朔の日の供物

朔の日の供物

双子の琉と凪が訪れたのは、古ぼけた小さな社殿。そこで琉は自分の運命を凪から強制的に教えられる。
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 見慣れた場所なのに、見知らぬ場所というのはあるものだと、琉(りゅう)と凪(なぎ)は顔を見合わせた。相似形とも言われるほどに良く似た顔立ちではあるけれど、勝ち気な琉と違い、穏やかな笑みを見せる凪は優しい顔立ちを見せていた。
 12月の誕生日で20歳を超えた二人は、一卵性双生児の兄弟だった。
 凪の、せったくだからと休みに入る前に薦めた控えめに毛先だけを脱色した髪色はこんな細い三日月の夜でもきらめき、闇夜の中の木漏れ日のようにふわりとたなびく。琉が完全に脱色しているそれと明らかに違う髪の色は、良く似た二人を見分けるためには便利だ。
 そんな三日月を見上げて、凪はなんと言っていただろうか。
 神社への道すがら、凪が教えてくれた言葉が不思議と耳に残っている。
『太陰暦では月が太陽の影に隠れる瞬間を朔(さく)と言って、1日となるんだ。だから朔はいちにち、とも読むんだって。それから新月と言われるのは本当は、朔の日から初めて月が見える日のこと。だから、太陰暦で言うと3日目ぐらいが本当は新月で、今見えている月のことを言うんだ』
 その知識と違う事実に、琉は不思議な感覚で月を見上げた。
『だから本当は朔の日に来たかったんだけど』
 けれど続いたその言葉の意味を図りかねて視線で問うてもその言葉は返ってこなかった。
 その代わり、悪い足元に意識が取られ、そんな疑問など消え失せた。
 滑りやすい濡れた枯れ葉を踏みしめ、一歩一歩足元を確認しながら狭い参道を進んでいた。先ほど通り過ぎた石灯籠の中に仄かに灯った細い蝋燭の明かりでは、荒れた石造りの階段を照らすまでは至らなく、手に持った小さなライトだけが頼りだ。
 さっきまでいたお焚き上げの炎が木々の間から垣間見える。人の声も聞こえる。
 けれど、この周りの重さすら感じるような静けさにそれら全てが押し消されているように思えた。これが寺であったらば、肝試しでもしているような感じなのだけど。不思議とそんな怖気だつような恐怖は感じず、ただ畏れのような、敬虔な何かがそこにいるような、幽霊とは異種の怖さは確かにあって、さっきから二人は一言もしゃべらない。
 あと少しで新年に変わる時間に初詣に行こうと誘ったのはいつものとおり琉だったけれど、人が集まっているお焚き上げの周りから逃れるように端へと移動したときに、小さな寂れた看板と細い道を見つけたのは凪だった。
 近所の氏神様である神社の奥の院の一角のはずで、普段足を踏み入れぬそこに誘われるように足を踏み入れたのは、琉かそれとも凪か、すでに覚えていない。性格的に琉が強引に誘い、凪がそれに従うのはいつものことだったけれど、なぜか今回は凪が誘ってきたような覚えもあった。曖昧なその記憶に、琉は思い出すように頭を振ったけれどそのときの記憶はようと戻らず、けれどすぐにその違和感は消えた。
 ただ、この先にある奥の院に誘われるように足は動き、大きな岩を積み重ねたような石段を上がり、100メートルほど歩いたのではないかと思うころにようやく人より少し高い程度の高さの鳥居が目に入ってきた。
 苔むしたのか色あせたのか、ライトに照らされたそれはまるで時間のたった血の色のようで、地面から上30センチぐらいは色が落ちてしまっていた。誰が上げたのか、笠木上には幅と同じほどの大きさの石が不安定にいくつも載っている。
 そこをくぐるとき、思わず見上げた先で琉の視界がふわっと揺らぐ。その拍子に、足元の石でぐらりと身体が傾いだ。思わずたたらを踏んで支えた身体の横を、凪がすすっと通り過ぎていく。
「な、ぎ?」
 いつだって他人のことを気にする凪が、琉のそんな失敗を無視するなんてことは珍しく、不意に伸ばした手は凪の袖を掴み損ねて宙を泳いだ。そんな呼びかけも無視して、凪は足を進め、鳥居から続く参道を歩き続ける。
 両側の半ば崩れたように欠けた上に苔むしている狛犬らしき置物の間を通れば、拝殿などなくすぐに社殿があった。それは、四畳半ほどの大きさだろうか。うっそうと茂る大木に囲まれてすでに付きの光も届かない。
 足元を照らしていたライトを上げてみれば、今にも崩れ落ちそうなのに、なにかがのしかかってくるような重圧感も漂ってくる。
 ここが神聖な場所だから、きっとそうだからだ、と琉は息を飲みながら頭の端で考えた。
 先より畏れが強い。恐怖と違うそれは、琉の中では明確な区別などないのに、感じるのは畏れなのだ。
「凪」
 すでに賽銭箱の前にいる凪の後ろ姿に声をかける。その声は震えていた。今すぐ、この場から去りたい、と、本能が訴えている。すでにもう凪がいる場所まで足は動こうとせず、息が荒く、闇夜に白く拡散する。
「帰ろう、凪。もう日が変わる」
 本来の初詣の場所に戻ろう。あの暖かいお焚き上げの炎の元に戻ろう。
 声なき訴えを込めて、凪に呼びかけられるのも無視されて、彼はただ社殿へと向かっていた。


 近づけば、その畏れはより強く、小さいはずの社殿がひどく大きくのしかかってくるように感じた。
 凪は社殿の前で立ち止まると流れるようなきれいな所作で礼拝を済ませる。柏手が澄んだ音を立て、闇の中に吸い込まれるように響いていた。
 それがあまりにも違和感がない所作なので見守ってしまったけれど、凪がそんな仕草を見せたことがなかったと遅れて気付く。
「凪……」
 なぜか喉がカラカラになる琉の目の前で、凪が賽銭箱を避けて扉に近づき手を伸ばして。
 がたついた古い雨戸のような木の扉は何度か揺すってようやく人が一人通れるぐらいに開いた。
 そんな様子まで呆然と見つめてしまっていた琉は、凪がさらに中に入ろうとしたのに気が付いて、慌てて駆け寄った。
「凪っ、それはさすがにやばいだろうっ」
 普段無茶をするのはいつも琉のほうで、慎重派の凪らしからぬ行為に愕然としながら腕を掴んで引っ張った。駆け上がった足の下で、ささくれのひどい段の板がみしりと崩れそうな音を立てる。それに一瞬気を取られたとたんに、ふわりと身体が引っ張られた。
 凪の右腕を掴んだ右手が社殿の中へと強く引っ張られたのだ。目の前の凪の背中が迫り、とっさに目をつむる。蹈鞴を踏むように踏ん張ったはずの足が浮いて、無駄に足掻きながら腕から引きずり込まれていくように。
 顔に凪の髪が触れた。
 二人の身体が絡まるように社殿の中の闇へと吸い込まれていく。
「う、わぁぁぁっ!」
 叫んだ声すら闇に吸い込まれていくように、自分の耳に遠く掠れて響いた。
 切り裂く音が耳のそばで響き、痛みとなって肌を刺激する。目など開けていられないほどの風に包まれ1枚の枯れ葉のように振り回された身体が、不意に大きく放り出されたとたんにに落下して、全身に鈍い音が響き、伝わる痛みに身もだえた。背中から固い場所に落ちたのだと、蠢かせた腕に触れた砂混じりの感触に意識が覚醒すると同時に理解する。
 ものすごく長い間きりもみ状態で苦しんだようで、けれど感覚的には一瞬のようで、はっきりしないあやふやな感覚で、自分が何をしているのかも判らず、闇の中で呆然として動けない。
 目を凝らしても何も見えない。そのうち自分の方向感覚どころか上下の感覚すらあやふやに感じて、目眩のような混迷に陥っていく。ぐらぐらと不安定な身体に慌てて手をつき上体を支えたところで、すうっと冷たいほどの空気の流れを感じた。
 同時に、人の呼吸音と衣擦れの音が響く。
 びくっと全身を震わせて、それから逃れるように床に手を這わせた。
 食い込む小石のかけらのようなとがった痛みが手のひらに伝わると同時に、じゃりっと音がする。その下は、地面というには固く、けれど石のような冷たさはなかった。わずかな凹凸と、まっすぐ伸びる境目に木の板だと知れて、琉は再度闇の中に目を凝らした。
 ここは、さっきの社殿の中じゃないか。
 扉から中に入ってしまった——引きずり込まれてしまった記憶はある。ならばあの建物の中なのだろうけれど、経過した時間はあんな小さな建物にいるとは思えない。
 きょろきょろと辺りを窺うように見渡すけれど、やはり何も見えなくいのに、確かにそこに何かがいる。琉は、荒い呼吸を整えて、辺りを警戒しながらも、近づいてこないそれに少しだけ安堵していた。
「凪?」
 少なくともここにいるのは凪のはずと、恐る恐る問いかければ。
「琉」
 穏やかな物言いの聞き慣れた声が返ってきた。
「ああ。なあ、何が起きたんだ? すごい力で引っ張られたみたいだったけどよぉ。あ、それより先にここを出ようぜ、真っ暗でなんにも見えやしねぇ」
 再度辺りを見渡しても、一寸先は闇という言葉がこんなにも合う場所はないだろう、と思うぐらいに先が見えない。
「出る?」
 けれど、そんな琉の不安などどこ吹く風かのように、凪は不思議そうに問い返してきた。
「まだ何もしていないのに?」
 静かに、けれど笑みを孕んだの物言いに、琉の背に不意に悪寒が走った。
「ようやく招待したのに、もう帰るなんて」
「凪? おまえ、何言って?」
「ようやく琉をここに連れて来れたのに」
 ふわりと何かが琉に迫っていた。何も見えないけれど、確かな気配が近づいてくる。圧迫感を持つほどの何かがすぐそこまで。
「琉、いい匂い……僕はおなかが空いたよ」
「な、ぎっ……」
 とっさに身体を捻ったのは本能からの恐怖のせいだ。
 琉とてそこそこに腕っ節は強く、勇気もあるが、そんなものを凌駕する何かがそこにいた。凪の声でしゃべりながら、けれど、そこにいるのは凪ではない。
 ずっと一緒に育ってきたからこそはっきりと確信できるそのことに、背筋がぞっと震え、足ががくがくと強張り立とうとしても動かない。ただ、手だけが忙しなく床を這うが、身体を数十センチ進めるだけが精いっぱいだった。
 その間に、凪の声を持つものは近づいてきて、その圧倒的な力を持つ何かを伸ばしてくる。 
 じっとりとした熱が圧を持って近づいてきた。
「ひっ」
 冷や汗が全身で噴き出し、近づくそれの感覚に必死に後ずさる。ジーンズの尻が床板のささくれにひっかかり、トゲが鋭い痛みを与えてきたけれど、それを意識することなどできなかった。
「い、いやだっ、く、来るなっ」
「やだなあ、琉。僕だよ、凪だよって。何をそんなに怖がっているの?」
 なだめるような口調に記憶が引きずり出される。ずっと共にいた凪の声だし、口調も変わりない。けれどその気配は、もうそこまで来ている気配は凪のものではない。
 ぶるぶると首を横に振って、また後ずさって逃れようとしたけれど。
「ひっ!」
 生暖かいそれが両肩に触れる。
「つーかまえたぁ」
 無邪気な幼子のような言葉が、目の前の何かから届いた。
 熱いほどに熱を孕む何かが肩を引き寄せ、力の入らぬ身体を引き寄せる。背に回されたのは腕なのか、抱きしめられたというより熱い袋に包まれたような感触が人のものであるはずがない。そう思った直後に、細い腕が琉を取り囲んだ。
 まるで凪の身体を何か変幻自在のゼリー上のものが覆っているような感じだと言えばいいのだろうか? 脳裏に浮かんだのは着ぐるみを着た凪だったけれど、それはかわいい物ではなくひどくグロテスクで、ぞくぞくとした悪寒が全身を支配する。
「い、いやっ……」
「ふふ、ほっんと、いい匂い。琉の匂い」
 朗らかな笑い声に吐息が剥き出しの首の皮膚をくすぐった。
「琉はね、とてもいい匂いがするんだよ。どうしてだろうね、僕からはそんな匂いはしないのに」
「に、匂いって、なんだよ、それ……」
 ガクガクと全身が痙攣するように震えているのに、包み込むそれは凪として話しかけてきた。
「僕たち双子なのに、母胎の中で同じ卵から分かれた存在なのに、琉はとても”おいしく”できているんだよ」
「え……な、何言って、お、おいしくって、ふ、ざけんなっ!」
 さすがに聞き捨てならない言葉を拒絶したくて怒声を上げるが、恐怖に裏打ちされた言葉に迫力はなかった。
「いいね、今とっても良い匂いがした。琉の感情が昂ぶると、さらにおいしくなるんだね。おいしくて、そそる匂い。ああぁ、はやく、はやく、食べたい」
 耳のすぐそばで舌舐めずりをする濡れた音が聞こえた。
 その言葉の意味と音が一気に琉の脳髄に押し寄せる。激しい危機感を教え、生存本能を刺激する神経伝達は激しく、琉は無我夢中でそれの中で暴れて、身体を捻る。
 ドガッ
 何かの拍子に外れたそれから放り出されるように投げ出され、受け身を取る間もなくしたたかに右腕と身体を床に打ち付けた。肘近くの神経の先端への衝撃に、息を飲むような痛みと痺れが一気に脳を支配する。起き上がろうとした身体は力を失い、床へ向かってがくりと崩れた。
 顔を打つ寸前で左手が支えたけれど、俯せになった顔が近くの床に触れた。その背に、振り切ったはずの熱がのしかかってくる。
 ひどく重いそれは、琉より大きく感じて、そのことからも凪でないと思った。
「は、離せっ!」
「食べたいんだ、琉を、ものすごく食べたいんだよ」
「ひっ!」
 ヌメッと濡れて柔らかく熱いものがうなじを這った。押さえ込みながらも前に回された腕のようなものが、来ていたシャツの合わせから忍び込んでくる。その圧に耐えきれずにパン、パンッとボタンが幾つも弾け、はらりと前がはだければそれはより一層広範囲に包み込み、肌をまさぐってきた。
 大きな手のひら、だろうか、怖気だつその感触から逃れようと、重みに耐えて膝と腕の力で身体を起こしたが、今度は別の腕のようなものがウェストから中へと忍び込んできた。
「ひ、ぃぃっ!」
 狭くきついはずのウェストが、奥深くに入り込んだそれで一気に裂ける。まるで薄い紙を破るように、引き裂かれたジーンズはぼろきれとなって左右に落ちた。さらにその下の下着も膨張したそれのせいで裂けてしまう。
「ひ、やっ、ぁぁっ、触るんなっ、ひぁぁっ」
 男の急所とは言うべき場所がすっぽりと熱に包まれる。たるんだ皮のひだ、一枚一枚にすら密着して、別に引き延ばしながら、敏感な先端にぬめりがあるものが、うなじと同様にべろりと舐めていく。同時に、胸にも這うそれ。
 うなじだけなら舌だと思うそれは、けれど身体のあちこちに感じていた。
 まるでおいしい餌を味わうように、全身のあちらこちらをなめられているようで、捕食される恐怖にただもがく。
「や、やめっ……ぁっ」
「琉、おいしいよ。ものすごくおいしい」
 痛みはない。けれど、吸い付かれた肌はビリビリと痺れたようになり、それと同時に何かが確かにそこから抜けていくような感覚が大きい。
 肌がすごく敏感になって、吸い出される代わりに押し込まれるような疼きも同時にあって、何かが熱く侵入してくるとそれが肌の内側から身体の奥深くへとじわじわと滲んでいくのだ。
「な、んで……や、ぁ、さ、触んなっ、あひっ」
 四つん這いになった身体は後ろから押さえ込まれ、けれど不思議なことについている手のひらや膝には痛みを感じない。それどころか、ねっとりと舐められるその感触は全身を同時に愛撫されているようで、それが侵入してきた熱い疼きを倍増させて、奥へと押し込んでいく感覚に琉は何度も息を飲んだ。
 体温が上がり、とにかく熱くて堪らない。
 はあはあと喘ぎ吐き出す息は、喉が焼けそうなぐらいに熱かった。なのに、吸い込む空気は冷たいはずなのに、身体を冷やすほどではない。
 妙なる快感と熱とで、頭が朦朧としてきた琉を包み込む熱が、凪の声で囁く。
「ねぇ、さっきよりもっといい匂いになったよ。もうこの匂いだけで、僕は力が湧いてくるんだ」
「ちがっ、……匂い、なんてっ」
「いい匂いなんだよ、琉は。人は生まれつき固有の匂いがあるんだけど、琉のそれは特別だね。しかも、まだ琉の身体は女も男も知らない無垢だから、よけいに僕の好みなんだよ」
「あ、ぁぅっ、駄目だっ、そこっ、んんっ」
 何か不自然な言葉を聞いた気はするのだけど、ぞわぞわと肌をくすぐる快感に、集中できない。
 内腿の敏感な部分を這い上がるそれが会陰の膨らみから前後に分かれ、陰茎に絡みつき、尻穴をまさぐり始めていた。
 手じゃない、こんな動きをするものが人にはついていない。
「いいな、ほんとに」
「ひあっ!」
 刺激に身体が反り上がる。海老反りになった身体は自身の意思に逆らいそのままの姿勢で固定された。
 闇の中、何も見えないその空間で、琉は見開いた瞳の中に赤黒い霞のような影を見つけていた。絡みつく腕のようなものの中に半透明な人の腕が見える。それはとても細く小さなものだったけれど、あれは凪のものだと気が付いたとしても、なんの役にもたたない。
 後ろにいるのは凪だけど凪じゃない。そんなことが判っただけ。
 凪の身体から何かが溢れ出し、覆い尽くしたそれは、まるでアメーバーのように琉の身体を覆い尽くし、がんじがらめにしていた。背後からのしかかる凪とその何かに琉はもう動けない。
 来ていた服は全てがぼろクズとなって散っていたとは知らない。
 見えないから、自分がどんな姿になっているのか判らない。けれど確かに、凪と何かは見えているようだ。
 中空に突き出すように晒した両方の乳首が、指より細かな動きによって捻りながら引き延ばされ、押しつぶされる。痛いはずのその強さに悲鳴を上げた口にも太い棒状の何かが侵入し、声を遮った。それが歯列を一つずつ辿り、舌の裏にも入り込み妖しく蠢いて、妙なる快感に琉の口角からだらだらと涎が流れ落ちる。
「ごっ、ふぉっ、おっ」
 喉の奥まで侵入したそれが、不意に出ていく、と思う間もなくまた侵入する。同時に、尻穴が広げられる感触にびくんっと全身が震え、尻タブに力が入って締め付けるそこにするりと何かが入り込んだ。
 細いひものようだと感じたそれが、中からじわじわと広げていると、襲い来る快感にとらわれた頭で気が付いたのは、それでもすぐのことだ。しかも、口と同様に前後に動き、中からも外からも少しずつ広げていく。敏感なアナルの縁が痛みとそれ以上にむず痒いような疼きを訴えて、息が詰まる苦しさと解放感に意識が揺さぶられていた。
「ぐぁっ、あっ、がっ」
 苦しいけれど、気持ちいい。きついけれど、欲しくなる。
 凪が言ったとおり、琉はまだ女を知らない。付き合う相手はいても、互いに互いを探っているような、一気に深い関係になるほどではない相手しかまだいない。
 だから初詣も凪と来たはずだったのに。
 上下から体内に潜り込んだそれが、敏感な粘膜のあちこちを抉り、探るように蠢いて、そのたびに脊髄から脳天まで貫くような快感に身を震わせた。
「あーっ、おーっ、おーー」
 身体を起こされて、まるで立ってるかのようになっているのに、足裏には何も感じない。いや、そんなとこすら何かが這い周り、指の間全てをまさぐられてむず痒さに身悶えながら、蕩けるような快楽に涙をこぼした。
 何かが、自分を犯している。
 そう認識はできている。
 犯されて悲しい、けれど身体はたいそう喜んで、高まる射精感を逆らうこともできずに、腰が揺れていた。けれど、戒められた陰嚢は動かすことができず、自分が動く度に引き裂かれるような痛みが入り、射精感が遠のく。反対に緩めれば快感ばかりになって、先より強い射精衝動に腰が揺れて、また激痛に呻いた。
 全身を這いずり回る快感もまはた衰えるどろか強くなり、琉は自身の身体を動かすこともできずに、ただ与えられる刺激を享受することしかできない。
「琉」
 凪の声が呼ぶ。
「琉が悦んでいるときの気ってとてもおいしいんだよ。特にこうすると……」
「ぐ、おぉ——っ」
 股間を閉じることができないほどに尻穴を抉る何かが、腹の中でその体積を増した。その裂けそうな激痛に全身が強張って、けれど一気にしぼんだそれが自由になった空間で暴れて堪らないほどに快感を覚える場所を狙って刺激してくる。
 痛みと快楽、その激しい落差に揺さぶられて、音にならない悲鳴を上げながら、琉は高みから一気に引きずり下ろされ、また激しく押し上げられた。
 そのたびに吐き出せない咆哮で喉を震わせ、ビクビクと全身を激しく痙攣させる。
 快感は堪らないものになり、闇しか見えていな視界に赤い星がいくつも瞬いた。
「琉は苦しいときも気持ちいいときも、とってもおいしい気を出してくれるんだけど、その落差が激しければ激しいほど、濃厚さも増すんだよ。ああ、ほんとおいしい……ずっとずっとおなかが空いてたから、とってもうれしい……」
「ひあっ、ぎぃ——っ、い、あうぅっ!」
 ずるっ、ぐぐっ、ずるっ、ぐぐっ
 繰り返される抽挿とタイミングを合わせた圧迫感と解放感。
 快感に蕩けた頭に、時折正常な意識がよぎり肌が恐怖に震えた。けれどそれもすぐに消えてしまうほどの快感と苦痛に意識が白濁してしまう。
「おー、あぁーっ、あっ」
「琉、もっとちょうだい、もっと、もっと」
 凪が歓喜の声を上げて、それでも強請る。その声が、さっきより強く大きく耳朶に吹き込まれた。
 何度も何度も繰り返されながら、体内で弾ける絶頂感に追い上げられる。
「お゛ーっ、あっ、がっ、ああっ、あーっ」
 イキたいっ、イキたいっ、イカせて。
 そればかりが頭を支配する。
 もうこの身体を包むものが何なのか、なんてどうでも良かった。
 ただ、イキたかった。イカせて欲しかった。
 どんなに快感を感じても射精はできない苦しみに、琉はそのまなじりから何度も涙を流し、言葉にならない願いを訴えた。
 イカせて、イキたい、イカせて。
 けれど、どんなに願っても、それは叶えてくれない。それどころか、琉の願いをあざ笑うかのように、それは凪の声で今の状況を知らせてきたのだ。
 限界まで膨らんだ快楽の渦に翻弄されて苦しむ琉を追い詰めるかのように。
「琉の気は、快楽に染まって爆発しそうになっているときの気が、一番おいしいんだよ。だから、もう琉はイカしてあげないから。僕のためにもっともっとおいしくなって」
 その宣告を、おぼろにかすんだ精神の中で琉は聞いていた。
 言葉の一つ一つは聞き取っても、その内容をきちんとは把握できなくて、何を言われたか判らない。
 ただ、風船が弾ける寸前まで膨らんでいるかのような、限界まで膨張した快感に苦しみ悶えながら鳴いていた。
「お゛——っ、あ゛——っ」
 けれどどんなに願っても、射精独特の解放感と絶頂感はどうしても許されないままで、体内から生まれる乾いた絶頂に意識が揺さぶられ続けるだけだった。


 もう時間の感覚はなかった。
 時計などはなく、与えられる刺激にだけに狂う日々は、時間の把握などできない。けれど、凪が時々時間を口にするから、どのぐらいこんな状態なのかが琉にも判るのだ。
 それは揶揄するのを目的として、はあはあと喘ぎ、体内奥深くを抉る熱い肉棒を締め付ける琉に悪意を持って注がれる。
「ここに来てから2日経ったけど、まだまだ琉のチンポは元気で勃ちっぱなし。そんなにお尻が気持ちいい?」
「あぅっ……ふぁぁぁ……」
 口角から涎を垂らし、尻からもだらだらと中に出された何物ともつかぬ体液を流しながら、琉の瞳が絶望の色を浮かべながら涙をこぼした。
 熱と快感に淫欲に狂いながらも、凪に呼びかけられると理性がふわりと表層に浮かび上がり、彼の言葉を理解した。そのたびに切り裂くような痛みをその胸の奥に感じる。
 それでも神経は麻痺することなく、全身からの強い疼きを脳に送り続け、快楽のため池地獄に足を引っ張って引きずり入れるのだ。
 底なし沼で遠い水面に絶望しながら沈んでいく琉に釣り針をひっかけて浮かび上がらせて、水面で手を差しのばしながら、その手を取らずにまた沈める。
 凪はそんな遊びを愉しんでいるようで、琉はそのたびに絶望と希望を、そしてさらに深い絶望を与えられて、泣き喚きながら快楽の沼で溺れていた。
 疲れ果てた身体は力なく揺れるだけなのに、その刺激は少しも弱まらず、膨れ上がった熱塊に煽られて、全身が燃えるように熱い。
 そんな琉のうなじに凪の吐息が触れて、くすぐったく揺らした髪が強く掴まれた。
「良かった……もう、満足……したよ、琉。君の精気は、ほんとうにおいしくて、2000年の餓えがようやく癒えた……」
 そんな甘い声が囁いたのは、一体どれぐらい経ったころなのか。意識が戻る頻度も少なくなり、凪の声を聞いても浅ましく喘ぐだけのモノとなってしまいそうになったころか。
 全身を覆っていた熱いものが、琉の周りからすうっと引いていった。
 けれど、琉はそれに気付かない。すでに琉の皮膚の内部全てを満たしていた昂ぶりきっていた何かは全て吸い取られ、それと同じだけ仕込まれた快感に琉の意識は狂気のさなかにいた。
「あ、あんっ……ほし……ちょーだぁ……ああ、ねぇ、いかせてぇぇ、あっ、はっぁぁ」
 腰ががくがくと揺れ続けていた。伸ばした自身の手が股間の張り詰めた陰茎を握り、激しく擦り立てていた。
 先端からだらだらと透明な粘液が溢れ、そのぬめりが刺激を良く伝えてくれる。
 濡れたもう一方の手が乳首に触れ、こねくり回していた。赤く腫れ上がり、うっ血すらあるそこは、肥大化しさくらんぼうでもなったように熟している。その指にそって凪の指が絡まっていた。
 満足したという言葉の後、あの膨らみきったゼリーのようなものが消えていき、今は琉と良く似た指が互いに愛撫するように絡み合う。
「琉、おなかがいっぱいになったよ。ほんと、すごいおいしかったよ」
「んあっ、あっ……あ゛——っ」
 満足したと言いながら、それでも手遊びのような愛撫は続いていた。
 淫らに蠢く身体は、引いていってしまった熱を求めて探し回る。代わりに包み込むように抱きしめられ、安堵したのはつかの間で、もっと強い快感を求めてかりかりとその肌を引っ掻いた。
 ひどく敏感になった肌が実感のある感触に歓喜する。唇を、舌を吸われて、多量の唾液が喉の奥に送られる。それをごくごくと喉を鳴らしながら飲み干して、まるで危ない薬を味わっているかのように、呆けた表情で笑った。
 乳首が捻られ、鋭い爪で抉られているような痛みの中に走る疼きに身を捩りながら、筋肉ののった腕に縋り付く。
「な、なぎっ、なぎぃ……」
「琉、かわいい。そんなに欲しいの?」
 優しい問いかけに、コクコクと頷く。
 激しい、濁流のような快楽の渦からは逃れたけれど、高く登り詰めて最高峰にたどり着く寸前で止められたままの身体は、まだ満足していない。ぜいぜいと激しく喘いでいて体力も限界なのに、琉の身体はその先を求めて止まらないのだ。
 なのに。
「でももう、おしまい」
 無情にも乱暴に髪を引っ張られ、後ろを振り向かされると同時に、ずるりと足の間からひどく太い物が抜けていった。慌てて尻タブに力を入れたけれど、開ききったそこは何者をも止める力を持っていない。
 開いた口から冷たい空気が入り込み、冷やされた身体がぶるりと震えた。
「や、ぁぁあ……」
「また後で……ね」
 離れていく。
 たくさんの快感をくれた凪が離れていく。
 堪らず伸ばした指は宙を掻き、闇の中、琉は一人残された。
 何の感覚もない、音もない、気配もない。
「なぎぃ……」
 ぺたりと座り込み、小さく名を呼んでも、誰もいない。
 さっきまでの狂乱は一体何だったのか、判らぬままに琉はそれを追い求めた。
「ちょーだぁ、……ぃ……ねぇ、もっと、もっと……」
 ぺたっ、ぺたっと体液で濡れそぼった身体が四つに這った。
 尻からだらだらと流れた粘液が股間の下で液だまりをつくる。
 あれが離れても、身体はひどく熱くて、その熱は澱みのように腹の奥でわだかまっている。息苦しくて喘ぐように呼吸を繰り返しても、止まらない。
「ぁ、……な、なぎ……」
 呼んでも返事はない。
 琉は、こみ上げる激情をなんとかしたいと自身の陰茎を床板に擦りつけた。
 ざらざら細かな砂の乗る場所で、敏感な鬼頭をこすりつければ痛みが走る。けれど、その痛みが今はいい。
「あはっぁ、ぁんっ……ね、ほし……ちょ、……だい……ねぇ……、ねぇぇっ」
 だけど涙を流してこいねがう琉に返事はこない。
 乳首を弄り、陰茎を床にこすりつけながら腰を蠢かす琉は、ただひたすらに何もない空間に向かって、訴え続けていた。


 それは、あまりにも唐突で、しかも突き飛ばされたような感じだった。一瞬の浮遊感の後、ドスンと落ち、その衝撃に目を見開く。
「あっ」
 視界に広がるのは見慣れた白い天井で、明るい日差しがカーテンの隙間から部屋を照らしていた。背に感じるものは柔らかく、適度な温もりで身体の上を覆っている肌触りの良いものは布団だ。
 呼吸を忘れるほどに呆然とした琉の意識が我に返ったのは、息苦しさのままに一呼吸をしてからだ。キョトキョトと辺りを見渡せば、視界に入る全てが記憶にある自分の部屋のものだった。ずっと闇の中だった視界は、今や明るいほどの日差しが差している。
 そう、ついさっきまでいた闇の中ではない。
 誰も何もいない空間ではなく、ここには光も色も音もあった。鮮明に記憶に残っている先ほどまでの光景は、どこにもない。
 カチカチと普段は気にならないような時計の音が微かに響くのと、隣の凪の部屋からの物音が聞こえている。それはいつもの光景で。
「夢……?」
 そうとしか思えない状況ではあるが、けれど夢とは言い切れないほどの痕跡が身体に残っていた。
「ぁ……く……ぅ」
 身体がひどくだるかった。
 微熱があるときのような不快なだるさとともに、全身が冷たくなるほどに濡れている汗のせいで気持ち悪い。それに、無理な運動でもしたかのように筋肉や関節が軋むように痛んでいた。何より、顎関節が、そして股関節がひどい。
 それがどうしてか、今の琉にははっきりと判っていた。
 夢だというにはあまりにも鮮明な記憶と実感、そして痕跡。
 けれどここは琉自身の部屋だ。
 神社の奥の院ではないし、闇の中でもない。
 けれど思い出せば、歯の根が合わないほどにカチカチと奥歯が鳴った。仰向けに寝転がったまま、自身の身体を抱きしめれば、シャツが触れた乳首から痛みとも疼きとも言えぬものが走って息を飲む。
「ぁ、……い、や……だ」
 犯された。
 何物も知れぬものに犯された。
 あれはそういう記憶だ。
 どんなに否定しようとしても、理性が冷静に分析をしてしまう。
 それも、あれは凪であって凪でないものだ。
 双子の弟の凪の声がずっとしていたけれど、入ってきたのは凪ではなくて。
「琉?」
 その時、コンコンと軽いノックの音がし、ガチャリとドアが開く。
「ひっ!」
 びくりと大きく震えてかかっていた上掛けをぎゅっと握りしめ、そのまま動けなくなる。
 恐怖と緊張のない交ぜになったものが、運動神経と筋肉を全て硬直させてしまったように、まったく動けないのだ。
 衣擦れの音に、ペタペタとフローリングの床を踏む音が近づく。
「おめでとう、もうお雑煮ができているよ」
 二人で住むこの部屋で料理が得意な凪の言葉はいつものものだ。
 けれど、ほんわかとした心地よい凪の声に、琉の全身はますます激しく強張った。
 そんな琉に気がついて、凪が不審そうに眉根を寄せる。
「って、琉、なんか顔色悪いけど、どうしたんだ?」
 いつもの凪の声で、態度も凪と変わらない。
 あのとき、明らかに感じていた畏れも得体の知れぬ恐怖のようなものはどこにもなく、様子のおかしい琉を心底心配している様子しかそこにはなかった。
 けれど伸びてきた手に、背中に嫌な汗が流れた。
「か、風邪っ、風邪、引いたみたいで……、ち、近づいたら、う、つるぞ……」
「風邪? ああ、夜中に初詣行ったときからちょっと様子が変だったもんね」
「はつ、もうで……」
 初詣が発端だった昨夜の出来事だったと、顔から血の気がますます引いていく。そんな琉に気付かず、凪はこくこくと頷いた。
「うん、なんか怠いみたいでよろよろしてたじゃん、社殿で拝んでおみくじ引いた後ぐらいだったかな。せっかく大吉を引いたのに、それで慌てて帰って、そのまんまベッドに入って……って、覚えていないの?」
 そう言われて、確かに自分がおみくじをひいたことを思い出した。大吉で、待ち人はなかなか来ないというのと、商売運で焦りすぎるなっていうの以外は良かったやつだ。
 そして、なんだか寒気がして、それで帰ってきて。
「あ、ああ、いや、覚えてる、覚えるって」
 凪は何も知らないみたいで、だったらあれは琉だけの夢だったということだろうか。
 淡々と神社での様子を教えてくれる凪に変わったところはない。それに、確かにそういう記憶が琉の中にはあって。
「な、んか、夢見が悪くて……それにまだ怠くて……」
「夜中に熱が上がってたのかも。それで変な夢を見たのかもしれないね」
 そう言われて、そうなんだ、という気になる。きっと風邪で熱が出ていて混乱してたんだろう、と。
 さっきまで凪が怖かったのに、今は凪の顔を見ることでなんだかすごく安心感が湧いてきていた。
 なんであんなに凪が怖いと思ったのか、判らない。
「どうする、どっか休日診療しているところに行ってみる?」
 問われて、即座に首を横に振っていた。
 ひどく怠い身体で動きたくなくて、きっと眠っていればそのうち治るような感じがしてて。
「ん、いいよ、寝とく。眠いし」
 呟けば、凪がうんうんと頷いて、「なんか食べられそうなものと薬持ってくるから、今日はゆっくり寝てればいいよ」と言い残して、小走りに部屋を出て行った。
 それを見送って、やはりいつもの凪だったと安堵する。
 凪と話している間に、あれは夢だったのだという確信が強くなっていた。
 寝ていればこの身体の不調もそのうちに解消されるだろう。このだるさも関節痛もきっと風邪の性に違いないから。
 そんなことを考えながら、ほっと安堵の吐息をついて、目を閉じる。
 なんだかやたらに睡魔が押し寄せてきていて、凪が戻ってくるまでにちょっと一眠りしようと抗うことなく琉は目をつむると、疲れた身体はそこにあったはずの違和感も何もかも消してしまうかのように、夢すら見ないほどの深い睡眠へと琉を落ちていった。



 大学が始まり、短いとはいえ怠惰な生活から規則正しい勉強に明け暮れる日々に戻ってきた。
 凍えるほどの朝が次第に暖かくなり、梅が咲いて桜が吹雪を作り、初々しい新入社員が街を歩いて行くのももう1カ月前のことだ。
 ゴールデンウィークに入ろうかという4月の終わり頃になって、二人は大学から帰る道を少しだけ外れた。緑が濃くなりよりうっそうと茂る鎮守の森の奥へと入っていく凪の後ろを、琉が黙々と着いて歩く。
 朔の日である旧暦の1日に、凪は琉を連れてこの鎮守の森の奥にある社へと出かけるのが常だった。これは、今年の正月から始まった習慣だ。
 どこか虚ろな表情を見せる琉の前を歩いて、半ば崩れたような石段を登っていった。靴の裏が泥濘みを踏む音に、琉のそれが重なる。
 二人に言葉はなく、けれど凪の行く道を琉はためらうことなく着いてきていた。
 いつもは勝ち気な琉が不平も言わずに着いてくる様は、彼を知ってる者からすれば目を剥くほどに異様なことだろうけれど、今は凪以外そこには誰もいないし、凪もそれが当然のように先へ進む。
 そんな状態で二人は参拝客もなくなって遠いうらぶれた小さな社殿へと近づいていく
 小さな四畳半もないようなサイズの社殿は、苔むして崩れかけた屋根に、何カ所もかけて隙間だらけになった朽ちかけた木の板で覆われている壁で、中には隙間から吹き込んだ風が入り込んでいた落ち葉を転がしていた。
 けれど、その中に先ほど入った二人はいない。
 開いた扉の向こうは闇の中で、二人が入っていった直後に音もなく閉ざされてしまってからは、中に人の気配はない。
 だが、もし現世と違う世界を見聞きできるものがいたとしたら、中から淫らな悲鳴を聞き取っただろう。
 驚きはすぐに崩れるように弱まり、抗う声は力なく響く。
 熱に蕩けたように喘ぎ声がくぐもり、濡れた音が響き始めたのは二人が中に入ってすぐのことだった。
 扉を介して入り込んだ異界で、凪はその身に宿した荒ぶる神の力を解放し、贄である琉の身体から邪魔な衣服を剥ぎ取り、全裸のままに中空へと吊し、激しい愛撫を施していたのだ。
「い、いやだっ、なんで、なんでまたここにっ、凪っ!、凪っ、どこっ、凪っ!!」
 さっきまで呆けたようになっていた琉が、不意に正気に戻ったかのように凪を呼ぶけれど、凪である何かはただその口元に笑みを浮かべるだけだ。
 類い希な精気を生むとは言え人でしかない琉は、この異界では目が見えない。凪の力を使えばそれも可能になるが、それで遊ぶのは先にするつもりだった。
 ここは普段二人が暮らす世界とは違う、八百万の神が住まう異界だ。
 神聖視される善き神もいれば、悪神と呼ばれる現世の生き物に害を為すことを愉しむ神もいる。
 その中でも性的な悪意をもたらす災厄の神として社に封じ込められていたのが、凪の身に棲まう神だったのだ。長い封印の日々に弱体化していた凪の中の神は、最高の糧である琉の精気を得て、今はその力を取り戻し、現世界でも自由な力を振るう。特に朔の日の前後は、凪の力がもっとも現世界でも強くなる日だった。
 だがそれ相応に凪の餓えも強くなるのも常であって、だからこそ凪の中の神へ供物を捧げる日は朔の日となっていた。
 そんな朔の日に、琉は凪によって無意識のうちにここに連れてこられ、己の力を取り戻した凪によって封じ込められていた記憶と経験を全て思い出す。
 今まで3度、快楽ばかりの時間を過ごしたかと思えば、その身が壊れるほどの苦痛ばかりだった日もあって、今日はその4回目だ。
 何度も何度も朔の日の間繰り返し与えられた行為に、琉の身体は慣れてはきているが、それでも精神的に受け入れられるものではない。
 まして、異界と現実の世界は時間の感覚が違うのか、現実世界は1日でもこの異界では実に1週間以上の長きに渡ることもあるのだ。
 さっきまで現実の中にいたというのに、いきなり全てをその身に取り戻して混乱する琉を思うさまにいたぶり、快楽に狂わせて、その身が生む極上の精気を啜り尽くすのが、長い時を封じられていた凪の今のお気に入りの戯れだった。
「琉、おいしいよ。もっともっと、おいしくなって、僕にいっぱい食べさせて」
「い、いやぁぁ——、だめっ、く、くるしっ……ああっ」
 人の身には過ぎる快楽を与え、欲に狂う琉は、悶え苦しみながら極上の精気を蓄える。
 それを口から吸い付いて啜るのもうまいし、こうやって。
「がっ、あっ……ふ、ふとっ……あ、裂けっ、いやややっ、っっっ!」
 通常時より数倍の大きさになった陰茎で、むりやりにその身体を裂いて粘膜から味わうのもなお愉しく味あい深い。
 その全身を包み込み、全ての性感帯を刺激して、息も吐かせぬほどの快楽の渦の中に叩きこみ、引き裂かんばかりに四肢を引っ張りながら犯しまくるのも、最近覚えた楽しみだ。食欲と性欲はひどく似ていて、それが同時に解消することはひどく愉しいものなのだ。
 それに、苦しければ苦しいほど、高まる快感が大きければ大きいほど、そしてその落差が大きければ大きいほど、琉の精気は極上の甘露のごとく芳醇な香りを濃くし、凪の力を強くしてくれる。
 ようやく喰える対象に成長し、ただ喰らうだけでなく、愉しめる存在となった琉に、凪はたいそう満足だ。
 荒ぶる異形の神として封じられた社が古びて壊れたその直後、その身に憑依しやすい双子を宿らせた女が近くを通りかかった僥倖だけでなく、潜り込んだ双子の片割れがこれまた極上の精気を持っていると知ったときの悦びと来たら。
 喰えるようになるまで無垢な存在にさせるにはこのご時世なかなかに難しかったけれど。
「琉、今日はいっぱいイカせて上げようか」
 そんな言葉に、コクコクと涙目で琉が頷いた。
 その動きに、股間でビンビンに天に向かって勃ちあがる陰茎が、だらだらと欲を求めて泣いている。それを見ながら、凪はくすりと口角を上げた。
 初めてこの身体を味わったあの日から、琉は何をしてもイケない身体になっていた。穢らわしい他者にその身を委ねることなどさせてはないし、普段の自慰をしてもイクことはできないようなっている。さすがにそのことに気が付いた琉が不安には思っているのだけど、朔の日に嬲られることを繰り替えしているうちに、普段はあまり性欲が湧かないようになっているみたいなのだ。
 もっともその分、凪がそばにいるときに欲情しやすくなっているのは確かだ。つまり、イキたいなら凪に強請ればいいのだが、記憶の無いときに凪に頼むはずもなく、この異界で本性を現している我慢させるのが愉しい凪がそれを許すはずもなく。
「いいよ、でも、僕が満足したときに、琉が正気を保っていたら、ね。立ってここから自分で出られることができたなら、イカせてあげるよ」
「ん、ああっ、ふぁぁぁっ!」
 腰を抱き、力任せに剛直を捻り込みながら囁いた言葉を、琉がどこまで理解しているのか。
 凪と交わり、その身に凪の気も受けている琉の身体は、その気になればこの異界と現世の出入りは自由なのだが、そんなことは露とは気付いていない。
 意識をわずかでも外に向けて願うなら、すぐさまあの社殿の場所に移動できるのに。
 凪はそんな切り札を、決して琉に悟らせるつもりはなく、そして極上に仕上がっている琉を逃すつもりなどなくて。
「それまでは、ね」
 激しい腰を動かして、ぬかるみ熱く腫れた肉を存分に貪りながら、うなじに吸い付いて熟れた精気を味わっていた。


【了】