに荒く息を乱す敬吾の抗議は、「誰もいないさ」という苦笑と、車のキーが解除される音にかき消された。



 穂波のことだから、家まで待てずにどこかのホテルに入り込むかと思ったけれど。
「せっかくだから、家でゆっくりしたいからね」
 その言葉に、長旅の疲れを思いやってくれたのかと思ったが、敬吾の家ではなく穂波の家に荷物ごと連れてこられてしまう。
 どうせ休んだらこっちに来るつもりだったから、別に良いけど──とは思ったけれど、部屋に入った途端に全ての衣服を剥ぎ取られかけるとなれば、別物だ。
「なんで、こんな……」
 下着まで剥ぎ取られそうになって、あまりの手際の良さに慌てて押しとどめる。
 欲しくない、と言ったら嘘になる。アメリカのホテルで眠れぬ夜は、どうしても穂波の事が気になったから。
「シャワー浴びてくるから、待っててよ」
「疲れただろうから、洗ってやるよ」
 抗う腕は絡め取られて、剥き出しの肌に触れる唇の熱さにぞくりと快感が這い上がる。
「や、ちょっ……」
 このままではあっという間に流されそうな予感がして、その身体を押し退けた。だが。
「ダメだ」
 見下ろされる瞳の強さに息を飲む。そこに浮かぶ明らかな情欲は、いつもより強い。
「俺が洗ってやる」
 繰り返された強い意志を持つ言葉に縛られる。
 もとより、力は穂波の方が強い。抗う手など子供のように跳ねられて、そのまま浴室に連れ込まれた。
 すでに浴槽には湯が満たされているということは、元からそのつもりだったのか。
「何、そんなに盛って……ひうっ」
 隠しきれない欲情を揶揄する余裕を見せるつもりが、いきなり後孔に触れられて息を飲む。
「ひっ、あ……」
 泡立つソープは、全身を舐めるように動く手のひらの動きを滑らかにし、指が後孔内に入り込むのを助けてしまう。
「ちょっ、いきな……待っ……う」
 本気で敬吾の全てを洗おうとしてるのか、入ってきた指はすぐに増やされて、未だ硬いそこを開こうとする。
「な、んで……こんな……ぁっ」
 始まってしまえば、抗えないことは判っていた。それでも、そこを暴かれる行為はやはり恥ずかしい。
「キレイにしてやる。たっぷりと俺のを注ぐためにもな」
「う、るさっ……自分でやる、って、んくっ」
 腸内洗浄すらしようとする悪戯な手は、ぬるぬると滑って止められない。
「も、信じ、ら、れないっ、こんなっ、慣れて……ぁ」、
 悔しいぐらいに手慣れたその動きに、抗議する言葉は甘く浴室内にこだまする。発するより官能的に響いて己の耳に届くそれにすら煽られて、敬吾は慌てて口を噤んだ。さらに下唇を噛み締めて、イヤらしい声が出ないようにと息を飲む。
 慣れた身体は、入り込む湯にすら感じてしまう。何より、キレイになったその先で何をされるか身体の方が覚えているからだろう。
「ん、……くぅ……うっ……」
 洗浄はすぐに終わり、けれど悪戯な指は再び入り込んできて、敏感な快楽のるつぼを掻き回した。
 途端に、電流のように走る快感に脳髄まで痺れてしまう。
 焦れた夜はあったけれど、自ら慰めるまではしていない。だからか、穂波の指一つで呆気なく身体は火照り、その愛撫に翻弄されてしまう。
 穂波は巧い。巧いうえに、敬吾の身体を知り尽くしている。
 それは、否定できない。
「あ、っ、くっ、ふっ」
「今日は早いな」
 背後から抱きしめられ、くつくつと耳元で嗤われて、その吐息にすら甘い悲鳴を上げた。対等であれ、と強く願う相手ではあっても、こんな時にはそのこだわりなどあっという間に消え失せる。
 まして、欲しかった相手だ。
 気が付けば悪戯な恋人に縋り付き、指が深く入り込むのを助けてしまう。
「キレイになったな……」
 耳朶に口づける水音に混じり、吐息のような囁きが聞こえた。
「ん……あっ……」
 直に肌に触れた穂波のものが硬く熱い。
 ちらりと垣間見たそれは鋭角にそそり立ち、敬吾への侵入を今か今かと待ち受けていた。
 途端に、先よりさらにかあっと身体が熱くなる。浴室内にただよう湯気は熱く、一滴も飲んでいないのに酔いが回ったようにふらつく。
 媚薬でも投与されたかのように疼く身体は、穂波に負けず劣らず勃起して、たらりと粘度の高い体液を零していた。
 その落ちた液が、足の甲にまとわりつく。
 欲しい。
 今すぐにでも挿れて欲しい。
 認めてしまえばあまりにも簡単な欲求を口にするのは、いつもなら憚られることなのだけど、今日は舌まで石けんか何かで滑らされたかのように、するりと口から吐いて出そうになった。
 けれど。
「おいで」
 包まれたバスタオルで視界を遮られ、するりと浴室から出さされて、そのタイミングを失った。


 ぴしゃ、ぴしゃっ、とまだ濡れた二対の足が廊下を通り、寝室へと向かった。
 ふらっと揺れる身体を、穂波の腕が抱えている。だが、ベッドの端がタオルの隙間から垣間見えた途端、その腕が動いた。濡れたままのせいか、まるで一つの皮膚にでもなったかのように筋肉の動きが伝わってきて、その意図がはっきりと判ってしまう。
 逃れることもできずに、膝裏を抱きかかえられ、身体はとすんとベッドの上に横たえられた。
 顔にかかったタオルはそのままに、身体の上に別の重みがのしかかる。
「ん、あぁ……、はぁ」
 それだけで熱く悶える様は、まな板の上に魚のようで、けれど、全てを晒した身体は敬吾の意思と別に淫靡に蠢いた。
 それが判ったのは、耳元で聞こえたごくりという生唾を飲む音のせいだ。
「あ……」
 ひくりと震える身体に、熱い身体の重みが増す。
「敬吾……今日は、この身体の隅から隅まで全て喰らいたい」
「!」
 その果てない欲求は、朦朧とした頭を正気に戻すほどに激しいものだ。けれど、同時にその言葉に、歓喜に震える自分もいた。
「……ど、して……そんな」
 穂波の欲求はいつも強い。
 それに応えるために、体力も筋力も付けた。それでも、彼が本気になれば敬吾はいつだって翻弄され、疲れ果てるまでその求めに応じるはめになる。
 けれど、嫌なわけではない。
 それほどまでに欲してくれるということが堪らなく嬉しいのは事実だ。
 ただ、たいていの場合、穂波は敬吾の体調も十分考慮して行為に及ぶ。時には暴走しても、それでもこんなふうに疲れていると判っている時ならば控えめだ。
 なのに。
「どうして?」
 そんな余裕など無いとばかりの穂波の動きに、敬吾とて戸惑い、問いかける。
「どうして? それは……」
 くっと喉の奥で自嘲めいた笑いが零された。さらに、被さっていたタオルを頭を振って外した途端に目に入った穂波の顔に、敬吾は息を飲んだ。
 ぞくりとした悪寒が全身を総毛立たせる。
「喰らいたい。我慢できない」
 率直な欲求を再度ぶつける穂波の瞳には、余裕の一欠片も見いだせない。紳士然とした面を引き剥がして、今そこにいるのは、純粋な欲求に犯された雄の顔だ。
 それを、敬吾は知っている。
 長旅に疲れた身体を労る心は、今そこに無いのも知っている。
「どうし……て」
「どうして? あんな可愛い敬吾を見て、俺の薄い自制心が保てると思っているのか?」
「え?」
 あんな?
 訝しげな敬吾は、実際何のことか判らない。
 いつもと同じだったと……思うのだけど。
 けれど、穂波はその唇を覆い、二の句を告げさせない。
「んっ……うっ……」
 滑らかにうねる舌がするりと口内を侵入し、敏感な口蓋を舐め上げた。
 途端に総毛だった肌が、別の震えに変化する。敏感に反応した肌は、神経すら過敏になり、密着する穂波が動く度にブルブルと小刻みに震えた。
 肉厚な舌は、それ自体が生き物のように、敬吾の口内を犯し回る。
 口蓋だけでなく、歯茎の裏、舌先、喉の奥まで侵入し、敏感な粘膜を嬲り続ける。同時に、全てを知っている手が肌をまさぐり、背後に回った手が膨らみを辿り、先ほどさんざん弄くって綻んだ後孔にまで辿り着いて。
「んあっ……うっ……、あぁ、」
 手練手管を駆使して進む穂波に、逆らうことの愚かさは知っている。
 あっという間にどろどろに溶かされて、穂波のモノで掻き混ぜられることだけを考えるようになる。
 縋り付く広い肩を引き寄せて、仰け反る身体を強く押しつけて、悲鳴のような啼き声を上げて。
 こんなのは自分じゃないと思いたいけれど、我慢なんかできなかった。
「ひっ、ぃっ、ゆ……きと……さっ、あっ、イィっ、んあっ」
 つぷりと入っていく指先が、早く敏感な場所を突いて欲しい。
 否──もっと太いモノ、もっと、熱くて硬くて──太いモノで、そこの全てを擦って、嬲って、突き上げて欲しい。
 最初にどろどろに溶けてしまう脳髄の中で、ただ、欲求だけが強く己を主張し出した。
 と、不意に身体が軽くなる。
 それが寂しいと感じると同時に、不意に足を大きく割り広げられた。ひやりとした空気に触れる濡れたそこ。
「イヤらしいな、敬吾。尻を掻き混ぜられるだけで達くか?」
 はっきりと感じる後孔の異物感は、グチャグチャと掻き混ぜられる刺激に霧散する。
 揶揄する冷たい言葉は、けれど、その中に含む甘さが如実に感じられて、涙が浮かぶ目をうっすらと開ければ、折り曲げられた足の間から至近距離で穂波が敬吾を見つめていた。
 汗びっしょりのその表情に、言葉ほどの余裕は無い。
「ゆき、と……さ、俺……」
「グチャグチャだな、ここは。そのくせ指を締め付けて、俺を離そうとしない」
 言われなくても、自分の身体だから判る。
 滾ったそこは、もう指なんかじゃ物足りない。
 もう欲しい。
 言葉にするより先に、腰が動く。
 押し曲げられた二本の足を穂波の腰に回し、すり寄せて強請る。
 彼の腹に擦れた敬吾のペニスは、だらだらと涎を垂らして限界を訴えていた。けれど、呆気なく達くのは、あまりにも惜しい。
 穂波に慣らされた身体は、穂波でないと達っても満足しない。
「幸人さん……俺、自分では……しなかった……」
 だから、ホテルで一人ではしなかった。
 その言葉を、幸人は違えず理解したようだ。ぎらりと光る欲望の焔はさらに燃え上がり、見つめられる敬吾すら焦がしてしまいそうな程に強く。
「ひっ、あぁぁぁ!」
 バチッと皮膚を打つほどに強く激しく穿たれて、指だけで解されていた後孔がそのいきなりの攻撃に悲鳴を上げた。
 痛みは激しく、熱く潤んだそこは、無意識のうちに侵入者たる剛直の侵入を阻むように締め付ける。
「い、痛っ……こ、んな……」
 あまりの暴虐に恨みの視線を寄越せば、その時だけはバツの悪そうな表情を見せたけれど。
 噛みつくような口づけに敬吾の恨み節は封じ込められた。
 その舌の動きが勢いを増すにつれ、僅かに止まっていた動きは、すぐに再開されて徐々に激しくなる。
「んっ、あっ、くっ」
 逞しい身体に組み伏せられて、ガツガツと貪り喰われる快楽はすぐに痛みを凌駕して、理性が全て食いつかされていく。
 腹の奥から込み上げる快感は激しく、電撃のように四肢の制御すら失わせる。
 爪が彼の肌に立ち、腕や足が痙攣して組み伏せる身体を抱きしめさせる。
 熱くて、狂おしいほどに愛おしくて、嬉しくて、気持ち良くて。
「ひぁぁっ、イィっ、もっと、あぅっ、ひぅ」
 暴虐な雄の動きを受け容れてしまえば、よがり狂うしかなくて。
「敬吾……、敬吾……凄いよ、お前は……凄い……なんて身体だ」
 譫言のようなそれにすら、全てを持って行かれる。
「ゆき、とさ……ぁぁっ! あぁ、こんなっ、あっ、すご……あうっ」
 ベッドが軋むほどの突き上げに、呆気なく射精を迎えるその間も、穂波の突き上げは止まらない。
「やあっ、こんなっ、きつっ、うっ」
 感じすぎて怖い。
 過ぎた快楽のきつさに音を上げても、穂波には届かないようで、敬吾を翻弄する手は止まらない。
 熟れた乳首に吸い付かれ、力強い手が双丘を割り開き、未だ足りぬとばかりにペニスが奥深くを抉り、抜かれ、さらに深く侵入する。
「敬吾、敬吾」
 四肢の感覚すら虚ろな、荒波に揉まれる敬吾が縋るのは、その繰り返される自身の名だ。
 穂波が欲しているのが、自分なのだという自負とそして求められる悦びが、敬吾を快楽の渦につなぎ止めて、さらに先を求めさせる。
「ゆき、と……、あぅっ、やあぁ、ゆきとぉ」
 さらに激しくなった穂波が、不意に停止する。
 後孔が裂けるのではないかと思われるほどに、深く強く押しつけられた腰がぶるりと震えて。
 迸る熱い液の奔流を、敬吾は確かに感じていた。
 それがどんなに幸いなことか、そして、自分がどんなに欲していたか。
 ぽろりと流れた敬吾の涙を、荒い吐息の穂波が指先で掬う。その彼に向かって、敬吾は心の底から嬉しいと微笑んだ。
 その激しさをぶつけてくれたことが、あまりにも嬉しくて。
 それをくれる穂波が愛おしくて。
 敬吾は、穂波の肩にかけていた手を伸ばして、彼の頭を掻き抱いて。
「愛してるから、だから、ずっと俺を離さないで」
 正気であれば、自分からは進んで言ってやるものか、なんて思っていた言葉は、とてもすんなりと口から吐いて出ていた。


「なんだかなあ……」
 かいがいしい世話をする穂波は少しは悪かったと思っているのか。
 その割りには上機嫌な穂波に、ため息が零れる。
 腰の立たない敬吾は、ついでに疲労による熱まで出していて、すっかり穂波の世話になっていた。
 一日しか無い代休は、あっという間に消化されてしまいそうで、未だ持って帰ったままのスーツケースを恨めしげに見つめる。
 洗濯はしておく、とは言われたけれど、明日の仕事の支度もあるから家には帰りたい。
 けれど、帰ろうにも夕方になっても足腰は立ちそうになく、微熱とは言え身体もだるい。
 何しろ、激しいセックスは数時間にも及んだうえに、気絶したように眠りにつき、気が付いたら昼を越えていたのだから。
「しょうがないだろ。敬吾が空港であんな可愛い姿を見せるからだ」
 欲望の権化と化した原因を教えた穂波は、悪いのは敬吾だという。
「そんなつもりじゃなかったけどなあ」
 確かに、なんとなく恥ずかしさというか、いたたまれなさというか。
 恥じらった態度にはなったかもしれないけれど、だからと言って長旅に疲れた身体相手にここまでするのか、とは思う。
「だってさ、お迎えっていうのに、あんまり慣れていないんだよ。この年になってさ、お迎えを受けるのって」
 子供の頃ならいざ知らず、一人暮らしもしている男の出張のお迎えなんて、家族がいる家でもなければそうそう無い。
 なんというか、父親が家族の出迎えに照れ笑いを見せるその心情がなんとなく判ってしまったくらいで。
「敬吾は、ああいう可愛いところをあまり見せてくれないからな」
 それは、自覚があるので反論できない。
 だが、ここまで激しくされれば、今度はそんな可愛いと思われる態度など絶対に取らない──なんて思うのも、当然だろう。
 じっとりと睨み付けると、それでも上機嫌な穂波の手が、優しく額に触れてくる。
「少しは下がったかな?」
 ほんの少しの不安が入り混じった声音に、少し絆されたのはそれが穂波の愛なのだと判っているから。
「……まだ、怠い」
 舌っ足らずな否定は、どこか甘えを含んだモノだったと後から気が付いても、それこそ後の祭りで。
「え?と……」
「敬吾は俺を煽るのが巧すぎる」
 簡単にスイッチが入る方が問題だろうと、未だ怠い身体では、欲情を讃える瞳を隠しもしない恋人の深いキスを受けいることしかできなかった。
 

【了】