【Animal House 迷子のクマ】 11

【Animal House 迷子のクマ】 11

15

 大きな外傷がほぼ直り、クマが退院して小屋に戻ってきた。
 そうなれば中断していた調教を再開しなくちゃならないと、様子を見ていたのだが。
 まだ何カ所か生々しい傷跡が残っていたりするし、動いていなかったせいで筋肉も落ちている身体を見るにつれ、さてどうしたものかと頭を抱えてしまった。
 最初の目標は宵月祭だったが、あれはクマが大怪我をした時点で外れていたし、既に終わってしまっていた。
 となると、デビューを目処にスケジュールを立て直さなくてはならないのだが、どんなふうにデビューをさせるか、そういや考えていなかった、と、クマを目の前にして始めて思いついた次第だ。
「相も変わらずいい加減なことで」
 小屋の檻に額を預け、うんうん唸っていたら、すっかり調子を取り戻したディモンが背後で呆れたふうにぼやいている。
 檻の中でも、クマがぺたりと床に座り込んだままに、どうしたのかと戸惑いも露わに俺を見つめていた。
 痛々しくも腹立たしい傷痕を隠すために毛布にくるまっているその姿は、クマといえど可愛らしい。
 そんなふうに思うのは、入院中に弟との決別を確かなものにするために話をしてきたのが功を奏したのか、すっかり懐かれているのもあるだろう。
 だが、さあ調教を再開するぞとなると、そんなことは言ってられない。
 可愛さだけが取り柄の小型のアニマルではないのだから、可愛さはあまり出ないほうが良いのだ。
「んー、とりあえず、クマ、だろ?」
「クマっすね」
 何を今更、と返されて、俺も「うん」と頷くしかない。まあ、返事なんかどうでも良く、このやりとりで何か思いつかないかと思っただけなのだが。
「変な客に見せたくない」
 とりもなおさずそれが一番だと、最優先事項を口にすれば、背後から重苦しい沈黙が冷たく伝わってきた。
「……判ってるよ、絶対なんて無理だってことは」
「判ってんなら良いけどな」
「せっかく自分のために生きる気になったやつを、早々に壊したくないんだよ」
 幸か不幸か、死ぬ目に遭ったせいで意識が切り替えられて自分のことを考えるようになったクマに、俺は誤魔かしようもなく同情している。
 そう、ディモンが言っていたとおり、絆されたというのは非常に正しい。
 だからと言って、アニマルとしてここに連れてこられた以上調教しないわけにはいかず、客に提供しないわけにもいかない。
 はああ、と、ため息を吐いても、何も解決しないのは判っていても、それでも吐きたくなるのがため息だ。
「なんか案があるのかと思ったから協力するって言ったんだが?」
「あればこんなに悩んでいねえ」
 あはは、と乾いた笑いを零し、俺の不審な様子にますます困惑しているクマを宥めるように手を振って。しょうがないので、ディモンのほうへと身体を向けた。
 そのディモンはと言うと、腕組みして壁にもたれて、指図を待っている状態だ。
「……クマを私物化できりゃ問題無いんだがな」
「……無理だろ」
 判って言った台詞は、一刀両断で否定される。
 私物化するには金を払うか、館にメリットがあると提示して交渉するか、どちらかだ。
 だが、メリットと言われても、これが難しい。アニマルを客に提供して得られる対価以上のものがなければ、なかなか認められないのは確かだ。
 かと言って買おうにも、客でもなかなか払えないぐらいの金が必要となる。となると、俺たちだけではどうしようもない。手持ちの金と頑張って得られそうな報奨金を計算してみたが、今すぐには無理だった。
「まあ、せいぜいが従順なアニマルということで、素性の良い、変な趣味がない客に優先的に指名してもらうぐらいだろ? 一番良いのは、その素性の良い客に買ってもらうことだろうが、客とても半端じゃない買い物だからな。納得しないと無理だろう」
 ディモンの意見は確かに正しくて、俺も頷くしかない。
 それに、外に出てしまうと俺たちにはもうその動向は把握できなくて、本当に大丈夫なのかと言われれば頷けないということもあった。
「後はマスターのほうにも手を回して、上客を回してもらえるように進言してもらおうか……」
「ランキング上位のメリットを、そこで使っちまうか?」
 などと言いながら、「そこまで惚れたか?」と喉の奥でいやらしく嗤うディモンの腹へ拳を埋めて。
「誰が惚れた、だ、絆された、だろうが。それにメリットというほどのメリットじゃねえだろうが、そこは」
 グリグリと拳で腹を抉りながら、いらぬ言葉を吐いたやつにお仕置きを加える。
 なんつうか、ちょっと首筋というか耳元が暑くなったのは気のせいに違いない。
「うぅ、ひどい……」
 そう言いながらも、ディモンはまだ笑っていた。その表情が、ひどく楽しそうに見えるのは無視した。
 まあ、メリットというほどでもないが、それでもランキング上位は上層部と相まみえることも多く、そこでうまくやれば覚えも良いということで、俺もその手の政治的駆け引きはきちんとこなしている。
 なんせ、調教の依頼とか、手がけたアニマルの扱いとか、けっこう効いてくるのだ、これが。
 それに、上位と下位が同じ時期に同じ要請をしたら、やはり聞き入れてもらえるのは上位のほうだし。
「てめぇも、一緒に出せよ、適当な言い訳も考えろ」
 仏頂面で命令すれば、それにはディモンも頷いた。と行っても腹立たしいことにまだ笑いながらだったが。
「オッケー、オッケー、連名ってことでな。まあ、俺の場合は、あのこともあるし理由付けしやすいしな。それに、客に出すなっていうなら難しいが、下手な趣味が無い客っていうのは館にとってもメリットが大きいから、そういう客に出せるような調教をすれば、マスターだって口利きくらいはしてくれるだろ。手配係だって、ズタボロにされるアニマルの後始末なんてしたくないのは確かだし」
「だろ?」
 じゃあ、その方向でということで。
「……さて、どうしたものか?」
 ちらりと肩越しに、俺たちの会話を不安そうに聞いているクマに視線をやった。
「叩いたら、治りかけが崩れるか……」
「……深いところはまだな。まあ薬が効いたのと、若いのとで治りは早いけどなあ」
「しゃあねえ、今日はおとなしく尻穴調教だけにしとくか」
 なんて二人で会話をして、どうにもやる気が削がれたままに、檻の中へと二人で入っていった。


 悩んで悩んで、二人で結局結論も出ないままに、はや数日。
 いい加減鞭打ち調教も再開だ、なんて思ってたら、はるか彼方のとんでもない方向から飛んできたのはクマにとっての援護射撃だった。
「……クマを準スタッフ扱いに?」
「そうだ、まあショーなどに出すが、客相手は基本なし。それも働き如何ではスタッフに昇格させても良い」
 滅多に現場まで来ないマスターが、いきなり訪れた俺たち二人の前で言った言葉が素直に信じられないと、互いに顔を見合わせた。
「君たちもそのほうが良いのだろう?」
 その言葉に引きずられるようにマスターに視線を戻してこくりと頷くしかない俺たちは、まずは混乱状態の頭の中を必死になって落ち着かせた。
「なぜ、と聞いても良いですか?」
 話をする機会は他の調教師と比べて比較的多い方だが、それが自分の仕事に関わってくる、しかもクマのこととなると話は違ってくる。背の筋肉がぴりっと張り詰めて、彼の話す言葉を逃さないとばかりに意識が集中していた。
「それは、これだ」
 と、マスターが提示したのは、マスター自身のタブレット。そこに表示されているのはスケジュール管理アプリだった。
 だが、今まで標準で使っていたものとは明らかにインターフェイスが違う。パッと見たところ、タスク管理も進捗管理もできそうなそれは、始めて見るものだ。
「これは……?」
 実のところ、普段調教の管理にこういったものはあまり使わない俺には馴染みのないもので、提示されてもピンとこない。
 だが、俺の代わりにそういうのをやることの多いディモンは、俺の肩越しに覗き込んだそれを見て、「あっ」と声を上げた。
「へえ、なんか見やすいっすね」
 つい、といった感じで手が出たディモンに、マスターがそれを手渡す。
「ここをクリックすればすぐに表示できて、ああ、けっこう内容が細かく設定できますね」
「そうだ、試しに他の者に使わせてみたが、今までのより評判が良い。それに、その調教の進捗管理は別に調教用というわけだけでなく、他の進捗管理でも使える汎用性の高いものだ。というより、もともとが普通のスケジュールアプリにちょっと手を入れただけの代物だから、専門に構築すればもっと良いものになるだろうと言われている。システム管理者も、セキュリティ等の観点の見直しは必要だが設計含めて優れているアプリだと言っていたな」
「へー」
 うんうんと頷くディモンに、けれど、俺はそれがどうした?と、ピンとこない。そんな俺にマスターが始めて表情を崩して、笑みを堪えているように目を細めた。
「知らないのか? これは君のクマ作なんだが?」
「……、え?」
 数秒遅れて、頭がマスターの言葉を理解して、思わず間の抜けた反応を返した俺に、彼が笑う。
「退屈なら使って良いと言って渡したのだろう、クマの私物のタブレット。これの元は、あれに入っていたものらしいよ」
「クマに私物……って、あ、入院中に……」
 リハビリはあったが基本安静にしていたクマに、テレビなどない病室での退屈しのぎにと彼のタブレットを渡していたのだ。もちろん、外部との連絡など取れない設定であることを確認して、セキュリティ担当者にも了解を得たものだ。
「入院中、リハビリなどの間もせっせとプログラミングの手直しをしていたらしいな。その姿を医療室を訪れたシステムの担当者が見かけてね。どうやら、捕獲したときのそのタブレットの調査もしたスタッフらしく、クマが作ったというアプリが気になってたらしいんだよ」
「え、あ……」
 あの調査データに書かれてた一言のことだと気が付いて、呆けた声を上げてしまった。
「あれか。確かに気に入ったようなことが書かれていましたが」
「その担当者が、実はクマに渡す前のセキュリティチェックも担当したからね。さらにクマがしばらく入院で調教も行われないと聞き出して、ならば、と、もともと以前から改良中だったというアプリにいろいろとリクエストを入れてもらうことを条件に、さらにプログラミング用パソコンもこっそりと貸し出したわけだよ。もちろん、私とセキュリティ部門の了解は得ていたが、その結果がこれだ」
 調教中のアニマルが他のスタッフと会うことはあまりない。だが、医務室はスタッフも利用するから、2人が出会っていてもおかしいとは思わなかった。まして、入院中のクマが誰に会ったかなんてまで、俺も把握する必要があるとは思っていなかったのだ。
「パソコン? んなもん、あったっけ?」
 思わずディモンを振り返れば、肩を竦めて返された。
 それは知らないという意味なのか、呆れているという意味なのか?
 思わず疑惑の視線を見せれば、今度は首を横に振った。
「目立たないものではないはずだがなあ……」
 そんな俺たちに、マスターがクックッと堪えきれないままに喉を鳴らす。
「まあ、最新鋭のノートパソコンは薄型だからどこでもしまい込めるし、彼も手渡すときにできるだけ他人の目に触れさせないようにと言ってたらしいからね。何せ、見舞客が来ないとはいえ、アニマル候補にパソコンを貸し出すなど特例も良いところだからな」
「それは、そうですけど……、何で俺たちまで知らなかったのかが……」
 そんなことなら、俺にも一言あっても良いはずなのに。
「それはちょっとした脅しをね」
 珍しく楽しげなマスターは、いたずらが成功したかのように笑みを浮かべていた。
 いや、確かにそれはそうだったのだろう。続いた言葉に、俺もディモンも絶句するしかなかったのだから。
「退院するまで君たちにも見つからないようにすること。できなかったら、調教師を替えるから、とね」
「なっ……」
「う、わ……」
 ようようにして零したそんな意味のない呻き声にも、マスターは楽しげに続ける。
「君たちがやけに気に入っているクマがどんなものか、私としても確かめたかったしねえ。もっとも、なかなか機転が利いて、言われたこともきちんと守れるようだな。それに、短時間でできあがったアプリは、十分満足できるものだったよ」
「は、あ……」
「で、協議した結果、クマを準スタッフ扱いとして、この館のために働いてもらうことにした。まあ、クマの捕獲費用は、同時捕獲したホワイト・バニーが存外に高値で売れた分でまかなえたし、調教費用はショー出演とスタッフとしての報酬で返済できるだろうし、今回の怪我の治療費は君たちの報酬を減らしてもらえれば……ね」
「あ、ああ……そうですか」
「げ……」
 なんだかんだ言って、全てが決定事項なのだと、蚊帳の外に置かれていた俺たちができることは事後承諾でしかない。もとより、願ったりの状況なのだが。
 いや、報酬減額は……俺としてはまあ良いが、すでに減額されているディモンは渋い顔色だ。
 だが、協力すると言っていた手前、こいつも拒絶はしない。
「あー、クマにはそのことは?」
「まだだ。それは君たちから伝えなさい」
 クマが拒絶するとかそういうことは考えていないのだろう。
 というより、客に身体でサービスするのと、ショーには出るとしてもメインは裏方で館のために働くのと、二者選択を迫られてクマがどちらを選ぶかと言えば……あまりにも明白だ。
「了解しました」
 悦ぶべき内容を伝えることができるのは、良かったと言うしかないのだけど。


 言いたいことだけ伝えて去って行ったマスターの後ろ姿が消えるまで見送ってから、俺はディモンをちらりと見やった。
「なんか悩み続けた俺たちがバカに思えてきた……。なんつうか、クマが自分でちゃんと道を作ったんじゃねえか……」
 悦ぶべきことなのに、なぜか釈然としない。
「まあ、俺たちがクマの待遇の進言をしたのもあったんじゃね?」
「かもしれないが……。つうか、クマのやつ、俺にまで黙ってたのは許せん……」
「いや、それ気付かれたら、調教師変更だろ? クマはそれが嫌だったってことじゃないか? 良かったじゃないか、それだけ気に入られてるってことだろ?」
「それは、そうだがな……うー」
 言いたいことは判るのだが、実際にクマは正しい事をしたし、頑張ったことも認めるが……、どうも、うん、隠し事をされたことは気に食わない。
「ま、良いニュースを伝えられるんだから、良いじゃないか。今日はもう他のことはないし、今から行ってくれば良いだろうが」
「あ、ああ、そうだなあ」
 つい煮え切られない態度を取っていたら、ディモンがくすりと笑って、俺の耳元で囁いた。
「今日は鞭打ち調教の日だったろ。そのむしゃくしゃした騙された感、解消してくれば良いじゃないか。黙ってたのが腹が立つんだろ?」
 それは悪魔の囁きだ──と俺も判ってはいたのだが。
「……そうだなあ……」
 もともと悪魔しかいない俺の理性は、一気にそちらのほうへと傾いてしまう。
 もっとも、こんなふうに考えられるのも、最大の懸念事項が消えたからに違いない。
 知らず緩む表情は止まらずに、ディモンも呆れ気味だったが、止まらないものは止まらない。
「はいはい、うれしい報告とお仕置きをさっさとしてすっきりさせてきな。俺はもう今日は自分の仕事に専念するからさ。なんせ、あれがあんたに鞭打たれてる姿を見たら、また嫉妬にとち狂って暴走しちまいそうだし。これ以上減額されたら、干上がっちまう」
 よよよ、と、わざとらしい泣き真似をしているくせに、その声音にはマジなモードが漂っていて、ぞくりと背筋に悪寒が這い上がる。
 後悔はしているという言葉は嘘では無いだろうが、根本的な問題は未だに解消されてはいない。こいつの嫉妬がどこまで深いか、俺には判らないし、判りたくもない。
 たぶん、一度叩けば泥沼に陥りそうな気がするのは気のせいか?
 いや、それとも一度だけでもさっさと鞭打ったほうが良いのか?
 どちらが正しいかは判らない。ただ判るのは、人をけしかけているくせに、本当に切望しているのはこいつ自身だということだ。それはたぶん、クマよりも、だ。
 だが、迷いは俺の中にあって、まだ踏ん切りがつかない。
「ああ、今度暴走しやがったら、俺もおまえを殺しちまいそうだからなあ、今日は遠慮してもらおうか」
 けれど、そんなことなど気が付かぬ振りをして、俺も笑って返した。
「はいはい、クマはすでに部屋へ連れて行ってるから、後はよろしく」
「オーケー、オーケー」
 ヒラヒラと手を振って別れた俺が向かうのは、当然今日予約していた調教ルーム。もちろん、吊しができる部屋だ。
 その中で待っているクマをどうしてやろうか、と久方ぶりに感じる昂揚感に、俺の口角は勝手に上がっていった。

16

 この部屋に良い思い出がないクマは、俺が入っていったとき部屋の隅で小さくなっていた。
 首輪に付けられた鎖が壁のフックにかけられたまま、音を立てて閉まったドアに、びくりと震えて怯えた視線を向けてくる。
 四肢を拘束されているわけでないから、フックから鎖を外すことは可能だ。だが、それもせずにちゃんと繋がれたままでいるのは、褒めてしかるべき態度ではある。
 だが、残念ながらお仕置きモード満載の俺の目には、そんな態度ですら煽るものでしかない。
 ニヤリと口角を上げて笑いかければ、いつもと雰囲気が違うと気が付いたのだろう、ぴたりと合った視線は外すことなく、口元が歪み、震えた。
「おいで」
 わざと低い声音で、くいっと顎をしゃくってクマを呼び寄せる。
 大きく震えた肩が、そろりと前へ出て。手のひらを床に着けて這う様は、のそりと動くクマらしく、その体格からか逞しく見えた。けれど、すぐにガシャンと音を立てて鎖が突っ張って、それ以上の前進は叶わない。
 それでも俺のところからまだ3メートルは離れている。
「どうした? さっさと来いよ」
 動けぬクマに、再度冷たく呼びかける。俺のほうが動く気など無いことは、すぐに気が付いたのだろう。
 ガシャン、と音を立てて突っ張った鎖に、苦しげに呻くクマの呻りが重なった。食い込む首輪が喉に赤い痕を作る。
 冷たい床の上に手が伸びて、立たぬ爪で必死になって動かぬ身体を前進させようと足掻いていた。
「おい、ご主人さまの言うことが聞けないのか?」
 さらに低くドスの利いた声音に、俺の怒りを即座に感じ取り、戸惑い、怯えた表情のクマが、泣きそうになりながらも手を伸ばす。
「んぐっ……ぐっ……」
 フックから鎖を外せばすぐに届くことは、クマも判っているはずだ。
 だが、それをして良いという指示など出すはずもなく、その指示がない限り外すことができないことは、クマもよく判っていた。
 ただ、来いと言われたから、前進して近づこうとしている、クマにできることはそれだけだ。
 アニマルは他に策はあったとしても、それを調教師や客が口にしない限り行うことはできない。とても簡単で、とても大切なルールだが、そんな簡単なことをバカなアニマルだと理解できなくて、勝手にしてしまう。でないと、仕置きが待っていると思うと防衛本能が先走ってしまうのだ。その結果、俺たちが望んでいない行為を行い、怒りを買う。
 俺たちがアニマルに求めているのは愚直に命令に従うことだけで、小賢しい知恵など必要ない。
 命令を実行し、できなければ罰を受け、できても客が気に入られなければ仕置きを受ける。全てが客中心である世界で、アニマルはできることをするだけだ。それから身を守りたいと思えば、客の怒りを買わないようにすれば良いのだ。少なくとも、客を憤慨させるような愚かな行為をしないことこそが一番なのだ。
 もっとも、わざとそういうことを教えずに、小賢しさを助長させ、自ら破滅の道を歩ますような調教をする場合もある。
 マーカスなぞ、そういうのが大の得意だ。早々に壊すのは嫌いだが、いずれ壊れていくように仕向けているあれは、確かに十把一絡げのバニーの調教師としてふさわしい。
 だが。
「来られないというなら、どうすれば良い?」
 俺が作るのはそんな平々凡々なアニマルではない。
「も、申し訳ありませんっ、……ご命令に従えぬ愚かなクマに、ご主人さまがお好きなようになさってください」
 俺の言葉に進まぬ歩みを止めて、深く土下座をしたクマが、すぐに腹を出してひっくり返った。
 手足を曲げて股間を広げ柔らかな腹を剥き出しにして、絶対服従の仕草に俺は嗤う。
 退院後から徹底的に教え込んだアニマルとしての心得を、こいつは早々に自分のものににしており、もう十分デビューできるほどにできあがっている。俺への呼びかけを『ご主人さま』にしたのもその過程故だ。
 もっとも、マスターの話でその機会は潰えてしまった。
 ここまでできあがった身体はもう男無しでは、特にサディスティックなご主人さま無しではいられないだろうが。
 こいつは激しく犯されるほうが、ことさらに感じまくるのだ。ずっと強い刺激ばかりを得ていた身体は、もうそれに慣れてしまったといったほうが正しいか。
 怯えて色を失った顔色とは裏腹に、むくりと緩くではあるが形を変えつつあるペニスが、クマの下腹の上で転がっている。
「おい、これは何だ?」
 腰に付けていた一本鞭を取り外して柄の先でそれを突いてやれば、ひくひくと微妙に震えている。
「あ、ぁ……それは、クマのイヤらしい……メスの、クリトリス、です……淫乱なクマは、こんなにも腫らして、ご主人さまをいつも待って、いるのです」
 ごくりと息を飲み、震える声音で呟くように答えるクマは、良い子だ。この従順さはこいつの本質でもある。
 もともと、家族であるはずの者たちに召使いのごとく扱われ、生き延びるために盲目的に従ってきたクマは、礼儀作法というか、控えめな態度というか、そういうところがアニマル向きだった。その従うべき相手が弟から別のものに変わるだけで、その幼少時から身につけさせられた質は、従属する立場のものでしかない。
 急所でもある腹を晒し、鍛えようもないペニスを弄ばれても、じっとその姿勢を保って、ただひたすら俺の言葉を待つ、その従順さも、我慢強さも、ほんとうに良い。
「そんなもん俺の前に晒して、あまつさえいつもよりデカいんじゃないかよ、浅ましいぜ。いったいどいうつもりだあ、えっ? さっさと鎮めねえか」
 とたん、その瞳に宿った絶望に、俺の腹の奥が熱くなる。
 良い子のクマは、俺の理不尽な怒りの矛先にされているなどとは露とも思わずに、ただ、できもしない命令を受け入れるだけだ。
 だが。
「……う……くっ……」
 たとえそのペニスに触れて鈴口をグリグリと押し開いているものが、鞭の柄の角でしかなくても、クマに取っては指先での愛撫にも似た快感に襲われる代物だ。
 引っ掻くそれに、僅かな痛みは快感へと結びつく。
 ピリッとした痛みの余韻は、ぞわりと背筋を這い上がり、脳が快感だと認識する。
 それが一体どんな効果によるものなのか、あの良く判らぬ薬は最大の薬効は効かなかったけれど、クマをある意味淫乱化させるには十分だった。
「おいおい、俺は鎮めろと言ったんだよ、この真っ赤に腫れ上がったクリを、さっさと鎮めろよ、なあ」
「うわっ、あぐっ」
 言葉と共に柄の先でペニスを転がして、ペンペンと腹を打たせて。
「ひ、いっ、あっ」
 音と共に奏でる嬌声を堪能して、それでも必死になって体勢を維持するクマの肌がどんどん赤く染まっていくのをじっくりと堪能する。
「んん? なんだ、これは……お漏らししてんのか、濡れているぜ?」
 鈴口から溢れたとろみのある透明な液体が、下腹を濡らしていた。
 ねとりと広がり陰毛を濡らし、へそにまで届いて、液だまりを作る。
「おい、何だこれは?」
「あ、そ、それ……はっ、く、クマのい、淫汁でっ、あうっ」
「はぁ、何だってえ?」
「ク、マは……淫乱だからっ、あうっ、か、感じて、い、イヤらしい汁を噴く、ので、すっ、うっ」
 軽く叩くように転がすだけで、膨らみきったペニスは、もうすっかりドロドロだ。
 柄の角で、鈴口にぐりっと食い込ませてやれば、ビクンっと海老反りになって軽く痙攣までしていた。
「おい、どうした?」
「……うっ、あ……、クマ、は……達って、しまいましたあ、ぁぁ、も、申しわ、け……ありませ……ん、か、勝手に達ってしまってぇぇ」
 正直な告白の通り、絶頂の余韻に浸った四肢の力は抜けかけているのか、その身体は開き気味だ。
「達ったあ? おいおい、俺はただこのイヤらしいクリの様子を見ていただけだぞ、なのに、こんなに汁ダラダラ零して、あげくに許可無く達ったって?」
「ひっ、あっ、はいっ……すみ、ませっん、クマ、クマは淫乱、だからっ、だからっ」
「ああ、ド淫乱なクマは俺の許可無く勝手に達くわ、俺の大事な鞭の柄を汚しまくるわ、ったくどういうつもりだあっ、あ?」
「ぐ、うっ、ご、ごめんなさっ、あ、す、すみませんっ……」
「罰を与えてやるよ、ほら、そのまま腰を上げて尻を出せ」
 泣きじゃくるように詫びの言葉を口にするクマを面倒くさげに見下ろしつつ、チンポから尻タブへとずらした柄で、それを叩いた。
「ほら、上げろ」
「は、はいっ」
 俺の怒気に触れたクマが慌てたふうに手で太股の後ろを掴み、腰を持ち上げていく。膝で曲げたままに足が高く胸のほうへと引き寄せて、その分尻タブが起き上がって露わになっていった。
「もっと、もっと足を上げろ」
「はいっ」
 ぐいっと勢いよく太股が上がり、指が肉に食い込んでいる。俺の視線の先でアナルが丸見えになるほどに太股が引き寄せられて、足裏が天を向くほどに上がっていた。その苦しい姿勢のせいか、クマの肌にしっとりと汗が滲み出す。
 全体に色の付いた肌が、しっとりと濡れれば、ひどく卑猥な色気が生まれるのだと、気付いたのは最近だ。余計な脂肪のない、しなやかな形の良い骨格の身体もそれを助長させ、こういう無理な姿勢をさせればそれが際だった。
 ボディガードの仕事もするために、強制的に格闘技の訓練もさせられたというクマ。
 だからか、無様な脂肪は付いていないし、きれいな実用的な筋肉がその身体を飾っている。惜しむらくは入院中とその後に若干落ちてしまっていたが、筋トレをすればまた元の身体に戻るだろう。
 そんな昔のことを知ったのは入院中の見舞いの最中で、特にすることもない俺たちの会話といえば、報告書だけでは判らなかったクマの日常生活の内容だった。今まで決して口にしなかったそれらを俺に話す気にもなったのも、拷問の最中の心境の変化によるものらしい。
 一人きりの部屋で最低限の質素な食事、全てを自分でしなければならなかったこと。召使いには親戚の居候だと伝えられ、家族とは分けて扱われていたこと。小学生までは専門の召使いが世話をしてくれていたが、仕事以外のことは何もしてくれなかったことと、その時に教えられたのは家族に尽くすことだったこと、など。
「悪い子には尻叩きだな」
 そんな古典的な罰などまったく縁がなく育つはずだったクマが、躾けという名のたくさんの罰を経験をしているということも、その時に知った。
 その時は同情したが、そのせいでクマの忍耐強さが培われているのだと知れば、それも僥倖だとしか思えない。痛みに弱い素材だったら、俺のところには来なかったはずなのだから。
 あの日あの時、マーカスと俺があの場に行ったときにはすでに、この兄弟の運命は決まっていた。
 一匹は特別仕様の大型アニマル、一匹は十把一絡げの小型のアニマル。
 俺たちがどんなに画策しようと、どうにもならないところで決まっていたはずのそれ。だからこそ、俺たち2人の前に、この二匹は連れてこられて、引き裂かれた。後はそれぞれの思惑通りに躾けられて、客に提供されるだけ。けれど、クマはその運命を変えた。
 いろんな外部要因はあっただろうが、それを引き起こしたのはクマ自身だ。クマに才能があったとはいえ、それを目に留めた者達がいたことは、偶然ではないと思っている。
 クマが大事に自分のタブレットを持っていたから、自作のアプリを入れていたから、人の目に留まるだけの才能があったから。そうやって運命を自ら変えたのだと、本当はもう教えてやっても良いのだけど。
 それでも、俺に黙っていた事実があるっていうことの罰だけは、与えたかった。でないと、俺からクマが離れていってしまいそうな、そんな気がしてならないのだ。
 スタッフになれば俺のアニマルでなくって、もしかすると、こうやって鞭打つのも最後になるのもかしれない。
 ふっとそんなことを考えて。
「……!」
 不意に激しい焦りが湧き起こった。
「……しっかり尻を上げてろよ」
 込み上げる衝動が何かもよく判らない。ただ、俺のものにしたいという欲望だけははっきりしていて止まらなかった。
 客のモノになると可能性は薄れたけど、調教師とアニマルという関係は、余興に出る間はあっても、それがなくなればもう繋ぐものも無くなってしまう。
 だったら、今のうちに……。
 そう……ディモンみたいに、俺の鞭が恋しいと、鞭が無いと焦がれて眠れないと思うほどに。
 そんなふうにこの身体に教え込めれば、俺のところにまたやってくるのでは。
 離したくなかった。もっとこいつを調教して、もっとこいつと共にいて、話をして、もっと……もっと鞭打って……。
 俺は……たぶん、これは、そう……もっと楽しみたいのだ、こいつと。
 そんな訳の判らぬ論法が頭の中で渦巻いて、落ち着く気配も見せないままに、俺は手の中で遊ばせていた鞭の柄をしっかりと握りしめた。
 その気配を感じたのかさあっと血の気が失せたクマではあったが、その姿勢は変わらない。ますます肉に指が食い込んで、しっかりと身体を固定させている。
 そういうところは、もう十分に従順なアニマルとしてできあがっていた。
「まずは軽く、だな」
 濡れた柄を一振るいして、短くした鞭をしならせて。
 パーンッ
「んぐっ」
 悲鳴もろともに息を飲み、身体が硬直した。
 そうなれば狙いやすいと、少しずつ鞭を長くしながら、ぱくりとアナルの見える尻タブに鞭を振り下ろす。
「ひうっ、うっ、あぐ……むぐぅ」
 入院当初は無数の傷があった尻も、今では滑らかに戻っている。
 それでも残っていた痕に重ねるように、線を刻んだ。
「いあっ、やあっ……んぐ、いあ」
 叩くたびに痛みに上がる悲鳴が、けれどしばらくするとどこか甘く響き出していた。
 鈴口から湧き出る淫汁は量を増し、蒼白だったはずの肌は淫らな桜色を浮かび上がらせていく。
「今何発だっけな?」
 叩きながら、ふっと問いかければ。
「うぐっ、あうっ、8発、んあっ、9発っ」
 きちんと数えていたと正確な数字を口にする。けれど、足を掴む指が、汗でずるずると滑っているようで、食い込んだ爪痕がずれてきている。それを止めようと、白くなった関節は、端から見ても限界だ。
「よしっ、後一発にしてやるっ」
 言葉と共に、先より力を込めた一発を、未だ傷の無かった会陰へと縦に落としてやれば。
「ひううう──っ!!」
 打った鞭が戻るより先に、飛び跳ねた身体が四肢を四方に伸ばして硬直したまま床に崩れ落ちた。
「あ、ぎっ……ぎっぐ……」
 さすがに慣れぬ場所への衝撃は快感に変化することもなかったのか、一際大きな悲鳴は苦痛に充ち満ちていた、けれど。
「なんだ……達きやがったのか?」
 痛みはあったのだろうが、場所が場所なだけにその衝撃が体内に伝わったようだ。くっきりと赤く残る痕の上で、心持ち柔らかくなったペニスがくたりと横たわっていた。その先からへそ付近に溜まった白濁に、ぷちゅっと押し出された残渣が糸を引いている。
「なんだこりゃあ、メスのくせに……。ちっ、射精禁止を破った罰もいるなあ」
 元々の名目がなんであれ、調教の過程の失敗は当然仕置かなければならない。
「起きろ、クマ」
「……は、はいっ」
 茫然自失のようではあったが、俺の命令に少し遅れて返事したクマが慌てて立ち上がろうとするけれど。
「う、わ……」
 掴んでいた太股から先が痺れたようにふらついて、がくりと崩れてしまう。
 その股間から、たらりと粘液が流れ、それにも滑ったのかぺたりと尻餅まで着いてしまった。あたふたと慌てるクマの尻をつま先で小突き、冷たく命令する。
 こいつは良い子だ。良いアニマルだ。
 判っていてももっと酷く調教したい、もっと従わせたいと赤黒く濁った欲望が俺の中を満たす。
 俺の鞭の虜にと、願う気持ちはますます強くなった。
 もっともそれは、調教師としてはいつもの考えだったけれど、それがいつもより強い。
 これは、たぶん……それよりももっと強い何か。
「何してる、さっさとそこで四つん這いになれ、真っ赤な尻をこっちに向けて、そうだ」
 頭の位置も指定し尻を上げさせて、それに従順に従うクマは、何て言うんだろう、そう……可愛い。
 最初から従順だったように見えて、けれど実は違ったクマが、ようやく自分の手の中に堕ちてきた達成感と言おうか、とにかく、自分のものになったこれは可愛くて、もっと従わせたいという願いがどんどんと膨らんでくる。
 そう、どこまでできるか、どこまで付いてくるか、試してみたくてしょうがない。
「てめえの零した汁だ、好物だろうが、特別に口にする許可を与えてやるよ」
「っ、は、はぃっ……い、いただき、ます……」
 一瞬息を飲んだクマが、それでも頭を下げて舌を出す。ぺろりと垂れた粘液を舐め取って、口の中に入れるのを確認してから、上がった尻のほうへと回った。そんな俺の動きを、クマの全神経が折っているのを、後ろ姿からでも感じる。
 見えない俺の姿に戦々恐々なのだろうが、言われたままに舐め続けているクマの尻は、さっきの痕が縦横に走っていた。けれどそこから上、広い背中は濃く残った痕以外は傷はない。
 ぴちゃ、ぺちゃ、と僅かに聞こえる舌の音を聞き取って、それが落ち着いたときに言い放った。
「勝手に達くな、動くな、いいなっ、達きたくなったら言え」
 それで許可するかどうかは別だが。
 そんなことを頭の中で呟いて、痛みを予感して硬直した背に、次の鞭を叩き付けた。


「っ、痛っ、あぁっ!」
 四つん這いの姿勢のまま、振り落とされる鞭を受けた背は、きれいな痕がしっかりと残った。
 バシンと強く跳ね返った鞭を片手で受け止め、崩れかけた身体をつま先で小突く。
「美味い餌がまだ残ってるじゃねえか、おら、しっかり喰えよ」
「ひ、は、はい……あ、りがとう、ございますっ、ご主人さまっ」
 俺の叱責に、腕を踏ん張り傾いた姿勢を戻して、頭を下げる。小さく散った滴全てを舐めようと、頭を左右に動かしているクマに、さらに鞭を振るった。
「ひあっ!」
 風切り音を捕らえる間もなく走った痛みに、クマの背が反って、上がった顔から涙が散って涎が糸を引いた。もっとも零れていたのはそれだけでは無い。
「よっぽど美味いらしいなあ、もっと食べたくって新しいのを出しやがって」
 股間から床へたらりと長く糸を引き、小さな液だまりが点々とできていた。
 俺の言葉に、始めてその存在に気が付いたクマが、びくりと震え、必死になって身体の位置を変えようと這うその背に。
「やっ!」
「ぎゃんっ!!」
 ぎゅっと力を込めて握った鞭を、叩き付けるようにその背を打てば、舌が届くより先にその身体が跳ねて転がった。今回は右肩近くに当たっていて、左手でその肩を抱え込むように唸っている。けれど横倒しになった身体の股間では、形の良い勃起がふるふると震え、じわりと新たな白濁混じりの液体を滲み出させていたのだ。
「おいおい、誰が達って良いと言った、え?」
 痛みはそのまま、けれどその後に続くはずの疼きは、痛みから快感へと変化する。
 純粋に鞭打ちが好きなアニマルではなく、打撃に快感を見いだすわけでもない。
 クマの場合は、痛みは痛みで、ただその余韻で身体に残る鈍痛による疼きや痺れが快感になるのだ。
「あ、ひゃ……こ、これは……す、すみませ……んっ、あ、や……」
 痛みのせいで右手が身体を支えられないのだろう。不細工な動きで起き上がっても、尻だけが高く上がり、右肩は床に着いたままだった。それでもなんとか起きろうとして、腰が左右に揺れていた。
「なんだあ、尻を打って欲しいのか? イヤらしく揺らして、この淫乱メスグマが。犯されてえのかあ、だが、まずはそのクリが小さくなるまで、たっぷりとお仕置きしてやる」
「ま、待って……あ、やっ、ご主人さまっ、あぁっ」
 俺の言葉に恐怖を浮かべた瞳が、鞭の動きを追っていた。
 良い子であるはずのクマの本能が、痛みから逃れようと身体を動かす。咄嗟に進んだ足は、けれど首輪と繋がる鎖に引き留められて。
「ぎゃぁっ!!」
 腰から尻へ、きれいに入った鞭の痕は、すぐに赤く、深く、革の網目痕が淫らな模様として浮かび上がってきた。
 そういえば、ディモンの時は鞭打ちすぎて、こんな網目の痕など消えてしまっていたけれど。
「飾ってやるよ、俺の鞭の痕で」
 あいつとは網目模様が違うこの鞭で、きれいに飾ってやるのも一興だろう。そんなことを思いついて何も考えずに口にしたのだが、なぜか怯えていたはずのクマが振り返って、ふっと口元が綻んだような気がしたのだ。
 それはまるで微笑んだように見えて。
 見間違いかと思ったが、泣き濡れた瞳すら細められていて、確かにうれしそうだったのだ。
「ん……なんだ、うれしいのか?」
「あ、はい……、その、うれしいです」
 まして、はっきりと頷かれてしまったのだ。
 怖いはずなのに、いまだに身体のほうは逃げを打とうとしているのに。
「へえ……、だったら、張り切って痕が残るようにしてやるよ」
 吐き出す吐息に熱を孕んでいるのは間違いない。
 鞭が好きではないはずなのに、俺の手元を見て、強請るようにその先を促してきた。
「はい、お願いします」
 こんな時まで良い子の返事をしたクマに、ならばと四つん這いの姿勢に戻させて。
 僅かな間に肩の痛みを薄れたのか、しっかりと四肢を固定したクマの背後に陣取った。
 尻をメインに叩いたせいか、広い背中はまだまだきれいなままだ。
 だったら、こんな使い古した鞭ではなく、この前新調したばかりのを使ってやろうと、俺は道具入れから別の鞭を取り出した。
 その、まだ手に馴染んでない柄を握って感触を確かめ、左手で鞭の中程を掴んでビンッと突っ張った。
 震え停止する鞭の感触を確かめて、きゅっと引き絞られる網目の様子を確認する。
 きれいな朱色に染色された革は風合いもよく、よく肌に馴染む。自身が使う鞭は全て手作りで、その中でもこれはきれいに編み込めたとお気に入りの一品でもあった。普段使うのより少し柔らかな芯を持つが、ここぞというとき──たとえば鞭打ちショーで目立つ立場であるときに使うつもりだった。柔らかい故に、与える痛みは若干弱いが俺が打つ分には十二分に威力はある。それに、柔らかい分纏わり付きやすい。
 ただ、新しくてまだ革が完全に馴染んでいない分、肌へのダメージは大きいかもしれないが、俺はどうしてもこの鞭でクマを打ちたくて堪らなくなっていた。
「痕は強く残るだろうよ、これならば」
 俺が痕を残すなら、このくらいがちょうど良い。
 振り上げた鞭先の動きも問題無く、宙を舞うそれを一気に振り下ろした。
「ひやぁぁっ」
 腰から上へ、しなった背に沿うように鞭先が滑る。
 打ち付けた瞬間跳ね上がった先が泳ぎ、反動とともに持ち上げた柄に遅れて先が続いた。弧を描いた鞭が、また前へと流れ落ち、跳ねる。
「あ、あぁ──っ、痛っ!!」
 小気味よい音に、悲鳴が被さる。
 痛みは相当なもののはずなのに、クマの四肢はきちんと身体を支えていて、俺のキャンバスを崩さない。
「今度は、ひくついてる穴を狙ってやろうかっ」
 宙空で流れる鞭先を操って、尻から上へとなぎ払うように動かした。
「ぎゃんっ!」
 一際大きく鳴いて、打たれた尻が大きく揺らぐ。
 アナルの間際に刻まれた痕は、短いながら他より色の薄い場所に、濃く残っていた。
「い、た……やあ……っ」
 欲しいと言ったくせに、打たれ始めたら泣きが入って、尻が逃げる。
 けれど、それでも四肢は動かない。
「どこが痛い? 気持ち良いんだろう?」
「ひっ、うあっ、い、いやあ、そこぉっ駄目ぇっ!」
 長めに身体に落とせば、脇から前へと鞭先が周り込み、床を擦って戻ってきた。
 どうやら敏感な乳首を打ったと、見なくても判るほどに、クマの身体が崩れ、手が庇うように胸を覆った。
「ひっ、あっ……」
 両目から涙がボロボロと流れ、横倒しの身体が丸く、縮こまる。
 けれど、その股間では勃起しきったペニスが、ダラダラと涎を垂らして期待しているのがよく見えた。
「何が駄目だ? もっと打って欲しいって、おまえの肥大したクリが待ってるじゃねえか」
「あ、うっ……」
 咄嗟に隠そうとでもしたのか、身体がさらに丸くなる。だが、それをさせる前に俺は右手を強く振るっていた。
「ぎぃっあっっ!」
 落ちるのが少し早く、先に床を打ってしまったが、跳ね返った鞭は確実に亀頭部に触れたはずだ。
 僅かとは言え当たったそれに、仰け反った身体が音も無く、のたうち回る。
 その様に、もっと打ちたいという欲望が確かに大きくなった。
 打って、刻んで。
 ディモンごときにズタボロにされたような記憶など、俺が置き換えてやろう。
「やるよ、もっと、もっと刻んでやる。この俺が、ゲイルさまが、この淫乱な身体がもっと熱くなるように、追い立ててやるよ」
 言葉と共に、背後から前へと、一気に振るう。
 すでに本能的に逃げ惑うクマは今も這うように身体を庇い、遠のこうとするけれど、その身体を追いかけて鞭を落とす。
「ひいぁぁっ、痛──っ、ああ、っ、ぃっ……あぅっ」
 続けざまに、背に、肩に、腹に、腰に。
 痛いと泣き喚き、打たれたところを庇うけれど、別のところに落ちた鞭に、まるで床の上でブレイクダンスを踊ってるかのようにクルクルと回る。
 しかも、苦痛だけでないのは、その勃起チンポを見れば明らかだ。
 先の鞭で色濃くなったそれから、ダラダラと白濁混じりの粘液を吐き出し、今にも射精するかと思うほどに、鈴口がパクパクと喘いでいる。
 パンパンと小刻みに打って、時折強く叩き付けるように打つ。
 予期せぬ強さでくるそれに、クマも逃げ切れない。
 思ったように痕が残る身体が楽しくて、もっと多くの痕を刻みたくて。
「尻を振れよ、俺を煽れ。もっと煽るように、ほら強請ってみろよ、もっとくださいって、もっと鞭くださいっ、なあ」
 続けて打っているとリズムができてくる。
 パンパン、パーン、パンパパン、パシっ、パーン。
「ぎあっ、やーっ、あうっ、っつぅぅっ、うっ、あうっ。
 決して演奏してるわけではないが、少し遅れてクマの歌が被さるのも、楽しく痛快だ。
 絡みつくように足にも痕が残り、庇う腕と胸のそれが繋がっているのもきれいにできていると思う。
「ああ、そうだ。射精の許可をやるよ。いい加減限界なんだろう? 射精したら、今日の鞭は終わりだぞっと」
 たぶん、このまま置いておけば、そう遠くないうちに射精するだろう、という段階で俺は手を止めた。
 床に転がったクマは、追い立てられ、けれど鎖に阻まれて遠くに行けず、俺の足下近くで転がって呻いていた。
 全身至る所に、鞭の痕がきれいに残っている。
「ああ、何もするな。どこにも触れるな、それだけで射精しろ」
 俺の言葉に、伸びかけた手が止まる。揺らめいていた腰も止まり、赤く充血した目が俺を呆然と見上げてきた。
「どうせ、疼いているんだろ? おまえの身体は、そんなふうに腫れてジンジンと痛むぐらいがちょうど良いんだろう?」
「あ……」
 手も足も、背や尻まで至る鞭の痕が腫れていた。一部擦り傷のように血が滲み、擦れて広がっているところもある。
 激しい痛みは痛みだが、そういうところから伝わる少し弱く長引く痛みこそが快感の源になってしまう身体なのだと、改めて自覚したのだろう。
 呆然と見開いた瞳が、俺を見上げてきた。
「あ、これが……、ひっあ……これが、んっ、あの、薬の?」
 説明はしたが、こんなふうになるのだとは、今日が初めての経験だ。
 あちらこちら、いや、もう全身と言っていいほどに傷を作れば、痛いのではなく堪らない疼きとなって、クマを襲うはずだ。
 全身を何人もの舌で嬲られているような、自覚したら悶えるのが止まらないのか、クマが淫らに腰をくねらせ、身悶える。
「ん、あ……やぁ……」
「射精したいだろ、どこにも触る必要はねえよ。全身の感覚に集中すれば、その衝動はさらに強くなる」
 教え込むように、感覚に集中させて。
 力無く開いた足の間で、陰嚢がヒクヒクと迫り来る射精衝動に襲われているのが判った。それがだんだん大きくなる、その瞬間。
「手伝ってやろう」
 素早く振り上げた鞭を、一気に振り下ろす。
 バシーンッ!!
「ぎゃあっ!!」
 弾ける音に悲鳴が被さる。飛び散った滴は反動で踊ったペニスからで、びちゃりと床の上に落ちた。
 けれど、射精したわけではない。鈴口近くに溜まっていたのが打たれた拍子に飛び散っただけだ。
「い、痛ぁ……ぁっ」
「どうした、射精すれば終わりだと言ったろう? 淫乱なおまえは鞭が大好きなくせに、どうした?」
 さらに、下腹部から腰に振り落とせば、びくんと大きく腰が跳ねたが、出たのは悲鳴ばかりだ。
 打った瞬間は痛みでしかないそれに、達きかけていたペニスも治まってしまったようだ。
「ほれ、達けよっ」
 痛みが消えないようにと続けて打って、暴れて逃れようすると身体を追いかけて、さらに打つ。
「ひっ、あ……痛──っ、だ、だめぇぇっ」
「何が駄目だってぇ? ほら、まーた元気を取り戻したじゃねえか。ったく、いい加減にしろよなあ、俺も手が疲れたし……」
 はあっとわざとらしく息を吐き、さすがに怠くなった手を止めれば。
 ほっと安堵したように動きを止めたクマが、今度は落ち着かない様子で腰をくねらせ始めた。
 冷たい汗を纏う肌が熱を孕んだように紅潮し始め、先より硬くなったペニスが下腹の上で喘ぎ始めて。
「ああ、ようやく達くか……、ったく、贅沢なんだよ、俺の鞭で射精しねえなんて」
「あ、んっ、くっ……」
 零れ出す喘ぎ声がだんだん大きくなって。
「あ……イクっ、イクっ……」
 震える身体が限界だと明らかに訴え始めたその時。
 俺は、再び鞭を振り上げた。


 あれから数度、同じことを繰り返して。
 最終的には、鞭打たれながらも絶頂を迎えて、精液をあちらこちらに振りまいた。
 まさか思い切り打ったとたんに達くとは思わなかったが、積み重なった快感が痛みを凌駕したのだろう。
 胸から脇へ、唯一残っていたところへと、勢いよく振り下ろしたとたん、打たれた衝撃だけでない震えがクマの身体に走って。
「や、あっ、ああ──っ!!」
 一際大きな嬌声で空間を振るわせたとたん、ちょうど上を向いていた身体に向かってペニスが間歇泉のように精液を何度も吹きだしたのだ。
 それはもう、見ていて絶景と思わせるもので、ボタボタと胸や腹、顔にまで飛び散っていくその姿に魅入られた。
 もっとも、そのままクマは放心状態に陥り、小刻みな痙攣が治まっても、しばらくは現実へと戻ってこなかった。
 あんな激しい快感を一度味わえば、それはもう忘れられないものになるだろう。
 意図せぬことではあったが、少なくともこれはクマにとって強い記憶になる。
 この俺の手で鞭打たれながら自失するほどに射精したのだから。
 そんなクマの傍らに跪いて、俺はゆっくりとその身体に残る鞭の痕を確認していった。
 腹や胸は皮膚が弱い分、強くはっきりとついていて、少し青黒くなっているところもあった。そのまま脇や腰にも周っている痕に、ごろりとその身体を動かして。
「ああ、きれいに痕が付いたな。これが絵画だったら、この辺りに俺のサインを刻めるのになあ、そしたら、このいやらしい身体をここまで色づかせたのはこの俺のものだって宣伝できるって言うのに」
 縦横に走る鞭の痕から僅かに下、腰のくぼみのあたりを指先でなぞった。
「ん……」
 ぐったりと崩れ落ちていた身体も、そこに触れられれば敏感に感じたようで、小刻みに揺れた。
 クマの性感帯でもあるそこは、嬲れば可愛い声を上げて悶えるのだと、思い出すと同時に唇で吸い付いた。
「んんっ、ぁんっ」
 汗と僅かに血の味を感じて、ちゅうっと強く吸い付けば、そこだけ他とは違う鬱血痕が残る。
「代わりに、これが俺の印だな……」
 くっきりと残ったそれは、けれど鞭の痕が消えるころには無くなっているだろうから、ちょうど良いだろう。
 また次回鞭を打てれば、また残せば良いとそんなふうに思っていたら、クマが困惑も露わに俺に問いかけてきた。
「あ……ご主人、さまの……印?」
 位置的に己では見えぬ位置だが、必死に身体をくねらせてそれを見ようとしていた。
「見えねえだろ」
「で、も……ご主人さまの印……」
 どうしても見たいと、なぜかひどく固執していて。
「なんで、そんなもん見たいんだ?」
 たかだかキスマークだと言えば。
「だって、ご主人さまの印です……」
 と意味不明な言葉で返された。
 その意味を計りかね、胡乱げにクマを見やるが、見ることを諦めたクマはうまく動かぬ手でその場所を探っている。
「何だ、そんな痕がもっと欲しいのか?」
「あ……だって、ご主人さまの印、だから……」
「?」
 一体何が言いたいのか?
 疑問に思いながら、ふと思いついたままに言葉を継いだ。
「まあ、おまえの性感帯のところをキスマークだらけにしておけば、買われたお客さまがもっともっとと増やしてくれるだろうな。そういう淫らな模様を肌に刻んでいたり、目印になるようボディピアスをしているやつもいる。おまえもいるか?」
 そう言えば、クマが何かを言いかけて、けれどぎゅっと口元を引き結んだ。
 何か言いたげに、けれど言ってはならぬとばかりに、きつく閉じられた口元とともに目も伏せられてしまい、視線が外れてしまう。
 そのまま、互いが硬直したように沈黙が始まった。
 常ならばクマが頷き、お願いをするはずで、俺も嬉々として鞭を振るい始めるだけだ。
 なのに、クマが何も言わない。俺はといえば怒りもせずにそれを待っている。
 さっきクマが何かを言いかけた、たぶんさっきの質問に繋がる何かを言いたかったに違いないその言葉を聞きたかった。無性に聞きたくなっていた。
 けれど、クマはアニマルとしては良い子だから、決して自分から何かを要求することはない。少なくともこの場で、そんなことはしないはずで。
 だから、俺はつ大きく息を吸うと、一気に言葉を紡ぎ出した。
「なあ、何か俺にして欲しいことでもあるのか?」
 その瞳に向かって問いかけた瞬間、不意になんとも言えぬ感情が込み上げてきた。
「ご、主人、さま……?」
 縋るような呼びかけに、ぞくりと背筋に疼きが這い上がる。その感覚に煽られるように、自分でも甘いと判る声音で言っていた。
「おまえが、望むように……叶えてやるよ、おまえの望みを、何でも良いぞ、ただし俺が叶えられるものならな」
「望み? 何でも、良いんですか?」
 窺うようなクマの視線は、俺の心を見透かそうとしているようだ。
「ああ、どうして欲しい? この俺に」
 クマはその言葉を咀嚼するように何度も口の中で唱えていた。
 やはりクマは何かを求めている。求めてはいるが、俺には言えない何か。
 そんな感じがするその思いを、どうしても知りたくて。
「ご主人さまに言えないのか?」
 その言葉には逆らえないと知っていて強い口調で先を促せば、クマが弾けるように顔を上げて、俺を見つめて。
「……ご主人さまの印……取れてしまったから……、取れないのが欲しい、と思いました」
 そう言ってその手がそっと触れたのは、ようやく癒えて形が戻った乳首だったのだ。
「印……あれか……」
 その仕草に何のことかとすぐに思い至った。
 そこにはクマの識別ができるように鑑札がぶら下がっていたのだが、ディモンの鞭によって千切れてしまっていたのだ。
 今あれは、乳首がきちんと治るまで俺が預かっていたのだが、はて、一体どこにやったのだろうと考えて。
「あー、あの鑑札をまた付けたいのか?」
 そろそろピアスもやり直せるか、それとももう少し待ったほうが良いか? なんてことを算段していたら。
「クマがご主人さまのモノだって判るものを、今度は取れないように付けて、欲しいと思いました」
 再度繰り返された言葉に、けれど先とは違う言葉が追加されていた。
 その言葉を頭の中で反すうして、思考がぴたりと止まった。
「……クマがご主人さまのモノ?」
 その解釈は、いろいろできる。できるけれど。
「鑑札には、特定の主人の名は刻まない。アニマルは不特定の客に買われるものだし、特定の名を刻みたいという客がいれば別だが、それは高額のオプション料金をもらうことになっている……」
 館のルールがそうなっているのだと、基本的な内容を教えたが、違うというふうに首を横に振るクマに、俺も口を噤んだ。そんな俺をまっすぐに見つめて、クマが言葉を紡いだ。
「ご主人さま──お客さまで無くて、ゲイルさま、の、名前……入れたもの……」
 途中から視線を外して、最後には声音まで小さく掠れたようになって、聞き取るのは難しかったけれど、それでも間違いなくクマが言いたいことは理解できた。
「お、れの名入り? いや、鑑札に調教師の名は……入れないし……」
 専任調教師はいても、客前に出すアニマルが身につけるものに名はいれない。何か名を入れるとしたら、それによって客に嬲られる理由を作るためのものだけだ。たとえばその客の敵であるとか、ライバルであるとか、嫉妬心や嗜虐心を煽る道具としての名入れだけで。
「判ってます、けど、何かひとつだけ欲しくて……」
 けれど、そんなことを言われて、そんな理由付けなんて吹っ飛んだ。
「お客さまの前に出るときに付けてたら駄目なんだったら、出るときに外せるものでも。でも、欲しいって、望みを叶えてくれるって言われたら、それしか思いつかなくて……」
 気が付けば、縋り付くようにクマの瞳が俺を見ていた。
「こんな分不相応なお願い、でも、どんな罰を受けてもよいです。お願いします」
 まして、そんなことまで言われてしまう。
 欲しいと言われて、渡すのは簡単だ。
 確かに客前で付けられないなら、外せるもの、いっそ小屋に置いておけるものでも良いのだろう。
「あ、そんなもので良いなら……俺の名入りで、ほんとに良いのか?」
「はい」
 それは間違いないとばかりに、はっきりと頷いて。
「これから……いろんなお客さまを、ご主人さま、とお呼びします。それは判っているんです。けれど、俺は、俺の最初のご主人さまは、本当の意味でのご主人さまは、ゲイルさまだって思うんです。俺がこの身で仕える相手は、この前まで弟だった。弟しかいなかった。でもそのことから解放されて、じゃあ、どうしようって思ったら、俺にはゲイルさましかいないんだって、思いました」
 珍しく一気に喋るクマは、子どものころからあまり喋らなかったぶん口下手だ。だが、今回ばかりは、言いたいことが恐ろしいほどに伝わってきた。
 まるでクマから見えない触手が伸びてきて、俺の身体を雁字搦めに絡みついていくように、言葉が俺に襲いかかってくる。
「ゲイルさまは、調教師で、本当のご主人さまじゃないってことは判ってます。けど、俺にとっては、調教師以上のすごい人で。俺を、解放してくれた。俺に生きて良いんだって言ってくれた。俺、もっと自由に生きたいって思ったけど、もうここしか生きるところはない。でも、ゲイルさまが与えてくれたこの世界で、俺のできること精一杯やっていって。クマは、本当は……ゲイルさまのもの、ものになりたいです。ほんとは、ゲイルさまのだけに、なりたい……って、でも……それはほんと、無理だって判ってるから、無理だから……だから、ゲイルさまの名前の入った、ものが、欲しい、です」
 それは、きっと、ずっとクマの胸の内にあったことなのだろう。
 俺が与えた言葉が呼び水となって、一気にあふれ出したクマの想いに、俺の身体は雁字搦めに拘束されたかのように動けなかった。
 それを叶えるためには、どんな罰を受けても良いという覚悟で言ったのだと伝わってきた。だからこそ、それがクマの本心なのだと、さすがに間違えることはない。
 何よりクマの言葉が真実なのだと、逸らされることのない瞳からしんしんと伝わってきた。
「クマ……おまえは……」
 俺も……と言えば良いのだろうか。
 俺もおまえを手放したくなくて、だからこそ、俺の鞭の痕をおまえに刻みつけたかった……と。
 ああ、そうだ、俺も、だ。
 クマはアニマルとは違う。俺が良いまで育ててきたアニマルとは、まったく違う。
 俺はこいつを手放したくなくて、俺のものにしたくて。
 もうずっと、何度も考えてきたのだと、今更ながらに思い出す。だったら、こいつが俺のものだと、宣伝してしまえば良いんだ。
 アニマルであったら無理なこと、けれど、こいつはもうアニマルではない。いつかそうでなくなるんだ、だったら。
「俺の名前入り、それが欲しいって言うなら……やるよ。ああ、そうだな。そうだな、決して外れぬ箇所に、そうだ……つけてやろう、俺の名を」
「外せないところに、ほんとにっ」
 期待していなかったのか、それとも外せないものというのに驚いたのか。
「なんだ、いらないのか?」
 疑われた怒りを滲ませれば、ぶんぶんとものすごい勢いで首を振られて。
「いえ、欲しいですっ、うれしいですっ、ゲイルさまの、名前、刻んでくださいっ、お願いします」
 鞭打たれて腫れ上がった身体のどこにそんな元気があるのかというほどに、クマらしからぬ明るさで喜びを伝えてくる。それに、クマが「ゲイルさま」と呼ぶたびに、その俺にだけ向けられた言葉がひどく気に入って、堪らなくうれしかった。
 そのせいで、口元が勝手に綻び、走り回りたい衝動を抑えるのに必死になっていたというのに。
「楽しみ、です」
 滅多に拝めないクマの笑顔が満載で、そうなるともう堪らなかった。
 あまりの可愛いさに、思わず伸びた手がクマの髪の毛をくしゃりと掴み、ごしごしとその頭をなで回す。
「楽しみにしてろ、しっかりと準備して、決して外せないものを用意してやるから」
 思わずそんなことまで、囁いていた。


Ending

 結局、クマが準スタッフ扱いとなった件は、システム部と約束したその前々日まで黙っていた。
 言う機会がなかったわけでなく、できれば驚かせてやりたいっていうのと、それまでの間たっぷりと調教することができるからという思いがあったからだ。
 より俺好みに、俺用にと、今までできなかったことも教え込む。
 その間にクマの個室を俺の部屋に強制的に用意させたり、余興出演スケジュールを俺も出演する俺好みのものばかりに設定させたり、やることは多くて走り回ってはいたが。
 そんなことをしていたら、ディモンが『恋にとち狂うってこういうことか』と呆れ果てて、どこか蔑む目になっていたが気にしない。
 だいたい誰もとち狂ってなんかいない。
 クマを俺のモノにするための必要不可欠な行為なのだから。
 それに、やってて楽しいのだから止められない。
 誰ともつかぬ「ご主人さま」呼びは止めさせて、調教中は常に「ゲイルさま」と呼ぶようにさせたのもその時からだ。
 最初は不審げだったクマも、結局は俺に逆らうはずもなく、すぐにそれに馴染んで、今ではしっかりと呼んでくれた。
 そんな行動に追い立てられる原因は独占欲だと気が付いたが、これは俺のモノだと自覚してしまえば、それに逆らう気など毛頭無く、それどころかクマの身体の隅々まで、俺のものだと印をつけたくて堪らないほどだったのだ。
 だから、つい昨日、俺はクマと約束していたものをその身体に刻みつけた。
 そう、俺は、自身の名をクマの身体、あのキスマークを施したところに飾り文字でタトゥーで入れたのだ。
 消えないどころか目立つその場所に、クマのほうがうろたえ、良いのかと、何度も繰り返したが、大丈夫だと言い聞かせた。その図案は、一晩経ってくっきりと発色し、クマの身体によく似合っていた。
 さらに、その身体にガウンを着せかければ、それも久しぶりの服だと驚いて。
 一体何事かと戸惑うクマを、俺はそのまま自室まで連れ帰ったのだ。
 スタッフがいるエリアへ始めて入ったクマは、アニマルと客以外の人がいる空間に惑い、俺に縋るようにして歩いていたけれど。
 始めて入った俺の部屋には、興味津々のようで、しばらく落ち着かなかった。辺りを見回し、座れと言えば慌ててソファに腰を下ろして、それでもその視線は止まらない。
 そんなクマに苦笑しながら、俺はグラスに酒を注ぎながら、スタッフの件を伝えてやった。
 アニマルとしての仕事は、余興用のショーでの出演程度で、準スタッフとしての裏方の仕事がメインになるだろう、と。働き如何では、スタッフに昇格となって、アニマルの仕事はしなくてよくなる。だから部屋もこの隣に準備してあるが、まあ、おまえの身体の調子もあるし、この先、俺の部屋で一緒に暮らさないか、と。
 最後の言葉は酒を喰らいながら一気に言い切って、クマの様子を見ていたら。
 クマは、言った言葉がすぐには理解できないようで、しばし呆然としていて。
「え、あっ……何? あれ?」
 と、何かを問いだけに繰り返すが、うまく言葉が出てこないようで、結局俺は最初からもう一度説明してやった。
 まあ、恥ずかしい最後の告白は、ちょっと省略したが。
 理解してしまえば、クマの感情はめまぐるしく変わって、おもしろかったというしかない。
 驚き、疑い、信じたとたんに、ワンワンと声を上げて号泣して。
 そのまますごい勢いで俺に縋り付いて泣き喚いたクマは、「ずっと、ずっと、ゲイルさまとっ……ゲイルさまとっ」と言うものだから、俺も堪えきれなくてその身体を抱きしめた。
「ああ、おまえはずっと俺のモノだ」
 堪らずに、言えなかった言葉を言い切ってしまえば、少し落ち着いたはずのクマがまた泣き出して。
 けっこうな力でぎゅうぎゅうと抱きしめられて、どちらが押し倒したのか判らない状態ではあったけれど。
 結局、クマが酒を飲む暇などなかったのは言うまでも無い。


 それが、昨夜の理性があった段階の話なのだが。
 一晩中、喘いでよがりまくっていたクマが、ぐったりとうつぶせで寝具に埋もれている横で、俺は夢も見ないほどの深い睡眠から爽快な気分で目を覚ました。
 ううっと伸びをして、ぼんやりと瞳を巡らせば、枕元に置いておいたままのタブレットが着信を知らせている。
 何かと思えば、マーカスに問い合わせていた回答がメッセージで届いていたのだ。
 クマの待遇変更の話をマスターから聞いたときに言っていたバニーの売価の話で、どこに売られたのかの回答だったのだが。マーカスによると、バニーは宵月祭の余興に出演、馬に犯されたが拡張をしていたために壊れずに生還。その時の様子が牧場経営者である客に気に入られ、馬用の性具として引き取られたということだった。
「へえ……」
 あれがなあ……とぼんやりと、馬の図太いチンポを突っ込まれて、歓喜の声を上げるバニーの様子を想像する。
 白い髪に、白い艶のある肌、淡い色の瞳を保つバニーは細身だから、逞しい黒馬の太い杭を穿たれれば、好きな者には堪らない構図になるだろう。しかもその間中、きゃんきゃん喚き続けたに違いない。あのデビューの際に悲鳴を上げまくっていたように、全くもって俺の好みじゃない姿で。
 だがああいう軟弱そうなアニマルが良いという客のほうが多いから、俺よりマーカスはよっぽど忙しい。
 だからか、メッセージの最後に、今日は丸一日休みを取っている俺への文句が連なっていた。
 それに、『知るか』と返して、ぽつりと呟く。
「あんなんでも良いっていうんだから、客もモノ過ぎだなあ。まあ、遊ぶには良いんだろうが」
 なんとなく心当たりがつく馬至上主義で、かつ馬の性行為に興奮する性癖を持つ客にしてみれば、たくさんいる牡馬の玩具にちょうど良いと思ったのだろうなあと見当付けた。
 まあ、不特定多数の客に酷使され続ける館内のアニマルよりは、外に出たやつはマシな扱いを受ける場合もあるし、生き残ればあれの運命もどう転ぶか判らない、なんてことを思っていたら、傍らのクマの背がもぞりと動いた。
 無数の傷跡が目立つ背は、良く効く薬を塗っておいたから、またすぐに治るだろう。
 どうしても白っぽく痕は残るかもしれないが、それはそれで、クマの背にきれいな模様となっていて、俺は好きだった。
 その痕をなぞるように、唇を落とし舌を這わせれば、擽ったかったのか、クマの頭が動いて。
「あ……ゲイルさま……」
 呆けた中に困惑を滲ませた瞳が俺を映す。
「あの……」
「何だ?」
 久しぶりに出し尽くすまでに犯してやった身体はまともに動かないのか、いたずらに性感帯でもある痕を嬲られて、その顔が紅潮していく。
「ん、な、何か……あったのですか? さっき……お、お客さまのことを何か言っておられた……何か……」
 さっき呟いた言葉が耳に入っていたのか、クレームでもあったかと不安げに問うクマに、「いいや」と返す。
 客からのクレームが調教師の評価を左右すると知っているクマの言葉に、俺をそんなにも気にしてくれているのだと理解してひどくうれしくなった。
 ディモンも俺の評価をやたらに気にするが、あれはうっとうしいと思うだけなのに。
 クマのそれは、心を和ませる。
「いや、アニマルが一匹客に身請けされたっていう情報が入っただけだ。俺はそのアニマルが嫌いでな。なんで、あんなのを客が引き取ったのかなあ……と、それだけだ」
「あ、そうなんですね。ゲイルさまの件でなくて良かったです」
 可愛いことを言うクマに、俺はその身体をひっくり返し、覆い被さり、昨夜の愛撫で熟した乳首に唇を落とす。
 新しく開けたピアスの固い感触と柔らかな中に芯がある肉のハーモニーは上手くて、舌先でコロコロと転がしまくる。
「ひっ、いっ……あっ」
 俺のモノだと証明する鑑札は、乳首が回復してからさらに厚みのあるものに付け替えた。タトゥーとは別の俺のものだという証だ。その留め具は特殊な構造で、俺にしか開けられないようになっているから、簡単には外せない。
 もっともこいつの背の痕と合わせて俺のモノだと証明するこれを、俺は決して外すつもりはなかった。
 そのまま手を尻に回し、まだ熱くぬかるんだ穴に指を挿入すれば、クマの身体が俺をはね飛ばそうとするほどに跳ねた。
 けれど、それを押さえつけて、囁く。
「お願いしてみろ、これから一昼夜、犯して欲しいってな、なあ?」
 昨夜すでにさんざん犯した身体だ。
 それでも、俺の飢えは収まらず、この身体を貪り尽くしたいと訴えている。
 幸いに、今日は仕事もないし、明日まではディモンが他のアニマル達の世話をすることになっている。
 あんなことをしでかしてくれたディモンは俺に頭が上がらないから、今頃一生懸命世話をしているだろうし。
「なあ、良いだろう?」
 優しく、甘く囁く言葉に、クマはその全身を紅潮させながら戦慄く唇を数度開閉させて。
 羞恥と諦めとがない交ぜになったようなそんな表情で、俺の頭をかき抱き、耳元で囁いた。
「どうか……お願いします……。淫乱で貪欲なクマに、ゲイルさまの逞しいチンポをください……。ずっと、明日の朝まで、離さないで……、犯し続けて……くださ……いィっ」
 俺の願いを、狙い違わず叶えてくれるクマに、俺の性欲過多の身体が即座に反応する。
「ああ、昨日もさんざん犯してやったのに、まあだ欲しいって? ああ、そんな節操のない淫乱な穴を持つやつは、俺がしっかりと躾けてやるよ……ずっとな」
「あ、ぁぁっ……ゲイルさまぁっ、そこはっ」
 軽く中の肉壁を押すだけで跳ねる身体を押さえつけて、グチャグチャの穴の奥へと指を進ませて、中に絡まる粘液を掻き出した。
「あれだけ出したってぇのに、もう涎まみれじゃねえか。犯されるってだけでメスみてぇに濡れだしたしな、そんないやらしいメスグマは後でしっかりと鞭打ってやろうか?」
 昨夜の名残か、それともマジで濡れだしたのか、たっぷりとまとわりつく粘液を内股に擦り付けながら、がちがちに固くなっているチンポを腹の筋肉で揉みしだいてやれば、ひんひんと良い声で泣いて、自らも擦り付けてくる。
 明日からクマはスタッフとして働き始めるから、そこに慣れるまではしばらくは禁欲の生活だろう。
 だったら、今のうちにたっぷりと、と判断して、今日は心置きなくクマと遊ぶことに決めていた。


【了】