某社の仕事のできる男達の華麗なる日々 【ある日の休憩時間】

某社の仕事のできる男達の華麗なる日々 【ある日の休憩時間】

某社の仕事のできる男達の華麗なる日々 【ある日の休憩時間】


「男同士っていいのかな……」
 開発部の橋本の発言に、その場にいた残り二人はピキッと音がするほどに固まった。
 言った本人は、コーヒーが入った紙コップを片手に頬杖をついてあさっての方を見ている。食堂のテーブルに、同席している同僚達が固まっているのに気付かない。
「……まあ……当の本人達はいいと思ってんじゃないのかね?」
 脳裏に一組のカップルを浮かべながら、生産技術部の杉山が肩をすくめながらとりあえず答える。
「やっぱそうなのかなあ……」
 同じく脳裏に複数のカップルを思い浮かべた橋本は、やはり遠くを見つめて何気なく返していた。
 それを見た開発部の高山が嘆息を漏らしながら、橋本を見遣った。
「どうしたんだ、何で急にそんなことを?」
 高山の記憶にはそういうカップルはいない。
 だから、何を突然……、という疑問しかない。
「んー?」
 そこでようやく橋本が視線を二人に戻してきた。
 見つめる2対の瞳に、自分が何を口走ったかを自覚した橋本は、ひくっと頬を引きつらせた。
 質問は無意識だった。
 ただ、身の回りにあまりに多い男同士のカップルにふと思いやった疑問が口に付いて出ただけ。
「あう……、いやあ……ちょっと知り合いにそういう奴らがいて……どうなのかなあってっ、思っただけで……あはは」
 その言葉に、杉山が意味ありげに嗤った。
「そうだよな……実は俺もいるんだけど……」
 途端に二人の視線が絡む。
 それだけで互いが誰の事を言っているのか判ったのだろう。
 お互いの口元が微妙に歪む。
 だが。
「ふーん、お前ら、変わった知り合いがいるんだな?」
 ノーマルなつきあいしか知らない高山がぽつりと呟いた。
 その視線が二人を交互に見遣る。
「いや、なんかたまたまね」
「そう、たまたま……」
 言葉を濁す二人に、高山が肩をすくめた。
「そうなのか……。それよりさっきの話だが、それで何でそんなことに思い当たったんだ?」
「うっ……それは……」
 高山の鋭い視線に晒されて、橋本は息を飲む。
 切れ長の黒に近い瞳は有無を言わせぬ迫力を持っている。
 何せ、開発の仕事以上に開発部全体の雑用を引き受けやすい滝本チームを、実質的に取り仕切っている影のリーダーだ。
 疑問を疑問とするのをよしとしない高山の視線に晒されて、橋本は仕方なく言葉を継いだ。
「その……何であんなとこに挿れて、気持ちいいのかわかんなくてさ……、まっ、ちょっとした疑問ね、あはは」
 露骨な表現に杉山は口につけたコーヒーを吹き出しかけたが、高山はきょとんとしている。
「とまあ……そういうことで、気にしないでくれ」
 後頭部に手をやって、あははと空笑いしていた橋本だったが、すうっと高山の目が細くすがめられた事を知ってその動きがぴたりと止まる。
「高山?」
「あんなとこに挿れる?何のことだ?」
 ガタッ。
 杉山が速攻で立ち上がった。
「あ、俺……これから会議があるんだ……お先ぃー」
「あ、ちょっと杉山さんっ!」
 橋本の伸ばした手は、すんでの所で杉山の服を掴み損ねた。
 ニヤリと嗤った杉山は、この先の橋本の不幸を喜んでいるようで、楽しそうに二人を一瞥すると、さっさと食堂を出ていった。
「どうしたんだ、杉山さんは?」
 その後ろ姿を見送った高山がぽつりと呟く。
「さあ……」
 とりあえず橋本はそう答えるしかない。
 そして、残っていたコーヒーを一気に飲み干した。
「さて……俺も戻ろうっと……」
「え?」
 ぐしゃりとその手の中のカップがつぶれるさまを見た高山が、訝しげに眉根を寄せる。
「お前……早いんじゃないか?」
 ちらりと窺う壁の時計は、指定の休憩時間がまだ数分あることを示している。
「あ、いや……まあ、ちょっとそんな、気分に……」
「それにさっきの質問、答えて貰っていないんだが?」
「あ、や……」
 背筋にたらりと冷や汗が流れる。
 高山は一度疑問に思ったことは徹底的に知ろうとする。そのことを橋本は長年のつきあいで知っていた。だからこそ、杉山は速攻で逃げたのだ。
 しかし。
 まさか知らないとは……。
 あの話の流れで、それが何のことか判らないと言うことは、高山は本当に知らないと言うことだ。
 その性格上、結構な博識である高山が知らないとは思わなかったばかりにそんな言葉を言ってしまったことを心底後悔する。
 だが。
「いや、そんな気にする事じゃないんだが」
「知りたいんだ、教えろ」
 きつい視線に橋本は逃れる手段がないかときょろきょろするが、こういう時に限って声をかけるような相手は見あたらない。
「橋本……もしかして、そんなに言いにくいことなのか?」
 さすがに橋本の戸惑いに気付いたのか、高山の眉が別の意味できつく歪む。
「あ、ああ……ちょっとな」
 こめかみをひくつかせながらの言い訳は、口の端が歪んでしまっていた。
「そうか……」
 ちらりと高山は周囲を見渡した。
 時間がずれているとは言え、やはり喧噪さ漂う食堂だ。
 男同士の何がどこに挿れるとかいう話は、もしかして聞かれたくない内容なのだろうか?
 橋本の落ち着かない態度がそう言っている。
 人のいる所では話しにくいことなのかもしれない。
 高山はその結論に至ると、橋本に声をかけた。
「じゃあ、また手の空いた時にでも教えてくれないか?誰もいなければいいんだろう?」
「……聞きたいのか?」
 高山のひどくまじめな表情に、橋本はあきらめの境地で問いかけた。
「ああ」
 表情の変わらない高山。
 橋本は深く長い嘆息を吐くことでそれに答えた。
**************************

 あれから高山は二人きりの状態になると、何かもの問いだけな様子で橋本に視線を送ってくるようになった。
 別に教えてやってもいいんだよな……。
 とは思う。
 だが、どうもふんぎりがつかない。
 高山はまじめだ。
 まわりに不真面目な人間が多い中では異色の存在だと思う。
 ただ、まじめすぎてまわりに同調するということが不得手だ。
 特に理不尽なことを理不尽なまま受け入れることができない。
 だから、上司の覚えは悪い。
 もし彼の所属が滝本チームでなかったら……彼は厄介者扱いだったろう。
 あのチームは、リーダー以下どことなくのほほんとしている連中が多いから、高山のような存在が必要なのだ。
 負けん気の強い緑山や他に気になることがあるといっこうに仕事に集中しない篠山……といった橋本が所属する篠山チームではとてもやっていけないだろう。
 そういう高山だから聞きたいことが宙に浮いている今の状態はイヤなのだとは思う。
 けど。
 橋本の口からため息が漏れる。
 途端に手に持っていたサンプルからメモ用紙がはらはらと床に落ちていった。
「あ」
 微かな叫びと床に手が現れたのが同時だった。
「そろそろ飯、行かないか?」
 高山だった。
「ああ」
 条件反射のように答える橋本に、メモ用紙が渡される。
「そっちはまだかかるのか?」
 ちらりと時計を見ると7時を回ったところ。
 7時がすぎれば、頼んでおいた残業食の弁当を食べることができる。
「ああ、もう少し。だが、思ったより早く終わりそうだ。そっちは?」
「うちも同じく。緑山君ががんばっているからね」
「ああ……さっきすれ違った。だが険しい顔をしていたぞ」
 ふっとその目がすがめられ、記憶の糸を辿っているように見える。
「険しい……ああ、そうだろうな」
 険しい原因がわかってしまうから、脱力しそうになる。
「何かあったのか?また篠山さんが逃げ出したのか?」
「それもある……」
 それでも彼は速攻で仕上げていったから、今日は許せる気にはなっている。
 まあ、多少は不完全だが……。
 だが、緑山の不快の原因は、篠山のせいだけではない。
 たぶん、だが、デートをキャンセルしたことだろう。
 難しい表情で携帯のメールをやりとりする緑山の姿を目撃しているから。
「緑山君、今日用事があったみたいだからね、それでだろ」
「ああ、そうか……」
 ふっとあの質問はそいつらに聞け……って言いそうになった。
 だが……それは高山に彼らこそがそうなのだとばらすようなものだ。
 とてもじゃないがそれはできない。
「じゃ、行こうか」
 ばさっと資料をひとまとめにして机に置くと、橋本は高山とともに食堂にでかけた。


「なあ……」
 テーブルには平らげた弁当の残骸。
 手には食後のお茶というどこかのどかな状態で、高山が口を開いた。
「何だ?」
 真っ暗になってしまった窓の外。そのせいで中の様子が事細かに写っている窓を眺めながら、橋本はお茶を口に含みながら条件反射的に問い返す。
「男同士って話だけどな……」
「!」
 危うく口に含んだ茶を噴き出しそうになった橋本は、その代わりのようにテーブル上に紙コップを倒してしまう。
「あちっ!」
 しぶきがかかった手から滴を振り落とし、慌てて台拭きで零れたお茶を吸い取った。
「何やっているんだ?」
 呆れたように高山が橋本を見つめていた。
 それに答えず、びしょ濡れの台拭きを絞るために流しへと移動する。
 はあ────っ
 ながーい溜息をついて、高山の方に視線を向けると、頬杖をついてぼおっと暗闇の外を眺めていた。
 忘れない奴だよなあ……。
 台拭きを洗いながらがっくりと肩を落とす。
 やっぱり説明をしなければいけないんだろうか……。
 ふっとそういうシーンをビジュアル的に想像してしまい、うえっと唸る。
 かと言って、いつまでも高山を放置して置くわけにもいかず、仕方なく橋本は絞った台拭きを手にテーブルへと戻った。
「大丈夫か?」
「え?」
 何が、と問いかけようとしてその視線が先程お茶がかかった手に向けられているのに気付いた。
「大丈夫だ」
 なんでもないと手を振ってみせる。
「すまんな、いきなり尋ねたから……」
「いや、俺が驚きすぎ。それでな、やっぱり気になるのか?」
 いつまでもはぐらかすわけにもいかないと、橋本は単刀直入に聞いてみた。
「え、ああ。だが、だいたい想像はついたんだ。それを言おうとして……」
 どこか歯切れの悪いという珍しい態度とその言葉に目を見開く。
「わ、判ったのか?」
「まあな」
 ふうっと大きく息を吐き出して頷く高山をまじまじと見つめた。
「なんか、気になってさ、いろいろ考えて……まあ、入れるってとこは一つしかないしな。それに、そういうのが男女間でもあるっていうくらいは、まあ……知っているし……」
「そんなこと……よく知っていたな……」
 呆然と呟く橋本に、高山は気分を害したように口を噤んでしまった。
「あ、いや……そうじゃなくて……」
 そうじゃなくて……と続ける言葉は見つからない。
 口ごもる橋本に、高山はその目を伏せがちにして答えた。
「何かの小説でそういうシーンがあったから……」
 さすがにその声は小さい。
 しかし……。
 橋本は頭を抱えた。
 真面目なこいつが仕事中にずっとそんな事を考えていたとは……。
 どちらかといえば仕事中は表情があまり変化しない高山とその頭の中のもの凄いギャップを想像してしまい、目眩がしそうになる。
「まあ……判ったなら……いいよな」
「まあ……な」
 だが、その割には高山は歯切れが悪い。
 一体、まだ何が気になっているというのか?
 訝しげな視線に気付いたのか、高山が苦笑を浮かべた。
「ほら……お前言っていたろ。男同士って気持ちいいのかって。それ、どうなんだろうな」
 その問いを聞いた途端、橋本の顔の血の気は失せ、体は完璧に硬直してしまった。

 真面目な奴ってのは────っ!
 先程の高山の問いは、橋本に激しい衝撃を与えた。
 それこそ、魂が抜けてしまうかというような衝撃。
「そろろそ行くか」
 高山のその言葉がなかったら、いつまでもイスに座り込んだまま動けなかったに違いない。
 作業場まで戻る途中で高山と別れた橋本は、一人になるとがっくりと肩を落とした。
 元はといえば自分の不注意な一言のせいで……。
 してもどうにもならないけれどそれでも後悔するしかない。
 それに昼間のどうやってするかは説明できても、それが気持ちいいかどうかは、橋本にすら判らない。
 こんな感覚的なことを高山はどうやって知ろうとするのだろうか?
 誰かに聞くのだろうか?
 しかし、今日の反応を見ても、高山がそういう知り合いがいるとはとうてい思えない。
 実はこの会社にごろごろとしているそういう連中を、橋本自身が紹介したいとは思わない。
 だが、あの真面目な高山のこと、なんらかの手段で知ろうとするに違いない。
「ああっ!どうすれば良いんだぁっ!」
 思わず頭を抱えて作業台に突っ伏してしまう。
「どうしたんですか?」
「へっ」
 かけられた声に慌てて顔を上げると、緑山が心配そうに覗き込んでいた。
「あ、いや……あははは……」
 狼狽を誤魔化そうとして笑って失敗する。
 完全な空笑いに、緑山がますます不審げに眉根をきつく寄せるのが見て取れた。
「どうしたんです?」
 高山とは違った意味で真面目な緑山の前で不用意に叫んだ自分の愚かさを呪いたい。
 というか……。
 俺って墓穴ほりー。
 思わず踊り出したい衝動に駆られる。
 だがそんなこともできるわけもなく、橋本は諦めて溜息混じりに告白した。
「ちょっとな……高山くんに相談されたことが気になって、ね……」
「高山さんにですか?」
 きょとんと首を傾げる緑山はどこか訝しげだ。
「なんか、高山さんが橋本さんに相談するっていうのが想像つきませんね……逆ならいくらでも想像つきますけど」
 ぐさっと胸に突き刺さる痛みに身もだえる。
「みーどーりーやーまー」
 地の底から這うような声音に、緑山があははと笑って逃げ出した。
 それを追いかける気力も湧かない。
 確かに逆の立場は滅茶苦茶多い。
 高山からの珍しい質問……それがこんな質問になろうとは……。
 橋本は激しい後悔とこの後始末をどうするかと、ひたすら苦悩を続けていた。

 橋本が苦悩している頃、同じく残業中の杉山は目の前の二人をぼんやりと見つめていた。
 また安佐の方が何かやらかしたのか?
 どこか機嫌の悪い竹井の小間使いのように安佐が走り回っている。
 いつものその風景に苦笑しつつもその脳裏にあるのは、昼間橋本が漏らした「男同士っていいのかな?」という言葉だった。
 まあ、悪かったら、しないだろうな……。
 至極まっとうなことを思い浮かべる。
 だが、この二人を見ているとなかなかそういう所までこぎ着けられないのが何となく判る。
 竹井くん……淡泊そうだしなあ……。
 入社以来なにくれと面倒見てきたこの後輩は、どうも性がまつわる話となると途端に逃げ腰になっていた。
 全く興味が無いわけではないのだろうが、積極的に参加するとはとうてい言えない態度で、その手の話をする時は自然竹井がいない時だった。
 それに比べて安佐は健全な青年で、その手の話もそこそこに乗ってくる。
 意外にも、安佐はごく普通に女性の裸にも興味を示し、決してゲイではないらしい。
 ただ単に好きな相手が同性だった、という訳だ。
 しかし……。
 想像つかない……。
 この竹井くんが安佐に突っ込まれて喘ぎ声出してる所なんかさ……。
 とても女性には見えない竹井のその姿をそれでも想像してしまった杉山は眉間に深いシワを浮かべ、手のひらを当てる。
 ん……まあ、バックからなら顔も胸も関係ないよな……。
 まあ、肩幅も腰も女性のものとは違うが、それならまあ……OKか。
 しかし……。
 脳裏にかなり詳細なその構図を描いてしまった杉山は、あまりのエロゲロなシーンにがくりと机に突っ伏してしまう。
 やっぱ……駄目だ。
 想像だけで拒否反応を示す自分には、それが気持ちいいとかそう言うことを想像することはできない。
 別に勝手にやってくれる分には構わないんだけどな……。
 相変わらずの二人の様子を見ていると、そんな気分にはなっている。
 だが、よくよく観察しているとどう見たって二人の喧嘩は痴話喧嘩のレベルだ。
 わがままな奥様に振り回されている駄目旦那の構図も、見慣れすぎると嫌気が差してくる。
 ましてや、したくもない残業の真っ最中だ。そのせいでイライラも募ってきている。
 もうちょっとしっかりしろよ……。
 と突っ込みたくなってきた。
「嫌よ嫌よも好きのうちー」
 だからわざと口に出して言ってみた。
「す、杉山さんっ!」
 途端に真っ赤になって杉山を睨む竹井に、ちらりと視線を送る。
「喧嘩ばっかしていないで、少しは仲良くできないわけ?それとも、また安佐くんに慰めてもらいたくて、怒っているふりをしているとか?」
 男どころか彼女すらいない杉山は、幾分妬みも込めて投げかける。
「なっ!」
 かあっとさらに赤くなる竹井に、そうなのかと目を見開く安佐。
 その様子を眺めながら素直になれない奴と鈍感な奴がよくもまあ一緒になれたものだと感心する。
「お前らがおったら仕事にならん。とっとと帰れ」
 ひらひらと手を振って出て行けと合図を送った。
 杉山に言われるまでもなく、いたたまれなくなっていた竹井が速攻で事務所を飛び出すと、安佐もそれを追いかけていく。
 結局、この後いちゃつくんだよな……あの二人。
「あーあ……やってらんね。俺でもいいって娘、いないかなあ……」
 本気で見合いでもしてみようかと……家で山となっている洗濯物を思い出しながら、深い嘆息をつく杉山であった。

 ジャパングローバル社は、自社独自の材料およびその他の材料を使用し、工業材料部門、電気化学部門、医療材料部門の新規開発製品を主として販売活動を広げ、この不況下に置いてもコンスタントに売上げを出している会社である。

 その経営は、社長以下、主要役員2名、役員5名にて行われている。
 その中で主要役員に存在する人物の一言が、ジャパングローバル社の昨今の人事を支配していると言っても過言ではない。

「やっぱり頭はもちろんいいに越したことはないけれど、顔も重要だと思わない?うちの会社は、開発部員と言えど、顧客対応にでなければならないでしょう?だったら、単なる頭だけの存在じゃ駄目な訳よ。ちゃんと接客もできて、なおかつ頭もよくなければ。で、当然ながら、相手に不快を与えない程度の顔は必要な訳よ。ね、どう思う?」
 そのお言葉に、事なかれ主義の総務のリーダーが逆らえる筈もなく、新人の何割かはなかなかに整った顔立ちの人間が採用されるという……。

☆☆☆☆☆☆

「という話なんだけどね、本当のところはどうなんでしょうね」
 仕事も一区切り付いたということで気が抜けているのか、三宅と千間がそんな事を話していた。
 それは、チームリーダーの滝本の席のパソコンを借りて資料を作成していた鈴木の耳に聞きたくなくても入ってくる。
「でも、確かに顔がいいっていうか……その辺の男どもからすれば見劣りのしないのは結構いるわよね」
 千間が同調して、空いていたイスに座り込んだ。
 内容が内容だけに二人とも小声で話しているのだが、たかだか2mも離れていないこの距離ではどんな小声でも鈴木にはよく聞こえる。
 興味がない訳でもないのでついつい気になる。うっかりすると止まりそうになる手を動かし、できるだけ画面に集中使用とするのだが……。
「そうよね……まあ、あの人ならそんなこといいそうだし」
「まあ、顔だけって言うわけでもないから、そんな我が儘もいいかも知れないけど」
 思わず寄ったのだろう眉間のシワを押さえる千間に、三宅も肩を竦めていた。
「まあ、いい男ってのは目の保養にもなるしね」
「まあ……ね」
「でもやっぱ一番の豊作の年って……営業の笹木くん達の年よねえ」
「あ、それは言えるわね。笹木くんに家城くん、頭もよくて顔もよくて」
「でも……」
 三宅がふっと言葉を切った途端、千間が微かな吐息を漏らすのが鈴木にも聞こえた。
 思わず耳がダンボになる。
「どうして……そういう顔のいい人達が……結ばれちゃうのかしらね。独り身には悔しいんだけど……」
「まあね……よすぎるとそういう傾向に走っちゃうのかなあ……。まあ、私は関係ないから、別に誰と誰が……でもいいけどさ」
 ???
 どこか楽しそうな三宅と鬱々としている千間の話が、ところどころはっきり聞こえなくなった。そのせいで、余計に気になる鈴木の手は完全に止まっている。
「最近のヒットは……やっぱ緑山くんかしらね」
「あ、結構人気あるわね……なぜか男の人が多いのは気のせいかなって思うけど」
「不思議よねえ……険悪な雰囲気にあって、緑山くんが入っていくといきなり和むのは何故?」
「なんでか、みんな遠慮するのよね。可愛いってタイプじゃないから、なごみ系っていう訳じゃないんだろうけど」
 鈴木と同期の緑山の話になって、そうなのか……と首を傾げる。
 確かに自分よりははるかに今風の女の子にもてそうな顔立ちは羨ましいと思っていたが、そんなに人気があるとは思ってもいなかった。
「やっぱさ、何か最近艶があるっていうか……」
「優しいし……でも、誤魔化しがないわよね。面倒な頼まれごとでも邪険にしないから、人気があるのよね。彼みたいな人ならうちのチーム、欲しいんだけど……」
 千間がしみじみと吐息をつきながら言う。
 千間さんって工材1チームの当麻さんのところだよな。
 その吐息の意味がなんとなく判る程度に噂は聞いている。
 不在のことが多い当麻の雑用は全て千間がこなしていると聞く。千間がいなければ、工業材料第一チームの活動は休止しがちになるだろう。
「まあなごみ系っていえば、今年の新人の製造の里山くんでしょうね」
「あ、彼はねえ……可愛いって言うか。見てるだけでも結構和むわよね。どこかポヤンとしているし」
「でも仕事している時はハムスターみたいにちまちまっと動き回って、これがまた受けているらしいわよ、おばさま方に」
「明るいし、でもどこかとぼけてて天然って話もあるし」
「なんか、緑山くんとは違うタイプよね」
 製造の里山……里山……櫂(かい)?
 ああそうか、ああいうタイプがおばちゃん達にモテるのか。
 んで、緑山。
 どっちのタイプにも当てはまらないと自覚している鈴木は、おばさま方に言い寄られないと嬉しい反面、どこからか吹きすさぶ冷たい風を心に感じざるを得なかった。
「で、話は戻るんだけど、緑山くんって相手がいるんだけど……ならしいのよ」
「……損失……」
「え……」
 ぽつりと呟かれた千間の言葉の意味が判らず、思わず小さな叫びが漏れていた。
「あっ、鈴木くんってば、聞き耳立ててたでしょうっ!」
「え、いえ、そんなっ」
 責める口調の三宅は何故か笑っていて、鈴木は知られていたのだと気付いた。
「こんなところで……話されたら、耳でも塞がなきゃいけないじゃないですか……」
「鈴木くんもさ、がんばって相手見つけたら、こんな時間まで残業なんかしてなくってさ」
 からかう三宅に訳もなく赤くなる。
「彼女なんて……」
 実は、大学時代から付き合っている彼女のいる鈴木は、曖昧な笑みを顔に浮かべた。
「いえ、別に彼でもいいんだけど」
 え?
 きょとんとして顔をあげた先で、三宅がなんでもないっと手を振っていた。
「でもさ、鈴木くんもうちの会社入っているだけあって、いい顔持ってるんだから、がんばればすぐ彼女なんて見つかるって」
「……そんな、いい顔なんて……」
「大丈夫」
 笑って確信にも満ちた言葉をかけた三宅達はそれを機に千間が戻り、三宅も自分のパソコンに向かう。
 その背に、話し掛ける勇気もなくて、鈴木は仕方なく作業を再開した。
……でも……誰がどんな相手を持っているか……三宅さん達ってもしかして全部知っているのかな?
 途端に背筋に悪寒が走ってぶるるっと身震いする。
 なんかやだな……。
 もし、ばれたらさっきみたいにうわさ話になってしまうのだと気付いて、絶対隠し通そうと決意する鈴木であった。

【高山の華麗なる休日】
「男と男……か」
 高山彰がようやく仕事を終え、一人暮らしのコーポに辿り着いたときにはもう11時を過ぎていた。
 7時頃に食べた弁当のおかけで、それほどの空腹感はない。
 ここのところずっとこんな生活だったので、体がそのリズムにすつかり馴染んでいた。
 少し肌寒くなっていたので羽織っていたタンガリーシャツを肩から落としてハンガーにかける。それをパイプラックにかけると、パソコンを起動させた。
 それすらも習慣となっていて、結局触る間もなくても、寝るまでパソコンはいつも動いていた。
 そのパソコンを眺めながら、再度呟く。
 どんなふうにするのか、おおよそのところは思い出した小説のワンシーンと想像で推定できた。だが、それが気持ちいいかどうか……は、わかるものでもない。
 なぜ高山がそんな事を考える羽目になったのかは、同僚で親友でもある橋本の何気ない一言だった。
『男同士って気持ちいいのかな……』
 本人にしてみれば、何の変哲もない言葉。
 思わずぽろっと漏れてしまった言葉だろう。
 だが、その言葉は高山にしてみれば忘れることのできない言葉だった。
 判らない……。
 橋本が何故そんなことを呟いてしまったのかは判ったからいい。だがそれとは別として、高山にしてみれば「判らない」と言う方が問題だった。
 判らないと、気になってしようがなくなる。
 仕事にしてみても、判らないことが嫌だから根ほり葉ほり聞いてしまう。
 だから、第一リーダーの須藤の覚えがひどく悪いことは承知していた。
 だが、気になるのだ。
 ○○をしてくれ。
 ××のサンプルが欲しい。
 そんな単純な言葉も、何故?がつきまとう。
 それを聞くと、嫌がられるのだ。
 いい加減なところがあると言われる須藤だから、本人もたいして深く考えずに用意して欲しかったのだろう。だか、それを聞くのだ。しかも疑問に思ったことは、何度でも問い返すし、何故そうなのかと質問する。
 そのうち、決して長くはない須藤の気性が苛立ちを見せ始めるのだ。
 本人としてはいたって真面目だし、判らないから聞いているだけだというのに。
 そんなこんなで、すっかり関係最悪になってしまったお陰で、高山は滝本の下という地位につかされた。
 最初は、こんな奴……というほど頼りなさげに見えた滝本だったが、今では結構今の地位が気に入っていた。
 何しろ、滝本も高山の知識を高く買っていてくれるし頼りにしてくれる。
 そういうところが、高山の自尊心をくすぐってくれるのだ。
 それに、疑問に思ったことを問いかければ須藤のように苛立ったりはしない。
 根がおっとりとしているのだろう。競争社会には向かないタイプだったが、その分フォローのしがいがあった。
 そんな高山の知りたい心を満足させてくれるのは、インターネットだった。
 かなりの情報をここで仕入れた。
 一人暮らしだが、他にこれといった趣味もなく、最低限の服と生活用品があればいいから、そこそこに貯金している。
 だから、今ここにあるのも最新のパソコンで先日ADSLにしたばかりだった。
 立ち上がったパソコンをインターネットに接続し、それから高山は浴室へとむかった。
 ちらりと浴槽を見遣って、腕を上げて時計を見る。
……少し遅いか……。
 昼間あれこれと考え込んでいたせいで予定の仕事が思ったより遅くなった。
 それにまだ気になることもあるから……。
 と、高山はシャワーだけを浴びることにしてさっさと服を脱ぎ始めた。
 ほとんど運動しないせいで筋肉のついていない体は、背の高さと一見丈夫そうに見える骨の太さがなければ貧弱にしか見えなかっただろう。日に焼けることのない白い肌が、蛍光灯の灯りに照らされる。
『休むけどいいかな?』
 シャワーを浴びていると珍しくそんな伺いを立てていた滝本の顔がふっと脳裏に浮かんで、苦笑を浮かべる。
 金曜日の今日、チームリーダーである滝本は休みだった。
 遊びに行くから、とか言っていたな。
 チームを組んだときとは別人のようにリーダーらしくなった滝本は、それでも高山には必ず伺いを立てる。
 そんな滝本を思い浮かべると、何故か可笑しくて口元が綻ぶし、どこかほっとさせてくれる。
 須藤が滝本をリーダーにした理由も、今ならなんとなく判るのだ。
 彼は……リーダーとしての素質は今一だが、人を惹きつける何かを持っていた。
 ほっと一呼吸すると、高山は泡だらけの体に勢いよくシャワーを浴びせた。
 さすがに疲れが溜まってきていた体が、その針のような刺激にすこしだけしゃんとする。
 ひんやりとしていた体が熱を持ち、心までもが温かくなる。
 静かな……憩いの時間だった。

 パジャマに着替えた高山は、先程起動させたパソコンの前に座ると、検索サイトを開いた。
「男と男……か」
 さて、どんなキーワードを入れれば目的の物がヒットするのだろうか、と、首を傾げる。
 男と男……だよな。
「男同士?、ホモ……ゲイ……」
 いくつかの単語を口に出して呟きながら、試しに『男同士』と入れて検索してみると、5万近くがヒットした。
「凄いな……」
 その数の多さに単純に驚き、順番にサイトを開いてみる。
 実際に男同士の出会い系サイトや、情報のサイト、それに画像がアップされているところまである。
 それは高山にとって未知の世界だった。
「こんなにも……あるんだ……」
 呟く言葉は不快さとは無縁の物だ。
 その画像の中には、こんなものまで……というような物まであった。
 アメリカのサイトだろうか?
 英語に不自由しない高山が入っていたサイトでは、実際に男同士がつながっている写真までアップされていて、思わず顔をしかめる。
 これが日本なら公序良俗……などの法律にひっかかりそうなサイトが山とあるその事実も驚くことながら、それを見る人間がいるのだなと、妙なところで感心してしまう。
 ばんばんと出てくる公告に辟易しながらも、それでも見ているとビデオ画像まであったりする。うっかりすると、有料サイトややばそうなサイトにはまりこみそうになるのを、今でのネット生活で貯えた経験と勘で巧みに避けていく。
 それにしても……ほんとに気持ちいいのかな?
 はっきりと写されている自分でも見ることのない場所が大きくその形に広げられている様は、痛そうだとしか思えない。
 されている相手の顔が恍惚の表情を浮かべてはいるように見えるが、さりとてそれが演技なのか本当なのかまでは写真を見ただけでは判断できなかった。
 そんな赤裸々な写真を見ても、高山はいたって冷静で単なる観察者としてそれらを見続ける。
 だが、そんな写真もそこそこに見てしまうと飽きがきてしまった。
 やっている……それだけの写真では、気持ちいいのかどうかなど判りようもなかった。
 判るのは、男同士がどこを使うのか……どんなことをしているのか……という程度のものだ。それくらいなら、高山とて既に想像を付けている。
 知りたいのは、『気持ちいい』ものなのかどうか、だ。
 それは絵で見てわかるものではなかった。
 だが、辿り着いた先にあったのはあるサイトでしばらく手を止めることになる。
 そこにある小説を読んでいると、痛みも伴うが気持ちいい、らしい。
 話自体は面白い物もあって、もともといろいろなジャンルの小説を節操無く読みふける高山はずっといろいろなそんな小説を読み続けていた。
 だがさすがに目がひどく疲れてきていることに気が付いて、サイト巡りも一段落していたこともあって一息つく。
 ふと時計を見上げると、すでに3時近くになっていた。
「まずいな……」
 言葉とは裏腹にそれほど深くまずいと思っていない高山だったが、それでも数度頭を振る。
 そうして見ると肩から首がひどく重いし、眠気も襲ってきた。
 限界か……。
 途端に欠伸まで出てきてしまう。
 幾ら明日が休みとは言え、疲れた体を休めなければならないだろうと、とパソコンを切ってしまうと、布団を敷いた。
 物のない空間。
 6畳二間とキッチンという空間に、家電製品と1つの本棚以外は大きい家具はほとんどない。本棚とて、L字フレームを組み立てて棚板を置くタイプだ。 洋服はカバー付きのハンガーラックにかけているし、他の物は押入のボックスに入っている。
 食器棚すらないから、食器類は必要最小限しか持たない。
 たまに来ていた橋本が、呆れるくらいなその部屋を高山は特に不便とは思っていなかった。
 物がないから掃除も楽だ、と思っていたりもする。
 そんな空いている空間にひかれた布団が一番場所をとっているくらいだった。
 休みの天気さえ良ければなるべく干している布団と、洗濯をかかさないシーツに転がるとあっという間に睡魔が押し寄せてきた。
 それに逆らうことなく高山は眠りの世界に入っていった。


 男に迫られた夢……だったよな?
 珍しく跳ね起きるようにして目覚めた高山。
 その原因を作った夢を脳裏に思い浮かべ、顔を顰める。
 まだはっきりとしない頭はそれが夢だったのか現実だったのかすら判別しようとしなかった。もっとも他に誰がいるわけでもなく、確かに夢ではあったのだが……。
 布団の上で上半身を起こした高山は、まだ虚ろな視線を下腹部へと向けた。
 相手の顔や細部の様子は朧気にしか判らない。
 だが、その手が自分の体をまさぐった様子や、それにぞくりと感じたのは覚えている。
 その証拠に、しっかりと立ち上がった股間はパジャマの下からはっきりとそれを主張しているのだ。
「……俺って、ゲイだったんだろうか?」
 そんな筈はなかったよな。
 と、過去の経験を思い起こしてみるが、今まで男に欲情したことはなかった。ついでに、女性ともあまり付き合ったことがないのも事実。
 自分の性への欲求は、その他の事に対する知りたい欲求からすると格段に劣るという自覚はあった。そんな自分だから、特に付き合いたいという女性はいなかったのだが、だからといって男でも良いとは思わない。
 それにしても、久しぶりだな。
 ここ数年、朝勃ちはいつものことだったが、ここまではっきりと自己主張していなかった股間に、高山はどうしたものかと考える。
 ま……抜けばいいか……。
 勃ってしまったのだから抜けばいい。
 頭が出した単純明快なその解答に、高山は従うことにした。
 生来淡泊な質なのか、その手に目覚めた学生時代はともかく普通でもそれほど多くしたことはない。
 それに加えて、低血圧なのか病的なまでに目覚めの悪さがそれに拍車をかけた。抜く暇があったら、一秒でも寝ていたいというのが正直なところだった。
 それは高山の数少ないウィークポイントの一つで、それをを知っているのは橋本だけ。
 その中で理性が要求したのは、トイレに行くことだけだった。部屋で出せば、出した物の後始末に使うティッシュの捨て場に困る。ゴミの日までにおいのでるそれをゴミ箱に入れたままにしておくのは嫌だと思ったからだ。
 ただ手で扱くことにより快感を与え、素直に欲望を吐き出す行為をする。
 自分のモノだからどこをどうすればよりいっそうの快感を覚えるか知っているし、行為自体も久しぶりだ。
「んっ……」
 閉じていた口から微かな喘ぎ声が漏れる。
 徐々に荒くなる吐息に、額に汗が浮かんできた。
 うっすらと開いた視界に、自分のモノを握る手が入る。
「うっ」
 どくんと背筋に電流のような痺れが走った。
 動かしている手が、他人の手に見えたのだ。
 夢と……同じ……。
 まだ寝ぼけた頭が見せた幻覚なのだろうか?
 だが、それによって確実に高山の体の熱は上がっていく。
「あっ……はぁっ……」
 いつもより激しい絶頂感は、普段行うときに感じていた排泄処理という義務感からかけ離れていた。
 吐き出された液が手を汚し、トイレの水の中に落ちていく。
 解放された体が気怠さを訴えていた。
「夢……のせいか?」
 どこか夢うつつな高山の視線が股間からぼんやりとトイレの壁へと向けられた。

現に夢見る君に続く
ただし、主人公変わります(^^ゞ