12
思った以上に疲労が蓄積されていたのか、一時間も経たぬうちに目が覚めてしまう。
その後も悶々とベッドの中で唸っていたら、そおっと扉が開く音に気付く。
なんだ、と目をこらしてみれば、入ってきたのはディモンだった。
「……寝苦しそうだったから」
そう言うあいつに、「寝込みを襲おうとしたんじゃねえのか?」と返してやれば、苦笑いで返されて。
「去れ」
とつっけんどんに追い返したつもりだったが。
「ちょっと寝酒でもしたら、少しは眠りやすくなるんじゃないか?」
苦笑と共に示されたそれの、俺のお気に入れの酒につい身体を起こしてしまった。
そういえば喉も渇いていたことだし、気分転換にも良いだろうと、ディモンが接いでくれるそのままに、ぐいっと飲み干す。
それから、なにがしかの話をしばらくした記憶はあるけれど、気が付いたら部屋の中がしーんと静まりかえっていた。
カーテン越しに入ってくる薄暗さに、もう朝かとあくびをして、妙に倦怠感と鈍重感のある頭を叩きながら、時計を見上げた。
「……」
そのままの姿勢で、何度も時計を見やる。
「……朝……?」
少なくとも明け方に一度起きたはずで、だが、時刻はそれから一時間ほどしか経っていない。
と言っても、身体はそれほど寝不足感はなく、ただ、鈍い頭痛が芯に残っているだけだ。
しばらくぼんやりと考えていて、はたと気付いた。
「……夜の、か?」
きっちり十二時間、時間をずらせばつじつまが合う、なんてことに気が付いてしまえば、今度はそのことにしばし呆然とした。
あの夢を見たときは寝起きは悪い俺でも、6時間も寝れば自然に目が覚める今日この頃、一度も目覚めずに寝続けたのなんか、初めてのような気がした。
貧民窟にいた頃は、惰眠など貪っていたらその日の糧にありつけなかったからで、その習慣がこの身に染みついていたからだ。
今日は、クマを再調教を始めるつもりだったというのに。
「あー、クマの調教スケジュール、組み直し……からか」
そんな話をディモンともしたような、と、腹が減りきった身体を動かして、とりあえずペットボトルの水をゴクゴクと飲み干した。
食堂に行けば24時間何らかの食べ物にはありつけるが、そこまで行く気力もなく、非常用に置いていた菓子をボリボリと食い漁りながら、タブレットを取り上げた。
やたらに汚れていたそれの画面を着たきりのシャツの裾で拭い、クマの様子を確認しようと操作した。
時間的に餌の時間だが、クマに限らず担当のアニマルの餌はディモンに任せている。
昨日さんざん犯してやって、ひいひい泣き喚いてたあれも、今頃起き上がってんじゃないか、と思ったのだが。
「あれ……いねぇ……」
いるはずの小屋のどこにもクマの姿がないことに、知らず眉間のシワが深くなった。
遠隔操作のコントローラーを動かしても、カメラに捕らえられる場所にその姿はない。死角など作らぬように設置されたそのカメラから逃れられる場所などないはずで。逃げたなら、今頃こんなふうに悠長に俺がここにいるはずもなく。
怪我でもしていて、医務室にでも運ばれたか?
とも思ったが、だったら俺にも連絡が来るはずだと思ったが、メッセージにも何もない。
だったら、ディモンに聞いてみるかとあいつの居場所を探ろうとして、不意に嫌な予感がした。
尻から首筋まで、ぞわりと寒気が走り、腕に鳥肌が立っていく。
俺のものにしたい、と、昨夜言った記憶はある。
いつもなら、しっかりと納得させてしまえるのだが、昨夜は疲れていたこともあっておざなりに返したことも覚えていた。
まあ、あのディモンだから大丈夫か……とも思ったが、先日のお披露目の際のディモンの言動を思い出してしまえば、不安は消えるどころか大きくなるばかりだ。
昨日も仕置きが必要だと、もっと罰が必要だとしつこかったくらいで、不満そうだったことも思いだし、もしかしたら勝手に罰でも与えているのではないだろうか? なんてことに思い至った。
「……晩飯前に見に行くか」
満足とは言えないまでも、少しは活力が湧いてきたところで、しかたないと立ち上がった。
ディモンのいうことも一理はあるのだが、その前にあれの洗脳を解くのが先だ。
せめて俺には忠実にならないと、昨日のごとく逆らわれてはどこかで大きな失敗するのがオチだ。
洗脳を解く方法というのはやったことがなくて、さてどうしたものかと、しわくちゃになったシャツを着替えた。
その後、何度か軽くストレッチしてから、ディモンがいるであろう調教部屋へと向かう。
たぶん、予約した調教部屋の所だろうと考えながら。
狙い違わず一発目で入った部屋に、ディモンはいた。
そして、クマもいた。
だが。
「……な、に……してる……」
呆然と呟く俺に、額に汗を浮かべたディモンが肩越しに振り返る。
そのきつい眼差しは、気の弱い人間なら卒倒しそうなほどに凶悪な瞳をしたディモンがいた。あれはマジモードのディモンだと認識したと同時に、俺の姿を認めて動揺の色を見せて、その身体が後ずさった。
けれど、それよりも、俺の視線はその先にいる浅黒い身体に吸い寄せられていた。
クマと名付けたのに見合う体格を持っているはず身体が力無く項垂れ、広げられた足の間やつま先から、ぽたりぽたりとランダムに滴が落ちている。
水たまりができるほどの液だまりは、複数の粘性を持っていて、さらには四方に飛沫も散っていた。
いや、それよりも、その身体のあちらこちらから滴り落ちる赤い液体は、どんなに取り繕っても血でしかないことに、俺の頭の中が白くなっていく。
それが誰のものかすぐに判った。判るほどに、その中心にはクマしかいない。
判ったけれど、なぜ、あれがあんな状況でそこにいるのか、判らない。
「ディ……モン、何を?」
「……早かったな……」
先の動揺を押し隠したかのように、低く平坦な声音で、ディモンが返してきた。強張ったままに、俺を見つめている。
「もう夕方だ、いくら俺が疲れていたとしても、寝過ぎ……?」
吐き捨てるように返す俺の脳裏に、嫌な考えが過ぎった。
そうだ、いくら何でも夕方まで眠り続けるなんて、この俺としてはあり得ない。あの夢を見たときは寝過ぎることはあるが、それでも12時間は俺としては寝過ぎだ。
まさか、と疑惑の視線を向ければ、僅かに視線を逸らされる。
「てめ、まさか薬を……」
「……寝られないと言ってたからな、安眠剤を少々……」
諦めたように呟く言葉に目を剥いた。
「少々?」
「まあ、規定量しか飲ませてない」
「……」
そういう問題ではない。勝手に飲ませたほうが問題だと、こいつがそんなことまでするとは思わずにいた俺には当惑しかない。
「で、俺を眠らせて、その間に何をした?」
「別に、いつものように代わりに世話をしてたんたが」
「世話ぁ? クマを……滅多打ちするのがか?」
ディモンの手から垂れる鞭は、濡れて色が変色していた。その何かで濡れた身体は、かなりの回数を打たれた痕が残っている。
「……罰だ」
「罰?」
「不服従の罰」
とたんに、頭の中で昨夜の記憶が甦る。
執拗に罰を与えろと言っていたディモンを、俺は拒絶した。
まだその時でないと、言った記憶はしっかりと残っている。
「先にやることがある、と俺は言ったな。確かに罰が必要なことをしたが、今いくら罰を与えても、本能に刷り込まれたことを消さなければ元の木阿弥で、いたずらにクマを傷つけるだけだ。客に出すまえに、ここまで痛めつけてどうするっていうかんだっ」
俺がいるのに、俺が入ってきたのに、クマはぴくりとも反応しない。
身体を固定するハーネスから伸びた綱で吊された身体は、少しでも動けば揺れてクルクルと回るはずなのに、血の気が失せた身体は何の力も入っていなかった。
死んでいないと、この距離で判ったのは、微かに胸が動いているからだ。けれど、それも弱い。
「それでもっ。……それでも、この館で調教中のアニマルが、調教師に逆らうことは許されない、当然の罰だろうが」
「だが、この俺がっ。クマのメイン調教師であるこの俺が、今はその時ではないと決めた。それを補佐のおまえがどうこうする権利はないっ」
俺がきっぱりと言い返せば、ディモンがきつく顔を顰めて、俺を睨み返してきた。
「そんなにもこのクマが良いのか? どうせ余興で壊されるしか能の無いこのクマをっ、そんな懇切丁寧に調教する必要なんかないだろうがっ」
「壊すつもりなんかねぇっ!!」
まだそんなことをいうディモンに、俺も込み上げる怒りとともに返す。
「言ったろうが。こいつの弟第一の考えさえ消し去れば、素直で忍耐力もある良いアニマルになる。俺のものにしたいほどに、こいつは良い素材なんだっ」
きっぱりと言い切ったとたんに、ディモンの顔から血の気が失せた。と思ったとたんに、一気に歪んだ顔が赤く染まった。
「そんなにもこいつが良いのかっ? 突っ込まれば何でも良いメスグマだぜぇ、こいつは。こんなでかい代物で、尻を犯されるだけで浅ましくひいひい喘ぐやつを」
「っ……」
ディモンが尻にかかるベルトをぐいっと引っ張れば、気を失ってるにもかかわらずクマの身体が揺れた。
同時に、少し隙間が空いたそこから、ずるりと太い張り型の底が覗く。
その巨大な姿に、まさか、と小さく呟く。
知らず視線が棚へと向かい、そして、床にしたたる潤滑剤へと向かう。
転がる淫具はそのいずれもが潤滑剤だけじゃない粘液にまみれ、独特の芳香を放っている。その匂いに気が付いたとたん、ぞわりと全身の肌が総毛立った。
「ま、さか……薬を……」
クマが嫌っていた、処女をも淫乱に変えるメス用の媚薬。常習性のあるそれを何度も使われれば、最終的には男無しではいられないほどの色狂いになる。解毒剤がないこともないが、それも完全ではない。
昔からあるさまざまな薬の中でも、特に効果の高いメス奴隷用の薬だ。
「ふ、ん……当然だろう? 俺たちが作るのは、淫乱で従順で、男の欲望を満たすためのアニマルだ。ここは、アニマルで癒やしを与える館なんだから、薬だって使う」
「だからと言って、お、れは……そんなこと許可していない」
当たり前のことを当たり前のとおりに言う。
それは、別に言葉にしなくても、ディオン自身よく判っているはずだった。
調教の段階で、わりとなんでも任せてはいるが、それでも俺がしろと言ったこと以外は、する必要が無く、しなくて良いことだと、いつもディモンは理解していてくれたから。
それなのに。
込み上げてきた怒りに顔を顰め、その怒りのままに言葉をぶつけたいとぎっと睨み付ける。
だが。
「おい、何呆けてやがるっ、さっさと挨拶しねえかっ」
俺から視線を逸らしたディモンが、クマへと手を伸ばした。
「ひぎっ、んっ!!」
俺の目の前で、ディモンがその太い腕で一気に鞭を振り払ったのだ。
意識の無いままに叫んだクマのまなじりから滴が弾け飛び、ぐるりと回った身体が、俺の真正面になって。
その陰茎が毒々しいほどの色合いで腫れ上がっているのが目が入ると同時に、耳に掠れた声音が届いた。
「……い、んら……クマ……、お、かし……、て、チンポぉ、ほし……欲しい、ああ、お、奥ま……ぇ」
ぼそぼそと呟きながら、その瞳が開いていく。
茫洋としたそれの視線が俺のとは決して合わず、口の端から涎を垂らしながら、腰が浅ましく揺れ出す。
「あ、は、は……ク、マの、あな、ぁ……ぶ、とい……、ざー、……好き、好きぃっ、ひゃ、いっぱぁぃっ」
一つ言葉が出るごとに、前後に動く腰が激しくなり、吊られた身体がひどく揺れる。
そのたびに、粘液が穴という穴から溢れ、傷口から溢れた血の滴がクマを中心にいくつも散っていく。
ディモンが持ってる鞭は俺のと同じ革でできている。だけれど、今その革の色が代わりほどに濡れて、どす黒く変色していた。
それほどまでに打たれているクマの身体は、傷がないところを探すのが無理なほどで、頬から足の裏、甲まで全てに及んでいた。
しかも、内股にもくっきりと残る痕のみならず、何カ所かは、肉すら見えている。
「もうすっかり堕ちてるぜ、こいつ。さっきからオスが欲しいってうるせえんだ。静かにしろって何度言っても聞きやしない」
クマの腹に向かい、ペッと唾を吐いて、毒づくディモンの目は暗い。
だが、そんなことよりも。
「こんなんじゃあ、賭は負けだなあ……、なあ、ゲイ──っ!!」
薄ら笑いを浮かべて、なおも鞭を振り上げようとしたその瞬間、その動きが目に入ったとたん、身体が勝手に動いていた。
弾け飛んだディモンの身体が棚にぶち当たり、甲高い音を立てて、備品をばらまく。
「て、て、めぇ──っ、お、れのもんに、何しやがったぁっ!!」
思い切り殴った拳がじんじんと痛む。
それよりも、勝手にクマが傷つけられたことに、使うつもりでない薬を使われたことに、激しい怒りが湧いていた。
「こいつの調教は俺が担当しているっ、てめぇなんか出番はねぇっ!!」
こんなにも傷つける予定など無く、何よりも、この手の薬は使う予定はなく。
さらに殴ろうして足を進めたそのつま先が、ディモンの手から飛んだ鞭を蹴飛ばす。邪魔なそれを拾い上げ、俺のより少し重いその感触に、奥歯をぎりりと噛みしめて。
「人様のもんを打つのに、加減ってもんを知らねえのか、てめぇはっ!!」
脳しんとうでも起こしたのか、朦朧とした様子で首を振っているディモンが、ハッと気が付いたときにはもう遅かった。
「うっ!!」
俺の手に握られた鞭が、うなりを上げてディモンを襲っていた。
服を着ているからダメージは弱まる。だが、それ以上の力を、俺は込めていた。
「あれは、俺のだって、あれだけ言ったろうがっ!!」
「うっ、ぐっ、げ、ゲイルっ、待っ、待ってくっううっっ!」
波打つ鞭先が、ディモンの頬を抉る。薄い皮膚が裂け、血しぶきが飛んだ。
返り血は俺の頬にも飛び、けれど、荒ぶる衝動はさらに俺を追い立てる。
渾身の力を込めた打撃は顔を庇おうとした腕を襲い、跳ね上げさせ、鈍い音が遠く響いた。その上がった腕の下、空いた腹に這い寄るそれは、牙を剥いたアナコンダのごとく勢いで襲いかかる。
それを反射的にディモンが足で防ぎやがって、苛立ちのまま目一杯の力を込めて、振り下ろす柄に根限り体重と勢いを乗せた。
「ぐっ、んぐぅぅぅっ!!」
ボキっと明らかに響いた音とともに、ディモンの身体が転がるように前へと躍り出た。
目の前で無様にのたうち回る姿に、憐憫が湧くどころか、怒りがさらに燃え上がる。
叩きやすい位置だと、その広い背に狙いを定め、間髪を容れず右へ左へと鞭打った。
「うぐっ、ゲ、ゲイル……ぅぅっ」
柔なアニマルならば早々に気を失うであろうが、ガタイがでかく丈夫なディモンはこの程度では効きやしない。
もっと、もっと激しく打たないと……と、逃れようと這い出すディモンの背を追いかけて、なぎ払うように腕を動かそうとした、その時。
「ゲ、イルさ、ま……、ゲイルぅ……さまぁぁ……」
俺を呼ぶ淫蕩な声音に、意識を逸らされた。
思わず声の主を探した俺の視線と、蕩けたクマの視線がかちあう。
吊されたまま、だらりと身体は弛緩させているのに、その瞳が何よりも雄弁にオスを欲していた。
縋るように、求めるように。
とたんにぞくりと肌が粟立ち、得も言われぬ衝動が下腹を襲う。
俺と目があったことを喜び、淫らに舌なめずりをしながら、笑っていた。
「ほ、し……くだ、ぃ……。あぁ……、淫乱、な……クマ、に……ゲイル、さまのチンポ……ザーメン、大好きぃ……、ああっ……」
淫靡に腰をくねらせて、色を失った傷だらけの身体で、俺を誘う。
その……記憶とは違うあまりの姿に、俺は硬直して。
頭の中でグルグルといろんな思考が回り続けて数回転、それがぴたりと止まったと同時に。
「……ちっ……くしょーっ!!」
床に向かって鞭を叩き付けながら、込み上げる衝動のままに叫んでいた。
クマの全身は鞭による裂傷が多く、それ以上の内出血を起こしていた。皮膚は元の色をなくすほどに変色し、小さな骨にはヒビが入っていた。
一体何発叩かれたのか、外傷性のショック状態を起こさなかったのは奇跡だと思うほどに、その肌は傷がないところを探すことが難しい。
それでなくても力のあるディモンに打たれ続けたのだ。体幹部の骨が無事だったのは、僥倖というしかなかった。だが、勢いのある鞭の衝撃で乳首はピアス穴から裂けていたし、陰茎は腫れ上がり排尿すら満足にできないことになっていた。
さらに無理に太い張り型を挿入されたアナルも裂傷があり、長く吊られた身体は麻痺し始めていたところもあった。
それでも、この館の医療班の腕は優れていて、時間はかかるが後遺症もなく治るだろうということだった。
媚薬も麻薬成分は抜けるのには時間がかかるし、その間の苦痛はあるが、それでも常習化も避けられるらしい。
それもこれも、クマの体格と体力があったからだということらしいから、もしあれがバニー程度の体格だったら、内臓までダメージを喰らい、今頃は廃棄処分になっていたか、それこそ余興で壊される素材となっていたかだろう。
「壊すつもりはなかった」
と、同じく医療室に運ばれたディモンが言っていたらしいが、あの様子では俺が遅れたらどうなっていたか、判らない。
調教師仲間を傷つけたと危うく俺のほうが取り押さえられそうになったが、勝手にアニマルを傷物にされたという俺の言葉を聞き入れられて、あれは今罰金と謹慎処分だ。もっともどうせ左足も腕も骨折したらしいから、ベッドの上から起き上がることもできないが。
俺も怒りにまかせて加減無く振る舞ったことは否定しないが、それでも、後悔はしていない。
ただ、落ち着いてみればあれがそこまでクマに対してやったことに違和感が残った。
基本、ディモンは俺に忠実で、補佐としても役に立っていたからこそ、今回のクマの調教も手伝ってもらっていた。少なくとも、今までは二人でうまくやっていたのだ。
なのに。
確かに後半は、どこか意見の相違があったこともあるが、それでも原因がはっきりしない。
しようがないので、監視カメラの映像を取り寄せて、俺はあの日のディモンの行動を確認することにした。
カメラが残したクマとディモンの最初の接触は昼過ぎあたり。ディモン自身の担当アニマルたちの調教や世話が一段落ついた痕の時間帯だろう。
それまで小屋にいたクマを、ディモンが叩き起こして、あの部屋に連れて行っていたと見て、俺が目覚めてクマを見つけたのが17時過ぎだから、実に4時間近く経っていたことになる。
俺は自室のテレビに繋いだ少し暗い画面の中で、ディモンがクマを部屋の中に突き飛ばすところから、見始めた。
『今日はゲイルは休みだからな、俺がおまえを躾けてやる』
そんな言葉で始まったそれに、クマがいつものように土下座して深々と頭を下げていた。
「俺が休みだなんていつ言った……」
その時点ですでに挙動が変だと毒づきながら、けれど、クマの言葉が聞き取りづらく、リモコンで音声を大きくしたところで。
『声が小せえよっ!!』
耳をつんざく大声に、反射的に小さくしてしまう。
『そうやって媚態さらして媚び打ったって、俺には効かねえよ』
いきなり怒鳴られたクマの顔色は悪い。何より、ドスの効かせ方がいつもの何割か増しのそれに、リモコンの音声ボタンに伸ばしていた俺の手もそこで止まった。
「何、機嫌悪いんだ、あいつは」
画面越しでも判るぴりぴりと神経が張り詰めているのが伝わってきて、俺はそろそろとリモコンから手を離して、いつもと違うデイモンを見つめる。
そんなディモンを前にしたクマが必死の様子で大きな声を出していた。
謝罪と感謝。
いつものそれに、けれど、ディモンは容赦しない。
『尻穴を広げろ、そのエロいバカ穴をな、で、俺をその気にさせてみろ』
見ている限りでは、普通の調教風景だ。
ただ。
『何してるっ!』
『ぎゃっんっ!!』
鋭い音が走ると同時に、クマが悲鳴を上げて跳ねた。その背に残る古い傷跡に、新しい痕が追加される。
『そんなんで客がおまえなんかを使おうって気になるかぁっ? てめぇのど淫乱ぶりを、尻振って、色狂いの顔を晒してもっとアピールするんだよっ』
バシーンッ!
『ひっ、は、いっ! も、しわけ、ありませっ、やっ! あっ』
立て続けに鞭を振るうディモンは、今は後姿だ。その奥にいるクマは、縮こまりながらも尻を上げて、自ら尻タブを割り開き、腫れたアナルを晒していた。
『い、い、淫乱なクマの、メス穴に、たくましいおチンポさまを……くださいませ』
教え込んだとおりの言葉を、つっかえながらも言い切ったクマは、俺としてもそれで良いと思う程度にはできている。
だが、そう思った俺とは違い、画面の中のディモンは、『生温い』とその尻を蹴飛ばした。
『あうっ』
無様に転がったクマの尻に、ドスンとあれの大きな足が乗ってしまえば、もう動けない。
クマは怯えた視線を肩越しに寄こして、許しを請うように何度も口を動かしていた。
けれど、ディモンはそんな動けないクマに、その手を振り上げて。
『今日は俺流だからな。命令に従えないやつには、こうだっ』
ひゅんと鋭い音が響く。
『痛ぁっ! ひぐっ、うぁぁっ!』
肌を打つ音に、悲鳴が被さる。
立て続けに三発、乾いた音が鳴り響き、悲鳴もうるさいほどに響き渡った。
うつぶせで押さえつけられたクマに逃げ場はない。無防備な背中や腕に、くっきりと赤い筋が走り、汗の浮いた肌に沿って血がにじみ出してた。
『何、処女っぽい開き方してんだぁ、こら。そんなんじゃあ、ゲイルの巨根すら入らねえよぉ、さんざんっぱら嫌らしく強請って、あれをたっぷりもらった売女のくせして……。ほら、もっと広げろっ、牡馬のバカデカチンポが入るくらいに広げるんだよっ、このくらいになあ』
取り出したのは、この館でも随一の太さの誇る一応ディルドではあるものだ。
それを見たクマが、ひいいっと喉の奥で悲鳴を上げていた。
『ほら、入れてやろうかあ、おまえのバカ穴だったら、ずっぽり一気にいきそうだな』
「う、そだろ……無理に決まってる……」
思わず呟く俺も、あれをいきなり見せられたら恐怖に引きつるだろう。
牡馬の巨根どころか、トーテムポールだ、あれは。太い丸太並みのそれは、はっきりいつて残酷ショー用の道具で、調教道具でない。
それをちらつかせながら、後ろ姿のディモンが笑っている気配がした。
『これを挿れても悦ぶ穴にしてやるぜ』
とたんに、ガクガクと壊れたブリキ人形のように首を横に振るクマだったが、それは間違いだと堪らずに呟く。
『俺に逆らうのか、クマの分際でっ』
バシッ、バシーンッ
続け様に響く弾けた音に、クマの身体が跳ねる。尻を押さえられていなかったら、堪らずに逃げ出しただろう鞭の猛攻に、けれどクマは逃れられない。カメラの中でぶれた鞭が何度も横切っていた。
そのたびに、クマの悲鳴が迸り、ディモンの罵声が鼓膜に響く。
『ほらっ、詫びるつもりがあるなら、その証拠に鞭打たれて絶頂しろっ、痛いと喚きながら、射精するんだよっ、そうしたら許してやるっ!』
『はぎぃ、あぃ、ああっ、そ、そんなぁっ! やあっ、許して──っ、ああっ、痛っ、いぃぃっ!』
『チンポ扱けっ、ほらっ!』
『あうっ、ぐうっ』
ディモンが下ろした足でそのままクマの脇腹を蹴飛ばした。唾液を吐きながら転がったクマのペニスは、けれど萎えたままだ。
とたん、画面に鋭い残像が横切った。
『ぎやあっ!!』
どこを打ったかは見えなかった。
けれど、くっきりと鮮やかに浮かび上がった痕は、内股から下腹部へその痕を残していて、俺はその軌跡を辿ることができた。
『淫乱が……。この程度では効かないか?』
その声音に滲む不機嫌さと伝わる恐怖に、俺は息を飲んだ。
「逃げろ……逃げろ、クマっ」
堪らず叫んだのは、ディモンの剣呑さが画面越しでも伝わってきたからだ。
壊れる……、このままでは壊れる。
すでに過去の映像で、もうどうしようもないというのに、俺の喉はひりついて、うわずった声しかでない。
『なら、効くまで喰らえ』
振り上げられた腕。しっかりと握られた鞭の柄。へびのごとく垂れた鞭が、軽やかにしなる。
風を切る音は一瞬で、何よりも大きく悲鳴がビリビリと空間を裂いた。
『あ゛──っ!!』
クマの見開かれた瞳から涙が流れ落ちていた。
硬直した身体は、戯れのように肌を嬲る鞭から逃れられない。びくりびくりと震え、指の先まで震えている。
振り下ろした拍子に前屈みになったディモンのせいで、打たれた場所がよく見えない。けれど、想像したとおりに場所であれば、それは急所にも近い。
『なんだあ、まだ達けねえのか……ったくしょうがねえな』
呆れた風で、ディモンがクマから足をのけた。
のしりのしりとたいぎそうに移動する中で、少し隠れていたクマの全身が映った。
「ひっ」
俺でも堪らず息を飲んだのは、見るも無惨に膨れあがった陰茎の姿を目の当たりにしたからだった。
処置室に運んだとき、あの血まみれで腫れ上がったペニスはこの段階で打たれたものだったのだ。
ヒクヒクと痙攣するクマは、半ば気を失っているように見えた。
そのクマに、棚から小瓶を持ってきたディモンが近づいて、傍らに跪く。
『痛いか、だったらこいつを使ってやろう』
問うてはいるが、クマの意識は薄い。言葉に反応できずに、ただハフハフと浅い息を繰り返す。
『返事はねえか……だったら、肯定ということだな』
俺たちがよく使う駆け引きで、反対や拒絶だったら言えというのがある。
相手が返事できない状況でよく使うが、それをこんなときに使うディモンに、ぎりりと奥歯で嫌な軋み音が鳴った。
あの薬は粘膜から特によく浸透する。
麻薬の成分も含んだあれは、メスのごとく注がれた穴を敏感にして蕩けさせ、痒みと熱を伴って、擦って欲しくて堪らなくする代物だった。
敏感さは、息を吹きかけられても反応するほどで、痒みはじっとしていられないほどにきつい。しかも、そんな極悪な媚薬なのに、一度注がれた効果が切れると、再び注いで欲しくなるという常習性もあるのだ。それも三回も続けて与えられれば、もうそれで堕ちてしまう。
それをディモンは、まずは腫れて塞がってしまった尿道へと付属の先の細長いスポイトを使って注いだ。と言っても塞がっているから大半は溢れて零れる。鈴口から亀頭部へ、艶めかしく濡れたペニスに、悪魔な薬が絡みついた。
それをそのままにして、両足を乱暴に広げさせるとアナルへもそのスポイトを差し込んで。
「ばっ、入れすぎだっ」
堪らず立ち上がって叫ぶほどの量が注がれる。さらに、注いだ分が零れないようにと、ずぷりとNo.12より大きな張り型がアナルに埋め込まれた。あのとき、クマの中にあった張り型はこのとき入れられたのだ。
たらりと俺の背に汗が流れる。
がくりと崩れ落ちるようにソファへと腰を下ろした俺の視界の中で、ディモンが乳首にもその滴を落とした。
あっという間に小瓶の中身が半分を切って、注がれた分量の多さに、身震いする。
調教師だからこそ、あれの効果がどんなものかよく知っている。
ときには男を知らぬ幼い娘が泣き叫んで、目の前のペニスに涎を垂らして求めてしまうほどのものだ。
見つけ出したときに、薬で堕ちた様子そのままだったクマを思い出して、握りしめた拳が白く震えた。
医療班は、薬は抜けると言っていた。常習性は消えると。
だが、あの量からして、薬を抜くには途方もない手間がかかるだろう。あれはアニマルでしか過ぎないから、完全に抜く必要はないと判断されてしまえば、もうあれは媚薬から逃れられない。
それがもたらす痒みと媚態に囚われながら、堕ちていくだけなのだ。
いずれ使う必要があったしても、それでもあの量はなかった。
「あのクソ野郎……」
唸りながらも、そのままハーネスを取り付けたりしてるようなチマチマしたシーンを早送りで飛ばした。じっくり見ていると、俺の神経がすり減りそうだったからだ。
それにしても、なんでディモンがクマをこんな目に遭わせるのかが判らない。
ただ判るのは、とにかくディモンの機嫌が悪く、クマのする一挙手一投足全てに苛立ってるということだ。
それがどうにも不可解で、俺としては唸るしかない。調査の際にも聞かれたが、答えようがなかったのだ。
ディモンは決して気が長い方ではないが、だからと言って短気でもない。アニマルを道具として扱うが、それでも気に入ったアニマルには多少は手心を加えて、飴と鞭の使い分けもうまい。あのヒョウたちもあの程度の罰で済んでいるのは、つまるところひいきをしているからだ。
まして、俺のものであるクマを、あそこまでいたぶる必要性はディモンにはなく、許可無く調教することも許される物では無い。
今までのディモンだから、あれをよく知っているから、だから担当のアニマルを自由にしてもらっていたが、こんな姿を知っていたら、絶対に任せはしなかっただろう。
早送りのノイズ混じりの画像の中で、クマが天井から吊されたところで、再生ボタンを押した。
ぎりりと滑車が嫌な音を立てて、胴体部を拘束するハーネスに付けられた綱によってクマの身体が天井へと上がっていく。
両手首で吊れば叩く範囲は広いが、それだと腕が使い物にならなくなる前に止めなければならないから、つるせる時間は短い。だが、身体を支えるようなあのハーネスを使えば、体重が一点にかかるわけでないので、つるす時間は長く取れる。それはすなわち、長くいたぶれるということだ。
俺が発見したときと同様の形で吊られた時刻は15時ちょい前。
つまりは二時間近く吊られたということで。
『うっ、くっ……か、かゆ……あうっ』
意識を取り戻したクマはゆっくりと吊られたせいで薬が回ってきたのだろう。その腰をくねらせて、堪らないとばかりに身体が揺れる。
その両足首に別の滑車からの鎖を取り付けて、左右に広げるように上げれば、股間を大きく広げた状態となった。その股間でいつもより一回りは大きくなったペニスが、勃起していた。鬱血したそれは、通常の勃起ではない。
ないけれど、虐めるには格好の代物だと俺が思うくらいだから、ディモンとて容赦はしなかった。
『おいおい、吊られただけで勃起してんのか。涎垂らしまくりのチンポおっ立ててんの、写真に撮ってやるよ。淫乱グマのチンポ虐めてくださいってキャプション付で広間に張り出してやる』
それに反応するより先に、クマが両足を閉じようとしているが、それを鎖が許さない。
そんな仕草をめざとく見つけたディモンが、ニヤリと笑った。
『達って良いって言ったときにイかなかったからな、今度は禁止だ、もし達ったら……このだらしねえチンポが千切れるほどに鞭打ってやろうか?』
先までの乱暴な扱いとは真逆なそっと触れて、軽く上下に扱く。
『や、あっ、そ、んなぁ……ひっい、……痛っ、イっ、あうっ』
痛いと言いながらも、その勃起は明らかに形を変えていく。
腫れ上がり、張り詰めた肉が、さらに大きくなっていき、喘ぐ鈴口が粘液を垂らした
『てめぇは淫乱だから、ドライでもイクが、それも禁止だ』
ディモンがクマのペニスを弄りながら、その耳朶を食むように囁く。小さな声はかろうじてでしか入っていなかったが、それでもその口の動きで読みとれた。
『ひっ、うっ……あ、お、おゆる……しを……、でぃ、モン……さまあ……あうっ、痒っ、あんっ、そこっ……ああっ』
クマの引きつった声が途切れ途切れに響いていた。
陰茎から腰を回った手が尻たぶを揉みしだき、張り型が入ったままの痒みに悶える場所を刺激している。
なんだかんだ言って敏感に育った穴は、そんな刺激でも堪らなく感じるだろう。まして、薬のせいで外からの刺激であっても何倍もの効果がある。
ハフハフと喘ぎ、淫らに腰を振りたくって、快感を貪っている。
そんなクマの頭には、ディモンが発した言葉がどれだけ残っているのか。
あの媚薬は、理性など早々に吹き飛ばす。常習性もあって、感度も上げて、塗られた場所がひどく刺激を欲するようになって。
『ん、あっ、あっ』
そんな場所で直接的な刺激を受ければ。
『あっ……入って……あっ』
舌をだらりと出して天井に向かって白目を剥いたクマが、びくびくっと痙攣したのは、ディモンの手が深く狭間に食い込んだときだ。
あれの動きを良く知っているからこそ、ディモンが指を入れたことが判った。すでにディルドでぎちぎちの穴を広げられて、けれどあれは確かに達っていた。
ピンと伸びた四肢が小刻みに痙攣し、勃起がたらりと新たな粘液を垂らす。
腫れて尿道が狭まっていなければ、確実に射精しただろうクマは、それでディモンに新たな口実を与えしまったのだ。
『達くなと言ったのにな。俺が駄目だと言ったのに、しかも許しを請うことなく達きやがった……。鞭もらうのがよっぽどうれしいと見えるなあ、ほら、ねだれよ、鞭打ってって。鞭で達かせてくださいってな』
嘲笑混じりのそんな言葉に、けれどクマは聞こえていないようで、刺激を探し求めて、その尻を必死で振りたくっていた。
そこにはもう、弟を守るためとは言え、必死に理性を保とうとしていたクマの姿はない。
そんな姿に見入っていたら、ぴりっと鋭い痛みが唇にして。鉄臭い味が口内に広がった。
あれは、クマじゃない。
そう思いたいほどに淫靡に蕩けた顔。呆けた顔は、色狂いの狂女のごとく淫猥で、浅ましい。
『欲しいか? もっと抉って欲しいか?』
『あぁ……欲しい……ですぅ……、もっと、奥ぅ……、欲しいぃぃっ』
誘いかけるディモンの罠に、クマがかかるのは目に見えていた。
俺が薬を使いたくないのは、このせいだ。
確かに精神を折るには薬は早い。特に麻薬系の薬は、嵌まってしまえばそれを欲するために何でもするようになる。
『だったら、これを味わえ』
「や、めろ……」
ディモンの思惑が手に取るように判る。けれど、どんなにここで制止しても、画面の中は単なる過去の記録でしかなくて、俺には止めることもできない。
それがどんな結果をもたらすか判っていても。
カチリ。
それは悪魔の音だった。
ビクンと吊られた身体が大きく震える。
開いた口の端から、溢れた涎が喉を辿り、胸を飾るタグを汚して、落ちた。
『あ、うぁぅぁぅっ』
ここまで聞こえる鈍い振動音。
大きく小さく、脈打つ音に合わせて、クマが踊っている。
カクカクと揺れる腰から突き出たペニスの先が、ぴくぴくと何度も喘いでいた。
大きな張り型が、マックスで動いているのだ。縦に横に、そして回転しながら上下する。尻穴を効率的に犯すことに特化した館謹製のディルドは、その効果も絶大だ。
まして、尻穴調教が済んだアニマルにとって、それで達かずにおられるなんてことはあり得ない。
『また達ったのか?』
クツクツと明らかな嘲笑に、数える音が混じる。
一回、二回。
クマが大きく震えるたびに、硬直するたびに増える数は、あっという間に十を超えた。
その光景に、それがもたらす先を想像してしまい、俺の顔が苦痛に歪んだ。
不服従の罰は鞭。
俺とディモンの罰は、いつも同じだ。
一体いつまで続けるのか、ペニスは何度も激しく震え、陰嚢がきゅっと上下する。そのたびに狭まった尿道感に阻まれて、射精できずに逆流する痛みに、悶えている。けれど、それ以上の回数でドライを迎えているのだ。
一度の絶頂でも身体的にはきつい。
それを何回も続けていれば、クマの体力だって尽きていく。ハフハフと喘ぎながらも、それでもビクンと身体が震えて、それを何回も繰り返していた。
俺は慌てて早送りをして、一体それをいつまで続けたのか確認してみれば。
『二十八……二十九、三十回……。は……ったく。まだ達くのかあ』
たぶん実際に達ったよりは多く数えられたそれ。小さな連続した痙攣を分けて数えるという、嫌なその数え方は俺たちの常套手段だったけれど。
『もうすっかりメスイキしかしねえしなあ、ド淫乱にもほどがあるぜ、立て続けに達まくりやがって、三十とはなあ』
あり得ない数字を呟くディモンの姿を目にして、手の中からかたりとリモコンが落ちた。
この後、聞かなくてもディモンが言う言葉が判ってしまう。
俺が惰眠を貪っていた間に、クマに与えられたこれはもう調教ではない。
『不服従の罰は、さっき一回につき三回打ったな。だから、三十かける三で、九十回か。ははっ、百叩き並みだな』
並みではなく、それこそ百叩きそのもの。
それはもう調教ではなく、拷問だ。
『ついでだ……』
けれど、そこでディモンはふと思い出したかのように棚へと移動して、別の薬瓶を数本取り出してきた。
その手にしたものをまじまじと見つめて、俺の喉がひくついた。
それが何か知らない調教師がいたら、それはここでは偽物だ。
『ディ……っ』
叫びかけて飲み込んだのは、俺の制止が聞こえるはずもないからだ。
わなわなと震える拳を抱き込んで、呆然と画面を見入る。
くいっと上に向けられたクマのだらしなく開いた口の中に薬液が注がれる。
水音を立てて流れ込むそれを反射的に飲み込んでいるのが、喉の動きで判った。
ごくりごくりと何度も繰り替えれるそれは、薬液三本分。さらにもう一本が頭から浴びせられて、虚ろに開いたクマの目にも入り、口の中にも入っていく。そのままほとんどが身体を伝い、床へと落ちていく。
それを見て、記憶の中の医師が、少し言いよどんだ理由が判ってしまった。
それに首を傾げて聞き直す前に、調査隊がやってきて取り調べを受けたものだから、その理由を直接聞くことはなかったが。
けれど、今不意に、その医師の様子を思い出して、ぶるっと身体が震えた。
医師が躊躇ったのは、これを言いたかったに違いない。
「なんてやつだ……、あれを使うなんて……。くそっ、あの野郎……再起不能まで打ってやれば良かったっ」
クマの容態が気になって、医療班を呼ぶことにしたことは悔やんでいない。だがそのせいで、ディモンへの怒りを解消しきれなかったことが腹が立った。
今、ディモンが使った薬は、まさにマゾ奴隷作成薬なのだ。
体内から吸収した分だけ効果があるそれは、神経回路を狂わせて、痛みを快感に変えてしまうという代物だ。
ナノ物質がどうのこうのと言っていたが、実際どんな効果のせいでそうなるかは知らない。
だが、薬が効いたアニマルは、確実に痛みを快楽と感じるようになっていた。
そんな効果のあるそれは、ちなみに効かないこともあって、一度使って効かなかったものには、二度使用しても無駄だ。ただ、一本目で効いた場合は、一週間ごとに二本目、三本目を飲ます。そうすれば、その効果がしっかりと固定化されて、簡単に淫乱マゾ奴隷ができあがる。だが、今ディモンはその三倍の薬液を一度にクマの身体に注いだのだ。
なぜ使用量が決まっているか、それは一度に注いだ分だけ痛覚が快感に変換されてしまうから、に、他ならない。
三本も飲めば、歩く足の裏の刺激でも、蚊に刺された刺激でも、衣服の繊維の刺激にも、口の中に入る食べ物の感触ですら快感になってしまうとしたら、それはもう日常生活すらまともに送れない。
たとえ麻薬が抜けたとしても、もうあれの身体は壊れているのと一緒だ。
あの薬が効果を現すのは数日はかかるから、通常は調教中に使うことはない。寝る前に処方し、次の日には淫乱な身体のできあがりというときに使うことが多い。
それをこんなときに使ったディモンの意図など判らないが、それでも嫌がらせにしてもあまりにも悪質だとほぞを噛んだ。
ギリギリと奥歯が軋む嫌な音が頭蓋骨まで響く。
こっちが悔しくて呻いているのに、何も知らずに浅ましく腰を振るクマにすら、殺意が湧いた。何より、やはりディモンをどうしてやろうと、今すぐにでも病室で同じ目に遭わせたくて堪らない。
だが本当に止めたいのは、今、画面の中にいるディモンだ。
涼しい顔をして瓶類を片付けて、クマに近づいたディモンが、憎らしくて、今すぐにでもぶっ叩いてやりたいと、愛用の鞭を取り上げようとしたところで。
『それは、ゲイルをたぶらかした罰だ』
そんな声がスピーカーを通して聞こえてきて。
『てめぇがたぶらかしたせいで、ゲイルのやつが、てめぇなんかを自分の物だと言いやがった』
それはひどく憎々しげで、苛立たしさを内包した声音だった。
そのディモンの怒りに、荒れ狂っていたものが少し治まる。いや、治まるというか、虚を突かれたというのが正しいかもしれない。
変わらず鞭を掴む拳は白くなるほど力が入っている。今すぐにでもディスプレイごとディモンを叩き折りたい気分ではある。
だが。
『あいつは、すげえやつなんだ。ここの調教師ランキングでも常に上位にいて、どんな素材でも従順なアニマルにして客の満足度も高いって評判なんだ。今回だって、その優秀さを見込んで、マスターにてめぇの調教を依頼されたっていうのに……』
聞き慣れた賞賛であったが、それを客観的に見せられて、ディモンのどこかうっとりとした表情に、視線を囚われた。
いつも冗談のように言うそれが、まるで大好きな相手でも見ているかのように恍惚としていることに、気が付いてしまったのだ。
あいつは、いつも俺をあんなふうに見ていたのか?
ぞくりと震えたのは、疼きなのか悪寒なのか判別ができない。ただ、嫌だと思うより、驚きのほうが強かったのは確かだ。
『あいつは文字通り鞭をうまく使うし、大型系は乱暴なやつも多いが、薬も使わずに手懐けてしまう。二週間って短い期間であっても、きちんとアニマルにしてみせるってのが見込まれての依頼だったんだ。なのに……』
ぎりっと音がしたような気がした。
俺の奥歯の音ではない。画面の中のディモンの表情が、怒りに変わっていた。
俺を賛美するときとは違う、明らかな変化とともに、口調までもが変わる。
『だが、てめぇが弟に固執するせいで、ゲイルは調教をやり直すと言った。だったら、薬を使えと言ったのに、もっと仕置きをしろと言ったのに、なのに、今は駄目だという。てめぇが壊れるから、薬を嫌がるからって、甘えたことを言って進めない。あれは、そんなやつじゃなかった。アニマルなんかに絆されるやつじゃなかったっ!!』
「ほだ、されてる……俺が……?」
思わず口にしてしまった言葉の違和感に、はははと乾いた笑いが零れた。
なんで俺がクマごときに絆されなきゃいけないんだ?
ただ、俺はクマが拘る弟至上主義をなんとかしたいだけだというのに。
それは調教師としては当然の考えであるはずだ。客を第一に考えるべきアニマルが、弟を優先するというのは。実際、弟を捨てろと言っても、捨てるどころか逆らって見せたのだから。
だから……。
もしかして、傍目から見たら甘いことやってるのか?
いつものようにしてるのに、そう見えてしまうのか?
いや、まあ、確かにあんな扱いを受け続けたうえに、まだ弟に縛られるような洗脳を受けたあれは、他よりは気になってしまうのは確かだけど。
『だから、俺がてめぇを調教してやる。淫乱堕ちして、オスのペニスしか考えられない淫乱メスグマに、文字通りしてやる。ゲイルは怒るかもしれねえが、知っちゃこっちゃねえ。俺は、あいつが今まで通りランキング上位に君臨してくれれば良いんだよ。こんなところで躓くやつじゃねえ、あれはもっと上に行く。上に行って、俺たちを睥睨して、ふんぞり返ってる命令してくれてれば良いんだ。格下の俺たちやアニマルなんぞ全部ひれ伏せさせてんのがお似合いなんだ』
俺が考えこんでいる間も流れ続けるディモンの──それはもう告白で敷かないそれも、俺を混乱させる。
ものすごい誤解というか、こんなにも考え違いをしていたとはさすがに気が付かなかった。
俺としては、ベッドに潜り込んで怠惰に過ごしているのが性に合っていて、だから細かいことを全部してもらうのは楽だから、ディモンを使っていたのだが……。
なんだか頭痛がしてきた気配に、額に手をやって考え込む。手の中から愛用の鞭は落ちていて、けれどそれを拾い上げる気力も消えていた。
『ゲイルはこの先マスターになるんだ。俺のな。俺はそういうゲイルが好きなんだ』
マスターは調教師を束ねる者の総称だ。
なのに、うっとりと宣うディモンの物言いには、何か別の意味が混ざっているような気がするのは気のせいか?
いや、「俺の」という単数形の単語に意味がないのであれば、それはそれで良いんだが。
マスターは調教師「たち」のトップではあるが、単独のマスターではないし。
ディモン……、もしかして、おまえがたまに言っていた俺のことが「好き」という単語の意味は、もしかしてそういう意味だったのか?
俺のワザが好きとかではなくて……。
そういう意味での「好き」なのか? マスターとはどういう意味なんだ?
モヤモヤとまとまりの付かない思考が渦を巻いていた。
『だから、余興にはてめぇを出す。勝ち負けなんざこの際どうでも良いんだよ。これは出来レースなんだから。せいぜいでかいディルドで拡張してもらって、すぐさま壊れねえようにしてもらえ。まあ……』
低い笑い声が重く響いた。
『この薬で変化した身体には、身体を裂かれる痛みでも絶頂が味わえるだろうけどな』
ディモンの手のひらが、ぬるぬると薬を塗り広げていた。
あんなことをしたら、ディモン自身もあの薬に冒されるというのに。
手のひらごときの小さい範囲なら影響は小さいかもしれないが、それでもここにある数多の薬の取り扱いに注意が必要なのは、誰よりも良く知っているはずなのに。
目が離せないままにディモンの動きを追っていた俺の目が、その手のひらが辿っている場所に気が付いてしまった。
赤い痕が長く伸びるそれは、俺が打った痕だ。
鞭で何度も打ったクマの身体は、いろいろな痕があるけれど、あのラインにあるのは俺が打ったのは間違いない。
その痕を、ディモンが辿る。どこか茫洋とした表情で、何度も何度も。
とたんに背筋にぞくっと何かが這い上がった。
ディモンが見ているのが、何なのか判ってしまったからだ。
恍惚とした表情に、愛おしそうに撫でる痕。
そうだ、あれはまるで、愛おしくて仕方が無いといった──その瞳に浮かぶのは、憧れと羨望。
あの手が動くたびに、自分の肌がなぞられているような気もするが、それ以上にディモンの股間の膨らみに、それが逆だと判ってしまう。
あれは、もしてかして……俺に、ああされたいのか?
その考えがわき起こり、信じられないのに、けれど否定することもできなくて、すうっと身体から力が抜けた。
ぱたりと身体を横に倒して、気付いてしまったディモンの想いを反すうする。
調教師なんて、特にこの館の連中はサドばかりだが、中には自分が調教されたいと思う輩だっている。サドとマゾは、ある意味表裏一体だ。
自分がこうされたいと望むことを、そのまま相手にするものもいるのだ。
『さあ、薬が馴染むにはまだ数日はかかる』
ぼうっとしている先で、ディモンがクマから離れた。
画面内の時刻は16時。俺が見つけるまで後、一時間。
『それまで、ディモンをたぶらかした罪、しっかりとその淫乱な身体で受け止めろ』
両手で鞭を引っ張って、手の間で張ったそれは、まだ色は変わっていない。
力を入れた分だけ盛り上がった腕の筋肉に、ディモンの思いが乗ってしまえば、その威力は倍増するだろう。現に、拳に絡めた鞭が、血流を遮断するほどに食い込んでいた。当然痛みもあるだろうに、けれど、ディモンは楽しそうで。
それなのに、睨み付けるディモンの瞳に浮かぶのは、憎悪のそれだ。
いや、あれは嫉妬だ。
感情の中でも質が悪い、荒ぶる感情の中でも簡単に鎮められない最たるものの一つだ。
九十発。
クマにとっての地獄の一時間は、これからで。
それは……鈍感な俺が招いたのだと、今更ながらに認識した。
先とは違い、クマの斜め後ろにディモンがいる。
監視カメラの映像は複数あるが、全てを見るには時間がかかると一番全景が映っていそうなのを選んだが、それでも角度によってはうまく見えないこともあったが。
よりによって、クマにとって地獄となる最後の一時間は、クマの影になるのはクマ自身の左後ろだけだ。それも、回転する綱によって、それすらも目の当たりにするはめになった。
振り被るディモンの腕が、軌跡を描いて下ろされる。
『い、ぎぁぁぁぁっ!!!』
背で跳ねた鞭先は、そのまま跳ね上がり、再びクマの背を襲う。ぐるりと回転する身体は、格好の的だ。
調教と言うより拷問のそれは、狙う必要もなく、ただひたすらに当てれば良いだけなのだから。
ぴくんと揺れた身体は硬直したまま、次の打撃を受けて、その衝撃にゆらゆらと揺れながら回転していた。
叫んだままに固まったクマは、次の悲鳴すらまともに出ず、情けなく涎と涙を零す。
続けて三度、振られた腕の回数で判ったそれに、俺はごくりと息を飲んだ。
『おい、淫乱グマ。鞭打たれたら、お礼を言うってのを最初に習ったろうが。もう薬でぶっ飛んでのか?』
『あひぃ……い、いや……、あっ……痛ぃ……嫌ぁ……』
けれど、確かに薬で飛んでいるクマは、うかつにもディモンに逆らってしまう。
忘れたというより、すでに思考回路から理性というものが飛んでしまっているのだ。
『はん……、ダラダラと締まりのねえてめぇのチンポからいくらでも溢れ出るなあ、これ……。もうすっかり塞がったのかと思ったが、まあだ隙間があったか?』
肩越しに覗き込んで揶揄する先には、どす黒く変色して膨れているクマのペニスがあった。
『まだ薬が馴染むには早すぎるっていうのに、打たれだけでザーメン零してんのか、てめぇは』
『あっ、やあーっ、そこぉぉ、あひぃっ、イイぃっ』
『ちょっと触っただけで、そんなに良いのか、俺の手が』
上下に扱くたびに、クマの声が甘く響く。
強く押した拍子にぶちゅっと押し出されるように精液が溢れ、ディモンがクツクツと嗤いながらクマの肌を伝う白い粘液を掬い上げた。
『おら、てめぇので汚れたじゃねえか、舐め取れ』
汚れた指を唇に押しつけるが、クマは口を開かなかった。
ひくりひくりと肩は揺れているが、ディモンの言葉など認識していないのだろう。端から見ても判る状況ではあったけれど、それはディモンの怒りを買っただけだった。
『ちっ、少しは言うことを聞くなら、容赦してやろうかと思ったが……』
言ってることが自己中きわまりないディモンは確信犯だ。
これが俺も加わっている調教風景なら、「ほれヤレ、もっとヤレ」とはやし立てているところではあるが、今はそれどころではない。
決して手が出せない状況で、俺はキリキリと痛む胃に手をやりながら、ぐっと奥歯を噛みしめていた。
振り上げられる鞭が、下ろされる。
次には横に払われ、返すままに下から上へと鋭い切っ先が肌を打つ。
『がぁぁっ、う、待っ、はぎいっ!!』
痛みが理性を呼び戻すのか、制止の言葉が混ざっている。その悲痛な叫びは、けれど、間髪を容れず襲いかかる鞭に、立ち消える。
蛇のごとく波打つそれが、腕に絡み、大腿部を泳ぐ。
腰を回ってきた鞭先が跳ねたと思うと、肩へと落とされる。
休む間もなく襲う鞭にクマは悲鳴すら途切れさせ、全身を硬直させたまま、ただ衝撃に揺すられていた。
残された痕は赤く、そしてどす黒く変色していき、淫らにクマの身体を彩っていった。
その斜め後ろで、ディモンもまた肩で息をしながら、鞭を振るっている。その額には汗が浮き、筋肉が盛り上がっている腕は、力を込めすぎているのか見える範囲が白い。
連続して打ち続ける分威力は弱めだが、蓄積された痛みはクマにとってはたいそうなものだろう。
十発以上連続して打ち続けられた身体は、もうそれだけで力を無くしている。
『やめ……、許し……やだ、ぁ……助け……てぇ』
切れ切れに聞こえるクマの懇願は、もうかなり弱い。
かろうじてしか聞こえないそれをどうしても聞き取りたくて、俺はボリュームを最大近くまでにあげていた。
その分、鞭が宙を切る音まではっきりと聞こえる。
まるで、目の前で現物を見て聞いていいるような錯覚から覚える生々しい音。
『許すぅ? なんで俺がてめぇを許さなきゃいけねぇんだ? ゲイルをたぶらかしたクマごときに、なぜっ!』
パァーンッ!! ガキィッ!!
「っ」
明らかに今までと違う音に、俺の身体まで跳ねた。
目の前が白く弾けるような感覚す味わうほどに、大音量で耳に入ってきた音は大きすぎて。
頭の中が鞭打たれたような衝撃に、しばし呆然とする。
『……がっ……あ……』
掠れた悲鳴が断続的に聞こえていた。
肌を打った音じゃない。最初の音は床を叩いた音だ。だが、その直後、金属質な音が響いたその正体は、皆目見当が付かず、俺は大爆音とも言えるその衝撃からなんとか意識を取り戻して。
「う……」
堪らず唸ったのは、画面にはっきりと映っていたクマの胸から流れる血のすじのせいだった。
流れたそれはへその横を辿り、ペニスや太股に纏わり付いて、ポタリ、ポタリと床へ落ちていく。
ディモンも何を思っているのか、その視線を床に向けて、動きを止めていた。
その視線の先、画面では小さなそれが何かよく判らない。
ただ、それよりははっきり見えたクマの胸の傷跡を見て、そして、すでに知っているクマの傷の様子からして、原因が何か判ってしまった。
『ははは、もういらねえな、あれは。壊れたてめぇは、どうせ捨てられるんだから』
クックッと喉の奥で笑い出した声は、瞬く間に部屋一杯に響くほどに大きくなる。
『調教師がつけたタグを勝手に外したアニマルは、逃亡したのと同じ罰を受ける。ああ、もうゲイルのところに戻ることもなく、マスターが選んだ調教師によって仕置きされて、そのまんま死ぬまでこき使われるんだ。ゲイルだって、いくらなんでも逃亡しようとしたアニマルまでなんとかしようとは思わねえだろうし。ちょうどいいな』
「そんなこと、あり得るわけがなかろうが……」
力無く呟く俺は、堪らずに頭を掻きむしった。
たとえあの時俺が見つけなくても、たとえ死体になってしまったクマを見つけたとしても、その身体に残る傷跡を見れば、誰がやったかは想像がつく。
まして、鞭遣いとしては俺かディモンか。
この館でもあれだけの痕を残すほどに、鞭打つのは俺たちのうちのどちらかなのだ。
俺と同列に並べられる評価の、そんなことすら悦んでいたディモンは、もう忘れているのだろうか。否──今あれは、狂気に囚われていて、そんな簡単なことすら気が付かない。
胸のピアスに付けていたドッグタグが蹴飛ばされて、部屋の隅に滑っていった。もう視界に入らないそれの代わりに、俺は顔を上げる気力すらないクマの姿を見つめる。
鞭の先が激しく当たったのだろう、乳首を千切るようにピアスが外れ、血の玉が滴となっては流れていた。
小さな傷は場所が場所名だけに、ひどく痛々しい。
『こっちも美味そうに銜えてやがるくせに。なんで出してんだあ』
力が入ったことで、肉に埋もれていた張り型が、少し飛び出ていた。それがひくりひくりと上下するのは、クマの中が蠢いているせいだ。それの尻を、ディモンがぐいっ手のひらで強く押した。
『あ、ぁぁんっ、んぐぅぅ』
苦しげに、けれどどこか甘く、堪らないとばかりに腰を揺らしながら、それが徐々に入っていく。
『やらしいやつだな。こんなのを銜えて、涎垂らして悦んで……。ああ、そうだ。抜けねぇようにしてやる』
ディモンの手により新たに追加された腰のベルトに固定された革紐が、ギリギリと尻の狭間に食い込んだ。
『や、ぁぁっ、そこぉ、あ、はぁぁっ!』
太いディルドの尻は、それによって固定され、もうどんなに息んでも出て行かない。角度を調整されて締め付けられてからずっと、クマが淫らに喘ぎ続けているので、先端が感じるところを狙っているからだ。
狂気に駆られたような行動をしているディモンであっても、優れた調教師としての技が衰えているわけではない。
的確にクマの良いところを狙い、喘がせ、そのうえで拷問めいた鞭打ちを行って。
快感と痛み、際限の無く繰り返されるそれに、クマは体力も気力も奪われて、狂っていく。
『さあ、残りを始めるぜ』
暗い笑みを浮かべた顔が、ひどく楽しげだ。
軽く床を叩いた鞭先が、大きく宙空を泳ぎ、弛緩した身体に降りかかる。
『ひぎ──ぃっ! あがっ!!』
与えられた快感に色を戻していた肌から血の気が失せていく。
浅黒い肌に浮かぶ幾重にも重なる鞭の痕は、さながら絵の具で描いた線画のようだ。色が変わった古い痕に、新たなしぶきをまとう線が追加される。
散ったしぶきは、床に壁に散っていて、その中心には血を滲ませた肌を持つクマがいた。
空を切る音に、肌を打つ音。
床や壁に触れて跳ね返り、けれど揺らぐことなくクマの身体を外さない。
一つ二つと数えることなど最初から諦めて、ただ最後までクマが生き伸びることを願い、拳を握りしめた。
いや、クマは生き残った。
ちゃんと医師の手当てを受けたクマは、この拷問を生き残っている。
それは自分の目で見て判っているのに、それでも、生き残って欲しいと願い、そして助けはまだかと希う。
『やあぁぁ……ああ、やめ……許して……』
切れ切れに伝わる泣きじゃくるクマの懇願を聞き入れるものはいない。
『まだまだだ……ゲイルの目を覚まさせてやるんだ』
非道で勝手なディモンの声に怒りは湧いて、食い込む爪の痛みにも気付かずに、ただ呟く。
「やめろ……ディモン……、クマは関係ない……」
クマを助けたかった。
今すぐにでもあの部屋に駆けつけて助けたかった。
その衝動に立ち上がり、けれどすぐにあそこにはもういないのだと、どすんと腰を下ろす。もう何度それを繰り返しただろう。
あんな目に遭うクマを見ていると、ただ焦りにも似た衝動ばかりが己を追い立てていた。
助けたい、助けたい。
それができない自身への怒りと焦りで脳裏が赤く染まっていく。息が荒く、浅く、筋肉が痙攣するかのように蠢いて。
未だかつて考えたこともないほどに、クマを助けたいという衝動に襲われていた。
「ディモン……っ」
『やああぁっ、ああっ、ひ、ぎぃぃ、ぃぃぃっ!!』
また画面を掠めていく鞭に、俺はもう見ていられなくなっていた。
今までさんざん自分でもアニマルを叩いてきたのに、どうしてクマに限ってこんなにも見ていられないのだろう?
叫び続けて掠れた悲鳴になっていくクマの身体は、ただもう訳も判らず銜えられる衝撃に叫んでいるだけだった。
そこに、必死になって弟を庇っていた理知的な瞳はもうない。
鞭から来る痛みに白目を剥いて絶叫し、張り型の刺激に淫らに腰を振るクマ。
『ゆ……るひてぇぇ、やああぁ、も……ゆるしへぇぇ、あひぃ……ひゃは……」
すうっと背中が冷えていく。
視界が闇に支配され、伸ばした手を託す寄る辺もない不安に苛まれて、「クマ」とぽつりと呟く。
そして再び。
「クマ」
呟くたびに、鞭が肌を打つ音が追いかけてくる。けれど、もう悲鳴すら聞こえなくなっていて。
ハーネスでぶら下がったクマが、力無く揺れている画面を見つめることもできず、硬く目を瞑ったその瞬間。
『ガンッ!』
耳に、扉が開く音が入った。
音が消えて、しばらくして『……な、に……してる……』と己の声が届く。
慌ててまぶたを開ければ、颯爽と画面内に入ってきて、けれどすぐに硬直してしまった己の姿に、ようやく……という思いが込み上げる。
その後の展開は、すでによく判っていた。
けれど、どこか幻でも見ているような感じがしてならない。
まるで映画か何かを見ているようで堪らなかったが、それでもこれは現実だということもよく判っていた。