「何だって?」
 穂波は今聞いた言葉が理解できないと、目の前で立っている敬吾を見上げた。
 朝も早くから穂波の部屋を訪れて、何かを探るように部屋を見渡して。
 いつもと同じ会話もそこそこに、敬吾が何かを言い出した。だが、敬吾にしては歯切れの悪い声で、うまく聞き取れなかった。

 それに、敬吾が少し不満そうに唇を尖らす。
 滅多に見られないその子供っぽい仕草に、なぜだか穂波の欲望の源は容易く疼く。
 ガキは好みじゃないんだけどな?
 束の間そう思ったけれど、だが、敬吾ならそんな仕草もいいか、と思う。
「だから、今日は俺の言うこと、聞いてくれって言ってんの」
 それでも、この言葉には眉を顰めた。
「何で?」
 思わず問いかければ、「悔しいから」と簡潔に返された。
「悔しいって?」
「いいだろっ」
 その言葉が、敬吾の苛つきを教えてくれる。けれど、そんな風に悔しそうに眉根を寄せる敬吾は、穂波の加虐心を煽る。
 これは面白いかも?
 敬吾が何をしようとしてるのか、付き合ってみるのも面白いかもしれない。
「まあ、いいけどな。で、何を言いたいって?」
「え、いいのか?」
 こんなに簡単に承諾されると思っていなかったらしい敬吾の反応に、穂波は苦笑した。
「なんだよ、それは?」
「あ、いや」
 これはやっぱり面白そうだ。
 自分が仕掛けた訳でなく、敬吾が何を言い出すかも判らないのに、とても楽しい。
 穂波の期待に満ちた視線に、敬吾の方がたじろんでいる。
「えっと……」
「はい?」
 口籠もる敬吾に、先を促すようにわざと返事をする。
「ちょっと黙ってろよ」
「ああ、悪い」
 不機嫌そうな敬吾ににこりと笑い返せば、ますます敬吾の眉間のシワが強くなった。
「……えっと、その……」
 普通こういう駆け引きのような事をする時は、全てシナリオを考えていた方がいい。
 それを知らない敬吾ではあるまいし、何をこんなにためらっているのだろうか?
 それとも、言い出した時には名案だと思っていたことが、素直に承諾されて、良くない案だと思ってしまったのか?
 聡明さでも気に入っている敬吾のそんな常にない優柔不断さに、穂波は呆れ、だがそんなところも可愛いとすら思う。
 そんな自分の考えに、苦笑が強くなる。
 もともとの外見上の好みとは似ていない敬吾。
 だが、今どんなに好みの男が目の前に現れようとも、きっと本気にはならないだろう。
 それは敬吾がいるから、だ。
 敬吾相手で十分楽しめるのに、そんな彼を捨てようなんて思わない。
「どうした、敬吾?何をそんなに悩むことがある?」
「えっ……と、その」
 何をためらっているのだろう。
 敬吾が穂波を見ようとしない。
 これは、もしかして結論は出ているのだが、言いにくい事なのだろうか?
 敬吾の年にしてはひどく綺麗な瞳が天井の照明を写している。
 年……?
 ふと、何かが琴線に引っかかった。
 そういえば、と頭の中のデータベースから敬吾の項目を引っ張り出す。
 対人関係に関わるデータベースの中でも、敬吾の項目は一際大きい。その中から、難なく引っ張り出したのは。
「そういえば、お前誕生日だな」
「え、あ」
 この穂波幸人にして、敬吾の誕生日を忘れていたのは大失態だ。
 しまったと悔いるのは悔しいから頭の中だけでして、ぐいっと敬吾を引き寄せる。
「すまんな、何も用意していない」
 耳朶に唇が触れる距離で囁けば、敬吾の敏感な体はびくりと震えた。
「別に、何も期待なんかしていない」
 だが、そうでもないだろうと思わず笑ってしまう。
 敬吾が、悔しいから、と言った理由が、ようやく判ったのだから。
 だから。
「嘘つき」
 揶揄を込めて囁く。
「嘘なんかっ!」
 凛とした瞳が、反抗の色を露わにする。
 その瞳にぞくりと背筋が疼いた。
「ああ、お前の言うことを聞くんだったな。さあ、何でも言ってくれ」
 この子は、こうでなくてはならない。
 諾々と従うだけの敬吾なんて面白くもない。
 穂波の手が、敬吾の体の線を辿り、舌が首筋を這う。
「う、あ……」
 息を詰まらせて、快感に打ち震えて。けれどそれでも何かを言い募ろうとする。
「何?」
 さざめく肌に笑みを零せば、それだけで敬吾は喉を晒した。
 穂波にしてみれば、敬吾の些細な反抗など性欲を煽るものでしかない。
 そして、それは敬吾も十分判っているはずで。
「きょ……は」
 すでに快楽に潤んだ瞳が、それでも懸命に穂波を見据える。掠れた声が、敬吾の喉を震わせていた。それに見入ってしまった己を誤魔化すように、その喉に唇を落とした。
「ずっ──あっ……」
 ぎゅうっと力強く敬吾に抱きしめられる。
 これ以上密着できないほどに触れあって、その体が十分に熱を持っていることが判る。
「敬吾、ほら、言えよ」
「んっ……だって……」
 言えないようにしている自覚はある。
 それを敬吾も判っている。
 だが、いつもなら罵声の一つでも飛んでくるのに、今日は敬吾はやけに大人しかった。
 時折見せる反抗心は変わりないと思うけれど。
 体に触れる敬吾のものはいつも以上にいきり立っている。
「あ……幸人さ……」
 掠れる声が幸人の体の火を煽る。
 燃えさかってもうその火は容易なことでは消えやしない。
 ここで押し倒すのは簡単だけど……。
 だが、穂波は敬吾の言葉を待った。
 けれど、その間にもシャツの下に潜り込ませた指先で肌をくすぐり、啄むようなキスを剥き出しの肌に落とす。
 敬吾のイイ所など全て把握していて、決して逃しはしない。その愛撫に敬吾は最初の問いかけなど忘れているように見えた。
 しかし穂波は意地悪げに催促する。
「ほら、待っているんだよ。何をして欲しいか、言ってごらん?」
「あっ……」
 中途半端な愛撫に、敬吾が悔しそうに穂波を睨み付ける。
 それがどんなに穂波を煽るか知っているからだ。
 だが、それでも穂波はぐっと耐えた。
 この先の楽しいことを想像すれば、一時の快楽は耐えられる。
「敬吾……」
 悪戯な指先が下着の中に潜り込み、ぶるりと震える敬吾の背をもう一方の手が弄ぶ。
「あ、やっ、幸人──っさ……」
 熱い滴に濡れそぼった敬吾のものを苛めば、敬吾がなすりつけるように腰を動かした。
「どうした、敬吾?俺は待っているんだよ?」
 可愛い姫君の命令を。
 囁くように呟けば、敬吾は耳まで赤くして。
 その首筋を、耳朶を、そして唇を、何度も何度も啄んだ。舌先で探れば、もっととばかりに抱きしめられる。
 そして。
「だ、いて……」
 悔しそうに顔を顰めて、けれど、もう待てないとばかりの悲痛な声で。
 それは堪らなく可愛くて、穂波の雄を痛烈に刺激した。
 たぶん最初は違うことを言いたかったに違いない。けれど、敏感な敬吾の体が、穂波の手にかかって反応しない訳がない。
 ほくそ笑む穂波を涙混じりの瞳で睨み付け、噛み付くようなキスを返して。
「もう焦らすなっ!」
 罵声はいつものこと。
「仰せの通りに、お姫様」
 揶揄する言葉に余計に睨まれたが、それはそれでいい刺激になる。
 焦らしをやめた穂波の手技に、敬吾が陥落するのに時間はかからない。
「誕生日プレゼントだな」
「こ、んなのっ──どこがっ!」
 それでもこんな反論があるのだから、楽しくて堪らない。
「敬吾の言うとおりにしてやるんだよ、何もかも。さあ、言えよ」
 ──どこに挿れてほしい?
 耳朶を口に含みながらねっとりと囁けば。
 敬吾の瞳が淫猥な期待に揺れ、穂波の欲望をさらに熱くたぎらせた。


 熱い体を抱きしめて、きつく吸い付いて、白い肌が汗ばむのを楽しむ。
「次はどこがいい?」
 敬吾が望むようにするとの約束だ。
 手を止めて快感にとろけた顔を覗き込む。途端にさぁっと羞恥に赤く染まって敬吾が恨めしそうに睨んできた。
「どうした?」
 平静さを装って問い返そうとしたけれど、どうもそれは失敗したようで、敬吾の顔がさらにきつく顰められる。
「意地悪……」
「敬吾との約束守ってるだけなんだけどなあ?」
「ああ、もうっ!」
 怒って、身を捩る。その体を押しつけて、ねっとりと舌を這わせれば、強張っていた四肢の力が抜け落ちた。
「うっ、やあっ」
「さて、次は?」
 欲しいだろう愛撫を巧みに避けて、強請らせようとする。穂波自身いい加減己の底意地悪さに苦笑いをするしかないが、それはきっと一生治らないだろう。
 何せ、こんなに面白いことはない。
 そして相手が敬吾となれば、なおさらだ。
「敬吾?」
「うあっ」
 うっかりと触れてしまったように濡れた先端を弾けば、敬吾の体が敏感に震える。
 何かを言おうとした口がきつく閉じられ、ぎゅっと目を瞑っている。堪えるその仕草が堪らなくいい。
 触れられてもいないのに、穂波の雄が一際大きく張りつめる。
 まいったな。
 もっと遊びたかったのに。
 腕の中で悶える敬吾が、あまりにも可愛くて穂波自身我慢が効かない。
「う……あっ……」
 微妙にずれた愛撫は、それでも敬吾を十分に高めている。ただ、今の敬吾にとってそれは焦れったさを増幅させるものだろう。
 後一歩、先を望んでいるのに、敬吾はそれを口にしない。
 そして、穂波がそう簡単に与えてくれないのも十分判っている。
 その攻防を穂波が楽しんでいるのが判っていても、敬吾は簡単には屈しない。
 堪えて、堪えて、堪えて。
 限界がくるまで、敬吾は屈しない。
 もっともっと反抗しろ。
 簡単に屈するお前なんか面白くない。
 さっきから敬吾の奥深くに侵入している指が、まとわりつく内壁を柔らかく刺激している。
 欲しい。
 悶え嬌声を上げ、必死の仕草で縋り付いている敬吾が、全身で穂波を欲しがっている。
 けれど、口には出さない。
「敬吾……次はどうして欲しい?」
「あ、……ヤダ……」
 音を立てて指を抜けば、名残惜しそうに食いついてこようとするのに。
「どうしようか?」
「し、知らないっ」
 反抗的な瞳が、穂波を見つめてきた。
「そうか、知らないか」
 くつくつと喉の奥で笑えば、涙混じりで見返される。
「これでも?」
「あっ、ぁぁ」
 欲しがってひくついている場所を突っつけば、自ら腰を押しつけてくるくせに。
「敬吾、言いなよ」
「やぁ、ゆき、と……」
「ほら、お前の言葉待ってんだよ、こいつが」
 縋っていた手を片方取り上げて、穂波のそれを握らせる。
「あ、……あつ……」
 敬吾のふわりととろけそうな顔つきが、淫猥な悦びに震えていた。
 堪らないねえ。
 握られた場所がズクズクと疼く。
「敬吾、言ってくれ。そういう約束だ」
 いい加減堪えられなくて、つい穂波の方から乞うていた。
 こんな筈では。
 と思ったけれど、こんな敬吾を目の当たりにして、さすがの穂波も限界だ。
「あ、ぁ」
 普段は知性に満ちた瞳が、こんなふうに愉悦に満ちて捕らわれたふうになって。
 壊れかけた敬吾というのが、一番穂波の欲望をくすぐって堪らなくさせる。
「敬吾?」
「あ、ほ……い」
 微かに聞こえた声に穂波はほくそ笑む。
「聞こえない」
「あっ、あっ」
 雄に絡めた指をやわやわと動かせば、敬吾の体が跳ねるよう身悶えた。
 そして。
「あ、もうっ──ほしっ、ゆき、と──きてっ!」
 艶やかな嬌声に、穂波も弾かれたように腰を進める。
 用意は万端だった。
「うっ……くうっ」
 最初はきつい。
 敬吾も穂波も喉から詰まるような音を出してそれをやり過ごした。
 だが。
「あ……はあっ……」
 詰めていた息を吐き出すその声に、煽られた。
「敬吾っ!」
 名を呼んで、動きを早める。
 穂波の体は瞬く間に限界まで昂揚し、信じられない早さで限界へと到達する。
 もとより我慢も限界までしていたせいだとしても。
「ひあっ!ああっ」
 敬吾の限界に達した、そんな声を聞かされて。
「んくっ」
 穂波も呆気なく果てる。
 最高の快楽は、いつも敬吾と共にある時に訪れて、穂波を幸せにするけれど。


 ざまあねえな。
 びくびくと震える体を持て余しながら、内心で毒づく。
 それでも、体の下で俯せになっているその背に口付けを落としてしまうのはあまりにも愛おしいと思ってしまうから。
「……意地悪」
 ちらりと恨めしげな視線だけを寄越す敬吾にさんざん煽られるから。
「意地悪な俺は嫌いか?」
 指先で体の線を辿れば、敬吾は息を詰めてシーツに顔を埋めた。
 耳の後ろまで真っ赤に染まっているその痴態に、穂波はほくそ笑む。
「うるさっ……」
「誕生日のプレゼントだからな。まだまだこのくらいじゃ、俺の気がすまない」
「あっ」
 下腹に手を差し込めば、身悶えて逃れようとするけれど。
「敬吾……それとももういいか?」
「幸人さん?」
 訝しげなその眦に口付けを落として問いかける。
「そういう約束だろ?敬吾が決めろ」
 その言葉に息を飲み、羞恥にその肌を綺麗に染めあげる敬吾を絡め取ったまま、穂波は再び問いかける。
「どうしたい?」
「……うるさっ」
 返事の代わりに毒づいて、だが伸びてきた手が穂波の首を捕らえた。
 引き寄せられて、与えられるのは濃厚なキスだ。
「判ってるくせにっ」
「それでも……聞きたいね」
 悪戯を仕掛けてこようとする手首を掴んで、頭の上で押しつける。
 穂波の笑みに、敬吾がむうっと顔を顰めて。
「もっと……欲しい」
 吐き捨てるようにした敬吾のさらに赤くなった顔が、泣きそうになるほどに歪んでいた。
 その表情に、穂波はくすりと笑って。
「仰せのままに、お姫様」
 臣下の礼を示しただけだというのに、返ってきたのはきつく睨む視線。
 それでこそ、楽しい。
 深く交わる口付けに、二人だけの室内に淫猥な音が響いていた。

【FIN】