「今日は寝ていろ」 梅木がそう言って出ていった時、服部は梅木のベッドの中だった。 家城の家を出てきてから、速攻で梅木の部屋に帰った。 一体いつからきていなかったのだろう……。 前来たときから、ほとんど変わっていないような気がした。 いつだって一番に目に入る本棚には、多くの専門書の類が並んでいる。初めて見たときその多さに驚いたのはいつのことだったか。 前の時と比べて、そこだけがあの時よりさらに増えているような気がする。 あいかわらず、勉強熱心なんだ……。 会社では見られない一面を服部は知っていた。 そして、それを知っているのが自分だけだと言うことも……。 1年以上していなかったせいか、梅木も服部も止まることのない劣情に流され煽られ続けた。 何回も何回も、まだ足りないとばかりに躰が動く。 押さえつけていた欲望が梅木を支配し、服部を貫く。 服部自身も、そこに生まれる快楽だけを求めて、梅木を求めた。 強すぎる快感は苦痛に近い。意識を失いかけ力無く弛緩した躰を、梅木が深く抉る。その刺激に我に返り、そしてまた求めてしまうのだ。 「もう、離さない……」 耳元に囁かれた言葉を、服部は決して忘れない。 僕だって、絶対に離さない。 叫び続けて掠れてしまった声で囁いた言葉は、梅木に届いたかどうか判らない。 それでも抱きついていた躰が悦びに震えていた。 その躰にまわした手に力を込める。 もう、離さない……。 梅木の目覚ましが鳴って初めて朝になったことに気がついた。 気がついたら意識が飛んでいたのだ。 梅木に運ばれた浴室でシャワーだけは浴びたが、自分で躰を動かすことが出来ないほどの痛みと怠さに襲われ、再びベッドに突っ伏すはめになった。 何度も梅木を受け入れたところは、まだ何かが入っているような感触がある。同じ場所が動くたびに、引きつれるように痛む。 梅木は決して乱暴に事を進めたわけではないのだが、お互いに我慢できなかったところがある。 服部とて何よりも早く、梅木を感じたかったから、ゆっくりと解そうとする梅木を煽った。 自分がどんな風に梅木を誘ったか……落ち着いた今になって思い出せば、羞恥心しか湧き起こらない。 誰もいない部屋で真っ赤になっていた服部は、躰に残っている熱を吐き出したくて大きく息を吐いた。 起きたときより少しは元気が出てきた躰をゆっくりと起こしてみる。 「んっ」 多少は痛みがある。 鋭い痛みと鈍い痛みが入り交じって服部を苦しめるが、それはとりもなおさず昨夜の激しさを思い起こさせた。そして、それが幸せだと思う。 だからか、痛みに顔をしかめながらも、その顔には笑みが浮かんでいた。 初めての時は、ショックと今以上の痛みで、躰を起こすことも出来なかったのだから。 起こしたことで露わになった裸体はあちらこちらに朱色の斑点が浮かんでいる。 その一つにそっと手を触れると、ここにいない梅木に触られたような気がし、ざわりと躰が総毛立つような感触に襲われた。 ぎゅっと唇を噛み締めてその疼きを逃す。 忘れることなどできなかった。 梅木が相手をしてくれなくなってからも、何度も何度も夢に見た。 自分の想いが梅木の負担になるかも知れない。 そう思って、ずっと封じ込めていた想い。 だけど……限界だった。 自分が、いつのまにか昔のようにぐるぐると闇の底に進む螺旋階段に乗っているのだと気付いたのはいつのことだったろう。 一度経験していたせいで、今回はそれ下りきる前に気付いたのだ。 そして、何とかしようと辺りを見渡した時、そこにいたのが隅埜啓輔だった。 彼と一緒に仕事をしていることが、服部にとって幸いだったと言えよう。 男が男を好きになる。 それを当然のように受け入れている存在。 だからこさ、梅木への想いを自分自身受け入れることができたのだ。 受け入れることで、光が見えてきた。 その光を掴まないと先に進めないことは判っていた。判っていたから、今度はそれを手に入れる手段をずっと考えていた。前のように全てを受け入れて、何もせずに流されていくことだけは出来なかった。 どうしたらいいのか……? 何よりも問題なのは、梅木の気持ちが判らなかったせい。 彼が自分を抱いたのは、なぜか? 助ける為なのは彼自身が言っていたことだ。だが、なぜそうまでして自分を助けてくれたのか? 時折見せる好意は、どこまでのものか? 「電話……しなきゃ……」 ふと時計を見ると、7時半を過ぎていた。8時から就業開始だから、そろそろリーダーも隅埜も出勤しているだろう。 休むことと今日の段取りを伝えなければならない。 服部は、なんとかベッドから降りると、のろのろと這うようにして散らかった自分の服に向かった。 会社へ休む旨の電話を入れるために、携帯を服から引っ張り出す。 ただ、先に下着だけは身につけた。 幾ら誰もいないとはいえ、裸で電話するというのも気がひける。 躰を起こし続けると腰が痛くなってくるので、床の上に敷かれたカーペットの上にごろりと横になった。 原因、ばれてるな。 休む事を伝えた途端、隅埜の声がしばらく途絶えた。 その沈黙に、隅埜が何を考えているか想像していまい、服部は羞恥に捕らわれる。 明日、どんな顔をして会社にいけばいいのか……。 そんな事がちらりと脳裏を過ぎった。 が、気を取り直したように会話を始めた彼は、何事もなかったように終始真面目に仕事の段取りのことだけを話していた。 それにほっとする。 彼の性格ならあの後どうなったのか聞きたかった筈だ。 最後に、「ありがとう」と伝える。 何よりも伝えたかったのだ。 今この幸せに浸っていられるのは、半分は彼のお陰なのだから。 隅埜の存在は、自分の想いを確信させてくれた。 だが、それだけでは実行に移す事はできなかった。 服部は、時間を確認するともう一カ所、電話をかける。 どうしても報告をしたい相手がもう一人いる。 『はい』 もう聞き慣れてしまった声が携帯から漏れる。 「あ、服部です。今いいですか?」 『あ、うん、いいよ』 「あの……成功したんです」 それだけを伝えた。それで、十分伝わる筈だから。 『そっか、おめでとう』 言ったのと同じくらい簡単な言葉が返ってくる。だが、それに込められた想いは充分すぎるほど伝わってきた。 「ありがとう……緑山さんのお陰だから」 『俺はたいした事していないよ。服部さんがちゃんと行動を起こしたから、それに見合った答えが返ってきただけだよ』 「でも、緑山さんが隅埜君を巻き込むように言ってくれたから、巧くいったんです。そうじゃなかったら、僕だけだったら失敗したかもしれない……」 そう、彼の言うとおり、隅埜君を巻き込むことによって自然に家城さんが出てきて、梅木さんと対決してくれた。自分だけだったら、きっと梅木さんの強引さに負けて、なし崩しになっていただろう。 それを指摘してくれたのが今の電話の相手、緑山だった。 隅埜の通夜の席で、夜を一緒に明かした時にいろいろな話をした。そのせいで、今ではすっかり意気投合して相談事があると話をするようになっていた。梅木とのことも、彼にいろいろと相談したのだ。 全て、彼の言った通りだった。 隅埜君を動かせば、家城さんが出てくる。 そうすれば、梅木さんが敵う筈がない。 『今日は、休み?そうだね、疲れるからねえ、あれは……。ゆっくり休むといいよ』 赤面ものの台詞を言われ、絶句していると、携帯の向こうでくすくすと押し殺した笑い声が聞こえた。 「緑山さん……」 『ごめん……でも、ほんとうによかったね』 「はい」 切れた携帯を見つめる。 隅埜が服部のチームに配属されてから、いろいろな事があった。 彼一人の存在で世界が広がった。 家城さんと知り合い、緑山さんと知り合った。 それだけですごい収穫だと思う。 そして何よりも再び梅木さんの手を捕まえることができたのだ。 二度と離さない。 少なくとも自分の方から、この手を離すつもりはない。 無理矢理繋ぎ止められ、そして離された時……それは仕方のないことだと思っていた。 だけど、堪らなく苦しかった。 もう二度と手にしてくれないのかもしれないと思うたびに……。 苦しくて、切なくて……悲しい思いに捕らわれる。 離れて初めて自分がどんなに梅木さんに恋い焦がれていたのか知ってしまったから……。 あんな想いはごめんだ。 だから、僕は、二度と彼の手を離さない。
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