【檻の家 -奴隷宣言】(1)

【檻の家 -奴隷宣言】(1)

 敬一が入社した会社は小さいけれど活気のある会社だった。
 外に出ることの多い営業マンの彼らの代わりに、伝票を処理し、在庫を確認し、発送のための手続きをする。
 小さい故にすべき仕事は多く多岐に渡っていたけれど、数ヶ月徹底的に扱かれたおかげか、8月の今では一部ではあるけれど、任せられる仕事も増えてきた。
 内勤の仕事は、自分に向いていると思う。それに、今はまだ難しいこともあるけれど、時には海外との取引を目の当たりにして、少しでもそういう部分と関わりがあったりするとそれだけやりがいもある。
 先輩達も敬一に良くしてくれる。
 鈴木の知り合いの会社だから警戒はしていた敬一だったが、社長の態度もごく普通のそれで、心配は杞憂で終わっていた。


 けれど。
 一歩会社に出ると、それまで笑顔で挨拶していた敬一から表情が消えた。
「どうした?」
 近くの駅に行く足が僅かに止まったのに、近くにいた先輩が気付いて声をかけてきた。それに微かに震えた唇は物言いたげに開き、けれど諦めたように閉じられる。
「いや、何でも無いです。忘れ物したかも……って思っただけで」
 にこりと笑みを浮かべれば、先輩も「そうか」と笑った。
 他愛ないやり取りは、楽しい。それが嘘で塗り固めた物であっても。少しでも現実を忘れさせてくれるなら、縋り付くように求めた。愛想笑いなど得意ではなかったのに、今の会社の人たちとの穏やかな関係を無くしたくなくて、いつの間にか人好きのする笑顔がいつも貼り付くようになっていた。
 それが、消える。意識などしていなくても、彼らがいなくなると表情が変化するのに、まだ誰も気付いていない。
 特に、敬一は明日から遅い夏休みを取ることになっていた。四日間のそれは、社員が交替で取るように、ある意味義務づけられている。そうしないと、下っ端社員がなかなか取れないからだと言うけれど、敬一にとってそんな配慮などして欲しくない。
「じゃあな、良い休みを」
「はい、先輩も。お疲れ様でした」
 一人、一人と駅で降りていく先輩達に挨拶して、敬一も自宅の最寄り駅に降りる。会社近くの駅から30分とかからず着いた最寄り駅から、さらに歩いて10分もすれば自宅だ。
「はあ……」
 駅に近いけれど、大通りを外れた住宅地の中は人通りも少ない。住宅地の端の公園はうっそうとした木々で覆われて、今は葉ずれの音ばかりが響く。そんな中で、敬一が思わず吐いた溜息がやたらに大きく響いた。
 知らず遅くなった歩みでも、それでも歩き続ければ辿り着いてしまう。
 帰りたくない我が家は、これで二軒目だ。
 高い塀に囲まれた、他の家の倍はあろうかという広い敷地のそれは、新入社員の敬一にはひどく分不相応なものだ。瀟洒なデザインの建築物は二階建てで、中心に吹き抜けの中庭を持っている。外庭は芝生が植えられ、適度な高さの植木は四季折々の花を咲かせていた。
 東と北隣は公園で、西隣は駐車場。南に面した通りは、奥まった場所にあるせいか他の人はほとんど通らない。
 公園にある池でカエルが啼く声が聞こえる中、敬一の溜息が再び零れ。
 帰りたくない──と毎日のように思うけれど、ここで逃げても何の解決にならないどころか状況を酷くしてしまうことを知っている身体が、精神を裏切る。
 それに前の家よりは、生活していく分ではまだマシなのだ。何しろ、今度の家には四人もいない。たった一人の支配者のみである現状は、過去よりはまだマシだった。だからこそ、そのたった一人を怒らせたくはなかったのだ。もし機嫌を損ねて、前のように複数の支配者のいる家に住まわされたら、もう堪えられない。支配される相手は四人より一人の方がよっぽど良くて、身体への負担も前より少ないことを知ってしまったから。
 どうせ逃れられないのなら、その唯一の救いを失いたくない。そんな思いを抱くせいか、ほとんど止まりかけた足はそれでも動いて、その手は玄関のドアをためらいがちに開けていた。
「……ただいま」
 広い吹き抜けを持つ玄関に響く小さな声に、応答はなかった。いなければいいのに、と願うけれど、土間には朝にはなかった靴が揃えられている。
 何より、玄関先も中も煌々と灯りが点いているとなれば、この家の家主が帰っているのは間違いない。
 週に数日、実家で仕事をするようになった鈴木は、その間はこの家に帰ってこない。その期間はランダムで、毎日、今日は帰ってくるか帰ってこないか、淡い期待を胸に込めて祈る。
 けれど、もう三日帰ってこなかったから今日は……と思った通りだった。何より、敬一が夏休みに入ることは鈴木は知っている。その休みを彼が無駄にするわけがないのだから。
 そんな鈴木が家に帰ってきている時は、たいてい敬一より早い。
 灯りが点いていれば帰ってきている。点いていなければ、帰らない。9時までは判らないけれど、それでもほとんどの場合は、帰ってこない。
 どんよりと沈み込む精神を奮い立たせるように灯りを見つめ、それでも重い足取りで廊下を進む。
 鈴木は、時間的に今はキッチンだろう。
 定時で帰る時には、連絡を入れない。その敬一の帰宅時間をその時間を見越して、鈴木は料理を始めるから。
 と言っても、料理は毎日届けられるデリバリーを温めるだけだ。あるいは、材料を鍋に入れて煮るだけで食べられるような、前準備が終わった状態のもので届けられる。一般のデリバリーに比べて、高級食材を用いて手の込んだそれらは、出来たてでなくても非常に美味しいものだった。
 それに、掃除も洗濯も、家事と呼ばれるものは、この家ではする必要がなかった。
 全て、会社に行っている間に、依頼している業者が行うのだ。
 丁寧で完璧なその仕事は、どんな汚れであっても──他人に見せたくないような卑猥な汚れでも、綺麗にするのだ。
 それはとても便利なことだったけれど、そんな汚れを他人に晒すのが嫌で、自分でやると言って鈴木に頼んでも聞いて貰えなかった。それでも嫌がったら。
『だったら、汚さなければいいんですよ。敬一くんが何も出さなければ、汚れることはないんですから』
 と言って、全ての口を玩具で塞がれ放置されたのだ。口もアナルも、尿道すら快楽を味わってしまうそれらの場所に振動を与える玩具でだ。
 泣くことも許されなかった。
 泣けば、尻を鞭で打たれ、痛みに上げた出せない悲鳴とともにまた涙したと叱られて。
 息苦しさに喘ぎ、朦朧とする中に与えられる痛みと快感が続く。その中で体液の一滴すら零すのも許されない行為は短い時間であったけれど、敬一の反抗心など完全に潰えてしまった。もともと、先の一年で鈴木の言葉には逆う恐ろしさは身に染みているというのに。
 逆らった自分がバカなのだと、自身の愚かさを深く悔い、鈴木に従うべきなのだとしか思えなくなった。
『家事に関しては、全てが私が仕切ります。敬一くんは家主ですけど、私の奴隷でもありますから。そういうことは主人である私の担当で、敬一くんは何も心配することはありません』
 その言葉に、拒絶するのは愚かなことで、ただ頷く。
 鈴木は用意周到だった。いつだって、彼は敬一に逃げ道など作らない。
 引っ越し当日まで知らされなかった住所に連れてこられて、こんな家には住めない──と、言い張っても後の祭り。もとより、契約書は正式に交わされていて、3年間継続して暮らさない場合の違約金は違法なほどに膨大な金額だった。
 色欲に狂ったクリスマスの夜の契約の記憶はひどく曖昧で、敬一自身、サインした覚えは無い。印鑑は勝手に押されたと言い張れる代物だったけれど、直筆のサインは確かに敬一のものだった。
 それでも違法だと強く出れば良かったのかも知れない。
 けれど。
「敬一くん、ここは敬一くんの家ですよ。敬一くんの、敬一くんのためのね。だから、どこにも行く必要はないですから」
 にこやかで、けれど、瞳の奥のどう猛な焔を隠しもしない言葉は、鎖のように敬一の身体に巻き付いて外れない。それでもイヤだと呟いて、いつまでも頷けなかったら、言葉は淫らな口づけで封じられ、身体は容赦ない淫技と逞しいペニスに籠絡された。
 まだ段ボールが積まれたままの家の中、カーテンも締められていない煌々と明るいリビングで、
 窓にガラスのように映るのは、自らの精液で汚れた淫らな身体。塀を介しているけれど、それでも外から中ははっきり見えるだろう自分の姿はあまりにも浅ましく淫らで。
 羞恥と嫌悪に襲われて、泣き叫ぶ敬一の身体を穿つ鈴木はたいそう楽しそうに、何度も何度も窓に向かって敬一に射精をさせる。
 掃除したばかりの綺麗な窓に、淫らな液体が幾筋も模様をつくっていた。
 射精のしすぎで痛みすら訴える萎えたペニスにまとわりつく鈴木の指が、勃起を強要する。もう麻痺してしまうほどに、玩具に、ペニスに犯されたアナルは真っ赤に腫れてめくり上がり、快感どころか痛みすら感じないほどに麻痺していた。けれど、鈴木の手も身体も止まらない。
 気を失えば叩き起こされた。
 結局。
「ひっ……あぁ……ゆるしっ……あぅ、住み、ますから……。ずっと、ずっとぉ……この家に住みます」
 そう何度も何度も繰り返し宣言し、その爪先に口づけるように懇願し、鈴木がそれに満足するまで、その拷問でしかない行為は続いたのだった。


 鈴木には逆らえない。
 だから、敬一は鈴木が課したルールを守る。
 鈴木がいるとき、帰宅した敬一が最初に向かうのはパスルームだ。荷物は通路に置いて中に入って服を脱ぎ、シャワーを浴びるのが、この家での敬一が守るべきルールの一つだった。ルールは、鈴木がいてもいなくても守るべきもので、住むことを宣言したときに一緒に言われたことだ。
 脱衣所からバスルームの中に入るドア付近にはセンサーがあって、人がそこを通るとリビングやキッチン、寝室にあるドアホンも兼ねたディスプレイに中の様子が映るようになっているのだ。
 だから、たとえ中にいた鈴木に敬一の帰宅の声が聞こえなくても、すぐに判ってしまう。たまに他の部屋にいて気付かないこともあるけれど、それは些細な事と気にしていないらしい。だったら、最初から付けなければ良いのに、と思うけれど、入室を知らせるためだけのもので無い以上、鈴木が外すことはない。
 バスルームを使うのは、外の埃を落とすために身体を洗うだけではない。
 一通り洗い終わった敬一は、少しの時間流れ続けるシャワーをしばし見つめ、そしてぎゅっと目を瞑って溜息を零した。溜息を繰り返しても、何にもならないと判っていても、止まらないそれを繰り返し、敬一は諦めたように目を開けて、カタリと音を立ててシャワーヘッドをフックにかけた。続いて手を伸ばした先にあるのは、もう一本あるシャワーヘッドだった。
 だが、その頭は細い。
 丸い棒状のそれから出る湯も、細く弱い。
 床に跪き、石けんを付けた指をそっとアナルに沿わし、ゆっくりと差し込む。週に何度もペニスや玩具を受け入れるそこは、指一本どころか二本をなんなく飲み込んだ。
「んっ」
 自分の指でも、じわりとした快感が全身を震わせる。
 指を開いても、痛みなど感じない。数度抽挿を繰り返し、開いては閉じてアナルを解していく行為は、慣れたくなったけれど。熱い吐息を零しながら、あっと言うに解れるアナルに堪えきれないように喘ぎ声を上げる。
『敬一くんのアナルはとても簡単に解れますけれど、でも三分はたっぷりと指を奥まで差し込んで解してくださいね。四本くらい簡単に入るようにね。でも気持ち良いからと言って、そこで射精してはいけませんよ』
 ルールの二つ目は、性器と化したアナルにはひどく辛い。
 それでも、息を吐いて熱を逃し、命令されたままに指で置くまで解すのだ。その後に石けんを先端に塗りつけたシャワーヘッドを指に沿わせるようにアナルへと挿入した。指を抜いて、肛門に力を入れて締め付ける。
 じわりと肉穴を満たす湯に、ぶるりと身震いした。
 アナル洗浄用のそれに限らず、通常より広いバスルームはたくさんの淫具が備えられていた。浣腸液もあるけれど、通常は湯だけで洗浄する。
「うっ……あっ……」
 中に溜まった湯が腹を圧迫する。我慢することなくノズルの脇から湯を噴き出し、また締める。
 違和感に身体を曲げれば、腹に着くほど反り返ったペニスを感じた。鈴口と亀頭の根元のピアスが、湯に現れてきらきらと光っている。
 何をしても、何をされても、快感を味わう体は、異物がアナルに触れるだけで勃起するようになっていた。まして、何でも突っ込まれれば、卑猥な涎すら垂らす。
「ひっく……う、くそっ……」
 泣きたい。辛い。
 したくもない行為で勃起する浅ましい身体が憎い。命令に背けない自分が情けない。
 けれど、命令に従えば、鈴木は優しいときの方が多い。それに精神が縋ってしまう。肉体も、安易な快楽に逃げ道を作ろうとする。
 ルールを守れば。
 それだけで、鈴木は優しい。
「んっ……」
 綺麗な湯がそのまま出るようになる頃には、全身を紅潮させて欲情した身体ができあがっていた。さらに、その身体のアナルに粘度の高いジェルを含浸させるようにたっぷりと擦り込んだ頃には、立ちあがることすら難しい。だからと言って、ゆっくりと回復するほどに待っていれば、あまりの遅さに鈴木の怒りを買うことも判っていて、敬一は力の入らない足腰のままに外に出て、脱衣所の棚に置かれた室内着をのろのろと着込むのだった。
 

「おかえりなさい」
「……ただいま」
 着替え終わる頃には何とか二本の足で身体を支えられるよになっていて、荷物だけ持ってリビングに入った敬一に、鈴木が明るく声をかけてきた。
 挨拶は基本だから、と、言われているので、再度帰宅の挨拶を口にするけれど、すでに部屋着である作務衣に着替えているので、内心間抜けな挨拶だな、と思う。
 リビングの隅が定位置の鞄を置いて、そのまま招かれるままにふらふらと食事の用意ができたテーブルに着いた。
「今日は、冷しゃぶですよ。敬一くんはどちらのタレで食べますか?」
「ごまダレで……」
 鈴木がいるときは、たいていすぐに食事が始まる。食事が始まってしまえばその時間はたいてい穏やかに過ぎていくから、鈴木がいても一息つける時だ。
 時々食事の前に鈴木が酷薄な笑みを浮かべることがあって、そうなれば食事は後回しだ。たいてい、バスルームでの行為が不十分であることを指摘され、今度は鈴木の手で洗浄されてしまう。その確認用のためのディスプレイに映る映像は録画すらされていて、鈴木がいない日でも確認されてしまうから、気が抜けなかった。
 それは自分でやるよりはるかに屈辱で、辛いことが多く、だからこそ食事が始まるとひどく安堵してしまうのだ。
 そのうえ、互いの会社な話などもして、美味しい食事と共にこの穏やかな時間がいつまでも続いたら良いのに、という切望感に襲われて泣きたくなる。
 けれど、食事は終わってしまう。片付けも早い。大物だけは洗い、残りは洗浄機に入れるだけの片付けは、あっという間に終わる。
 敬一にとって逃げたくても逃げられない時間が始まってしまう。
 今日はなんとか食事まで無事だったけれど、この先も無事でいられる保証など0に等しくて。
「敬一くん、おいで」
 差し出された手を恐怖しながらも取ってしまうほどに、敬一は鈴木に支配されつくしていた。その瞬間、鈴木には何をされても、何を強要されても、敬一には拒否権が無くなると判っていても。
 それもまた決められたルールの一つだった。



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