【覚悟してよ】

【覚悟してよ】

 前日に聞いたのは、『運動の出来る服装』ということだけ。
当日も、運転中はおおまかな場所だけ聞いていて細かい指示は助手席から貰っていた篠山義隆は、到着した場所の看板を憮然と見ていた。
 アスレッチック広場。
 義隆は十秒はたっぷりとそれを見つめてから、精神的にはるかに若いのではないかと思える恋人に視線を向けた。実年齢は24歳。義隆とは5歳程度違うだけなのだが、いかんせん元気だった。

 ブルー地のTシャツにジーンズの軽装がよく似合う滝本恵(たきもとけい)はそんな義隆にいたずらっぽく笑みを浮かべて返す。さらりとした柔らかい髪が前に垂れてくるのを手で掻き上げた。
「あいかわらず、だな」
 義隆がため息混じりに呟くと、恵はくくと喉をならした。
 恵がデートをセッティングするとどうしてかこういう場所になる。
 最初はおもちゃ王国だった。
 次は、ニューサイエンス館。近未来の展示館だ。
 他も全て似たような所。
 そして、ここである。
 はっきり言ってムードとはかけ離れている。
 最近では面白がって設定しているとしか思えないことがあった。
「義隆って、最近運動不足気味みたいだよ。この辺、少し肉ついてきてない?」
 とんと腹を叩かれ、義隆が眉を寄せた。
「そうか?」
「ん。気をつけてよ。太った義隆なんてみっともないもん」
 言われて苦笑いを浮かべる。
 そういえば、この前の健康診断で体重が増えていた。しかし、500g程度なのに、恵には見抜かれてしまったらしい。
「気をつけるよ」
 そうとしか言えない義隆に恵はにっこりと笑い返した。
「じゃ、行ってみようか」
 嬉々とした恵にひきずられるようにアスレチックのコースに突入した義隆。
 しかし、数種類目には来たことを後悔していた。
 普段工場内のもっぱら事務処理を長年してきた義隆の体力は標準以下だ。車とは言え、普段外回りで半分は力仕事の恵に敵うわけもない。
 幾度も用具から落ちそうになり、実際には数度落ちているし、打撲や擦り傷も出来ている。その度に恵が面白がって笑う。
「笑うな!」
 いい加減義隆も機嫌が悪くなっていた。
 さすがに恵も笑いすぎたかと後悔したのか謝るが、それでも耐えきれない笑みがこぼれているのは気のせいではないだろう。
 義隆はため息をついた。
 いつもこういう時は、テンションの高い恵ではあるが、今日はことの外ハイ・テンションだ。
 つき合いきれない……。
 義隆は恵がトイレに行っている間に、木陰を選んで寝っ転がった。
 疲れた体を伸ばすと筋肉がほぐれるようで気持ちいい。
 吹き抜ける風も心地よく、緑が目に優しい。
 義隆は、苛ついていた気持ちが落ち着いてきた。
 確かに恵には振り回されているけど、こういうふうに自然に触れるのは嫌いじゃない。
 恵が連れてくるところは、突拍子もないところであるけれど、なんとなく楽しいと思えるのは否めないから……。
 それでも、今日は疲れたかな……。
 義隆は、瞼を閉じた。

 
「義隆、どうしたの?」
 声がして、義隆は目を開けた。
目前に恵の顔。
 木陰で寝っ転がっている義隆をやっと見つけだした恵は、眉をしかめている。
「ああ、ごめん。休んでた」
 ゆっくりと起きあがる。
「もう、何もわざわざこんな見つけにくい所じゃなくても」
 怒っている恵。
 そんな恵も、なんとなく可愛くて、義隆はその頭に手をおいてくしゃと髪を掻き回した。
「あ、もう!何やるのさ」
 慌てて恵が義隆の腕を両手で挟む。
 ぶつぶついいながら、片手で髪を直している恵に義隆は笑いかけた。
「恵は元気だな。疲れないのか?」
「あ、うん、大丈夫。あ、でも、もしかして義隆は疲れちゃったの?」
 恵の顔が心配そうに近づいてきた。
「……まあな。普段運動しないから……」
 笑おうとするが、近づいた恵の顔のあまりに心配そうな表情に、顔が引きつる。
「ごめん。もしかして面白くなかった?途中からちょっと不機嫌かなぁとは思ったけど……」
「いや、楽しいよ。ただ、さ、ほんと体力がついて行かなくて情けないなあとは思ったけどね」
「ほんとに?」
「ほんと」
義隆がきっぱりと言うと、恵はやっと笑みを浮かべた。
「よかった」
 一言言った途端、義隆に軽くキスするとぱっと離れた。
一瞬の事に、義隆が呆然とする。
「おいしくいただきました」
「このっ」
 両手をあわせて拝む恵に、我に返った義隆が捕まえようとするが、恵は身を翻してあっという間に離れた場所にいた。
「やっぱ、義隆にぶーい!」
「恵っ!」
 赤くなって怒鳴る義隆に笑い返すと恵は次の用具へ飛び乗った。
「身軽いやつだな……」
 呆れたように言う義隆の顔はそれでも隠しきれない笑みが浮かんでいた。
 結局、義隆はその後のアスレチックの用具は半分以上を見るだけで過ごした。
 もちろん恵は全てをクリアしたのだった。


 駐車場に戻ってきた時は3時になっていた。
「で、この後の予定は?」
 本音は帰りたかったが、今日は恵主導のデートなので、一応お伺いを立てる。
 疲れを露わにした義隆に、恵は微かに笑みを浮かべた。
「今度は俺が運転するよ。義隆は休んでて」
「え、でも……」
 まだ、どこかに連れて行くつもりなのか?
 不審そうな義隆に、恵はやや強い口調で再度言った。
「ね、俺が運転するからさ。大丈夫だって」
「ああ……」
 仕方なく義隆が頷くと、恵は安心したように笑うと運転席に入り込んだ。
 助手席に義隆が着くと、車を走らせる。
 普段営業で車の運転には慣れているのか、義隆の車にもすぐ慣れたようだ。無駄のない走りをする。
 義隆は最初の内は、どこに連れて行くつもりか、恵に問うてみたが、曖昧な返事を返される内に、心地よい走りと体の疲れからいつの間にか眠りについてしまった。


「義隆!義隆!」
「……んん・・・・・」
 体を揺すられ、義隆は唸りながら瞼を開けた。
 少し暗く感じるのは日が陰っているのか……。
 自分がどこにいるのか把握できなくて、義隆は辺りを見渡した。
 山が迫っている・・・・・谷間の集落が見えた。
「ここは?」
「俺ん家なんだけど……」
 隣から声をかけられ、やっと事態が飲み込めた。
 が、
「俺ん家って……恵の——まさか実家か!?」
 慌てて、外を見ると、昔ながらのトタン葺きの屋根を持つ大きな一軒家がすぐ側にあった。
「そう。俺と優司兄さんの実家だよ。それぞれ高校まではここで育った。今は両親と一番上の智史(さとし)兄さんの家族が住んでいるよ」
 しれっと言う恵に義隆は呆然と視線を向けた。
「何で・・・・・」
 恵の考えが理解できなくて、義隆の頭は混乱していた。
 何故、俺をここに連れてきたのか……。
 そんな義隆に恵はくすりと笑う。
「そんな深く考えないでよ。さっき言った場所から近かったからね。ちょっと寄ってみようと思ってさ。友達連れて行くって言ったら、みんな喜んでたからさ」
「もう言ってるのか?」
「ん。義隆が寝た後に電話入れたよ。夕食一緒に食べようってさ」
 こいつ確信犯だ。
最初から絶対そのつもりだったくせに、とは思ったが、今更どうしようもない。
義隆は、深いため息しかつけなかった。


滝本の玄関に入ると、家族全員が勢揃いして出迎えてきた。
恵に聞いた家族構成とはどう見ても一家族分多い。どうやら、話を聞きつけた近所に住んでいる、次兄の誠二(せいじ)一家までが来ているらしい。
久しぶりに帰ったらしい恵は、その兄たちにもみくちゃにされているし、義隆は優司の先輩というのも伝わっているらしく、恵の両親の熱烈な歓迎を受けていた。
あまりのことに先ほどまでの眠気とその前の疲れなど完全に吹っ飛んでいた。
「食事の用意できていますから、どうぞこちらに」
 案内された座敷では大きな座卓2つ分に、いろんな料理が所狭しと並んでいる。それぞれの中央には本日のメイン料理であるすきやきの鍋が鎮座していた。
 どこもこういうときの料理は一緒だな。
 義隆はそれを眺めてふと自分の実家を思い出した。
 もう1年以上帰っていない実家。それはすでに兄夫婦の家と化していた。
 両親はとうの昔に亡くなっていた。
 その後は法事ぐらいにしか帰っていない。
 それでも、そんな家がむやみに懐かしく感じられた。
両親がいる時には、こうやって出迎えてくれたっけ。あんな事故でいなくなる前までは……。
「義隆、さん?」
泣きそうな表情になっていたのかも知れない。
恵が心配そうに話しかけてきて、義隆は自分がどんな表情になっていたかに気がついた。
「何でもないよ」
 笑う義隆に恵は何か言いたげだったが、ちょうど女性陣がつぎつぎと入ってきたので、それ以上の会話が出来なくなった。
「さあさあ、一杯どうぞ」
 恵の父親にビール瓶を差し出され、義隆は慌てた。
「いえ、その車で来ていますから」
「何を言われます。明日も休みと聞いています。どうか、今日は泊まっていかれればよろしいでしょう」
 にこにこ言われて、慌てて恵の方を見ると、恵はにこりといたずらっぽく笑みを浮かべる。
「そうだよ。今日は泊まるんでしょ。大丈夫、着替えはあるからさ」
 そういえば……。
 朝出るときに恵がスポーツバックを1つ車に詰め込んでいたのを思い出した。
 何て奴だ……。
 じろりと睨むと、恵はぺろっと舌を出すと、義隆にコップを差し出した。
 確かに前から計画していないと、この料理の量は用意できない……。
「さあさ、どうぞ」
 仕方なく、それでも笑みを浮かべながらコップを差し出すと、なみなみとビールを注がれた。
「どうぞ、いってください」
「あ、はい、いただきます」
 ごくごくとビールを飲み干す。眠っていたせいで喉が乾いていたので、すっきりとした。
「いやあ、いい飲みっぷりで、頼もしいですなあ」
 やたら上機嫌の父親に、義隆も笑うしかなかった。
「ところで、篠山さんは優司の方の会社の方とお聞きしましたが、恵といつお知り合いに?」
 やっぱり来たか?
 内心義隆は苦笑していた。
 当然来るべき質問だったからだ。
「恵くんは、うちの会社の取引業者の担当営業マンでして、何度か直接会って話をしている内に妙にウマが合いまして・・・・・それでなんなく一緒に遊んだりするようになったんですよ」
 これは真実。
 その先の事はいう必要がないことだ。
 また注がれたビールを口につける。
「そうですかあ。これも縁なのでしょうねえ。恵にしろ優司にしろ、なかなか家に戻ってこないものだから、何やっているんだろうっていつも思っていたんですけどね。きっとうまくやっているんでしょうねえ」
 しみじみと言っているが、その父親の背中に孫一人へばりついているし、2人の孫達は最近はやりのカードで言い合いを始めている。かしましいことこの上ない。
一番大きい孫は、既に中学生の女の子なので、おとなしく座っているが、たまに義隆と恵を見比べては何か言いたそうな表情をしている。それに義隆は気がついていたが、恵の兄たちの相手もあり、はっきり言って気が抜けない。
結局、食事をしているのか話をしているのか分からない状態のまま時間が過ぎていった。

「疲れた?」
 そう言った恵を布団の中から見上げる。
 用意された部屋は元の恵の部屋だった。
 二組の寝具が敷かれた部屋は、他の人間が寝泊まりしている部屋から少し離れている。
 二棟の長屋と呼ばれる片方が、現在の兄夫婦のもので、残りの1棟が昔恵や優司が過ごした部屋だと、恵が説明してくれた。
「今は物置になっているけどね」
 そう言いながら笑った恵だったが、見る限りきちんと手入れされており、今すぐにでも使えそうな状態になっていた。
そこに敷かれた布団に潜り込みながら、恵は心配そうに言ったのだった。
「疲れもするだろ。心の準備もないままにこんな所に連れてこられたら」
 明らかに不機嫌な義隆に、恵も困ったように視線を反らせた。
「ごめん」
 呟くように言う恵に義隆は言葉を継いだ。
「何で、俺を連れてきたんだ?何か理由があったのか?」
 その言葉に恵の瞳に戸惑いの色が浮かんだ。
 視線が泳ぐ。
「恵、聞かせてくれないのか?」
 きつい口調に、恵は口を開いた。
「前々から、一度帰ってこいとは言われていたんだ。俺も優司兄さんも……。だけど、その忙しいじゃん。俺達は……」
 言葉尻を濁しているが、言いたい事は分かった。
 滝本も恵も仕事で忙しいし、それ以外の時は恋人のために忙しいのだ。
「で、両方立てようと思ったら、こういうのしか思いつかなくて……でも、その義隆に話したら、絶対来てくれないと思って……さ」
「当たり前だ……」
 両手を頭の下で組んで天井を見上げる。
 昔ながらの高い天井。
 古いせいかあちこちに染みがある。
「ごめん……」
 つらそうな声に、義隆は恵に視線を向けた。
 布団の傍らに座った恵は、下唇を噛み締め、じっと俯いている。
「それでもな、言って欲しかったよ。断るかも知れなかったけどな、俺達の関係が普通じゃないってのは自分でも自覚しているから……だからこそ、親が出てくると余計気を付けなきゃいけないことだから……だから、な。前準備くらいはしておきたかったし……」
「ごめんなさい」
 泣きそうな声に、義隆は手を伸ばし恵の手を掴んだ。
「泣くなよ。怒ってないよ、もう」
「義隆……」
「お前さ、いい両親にいい兄さん達だよな。俺の両親もう死んでるって言ったろ。今兄貴とはあんまり仲良くなくてさ、お前は大事にしろよ」
 言われて、恵は最初義隆が暗い表情をしていたのを思い出した。
「もしかして、あの時両親のこと思い出してた?」
「……少しね。懐かしかったよ。俺の両親もさ、あんなふうにすき焼き出してたからね」
「ごめんね」
「謝ることないって。久しぶりに思い出して、よかったと思っているし。ま、大変だったけど、今日は楽しかったからな」
「義隆……」
 それでも泣きそうな恵に義隆は、ふっと笑みを浮かべた。
「じゃあさ、お詫びに恵の方からキスしてよ。深くて熱ーいやつ」
 にやにやしながら言う義隆に、恵は真っ赤になった。
「よ、義隆!」
「どうした?いつもしていることだろ?」
「いつもって……」
 いつも恵の方から義隆にするキスは、軽い触れ合うだけのキスだから。
 義隆の要望のキスがそれとは違うのがはっきりと分かって恵はためらっていた。
「してくれないのか?」
「うーー。わかったよ」
 唸りながら、恵は両手で義隆の頬を挟むと、そっと唇を押しつけた。
 しばらくそのままでいたが、おずおずと舌を差し込んでくる。義隆は自分の舌でそっと受け入れた。拙い動きの恵を導くように義隆の舌が動く。
 触れ合う感触に恵は自分でしているにも関わらず、神経が高ぶってきた。
「・・・・・んん・・・・・」
 恵の喉元から声が漏れる。
 それを聞いた義隆が、僅かに笑みを浮かべた事に恵は気づく余裕もなかった。
 結局、恵のキスを止めさせたのは義隆の方だった。
 恵の体を押しのけると、恵が名残惜しそうに潤んだ瞳で見つめてきた。
 心ここにあらずと言った感じで、義隆は苦笑する。
 このままだと最後まで恵が進んでいきそうに感じたので、慌てて止めさせたのだ。
「恵、大丈夫か?」
 言われて、恵は義隆が笑いをこらえているのに気がついた。
 自分が一人興奮していたことに気づき、羞恥のあまり真っ赤になった。
「義隆ぁ……」
 恨めしげに見つめる恵の瞳があまりに扇情的で、義隆は先ほどまでとは違う意味の苦笑を浮かべる。
「こんな所で煽るなよ、俺も我慢しているんだから」
「うう」
 唸りたいのはこっちだ。
 義隆は、罰が自分にも返ってきているのを感じていた。
と。
トントントントン
と、軽快な音が響いた。
 誰かが階段を昇ってきたのだ。
 慌てて、恵が義隆から離れた。
 必死で深呼吸しているのが見え、義隆は今度は笑いを堪える羽目になってしまった。
「恵、入っていいか?」
「えっと、誠二兄さん?」
 恵が義隆の方をちらりと見る。
 その視線に座り直した義隆が頷いて返した。
「いいよ、兄さん」
 その言葉に、がらりとふすまが開いた。
「すみません、遅くに」
 どちらかというと恵に似て童顔な誠二が義隆に断りを入れる。
 長兄の智史は、どちらかというと優司に似ていた。
「いえ、大丈夫です」
 義隆は笑みを浮かべて返した。
「恵、ちょっと話がしたいんだけど、いいか?久しぶりだしな」
「俺と……まあ、いいけどさ」
「あ、篠山さんはゆっくりお休みください。こういう時でもないとなかなか兄弟で話ができなくて……すみません」
「いえいえ、おかまいなく。私は休んでいますから」
 慌てて首を振る。つき合えと言われなかっただけでもましだ、と思った。
「じゃあ、義隆さん。ゆっくり休んでてくださいね」
 恵が手を振って出ていった。
 閉まったふすまをしばらく眺めた後、義隆は布団に横になった。
 なんとなく電気を消す気にもならずぼーとしていると、昼間からの疲れが徐々に襲ってきた。
 もう心身共に限界が来ていた。
 目を閉じた途端、義隆は眠りに引きずり込まれた。



「兄さんと話をするのって久しぶりだよね」
 宴会の名残のある座敷で、兄二人と向き合った恵はにっこりと笑いながら話しかけた。
「まったくだ。お前といい優司といい、いったいいつから帰ってきてないと思っている?」
 誠二がややきつい口調で言う。
 今年31になる誠二は、兄弟中もっとも性格がきつかった。弟思いではあったが、何かあると一番に手が出るのもこの兄だった。
「俺は……正月に帰ったろ」
「そうだな。まだ恵はましだよな。その点、優司と来たら正月も帰らないし、もう1年ほど顔見てないぞ」
 むすっとした誠二に恵は苦笑を浮かべる。
「優司は元気にしているか?」
 長兄の智史が恵に問いかける。兄弟中一番おっとりとした穏やかな性格で、兄弟中でも信望熱き兄であった。さりげなく、弟達を見守ってくれているのを恵達はよく知っていた。
「ん。元気そうだよ。義隆さんからも聞いているし、仕事もトラブルなくがんばってるって。結構なじんでいるみたいだから」
「そうか。あいつはなかなか人となじまないところがあったから、最初は心配していたんだが、そうか上手くやっているのか」
 安心したように言う智史に、恵は頷いた。
「ま、一年以上帰ってこないって事は、誰かいい人でも見つけたんだろうなって話はしていたんだが、な」
 さすが、誠二兄さん、鋭いっ!
恵は内心舌を出した。
ただ、いい人ってのが男なんだけど、ねえ……。
「恵も、いい人でも見つけたんじゃないかって言ってたんだぞ。でも、今日連れてきたのも男だし、まあ、お前はまだ早いな、とは思ってたけど」
「何だよ、何で早いんだよぉ」
 恵がふてくされて言うと、誠二は軽く笑い飛ばした。
「お前は相変わらずガキ扱いされるとすぐ怒るからな。だいだい今日だって篠山さんとの行き先がアスレチック広場だって?そんなガキっぽいとこ、よくあの人がつき合ってくれたな?どうみてもあの人のタイプじゃないよな」
 言われて、恵は真っ赤になった。羞恥と怒りが混ざり合って思わず口走った。
「るさい!どこに行こうが関係ないだろ。義隆だって楽しかったって言ってくれたよ!」
 言って、自分が義隆を呼び捨てにしたのに気がついた。
 しまった・・・・・。
 内心舌打ちをする。
「それに義隆さんは、最近運動不足だから、そういう所でも喜んでくれるんだ」
 慌てて言葉を追加する。
 気づかないよなあ……これくらいで……。
 そう思うことにした。だが、誠二の言葉にそれはもろくも崩れ去った。
「ふーん。お前、篠山さんのこと名前で呼び捨てか?親しいと言っても、年上でお得意さんでしかも優司の先輩だぞ」
じろっと睨まれて、恵は絶句した。
「え、そうなんだけど……なんでか、いつの間にかそういう風に呼ぶようになっていて・・・・・別にいいだろ、そんなの義隆さんもいいって言ってくれてるから、さ」
「しかし、あまり良くないな、そういうのは。二人の時はともかく、他人が聞いたらおかしいと思うだろうし」
 智史にまで言われて、恵は口ごもった。
「そうだ。それではまるで恋人関係だな」
 さらりと誠二に言われて、恵は今度こそ絶句した。
「誠二、篠山さんは男だからね。でもまあ、そういうこともあるかも知れないけど」
 何でもないように智史が口を挟む。
 恵はひきつって言葉も出なかった。
 そんな恵に二人は気づかない訳がなかった。
「相変わらず、感情表現の素直な奴……」
「これで営業がやれているっていうのが不思議なんだけどねえ」
 恵は二人に言われて、完璧にばれているのに気がついた。
「兄さん・・・・・」
 どちらともなく話しかける。
「何?」
 智史がにこっと微笑む。
「何で?」
「すまないな、俺達は経験者だ」
 誠二が答えた。
「経験者?何の?」
 呆けている恵に、誠二はいらいらと答える。
「ホモ」
 きっぱりと言われて、恵は完璧に理性が吹っ飛んだ。
「おい、おい恵!しっかりしろ!」
 肩を揺さぶられて、はっと我に返る。
 掴まれた肩が痛かった。
「誠二兄さん……」
 泣きそうな顔になった恵に誠二は智史を振り返った。
「恵。俺達滝本家の4兄弟ってのは揃いも揃って男に好かれるタイプらしいんだよ」
 智史のやや自嘲めいた口調に、恵は視線を智史に向けじっと聞き入った。
「俺と誠二は、高校が男子校だったからね。結構その手のアタックが多くて……まあ、つき合ったりもしたんだ。結局、俺の方は、その場限りで卒業して就職したら普通に女性とつきあって結婚したんだけど……誠二の方は、結構いろんなつき合いしていたよな」
 ちらりと誠二に視線を送る。
 誠二はというとそっぽを向いていた。
「今だって、浮気の虫が疼くこともあるらしいが、田舎だしね。押さえてはいるようだよ」
「俺は、幸を愛しているぞ」
 幸というのは誠二の妻だ。
 むっとして言う誠二の言葉に嘘はないのだろうけど、智史がくすくすと笑っているのは何でだろうなあ。と恵は心の片隅で思っていた。
「で、まあ、お前と優司の時にはそれが頭にあったものだから共学を進めたんだ。二人とも頭良かったし、普通科から大学に行ってもいいって思ったしね」
 そう言えば、絶対普通科に行けって言い張ったのは、確かに二人の兄だった。
 あの時は、将来のためだと言っていたのに、実はそういう事情があったなんて・・・・・。
「お陰で二人ともちゃんと普通の恋愛していると思ったんだけど……恵は少なくとも大学までは何ともなかったよな、確か」
 つい、最近だもん。俺は。
 恵は、ほおとため息をついた。
「で、そうだとして、兄さん達はどうしたいわけ?」
 それが一番知りたかった。
「そうだな。反対するのは容易いけど、それで簡単に壊れるようなんだったら恋愛って言わないよな」
「遊びでつき合っているような奴には見えなかった。お前の相手は、結構真面目そうじゃないか。でないとお前にはつき合えないよな」
 意地悪げな誠二に、恵は眉間に皺を寄せた。
「どういう意味だよ、それは」
「お子さまの相手をするのは大変だろってこと。最初に言ったろ」
「うう」
 唸る恵を頬っておいて、兄二人は仲良く盛り上がる。
「大変だろうねえ、篠山さんは。確か5歳違うんだっけ」
「単純にはね。だけど、精神年齢だけだと、10歳は違うんじゃない?」
「まあ、デートにアスレッチック広場はないだろうね。子供連れならともかく……」
「あそこ、結構きついよ。兄さんは大丈夫?俺、最近身体鈍ってるから、ああいう所ってきつくってさあ」
 肴にされている恵は、一人寂しくちびちびとビールに口を付けるが、はっきり言ってこの状態ではおいしくなかった。
 ただ、反対されてはいないだろうことが分かったのでほっとする。
 ここまで連れてきて、明朝には叩き出されたなんてことになったら、義隆には申し訳ないでは済まないところだった。
 しかし、わが兄たちがそんな経験しているとは全く考えもつかなかったのでその事の方がよっほどショックだった。
 しかも誠二の方にいたっては、智史の言葉からするに結婚しているというのに未だに男に触手が動くらしい。
「ところで、いつからつき合いだしたんだ?で、どっちが最初だ?」
 いきなり振られて、ビールを吹き出しそうになった。
「……3ヶ月ほど前から」
 指折り数えて答える。
「何だ、つい最近なんだ」
 もっと長いのかと思った・・・・・とぶちぶち呟く誠二に、智史がまあまあとなだめている。
「それで、どっちから告白なんだ?」
「一応……義隆さんから」
 ぼそぼそと言う恵に二人の兄は顔を見合わせた。
「やっぱりなあ。俺達の時と一緒」
「そうだね。どうしても相手の方から好かれちゃって、熱烈なアタックの内にこっちも落とされているか……何となく気になっていたのでそのままずるずると……のパターンですね。恵の場合はどっちだったの?」
 智史がにこにこと聞いていくるので、結局恵は赤くなりながら答えた。
「一応、俺も気になっていた方、かな」
「で、今はどっちがまいってる方なんだ?」
 今度は誠二の意地悪い質問に恵は絶句する。
「そんなの答えられないでしょうが」
 智史がやんわりと誠二をたしなめる。が。
「でもまあ、あの様子だと篠山さんの方が恵にぞっこんって感じですねえ」
「あ、やっぱり兄さんもそう思うか?俺もなあ、そう思ったんだよ。恵の方が愛されているって感じだよなあ」
 も、もう……止めてくれー!
 恵の心臓はさっきから完全にオーバーロード気味だった。
 ほとんど呼吸困難寸前の恵に二人は気づいていない。
 永遠に続くかと思えた二人の責め苦に終止符が打たれたのは、次の誠二の台詞だった。
「ところで優司はどうなんだ?恵は心当たりあるか?あいつの方が戻ってこないからな。絶対つきあっている奴がいると思うんだが……まさか、あいつも男って訳じゃないよな」
 この時、すでに完全にノックアウトされていた恵は、この状態から脱出できるなら何でもいいと思っていた。
 だから。
「優司兄さんの相手も男だよ。本人からははっきり聞いていないけど、相手の男の人と話すことがあって、その人はそうだと認めていたからね」
 ごめんねー、優司兄さん。
 心の中で手を合わせる。
 俺一人で、このダブル兄さんの相手は無理だって・・・・・。
「そうか……」
 あきらめにも似た表情で智史と誠二は呟いた。
「しかし、あいつは本当に一向に帰ってこないな。正月にも帰って来なかったろ」
「そうだな。たまには帰ってくればいいのに」
 二人顔をつきあわせて、ここにいない優司を責める。
「あ、でも優司兄さんの相手って、東京の人なんだ。同じ会社の東京勤務の人。だから長期の休みってその人に逢うのに使ってるみたいでさ」
 慌ててフォローを入れるが、それはそれで二人の兄の文句の対象になる。
「それならそれで、普通の土日でもいいから帰ってくるもんじゃないか?」
「そうだね。お盆とか、お彼岸とか……そうでなくても普通の時でもね」
 優司兄さんは本能的に実家を避けていたな。
 今更ながらに思う恵であった。
「篠山さんは優司の相手の事知っているのか?」
「知らないと思う……けど……。いや、この前そんな話ししたかな。どうもつきあっている相手が男のようだって……。相手までは知らないみたいだけど」
「そうか……。で、お前は相手の人と話したことあるって?どんな人だ?」
 誠二の問いに恵は考える。
「うーん。悩みを聞くのが上手な人だよ。格好いいと思う。今時の顔っていうか……俺達みたいにかわいいってんじゃなくてかっこいいって言われるタイプ。営業の人みたいだけど、若くしてリーダークラスの人だよ。うーんとうちの会社でいうと課長さん位のクラスって所かな。あ、でも優司兄さんも同じリーダーだって言ってたから、もうちょい下のクラスかも知れないけど」
「へー。結構優秀なの捕まえてるのか……でも、優司もリーダー?大したことないリーダーなんじゃないのか?」
 言われてさすがに恵もむかついた。
「義隆さんも同じクラスのリーダーなの。100人近い開発部の中でそのクラスの人は10人くらいしかいないんだからね」
「ああ、すまん。そういうつもりじゃなかったんだ」
 頭をかきかき恵に謝る誠二。
「ま、いいけど……」
 実際、恵も優司がリーダーと聞いて、最初はそう思ったのだから、人の事は言えない。
「それにしても優司はつきあっている事をずっと黙っておくつもりかな」
「それは……許せないな」
 それを聞いた恵は、顔が引きつった。
 やばいよ、優司兄さん……。
 でも、普通こんなの自分からばらさないって……。
「ちょっと脅かしてやろうか?」
「脅すってのはやりすぎだろう」
 やりすぎやりすぎ。
 智史兄さん、もっと言ってやってよ。
「しかしなあ、最近ちっとも顔も見せないしな」
「それはまあそうだな」
 顔を見合わせてにやにやする長兄と次兄に恵は、がっくりと肩を落としていた。
 ごめん、優司兄さん。
 心の中で手を合わせる。
 そんな心を読んだかのように、智史が言った。
「優司にばらさないでよ」
 恵はこくこくと頷いた。


 次の日、恵の実家を出発した二人は、義隆の運転で昼前に義隆のマンションに帰り着いた。早速貰い物で昼食を取る。
その席で、恵はやっと兄たちに二人の事がばれたこと話した。
「う、そ……・だろ」
 呆然とする義隆に、恵は泣き笑いの顔で答えた。
「こんなこと、嘘で言えるもんじゃないだろ……」
 それが真実なのを理解して義隆の顔が真っ青になった。
「ばれて……俺、よくあの家から出て来れたな……」
「俺もばれた時にはびびった。でも、兄さん達、理解あってさー許してくれたみたい……」
「理解って、普通そんなこと理解あるもんじゃないだろ!」
 苛々と言う義隆に恵は首をすくめた。
「仕方ないだろ。何でか理解あったんだから」
 本当の事言う気はなかった。
「それにさ、実は優司兄さんのこともついでにばれた。というかばらしちゃったんだけど、何も言っていないあっちの方が、兄さん達怒っててさ、義隆、ばらさないでよ」
「ばらすか、そんなもの!というか、恵、俺を巻き込んだろ。滝本が怒ってきた時のために!」
「へへへ、ばれた」
「ばれるわ!」
「いいじゃん、頼むよ。義隆は優司兄さんの先輩なんだからさ。うまく相手してあげてよ。相談くるかも知れないし」
「そんなもの。どうやって相談に乗るんだ。馬鹿やろ!!」
 心底怒っている義隆に、恵はへらへらと笑うしかなかった。
「ごめーん。とにかく、俺の実家はなんとかなるかなって思ってさ、気楽に構えてよね」
「うーーー。まあ、確かにそうなんだけど……それよりお前の兄さん達って、どういう人たちなんだ?」
 上目遣いに睨む義隆に恵は苦笑して答えた。
「俺にとっては普通の兄さん達だけどね」

【了】