【十二月の贈り物】前編 ~もう一つの檻の家~

【十二月の贈り物】前編 ~もう一つの檻の家~

時期が思いっきりずれてしまいましたが、ようやく完成したお話。
「檻の家」シリーズに入れているのは、登場人物に関わりがあるから、いうだけで、敬一編の人は誰も出てきません。

いつものように無理やり、3P、奴隷化です。




十二月の贈り物


 泰地(タイチ)は氷点下まで下がって凍り付いた街の中を歩いていた。
 辺りはまだ薄暗く、かろうじて空が明るくなり始めた頃であるが人の気配はまだ少ない。
 吹き寄せる風はたいそう冷たく、服越しに伝わる冷気に泰地は何度も身震いした。昨日まで続いた暖かさに油断したせいで、この気温には不釣り合いな薄いコートしか羽織っていないのだ。そのせいで否応なく冷気が身体に染みこんでいく。
 ただこれでも見目の良いものを、ということで選んだものではあった。
 今着ているのはブルーブラックカラーのスキニーコットンパンツ、上は年季の入った長袖のサックスカラーのボタンダウンシャツに薄手のジャケット。そしてそれらを覆い隠すライトブラウンのトレンチコートだ。
 アルバイトで食いつないでいる泰地が持つ襟のあるシャツは、会社員時代の白シャツか、今着ているこれだけ。それに無難なネイビーのネクタイを締めたが、それでも年季が入っている分くたびれた感は拭えない。
 行き先からしてあまりにもラフな格好は門前払いを食らいそうだと選んでものではあるがものの、大丈夫だろうかという不安はつきまとった。
 しかも泰地の茶髪は伸びすぎのうえにあちこち跳ねている。早く髪を切りに行きたいのだが、最初のバイト代は家賃へと消えてしまったほどの金欠で、今は我慢のしどころだった。次のバイト代が入ればきっと安い散髪でも行けるはずだ。
 今の泰地は、お金の最優先の使用目的は家賃と食料、そして水道光熱費だったのだ。
 数ヶ月前には考えもしかった自分の境遇に知らず吐いたため息は、身体の熱を奪うようにたちまち白くなり、吸い込んだ空気が胸の奥を冷やしていった。
 ベルトを肩にかけ、さらに左手で握ったバッグの持ち手はすでに泰地の熱に馴染んでいた。それらが肩と掌に食い込み、かじかむ指先から痛みを訴える。しなやかな革でできたバックは抱えられるほどに小さいが見た目以上に重く、肩にずしりと食い込んできた。身体自体も重みのせいで傾く感じがして、何度も身体の前で抱えて負担を軽くしようとはしたのだが、それでも積み重なる疲労に息が上がる。
 たぶん十キロ以上はある。
 元が事務職だったせいか思った以上に落ちていた筋力に、面倒くさいと休みの日にはゴロゴロしていた生活に今さらながら悔いが湧く。最近は多少力仕事もするので筋肉は付いてきたと思ったのが、持久力はまだまだだったようだ。
「まじ重てぇな。中身なんなんだよ、これ?」
 おしゃれなバッグには似合わない重さに好奇心も湧くが、ステンレスのロックが付けられていて開けることはできないようになっていた。
 もっともこれを渡した人からは中身はクリスマスプレゼントだとは聞いている。サンタクロースの代わりに友人に届けて欲しいと、泰地のバイト先のオーナーから頼まれたのだ。
 家賃を早急に準備しないとと、時給が良いからとそのダイニングバーの面接を受けたとき、接客にはふさわしくない目つきの悪さに面接した店主の印象は良くなく、質問もおざなりですぐにでも帰らされるそうになっていた。
 そんなときに顔を覗かせたのがオーナーだ。
 彼が一言「裏方ならいいんじゃないか」と言ってくれたから、採用されたのだ。
 バイト代が入ったら身ぎれいにすれば使えるだろう、という一言に大きく頷いたのは言うまでもない。結局かき入れ時の年末が近いということもあって採用されたときには本当に嬉しくて、オーナーには何度も頭を下げたぐらいだ。
 それほどまでに泰地の生活は逼迫していたのだ。
 泰地がアパートの家賃の払いもままならない生活になったのは3カ月ほど前。それより前に会社が早期退職を募りだしたときには手を上げるつもりなどなかったのだが、実は内部的には出来レースのリストラで泰地はその一ヶ月後には職を失っていた。
 しかも勤務年数が短いから退職金は一月分の給料ほどでその額も少ない。早期退職者向けの追加退職金は元の退職金の5割増しではあったが、何しろ元が少ない。増えたとしてもスズメの涙だったのだ。
 慌ててハローワークに行き会社都合の特例を使ってすぐにもらい始めた雇用保険は、やはり勤労年数の短さに生活費で飛んでしまう程度の額。
 そのうちに貯金が目減りし始めて、金がなければ何もできないという危機感にお気に入りだったゲームもやめた。気分転換のはずのゲームをしても以前のように課金ができない。それこそ最低限の購入すらためらわなければいけなかったのだ。仲の良かったオンライン仲間が楽しく遊んでいる様を見ると、自分との格差に気分がひどく落ち込んで、結局やめてしまったのだ。
 ハローワークで案内される正社員の職に落ち続けたこともそれに拍車をかけた。
 そんな中、とにもかくにも今すぐ収入をと探し求めたバイトが決まったのだ、それが嬉しくて、泰地はできるだけ多くの時間そのバイトに割いた。
 そのバーはエグゼクティブ御用達と言われており、訪れる客も身体にフィットしたオーダーメイドのスーツが普通のエグゼクティブばかりだと知ったのは、働き始めてすぐだ。
 裏からでも垣間見えた客はみな羽振りが良さそうで、提供される酒も食材も今まで食べていたものと格が違うと、泰地の貧しい舌でもはっきりとわかる代物だった。おかげでまかない飯も美味しくて、減りすぎていた体重がなんとか回復し始めているほどだ。
 あのときオーナーがいてくれた良かったと、そんな恩あるオーナーには頭が上がらない泰地だから、そのオーナーから直接頼まれものをされたときには誇らしい気持ちになったのだが。
 店が閉まる昨夜遅くに依頼されて、届ける時間も指定されていた。
 12月25日の朝早く、夜明けの時間にインターホンを鳴らすように。
 そんな非常識極まりない時間帯で大丈夫なのかと問えば、起きて待っているからと言われてしまう。そのときはそうかと思ったし、届けるだけで一日働いた以上の駄賃がもらえるとなれば頷かないはずもない。
 よろしくと嬉しそうに頭を撫でられてその力強さに嬉しかったのもある。
 だが内心では届け先のマンションを知らされて「やべぇ」と人知れず焦っていたのだった。

 一歩一歩近づく目的地。
 誰もいない閑散とした道路は明るさを取り戻したとはいえ、まだ道路を走る車もまばらだった。
 街の一等地、駅からほど近い場所にあるマンションはそんな道路の脇にあって、コンクリートの塊であるそれが澄んだ青空の下でそびえている。一階辺りの戸数の少ないタワーマンション。住んでいるのはエグセグティブクラスの人たちだと聞いている。
「やっぱりここか」
 スマホで表示した地図と名前とを確認し、やはりと頷く泰地の表情は硬い。
 近づいてエントランスと外を遮るドアの前で、泰地は改めてそのマンションを見上げた。
 灯りが点っている窓はまだ数カ所。階段か共用廊下の灯りだけはすべて灯っている。
 泰地は手にしたバッグをきつく握りしめ、一度固く閉じた目蓋をこじ開けるように開き、大きく息を吐いた。白い吐息が剥き出しの首筋にまとわりつき霧散していく。
 泰地がひどくためらうのは、このマンションのセキュリティの高さを知っていたからだった。
 前職の営業マンから毒づくように聞かされた侵入者を固く拒むマンションの一つ。
 居住者に招かれた者以外は全て拒絶されるそのマンションは、営業職の人からすれば垂ぜんの的となる人々が住んでいるのだが、すべて入り口にある受付でシャットダウンされてしまうのだという。
 慇懃無礼なんてもんじゃない、まるでごみでも見るような目だったと、履いてすいた営業の怒気に、聞いていた内勤者はたじたじになっていた。
 ならばそれでなくても目つきの悪い泰地などが入り込めば門前払いを食らうに違いない場所だった。
 だがオーナーが連絡してくれているというのだからさすがに門前払いはないだろう。
 泰地はオーナーの優しい笑みを思い出し、再度大きく息を吐いてから意を決してエントランスの最初の自動ドアをくぐった。



 てっきり玄関先で渡せば良いのだと、いやそれよりもこれならばこんな時間でも受付にいる執事のようなコンシェルジェに渡せばそれで終わりになるだろう。
 入ってすぐに近くにいた警備員の威圧にたじろぎながら、受付カウンターへと向かう。
 受付にいたコンシェルジェのほうはまだ若く、営業マンが言っていたような慇懃無礼感も威圧感もなかったし、蔑むような目もしていなかった。というより、緊張していた泰地は、彼の顔をまともに見ていなかったのだけれども。
「あ、の……」
 何度か息を飲みながら、それでもなんとか部屋番号と相手の「鈴木」という名前、それから自分の名前を問われるままに答えた。
「この荷物を……」
と、差し出しかけた鞄がカウンターに乗るより先に、彼は「お待ちしておりました」と深々と一礼して一枚のカードを差し出してきた。
 これがないとエレベーターを操作できないのだと言われて、使い方を教わる。
 何も書いていないシルバーのカードで、触れればざらつく表面のそれは柔らかいようでいて硬い。
 促され、警備員からの視線を感じながらエレベーターの前へと向かう。なんとか追い出されずに済んだようだが、やはりどうしても直接渡さないといけないらしい。
 重さに痺れてきたバッグを胸の前で抱き込むように抱え、カードをエレベーターの前にあるパネルにかざせば、音を立てて反応した。途端にそれまで眠っていた装置が動き出し駆動音がする。しばらくすると扉が開いたその時、思わず振り返ったのは、胸の奥にわだかまる不安のせいだ。
 自分が本当に上がっていっていいのだろうか、と。
 だが催促するようにエレベーターが音を立て、慌ててその中に滑り込む。
 中に入ればすぐに扉が閉まり始め、開閉と緊急用のボタンぐらいしかないパネルに、液晶で階数表示だけ二つ並んでいた。今いる階と、そしてたぶん向かう先となる階数。
 泰地が操作することなく、エレベーターが上昇を始めた。
 部屋番号からして高い階層だろう。
 なんとも言えない浮遊感に顔をしかめ、現階数表示だけを見つめる。
 清潔感溢れるエレベーターは指紋一つ見られない。
 静かなエレベーターの中で泰地は胸に抱えたバッグをきつく抱いた。

 目的階にたどり着いてすぐに開いた扉を抜ければ、そこには広いエントランスがあった。
 観葉植物と季節の花が飾られており、まるで小さな庭に入るような小さなゲートがホールを挟むように左右にあった。
「あれ……どっちだ?」
 だが二戸とはいえ、行き先がわからないことに気が付いて焦りが増した。扉にも何も書かれていない。ただそれぞれに違う紋様が扉の横の壁にあって、それが家主の印なのは気が付いたが、どちらが鈴木というスポンサーのものなのかがわからないのだ。
 どうしようと焦る泰地だったが、すぐにゲートの向こうで扉が開いたことでその疑問は解消した。
「いらっしゃい」
 開いたドアの影から現れたのは、オーナーと同年齢だろう体格の良い男性だった。壮年とはいうには若々しいがそれでも四十代ぐらいだろうか。肩幅のある身体は胸板も厚く、ラフなセーターを着ていても体格の良さが際立っていた。
 手招きされて恐る恐る近づけば、「遠慮することはない、どうぞ」と中まで招き入れられる。
 靴を脱ぐことなく家の中に入れることも気づかずに、泰地はただ言われるがままに鞄を抱えたまま奥へと進んだ。
 広い。
 リビングだと言われた部屋は、泰地が住む部屋全てよりも広いのではないだろうか。
 ソファテーブルの上には白一色のクリスマスツリーが青と銀が煌めいている。
 その奥、壁面いっぱいの窓からこの街が一望でき、青みが増しだした広い空には早い便だろうか、飛行機雲ができている。
「今日は朝早くから面倒事を頼まれたようだね」
「あ……あの、これです。オーナーから渡して欲しいと言われて持ってきました」
「そう、中身は何か聞いている?」
「いえ……あ、あのクリスマスプレゼントだと」
「うん、そうらしいね。あの子はプレゼントをするのが大好きでね」
 あの子というのはたぶんオーナーのことだろう。だが同年代に見えるのにその言い方が不自然で首を傾げる。
 そんな泰地の様子に鈴木は口角を上げるだけの笑みを見せて手を伸ばしてきた。
 バッグを渡すとあの重かったものを軽々と片手で受け取り、代わりのようにグラスを渡された。透明度の高いトールグラスを鮮やかなオレンジ色が満たしている。差し出されるままに受け取ったグラスを、目線で促されながら口にした。
 ここまでの緊張で喉も渇いていたこともあって数口ほど飲み込んだのだが、爽やかなオレンジの風味が口に広がると同時に明らかにアルコールの刺激を感じた。喉の刺激に数度咳き込んでしまったほどにかなり強い。
「あの……これ、お酒ですか?」
「ん、カクテルだよ。アルコールはダメだったかな?」
「い、え……大丈夫ですけど」
 なんともないように酒だと肯定されて泰地は反応に戸惑った。こんな朝早い時間に訪れた初対面の自分にまさかカクテルを出されるとは思わなかったのだが、彼にとってはこれが普通なのだろうか? 戸惑いつつも目線で促されて、再びグラスの縁に口を付けた。
 にこやかな笑顔だとは思うのだが、じっと見つめられると従わないといけないような気になる。
 威圧感とは違う。何か、そう、上に立つ人の威厳というのだろうか。
 一口、二口、それでも躊躇いながらも口にする。
「美味しいだろう? 新鮮なオレンジが手に入ってね。生で味わっても十分美味しいのだが、私はこちらのほうが好みでね。君の好みにもあえばいいのだが」
「大丈夫です、これ、美味しいです」
 社交辞令ではあったが言葉にして返し、オレンジの美味しさは違いないと口に含む。それでも彼の視線は外れなくて、結局半分以上飲んだところでようやく彼の視線が外れた。
 それに安堵したのもつかの間、彼の手があの鞄のロックを外しているのに気が付いた。
 小さくても丈夫なロックにそれ以上に小さな鍵が差し込まれる。
 ああそうだ、中身を確認して貰えばこの場から退散できる。ようやく帰れると、この妙な緊張感を強いられる場から抜けられる安堵に浸りながら、そこから中身を出されるのを見ていた。
 そんな泰地の前でバッグが口が大きく開かれる。
「ああ、なかなか良いものだね」
 ゴト、ゴトンと一つ一つ重い音を立てて傍らに置かれていく。それが取り出されるたびに、泰地の普段は三白眼の目が大きく見開かれていった。
 清楚な色合いのクリスマスツリーの傍らに広げられていく武骨としか言いようのないそれら。
 かろうじてその内面にキルト地のようなものが貼られていたが、それはどう見ても手枷、足枷としか言いようがないものだった。全てが鈍色の金属製で鎖も同色。
「どうだい? 君にとても似合うと思わないかい?」
「ひっ!」
 不意に艶めかしく耳元で囁かれた声に身体が跳ねる。鈴木という男は目の前にいる。ならばこの声はと向けた瞳が驚愕に大きく見開かれた。
 そんな泰地の首筋に冷たい手が触れ、頬まで上がってくる。見慣れたオーナーの指は細く、薬指にはリングが嵌まっていた。蛇と鎖が絡まったそれを知らず視線で追いかけているうちに、鈴木が手枷を持って泰地へと近づいてきた。
「確かに、光葉(ミツバ)の見立ては違いないね」
「はい、鈴木様のために選んでみました」
 顔の横でオーナーの――高橋光葉の恍惚に満ちた声が響く。その声に、泰地の身体はざわっと肌が震え、全身が総毛立っていった。鈴木に褒められ子どものように無邪気に悦ぶ光葉の姿は一種異常さを伝えてくる。
「泰地」
「あ、あの……オ、ナーは……なんで、ここに?」
「プレゼントをがちゃんと届いたか確認しにきたんだよ」
「だって……だったらなんで俺が……?」
「だって? だって泰地がプレゼントなんだから当然だろう」
 頭の奥で激しい警告音が鳴り響く。なのに身体がうまく動かず、光葉の手すら振りほどけないままにその言葉を耳にした。
「泰地なら絶対鈴木様が悦んでくれるって思ったんだ。目つきが悪くて警戒されているけど、本当の泰地は真面目でね。ほら、こんな重い不審物をこんな朝早い時間でもちゃんと運んでくれているよないい子だしね」
 その声音に感じる陶酔は強く、絡まっている腕が強く泰地を抱き締める。逃さないとばかりに寄せられた顔が、心地よさそうに泰地の顔を頬ずりして笑った。
「ご主人様の好みに泰地はどんぴしゃり――きっと最高の贈り物になると思ったんだ……」
「ひ、ぃっ、は、はなせ……」
 逃げなければと思う。頭は素早い逃走を指示し、視線が逃げ場を探した。
 だが足は自由なはずなのにものすごく重い。肩にのし掛かる光葉の重みとは別に、筋肉そのものが萎えきってしまったように動かず、膝は自重に堪えられないように震えていた。
「な、んで……足……なんか変……」
 足だけではない。身体もだるい。それに言葉を紡ぐのも喉を焼くような熱さがあり、肺の奥が全力疾走でもしたようにつらい。緊張だけでなく動悸が激しくて息苦しさが増していた。急速な自身の身体の異常な状態とこの場の雰囲気に思考が追いつかない。
「僕の愛おしいご主人様に、カワイイ子ネコをプレゼント」
 妖艶とも言える笑みを浮かべた光葉によって、理解不能の状況というだけでなく、文字どおり動けない泰地の腕が取り上げられる。
 鈴木の手により泰地の右手首にはめられる枷。クッション地で保護されていても重く手首に食い込んだ。そして左にも。
 冷え切った金属に体温を奪われ身震いする泰地は、いまだ混乱の極みだ。
 付けられている間に泰地は鈴木の指にも同じ指輪を見つけていた。左の中指にある蛇が絡まる紋様がついた指輪。
 それは光葉のものと似てはいたが鎖はない。それどころか蛇は双頭で、その首は互いに絡み合っていた。
 その指輪に視線を奪われていることに気が付いたのか、鈴木がその指輪を泰地の前にかざして微笑んだ。
「私のものになった君にもあげなければならないね、私の印が入った印を。さて、どこがいいか」
「指輪は僕がもらったから駄目ですよ」
 うっとりと自分の指輪に口づける光葉が、それだけは嫌だとばかりに首を横に振った。
「他の指でも駄目なのかい?」
「はい、これから先、指輪は全部僕にください。指輪は大好きなんです。それこそ全部の指に着けたいぐらい」
「ならば、光葉へのクリスマスプレゼントは指輪にしよう。赤いルビーの瞳をしたホワイトゴールドのスネークにゴールドの微細な鎖が絡まる手の込んだものがあるよ」
「やった、ありがとうございます」
「私が所有する奴隷の証だ、大切にしなさい」
「もちろんです、ご主人様」
 そんな会話が頭の中を素通りしていく。身体の怠さは軽くなるどころか次第に強くなっていて、光葉に抱きとめられていなかったらそのまま崩れてしまうだろう。
「あは、薬がとてもよく効いてるみたいだ」
「いい子で飲んでくれたからね。褒美にまずは気持ち良くしてあげよう」
「はい、ご主人様」
 頭上で弾けたリップ音を聞いてなお、泰地には今のこれが現実だとは思えなかった。



 準備をしてあげると光葉が囁き、床に崩れ落ちた泰地から靴と靴下が脱がされた。
 身体はまともに動かず、だが思考はしっかりとしている。自分が何をされているのかわかるのに、逃げることができない状況は泰地にたまらない恐怖を与えた。
 平均的の体格はあるが昨今の不摂生で痩せぎすの身体は、光葉に容易く扱われる。ネクタイが引き抜かれる刺激に震えた身体からあっという間にシャツが剥がされ、ジーンズは下着ごと引き下ろされた。
 今やラグの上で転がるしかない泰地はそれでもなんとか逃げようともがくが、そんなささやかな抵抗など意に介さず、光葉は泰地を四つん這いにさせた。
「これも付けようね」
 穏やかに、子どもに言い聞かせるように鈴木が足首にも枷をはめていく。重いそれは怠い身体にはつらいが、どういう仕組みかかみ合わさった部分に鍵穴のようなものはなく、どうやって外すのかわからない。
 両足も三十センチほどの鎖でつながれて、これでは外に出ても走って逃げることはかなわないだろう。そちらも手首と同様に、目を凝らしても鍵穴のようなものは見当たらず、外す方法がわからなかった。
「は、ずして……これ……」
「どうして? よく似合うよ、これ泰地のために選んだ特注品なんだよ。ほら、この重さが束縛感満載で気持ちいいでしょ?」
「そんなこと……ひぃっ」
 あるわけがないという言葉は、巻かれた首輪の存在にかき消えた。震えた喉に触れる柔らかな感触は、枷と同様に内側がクッション地があるからだろうが泰地からは見えない。だが表面は武骨な金属であるのは変わらず、同様にかっちりと閉じられる。これもたぶん枷と同様のロック機構なのだろう、とはめる音以外はしなかった。
 しかも首輪から伸びているのであろう紐は、どう見ても犬のリードと同じものだ。
「カワイイなあ、うん、やっぱ泰地ってこういう武骨な感じの首輪が似合うって思ってたんだよね」
「いいね、確かに。それじゃ行っておいで」
「はい、行ってきます」
 元気な返事の光葉は、オーナーとして店にいるときよりずっと言動が幼い。退行してしまったような彼の物言いが泰地は怖かった。まるで玩具で遊ぶ子どものようにしか見えないのだ。
 実際その想像は違わなかった。そのまま首輪を掴まれて、力任せに引っ張られたからだ。
 食い込む首輪は喉を圧迫し、息がつまる。硬い金属が食い込めば窒息するだろう恐怖は変わらず、だが光葉は床に転がった泰地を見て笑うだけだ。
「はやく行かないと、ご主人様をお待たせするじゃないか。ほらっ」
 ぐいぐいと引っ張られても、力の入らぬ身体は這いずることしかできない。身体を起こすことも叶わず、なかば引っ張られるようにして冷たい廊下を移動する。
 行き先は、これだけでアパートの一室はあろうかというほどの広いバスルーム。大理石の壁と大きな窓は低い泰地の目線からは青い空が見えていた。
 いつの間にかすっかり夜が明けているよう明るさだ。
 そんな陽光がふんだんに取り入れられたバスルームはバスタブも広く、大人二人が余裕で入れそうだ。だがそこが単なるバスルームではないことは、幾つも壁面の棚に置かれているモノを見つけた途端に気が付いた。
 実物など過去一度も見たことがなくても、それでも使い方が想像できるモノ。
 例えば透明な硝子のシリンジや液体の入ったボトル。シャワーホースの先が通常のヘッドとは違い棒状なのモノなど。浴室用の椅子にしても、大きくてリクライニングできる上に肘掛けや足下に固定用のバンドが付いている。
 思わず冷たい壁に背をつけて必死に離れようとするが、リードを低い位置の壁のフックにかけられて逃げられない。
 そんな泰地を尻目に光葉はハミングをしながらバケツの中に湯を注ぎ、ボトルのメモリを見ながら音を立てて注ぎ入れた。その液体をシリンジでかき混ぜて吸い込む。
「オーナー……それってまさか……」
 知識がないわけではない準備の内容が頭の中で過っていく。
 五百ccは入りそうなシリンジを抱えた光葉は、蒼白になった泰地を見下ろし小首を傾げてシリンジの先から数滴液体を零した。
「これ、うん、浣腸。知ってるよね?」
「!」
 やはり、という思いと、これから起こるだろう出来事を予想して、冷たい床にぺたんと尻をついた。逃げなければと思うのに、身体は相変わらず言うことを聞かない。
 そんな泰地の身体を転がして尻を掲げさせるなど光葉には簡単だ。それでも足掻いて逃れようとするからと、今度は手枷の間の鎖がフックに短く止められ、足も鎖の長さ分まで開いた状態で固定された。そんな固定具が床の何カ所かにあったのだ。
「最初はとってもつらいけど、でもすぐに気持ちよーくなるよ。本当はご主人様にしてもらうのが一番気持ちいいんだけど、泰地が気持ちいいって思えるまでは僕がしてあげる」
「ゆ、るして……やめてください、お願いです、嫌だ……嫌だっ!」
 ポタポタと背中に滴が落ちてきて、滑るそれが肌を伝って落ちていく。
 なんとか逃れようと暴れるが、枷はどんなに暴れても壊れるはずもなく、暴れれば暴れるだけいたずらになけなしの体力すら削っていった。
 背中に尻向きに乗られて、自然に上がってしまった尻タブを抱えられて。片手で掴んだシリンジの先を肛門へと突き刺されても、泰地にできることは呻くことぐらいだった。まして「割れると大変だからね」と、楽しげに言われれば動けるものではない。
 泰地はビシッと硬直したままで、顔を床につけてすすり泣き出した。
 どうしてこんなことになっているのか。
 頭の中がぐちゃぐちゃで考えることもままならない。
 液体が排泄口から逆流してくる不快さは強く、やめて欲しいと懇願しても光葉は止めてくれなかった。
 嫌だと呻き、身体を前進させてシリンジの先を抜こうとしても、三葉にがっちりとホールドされていてそれもできない。だったらと腹に力を入れて吐き出そうとしても、それ以上の勢いで液体は身体の中を満たしていく。勢いよく入れられれば腹痛もすぐで、とどめるつもりもない穴から液体は零れ落ちていった。
 幸いに出がけに排泄済みで便秘とは縁のない腹だから汚れは最小限だ。もとよりこんな状態で排泄もどきを他人に見せたくないという矜持もあるのはあったが、恐怖に怯えた身体はそんな力もなかった。
「もう、我慢しないと意味ないじゃんか」
 ふてくされたながらため息を吐かれても、嫌なものは嫌だ。経験はなくてもこの先に待っていることが想像できる程度には知識があるから従えるはずもなかった。
 いっそ諦めて欲しいとすら願う。
 それに身体の怠さは変わらず、それ以上に熱くて怠くて眠い。さっきのカクテルが原因だろうとは思うが、いったいどんな薬を入れられたのか、その効果も、そんな薬を簡単に使う様子も、何もかもが怖い。
 だが次第にこの薬の効果なのか睡魔が襲ってきていた。こんな異常事態のさなかだというのに襲ってくる睡魔に、泰地は必死に起きていようとはしていたが、睡魔はかなり強い。
 また尻に違和感が走り、今度はさっきより大きなものが肛門を侵食しているようだった。入り込むそれを拒もうと力をいれるが、その前に気力が萎える。支えられてあげさせられていた腰も崩れ落ちた。
「あーあ、また外れた。もう何回やらせるのさ」
 ため息は深く、床に伸びた身体から諦めたように光葉が降りた。
 その姿がぼんやりと視界に入るが、立ち上がる気力も体力ももうなかった。
 身体の怠さと、それに加わった睡魔が泰地の身体を支配していた。
 これは……この異常さは、やはりあのカクテルの。
 鮮やかなオレンジ色が視界を占める。その向こうで光葉が困ったように苦笑を浮かべていた。艶やかな笑みは、だがそれと認識したとたん、泰地の背に怖気が走る。
 オレンジの世界で、光葉の赤い舌が唇を舐めていた。
「いいよ、寝てて。方法は幾らでもあるから」
 そんな泰地に光葉が囁く。優しく、そそのかすような言葉は睡魔を誘い、泰地の意識を奪っていく。
「しょうがないから寝ている間に終わらせてあげる。でも眠った罰はご主人様にしてもらうからね。最初が肝心だもんね」
 でもね、と光葉が言う。ちゃんと浣腸させてくれなかった罰は僕からだよ。
 朧気に揺らいだ世界で、光葉のくぐもった声を泰地はしっかりと知覚できなかった。

続く