【DO-JYO-JI】 飢餓の章 卓真side
すっきりした。
と思ったのも束の間、弥栄卓真は気怠い身体の奥深くで、小さくくすぶる燠火のような熱を感じ取ってしまった。
「ちっ!」
知らず零れた舌打ちに、肩を借りていた中井が胡乱な視線を寄越してきた。
あの園田が拾ってきた、見てくれもそこそこのこの男は、決して莫迦ではない、と思っている。
何も言わないが、その視線に浮かぶ幾多の思い。
同情に似たそれは、同族意識も多分に含まれている。
完全に何も気付かなかった振りをするには、経験が足りない。だがその青臭い若さは好きだ。
不安定な感情と存在。
壊すつもりなど無いのに、気に入りの玩具のように構い倒して、壊してしまいそうだ。
特に今のようにうっぷんが溜まっている今は、危険なのだけど。
「何でもねえよ」
素っ気なく答えて視線を逸らす中井の聡さが、彼を救う。
もっとも、そんな態度にすら滲み出る若さには、微妙な苛立ちを感じた。
自分がこの年齢ならば、もっと望むままに動くだろうか?
望んでも戻ってこない過去に苛立ち、衝動のままに彼の明るい色の髪を掴んだ。
「って」
ぷちっと切れる感触に笑みを深めながら、緩める事なく引き寄せる。
近付いた中井の薄く開いた瞳が、濡れて揺らいだ。
覗き込んだ瞳の奥深く、消えていない昏い熱。
ああ、こいつもだ。
これだけでは足りていないのは。
「なあ……」
形のよい唇を舌先でなぞる。中井の喉の奥がゴクリと音を立て、強ばった身体が小さく震えていた。
瞳の奥に燻る火は、卓真のそれと違わない。
「俺の女になれよ」
低い声で耳朶を食みながら囁く言葉に、意味を悟った中井の頬が染まる。
互いの口で飲み干した精液に酔っているのだとうそぶいて、上がってくる熱を与えるように肌に触れた。
「ま、待って……くだ……あっ」
男が与える快楽を知る身体が、中井の意志に反して反応をしていた。
ああ、良い身体だ。
これなら楽しめる。
「園田よりもっと可愛がってやるぞ」
それこそ、ベッドから起き上がれなくなるまで。
毎日毎日、若い身体を貪って。
そうすれば、いつかこの身体の奥底にある燠火も消えて無くなるのではないか。
好みからは若干外れるが──。だが、その瞳に浮かぶ脅えのような揺らめきは悪くない。
それに、敏感な身体は、少なくとも相性は悪くないだろう。
「挿れさせろよ」
手と舌に覚え込ませた俺のモノを挿れてみたいだろう?
囁けば、中井の表情に惑いが浮かぶ。
「……でも、さ」
「どうせ園田はしてくれねえだろうが」
園田は滅多なことでは望む相手を抱いてやらない。
欲しい、と中井が散々欲しても、性欲解消のために情けのように与えるだけ。
欲求不満になるほど濃い液を蓄えている中井と遊ぶたびに哀れになる。
最初に連れてきたのは園田なのに。
園田の優しさは滅多なことでは表には出ないが、出たら出たで残酷だ。中井はここでは可愛がられて満足そうにはしているが、それでも時折寂しそうな表情を浮かべていることがある。
迷子の子供がいない親を探しているような瞳で。
それがまるで自分の姿であるようで──哀れだ……。
「中井」
「でも俺は……」
「別に愛人になれって訳じゃねえ」
俺の中で燻る火を消して欲しいだけだ。
心の中で呟いて、口の端を歪めた卓真を中井が見上げる。
惑う瞳につられるように手が伸びた。
頬に触れた指先を食い込ませ、引き寄せる。
「卓真……さ……」
「お前を寄越せ」
どうにかしてくれ、俺の火を。
お前の火で消してくれ。
火傷しそうに熱い吐息が、互いの唇の上に落ちる。
もう──我慢できない……から。
はだけたシャツの下に、赤い花びらが幾つも増えた。
トントン──。
荒い吐息だけが響く部屋に、規則正しいノックが響いた。
びくりと震えた肩が腕の中から逃れる。見開かれた瞳が、音を立てた扉へと向かった。
「……卓真さん」
「相変わらず良いとこで邪魔してくれる」
知らず浮かんだ苦笑に自身で気が付いて、笑みが深くなる。
今日は良い雰囲気だったって言うのに。
中井は、いつもはこんなふうに流されてはくれない。
一度最後まで行けば、後はなし崩しになってしまうのは目に見えていたのだが。
ちろちろと燃える消せない火。
今日もまた解消できない。
卓真は中井の頭をその手のひらで押さえ付け、その反動で立ち上がった。
規則正しい音は時折休憩を入れて、ずっと続いている。
「……判った、判ったって」
扉に近付くにつれて、卓真の面から笑みが消えて行く。
「中井」
背後で中井が衣服を整えている音を聞きながら、呼びかけた。
「え? あっ、はい」
「さっきの話、考えとけよ」
「えっ」
ほら、見ろ。
中井の素っ頓狂な声音に、彼の理性が戻ったのが判る。
振り返れば、微妙な笑みが向けられた。
「俺、やっぱ園田さんが良い。だから……」
園田命の中井の真剣な言葉に、卓真は笑みで返した。
「ちっ、せっかくお前が味わえると思ったのにな」
「あははは……俺、美味しくないですよ」
「いや、お前は絶対に美味いさ。今度は味見させろよ」
揶揄は本音を隠すのにちょうど良い。
ドアノブに手をかけて、独りごちた時だった。
「でもさ、好きな人の方が美味いって思うけど……」
「っ!」
硬直した身体がぎしぎしと音を立てる。
振り返った視界の中で中井が眉尻を下げて苦笑していた。
「だから、俺、手や口で卓真さんの達かせてあげるのは構わないけど……でも、卓真さんとはしない。だってさ、やっぱなんかもの足りねえもん。卓真さんだって、そうじゃねえ?」
しん──と、静まり返った部屋に、再びノックの音が響き始めた。
それはドアノブに触れた手まで振動が伝わるほどに大きくなっている。
中井の視線はその扉に向かっていた。
それの意味することに気づかないほど、卓真も鈍くは無い。
「なんだ、気付いていたのか?」
まだ青年になりかけの男に看破されるとは思っていなかった。
「なんとなく」
「どうして気付いた?」
「だって……わざと怒らせているだろ?」
ガキみてえに。
音にはしなかったが、それでも何が言いたいのかは伝わってきて、卓真は嗤うしかなかった。
やっぱりこの子は楽しい。
園田にはもったいない。
「ま、気が向いたら声かけろや。いつでも突っ込んでやる」
「ま、そのうちに」
軽口の応酬の間に、さらに音は激しくなっていた。
「おい、扉を壊すなよ」
苦笑を深くして、卓真は扉の外に声をかける。
鍵を外して、ドアノブをひねる。
その向こうにいるのは、いつも卓真に付き従う唐変木。
遊び過ぎる卓真のお目付役。弥栄組でも武闘派を率いる幹部、新居浜だ。
「そろそろお戻りください」
卓真の笑顔にピクリとも表情筋を動かさずに伝える言葉は、芸がないほどに変わり映えしない。
「いいじゃねえか。たまの息抜きだ」
「もう少し時間を短く願います」
「はいはい」
相変わらずの物言いに、肩を竦めて傍らを通り過ぎようとしたその時。
「しばらくこちらに赴くのは止めていただきます」
有無を言わせぬ口調に、さすがに卓真の足も止まった。
「なぜ?」
今まで何度もここにきて中井と遊び倒したが、それを止められたことはなかった。これでもやることだけはやってからきているのだ。それに新居浜も、外に遊びに行かれるよりは──と考えていたはず。
問いに対する応えはただ──。
「園田の邪魔になります」
と、ふだんの新居浜なら言うはずもない言葉だった。
「園田の邪魔?」
訝しげな視線を向けても、新居浜は何も反応しない。
「新居浜?」
格段親しい訳ではなく、けれど敵対する理由もない二人は、互いのことには干渉しない。
まして園田の心配などするはずもないのに。
「お戻りください。15時より、古葉がきます」
促すように背に手が触れる。
それに過敏に反応するのは、中井との戯れでも消えなかった火のせいなのか、それともこのおかしな雰囲気のせいなのか。
問うこともできないままに歩かされて、自室に押し入れられて。
「シャツに皺が入っていますので、着替えてください」
そんな言葉に見下ろした場所には、中井がしがみついてできた皺が不自然なよれをつくっていた。
「そのような姿を晒せば、舐められます」
何をしてきたか判っていると言外に込められた言葉に、卓真は鼻を鳴らした。
辛うじて滲んだ不快な色は、本当に新居浜には珍しい。
それが滑稽で、そして嬉しくて。
浮かべた笑みのままに新居浜を見据える。
高校に入った年に始めて会った時は、頭一つ分大きくて、ガタイの大きさも手伝って、見上げる感じだった。だが今は、背の差はほとんど無い。
「だったら着替えさせてくれ」
目に前で、同じくよれたネクタイを外し、ボタンを外す。
袖から腕を抜いてしまえば、卓真の均整の取れた上半身が露になった。
張りのある肌に残る情痕を見せつける。
それを見て取ったとたん、新居浜がほんのわずかに眉を潜めた。
「あ……」
その瞬間、心の奥で歓喜が沸き起こった。
なのに。
「用がありますので、後程参ります」
そんな言葉を残して、新居浜の姿はあっと言う間に消え去った。
何かを言う暇など無かった。
扉がゆっくりと閉じていく。
半ば呆然と、消えてしまった新居浜の気配を窺う卓真の口元が奇妙に歪んだ。
「ばかやろううが」
それは誰に向けたものだったか、毒づいた卓真自身にも判らなかった。
【了】