— Update :2007-05-05 —
?幼なじみの和人の傍にずっといたいと願い、それを果たしている友貴。そんな友貴に、和人が与えたのは……
束の間の自由な時間に、瑞葉友貴(みずはともき)は一人ふらりと出かけた。
車で一時間ほどの小さな入り江は、砂浜にごつごつとした岩場が入り組み小さな波が清々しい音を立てている場所だ。
その砂浜や岩場に座り込み、ぼんやりと潮風に吹かれる。
シャツのボタンを外し、地肌を陽光に晒せば、それだけで、太陽の持つエネルギーが体の細胞を活気づかせるような気がした。
はああっ、と体内奥深くに澱んだままの汚濁を吐き出す。
代わりに、清々しい潮の香を肺いっぱいに吸い込むのだ。
それを繰り返すと心も体もずいぶんと軽くなり、溜まった疲労感も消えていくようだった。
だから友貴は仕事の効率が落ちてきたなと思い出したら、ここに来る。
今の仕事が嫌いなわけではない。
遠縁でなおかつ幼なじみであった久遠和人(くどうかずと)の元で働くことを望み、自ら彼の世界に飛び込んだ自分を後悔している訳ではない。
政財界に連綿と続く家の直系ではあったがそれにあぐらをかくことなく、自ら事業を興し成功させ続ける和人は、昔から友貴にとって憧れの対象だった。自分は、彼の手足となって付いていく事を自ら希望した。
物好きだねえ、と笑って迎えてくれた和人の傍にずっといたかったのだ。
もっとも、今の和人にとって友貴は幾人もいる部下の一人でしかない。
今でも子供の時のままに名で呼ばれるけれど。
懸命に働いたからこそ、秘書という和人に近いところに辿りつけたけれど。
ただそれに縋り続けるだけでは、過去和人によって冷酷に切り捨てられた他の親類縁者達と同様になってしまう。
一時も気を抜くことができない状況は、友貴に多大なストレスを与え続けている。
それでも——離れたくはない。
そのために仕事漬けの一生を送ることになろうとも、自分はずっと和人のために生きていたい。
はあぁぁ——。
深いため息を足下に寄せる白波に落とす。
波の音に掻き消されたそれを吐いたことに、知らず苦笑が浮かんだ。
ここに来ると女々しくなるのは、いつものこと。そんな自分が愚かしいと思うけれど。
青い海と白波、そしてさらさらと風紋をつくる砂浜を見ていると、何も知らなかった小学生の自分と、5つ違う高校生の和人の姿を、いつも思い出してしまう。
すでに大人の風格すらあった和人が、何故友貴を連れ出してここまで来たかは判らない。波に戯れる友貴をただ眺めながら、ぼんやりと過ごすだけのそれに何の意味があったのか。
日が傾き、まるで思い出したように和人が立ち上がる。
その小麦色の肌にさらさらの砂がまとわりつき鬱陶しそうにそれを払い落とす和人の手助けをするのが好きだった。その時だけは、おおっぴらに彼の体に触れることが出来たから。
そう、昔から、ずっと和人の事が好きで堪らなかった。
男らしく彫りの深い顔立ちに高い背、筋肉質の体。
メリハリのついた言動は小気味よく、あの頃から人の上に立つ威厳が備わっていた和人。
対して友貴と言えば、子供の割りに冷めた視線と動かない表情筋。
顔立ちは整っているし、背だって低いわけではない。
こんな自分の顔立ちが綺麗だ、クールだと言って言い寄る女達は結構いた。
けれど、人と言うは自分に無い物に憧れる傾向がある。それは、友貴自身にも言えるのだと、和人の事を想うといつも考える。
和人が太陽なら、友貴は月だ。太陽に照らされないとくすんでしまう存在でしかない。
それは今も……
再びため息を零す少し憂いの含んだ横顔に細い薄茶の髪がまとわりついていた。
長い手足を無造作に投げ出し、時折伸びをする姿を、釣りをしている壮年と言うにはまだ若そうな男がちらちらと窺っていた。
その視線に何かの拍子に気付いた。
何かを捜すように視線を泳がしてはいるけれど、その男の視線がいつも一所に戻ってくる。それが、友貴の剥き出しになった胸元なのだ。
こんなところでも……。
同性を、特に男が男を性対象にするような輩はどこにでもいるから、ここにいてもおかしくないだろう。
自分がそういう対象から好奇の目で見られやすいことも知っている。
そのせいか、友貴の中に湧き起こってきたのは、嫌悪感よりも悪戯心だ。
今は隠れている鋭い爪がびくびくと震えながら出て行こうとする。
細められた瞳の奥でゆらりと揺らぐ炎。ちろっと舌先が唇を舐める。
けれど——潮の香のせいか、波の音のせいなのか。
牙を伴うほどの獣性は奥深くに隠れたまま出てこなかった。
だが、放っておく気もない。
男がちらちらとこちらを視線に向けるそのタイミングを計る。
その男の視線がこちらを見た瞬間に、シャツを肩から落とし、滑らかな肩のラインを日の下に晒した。剥き出しになった肩から胸へ、適度な筋肉が付いた若い肌が男を誘う。
それに男が釘付けになったその瞬間。
「何か用?」
敵意の籠もった視線にドスの利いた声音が響く。和人共にいる間に勝手に身に付いたそれらをふんだんに使えば、所詮下心を表に出している事にも気付かなかった男は、びくびくと後ずさった。
その拍子に、釣り竿が手から落ちて。
一際強い波がさらっていく。
影で恐れられる友貴の本性を、男は本能で感じ取ったのか。
ぶるぶると首を振り、流されていく竿を追って波の中に飛び込んでいく。
尻までびしょ濡れで慌てふためく男は、見た目も、身なりも、態度も最低ランクだ。
全身びしょ濡れになった男に多少は気分は晴れたけれど、ただそれだけだった。
「この砂浜いっぱいの砂金でも持ってくれば、相手にして上げてもいいけどな」
もっとも本当にそれだけの砂金を持ってきたとしても、友貴を買うことなどできやしない。
一粒足りないと、愚かな求婚者などその砂金の山に埋もれるしかない。
誰も友貴を本気になどさせない
友貴は和人のもので、和人だけが友貴を本気にさせる。
「ま、どうせ金なんか持っていないだろうし……」
呟く友貴の体が影に覆われた。
見上げれば、日が陰ってきているし、潮風も冷たくなってきる。
意識すればさらに寒く感じ、友貴は総毛立つ肌を覆うようにシャツを羽織った。裸足になって波間に漂わせていた足を持ち上げれば、湿った砂がまとわりついていた。
手で払えば、砂がきらきらと光りながら落ちる。
持ち上げた腕からは、乾いた砂がはらりと舞い落ちた。
この海岸が気に入っているもう一つの理由がこの砂だ。この砂浜は、細かな石英の粒がたっぷりと含まれているのだ。
友貴は、そのきらきらと光る石英の粒が、子供の頃から大好きだった。
いわゆる宝石と呼ばれる物を身につけられるだけの地位にはあるけれど、それらは単なる飾りでしか過ぎない。友貴にとって見れば、自然の中の小さな砂の一粒分の石英の方がずっとお気に入りだった。
宵闇の中、磨き上げられた漆黒のボディのジャガーが総檜造りの数奇屋作りの門の前に停まった。
降りた友貴を恭しく待ちかまえていたのは、ダークスーツに身を包んだ恰幅の良い男二人だ。それに相対する友貴もまたスーツ姿だ。
最高級の生地と体に合わせたスーツは、友貴の硬質で怜悧な顔を際だたせ、彼の美を増幅させる。。
客の一人が、友貴は星明かりの下でこそ友貴は美しい、と賞賛するが、確かに僅かな灯りの中で友貴の毅然とした態度は、近寄りがたいほどの美しさを持っていた。
それはこうやって出迎えた彼らですら同じようで、いつもよりさらに緊張した面持ちで友貴からキーを受け取っている。
「いらっしゃいませ、友貴様」
「和人さんは?」
呼び出された相手の名を言えば、男達の腰はさらに低くなった。
「中でお待ちです」
「そ」
絶対服従を久遠家に誓う彼らにとって、和人は絶対者なのだ。その和人が許す友貴もまた然り。
そんな服従を誓う人間達が職務に就くこの場所で行っていることは、久遠和人にとっては趣味の領域を出ていない。
こんな豪勢な門構えなど序の口だ。門の先には、都会の一等地とは思えぬほどに広大な敷地を有している。
苔むした匂いのする庭が、外の喧騒を消してしまうほどに、この庭は広い。門から数十メートル歩いてようやく玄関口に辿り着く頃には、東京のど真ん中にあるとは思えないだろう。
そこには、水晶宮と名付けられた建物があった。
瀟洒な建物のエントランスを一歩入れば、行灯を象った照明から漏れる灯りのせいでゆらりゆらりと影が揺れ、まるで水の中にでもいるような気分になる。そこで現世のしがらみを断ち切り、客達は中へと招き入れられる。
「いらっしゃいませ」
少し線の細い男の名は、野崎。
客にはすべからず笑顔を崩すことのない男だが、従業員には手厳しい。40に手が届きかけるこの男も、すこし前まで店内で接客をしていたが、友貴がここを訪れるようになってからは彼が接客するのを見たことはなかった。
いつもいつもここにいて、客を出迎えて、見送りをする。
漆黒のスーツの胸ポケットに赤いハンカチを飾る野崎が、中にいる接客係に合図をすると、すぐさま白いハンカチを胸に飾った男が近づいていた。
その男の手足の動きがぎこちない。
新人か……。
友貴が軽く舌打ちすると、近くまで来ていた彼がてきめん全身を強ばらせた。
何もかもがなっていない。
粗忽な態度に慣れない仕草。それが良いという客もいることはいるが、今日はそんな彼を庇う客はいないようだ。
ニヤニヤと好奇の視線ばかりが彼に向かっている。
「失礼致しました。緑姫(りょくひめ)、友貴様です。カウンター席へ」
「……ぃっ……」
息を飲んだ音が大きくて、応えが小さく聞こえない。
それに気付いた途端に、背後の野崎の纏う冷気が強くなるのが判った。
「すす、すんませんっ」
持っていたトレイが震え、乗っていたグラスがカチカチと音を立てる。
どうやら新人という以上にもともと向かない質なのだろう。咄嗟に出る言葉でそれが判る。
進められる席に座り、ドアの所で背筋を伸ばしている野崎に視線を向ける。
それだけで意が伝わったようで、野崎がすっと小さく頭を下げた。
ここでは余分な言葉は必要ない。
野崎ともバーテンダーとも誰とでも。
それができない人間はその地位を落とされる。
ここでは無駄な騒音を立てる事は許されない。
『癒しの間』と名付けられたこのフロアは、十分すぎるほど余裕ある空間を作り上げ、圧迫感というものは皆無なのだ。
カウンター席もあるが、客達はたいてい座り心地を吟味した最高級の素材のソファにに腰を下ろす。
その前にある大理石のテーブルは、客が求めるありとあらゆるアルコールが運ばれる。
それを運び、客達を直接接待するのが個々の体の線にぴったりと合わせて作られたブラックスーツの胸元に白いハンカチを飾った姫達だ。
もとより最高級の選ばれた会員だけしか入ることの出来ない空間では、客数は知れている。
だからこそ静かなフロアに響くのは、自動演奏のピアノの音色と彼らの囁くような声音、そして時折聞こえる衣擦れの音だけだった。
そんな中に響いた無粋の音は、先ほどの緑姫がグラスを倒した音。
視線が集中する中で、野崎が動く。
客に一礼して謝罪する言葉はここまで届かない。
その傍らでは自ら起こした失態に硬直しきった緑姫が、どんどんと顔を青ざめさせていた。
「おやおや、かわいそうに」
くすりと笑みを孕むその声音が隣から聞こえてきて、友貴はふと視線を戻した。
「これは俊郎様、おひさしぶりでございます」
先ほどまで空席だったところに、恰幅の良い初老の男が座ろうとしていた。
それが誰かすぐに判別して、友貴は口角を上げた。
「いやいや、最近忙しくてね、ようやくここに来られて、たっぷりと骨休みができたよ。やはりここで遊ぶのが何よりもストレス解消になるね」
満足しきった声音に、友貴も嬉しさを隠さないままに微笑んだ。
「ありがとうございます」
昔からあるこの場所をここまで改良したのは和人の力だ。
だからこそ、この場所を褒められると友貴も嬉しくて仕方がない。
グラスを手に取り、彼と澄んだ音を響かせる。
「あの緑姫はお披露目の挨拶もろくに出来ない子だね」
視線が指し示す先で、項垂れたまま連れて行かれる件の緑姫の姿があった。
切れ長の瞳に長い茶髪。
顔立ちはテレビにでも出ればアイドルになれそうなほどに整っているが、スーツが借り物のように似合わない。
姿勢も言葉遣いも昨今見られる躾のなっていない若者のままだ。
「最近ああいう子が世間には多い。我が社にも目を覆いたくなるほどにマナーのなっていない子がね。だが、厳しく躾けようとすると、さっさと辞める。ったく……」
不快気に額を抑えながら首を振る俊郎の言葉に、「申し訳ありません」と友貴は頭を下げた。
「御不快な思いをさせてしまいましたか……」
「いや、今の私は氷の美姫とあえて機嫌は良い。それに、彼がどんな目に遭うか想像するだけでも愉しいね。ふふ、まだまだ今夜は楽しめそうだ」
くすくすと笑みを零す俊郎の、その瞳が欲望に揺れている。
淫猥な笑みに、さすがの友貴の背筋にもぞくりと悪寒が走ったほどだ。
「もう姫を選んでいたのが残念だ。どうやら、今夜は卓夫くんに譲ることになりそうだ」
視線を追えば、さっきまで緑姫が相手をしていた客が立ち上がるところだった。
その手の中で鎖が付いたシルバーのキーを遊ばせている。
「お客様の手を煩わせることになるなど、私どもの不徳の致すところでございます」
友貴の詫びの言葉の白々しさに俊郎が声を立てて笑う。
「いやいや、君たちは本当に商売上手だ。本当にここは私たちを引きつけて止まないよ」
ごくりと飲み込むアルコールが回ってきているのか、それとも躾される緑姫の姿を想像したのか、俊郎の瞳の奥に欲情がどす黒い色を帯びていた。
先ほどさんざん愉しんできた後だろうに、彼の性欲は底なしだということを実感する。
もっとも、彼だけでは無い。
ここに来る男達は潤沢な資産で人生を謳歌しているのだ。何も遠慮する必要がないから、やることに加減が無い。
それが性欲に向いた男が肩を擦り寄せ、耳元で囁いてくる。
「どう? この後? 君とゆっくり飲みたいね」
柔和な笑みにだまされるほど、友貴は初ではない。
彼は、若い子が苦しみ堪える姿が大好きなのだ。
俊郎の相手をした姫は、次の日は何も出来ないほどに疲れ切っている事も多いという。
いい加減良い年なのに、性欲だけは有り余っているのだ。そんな俊郎を相手にしたら、友貴でもどんな目に遭うか判らない。
だからこそ、友貴は和人に与えられた特権を使って、宴の間では相手をしない。
せいぜいここで、接客をするだけだ。それも滅多なことではないけれど。
「それが、この後まだ仕事がありまして。残念ながらお相手できかねます。他の者なら……ご用意致しますが」
申し訳なく、彼の頬に唇を寄せる。
汗くさい肌は塩味がする。
胃の辺りにもわっと湧き起こるものがあったが、それも一瞬だ。
こんな行為ももう慣れた。
握手するより簡単に他人と触れあうことができるようになったのも、全てが和人のためだからだ。
この店にたまに顔を出して、客達に愛想を振りまくのも、望まれれば相手をすることも。
それら全てが和人のためになるのだから。
そんな友貴だから、全てにおいて和人が優先する。
友貴の言葉に、俊郎も残念そうに首を振って、それでも離してくれた。
「では、ごゆっくりお過ごしください」
何も言わなくても近づく別の姫に後を任して、一礼して通り過ぎる友貴に、俊郎が名残惜しげに見送る。
今日はまだあっさりと譲った方の俊郎は、最近かなりしつこくなっている。
友貴を見つければ、執拗に誘いをかけてくるのだ。
疲れる……。
それでなくても扱いに困る厄介な人なのだ。
——鹿野山俊郎(かのやまとしろう)
鹿野山家といえば戦後急成長した鹿野山物産の会長だ。
羽振りの良さはこの店でも随一。この店の上得意である彼を袖に出来るのは、この店ではオーナーである和人と友貴くらいだった。
2
「友貴様、オーナーがお待ちです」
一歩歩くごとに客に呼び止められる友貴を、姫の一人が呼びに来た。
小柄で童顔の輝姫(てるひめ)は、一見すると高校生だが実際は25を超えており、ここでは野崎のすぐ下で皆の監督を行っている。
「ああ」
頷いて、声をかける客には申し訳なさそうに頭を下げた。
にこやかな笑みに、華麗なお辞儀。芝居がかった態度も友貴ならば客達には受けが良い。
店員に導かれるままに奥に入り背後でドアを閉める。
途端に、友貴の顔から表情が消えた。
「和人さんは何の用だって?」
声すらも一オクターブ下がり、慣れているはず輝姫でも華奢な肩を震わせた。
それでもすぐに平静を取り戻す。
「……新しい姫候補が入荷したので見て頂きたいと」
姫——と呼ばれるのはこの店が供する品のこと。
「ふ?ん……珍しいね、和人さんがそんなことで私を呼ぶなんて」
「ご機嫌は良さそうでしたが……」
「そう」
気分屋ではない和人だが、そんな彼が不機嫌な時に呼ばれるとろくな事が起きない。
それを知っての輝姫の言葉に、友貴も内心ほっと安堵していた。
前に呼ばれた時にはたいそう不機嫌で、その日彼に供した姫が二品しばらく使い物にならなくなったと聞いている。
「それを君も見たか?」
機嫌が良いというのなら、何らかの策を労し、成功した品なのだろう。
「いいえ。まだ誰も見ておりません」
「ふ?ん」
少なからず好奇心が湧いてくる。
絨毯の敷かれた通路は短く、すぐに別のフロアに付いた。
「それでは失礼致します」
相変わらずきちっとした礼儀と落ち着いた態度。だが、必要以上に客に媚びず、決して飽きさせずの接客。
それができるから、輝姫は『癒しの間』で長く勤め続けられている。
離れて下がる輝姫をちらりと見送って、友貴は荘厳な扉の前へと進んだ。
扉の先は『宴の間』と呼ばれていた。
中央部に螺旋階段があり、傍らに草木や、美術品、あるいは入荷したての姫候補を飾る場所として使われていた。
だから、てっきりそこにいるかと思ったが、見回すと今日は花が飾られていて、特に目新しい物が無い。
ならばオーナー室かと首を傾げると、受付カウンターの中の男が恭しく近寄ってきた。
「オーナーは白銀の間でお待ちです」
差し出されるキーは月の形をした飾りの付いているもの。
それを受けとり、視線を通路の奥に向けた。
この先にはいくつもの部屋がある。
一つ一つが凝った作りの全てが客室だ。
白銀の間もそんな客室の一つだが、和人は普段客室は使わない。
だが……。
「白銀か……」
和人がその部屋を使うのなら、それは意味あることなのだ。
戸惑いは瞬く間に消え、友貴は迷うことなくその部屋へと足を進めた。
「待ったぞ」
スーツの上着は脱いでいたけれど、ネクタイ一つ緩めた気配の無い和人が、待ちくたびれたように友貴を招き入れた。
「お待たせして申し訳ありません」
ちらりと見やった時計の時刻は約束のそれと変わらない。
だが、和人が遅いと言えば遅い。
素直に頭を下げる友貴に、和人は満足げに頷くと顎をしゃくって友貴の注意を向けさせた。
「新しい姫……ですか?」
透明なガラスの向こう、キングサイズのベッドの上に一人の男が座っていた。
まだ若そうだが、かと言って未成年という訳でもなさそうだ。
不安げに辺りを見回す様子とその服装からしてどうにも垢抜けない雰囲気があった。
「一週間前に手に入れた。どう思う」
その一週間という言葉に、彼の表情の疲れ切った様子の理由が判った。
落ち着かない様子ではあるが、暴れるほどの元気は無い。
自分がどうなるか判らないままに過ごす日々は、食事も満足に喉を通らないし、眠ることも出来ないだろう。
そうやって疲弊させ、平常心配奪うのは、ここでは常套手段だ。
「少し手をかけないとダメですね」
座っていてもピンと背が伸びている姿勢の良さは好感度だ。
顔つきも適度に整っている。今はダサイ髪型と眉でいまいちだが、手を入れれば十分見られる顔だ。
まあ処女であれば面などどうでも良いという輩もいるから、気にしなくても良いと言えば良いだろう。まあ、この店に合わなくても、樽見の店に卸しても良い。
だが、ここから見ているだけではその辺りの判断は難しかった。
和人がどんな答えを期待しているのか判らないのもあって、友貴は少し言い淀んだ。
「気が付かないか? お前でも」
そんな友貴に和人がくくっと喉で笑う。
「もっと良く見てみろ、あの顔を」
「顔、ですか?」
もっと良く見ようと大きなガラス窓に近づく。
和人はその背後で豪勢なソファに身を沈め、愉しそうに口元を歪めていた。まるで、悪戯が見つかるかどうかを愉しんでいるような感じに、首を傾げるけれど。
和人の笑みは深くなるばかりで、早く答えを寄こせ、と無言の圧力をかけてくる。
戻した視線で再度男の顔をまじまじと見つめる。
不安に歪んだ顔つきのどこかに問題があるのだろうか?
和人がこの部屋を選んだ理由が判る。この白銀の間はいわゆる覗き部屋なのだ。バスルームやトイレなどの通常は壁になっている場所全てがガラスと鏡で出来ている。
今友貴の前にあるこの窓も、向こうからは巨大な鏡となっていて、知られずに中の様子を覗くことが出来るようになっていた。
今この時点でも、向こうはこちらから見られてるなどとは思わないのだろう。
友貴の探る視線が男の頭の上から足下まで動いて、再度顔に戻って。
「あ……」
何かが琴線に触れ、ごくりと喉が鳴った。
中の男が少し首を傾げた。陰鬱気に首を振り、眉間にシワを寄せて彼に取っては鏡を見つめていた、その表情。
「似ている……」
思わず振り返った。
「この顔とか?」
和人がくくっと笑って、それからわざとらしく眉間にシワを寄せて。
思わずガラスの向こうをまた見やった。
すでにそんな表情は消えていて、また不安そうな表情に変わっていたから、確かめることはできなかった。
けれど。
「どこか、という訳ではありませんが、似ています。目の形と……顔の形が、似ているのでしょうか?」
自信がある訳ではない。
瓜二つという訳ではないからだ。
「瞳の大きさや色が似ているという奴もいたな」
自分の目を指さして、苦笑を浮かべる。
人によって微妙に違う色。それは多分に主観も混じっているかも知れないけれど。
「……心当たりが?」
世間には自分と似た人が三人はいるという話もある。
けれど、わざわざ和人がこんな事を言い出すには理由がある筈だった。
案の定、和人が頷く。
「DNA鑑定まではしていないが、まあ、確実にあれは俺の従兄弟だな」
「従兄弟……ですか?」
和人の従兄弟は知っている限りでは今は10人。下は小学生から、上は和人の会社の重役まで。全て身元の確認まで済んで、和人に忠誠を誓っているし、友貴もまた全員を知っている。
もともと久遠家の縁者は全て久遠家の筆頭に忠誠を誓う教育を受けるのだ。それができない一家は、全ての権利を放棄する誓約書にサインをさせられる。また久遠家が持つ会社の同業他社に入ることは、勉強以外には認められていない。
だが、友貴がどんなに首を捻っても、あんな従兄弟はいなかった。
「私の記憶にはありません」
「そうだろうな、俺も知ったのは最近だ」
その言葉に、友貴は和人の傍らに近寄り、ソファに腰を下ろした。
ガラス窓に向かってしかソファが無いから、必然的に横になる。その友貴に、和人が飲み差しのグラスを差し出してきた。
暗黙の命令に、小さく頭を下げて口をつける。
濃いそれに一瞬顔を顰めて。
けれど、ごくごくと全てを胃に入れた。
それを確認してから、和人は再度ガラス窓へと視線を向けた。
「竹林理緒、21才、大学生だ」
「竹林……ですか」
やはり知らない名だ。
「どうやら親父の弟がもう一人いたということだな」
「というと、先々代の……ということですか?」
「ああ、放蕩者の残した遺産がまだあったっていうことだな。もっとも、その遺産は自分の地位など何も知らなかったらしいから、ここまで俺の耳には入ってこなかった」
何も知らないで子を産み、その子はまた何も知らなかったということなのだろう。
だが、今、彼はここにいる。
その理由など想像するに難くない。
「いつご存じに?」
「一年ほど前に大学でのセミナーに呼ばれて、そこでこいつが世話係をしていた。第一印象は、良く言えば、好青年。俺の言葉で言えば、世間知らずの甘ちゃん。だが、顔だけは俺に似ていた」
その時に直感で何かを感じて、調べさせたのだという。
「そうですか……」
和人の直感は鋭い。
彼が何かを感じたのなら、まず間違いない。今回もその直感が当たったと言うことなのだろう。
そうなれば和人が取る行動は一つだけだ。
取り込むか、潰すか。
「直系は少ない方が良い」
「はい」
かわいそうに、と麻痺したはずの頭でもほんの少しだけそんな感情が浮かぶ。
だが、和人の行為はいつでも正しいと思っている。そんな和人の前に出てきた理緒が悪いのだ。久遠家の教育を受けていない男など、どんな策略のネタになるか判らないのも事実だからだ。
「で、問題の種は?」
「問題なのは父親の方だ。下請けの下請けをやっているような会社社長だったが、借金を残して潰れた」
「父親の借金……のカタでここに……ということは、死にましたか?」
「まあよけいな手間が省けたってところだな」
かろうじて残したモノで借金の大半は帳消しになったが、それでもまだ残っているのだと、目の前に投げ出された借用書から読み取った。
母親はずいぶん昔に死んでいるようだ。
そうなると借金は彼の肩に乗ってくる。
ここに来ているということは、相続放棄などの術を行う暇さえなかったということだろう。もっとも、和人が狙った相手にそれを許すとは思えない。
その結果がこれだ。
ここの姫達は皆返せないほどの借金を背負って、あるいは背負わされて連れてこられた者達なのだ。
和人の目にとまってしまった理緒。
ならば彼は後者となる。
「それで、どう処置すれば良いでしょうか?」
今この場に友貴を呼んだ以上、和人は彼の処遇を友貴に任せるつもりなのは聞かなくても判った。
だが、和人は一体何を望んでいるのか。
その問いに、和人が笑う。
「決まってるだろ、ここで借金分は稼いで貰うさ」
「かしこまりました」
判っていたことを確認して、友貴はその手配をするために、と立ち上がりかけた。だが、その手首を和人が掴む。
ぐいっと引き寄せて、傾いで近づいた友貴の耳に自ら唇を寄せてくる。
ふわりと漂うムスクの香りと、耳朶に感じた熱に、かあっと体の芯が熱くなる。
これが単なる戯れだと判っているのに。
くっと奥歯を噛みしめて、震えそうになった体に力を入れて堪える。
そんな友貴を知ってなお、和人は愉しそうに囁いた。
「お前が躾けろ。とりあえず一週間はここに詰めて高給取りに仕立て上げろ」
「え……」
一瞬何のことか判らなかった。
だが、鍛え上げた脳が、すぐさま和人の意図を理解する。
「私が……ですか?」
「それと、お前があいつの支配者となれ」
「それは……どういう意味で……」
さすがに和人がどんな意図を持っているのか判らなくなってきて、まじまじと至近距離の瞳を見つめた。
その顔は愉しそうに笑っており、今この問答を愉しんでいるのが判る。
けれど、それだけ。
「和人さん……」
はあっと大仰なほどのため息をついて、視線を逸らす。
この人は判っていてやるのだから質が悪い。
気を持たせ、突き放す。
そのたびに心臓が苦しくなって困る。
「ふふっ、俺くらいなもんだよな、氷の美姫にそんな顔をさせることができるのは」
「ええ、そうですよ。私の全ては和人さんのものですからね」
そう言って。
はた、と吐息すら止まった。
ぎぎっと首が油の切れた機械のように動く。
視線が和人に向かって、それからガラス越しの理緒に向かって。
今の自分を思いやって。
自分の全ては和人の物。
親兄弟すらもう何年もあっていない。和人に嵌められて死んでいく人達を見ても何も感じなくなった。
それほどまでに自分の全ては和人を中心に回っている。
ならば、友貴の言葉に従うよう躾けられた理緒はどうなる?
それは間接的に和人の支配下にあるのと同じ事。
そして、友貴は和人の命令であるそれを、確実に実行するつもりだから。
「まさか……」
「ふふ、やはりお前は聡い」
「私のモノは全て、あなたのモノになりますね」
「従兄弟殿へのせめてもの情けだ。だが、お前の手元から離れるというならば、あの男の生きる道はない」
邪魔な男だと認識された彼に対する、それは和人の滅多にない温情なのかも知れないけれど。
いつしか理緒が借金を返済し終えたとしても、その頃には理緒は友貴から離れられなくなっている。
驚愕の表情を消せない友貴にウィンクする和人は、友貴が大好きな大学生の頃の和人を彷彿させる笑みを浮かべていた。
3
忙しい和人が先に席を立つ。
それを見送るためにフロアまで出ると、やけにその場所が賑やかだった。
「ひっ、んぐあ」
くぐもった悲鳴が辺りに響く。
「あれは」
フロアの螺旋階段の手すりに全裸で鎖で繋がれた男がいた。口にギャグを銜えさせられ顔は苦しみに歪んでいけれど、それが先ほどの緑姫だということはすぐに判った。その傍らで客の卓夫が嬉々として彼をいたぶっている。
どう見ても処女の反応を示す体は卓夫が手にしたバイブレーターに痛みしか覚えないようだ。くぐもった悲鳴をひっきりなしに上げている。
「これは卓夫様、お手を煩わせて申し訳ございません」
和人の慇懃な態度にも意に介さず、卓夫が好色な笑みを見せる。
この店を来訪する客の中では若い方だ。30を超えたばかりの彼の性は嗜虐性が強い。
特にこうんなふうに処女をいたぶるのが大好きだから、新しい姫には目がないのだ。
しかも、自分の行為を人の目に晒すことが大好きで堪らないから、螺旋階段下のこの場で何かあれば、それはたいてい卓夫の行為だ。
「いや、いいね。この子。久しぶりに処女を嬲ることができて嬉しい限りだ。ほんとうにこの店は愉しいよ」
言葉通り愉しそうな笑みを浮かべる卓夫に恭しく謝辞を述べる。
その間にも卓夫の手が止まることはない。まだ小さな胸の粒を強く引っ張り、甲高い悲鳴を上げさせる。
その周りには、手持ち無沙汰の客達が集まってきていた。
彼らも個室で遊んでいたのだろうが、今頃は姫達は放置している。
金を払っている以上、彼らは一晩ここで遊ぶ権利がある。彼らに選ばれた姫は、客が許すまで個室のドアからから出ることはできない。
もっとも、ただ放置されているのではないことは、薄く開いたドアから聞こえる艶めかしい悲鳴から窺い知れた。
「皆、愉しそうで良いことだ」
くつくつと和人が小声で話しかけてくる。
「これも和人さんの案が的を射ていたということでしょう」
金と権力を手に入れた男達は次は別の欲に向かう。
それが食べ物ならばグルメとなるが、性欲へと向かった場合は難しい。
特に普段の鬱憤を晴らすかのように、自らの部下の年代に近い男達を嬲ることに目覚めた者にとっては特に難しい。
それがここではできる。
姫と呼ばれる品は、借金を返すまでここから出ることは許されない。
連れてこられてすぐに姫候補と呼ばれる品達は二者択一を迫られる。
—— 一つめ、借金返済方法をこちらに委ねるか?
—— 二つめ、この店で体を売るか?
すでに何もかも無くした彼らに迫って、熟考する間もなく決断を迫る。
一つめでは彼らは内臓も何もかも売る対象とされる。それこそ、たとえ死に至る摘出であっても拒否権など無いのだ、と言われて、選択する人間などいないだろう。
プライドなど金にならない物に縋る僅かな者だけがそちらを選び、たいていが二つめを選ぶのだ。
そして、彼らは姫と呼ばれて、客達に供される。
ただ。
「ひぃぃぃ——あぁんっ」
不意に上がった、緑姫の悲鳴に甘い色を感じた。
涙を流し身悶えている緑姫を見やれば、さっきまで青ざめていた頬が赤らんできている。股間の男根がいきり立ってきていた。顔も快感に緩んできているようだ。
腰が淫らに踊り出しているのに気付いた客達が、指さしながら笑っていた。
「おやおや」
通り過ぎがてら、和人がほくそ笑む。
「痛めつけられて悦ぶタイプ? 意外に淫乱性のようだな」
望まない行為では、特に初めての時は痛みばかりが先に立ってしまうことが多い。
まして卓夫の行為は、快感を与える事は二の次だ。なのに、どうやら緑姫はすでに感じ始めている。
「あれは、すぐに樽見の店行きになるかもな」
「はい」
和人の言葉に賛同する。
自ら体を開くようになると、ここでは鬱陶しがられることが多いのだ。
客が付かなくなれば、借金も返せなくなる。その結果、姫は望もうと望まないと姫の資格を剥奪され、ここよりランクの低い樽見の店にやられる。
樽見の店は一般人向けのクラブだ。そこで体を売ることを強要されるのは、ここと同じだ。だが、ここでは一晩幾らだが、向こうでは一人幾らの上に、単価はひどく低い。一晩何人も相手にして、ここでの一晩と同じくらいだ。だから、数がこなせないならば、借金返済はさらに遠くなる。
それに樽見の店はここのように客を選ばない。そのせいか、樽見の店に来る客は乱暴者が多い。そんな客に当たれば、立つことも出来ないほどに傷だらけになって、そのうち体を壊していく。
借金返済ができない者は、最初の選択肢のもう一方へと否応なく変更させられる。
返済完了出来ない限り、死してなお、血の一滴すら彼らの自由にはならないのが運命だった。
それでも、他の闇金よりマシだと和人は言うし、友貴もそう思う。
中にはちゃんと借金を返したり、気に入られて返済の肩代わりをして貰えた者もいる。
例えば、案内係の野崎は、自分で借金を返しきった。けれど、彼は日の下に出ることを拒んだ。
その一方で客達が与える快楽に嵌ったのが、輝姫だ。
客を好きになりその客に借金を返済してもらったが故に、彼は今の立場から逃れられない。時々訪れるその客の命令のままに、彼はウェイターとしてあの場に止まり続ける。それを好んで受け入れている。
二つの道は違うが、それでも二人とも今の立場を幸せだと言っている。
借金を返せて仕事があるから。
好きな人に悦んで貰えるから。
けれど。
「あ、ああぁん……あっん」
緑姫の嬌声が響く。
振り返れば涎を垂らして忘我の境地に陥ったような横顔が見えた。ギャグが外された代わりに、その口の端からぼたぼたと涎が流れ落ちていた。
周りでは客達がその淫乱ぶりをはやし立てていた。
しばらくはああやって客達におもしろがられるだろうけれど。
今までの例からして、あの手の男はここではすぐにダメになる。もともとの素質が高級という名にはふさわしくないのだ。
緑姫のタイプがここで生き残ることは難しい。
野崎や輝姫のように、客に気に入られる何かがあったのだが、緑姫のそれは違う。
「じゃあ、がんばれよ」
不意に声をかけられ振り向くと和人がニヤリと嗤っていた。それに頭を下げる。
「かしこまりました」
あの理緒が緑姫のようになることを望むのか、それともここで姫として返済を完結させることを望むのか。
和人がどちらを望んでいるのかまでは判らないが、久遠の血を4分の1引くのにここに連れ込まれた理緒が光の世界に戻ることはできないだろう。
理緒が背負う決して少なくない借金額を思い出しながら、振り返りもしない愉しげな和人の背を友貴は見送った。
白銀の間に戻ると、ガラス窓の向こうで理緒は床に座り込みぐたりとベッドに背を預けていた。
その頭ががくりと落ちるのを見て取って、友貴は理緒を見直した。
度胸だけはあるのか?
こんな状態で眠ることが出来るのであれば、そう簡単には壊れることはないだろう。
ここに連れてこられた品物の内、姫として三ヶ月こなせるのはその内の半数ほどだ。
残りの半分は現実を受け入れられずに壊れていき、残りは客に飽きられて、どちらにせよ樽見の店に送り込まれる。
友貴はテーブルの上に残された書類を手に取った。
先ほどの和人の説明では判らなかった詳細な事項が書いてある。
それをつらつらと読み進める内に、ある一点で目が止まった。
今は亡き父と母、その祖父母。
子供として理緒と——もう一人。
その名を指で辿り、余白に書かれた和人の文字を見つめる。
「なるほど……」
珍しく和人の穏やかな笑顔が脳裏に浮かんで、友貴は口角を歪めた。
理緒の妹——中学二年生の有紀(ゆき)。
まだあどけない笑みを見せる少女はあまり兄には似ていない。一緒についていた母親の写真の方に良く似ている。
「結構イケる顔だが、中学生じゃな……」
非道で冷酷だと言われる和人だが、子供には手を出さない。
財界人としてどこかに寄付する必要が有れば、子供を援助する団体を選ぶ。
何故?
と問うても、笑うだけで答えてはくれない。
そのくせ、追いつめて一家心中させた結果子供が死んでも、その顔が歪むことはない。
この有紀という子供も、子供であるが故に和人は保護している。兄の理緒を潰すために父親を死に追い込んでも、その妹を助ける心理を理解することは他人には難しい。
当然理緒も和人が善意でそんなことをしたとは思わないだろうし、和人も知られようとは思わないだろう。
友貴は、その理緒と有紀の写真を見比べて、小さく笑った。
和人の筆跡で書かれた文章をもう一度目で追う。
『——附属中学編入 入寮済み』
私立の全寮制の進学校だ。付いていた写真は、その校長室と見られる部屋で幾人かの大人達に囲まれてぎこちなく笑っている有紀のものだった。それを取り上げてポケットに入れる。
知っている人ならば校章を見ただけで判るだろう。
金はかかるが、優秀な出身者が多いことで知られている。
「さて、和人さんはどこまで伝えているのかな?」
ガラス窓の向こうで理緒が目を覚ましていた。
寝るつもりはなかったのか、慌てたように顔を擦っている。
和人に良く似た和人の従兄弟。
自らの手に落ちてきた獲物をどう料理するか。
今までも幾人かを調教したことはあるけれど。
いつもよりはるかに気分が高揚している自分に、友貴は不思議に思いつつも落ち着かせることはできなかった。
4
それからたっぷり30分間は観察の時間に費やした。
途中、ガラス張りのトイレに困惑をしながら入っていった時は見物だった。
排泄も何もかも隠すことの出来ない部屋は、落ち着かないのは知っている。客達の中には、その全てを間近で観察する事を好む者もいた。だからこそ、この部屋を姫達は極端に嫌うし、中には泣いて嫌がる姫もいる。
もっともその羞恥心があるからこそ姫なのだ。自ら股を広げる姫は、姫とは言えない。
友貴は書類の確認と理緒の観察を一通り終えると、おもむろに立ち上がった。
いきなりのことでどう対応するかまだきちんと決まってはいない。
だが、友貴とて忙しい身の上だ。昼間は昼間で和人の会社で秘書としての仕事があり、いつまでもここにはいられない。
書類を確認する限りでは、この店のシステム、返済方法その他諸々は伝わっているようだ。
ぱさりとテーブルに書類を投げ出して立ち上がる。
隣室との境のドアはこの部屋にしかなく、しかもこちらの鍵を開けない限り出ることは叶わない。
友貴はそのドアを慣れた手つきで鍵を解除して開けた。
目前に立つと、ぴくりと震えた背が叱られた子供のように伸びる。
まじまじと見つめてくる視線は少し見開かれている。
何か信じられないものでも見たかのような惑いの籠もっていて、どこか頑是ない子供のようだった。
けれど。
驚愕が過ぎた途端に、困惑しているかのように眉間に深いシワを寄せて俯いた。
「理緒、だな」
友貴の問いに返事もしない。
どうやらそこから躾ける必要があるのか、と友貴は内心ため息を吐いて、けれどどこか心中奥深くが昂揚しているのに気が付いていた。
一度目を伏せ、そして再度理緒を見つめる。
その鋭さに、明らかに理緒がたじろいだ。
友貴の纏う雰囲気の変化に気が付いたようだ。
「私は瑞葉友貴と言い、君を教育するものだ。君は、ここで働くことを承知した、と聞いたが?」
その言葉に嫌々ながらもこくりと頷く様に、友貴は胡乱な視線を送った。
「君は言葉が喋れないのか? ならばここで働くことは無理だな。ならば喋らなくても価値のある場所へ」
では、と携帯を取り出そうとした友貴に、理緒の顔色がさあっと青ざめる。
「も、申し訳ありません……」
震えながらもその声は凛と響いた。
なかなか良い声だ。言葉遣いも、礼儀正しさが自然と出ている。
それに、焦りと怯えが混じるそれは、男の劣情を誘うに十分な要素があった。
しかも、こうして近場で対峙すると確かに和人に似ていると思えるのだ。
和人が怯えたらこんな感じになるのだろうか?
「……もう一度聞く。これ以降私に同じ問いを二度言わせるならば、その時点でこの店で働く資格を失うことになる」
「……え、その……」
「ここで働くことを了承したね」
「あ、はい」
小さな声ではあったが、確かな肯定だった。
含まれる動揺は、この店がなんであるかを知っているからだろう。
「お前の全ては私が管理する。これから先、私の言葉には全て従って貰う」
「全て、ですか?」
「……先ほど私は拒絶することは許されない、と言っているが」
「あ、そういう意味では……」
慌てて言い繕う理緒をじっと見つめる。
和人には似ているが、やはり和人には似ていない。和人はこんなふうに優柔不断ではない。
「まあ、いいだろう。今日は特別に質問を許す。何か聞きたいことはまとめて聞くように」
その言葉に、理緒が跳ねるように顔を上げた。
視線が縋っているようだ。
「何だ?」
だから、つい問うていた。
黙って待つつもりだった友貴にしては珍しいことで、友貴自身そんな自分の不審さを訝しく思う。
だが、理緒はそこまでは気付かず、幾度か躊躇った後に、ようようにして言葉を継いだ。
「あの、俺はずっとここにいて働くことは聞きました。けれど、妹は……妹がどこにいるのか聞いていません。俺と同じように連れてこられました。危害は加えないと……言われました、けど……」
そんな言葉を素直に信じられない程度には、頭は働くのか。
どうやら、まだ妹の事は何も理緒には知らせていないらしいと知って、友貴は先ほどの書類を思い出しながら、くっと口元に笑みを浮かべた。
それに理緒がたじろぎ、口を噤む。
もともとが怜悧な美しさを持つ友貴だ。
その彼の嘲笑は、冷たい氷の棘を相手の心臓に突き立てる。
言葉を失った理緒に友貴はさらに笑みを深め、その顎を指先で押し上げ、外れかけた視線を戻させた。
「君が私に忠誠を誓うなら、妹の所在を教えて上げるし、連絡も許可しよう。どうする?」
和人の善行を悪用することに罪悪感は無い。
どうせ和人に伺いを立てても、好きにすればよいと言うだろう。
その辺りが理解には苦しむが、今の友貴にとってそんなことはどうでも良かった。
友貴にとって、和人の命令が全てだ。
理緒の全てを支配するように、と言ったそれが最優先事項だった。
「……忠誠を、誓います。だからっ」
理緒の逡巡はあっという間に終わって、きっと友貴を見つめる。
強い意志を浮かべるそれは、怯えた時よりもっと和人に似ていた。
「ふ?ん、だが、言葉だけでは嘘と言うこともあるね」
「嘘じゃないですっ」
「なら態度で……そうだな、これを……」
条件をその耳元で囁く。
「え……」
途端に愕然と口を開いて言葉を失う理緒から離れて、室内に備え付けているソファに座る。
腰を浅めにして、ゆったりと背を預けた。
「どうする?」
ほくそ笑みながら窺う。
そんな友貴を理緒は全身をぴくりともさせずに見つめ続けて。
「私はあまり時間がない」
その言葉に、ようようにして体を動かした。
うまく体が動かないのか、両手をついて四つん這いのような姿で寄ってくる。
「……ほ、本当に……」
「はい?」
「俺がそれをすれば、妹の事、教えて貰える……んですか?」
「もちろん。お前の態度が私の意に沿えば、だが。ただ、借金返済が滞るような状況では、私が許しても他の者が許さないだろう……。その辺りはガンバって貰わないとな」
「……」
膝先にすり寄ってきた格好の理緒が、躊躇いがちに顔を上げる。
視線が友貴の顔と、目的地とを往復し、未だに決意が揺らいでいるのがありありと伝わってきた。
「私には時間が無い、と言ったはずだが?」
正直なところ、早めに寝ないとまたしばらく睡眠時間が足りない生活が続くのは目に見えていた。
返事さえ聞いて、後は明日にしようかと、そろそろ考えていたところだ。
だが。
理緒が顔を上げた。
きっと口元を引き絞り、微妙に潤んだ瞳を向ける。
その途端、心臓に引き絞るような痛みが走った。
それは本当に一瞬で、あっという間に消えてしまったけれど。
何だ?
心辺りの無い痛みに顔を僅かに顰める。
けれど、思いつくはずもなかった。
友貴の動揺に気付いていない理緒が、おずおずと手を伸ばしてきているのだ。
「できるのか?」
わざと投げつけた嘲笑に未だ躊躇いが残っていた理緒の表情がさらにきつくなる。
その顔に和人の面影を見つけて、友貴は気付かれないように笑みを浮かべた。
これは和人だ。
顔だけは和人だ。
彼の指が中に忍び込み、友貴の萎えた陰茎を取り出す。
それを見たせいか、それとも一日衣服内に圧迫されていた臭気が漂ったのか、近づく口が一瞬止まる。
顔を顰める様子に、嗤う。
「しないのか?」
「します」
間髪を容れずに返す理緒に声を上げて嗤う。
「そうか、楽しみだな」
嗤えば嗤うほど理緒の表情が硬くなる。
憎々しげなそれはより和人に似ていて。
からかうのが止められない。
和人に似た形の良い唇から、赤い舌先が延びてくる。
ちろりと濡れたそれが先端に触れた途端、背筋に電流が走った。
5
拙い舌技でも、程よい滑りと芯を持った柔らかさで嬲られれば、快感は幾らでも追える。
意識して平静を保っていようとしているが、ずくずくと湧き起こる快感は幾らでも全身を犯す。
はあはあと荒い息を零す友貴を窺うように、理緒が上目遣いで窺ってくる。
それと視線があって、ずくんと快感が大きくなった。
友貴のそれは大きくて、銜えるのも苦しそうだ。それでも必死になって銜え込み口腔を窄めて前後に動かしている。 涎にまみれた唇がめくれてずりずりと陰茎を擦る様子を目の当たりにして、快感が倍増した。
「ん……」
躾ける側として威厳を保とうとするのは、調教師達の教えからだ。
けれど、それを職にするわけでないから、快感に巻き込まれそうになる。
何しろ理緒は必死だ。
時折えづきながらも奥深く銜え込み、口腔と指を使って陰茎全体に刺激を与えようと必死になっている。その十指もまた唾液でべたべたになって適度な滑りを持っていた。
「んぐぁ……ん」
咽喉への刺激に苦しげに呻く。
その振動が心地よく友貴は理緒の髪の毛を引き掴んだ。
本能の赴くままに腰を動かし、咽喉深くに擦りつける。
「ん、んあっ」
苦しげに呻いてそれを途中で止めようとするけれど。
その舌の動きがさらに陰茎を刺激する。
「そうだ……ほら、もっと舌を動かせ、喉を開け」
「ぐっ、あっ」
痺れるような快感に浸りながら、命令する。
それに逆らおうとする体を理緒は必死に押さえ込んで従うとしていた。
その苦しげな表情にぞくりと背筋に快感が走る。
和人に似た理緒が苦しんでいる。
その口が己の陰茎を銜えている。
与えられる視覚が快感を倍増し、友貴は歓喜の表情で理緒の頭を揺さぶった。
「あ、あがっ」
じゅぼじゅぼと濡れた音が響く。
苦しげな理緒の悲鳴と友貴の荒い息。
駆け上がる快感は一気に拡大する。
その瞬間、びくりと全身が震えた。
掴んでいた理緒の髪をきつくきつく握りしめる。
ずっとしてもらいたかったんだ、これを。
心の中でずっと願っていた想いの一つが解放されたその瞬間。
「っ——和人……」
口の中で思わず呟いていた。
吐き出すことは許さなかった。
飲み込むことを強要された理緒の喉がごくりと動く。
その顔には幾筋もの涙と鼻水、そして唾液が流れてぐしゃぐしゃだった。
そんな姿は和人とは似ても似つかないのに。
げほげほと絡んだ精液に苦しげに咳き込む姿。
だが、和人の姿と重なった。
そのせいか、いつも以上の快感に襲われたのだ。
「げほっ……これで妹のこと……」
袖で顔を拭き拭き、理緒が顔を上げてきた。
相変わらず床の上に座り込み、まるで奴隷そのもののようだ。
全てを支配することができる奴隷という存在。
その姿にくっと口角を上げる。
どうやら支配欲というものは、よりいっそう快感を倍増するようだ。
もっと苛めてみたい。
この男は何に弱いだろう?
何をすれば堪えきれずに快感に身を委ねるだろう?
性に慣れない体に徹底的に快感を教え込むとしたら、何からすれば良いだろう?
痛みか、快感か?
どこまで我慢できる?
ぞくぞくと込み上げる狂喜にも似た興奮に、友貴の瞳が輝く。
自分の嗜虐性をとことん解放して良い相手の存在が、普段押さえ込まれている感情が溢れかえってくる。
「そんなにも妹の事が知りたいか?」
ひくりと震えた体。期待と不安が入り混じる視線が心地よい。
「……有紀のことが知りたい——です。たった一人の俺の妹……。俺には親戚もいないから、もうあいつがたった一人の血の繋がった家族なんです」
血の繋がった……。
ふっと、教えたくなった。
今理緒がここにいる理由は、紛うことなく血のせいなのだと。
けれど、それは和人の望む事ではない。
教えられるのは、妹のことだけだ。
「お前の妹はある中学の寮に入ることになった。編入手続きは済んでいる」
「え……」
予想外の言葉に呆然としている理緒がおかしくてくつくつと喉の奥を鳴らす。
「未成年なんぞ店にだせんからな。意外か? それとも他にやった方が良いか?」
「え、いえっ」
ぶるぶると全身で拒絶する理緒に、「学費はお前が稼ぐことになる。その分借金の返済は遠のくぞ」と伝える。
実際には学費も和人のポケットマネーだが、それは絶対に信じないだろう。
「ほら」
「無事なんですね、有紀は。ほんとうに……無事、なんだ……」
新しい制服に身を包んだ妹の写真を渡せば半信半疑だった理緒の表情がゆっくりと歪んだ。
「これから先、その子がずっと学校へ通えるかどうかはお前次第だ」
「これって……あの付属中ですよね。大学までエスカレート式の」
「バカは入れん学校だ。僅か数日の勉強期間ではあったが、編入試験でも優秀な成績だったようだ」
和人であれば、成績など幾らでも誤魔化したろうが、書類には成績優秀で合格した事が追記されていた。
一体どこまで和人は計算していたのだろう。
幾ら和人でもたかが一週間で編入までこぎ着けるのは難しい。
それより前から準備していたはずだ。
この理緒を見つけてからここへ連れてくる間にどんなことを画策して、そして何故友貴に渡したのか?
「あ、ありがとうございます」
涙ながらに謝辞を口にする理緒が、ふっと表情を曇らせた。
「でも……でも有紀は……妹は俺の事は……」
無事だと判った途端、別の方に意識が向いたらしい。
不安げに震える濡れた唇を見やって、友貴は言い放った。
「男に体を売る仕事をしている——と教えてやろうか?」
「ま、まさかっ」
悲鳴にも似た叫び声を上げる。
「そ、そんなことは絶対に言わないで下さいっ!!」
「ほお……ならなんと伝えようか?」
「あ……」
絶句した理緒が、くっと下唇を噛みしめた。
色を失ったそれは、けれど何故かひどく美味しく見える。
「おいで」
体を延ばし、指先で顎を取る。
引っ張り上げるとふらふらと付いてきた。
何をされるのか、ひどく不安げな様子にそそられる。
「キスしなさい。私に何かをして欲しい時には必ずキスを」
びくんと震える体は、けれど逃げない。
見開かれた目が、ぎゅっと瞑られる。
まるで外界と自分とを切り離すかのように。
けれど、手が伸びて友貴の頭に回される。
触れる湿った唇は、ひどくぎこちなくて、相手が男だと言うことをさっ引いても慣れていないのが丸わかりだった。
しかも触れただけで離れようとするから、急いでその頭を捕まえる。
「こんなものでは私を満足させることは出来ないぞ。キスとはこうする」
その瞬間見開いた瞳を覗き込みながら、深く唇を合わせる。
怯えて奥へと逃げ込む舌を追いかけ、絡めて引っ張り出して。
柔らかく敏感なそれを思う存分に弄ぶ。
「はっ……やっ」
好きでもない男のキスに、理緒は一瞬拒絶反応を示した。
両手を動かし、逃れようとする。
だが、すぐにその手はだらりと下がった。
感情を理性でねじ伏せたのがよく判る。
賢い子だ。
頭の回転が早く、判断は正確だ。
それに、意外に快感に弱い。
がくがくと震える体を支えてやりながら背筋に手を走らせると、びくびくと震えている。
だが、戸惑いの表情が消えないところを見ると、そんな自分が信じられないのかも知れない。
もしかすると化けるかもな。
ねっとりとしたキスを繰り返し、理緒の口内を隅から隅まで貪り尽くしながら、友貴の冷静な頭が判断を下していく。
快感に弱く、けれど、理性が強いのは理想だ。
淫乱ですぐに股を開くような者は飽きられやすいが、快感に弱いくせに羞恥心が勝ってなかなか自分から言い出せないような子は客達の嗜虐性を大いに擽る。
しかも、顔はオーナーである和人に似ている。
血の関係を勘ぐるかも知れないが、あの和人に似た男を犯せるとなると、客達も悦ぶだろう。
口腔内を犯し尽くしてから離す。
と、途端に、理緒の体がぐずぐずと崩れ落ちた。
その股間が微妙に膨らんでいるのを見て取って、友貴は口の片端を上げながらそれを足先で突いた。
「どうした、キスで感じたか?」
「あ、こ、これは……」
慌てて股間を手で隠す。
そういえば、まだこいつを剥いていないなと、ダサイ服を来た理緒を見下ろした。
「あ、あの……妹には……」
けれど、真っ赤な顔をしながら見上げてくる理緒に、そういえばと思い出した。
キスしたら頼み事OKと言ったばかりだ。
「そうだな。お前は地方の建設現場に住み込みで行ったとでも言っておこう」
「え……」
「まあ、向こうは寮生活で、お前は夜に忙しい仕事だ。連絡は難しいかも知れないが、寮の電話番号くらいは教えてやる」
甘いな俺も。
内心苦笑している友貴と違って、理緒は感激のあまり言葉も出ないらしい。
感謝の言葉を口にしようとして、ただぱくぱくと動かすだけだ。
甘いな。
今度は理緒に向かって呟く。
そのうち感謝の言葉など出なくなる。
そして、その口から出るのは哀願だけになるのだ。
全てを支配される立場になった者が許されるはそれだけ。
感謝の言葉など不要だということを、すぐにその身に教えてやろう。
6
今日はさっさと寝て明日から躾けるつもりだった。
だが、理緒の一挙手一投足が見ていると一回出した程度では収まらなくなってくる。
何故かいますぐにこの男の全てを手に入れてしまいたくなる。
「お前は処女か?」
うるうると見上げる理緒の表情が一瞬にして強ばった。
目の前の男が豹変したのに気が付いたのだろう。
友貴自身、今までこれでも事務的な対応をしていたのだ。
だが、自由にして良いと言った言葉が今、友貴の頭の中に響いている。
「私は聞いているのだがな?」
「あ……あの……処女って……それって」
かあっと赤くなった頬を指先で撫で上げる。
「なんだ、その様子では良く判っていないのか?」
判ってはいるけれど、判りたくないというの方が正しいか。
顔を背けようとする理緒の顎を捕まえて、引き上げた。
「服を脱ぎなさい」
瞳を見つめて放つわざとらしい優しい声音に、理緒の瞳が怯える。
「二度言わないと言ったはずだ」
次は低い声音。
それで理緒が動き出す。
きっと唇を噛みしめて、動こうとしない腕を無理矢理動かしているようにぎこちない。
それでもシャツのボタンに手をかける。震える指が一つずつ外していく。
プライドはあるのだろう。本来なら他人からの理不尽な命令を黙して受けるタイプではないようだ。その証拠に媚びるような事は何一つ言わない。
けれど、必要ならそのプライドをねじ伏せるだけの度量もあるようだ。
黙して我慢して、従おうとするその姿は、けれど、優位に立つものからすればもっと見たいと思わせる表情なのだ。
はらりと肩からシャツが落ちる。
肌着代わりのTシャツは無地で色気も何もあったものではない。
だがその袖から覗く腕は細いのに、適度な筋肉が感じられた。
そこには年を取った者達が切望する若く瑞々しい張りを持った体があった。
「全てだ」
ズボンまでは脱いだが、その手が止まる。
二度は言わないと言ったが、特別だとばかりに横柄に足を蹴飛ばせば、目を固く瞑って一気に下ろした。
諦めたのか隠そうともせずに突っ立っている。
その股間にある柔らかな茶褐色の茂みの中にしんなりと垂れた陰茎は、今は力無いが形もサイズも良さそうだ。
「ふむ」
良い体だ。
目元を羞恥に赤く染め歯を食いしばっているのに、それでも隠そうとはしない。
「それで?」
まだ答えを貰っていないと促せば、何のことだと視線が泳いでいた。
室温は適度な筈だが、淡い色の肌が震えている。
さすがに意志だけではどうようもない感情もある。
最初が肝心だが、あまりに怯えさせては快感も何もかも感じなくなる。そういうのが好みの客もいるが、この男に関しては、友貴は自分の色に染めたかった。
屈辱に身を焦がしながらも自ら体を拓くことができるようにしたい。
触れただけで快感を感じるほど敏感に仕立て上げ、それでもなお我慢させると和人似のこの男はどんな顔をするだろう?
均整のとれた体を上から下までじっくりと観察し、理緒の体をどう調理するか考えていると、内心が踊るような歓喜に満ちてくる。
「男が受け入れる穴は一つしかない。そこは処女か?」
たわいない言葉に、全身を真っ赤に染める。
先ほどまではあやふやだった知識が、理緒の頭の中に蓄積されていく様子を目の当たりにするのはなんと愉しいことだろう。
「っ——しょっ……じょ、です」
掠れそうなほどに小さな声音が、確かに望むべく言葉を紡ぐ。
「ベッドに座って、足を広げろ」
友貴の言葉一つで、理緒が動く。
のろのろと焦れったいほどの動きもまた一興。理緒の羞恥の時間がそれだけ長くなるだけだ。
足を広げさせ、股間の奥深くまで晒させて、一つずつ説明する。
どうやって男を受け入れるのか、時折強く指で押しながら、排泄以外に使われたことのない後孔周辺を刺激した。
今や全身が真っ赤に染まっている大半の理由は羞恥だろうが、その陰茎が微かに鎌首をもたげているのを見ると、それだけではないだろう。
友貴の巧みな刺激に、理緒は感じ始めている。
見上げれば、命令通りに必死になって友貴の指先を見つめいる様子が良く判った。
その視線の先に潤滑クリームのチューブを見せながら用途を説明する。
卑猥な言葉を羅列し、客達がどんなふうにこのクリームで遊ぶのか、どんな作用がこれにあるのか、を全て。
たらりと陰茎に落とすと、全身がぶるりと震えた。それに構わず、ゆっくりと伸ばしていく。その指の目的地に近づく。
体温で流れやすくなったそれを掬い取り、たっぷりと後孔へと集めて。
「ひっ」
一本目の指が呆気なく入る。
この部屋に入る時に洗浄は済ませたと言っていたから安心して奥深くを目指した。
本来、それすらも教えてやりたかったところだが、どうせこの先何度もその場面に出くわすだろう。
中がうねるように指先を包み込む。
熱く包まれる感触が陰茎そのものであったなら——きっともっと突き上げて犯したくなるだろう。
それもすぐのことだ。
そのうち、何もかもが友貴で支配される体となり果てる。
指先一本で達くことも、我慢することも、太い陰茎に犯されて啼くことも、それで達くことも、達きたいと強請ることも、媚びることも、詫びることも。
友貴の脳裏に、未来の理緒の姿が浮かび上がる。
眉の形を整えて、服の趣味から言葉遣い、そして知識まで、全て和人のようにしてやろう。
その上で、男が犯さずにいられない体にしてやろう。
けれど、それが恥だという心は失わないように。
借金のために体を売っている理緒は、どんなに恥ずべき存在かを脳に染みこませながら。
和人の顔をした淫らな体。
堪らない……。
「どうした、感じるのか? 普通の男ならこんなところに指を入れられてこんなに簡単に勃起しないぞ」
「ち、ちがっ……」
男の最大の性感帯である前立腺の近くを刺激し、揶揄してやる。
必死になって首を振って否定するけれど、見た目にはっきり判る。
どうやら理緒は前立腺で十分感じるタイプらしい。そうであれば、やりがいもあるというものだ。
「止めて欲しいのか?」
辛そうに顔を歪めてこくこくと頷く理緒の必死な様子にほくそ笑みながら、ん? と至近距離で顔を覗き込む。
ぱちくりと目を瞬かせ、見つめる理緒に囁く。
「願い事をする時の決まり——もう忘れたのか?」
綺麗だ、氷のようだ。
そう形容される自分の顔の効果は、どうやら理緒にも効くらしい。
しばし魅入ったようだった理緒が、遅れて言葉を理解したようだ。ぎくりと体を震わせた。
「できないなら……」
「んっ」
一度引き抜いた指を、今度は二本揃えて一気に差し込む。
指の腹が触れた場所をぐっと押し上げれば、腕に当たる理緒の陰茎がびくびくと震えた。
「元気だな」
笑みと揶揄。
怒りと羞恥、けれどそれ以上の快感に、理緒の顔が歪む。
「ん、くっ」
声を出すまいと奥歯を噛みしめている表情を堪能した。
息がどんどん荒くなる。
今や完全にいきり立った陰茎から透明な滴が糸を引き始めていた。
「ほら、ちゃんとその目を見開いて見ろよ」
油断すると閉じそうになる目を指摘してやると、慌てたように目を見開く。けれど、快感を堪えようとしてまた閉じそうになって。
指先で苛めてやりながら、それを揶揄して、叱ってを繰り返す。
「……や、やめ……」
そのうちに理緒の押し殺した喘ぎが制止の意味を繰り返すようになってきた。
「ならば、どうすれば良いか判っているだろう?」
その言葉に、うっすらと目を見開いた理緒の顔が歪む。
縋るような視線を向けられて背筋にぞくぞくと震えが走った。
「ん?」
と、促してみると、困惑の色が快楽の色の中に混じる。
できない、と目が訴えているのが判る。だが、決めたことは守らなければならない。
和人の言葉が友貴にとって最大のルールであるように、理緒にとっては友貴の言葉が最大のルールになるのだから。
構わずに前立腺を指で突き上げていると、嗚咽にも似た喘ぎが零れる。
「あ、や、嫌だ——やめっ……」
このまま指だけで達っても構わないから、ただその色づいた表情だけを見つめて指を動かしていた。
と。
「や、止めて……」
それまで必死になってシーツを掴んでいた手がいきなり伸びた。
友貴の頭に回されて、強い力で引き寄せられる。
傾いた顔が近づいて、荒い熱の籠もった吐息が触れた。
「んっ……」
鼻から零れる甘い音と、差し込まれる熱い舌に、ぞくりと快感が背筋を這い上がる。
拙く動く舌が、友貴のそれを捜して吸い上げようとするのを巧みに避け、熱い肉壁に包まれた指先を遠慮無く押し上げた。
「ん、ふっ、あっ」
そのたびに、理緒から漏れる甘い吐息と力が入る腕。
我慢できないのだろう。
止めて欲しいのか、それとも快楽に煽られているのか、舌の動きが激しくなり、なんとかして捕らえようと蠢く。
その余裕の無い動きがおかしくて、思わず笑いそうになったけれど、そっと自ら舌を差し出してやった。
「あっ」
自らキスを仕掛けてきたくせに、動かれると怯えたように逃げる理緒の舌を追って、口腔内に侵入する。
先ほど覚えた弱いところを重点的に攻め上げれば、体が逃げようとしたから空いた手できつく抱き締めた。
密着した体をそのままベッドに押し倒す。
その拍子に動いた手が一際強く前立腺を押し上げて、声なき悲鳴が理緒の喉を迸った。 だが、理緒はまだ達っていなかった。
びくびくと震える体の中心で、理緒の陰茎はまだいきり立ったままだ。
射精を許されぬ絶頂に体は硬直し、意識は何が起きたか判らないままに飛んでいる。
ドライオーガズムをこんなに早く覚えるなんて。
性格も姿形も、そして体も、姫として最高級品になりそうだ。
「理緒……」
届いているかどうか判らない相手に、友貴は語りかけた。
「お前を最高級品にしてやるよ。俺の手で」
朦朧とした瞳を見つめて、力の入っていない足を担ぎ上げた——直後。
「ぎゃあっ」
断末魔のような悲鳴が、室内中に響き渡った。
7
容赦なく突き上げるたびに、理緒の頬から滴が飛び散る。
抽挿のリズムに合わせて嗚咽が途切れ、再開する。
決して細いとは想っていない友貴の陰茎を受け入れた後孔は意外にも切れていなかった。だが、痛みが激しいのか、理緒の陰茎は萎えたままで、全身はおこりのように震え、肌は青ざめていた。
「や、止めっ……痛っ、いた……」
時折漏れ聞こえる言葉も、制止と痛みを訴えるものばかりだ。
だからと言って、友貴には止めるつもりなど毛頭無かった。
普通は痛いものなのだ、ということを教えこませるつもりなのだ。太い陰茎を挿入されて、痛みもなく快感を感じることは変なのだ、と言うことを身に染みさせるために。
いずれ、何度もここで客達の陰茎を受けて入れる内に、後孔は柔軟にそれを受け入れるようになるだろう。だが、そうなってしまう前に、理緒には徹底的に、普通ならば、という事を教えるつもりだった。
普通の性交渉をするならば、ここで受け入れる事はまず無い。
なぜなら、後孔は狭く、陰茎は太いから、受け入れるにはそれなりの準備が必要だからだ。
だが、慣れてくると、たいした前準備無くして後孔が受け入れ始める。そこに触れられるだけで、快感を味わい、自ら挿入して欲しいと願うようになる。毎日犯され、嬲られ続けられればそうなってくる。
「あぃっ、痛い……っ、苦しいっ、やめぇ——」
だが、通常であればそんな姿はおかしいのだ。常識から考えれば、変なのだ。
そんな意識を植え付けるために。
その結果、いずれ快感しか感じない体に気が付いて愕然として、感じてしまう己に酷い羞恥心を感じるようになる。
その姿が客を悦ばせる。
「当たり前だ。痛いのが普通だからな」
「やだっ——あぁっ」
「だが、そのうちお前はここで快感しか感じなくなる。触れられるだけで体の力が抜けるほどになる」
「ち、違うっ、——ひっ、そんな、そんなこと——」
「ならないと言うのか?」
「な、ならないっ、ならないっ」
頭が大きく左右に振られる。涙がきらきらと周りに飛び散って、シーツに染みを作る。
それが理緒の常識。
そうでなければならない。
だが、いずれそれが崩れる時が来る。その時、理緒はどんな顔をするだろうか?
友貴は体を前に倒して理緒に体を合わせ、その頭を抱え込む。ぐんと奥深くまで穿たれた陰茎が、さらに痛みを与え、理緒が大きく仰け反った。
その晒された喉を舐め、吸い付いて、囁く。
「それならば、今は痛いだけだな」
優しさを乗せれば、解放されたい一心で理緒が縋ってくる。
「い、痛い——から……やめ……」
「しょうがないな。痛くないようにしてやろう」
手を伸ばし、繋がった場所にクリームを足す。
初心者が使う麻痺剤が多く入ったものだ。
こちらの感覚まで多少鈍くなるが、達けない程ではない。
「あっ、くっ」
「このクリームを使ってやる。そうすれば少しは楽になる。後は、せいぜい締め付けてさっさと達かせるんだな」
もっとも、麻痺剤の量は徐々に少なくしてくつもりだ。
そして麻痺剤を入れていないクリームを使い出した時、教えてやろう。
お前の体は、男をこんなにも簡単に受け入れている、と。
「あ、くっ」
粘膜の薬液の吸収率は高い。
さっきまでのような悲鳴は少なくなり、奥歯を噛みしめる事で痛みを散らすことができるようになったようだ。
そのせいでようやく息ができたとばかりに、理緒が何度も大きく呼吸をして。
「あ、ありがと……ございま……す」
視線がじっと友貴を見つめて、そんな礼を言うものだから、友貴の動きが一瞬ぴたりと止まった。
犯している最中に礼など言われるとは思わなかったのだ。
「……だいぶ……楽に……」
よっぽど素っ頓狂な顔になったのか、蒼白な顔なのに口角が上がって。
「……なりましたから……」
友貴のお陰だと、その声音に混じる感謝の色に友貴は鼻白んで、訳も判らずに理緒の萎えきった陰茎を掴んだ。
「あ、はっ、や、やだっ」
途端に理緒の声音が変わる。
直接的な刺激は男には堪らない。
嬌声を上げる理緒に対し、友貴は情け容赦なく抽挿を繰り返した。
何がありがとうだ……。
自分を犯している相手に……。
何故か無性に腹が立って仕方がなかった。
これ以上そんな言葉は聞きたくなかった。
痛みが消えて、奥深くの快感だけに翻弄されだした理緒の瞳の力が弱くなる。
はあはあっと荒い息を零し、唾液が顎を流れる。
「嫌だ——は今後禁句だ。客から何か言われたら、全て『はい』だ。それ以外は許されない」
いずれ、嫌と言うほど知ることになる姫に科せられたルールの一つ。
痛みから解放されたとは言え、陵辱に意識がもうろうとしている理緒の頭がどれだけはっきりと理解しているのかは判らない。
それでも構わない。
「あ、あっ」
「客を相手にする時は、射精は禁止する。お前が射精できるのは、私に頼んでこの恥ずかしい場所に私の陰茎を貰った時だけだ」
「ん、あっ」
ああ、そうだ。
この命令は全ての客に伝えよう。
その結果、客は好んで理緒を選び、達かせる事を念頭に徹底的に嬲るだろう。
射精をした罰は、妹に連絡を取れなくするようにしようか?
それとも、高い罰金を設定しようか?
いや、それとも客達に無償で嬲り続けさせようか?
射精すれば、まず間違いなく借金を減らすことはできなくなる。
それに気付いた理緒は必死になって我慢するだろう。
そうして、熟れきった体を友貴の前に晒して、潤んだ瞳で請い願うのだ……。
憎い相手に膝を屈して願うのだ。
——達かして、ください……。
この和人に似た顔で……。
「あ、くっ」
その瞬間、友貴は今までなく激しい衝撃と共に射精した。
それは、全身を震わす程の激しい開放感を伴っていた。
ウェイターとしての仕事の躾は、輝姫と野崎に頼んだ。
全てを、という和人の命令だが、それには一週間は短すぎる。もともとカフェでバイトの仕事はしたことがあるらしいが、それに加えてこの水晶宮独自のルールもある。そういう内容は二人の方がベテランだ。
だから友貴は理緒に徹底的に性技を教えた。
毎日毎日、ウェイターの勉強時間と僅かな睡眠と休憩以外はずっと友貴自身が教え続けた。
「そうだ、喉の奥をもっと開け」
嘔吐感に襲われながらも必死になって喉奥深くまで銜える理緒の髪を掴む。
最初の時はずいぶんと拙かったが、今では咽喉を開くことを覚えた。
そうやって銜えた陰茎を這う舌や、柔らかく刺激するよう歯列も上手く使うことが出来るようになった。
その点は、理緒は良い生徒だ。
友貴の教えることをどんどん吸収していく。
今日は、その復習を一通りしているところだった。
何しろ、明日から三日間、癒しの間で理緒は「砂姫(すなひめ)」という名で客達に披露される。
初めての客に対してウェイターとして迎え、テーブル席に着いた彼らの陰茎を口に頂いて奉仕するのだ。
お披露目の期間だけの特別な催し物で、その期間だけは、普段静かな癒しの間も、淫猥な空気に満たされる。
そのお披露目で覚えて貰って、宴の間で選んで貰うために。
「凄いな。もう覚えたか……筋がいいな。普通なら、なかなか慣れないもんだが……」
揶揄しながら咽喉を突き上げる。
涙を滲ませる理緒の視線はきつい。だが、その目元が赤いのは激しい羞恥心のせいだ。
「元が淫乱なんだな。ずいぶんと美味しそうに銜えている」
喉の奥まで銜えて相手を達かせる術を必死になって覚える理緒を、友貴は褒め、揶揄した。
——悦ばせるテクの覚えが早い。
——男を銜えて悦ぶ体質だ。嬲られるためにある体だ。
——厭らしい体は恥ずべきものなのに、理緒の体は特に厭らしく男を誘う、と。
この一週間、性の技術を覚えるたびにかけた言葉に、理緒は怒りと羞恥を感じている。
良い傾向だ。
嗤う友貴から視線を外そうとする理緒の顎を掴み、視線を上げさせる。
そのせいで体内を刺激するディルドの当たる場所が変わったのか、理緒がひどく顔を顰めた。
ブゥンと小さく響くディルドは、少しずつ太くしていった。友貴の陰茎かディルドか、いつも何かが入っているようにさせていたから、今では、僅かな準備で友貴を受け入れるほどに柔軟になっている。
それもまた、友貴にとっては揶揄する良い材料となった。
それに、実際、理緒の体はひどく具合が良いのだ。
今まで幾人もの姫を味わったことのある友貴ですら、その具合の良さに躾を忘れて取り込まれそうになる。
特に後孔の具合は堪らないほどだった。
柔らかく熱い肉壁が陰茎にまとわりつく。その蠕動運動が、陰茎を刺激し、奥へと誘い、外へと吐き出そうとする。
その感触は、ぞわぞわと肌が総毛立ち知らず全身の力が抜けていくほどだ。
もっと、もっと。
一度挿れてしまうと、飢えたガキのように、もっと犯したくて堪らなくなる。
ぎゅうっと中が閉まるたびに、指先に力が入り、理緒の弾力のある双丘に食い込む。
引き寄せ、腰を強く押しつけて。
全てが入り込むほどに、奥へ奥へと突き上げる。
友貴はあれから理緒の髪を整え、眉の形も揃えた。スーツを与え、常にネクタイを締めさせた。凛とした立ち姿でいろ、と口を酸っぱくして教えた。
そんな姿の理緒を四つん這いにさせ、背後から穿つ。
ぱぁんっ、と弾ける音がするほどに腰を打ち付けると、理緒が強く背を仰け反らせた。その姿は、想像でしか無かったけれど、和人にしか見えなかった。
まるで和人を犯しているような気分。
そんな不敬な事など、考えるのもおこがましいことなのに。
けれど、今友貴は和人を犯しているのだ。しかも、最高級の娼婦よりもよっぽど具合の良い体をしている。
「ん、くっ。何て良い穴なんだ」
引きずり込まれそうな快感から意識を保つために、理緒に言葉を投げつける。
その拍子に、潤んだ瞳がそれでもきつく睨み付けてきた。
ああ、これだ、この瞳だ……。
力強い視線は、和人と同じ。
ぞくぞくと粟立つ快感に身を震わせ、あやうく達きそうになるのを必死で堪える。
「中でぐねぐねと俺を引きずり込もうとしてるぞ。厭らしい……そんなにも飢えているのか?」
「ん、くっ……あっ……」
わざと強く前立腺を抉ってやると、視線が逸れて深く俯く。
シーツに付いた指がぎゅっと強く握られる。
甘い声を零してしまったのが判ったのか、唇に前歯が食い込んでいた。
その表情にもうっとりと見惚れてしまう。
今自分は和人を犯しているのだ……。
判っているのに、そう信じてしまう。
和人……。
気が付けば心の中で何度も呼んでいた。
和人、和人……良いよ、和人……。
「あ、んくっ、やだ……やだ……とも、き、さま——」
理緒が泣いていた。
嫌だという言葉は、禁句としているのに。
泣きながら繰り返す。友貴の名を縋るように呼びながら、泣いて、けれど。
嫌だと言いながら、その声に徐々に堪えきれない甘さが混じってくる。
「嫌だ……嫌だ……あぁっ……。も、もぅ——友貴——さまっ、ともき——さまぁ」
感極まった嬌声が迸る。
嬌声に混じる友貴自身の名がひどく甘く聞こえる。
呼ばれるたびに、ずくんと腰が疼き、もっともっと激しく突きあげたくなる。
きつい突き上げに、一週間嬲られ続けた体はひどく敏感に反応していた。
それを知っていてなお、友貴が陰茎を捻り込む——と。
「ん、あぁぁっ——」
びくんと震えた理緒の内壁がきゅうっと引き絞られた。
「あ、はぁっ——」
それは、限界近くまで高まっていた友貴のそれをも簡単に誘発させた。
最近、氷の美姫がよく微笑んでいる、と客達の間では評判だった。
オーナーに呼ばれた時しか来ない友貴が、この一週間毎日ここに来ている、それも姫を躾けているらしい。
そんな噂が客達の間に伝わったのはあっという間だ。
「特別な姫らしい」
「あの氷の美姫が手ずから躾けた姫」
「ぜひ味わいたいものだ」
噂は噂を呼び、客達の期待を高めていく。
そして迎えた理緒のお披露目の日。
その日、水晶宮はかつてないほどの客を迎えていた。
8
理緒の披露の日。
明け方近く友貴と共に与えられている自室に戻ってきた理緒は、自分ではろくに歩けない状態だった。けれど、室内に放り出された途端に、這うようにしてトイレへと向かい、便器に縋り付いた。
半開きのドアの向こうから、げぇげえと激しく嘔吐している音が聞こえる。その様子を友貴も洗面所で手を洗いながら聞いていた。
畜生……。
心中で悪態を吐く友貴の口元はきつく結ばれて、表情は険しい。
あまりに予想外の人数だったのだ。
客達に期待を持たせてしまったのは知っていたが、それでも忙しい客達がこんなに一斉に現れるとは思わなかったのだ。
もともと水晶宮は和人が厳選した客にしか会員資格を与えていない。
皆一線で活躍する政財界を含めたあらゆる世界の重鎮達ばかりで、当然ながら月一での来店がようやく——というような人達も多い。
だから、せいぜい一晩に10人ほどが訪れるのか常だった。
もともと量より質の店だから、姫の人数とも相まってその程度しか受け入れられないのだ。
それなのに、報告によれば今日は20人を超えて30人近い客が一斉に来てしまったのだ。
テーブル席どころかカウンター席までいっぱいで、皆が興味津々で理緒と彼を連れている友貴の様子を窺っていた。
姫のお披露目のルールでは、来店して頂いた全ての客に挨拶をするようになっている。
その間ずっと友貴が付いて回って、理緒を砂姫として紹介し、彼に課させられたルールを伝えていった。
そして理緒が奉仕する間ずっと、何か粗相をしないかと監視していたのだ。
何か無礼なことはしないか、不愉快な真似はしないか……。
理緒の口が萎びた陰茎を銜えて、唇で扱き達かせるまで。
その間にも次の客に挨拶をし、待ち時間のある客から差し出されたアルコールを口に含んで応えた。
相手によっては、返礼だと濃厚な口づけを返す。
ここでは、客の要望が一番だから、たとえ友貴でもオーナーの言葉無しには拒絶はできない。できるのは、宴の間への招待への拒否だけだ。それだけはオーナー命令でできないと客達に伝わっている。だが癒しの間では、キスや愛撫までの行為は許されていた。
そうなると氷の美姫たる友貴とも遊びたいと擦り寄ってくる客は後を絶たなくて、それもまた友貴の疲労を蓄積した。
無遠慮な手が友貴の体をまさぐってくるのを笑っていなし、その手の持ち主に、耳元で囁き、キスで返す。
一人二人ならともかく、今日はその人数も多かった。
それに、予想外の人数の客に理緒の舌や顎は終わり頃には僅かに動くことすら出来なくなるほどに疲れ果て、愛撫など出来る状態ではなくなった。だからと言って、客は待っている。
結果、友貴の手によって客達の陰茎を取り出し、理緒の口へ入れるなどの手助けをすることになった。
理緒の唾液で濡れた指が客の陰茎と理緒の唇に触れる。
ぬるりとした唇が時折陰茎ごと友貴の指を銜え込んだ。
友貴の指と理緒の唇と舌。
その相乗効果に客他の興奮度も上がり、常より早く達く客も多かった。
その様子を間近で見続けて、胸の奥にもやもやとした不快な塊が次第に大きくなっていくのを感じていた。
今まで単なる金蔓でしかなかった客達が、ひどく厭らしい化け物に見えてきた。
和人のためなら——。
和人のためなら何でもできた自分が、ここから逃げ出したくて堪らなかった。
こんなふうに、いつまでも付いて回る必要はないのだ。
適当な言い訳をして、輝姫に後を任せても良いはずなのだ。
なのに、そんなふうに投げ出したくなると、理緒の視線に気が付いてしまう。
苦しげに歪んだ表情で、じっと友貴を見つめている。
その縋るような視線を、友貴は外すことが出来なかった。
結果、最後まで付き合うハメになったけれど。
全てを収めた理緒の胃が、全てから解放されて拒絶反応を起こしてもおかしくはなかった。
だが、まだ初日だというのに。
疲れた体からネクタイを取り去り、友貴はぐたりとベッドに座り込んだ。
体も疲れたが、心もひどく疲れている。
怠い体を動かす気力すら湧いてこない。そんな気にもならないほどに、感情も暗く落ち込んでいる。
今日の成果は、この店にとって良いことで、ひいてはそれは和人のためになることで、本来なら悦ぶべきことなのに。
くらりと目の前が暗くなり、思わず目に当てた手のひらから、嫌な臭いが漂ってきた。
洗ったはずなのに。
客の精液にまみれた手。
途中から、嫌で嫌で堪らなくなってきていた。
最初、それが客を相手にしなければならなかったことかと考えたけれど。
それが客とキスする時よりも激しく感じたのが、陰茎を掴んでいる友貴の指に理緒の唇が触れてきた時からだった。
その感触に、背筋がぞくりと粟立った。
それは紛れもない快感で、思わずそんな快感を与えた場所を見下ろして。
柔らかで快感を与えてくれる唇が、浅黒く変色したモノを銜えているのを目の当たりにした途端、今度はさあっと全身が冷たくなった。
苦しそうに喘ぐ理緒の視線が、涙を潤ませながら友貴を見つめる。助けを請うようなそんな視線に、友貴の胸にも痛みが走る。
嫌だ——と想ったのは、それが最初だ。
けれど、逃げ出すことも叶わなくて。
あんな理緒を放っておくことができなくて。
ドアの向こうから饐えた臭いが漂ってくる。それに吐き気すら覚えた。
俯いて微かに見える理緒の青ざめた表情を見るのがひどく辛かった。
和人ならば幾ら疲れていても他人にあんな顔は見せない。ふらふらの呆けた情けない顔など見せやいない——はずなのに。
でも、彼は理緒だから……。
「明日はもう少し絞るか……」
喉元まで込み上げる不快感を解消するために、明日の事を考えた。
明日からの披露は再考の余地があるだろう。このままでは理緒のイメージが崩れてしまう。
癒しの間では和人のように凛とした姿で客と接しさせるつもりだったのだ。そんな理緒に傅かれるのは客としても愉しいことだろうから。
そして宴の間では淫らにその体で男を誘わせる。そのギャップは客達を悦ばせるだろう筈なのだ。
だが、そんな事を考えていても、友貴の不快さは増すばかりだった。
しかも、お披露目が済んで宴の間に移ったら——と、客に肌を晒す理緒の——いや和人の姿が脳裏に浮かんだ途端に、思考も何もかも一気に停止した。
ただ一つ、狂おしいほどの嫉妬心が胸の奥で渦を巻く。
これは理緒だ——と何度も思い直すのだが、和人に似せさせた理緒は、見慣れた客ですら和人ではないのか、と勘ぐるほどに似ているのだ。
そして友貴も、理緒から和人の影が外せない。
誰よりも愛おしく敬うべき相手。
そんな相手が他人に翻弄されている姿に、激しい憎悪すら覚えて、その苦しさに胸をかきむしりたくなる。
けれど、それは肌のずっと奥底にあって、指など届くところにはない。
「和人さん……」
最初から手が届かない人だから、たとえ彼が誰と寝ても我慢できた。
ただ重要な仕事のパートナーとして傍らにいることができればそれで良いと想っていた。
だが……。
理緒は——。
姿形が和人に似ているだけの理緒。
和人のために、友貴が躾け、たぶん一生闇の中で飼うことになる姫。
客達に犯され、嬲られてその生を終えることになる……。
「うっ」
途端に胸の奥で何かが激しい痛みが走った。
それが何か判らないままに、胸を掻きむしる。
痛くて、苦しくて。
未だ経験したことのないそれに、友貴はベッドの上で蹲った。
苦しくて、やたらに寒くて。
友貴は胎児のように体を丸めて蹲っていた。
「……友貴さん……」
耳元で不安げな声が響く。
「ん……」
痛みはもう無い。
ただ寒くて、動く気力が無くて、蹲った友貴の耳元で囁く声がする。
「友貴さん……」
「ん……」
頬に触れる温もりに、ほんの少し寒さが和らいだような気がして、友貴はまぶたを開けた。
「あの……医者頼みますか? 何か熱があるみたいだ……」
「熱……?」
それでこんなに寒いのだろうか?
「顔色も……酷いです」
「あ、ああ。疲れが溜まっているだけだ。このまま寝る。お前もさっさと寝ろ」
狭いベッドの端を開け、理緒の体を引っ張り込む。
理緒を任せられる前から仕事がずっと忙しかった。
それに加えて一週間という期限付きの理緒の躾は、思った以上に友貴に負担をかけていた。
「途中から……ひどく熱いって……」
不安げに触れる手のひらの持ち主が理緒だと判っているのに、和人が心配してくれるような気になる。
子供の頃には、和人もこんなふうに友貴のことを気遣ってくれた。だが、成人してからは、和人は友貴に気を遣ってはくれない。
子供は護るべき対象で、大人は攻撃する対象だと言わんばかりに態度を変える和人をずっと見ていたから知っていたけれど。
自分も他と同じなのだと知って、落胆して。
でも、いつかまた……。
気に入られれば、また構って貰えるのではないか?
僅かな希望を胸に、和人の傍で遣え続けているけれど。
「……今日は……ありがとうございました……」
小さく響いた声音が、思いの外心地よく耳に入ってきて、友貴はほっと息を吐いて、そのまま意識を手放した。
9
次の日、理緒は友貴がついて回ることを拒んだ。
「まだ、熱があります」
心配げに言われて、友貴は眉間にシワを寄せて首を振った。
時々、理緒はこんな優しさを見せる。
躾が長く続き、疲れ果てて躾に使っている部屋でソファに身を沈めてうたた寝をしていると、いつの間にか毛布がかかっていたりするのだ。そんな事ができるのはそこにいる理緒しかいない。自分は寒そうに汚れたシーツやバスタオルを身に纏ってベッドで丸まっているというのに。
それに理緒は自分をいたぶり、揶揄する相手に事が終われば礼すら言うこともある。
そんな理緒の心理が判らない。
一度問いただした時には、教えて貰ったから——と言う。
『何かを教えて貰ったり、親切にしてもらったり……とにかく何かをしてもらったら、礼を言うのは当たり前だと思っています。それにもし何も知らないままに店に出たら……俺は、きっとあっという間に、その樽見って店に行かされる筈ですから』
確かに、脅しのために伝えた樽見の店には、何もできない者も行かされることはある。そういう事を大げさには伝えてはいるが、だからと言って教えた事は礼を言われる事ではないはずだ。
まして理緒は、和人の目にとまらなかったら、こんな所には来るはずもない人間だったのだ。
「昨夜は友貴さんのお陰で後半がずいぶんと楽でした。けれど、そのせいで、ずいぶんと無理をさせてしまって……」
だからと言って礼を言われる筋合いではないし、そんなことを言われると、心中が妙にざわめく。
「これは私の役目だ。和人さんにお前の全てを見るように言われているからな」
そう言い捨てて慣れた仕草でネクタイを締めながら、鋭い視線で理緒の頭の上からつま先までを見やった。
細身の体にぴったりとフィットしたスーツに、水色のネクタイが似合う。
形も色合いも決まったスーツを着る姫達の姿の唯一の違いはネクタイのみなのだ。
そのネクタイは友貴が選んだ。
「歪んでいる」
すぐに客達に掴まれてよれよれになるのだけど、最初だけはと理緒のネクタイに指をかける。
理緒は背が高い。
友貴より10センチばかり上にある双眸は、友貴の言葉を意にも介さず心配げに細められていた。
「お前、バカか」
何故かいたたまれなくなって、視線を逸らして悪態を吐いた。
昨日までは揶揄の対象でしかなかった理緒の優しさを、今日は切り捨てられない。
「自分の心配が先だろうが」
「はい、ありがとうございます」
近い距離で、理緒が友貴の手を見下ろしているのが、手の甲にかかった吐息で判った。
その途端走った疼きに、膝の力が抜けそうになる。
——なんだよ、これ……。
自分がコントロールできない。
氷の美姫の名が泣くぞ。
自分に毒づいて簡単に変化する表情筋を故意に引き締めて、理緒を見上げ、言い放った。
「さあ、いくぞ。今日は私の手を煩わすな……」
「……はい」
「客の受けが良ければ、長い間選んで貰える。それだけ借金返済の道は短くなる」
その言葉に、理緒の表情は瞬く間に強ばった。だが同時に、不安げに震えていた瞳に力が籠もる。
ここに来たばかりの頃にどの姫達も見せる瞳の力で、これが長く続く姫ほど売れっ子になる。
理緒はどうなのだろうか?
背後に続く理緒をちらりと窺う。
躾の間、意外な我慢強さを見せてきた理緒だから、もしかすると長くここでがんばれるかも知れない。
そうであれば、良いのだけど……。
和人の元に遣え始めてから、自分をきつく戒めて、ただ和人のことだけを考えていた。
それなのに、起きた時にはそれを忘れていて……。
『おはようございます』
ゆったりとした優しい挨拶が嬉しいと思ってしまったことに、呆然としてしまった。
久しぶりにゆったりとした眠りの原因が、昨日の理緒が見せた優しさだとも気付いてしまったから。
あの優しさが、ずいぶんと奥深くまで友貴の心に浸透していた。
ふっとそんなことを思い、慌てて首を振った。
二日目になると理緒にも多少余裕が出たようで、客達へのお披露目もなんとか一人でこなしきった。
もとより、一日目より少なかったということもあるだろう。
これなら……。
「私は明日は会社に行く。夜には来られない」
部屋にはいるなら、服を全て脱ぐように命令して全裸となった理緒が、今はぐったりとベッドに沈み込んでいた。その背背に乗り上げながら、友貴は自分の予定を言い放つ。
「……はいっ……んっ」
一週間という短い期間ではあったにせよ、濃密な性技の訓練によって理緒の体は手のひらでふわりと触れられただけでびくびくと震えた。
「どうした? 疲れているんじゃないのか?」
耳朶を甘噛みしながら囁けば、さあっとその耳まで赤くなる。
嫌そうに身を捩ろうとするが、上半身に乗りかかられ、それもままならない。
剥き出しの肌に触れれば、息を飲みながら、必死になって零れそうになる声を堪えていた。
「んっ、くっ」
背から腰へ、そして形の良い双丘へと手のひらを這わせる。
「美味そうに銜えている」
じっとその場所を凝視すると、肌の赤みがますます増していった。
今日のお披露目の間、理緒の後孔にはずっと細身のディルドを埋め込んでいたのだ。
昨夜のような客数なら無理だったが、今日の人数を聞いた時点で、大丈夫だと踏んで理緒に埋め込んだ。
そのせいで、理緒はずっと違和感を感じていたのだろう。
見る者が見れば判る程度にもじもじと腰を動かす理緒の姿は、十分客達を悦ばせていた。
「ずいぶんと嫌らしく腰を動かしていたな。そんなにもこいつが美味かったか?」
「あ、ひっ——いっ」
ぐにぐに動かせば、面白いように理緒の体が跳ねた。
上がる嬌声を両手で塞いでいるが、その指の隙間からはあはあと熱の籠もった息を吐き出している。
「んっぐぅ……ううっ」
ぐいっと突き上げれば、腰が跳ねる。上に乗っている友貴をも振り落とそうとする動きに、ぴしゃりと尻を叩いた。
「ちゃんとじっとして味わえ、ほら」
そのディルドをどこまで埋め込んで、どういう角度にすれば、すでに後だけで達くことができる理緒を達かせることができるか友貴は良く知っている。
「あ、はあっ、ああぁっ」
その場所を抉るように動かすと、一際高く理緒が啼く。
「おやおや、腰が浮いて……嬉しそうに涎も垂らしているようだな」
もじもじと腰が擦りつけるように動いているのを上げさせて、手を差し込む。
ねとりと指の間を流れるほどの液体を掬い取り、肌になすりつけた。
「ひっ、す、すみま……せんっ」
こんな玩具で達くことは恥ずべきことだと教えているから、理緒の口から謝罪の言葉が出る。
躾の成果が如実に現れていることに満足はしているが、友貴の手は止まらない。
喘いで、必死になって快感を逃そうと唇を強く噛んでいる理緒は、友貴の獣性を刺激する。
まして、理緒は自分が好きにして良い相手なのだ。
「ほら、ここが良いんだろう?」
「あっ、ぁぁっ、ダメ……」
「おや……今、何か言ったか?」
明らかに聞こえた拒絶の言葉をわざとらしく指摘すると、理緒がぎくりと口を噤んだ。
お披露目の場で、理緒にも聞こえるように客達に何度も説明した砂姫のルールの一つ。
客の前で拒絶の言葉を言えば、姫としての給料が削減されるのだ。
姫によっていろいろなルールがあり、いろいろな罰則がある。だが、それを申告するのは客であるということは共通項目だ。
客が許してくれれば、多少の違反は大丈夫だが、それでなければたった一回のミスでも申告されてしまう。
「お前は淫乱でないのだから、ちゃんと理性的に客と相対できるはずだな。そんなお前が、嫌だなどど客を不快にさせる言葉は言わないだろう?」
「あっ……は、はい……」
容赦ないディルドの突き上げに、理緒は息も絶え絶えになりながら頷く。
その間にも、指先で嬲られている先端からは、だらだらと粘性のある液が流れ落ちていた。
腰もびくびくと震え、我慢の限界を知らせている。
その背に口づけ、性感帯である場所に強く吸い付いて。
「ああ、それから、もう一つのルールを覚えているな」
「ひ、ひっぃぃ——は、はいぃっ」
「できるのか?」
「あっ、はっ」
返事を促しながらも、何度もディルドを突き上げる。
堪えるために奥歯を噛みしめることも許されない体の躍動が激しくなっていく。
——許可無く射精をしてはならない。その許可を与えることが出来るのは、友貴のみ。
そのルールも、客達に伝わっている。
それがどんなに辛いことか、今理緒は十分味わっているだろう。
時折びくんと大きく震えている。
けれど、呻き声を上げて必死に堪えているようだ。
「どうした?」
適確な友貴の手管に、理緒の我慢など崩壊寸前になっている。
それでも言葉を発しない理緒に、友貴はほくそ笑みながらディルドを動かし続けた。
「くぅっ、——ふぅ——」
快感に身を捩りながらも達けない苦しさに、理緒の頬に涙が流れる。
「うっ……く、あっ……と……き、さっ」
そっと頬を舌で拭ってやると、掠れた声で名を呼ばれた。
「何だ? もっと動かして欲しいのか?」
くすりと笑んで、ぐちゃぐちゃと激しく動かす。
その度にびくびくと震える体を空いた手でゆっくりとまさぐった。全身がしっとり汗ばんでいる。いつもより、熱くなった肌に何カ所も痕をつける。そこは全て理緒が感じる場所だ。
これで初めて相手にする客も、理緒が感じる場所が一目で判るだろう。
「あ、あっ、や……」
嫌と言いかけたのが判った。けれど、ひくりと言葉を飲み込み、必死になって首を横に振る。
「何だ?」
聞こえなかったふりをすると、ホッとしたように体の力を抜くけれど。
「あ、ああっんっ、んっ、んっ」
体内で暴れる玩具に、すぐに嬌声を上げ始める。
そろそろ、無理か?
下腹に這わせた手で陰茎を辿ってやると、びくんっ、と大きく跳ねた。
それで達ったかと思ったが、覗き込んでみるとそうではなさそうだ。
焦点の合わない瞳がシーツを凝視している。
「どうした?」
「あ、……ねがい……ます……」
まるで泣いているような声だった。
「はあ?」
「もう……御願い……しますっ」
ひくひくと肩を震わせ、泣きながら懇願してくる。
「何を?」
「達きたい、達かせて……くださ……」
ようようにして伝えてきた願いに、友貴は満足げに微笑んだが、けれどすぐに口角を上げる嗤いに変えた。
「御願いする時はどうするんだったかな?」
それは、友貴限定の理緒のルールだ。
その言葉に、ひくりとしゃくりを上げた理緒が、それでも体を捻って友貴に抱きついてきた。
唇が急いた気分を表すかのように、激しくぶつかってくる。
自ら舌を差し込み、友貴のそれを引っ張り出そうとするのを巧みに避けてやった。
満足できるキスをすること、という抽象的なルールでは、その程度が毎回変わる。
今回は、簡単な物で済ませるつもりは無い。
「う、あんっ」
不自由な姿勢のせいか苦しげに呻きながらも、必死になって舌を追いかけてくる。
その間も、友貴がディルドを動かすから、そのせいで動きが止まり、体が離れそうになっていた。
今日は思い知らせるつもりだった。
射精を我慢することがどんなに辛いことか。
まして、この店の客は男を嬲ることに関しては、百戦錬磨だ。後孔を開発された理緒の体で、客達に嬲られ我慢することはとうてい無理なのだということを。
「あ、ああっ」
舌すら捕まえられない間に、理緒の体が大きく跳ねた。
ベッドに縋り付きながら、何度もその体が震える。
体に押しつぶされた理緒の陰茎の先から、精液がびゅんびゅんと吹き出した。
「おや……射精の許可を与えたつもりはないが」
「んっ」
未だ白い液を滲ます先端に強く指をめり込ませる。
痛みに震える体に体重をかけ、汚れた指先で理緒の唇を割った。
「ほら、これは何だ?」
舌に絡ませ、指の汚れをぬぐい取る。
「あっ……」
涙が流れる頬にも吹き出した精液を塗りたくった。
「厭らしい奴だな……、こんなにも濡らして」
「すみま、せん……すみません……ひっくっ」
「こんなことで、我慢できるのか?」
「ひっ……。あっ……」
ずるりと抜き出したディルドは細い。けれど、後孔は赤く腫れて僅かに口を開いていた。
それを埋めるように友貴は己の陰茎を突き立てる。
「あ、ああっ」
太いそれが奥深くを抉ると、理緒の先端からさらに白い液がごぼりと出てくる。
「何だ、挿れただけで達くのか?」
「あ、あんっ——とも……きさ——っ、あっ」
先より太い陰茎に、理緒が悶え喘ぐ。
もっとと言わんばかりに腰を突き上げ、締め付けてくる。
「そんなに飢えていたのか? やっぱり生身の方が美味いのか?」
そんな友貴の揶揄すら聞こえないほどに、腰を振っている理緒は、もう意識も半分飛んでいるようだ。
「あ、ああっ、友貴さ……ともき——さっ」
涙を流して友貴の名を連呼する姿は、和人の姿とは似ても似つかぬほど淫猥な姿だ。
けれど。
ねっとりと包み込む肉壁がぎゅうと引き絞られるたびに、背筋を電流のように快感が駆け上がる。
そのたびに、目の前が白く弾け、意識が薄くなっていく。
「あ、……和人……」
快楽でぶれる視界に映る姿に、思わず名を呼んでいた。
和人——和人。
背後から犯していた体を繋がったまま、ぐるりとひっくり返して抱き締める。
頭の上から荒い息が吹きかけられ、背に回された腕に抱き締められた。
その温もりに縋るように、友貴もまた力を込め、もっと嬌声を上げさせたくて、腰を激しく動かして。
「あ、あ友貴……さっ、友貴——まぁっ」
呼ばれる名に応えるように、友貴も名を呼んだ。
「和人、和人……」
激しい絶頂感に、友貴は目の前の体をきつくきつく抱き締めた。
10
明け方近くまで嬲り続け、ほとんど睡眠を取ることなく仕事に来た友貴は、何度もあくびを噛み殺した。
そのテーブルに、和人がコーヒーの入ったカップを置く。
「あ、ありがとうございますっ」
本来なら、秘書である友貴がする事だ。
だが、和人は慌てる友貴の目の下を指さしながらニヤリと笑っていた。
「クマができているな。あいつの体はそんなに良いか?」
その言葉の意味が判らなくて、一瞬きょとんとして。
「どうした? そんな呆けた顔をして」
思いっきり吹き出されて、はっと我に返った。
「申し訳ありません」
慌てて頭を下げる。
だが、和人はそんな事を聞きたいのではないとばかりに、ニヤニヤとした顔を近づける。
「で、あいつは、どうだった?」
「あいつって……理緒のことですか? まあ、客達には悦ばれるように躾けていますが……」
躾けろと言った一週間、抜けなどないようにがんばって、そのせいで途中熱まで出したが、それは和人には関係ない。
経過は順調で、今日が最後のお披露目だと言うことを伝えるが、何故か和人は不満そうに唇を尖らした。
「お前が抱いた感触を聞きたいんだが」
「は? ……感触、ですか?」
「そうそう、具合はどうだ?」
具合……。
和人の表情から、聞きたいことが判るのだが、だからと言って何でそんな事を聞きたいのか判らない。
「良かったです。まだ処女でしたから、締め付けはきついぐらいでしたが、この一週間でちょうど良くなってきましたから。客に無茶されなければ、たいていの方々が悦ぶ締め付けではないかと」
「ふ?ん、つまり体の相性は良かったと?」
ニヤリといやらしく笑う和人に、そうです、とため息混じりに答える。
「まあ、悪くはなかったですよ」
「そうか、そうか」
満足げに頷いて、自席に戻ろうとする。
が、ふっと思い出したかのように、和人が振り返った。
「それで、お前の言うことなら何でも聞くようになったか?」
「え、あ……」
確かにそういう命令ではあったけれど。
「まだ、一週間では無理です。ただ、宴の間で客を取りだしたら、その辺りは本格的に躾けようかと思っています」
今でも、あの店で何かして貰えるのは友貴だけだと教え込んでいる。
客も他の姫を含む店員達も、理緒の要望は何一つ聞き入れることは無い。
そう店員達にも徹底しているし、客は元からよほど気に入らない限り姫の言葉など聞き入れようとはしない。
お披露目の最中でも、苦しくなってくると理緒は必ず友貴を縋るように見つめていた。
それに微笑んでやると、ほっとしたようにすることもある。
そうやって徐々に味方は友貴だけだと思わせるのだ。
もっとも、厳しく躾ける友貴に礼すらいうような輩だ。
落とすのは早いかも知れないと思っている。
「そうか、まあ、お前が好きなようにしろ。——と」
満足げに頷いた和人が、ふっと思い出したかのように時計を見た。
「そうだった、友貴、出かけるぞ」
慌てて椅子にかけていたスーツを取り上げ、友貴を促す。
「え? どちらへ?」
そんなことは何も聞いていない。
それでなくても一週間ここに来ていなかったせいでいろいろな仕事が滞っていた。
けれど、行けば判る、とばかりにまだキーボードに打ち込んでいた友貴の首根っこを引っ掴んで強引に連れて行こうとする。
「ちょ、ちょっと、痛いです?」
「いいから、急げ。間に合わなくなる」
お前が悪い、と言わんばかりに責めて、ずるずると部屋の外へと引っ張っていく。
「し、しかし、私は……」
「一時間ほどで帰る」
「は、はあ……」
一度こうと決めたら、強引なのが和人だ。
一時間で帰るという言葉が真実なことを願いながら、友貴はため息を吐きながら和人の後を付いていった。
「ここは……」
賑やかな子供の声が響く。
そこかしこでは母親や幾人かの父親達の姿も見られた。
「あの……ここは中学校ですよね」
しかも、理緒の妹が通っているはずの学校だ。
「ああ、今日は参観日だ」
「はあ……って、誰の?」
独身の和人には子供はいない。
高額の寄付をするせいで、来賓として呼ばれることはあってもそれはせいぜい入学式か卒業式などだ。それすらも顔を出したことなど無いはずなのに。
「有紀ちゃんだよ。あの資料にあっただろう?」
悪戯っぽく笑う和人の言葉に、制服姿の有紀の写真を思い出した。
けれど。
「し、しかし、何故彼女の参観日に和人さんが?」
「俺が親代わりになっているからな。参観日くらい当然だろう?」
「親……代わり……?」
子供だからとここに編入させたと知った時にも、まあ子供は護るものという、和人の性格らしいと思ったけれど。だが、親代わりというのは初耳だ。
それに、参観日に来るのは当然……って……。
「え?と、B組……ああ、あっちか」
いつの間にか受付を済ませて、平身低頭迎えに来た校長をあしらって、案内図を見ながら教室へと向かう。
本来そういう事は友貴がすべきなのだが、明け方までいた場所とはずいぶんと違う健康的な場所に毒気を抜かれたのと、和人が嬉々として手続きをしているのが物珍しく手を出す暇がなかったのだ。
「あ、あの……和人さんは、その有紀ちゃんに会われたことが?」
「ああ、転入する時の荷物持ちもやったぞ。その後も、何回か会っている」
……いつの間に。
せいぜい転入時の手続きだけをしたのだろうと思っていたけれど。
「有紀ちゃんは、もうかなり元気になっている」
「はあ……」
「ああ、ここだ。あ、いたいた」
やあっ、とばかりに手を挙げた和人に、一人の少女が気が付いた。
英語の授業中だから、近寄ってくることはしなかったけれど。
浮かんだ笑みに、ずいぶんと和人が懐かれている事を知った。
何故?
と、疑問符が頭の上を飛び交う。
確かに、和人は子供に関してはきちんと世話をする傾向があるが……。ここまで自身で世話をしたことはないように思う。
「……それで……何で私まで……」
「理緒に教える必要があるだろう? 妹は元気だって」
「……それはそうですが……」
こそこそと話をするが、和人はにこにこと有紀の姿を見ていて、どうにも会話が続かない。
もっとも、静かな教室でできる話も少なくて、結局友貴は黙り込んだ。
「久遠さんっ」
授業が終わり、そのままホームルームに突入して挨拶が終わるまで、和人と友貴は教室に居続けた。
ようやく終わったと同時に、有紀が早足で駆け寄ってきた。
「やあ、元気そうだ」
「こんな参観日にまで、お忙しいのにありがとうございますっ」
にこにこと有紀の頭に手を当てる和人は、こうしてみると優しげなお兄さん、という雰囲気を醸し出していた。
それはまるで、友貴が子供の頃の和人と同じような姿で、懐かしいと思うと共に、うらやましさが募ってくる。
そんな友貴の心中など無視して、和人が友貴を紹介した。
「俺の部下の瑞葉友貴。今、君のお兄さんが働いている現場をしきっているんだ。今朝早くようやく戻ってきてくれてね、お兄さんの事も聞けるよ」
「え、本当ですか? あ、初めまして、竹林有紀です。あの、兄は、理緒は元気ですか? その全然連絡が取れなくて……」
「あ、は、初めまして」
いきなりの話を振られ、言葉に詰まった。
ちらりと和人を見やると、ニヤニヤと友貴が何を言うのか待っている。
意地が悪い……。
こういう関係だと前もって聞いていれば、いろいろな答えを準備していたというのに。
こうもいきなりでは、どう答えれば良いのか、困ってしまう。それでも、たぶん差し障りのないだろう範囲を考えて、友貴は答えた。
「元気ですよ。ようやく研修期間も終わって、一昨日から本格的に働き始めたんです。それまで、とても忙しくて、なかなか連絡が取れなかったのだと思います。それに、仕事は主に夜間なんです、それで時間が合わなかったのかも」
教室から同じ敷地内の寮まで送り届けながら、ぽつぽつと理緒の事を話す。
「ああ、良かった……。ありがとうございます、教えて頂いて。久遠さんから話は聞いていたのですけど。あんな目に遭った後だったから、本当にどうなったのかとっても不安だったんです、良かった……。ありがとうございます」
人差し指で目尻を拭う有紀は、本当に嬉しそうだった。
それにしても、良く礼をいう子だな。
その姿があまり似ていないのに、理緒を思い出させる。
親の躾だろうか?
何かして貰ったら、感謝の言葉を。
理緒が口にしていた事を思い出す。
「お兄さんも、あんな事の後に離ればなれになったから……でも良かった。瑞葉さんも優しい人だから、お兄ちゃんも大丈夫ですよね」
だが。
さすがにその言葉には、胸に突き刺さるものがある。
もうそんな感情など抱くことはないと思っていたのに。なんだかいたたまれなくて、ちらりと和人を睨めば、彼もまたほんの少しの苦笑を浮かべていた。
それもまた滅多にないことで、目を瞠る。
「どうしたんですか?」
そんな友貴に、有紀が不思議そうに首を傾げた。
それに、「何でもない」と首を振って、息を吐く。
それにしても、こんな彼女に和人は一体どんなことをしたのだろう?
「その、あんな事って?」
小声で和人に尋ねると、微苦笑を浮かべたまま、和人が教えてくれた。
「ん、有紀ちゃん達はね、借金取りに拉致されたんだよ。けれど、すんでの所で私が気付いていね。取り戻したって訳」
その借金取りも和人の手の物ではないのか?
相変わらずの面の厚さは健在で、その辺りはやはり和人だと、返って安心してしまった。
「あ、はいっ。久遠さんに見つけて頂いて、本当に助かりました。そのお陰で兄は仕事を見つけて、私はこんな良い学校に入れて頂いて……」
「ああ、泣かないで。君のお父さんとは縁があってね……」
泣きそうなほどに顔を顰める有紀に慌ててハンカチを差し出す和人に、くらりと目眩がしそうになる。
昔の和人でもここまでではなかったように思う。
「いやあ、助けられて良かったよ。あ、そうそうこれ」
和人が取り出したのは最新鋭の携帯電話だった。
それを有紀の手に乗せる。
「あ、あの、これ……」
「寮の電話だと電話しにくいでしょ? これね、こうやって、ここのアドレス帳ってとこ、一番に俺の携帯、二番にこいつ……友貴の。んでこっち」
目の前で画面を切り替えて、別の電話番号を表示させて。
「これがお兄さんの」
「えっ」
「へっ?」
言われた言葉に、有紀と友貴の二つの声が重なった。
その途端にじろりと和人に睨まれて、慌てて口を塞ぐ。
「あ、兄の? ほんとに?」
「ほんと、ほんと。でも、明日こいつが現場に帰ったら、その番号の携帯を渡せるからね。だから、向こうから電話かメールしてくるまで待っててな」
「……ほんとに……お兄さんと連絡が……。ありがとうございます」
ひどく大切なものでも包むようにそっと携帯を握りしめ、胸へと押しつける。
有紀の肩からほっと力が抜けたのが判った。
続く