【階段の先】-9

【階段の先】-9

9.

 あれが前立腺だけで達くっていうことなんだ。
 テーブルの上で生ビールがなみなみと注がれたグラスを両手で包み込み、未だ余韻が消えやらぬ頭のままで考えていた。
 身体の中心、奥深くからせり上がる大量の何か。その膨れあがった何かが一気に膨張し、耐えきれずに弾け飛んで、世界が白く弾けて何もなくなる。
 そんな経験なんて今までしたことがなかった。
 こんな世界に入る前はオナニーしかしたことなかったし、セックスすることになっても撮影中だから、そんなにのめり込んでしまうわけじゃない。
 実際、アナルでのセックスで前立腺を刺激されると気持ちよいことは良かったけど、だけどそれだけで達ったことはなかったし。
 けれどあれは、ペニスを弄って達ったときとはあまりにも違っていた。
 何が、と言われたら、その衝動の激しさというのだろうか。それに、刺激されている間、ずっと続いていて、解放されたとたんにマジ全身の力が抜けて力が入らなくなって。
 絶頂で気を失うなんて、何かの誇張かやらせかと思っていたけれど、あれは確かにすごかったし。
 きっと龍二さんがうまかったのと、冬吾さんのあれで酸欠みたいになっていたからよけいに感じてしまったのかもしれないけれど、でも、あの絶頂感は確かにこの身で感じたものだった。
 実際、あまりにも激しかったせいで、あれから二時間は経っているのに未だに身体の中に余韻が残っていた。
 あの時、気を失ってから目覚めるまではそんなに時間は経ってはいないはずだった。
 自分にとっては一瞬だったのに、苦笑を浮かべた龍二さんに揺すられて目覚めたときには撮影は終わっていたときには本当にびっくりして。本当だったら、無茶をしたと謝るリュウを許して、甘い雰囲気で終わるはずだったんだけど、俺が気絶してしまったから急きょ変更になったって後から聞いた。
 それは申し訳なかったのだけど、みんな機嫌が良くて、問題なかったみたいなんでそれはほっとしたのだけど。けれど、どんなふうに終わったのかとまだ聞けていない。何しろ、撤収とここでの打ち上げまで、あれよあれよという間に進んでしまって、聞く暇がなかったからだ。
 それこそ、「最高だった」と上機嫌の社長兼監督が出演者を食事に連れて行くと張り切っていて、終わったという実感のないままに急かされてシャワーを浴びて服を着て。慌ただしく車で運ばれて、一時間後にはどこかの居酒屋に連れてこられたほどに、慌ただしかったのだ。
 移動の車の中でそのシーンのことを聞こうとは思ったのだけど、監督が冬吾さんに話しかけて、龍二さんもその輪に加わって割り込むすきもなかった。それに、車に揺られたせいか睡魔にすら襲われてしまって、気が付いたらもう着いていたわけで。
 見知らぬ雑居ビルが建ち並ぶ裏道の、薄汚れたビルの中の居酒屋で、気が付けば乾杯していたという始末だった。
 窓のない店内は、どこか古くさい。
 もっとも、金に渋い社長がおごりだと言うことが珍しいし、もともとそんなに期待はしていなかったけれど。
 それに、そんなに強くないから、アルコールなんてビールしか飲まないし、そんなに欲しいとも思わないから、どこでも良かったっていうのが本音なんだけど。
 そんなことより、妙に肌を擽るシャツの生地が気になった。
 着替えの時に手渡されたシャツは俺のものじゃない新品だった。俺が着ていった服は、スタッフの一人が飲み物を零したとかで、用意されていたやつなんだけど。しかも、肌着がなかったから素肌に羽織るしかなかったんだけど、そのせいかパリッとした生地が気になって仕方がなかった。
 シャワーを浴びたときには痛んだ背中は今は特に痛みはない。だけど、それ以上に余韻が残っているのか肌がざわめくような感じがあった。それに、身体が怠く熱っぽい。
 結構衝撃的な撮影内容だったこともあって、身体がかなり疲れているせいかなとは思うんだけど。
「どうしたんだい、正樹くん、箸が進んでいないようだけど?」
 いきなり話しかけてきた社長に、グラスから滴が飛ぶほどに驚いた。
「あ、その、ちょっと……まだちょっと食欲が……」
「あー、なるほど。冬吾さんのザーメンがうまくて腹が一杯になったかな」
「え、あ、いえ、違いますっ」
 そんなはずはないと慌てて首を振れば。
「じゃあ、嫌だったのかな、冬吾さんのチンポは」
「──うっ、その……」
 こんなところで堂々と声も落とさず隠語を口にする社長に戸惑うのも束の間、冬吾さんがちらりと俺に向けてきたその視線がひどく鋭く感じて、堪らず口ごもる。
 何を言っても聞こえる距離で、嫌だなんてことなんか言えないし。
 でも、好きだっていうのも変だし。
「彼はうまいだろ、君もずいぶんと気持ちよさそうにチンポを喉の奥まで銜えていたじゃないか」
 しかも、俺の戸惑いなど意にも介さず続けた社長のよくとおりる声に、俺は泣きたくなった。
 若い店員さんがすぐ横をウロウロしていて、ちらりちらりと俺たちのほうを見ている。
 聞こえないわけでない会話の中で、頷けるわけがなかったし、だからといって返事をしないわけにはいかないし。
 結局俺は、曖昧な笑みを浮かべながら、「冬吾さんは、すごいです」とそれだけを伝えた。もうほとんど泣き笑いになっていたかもしれない。
 本音で言えば、実はあれはかなり苦しかった。だけど、そんなことを言ったら、上機嫌の社長どころか冬吾さんまで不機嫌になりそうで。
 実は終わってからずっと俺は、冬吾さんのことが怖かったのもあったし。
 撮影前の優しかった記憶が撮影中のあの恐怖に塗りつぶされてしまったっていうか。
 今では視線が絡むごとに背筋が震えてしまう。そんな俺に冬吾さんは、くすりと小さく笑い、杯を口には運んでいた。
 たぶん怒ってはいないのだろうけれど。
 けれど、痛みと苦しさとともにこの身に染みこんだ恐怖は、容易には消えそうになかった。
「どうした?」
 そんな俺の様子に気が付いたのか、隣に座っていた龍二さんが腕を肩に回してきた。心配げに覗き込まれて、その近い距離にザワザワと肌がざわめく。
 顔が熱くなるのに慌てて誤魔化すようにビールを煽り、一気に胃に入った冷たさに小さく震えた。
「何でもないです、あの……最後、俺気を失って……すみませんでした」
 ようやく触れることのできた話題に、龍二さんが返したのは苦笑だった。
「別に問題なかったよ、それだけ善かったんだろうし、それに、俺にもたれて寝ている正樹は結構可愛かったしな」
 なんて言われてしまうと、せっかくビールで冷めた熱が一気に上昇してしまう。それを誤魔化すように離れようとするけれど、肩に回された腕でがっしりと押さえられてはそれも叶わない。
 服越しにじわりと温もりが伝わってくる。
 雑多な匂いが立ちこめる居酒屋の中で、これだけ近いと龍二さんの匂いも鼻孔を擽ってきた。撮影の後、一階のバスルームでシャワーを浴びたときのボディシャンプーは俺と同じ物。けれどその中に確かに香る龍二さんの体臭に、俺の股間は節操無しに反応しかけている。
 撮影最後に俺は盛大に射精したという話なんだけど、実のところ、どうも下腹部には重苦しい熱がわだかまっているようで、全くすっきりしていないのだ。
 でもみんなが射精していたというんだから、このすっきりしていないのは気絶していたせいなんだろう。やっぱり意識がある時みたいに、全部吐き出せなかったのもしれないし。
 その残ったものが、龍二さんの匂いと触れられる感触に、呆気なく増殖をしている。
 このままだと勃起してしまいそうな股間を、シャツの裾で引っ張って、なんとか隠して誤魔化すように次のビールのグラスを傾ける。
「うんうん、三人ともなかなかすばらしかった。あれなら結構売れるだろう」
「そうですね、今回は正樹もずいぶんと頑張っていたから、人気が出るかもしれませんね」
「初めての経験だろう、SMは。それなのに、本当によく頑張っていたよ」
 龍二さんのみならず冬吾さんまで俺を褒めてくれる。
 やっぱり優しいなとは思う。怖かったのは調教中だけだろうって思うけど。
「ありがとう、ございます」
 強張った口元はなかなか解れない。
 それに、人気なんて出ないほうが良いような気がするのだ。
 何しろこの社長は人気があると判ったやつはシリーズ化して、微妙にシチュを替えたものをどんどん発売しようとするからだ。
 さすがに、あの鞭とか、浣腸とか、二度とやりたくはなかった。
 龍二さんとはまた共演したいけど、もっとソフトで甘いものを希望したい。なのに。
「そうだな、次は青姦デート、なんてどうだい?」
 なんて社長が言い出すから、ひくりと硬直した。
 あおかんって青姦?
 頭の中で、聞きたくもない二文字がグルグルと回る。
「青姦デートって……」
 龍二さんも、さすがに声を潜めて問いただした。
「室内だけだと退屈だろ、だからラブラブの二人が、仲良く海辺の公園をデートして盛り上がって繋がるってのはどうだい?」
「海辺……公園でデート……」
 思わず呟いた単語だけなら、すごくステキな感じがした。
 だけど。
「こう……コートの下は全裸かハーネス緊縛、性感帯を玩具で嬲られながらの散歩に歩けなくなるほどに感じたセイキを、罰としてベンチにM字開脚、股間全開で括り付けて、バイブ突っ込んで、一時間我慢できたら突っ込んでもらえるとか……、ああ、満月の夜がいいね。正樹くんは色が白いから、きっと妖艶な雰囲気が出ると思うよ」
 それは、外で、っていう意味ですよね。
 声なき悲鳴が脳内で響く。それだけでなく、満月で煌々と照らされた恥ずかしい格好をした俺という、そんな光景が頭の中に浮かんだとたん、思いっきり首を横に振っていた。
「む、無理ですよっ、そんなの」
 外で撮影なんて、しかもそんな格好で外に出るなんてっ。
 妙にリアルさに拘るこの社長は、一軒家なら一軒家。マンションならマンションって、撮影場所をシチュごとにころころ変えるのは周知の事実。
 一体どこでそんな手配ができるのか、公園とかでデートシーンとか、どこかの学校の中庭でのプロローグの撮影とか。
 ばれたらやばいんじゃないかっていう場所でのセックスシーンとかなんてのもあったりする。
 それこそ、俺が参加した撮影の映画館での中の痴漢シチュだって、かなり本気で一般客もいる映画館でのゲリラ撮影を指示しようとしていたみたいだって後から聞いて、血の気が失せたほどだった。いくらその手のを上映する映画館とは言え、生本番なんてできるわけがない。ただ、取り囲むようにして座っていたエキストラの人たちの視線は粘つくような感じで、その手の男優さんたちやスタッフで固めたっていうわりには堪らなかったんだけど。
「いやいや、SM調教って言ったら、青姦は外せないよな、冬吾くん?」
 けれど、ノリノリの社長はああだこうだと冬吾さんに聞いている。
「それは人それぞれなんで、必ずってことはないですね」
「そうかい?」
 冬吾さんの返しにちょっとテンションが下がったようで、少しほっとする。
「まあ、可愛く躾けられたマゾ奴隷を、見せびらかしたくて堪らないという者もいますし、かと思えば、独占欲の強いご主人さまだと、それこそ人目に晒さないために閉じ込めてしまうものもいます」
 けれど淡々と続けられた言葉に、社長の目がきらりと光るのに気が付いてしまった。
「見せびらかしたい、って、例えば?」
「それこそ先ほど言われたように、玩具で淫猥に悶えさせている奴隷だけを目に晒して、よけいに羞恥を味合わせる場合もあれば、実際にそれを使っているところを、皆に見せることを好む方もおられます。そういう方はご自身にも自信がある方ですよね」
「うんうん、龍二ならきっと後者だね」
「なぜそこで俺が出るのか……俺はどっちかっていうと前者タイプっすよ」
 クスクスと笑いながら、龍二さんまでその話に輪に入ってしまう。
「可愛い子がばれないように必死で耐えながら、どこにいるか判らないご主人さまを求めて彷徨っているっていうシーンがあると、結構萌えるんですよ、これが。なんというか健気さがあるっていうか」
 可愛いのが好みなんで。
 どこか遠くを見ながらぽつりと追加された言葉に、ずきんと胸の奥が痛くなった。
 俺にはそんな可愛さはないって思うからだけど。
「そういうのに限って、可愛い恋人がどんなに可憐か自慢したくなるのが多いんですよねえ。これは俺のものだって、誰にも手を出すなって威嚇しながら、でも可愛さを見せつけたくて堪らない。だから、人前で虐めてしまうって人は多いですよ」
「まあ、それも……否定しない、けど、な」
 不意に俺の肩にある龍二さんの腕に力が込められて、ますます身体が引き寄せられる。
「え……ちょっと」
「正樹みたいに可愛いかったら、人前で見せつけたいって思うしな。さっきの鞭の痕ですら、白い肌に映えて二割増しぐらいになっていたし、あれって、絶対男の欲情を誘うよな、あんな可愛い姿ってよお」
「え……可愛い……って」
 なんかいろいろ言われたような気がするけど、それも最後の可愛いって言葉に、全てか吹っ飛んだ感じだ。その言葉に呆然と龍二さんを見上げれば、ばっちり互いの視線が絡み合う。
「正樹は可愛いぞ、いっつも一生懸命で。今日だって苦手だろうに、必死に頑張ってたじゃないか、なあ」
 普段より少し低くなった声音が肌を擽った。
 ザワザワと全身の肌がざわめいて、かあっと身体が熱くなる。
 見つめてくる視線に、ほの暗い熱がわだかまっていると思うのは、気のせいだろうか?
「りゅ……じ、さん?」
 肩にあった指が腕に触れて、皮膚を擽るように蠢く。
 ちりちりと電流が走ったかのように、芯が痺れていた。吐息が感じるほどに近い距離で、唇が蠢く。
「今日の正樹は可愛くて、惚れ直したぜ」
「んんっ」
 とたんに走った強くて甘い疼きに、思わず手のひらを口に当てていた。無様に漏れかけた声はかろうじて喉の奥で防いだけれど、その分体内の熱が一気に急上昇していた。
「そうだな、正樹とデートなら、確かに月夜のデートなんて良いな。公園もいいが、人気のない浜辺とか、夜景の見える展望台とか……」
 浜辺に夜景。
 龍二さんの言葉に、脳裏に次々とその光景が浮かぶ。
 そこに龍二さんと二人っきりって、とてつもない甘い雰囲気を想像して、もうそれだけで酔いしれてしまいそうだった。
 普段、自分がそんなロマンチストだなんて思っていなかったけれど。
 龍二さんとだったら、そんな景色の中でデートしたいって切に願ってしまう。
 なんてことをうっとりと考えていたら。
「おい、正樹? どうしたんだ、真っ赤だぞ」
 ツンツンと頬を突かれて、はっと我に返ってみれば、心配そうな龍二さんの顔が至近距離にあって。
「熱でもあるんじゃないのか?」
「そうか、どれどれ?」
 冬吾さんの指摘に、こつんと俺のデコに当てられた龍二さんの額。
「──っ!!」
「熱く……はないけど、なんだ、また真っ赤になっているぞ」
 冬吾さんに向けて顔を上げたせいで、喋る唇が額に触れる。
 隆二さんの手は俺の両肩に回され、それこそ恋愛ドラマだとキスの数秒前みたいな……。
 バカなことにそんなことまで考えてしまったら、もう顔を覗き込まれても動けない。
「とりあえず水か、何か……」
「あ、あ、はいっ、はいっ」
 水か何か。
 頭に入った単語に、もうどうにかしないとという思いとともに、テーブルにあった手近なのグラスを掴んで、ゴクゴクと飲み干そうとして。
「んくっ」
 最初の一口が喉を刺激したとたん、びくりと動きが止まった。
 あ、つい……。
「おいおい、それはテキーラだぞ」
 コクコクと頭が勝手に動くたっぷりと含んだその最初の一口が喉と胃を熱く焼き尽くす。そんな刺激に、続いて含んでいたそれを飲み込む寸前で止めてしまったのだ。
 やばい。
 やばいやばいやばい。
 前にもからかわれながら飲んだときには、一気に落ちてしまったことを思い出す。
 弱い俺には全くむかないそれがなぜ目の前にあったのか知らないけれど。
「大丈夫か、おい?」
「まあ、飲んだものは飲むしかないかなあ。後で水もたっぷり飲むんだよ」
 吐き出そうにも、そんな不調法は許されないとばかりに、冬吾さんの冷たい視線が言葉以上に雄弁に語っていた。
 それに責め立てられるように、ごくり、ごくりと熱いそれを飲み込んでいく。
 そういえば、まだあんまり食べていなかったのに。
 ほとんど空の胃に、これはない……と思いつつ、飲み干した直後に、はああっと大きく息を吐き出せば、その吐息のアルコール臭にもくらくらとした。
「ほら、水だ」
「あ、りがとう、ございます……」
 冷たい水を手渡され、ゴクゴクと勢いよく飲み干すけれど、先に入ったテキーラ
効果は強い。
 それでなくても熱かった身体は一気に燃え上がるような熱を孕み、頭痛に近いほど激しい血流の音が耳の奥でする。
 もともと体調が悪かったせいか、効き過ぎるほど効いているような気がした。
 さっきより敏感になった感覚に煽られるように、肌が敏感になっていて。
「大丈夫か?」
 龍二さんの手が触れるたびに、ビクビクッと全身が震えた。
 ぶるりと震えるとそれだけで、身体の芯まで痺れたようになってしまう。
 もう身体の力もうまく入らなくて、倒れかけた身体で堪らずに龍二さんの服にしがみついたんだけど。、
「ほら、横になってろ」
 龍二さんの大きな手が、俺の身体を容易く押し倒す。
 握っていたはずのシャツは、容易く剥がれて、ひどく寂しい。
 仰向けに倒れた彼の真上から覗き込む龍二さんは、心配そうに俺を見ていて。
「薄くはしていたから悪酔いまではいかないだろうが」
 思わず手を伸ばしたそれを、握ってくれただけで、ほおっと甘い吐息が零れる。
「龍二さん……」
 自分の物とは思えぬほどに甘ったるい吐息が零れて、それに驚いたように龍二さんが跳ねるように身体を起こした。男らしい眉がひそめられて、苦笑にも似た吐息が数度零れたとき。
「この……小悪魔が……後でたっぷりお仕置きだ」
 小さく呟かれたそれを聞き取りたかったのに、限度を超えたアルコール分に侵された身体は、その瞬間全てを放棄してしまっていた。